『妖怪2』

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先日、豆まきをしました。

まいた豆を片付けていただいている間、子どもたちと散歩へ。

「こっちがガサガサ言う」

「こっちがガサガサ言う」

「何か風の音も違う」

「いつもなら、スーっていうのに、今日はザーザーザーって」

「あ、わかった」

「鬼の空気が流れてて、それが集まって鬼になるんじゃない?」

「鬼の空気が流れてて、それが集まって鬼になるんじゃない?」

想像力が働きますね。

ブログ『臥竜塾』2010年9月7日『妖怪2』の中にこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

日本では、森羅万象、天地万物という人為でないものに対して、恐れを抱くことがあるのですが、同時にある神聖なものを感じていたようです。特定の形を持たない自然環境や自然現象を、古代人はそのまま霊性や神として意識していたことが「古事記」や「日本書紀」をはじめ、天地開闢についての神話や説話から見られると片岡真実さんは語っています。片岡真実は、森美術館チーフ・キュレーターで、今、開催されている「ネイチャー・センス展」を企画しています。そこで、メンバーを対象にして展覧会貸し切り特別内覧会「MAMCナイト」を開催しているようです。私は「先生のためのツアーガイド」に参加したのですが、「MAMCナイト」同様、一般向けイベントとは一味違う切り口で、展示解説、および展示に関る多様なコンテンツを提供してくれました。片岡さんは、プロジェクターを使って、この展覧会が出来上がるまでの様々なシーンを紹介し、そこでの話は、日本と西洋の神の成り立ちについての違いにも言及していました。
「『古事記』では、最初に高天原に現れた神々に続き、石や土、海、水、風、木、山などの神々が出現し、『日本書紀』でも、イザナギとイザナミの神が海の神、川の神、山の神、木の神、草の神といった自然神を生み、続いて太陽神として天照大神が現れる。人々は自然に包まれ、その自然感から八百万の神と言われるような多神教の宗教観が育まれたことも理解できる。」八百万の神というのは、たくさんの神々ということですが、それは身の回りに起きる森羅万象全てに神が宿るという考え方でもあるのです。子どもたちは、「環境に自ら働きかけ、それとの相互作用により発達する」ということは、身の回りに起きる不思議さ、怖さなどから自然を感じ、その不思議さに対する探究心を持つことが自然と子どもの関わりで大切なことであり、決して、広い園庭があって、そこを走り回っていれば子どもたちが自然の中で過ごすことにはならず、また、緑があれば自然が豊富ということにはならないのです。

鬼を探求する二人。最後には、近くの食品工場から流れてくる香りに、

「鬼の匂いってツナサラダと同じかも」

「鬼の匂いってツナサラダと同じかも」

笑ってしまいました。暦の上では春を迎えますね。

(報告 加藤)

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