冷却するこつ

2016年3月15日『冷却するこつ』の中でこう書かれています。

よく、保育で「心情・意欲・態度」ということが言われます。保育所保育指針には、「子どもの発達は、子どもがそれまでの体験を基にして、環境に働きかけ、環境との相互作用を通して、豊かな心情、意欲及び態度を身に付け、新たな能力を獲得していく過程である。」と書かれてあります。発達というのは、豊かな心情、意欲、態度をみにつけることで、新たな能力を獲得していく過程であると定義しています。また、幼稚園教育要領には、「ねらいは, 幼稚園修了までに育つことが期待される生きる力の基礎となる心情, 意欲, 態度などであり,」と書かれています。これによると、ねらいを達成するために指導する事項が保育の内容であるとしています。

そこで、園現場では、子どもたちに自ら取り組むための心情、意欲、態度をどのように身につけるか、活動するかを考えます。また、子どもたちが、活動の中でいかに意欲を持ち、進んで行ない、その活動に熱中するかを計画します。

2019/7/25 配膳の前の時間

望遠鏡を作った、と見せにきてくれました。

こちらも

トイレットペーパーの芯とカラーセロハンの組み合わせですね。

「私もできたよ」

紙を組み合わせて大きな迷路を作ったようです。

製作ゾーンという環境が子どもたちの自ら取り組むための心情、意欲、態度を促していることが伺えます。このゾーンの充実を考えることは、指針に書かれている保育をすることと同意義であり、改めてこの保育が指針に沿った保育であることを感じます。

ブログには続きがあります。

しかし、園では、1日中子どもが意欲を持って、熱中できるわけではありません。なぜなら、どうしても昼食を時間が来たら食べなければなりませんし、ある時間になると片付けなければならない場面が出てきます。しかし、子どもたちはその活動に熱中すればするほど、その活動を中断しようとはしませんし、片付けようとはしません。では、心情を生み、意欲を育て、物事に取組む態度を付けることはできても、それをどのように止めさせればいいのかは、保育指針にも、教育要領にも書いてありません。ホットな刺激をクールダウンさせる必要があるのです。そのときのヒントが、マシュマロ実験の考察にはある気がします。

ミシェルは、マシュマロ実験を行なってみて、頭の中でどう刺激を表象するかを変えられれば、自制心を発揮し、私たちの行動をコントロールするまでになったホットな刺激の犠牲者という立場を脱せると確信したようです。彼は、ホットで魅力的な刺激を一変させ、認知的な再評価によって刺激の影響を「冷却」することができると言うのです。少なくとも、時折、特定の条件下では、そのこつは、条件を整えることになると考えます。歯を食いしばり、スパルタ式の難行苦行に耐えて自らを鍛え上げ、痛みをこらえる必要はありませんが、強い動機付けと最善の意図だけでは足りないと考えています。

必要な力は、前頭前皮質にあり、この皮質を活性化させれば、評価の仕方を変えて、ホットで魅力的な刺激を「冷却」する、ほとんど無尽蔵の方法を実現可能にしてくれます。前頭葉がまだ発達していない未就学児たちでさえ、おおいに創造力を活用し、素晴らしいお手本を見せてくれたのです。彼らは、自分が直面した誘惑を「ただの写真」に変え、頭の中で額縁に収めたのです。自作の歌を歌ったり、足の指で遊んだりして、自らの気をそらすことで、誘惑から自分の注意を完全によそに向けたのです。

ランチの配膳前、片付けの時間を合図する鐘が鳴ると、子どもたちがよく自分たちで造ったものを見せにきてくれると思っていました。

それはある意味では冷却するこつだったのかもわかりません。子どもたちにとって保育者とは、まさに人的環境であるのですね。

(報告 加藤)

10の姿②

前回は10の姿の「健康な心と体」がどのような場面のことを言っているのだろうかということを僕なりに考えてみましたので、今回は「自立心」の部分はどういう場面なのだろうか考えてみたいと思い、またここで書かせていただきました。

幼児期の終わりまでに育てたい10の項目の「自立心」にはこうあります。「身近な環境に主体的に関わり様々な活動を楽しむ中で、しなければならないことを自覚し、自分の力で行うために考えたり、工夫したりしながら、諦めずにやり遂げることで達成感を味わい、自信を持って行動するようになる」

「身近な環境に主体的に関わり様々な活動を楽しむ中で」という部分は「健康な心と体」の部分にも繋がってくるのかなと思います。やはり子どもが主体となる環境があること、(広い意味では園全体ということなのかもしれませんが)新宿せいが子ども園でいうとゾーンという環境が分かりやすいのかなと思います。そんなゾーン環境で子どもが自分で遊びたいゾーンを決め、遊びたい友だちと遊び込むということが「身近な環境に主体的に関わり様々な活動を楽しむ」ということになるのでないでしょうか。

また、01歳児クラスにはおもちゃで遊ぶ「静のスペース」と、体を動かして遊ぶ「動のスペース」がありますが、それを選択する子どもの姿もこれに当てはまるのではないでしょうか。また、子どもが主体となっている活動としては選択活動があげられるように思います。散歩に行くのか、それとも部屋で遊ぶのか、園庭で遊ぶのか、部屋で遊ぶのか。制作に関しても、自分の発達にあった制作を選択するというように、まさに、子どもが主体となり、様々な活動を楽しんでいる姿は日常に行われています。

そうなると次の部分の「しなければならないことを自覚し、自分の力で行うために考えたり、工夫したりしながら、諦めずにやり遂げることで達成感を味わい、自信を持って行動するようになる」というのはどういうことなのでしょうか。
「しなければならないこと」というのはなんなのでしょうか。

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大人である自分自身だとやはり「しなければならないこと」は仕事をする上の役割で任されていることであったり、日常生活を送って行く上で、必要となる洗濯や掃除やご飯という家事的なことにも当てはまるのでしょうか?
園の生活でもそういった「しなければいけない」ということはあるのかもしれません。そんなに強い言い方ではなくてもいいのかもしれませんが、朝の会に参加したり、当番としての役割などはもしかするとそういったことになるのでしょうか。

ですが、もしかするとこの「しなければいけないということ」は「遊び」と置き換えることはできないだろうかと思ったりもしました。だとすると、ブロックゾーンで遊ぶことを決め、いろいろと自分で思考錯誤をしながら、思い描いたものを作ろうと頑張ったり、友だちと協力して、一つのものを作り上げる様は「自分の力で行うために考えたり、工夫したりしながら、諦めずにやり遂げることで達成感を味わい、自信をもって行動するようになる」ということになっていくのかなと思いました。

よく藤森先生は「達成感」と「安心感」は違うというお話をされます。自分でやると決めたものをやった後に得られるものが達成感であり、人から支持されたものをやり終えた後に得られるものは安心感であると言われます。誰かにフルマラソンを走れと言われて走り終わったとしたら、確かにそれあ達成感ではなく、終わったという安心ですよね。

そうは言ってもやはり「しなければいけないこと」という言葉はなんとなく引っかかってしまいますね。園での子どもたちを見ていると、みんな主体的に動いています。もちろん、要所で大人の導きはありますが、多くの場面で自分で考え、動いています。そういったことを日々していると何に対しても子どもは「やらされている」という気持ちではなく、自分からやっている、その中で楽しみを見つけて楽しんでいるという姿勢で活動しているように見えます。当然、集団生活ですから時には「やらなければいけないこと」はあります。服を着替えること、汚れものを袋に入れる頃、排泄に関することなど、または運動会やお楽しみ会といった行事はもしかするとやらなければいけないものなのかもしれません。しかし、そういった活動の中で、自分でできるようになったり、自分たちでセリフを考えたり、役柄を決めたり、発達にあった運動を取り組み運動会があったりと、子どもが主体的に取り組むことができれば、しなければいけないことに対して、工夫したり、諦めずにやったりという楽しみ方を子どもは身につけていくのではないでしょうか。
そういう意味では「身近な環境に主体的に関わり様々な活動を楽しむ中で」という言葉が最初にあるのはなるほどなのかもしれませんね。
大人でもやりたくないこと、気が乗らないことはたくさんあります。ですが、それを嫌だ嫌だと言ってやるよりも、どこかに楽しみを見出し、主体的に行動している人はいろいろな意味で強い人だと思います。そう思うとこの項目は幼児期に主体的に行動することができれば、小学校に行った時に目の前の課題を自分のこととして取り組むことができるという姿につながっていくということも考えられるのでしょうか。そういう意味でも「幼児期の終わりまでに育てたい姿」ということになるのかもしれませんね。

また、この項目は自立心ということでした。よく藤森先生の講演のなかで、自立について話をされることがあります。それは指針の人間関係の中に

「他の人々と親しみ、支え合って生活するために、自立心を育て、人と関わる力を養う」

とあるように、互いに支え合うために自立心が必要であると話されます。
お互いにできない所は隠さずに表すことで、互いを支える一歩になるのかもしれません。そのためにはお互いの信頼関係が必要になってくるのかもしれません。そのためにも園の中で子ども同士が関わる環境が重要になってきますね。
また、藤森先生は「自分でできるようになるからこそ、他者を助けることができるようになる」ということも話してくださいました。まさに、自立心というのは社会の一員になるために必要な力になるのですね。
ついつい、自立というと自分でなんでもできるということばかりに目を向けてしまいますが、その先にある本当の自立心の意味を藤森先生からは教えてもらいました。

この10の姿の自立心はもしかするとその部分よりも、自分でなにかができるようになると言うニュアンスの方が強いのかもしれません。ですが、やはり、この自立心の項目も主体的に行動する子どもの姿が大切になってくるのではないでしょうか。やらされる、言われた通りに子どもを動かすような教育はやはり違いますね。

と、ぐだぐたと書いてしまい、自分でも何がなんだかわからくなってしまいました。
ですが、こうやって書かせてもらったことで、改めて考えるきっかけになりました。本当に保育は奥が深いですね。

報告者 森口達也