茶室で質問コーナー

11月17日の報告をさせていただきます。

今日の塾はいつもと違う雰囲気で行いました。というのも、塾の開催場所は、保育園の茶室で行いました!森口先生のアイディアで、いつもの雰囲気と少し変えてみようという発想から初まったそうです。

昨年から猛威を振るったコロナウイルスですが、ようやく収まりの兆しが見えてきましたね。コロナの収まりも見えてきて、今回の塾では久しぶりにご飯を作ってみんなで食べました。ということで、メニューの紹介からしていきたいと思います。

今日のメニューは天丼と、お味噌汁でした。カッキー先生が特製のタレを作ってくれ、それをかけていただきました。久しぶりにみんなで作ったご飯を、みんなで食べるのはやはり一段と美味しく楽しいですね。

味噌質はインスタントですが、やはり、みんなで食べるご飯は美味しいです

ご飯を食べ終えると、突然あかりが消え、ハッピーバースデーの歌とともに、なんと外からローソクの明かりに照らされた塾頭とケーキが登場!!この演出にはみんな大爆笑でした笑。カッキー先生のお誕生日をみんなで祝いしケーキを食べました!柿崎先生、改めて、おめでとうございます。

まさかの外から登場笑

さて、今日の塾のメインは、西田先生の質問コーナーでした。先日GTサミットがあり、その中で、いくつか西田先生に質問が来ていたみたいです。その質問を塾生みんなで話し合ってみようというものが、今日のメインでした。

zoomにて参加の西田先生

早速ですが、内容に入って行きたいと思います。

Q物の使い方についてです。先日のGTサミットの発表園の中で、子ども達がバケツをかぶってそれが連鎖していった報告がありました。正しくものの使い方をしないが、これはいいのでしょうか?命の尊さを伝える事(捕まえた虫の扱い方など)は大人の関わりとして必要ではないかと思いますが、先生はどのようにお考えですか?

Aまずバケツの部分について

塾長「これって、何がいけないのかな?物を別なものにして使うこと、帽子を投げて遊ぶみたいなことではないの。昔、ある小学校の問題でレモンを使ってどういう遊びができるか。という問題があったの。みんなならどう答える?」

本多先生「うーん、レモンの皮をこう曲げて、汁をピッと飛ばす笑」

自分も、食べ物で遊ぶのはななしだろうから、投げるとかはないよな。じゃ、紫キャベツを使って色の変化を楽しむ?なんてことを考えていました。

塾長「実はこの問題の最高得点はレモンをボールにして遊ぶ。そして、一番点数の低い答えは、レモンを使って炙り出しをするなんだよ」

一同「えっ!?!?」

みんな驚きました。まさか、レモンをボールのするのがいいなんて想像もできませんでした。炙り出しが最低得点の理由は、レモンの機能をそのまま使っているから。発想がレモンに囚われているからだそうです。それに対してボールにすることは、レモンから全く離れた発想をしているからだそうです。子どもたちにとって、見立て遊びはとても大切ですし、バケツを頭にかぶるのも、バケツを帽子に見たてて、新しい発想をしているからいいではないかと塾長がおっしゃっていました。

自分「先生、見たて遊びは0、1歳の時、特に1歳児クラスの時は重要で、クラスにはあまり具体物をおかず、ブロックとかをご飯に見立てたりする遊びが重要とは知っているのですが、4、5歳になっても見たて遊びは重要なんですか?」

塾長「見たて遊びは年齢を重ねれば、どんどん高度になっていく。単純なみたてではなくなっていくからね。

食べ物をおもちゃにしてはいけないというが、昔のお手玉は全部小豆でできていた。大人がこれはこういうものと決めてしまうと、子どもたちの遊びが広がらない。見たて遊びは大切だよ」

最初はえっ!?と思いましたが、なるほどと思う納得の答えでした。

虫の扱いについてです。

これについては、森口先生はこう話していまいた。

養老たけしさんは、虫も殺せない人が、人を殺すといっているそうです。森口先生は昔、川でつった魚を水槽に入れて、その魚をまた釣るという遊びをしていたそうです。そして、何度か繰り返すうちに魚の顎が外れてしまい、戻らなくなってしまったそうです。それで、あっ、可哀想なことをしたと思ったと話していました。虫も、足をもいだり、踏み潰してしまい殺したりどの経験があり、気持ち悪さとか、命の大切さを知るのでは。もちろん、虫を殺すことはいけないことですし、現場では殺そうしている場面を見ると、止めるのですが、心のどこかで、まあ、仕方ないかと思うゆとりが大切なのではと話されていました。

Q3才以上児は現在100人近くいます。子どもたちが走りまわったり、奇声を上げる子が多くいます。試行錯誤しながら環境を見直したり、声掛け等工夫しています。活動は3つのグループに分けることが多く、比較的落ち着いています。そこで、現在、生活も3つのグループに分けてみようと計画をしています。朝の興味別遊びから全てを3つのグループに分けることも考えています。ちなみに響く環境は変わってなく、増築部分もかなり声が響きます。3グループで生活するスタイルはどう思われますか?

A音については、専門の先生に環境を見てもらうといいかもしれないですね。そしてグループに分けるのも、朝の会や、食事など、落ち着いて話を聞いたりする場面ではいいと思う。遊びの場面ではグループに分けるというより、ゾーンに分けて遊べばいいのではないか。あるゾーンがいっぱいになるようなら、ゾーンに定員を決めてやればいいのではないか。子どもたちが走り回るのは人数ではなく、遊べる環境を見直す必要があるのではないか。やりたいことがあると走り回ることはない。発達にあったものがあると走り回ることはないのではないか。

Qやすらぎのゾーンの使い方が気になっています。クッションやぬいぐるみ等を投げたり踏んだりする児が多いのですが、環境設定のポイントはありますか?

Aこちらの質問も、遊べない子がこういったことになりやすので、ゾーンの環境を見直すといいのかもしれない。発達にあったおもちゃがあるのか、もう一度見直してみるといいと思います

ということで、質問の回答を終え、今回の塾は終了しました。

今回もとても楽しい塾でした。参加していただいた西田先生も、ありがとうございました。

報告者 横田 龍樹

本当の子ども達の姿とは?

もう11月です・・・

これから報告するのは9月29日の塾です・・・

塾生として反省すべきことです・・・。

10月から宣言が解除されることに伴い、塾の開催もオンラインから新宿せいがこども園の4階会議室で開催する予定です。

塾生もワクチンを2回接種しましたので、とりあえずは安心ですが、

それでもお互いの間隔を保ち、換気をしっかり行って今後の塾を開催していければと思います。

さて、最初は小松崎先生(茨城・青山保育園)から近況報告をいただきました。

先日園内研修を行ったそうで、テーマはSTEMについてです。

STEM保育研究会の広報紙に青山保育園の実践を掲載させていただきましたが、その実践報告を書かれた先生を中心に研修を行ったそうですが、

職員の皆さんの反応としては、とても良かったそうです。

やはり「STEM=科学」というイメージが強いのと、なぜ必要か?

という部分が緩和されたとのことです。

これからSTEMに関しては益々注目を浴び、乳幼児期かどうSTEMを取り入れていくのか?がとても大切になってきます。

ちなみに来月11月15日にSTEM研修会が行われます。

興味がある方はギビングツリーのホームページに詳細が載っていますので、見てください!

さて、今日は異年齢について話し合うことになりました。

まさに原点回帰というか、「異年齢」という言葉こそは知っていますが、

表面的な説明で終わってしまうでしょう。

そうではなく、なんのための異年齢か?異年齢の意味などを改めて理解することは大切なことですね。

一人一人「異年齢」と聞いてどう考えるか語ってもらいまいた。

柿崎先生

・共食

・年上の食事の姿を真似する

横田先生

・観察ゾーンを女性職員が手伝ってくれる

・年上の人と関わることで、自分の興味などが広がるのでは?

二人とも現場ならではの「異年齢」の捉え方ですね。

私も異年齢と聞くと、子ども集団はもちろんですが、職員集団を思い浮かべます。1年目から新宿せいがで仕事をしている私にとっては、開園して約14年という期間の間だけでも様々な異年齢による職員集団というのを体験してきました。

それこそ新人だった立場での職員同士の関係、そして中堅、現在は私よりも先輩はいますが、年数からベテランと呼ばれてしまいます・・・。

藤森先生は・・・

「臥竜塾は有志で勉強しようと集まっている人だから、年齢はバラバラだよね」

と言われました。逆に年齢別で集まったら何をする?と問われましたが、まぁ年代も一緒なので共通の話題で盛り上がるくらいでしょうかw

おそらく塾長が言いたかったことは、塾生も異年齢だからこそ、それぞれの考え方や捉え方があり、自分に無い意見を聞くことができるのではないか?と我々に伝えたかったと私は個人的に思いました。

さらに、最後に塾長はこう言いました。

「子どもの事を本当に考えているならば、自然と理論が理解できるのではは?」

正直、これはなかなか難しいようにも思いました。

ただ冷静になって考えてみると、子どもの発達、保育の理論ばかりを学んでも、実践に結びつかなければ意味がありません。

逆になにも考えずに保育者のエゴで実践してしまうと、それこそ発達を超えたことをさせてしまい、本来の子どもの姿ではない姿にさせてしまう可能性もあります。

「子どもの事を真剣に考える」この言葉の意味を深く受け止める必要がありますね。

この言葉を聞いて、それぞれどう感じるのか分かりませんが、私として最終的には子ども達の姿が正解なのかな?と思います。

自分の発達にあった遊びだったら子どもは集中して遊び始めますし、そうでなければすぐに飽きるでしょう。

さらにいうと、発達もバラバラですし、性格も違う時点で統一の正解はなく、それこそ子ども一人一人に合った環境が大切ですし、子ども達自身も自分に合った遊び方を展開していくと思います。

例えば、オセロを渡した場合、年長はルールに則った遊び方をするかもしれませんが、まだ理解できない年少さんは白と黒を綺麗に並べたり、重ねたりとそれなりに遊ぶでしょう。私はそれでいいと思います。

それくらい心の余裕を持った子どもとの関わり方が良く、わざわざ1つ1つの関わり方に理論や正解を無理やり結びつける必要がそこまでないのではないでしょうか・・・。

何かのきっかけで実践と理論が結びつくと思いますし、そうした経験で初めて保育の深さを知るタイミングだと思います。(報告者 山下祐)