『教師の意図』

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「あー、なるほどね」

「あー、なるほどね。面白いね」

先日の土曜保育、ある先生が楽しそうに見つめていた光景が何とも興味深いものでした。

「ちょっと待ってね」

「ちょっと待ってね」

「どうぞ」

「どうぞ」

「やっぱり、流石すいすい(5歳児クラス)ともなるとね」

「やっぱり、流石すいすい(5歳児クラス)ともなるとね」

一番上に置かれたぐんぐん組(1歳児クラス)の子のお皿

一番上に置かれたぐんぐん組(1歳児クラス)の子のお皿

ぐんぐん組(1歳児クラス)の子が何気なく片付けたお皿の上にどのようにお皿を重ねるのか、それを観察していたのですね。

「にこにこ組(2歳児クラス)の子はね、上に重ねちゃうんですよ」

「にこにこ組(2歳児クラス)の子はね、上に重ねちゃうんですよ」

「わいわい組(3歳児クラス)の子は気付いてたかな」

お皿が置かれる毎に元に戻して、その都度感心されていました。

ブログ『臥竜塾』2015年2月14日『教師の意図』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

子どもたちは、いつの時代でも、教室や保育室や遊び場、家庭などで変わらぬ興味や疑問、そして関心を抱いています。子どもの発達に影響する環境とは、子どもの身の周りにあるすべてのものです。赤ちゃんは、物を投げるという行為をしたいときに、それがボールにかぎらず、あらゆるオモチャ、食器、身の回りの物を投げようとします。投げるものは、手に持つことができるものすべてです。同じように、子どもが興味を持つ者は、必ずしもそれが直接学習につながらないように見えるもの、大人から見るとくだらないものにでも興味を持ちます。

逆に、面白いだろうと思って与えたオモチャには見向きもしないこともあります。いけないと思うものに限って触ろうとしますし、遊ぼうとします。また、興味を持って遊んでいたかと思うと、すぐに違うものに興味が移ってしまうこともあります。興味を持続させることは、年齢が小さいほど難しいことです。しかし、その多くは発達過程に左右されることが多いのですが、年齢が上がるにつれ、知的能力レベルや家庭環境によって異なる子どもたちをひきつけ続けなければならないからです。そのために、教師は身の回りのものに目を見張らなければならないのです。

保育者の持つべき意図、それをその先生は「仕掛け」と表現されていましたが、日常の細やかな部分に焦点を当て、それを保育の面白みに変えてしまう先生の磨き上げられた保育者脳というのでしょうか、そのような感性が無ければ到底思い付くことの出来ない発想で、とても感動してしまいました。

(報告者 加藤恭平)

 

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