ハレの体験

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すいすい番の時間、テーブルが汚れてきたね、ということで

チームに分かれてテーブル磨き

皆一生懸命磨いています

終わると綺麗になったテーブルを前に、皆程良い達成感を味わった様子でした。

こういう時に、皆で乾杯をしたりできるものがないかと思っていたところ、

調理さんから有難い提案

毎年恒例の梅シロップ作り

3週間で完成予定

その間、1日1回、上下を逆さにして振ることがお当番の仕事に追加されました。

3週間後は丁度、新宿区主催の『プラネタリウム』を見に行く日です。

見に行ったその日に、皆で初めての遠出をしたことを祝おうということになり、その日を楽しみに待ちました。

楽しかったプラネタリウム

そして帰園

割りものは炭酸水か水か

そして何も割らずにそのまま、という三択の中から選びます。

皆に渡りました。

乾杯

甘い、酸っぱい、美味しい、美味しくない、様々な感想があったようですが、皆とても嬉しそうでした。

ブログ『臥竜塾』2014年1月23日『「ハレの体験」』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

人間はこんな時代でも「ハレ」を求めるものです。連休になると、どこかに行きたい。ボーナスが出たらこんなものが買いたい、今度の休みには、おいしいものを食べに行きたい、など計画します。しかし、訪れる先には、どんな「ハレ」があればいいのでしょうか?ボーナスでなければ買えないものは何があるのでしょうか?おいしいものは、どんなものでしょうか?人間の欲望はきりがありません。かつての「ハレ」が「ケ」になると、新たな「ハレ」を見つけようとします。次第に刺激の大きいもの、その時代に必要なものを求めていきます。それが、人類の進歩、発展、様々な発明をしていくエネルギーになってきたのかもしれません。これからも人間は新たなる「ハレ」を求めてつぎつぎといろいろなものを作り出していくでしょう。

しかし、同時に、かつての「ハレ」も見直し、大切に引き継いでいくことも必要です。それが、文化なのです。冠婚葬祭、年中行事、しきたり、それらを大切にし、それらの「ハレ」を待ち望む子どもたちの姿を大切にいなければなりません。私の園で、集団給食改善都知事賞を受賞したのは、食育3本柱として「栽培」「料理」「共食」であるとし、これらは人間しかしない営みであり、その一つの効果は、「待つ」力であるということの提案です。かつて、子どもたちにとって「ケ」の毎日の中で、「ハレ」の日は、待つ力を育んできたのかもしれません。それは、生きる目的になったり、毎日のハリであったりします。

「栽培」とは、日本では、稲は夏に田植えをして秋には刈り取るまでを言います。刈り取るということは、田は枯れた状態と同じです。これがケガレです。稲を刈り取った後に行われるのは豊穣祭です。五穀豊穣を神様に感謝するお祭りです。このお祭りがハレなのです。この祭りを大人も子どもも待ち焦がれます。それは、祭りが楽しいだけでなく、育てていた稲が実を結び、収穫があるからです。それを待ち、祝うということが生活リズムなのです。このリズムは、日本では四季が織りなしていきます。園で、栽培をしています、クッキングをしています、みんなで食事をしていますということではなく、子どもたちに「ケ」と「ハレ」の体験をさせることに意味があるのです。

梅シロップを飲むことは子どもたちにとってハレのことなのだろうと、嬉しそうな姿を見ていて思います。

そんな子どもたちでしたが、梅シロップを巡って、また違った展開を見せてくれました。

(報告 加藤)

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