活動報告

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塾長の出張の際には、必ず塾生が付き添いで同行します。
出張先には園内研修が多く、研修先の保育園を見学する機会が多くあります。
その研修先の保育園の室内の環境で、面白い装飾、手作り玩具など、参考になる物があれば、ここで紹介させていただきます。
また、不定期ではありますが、土曜日に「ブラヘイジ」という活動があります。東京の下町を塾長に案内してもらい、東京の歴史や文化を学ぶという課外活動も時々行っています。ブラヘイジが行われた時も報告したいと思います。

成功と幸せ

2020/6/23 ぐんぐん組(1歳児クラス)の子たち

「これ○○くんのエプロン」なのでしょうか「やってあげて」なのでしょうか、こちらにエプロンを差し出す男の子に、

これ僕のだよ、と体を叩いてアピール

それじゃ、と、

やってあげようとするのですが、

できなくて、テーブルに

その子が自分でやることを見守る形に

2020年6月21日『成功と幸せ』の中でこう書かれています。

彼らは、「成功」「幸せ」ということをこのように定義づけています。「健康で、思慮深く、思いやりがあり、他者と関わって生きる幸せな子どもを育て、皆が他者と協力し、創造的で、自分の能力を存分に発揮する責任感溢れる市民となる」こととしています。また、「『超』一流の市民」とは、無為の二流に甘んじることなく、一流というブランドに惑わされることなく、誰もが様々な分野で「『超』一流」となって輝くこととしています。

では、どうしたら良いのかということで、そのカギとなる能力として、六つのCの力=6Csを提唱しています。それは、

Collaboration:それぞれの強みを活かし弱みを補い合う

Communication:対話によって互いが満足するストーリーを作る

Content:専門領域について熟知し直感が働く

Critical Thinking:根拠に基づき熟慮して上手に疑う

Creative Innovation:変革について大きなビジョンを持つ

Confidence:熟慮した上で失敗にひるまず挑戦し続ける

この六つの力を見ると、その中の1,2は、他人との関係が示されています。私たち科学と言うと、実験室に一人閉じこもって、試験管を振ると言うイメージがあります。しかし、ここには、1ではお互いに「補い合う」という人類の進化における特性である、協力する、助け合う、ということが求められています。また、2では、対話を大切にしています。もちろんこの対話は、言葉によるものだけではないかもしれません。そこには、共感など、心の問題もあるかもしれません。ということから、私は、これからの時代における本当の新しい生活様式、教育の目指す方向を考える上でのヒントがあるのではないかと思っているのです。

生活の中で育まれていけるよう、このような姿が生まれるよう、保育は考えられていかなくてはならないことを改めて思います。

(報告 加藤)

未完の大人?

繋げて繋げて、じっくりと取り組んでいます

この子は何でも回してしまいます

丸く繋げたこの玩具も

引っ張ると動くプルバックカーを逆にして

戻ってくることを何回も繰り返していました

ぐんぐん組(1歳児クラス)の子たちの遊びを生み出す力に驚かされています。

2019年7月25日『未完の大人?』の中でこう書かれています。

過去の10年聞の研究で、幼年期と人間性についての新たな概念が生まれました。赤ちゃんや幼児は単なる未完の大人ではないということです。これは、いわゆる白紙論に対する否定的な見方です。それは、観察からだけでなく、脳のシナプスの数の過形成と刈り込みによっても明らかになってきているのです。このことをもう少し認識することが必要です。すなわち、赤ちゃんや幼児は、変化し、創造し、学び、探求するために、進化によって極めてみごとに設計されているというのです。

誰かから教えられてできるものでないだろう遊びを見て、子どもは白紙でないことを改めて感じてしまいます。

(報告 加藤)

自尊心と地位

2020/4/2

新年度が始まってすぐの日、チームの先生もボーダーの服を着ていて奇跡を感じました。

このボーダー率の高さ

2019年5月11日『自尊心と地位』の中でこう書かれています。

親は子どもたちが仲間集団において好ましくない役まわりを押しつけられることを防ぐことはできないとハリスは言います。しかしながら、それをわずかでも起こしにくくすることは可能だと言うのです。親は子どもの外見を変えることはできると言うのです。子どもを可能なかぎり普通に、そして魅力的に見せることを心がけようと言うのです。外見はあなどれないと言うのです。「普通」とは子どもに他の子どもが着ているのと同じものを着せることと言います。

保護者の思いを感じるような朝です。

(報告 加藤)

発達中の脳にとって

暑く晴れた日中

ぐんぐん組(1歳児クラス)のこの子の姿の何に感動をして写真を撮ったかというと、この子、着替えたい、中で遊びたい、と意思表示をして中に入って着替えをして、したものの、やっぱりもう一度水遊びがしたくなって出てきたのです。

それを当たり前のように受け止める先生方の包容力に感動してしまいました。

2019年7月9日『発達中の脳にとって』の中でこう書かれています。

指導計画の必要性を論じる中で、児童中心保育への移行において、また、白紙論が否定されたことによって世界的に幼児教育における「生活」と「遊び」において指導という言葉が世界的に援助という言葉に入れ替わったことをきちんと捉えなければなりません。

また、脳の機能を拡大するために保育における質の高さが影響するという研究があります。イギリスの研究では、質が高い施設の共通点として、保育者と子どものかかわりに特徴があることがわかりました。その一つが、「保育者の子どもへのかかわりが温かく、応答的である」ことが示されています。この研究を受けてでしょうが、今回の保育指針の中で乳児保育において「愛情豊かに、応答的に行われることが特に必要である。」と明記されています。また、1歳以上3歳未満の保育の中でも「温かく見守るとともに、愛情豊かに、応答的に関わり、適切な援助を行うようにすること。」と明記されています。

応答的援助、とはこのようなことを指すのではないでしょうか。

(報告 加藤)

「ハレ」の体験

2019/4/24

振り返ればここからお泊まり保育はスタートしていました。

塾頭山下先生による野菜の種植え指導

パプリカ、ズッキーニ、オクラ、トマト、などなど何種類もの野菜を、子どもたちはチームに分かれて植えました。

育てた野菜を使ってお泊まり保育のメニューを作る見通しです。

2014年1月23日『「ハレ」の体験』の中でこう書かれています。

「栽培」とは、日本では、稲は夏に田植えをして秋には刈り取るまでを言います。刈り取るということは、田は枯れた状態と同じです。これがケガレです。稲を刈り取った後に行われるのは豊穣祭です。五穀豊穣を神様に感謝するお祭りです。このお祭りがハレなのです。この祭りを大人も子どもも待ち焦がれます。それは、祭りが楽しいだけでなく、育てていた稲が実を結び、収穫があるからです。それを待ち、祝うということが生活リズムなのです。このリズムは、日本では四季が織りなしていきます。園で、栽培をしています、クッキングをしています、みんなで食事をしていますということではなく、子どもたちに「ケ」と「ハレ」の体験をさせることに意味があるのです。

準備の為の準備を重ねて、ハレの日はやってきますね。だからこそ待ち遠しいものなのだと思います。

(報告 加藤)

どう変えるか?

2019/8/1 お泊まり保育の前日

大工さんにご来園いただきました

お泊まり保育の今年度の製作の写真立てづくりに、先ず大工さんから手ほどきをいただこうという企画です。

トンカチの使い方

ノコギリの使い方

終わった子はそれをやすりにかけます

とても丁寧なご指導をいただきました。子どもたちにとって貴重な時間となったのではないかと思います。

2012年9月22日『どう変えるか?』の中でこう書かれています。

子どもたちは、将来社会に出ていきます。社会の中で、自己を発揮していかなければなりません。その子たちは教育する教師は、より広い視野が必要になります。また、新しいやり方は、社会の中から見つけていかなければなりません。ということは、社会は常に変化しているものですので、変えていこうとしない人は、社会を見つめ、社会から学んでいない人ということになります。その危機感は、社会を反映しやすい企業よりは、教育の世界は感じにくいかもしれません。

そんな社会だからこそ「ネットワーク力」が必要になるのかもしれません。時代は、より専門化し、細分化しています。その中で、個人の考えること、やれることには限界があります。そこで、多様な人たちとのネットワークが必要になるのです。「ネットワーク力」の説明として、「多様な背景や考え方を持つ人たちとの幅広いネットワークを通じて、アイデアを見つけたり試したりする」とあります。ここに、私の提案する「チーム保育」の意図の一つがあります。チーム保育とは、子どもたちをネットワークの中で育てるということなのです。そのネットワークは、園内にとどまることなく、保護者とも、地域ともネットワークをとる必要があるのです。特に、今後、保育、教育に求められてくるのは、地域の人々とのネットワークです。

必要なのは、子どもたちは、特定の人に育てられる時代から、人々のネットワークの中で育てられる保育への変化です。それが、「ソーシャルネットワーク論」なのです。

作った土台に、当日装飾をして完成させます。作品を作るだけでない、様々な学び、経験、体験がこのような取り組みの中にふんだんにあることを改めて感じます。

(報告 加藤)

支配的指導

2019/7/19

塗ることの諦められた塗り絵、少し使っただけで捨てられていた紙、それらを使って何か作れないか、と子どもたちに提案してみると、

「目はそっちにしよう」「それはこっちの色の方がよくない?」

話し合いながら、一つの完成形へと向かっていく姿を見せてくれました。

2020年1月13日『支配的指導』の中でこう書かれています。

人間関係の中で学び、協力し、助け合うことが日本人の特性であるとも言われています。欧米では、教師からの指導が中心になっているのです。この事実を私は知った時に、今までの保育カリキュラムは、欧米で考えられたものが中心で、特にアメリカでのカリキュラムは、保育者が子どもにどのようにアプローチするかということが中心課題になっていることが頷けました。しかし、この研究が小学校以降を対象にしていますが、実は、保育においても子どもたちの発達は、大人から教わるのではなく、人間関係から、子ども同士のかかわりから学ぶべきであろう私は考えています。しかも、それは、その方が効果的であるのは、もともと人類は人間関係の中で、協力し、助け合い、教え合うことで進化を遂げてきたからです。

『恐竜』

子どもたちだけで作り上げる作品に、いつも不思議な魅力を感じてしまいます。

(報告 加藤)

共食と乳幼児期の発達

2019/6/26 共食Day

塾長がテーブルへ来て下さったこの日。

席を子どもたちが自由に決め、「いただきます。」

すると、ぐんぐん組(1歳児クラス)の子が食べすすみません。

見かねたすいすい組(5歳児クラス)の子が身を乗り出して

すると食べます。

ぐるっと回って隣で

「もう隣に座ってあげたら?」との友だちのアドバイスを受け、

椅子も移動

最後まで食べさせてあげていました。

2010年11月23日『共食と乳幼児期の発達』の中でこう書かれています。

人の食事は、人の発達にずいぶんと影響を与えます。他者に食べさせるという人間の特徴である行為から、役割交代をし始め、次第に自己を知り、他者を知るようになると、次第に自己主張をするようになります。食について、北海道大の川田准教授が示した事例は、誰でも思い当たるでしょう。
「1歳を過ぎたころの子どもにスパゲッティと野菜を食べさせようと、「これは?」とトマトを差し出すと、子どもは顔をしかめてのけぞります。そこで、今度は、「じゃ、これは?」と青菜を差し出してみますが、より一層顔をしかめてみせ、不快そうに手を振って「あ゙?」と非難の声を上げてソッポを向いてしまいます。そこで、「どうしたのー?」とやや非難気味で、再度「赤いのは?」とトマトを差し出しますが、またもや顔をしかめ手で顔を隠してしまいます。そこで「じゃ、自分で食べる?」とプレートを差し出すと、子どもの表情が一変し、トマトに手を出し始めました。今度は、スパゲッティを食べる段になり、同じように子どもが自分でプパゲッティを食べようとしますが、うまくすくえないのを見かねて、箸でつまんで子どもの口元にもっていくと、子どもは拒否をします。その後、大人の差し出しを受け容れたかに見えた時でも、これ見よがしに吐き出し、自分で食べようとします。「なんでー、おんなじのよ?」といっても、更に、子どもは差し出しを拒否した後、今度は自分の方から大人に差し出して、役割逆転が起ってしまう」という事例です。
ここで、大人は「おんなじのよ?」と思っていますが、子どもにとっては同じではないのです。どこが違うかというと、おそらく、大人の意図、あるいは大人の意図の下で進められるという“手続き”に対する拒否感情が生じているのではないだろうかと分析しています。社会心理学には、心理的リアクタンスという概念だそうで、「態度や行動の自由が脅かされた時に喚起される、自由の回復をめざす動機づけ状態」(「心理学辞典」有斐閣)というそうです。このリアクタンスは、もともと説得理論のひとつとして、セールスなどでの押しつけがましい説得が逆効果をもたらすことの根拠とされてきたのですが、リアクタンスが生じるためには、自分自身の行動や態度の自由を認知している必要があり、自由を認知しているにもかかわらず強制されると禁止された行動が遂行されるのです。

年上の子に年下の子のお世話をさせようと意図的に席を設定すると、意外とこちらの思惑通りにいかないこともあったりして、なるほど“手続き”に対する拒否感情が生まれてしまっていたのかも、と考えさせられました。

川田さんは、こうまとめています。「現代の日本社会では、共食の中で子どもが自然に食行動や食文化、対人関係や自他理解を発達させる環境に乏しいといえる。共感的な反応、役割の交替、自由の認識と自己主張性という、乳児期の発達における重要なアスペクトが、食事場面には凝縮されています。そして、いずれも生後9 ヶ月から12 ヶ月頃に質的な転換があるかもしれないと思われ、その転換は、“やりとり困難期”とも言われるように、子どもの行動が複雑になって、意図が分からないと養育者を困惑させるものでもあるだろう。今後、食事場面をより充実させることができれば、乳児の社会的発達を保障する土台を作ることができるのだとも言える。食と社会的発達の関連を探る研究が期待されていると言えよう。」

互いに育み合えるこういった行事が大切であることを改めて感じます。

(報告 加藤)

遊びと学び

2019/6/26 「何これ面白い」

ピーステーブルの方から聞こえてくる声を辿っていくと、こんな遊びをしていました。

「さっきはこれピッタリだったんだよ」

2012年7月18日『遊びと学び』の中でこう書かれています。

幼児教育の祖ともいえるドイツのフレーベルは、遊ぶということで直観的に幼児教育を行うという考えをもっていました。それは、遊びの中に学びがあり、幼児にとって、それは脳への刺激をもたらすものと考えていたからです。そもそも幼児教育にとって学ぶということと遊ぶということははっきりと分けられるものではなく、複合的に行われるものです。それは、幼児にとって楽しいことが遊びであっても、自発的に遊んでいるものであれば、そこには学習効果が多く含まれているのです。たとえば、折り紙を折ることで、直観的に図形認識をしていく脳の経路を作っていることが行われているのです。このように、幼児期の遊びとは、ほとんど学びと同義ではないかと思っています。

学ぶことを苦に感じているとすれば、それは遊びが足りないということなのかもわかりません。

(報告 加藤)

教育の意味

2019/6/17 「何だか凄くないですか?」

チームの先生が見せてくれました。

なるほど

しかもこれを書いているのはらんらん組(4歳児クラス)の子

夢中になって書いている様子はまさにゾーンに入っているようでした。

2017年5月13日『教育の意味』の中でこう書かれています。

「教育があるからこそ、私たちは過去という名の巨人の肩にのれるのだ。知識、特に科学的な知識は過去からの積み上げにほかならないとダンバーは言うのです。このような見解に対して、私たちはよく誤解をすることがあります。知の世界を掘り下げ、探求するための知識と技能を仕込むことが重要ですが、それをより効果的なものにするために、また、その機能をより発揮することができるようになるために、段階が必要になります。突然、何かを教えるとか、覚えさせるとか、できるようにさせるということではなく、まず、知の世界を掘り下げ、探求しようとする態度を養わなければなりません。そのためには、知の世界の不思議さ、楽しさ、それを探求しようとする好奇心などが必要になってくるのです。その部分を受け持つのが幼児教育であると思います。

年齢的な刷り込みから評価をしてしまっていることを反省しつつ、彼の好奇心を育てたものについて、とても興味が湧きます。

(報告 加藤)

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