活動報告

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塾長の出張の際には、必ず塾生が付き添いで同行します。
出張先には園内研修が多く、研修先の保育園を見学する機会が多くあります。
その研修先の保育園の室内の環境で、面白い装飾、手作り玩具など、参考になる物があれば、ここで紹介させていただきます。
また、不定期ではありますが、土曜日に「ブラヘイジ」という活動があります。東京の下町を塾長に案内してもらい、東京の歴史や文化を学ぶという課外活動も時々行っています。ブラヘイジが行われた時も報告したいと思います。

運動会の考察1

運動会が近付いてきました。

開会を告げる「はじめのことば」は、すいすい組(5歳児クラス)の子たちが言います。

予行前日

メモとって家で覚えてくる、とのことで

可愛いですね。

ブログ『臥竜塾』2012年10月14日『運動会の考察1』の中でこう書かれています。

小学校での体育という教科は、内容に書かれてるように、「次の運動を楽しく行い、その動きができるようにする。」すなわち「何々ができるようにする」という、できるようになることを目標に掲げ、その教科の中で行っていきます。それに比べて、幼児教育は、「自ら体を動かそうとする意欲が育つ」とか、「楽しさを味わい、…気持ちが育つようにすること」が目標となり、その手段として、教えるのではなく、「体験し」「様々な遊びの中で」「自然の中で伸び伸びと体を動かして遊ぶことにより」など、ある目的が決められて時間内でなく、子どもの遊び、生活の中で体験して得ていくものであることが書かれてあります。

日々の何気ないこのような体験の中でも運動会というものを感じ、味わっていくのでしょう。改めて保育は環境を通して行われるということを感じました。

(報告 加藤)

世界の仕組みを知る

 

写真を見て、

真似をして作ったようです

こういったものをいつでも見られる環境にしておくことの大切さを改めてベテランの先生から教わりました。

子どもたちにも手伝ってもらい、

子どもたちの作った作品を掲示

そして、ドイツ研修を経たクラスの先生がすぐに導入した動物のフィギュアを使って出来た、

動物園

駐車場

東京駅

中央のタンバリンにビー玉が転がって音が鳴るビー玉コース

ブロックゾーンが再加熱しています。

そして最近では

入れたビー玉が下から出てきます

中で入り組んでいるだろう構造を考え合いながら、よく組み上げたと感心してしまいました。4歳児クラスの子たちが熱中して出来上がった作品です。

ブログ『臥竜塾』2019年7月22日『世界の仕組みを知る』の中でこう書かれています。

子どもたちが自発的に、“ものすごく熱中して”遊んでいるときは、因果関係を調べたり、実験を行ったりしていると考えられると言うのです。実験は世界の仕組みを知るための最良の方法だとゴプニックは言います。

子どもたちのこうした特性を知って、科学ゾーンに取り組むべきでしょう。単に、早期教育だとか、また、何かを教えるような科学では意味のないことを知ります。ただ、子どもたちのこうした試行錯誤は、一人で黙々と集中して取り組むときと、皆でわいわいと言いながら取り組むときとでは、身につくものが少し違う気が私はしています。それは、個人差があるのでどちらがいいかということは言えませんが、今までの研究や、取り組みに、子ども同士が知恵を出し合うことの意味が少ないようです。しかし、“助っ人理論”ではありませんが、社会に出てそれは大切なことだと思うのです。特に、私たちの先祖であるホモ・サピエンスは集団の中で、知恵を出し合って道具を進化させていったのです。

見守る保育 Fujimori Methodは放任だ、自由保育だ、と言われることがあるそうです。子ども集団や、子ども同士の関わりを見守る距離感がそう見えさせることもあるのかもわかりませんが、こと物的環境においてはどうでしょうか。「指針にもある通り、環境を通して行うことが保育だからね」とは塾長の言葉で、こういった子どもたちの作品が出来上がるまでの過程に、その子自身の資質だけでない、子ども集団による影響、そして、外的環境からの影響というものが少なからず影響しているように思えてきます。そこに対するアプローチ。放任とは異なるものであることを改めて感じる思いです。

(報告 加藤)

 

おもてなし

夏野菜たちもいよいよ実りの終盤を迎えようとしているのでしょうか、

枝豆は最後の収穫

この量をどうしようかと思っていると、

「持って帰りたい」とのことで、お迎えの際に一房ずつ配ることにしました。

梅干しの試食も

おしごとおつかれさまでした うめぼしひとくち えだまめひとふさ どうぞ すいすいがつくりました

ブログ『臥竜塾』2011年4月23日『おもてなし』の中でこう書かれています。

「おもてなし」という言葉が気になりました。もともとは、「もてなし」に丁寧語「お」を付けた言葉で、やはり、「モノを持って成し遂げる」という意味ともいわれています。「お持て成し」を英語にすると「Hospitality」だそうで、それはラテン語のhospesという単語で、「旅人・客・旅行者をもてなす主人」という意味が語源です。また、「表裏なし」ということで、表裏のない気持ちでお客様を迎える事だとも言われるように、別にお客様に応対する扱い、待遇とも言われています。
この「おもてなし」には目に見える「もの」と、目に見えない「こと」があります。お茶の世界でいうと、お客様をおもてなしする際に、季節感のある生花、お迎えするお客様に合わせた掛け軸、絵、茶器、匂い(御香)など具体的に身体に感じ、目に見える「もの」と、おもてなしをする人の瞬時に消えてしまう言葉、表情、仕草など、目に見えない心を「こと」があるのです。また、ずいぶんと前になりますが、服部さんが、小学生に給食にお年寄りを招く時の心得として「おもてなしの心」を話していました。その時のポイントとして、「相手への気配り(食器の置き方)」「雰囲気作り(装飾の工夫)」「におい、音、色に工夫をする(秘密のデザート)」「会話(相手の話をよく聞く)」を挙げていました。

すいすい組(5歳児クラス)の子たちが案内役となり、殆どを配り切ることができました。「昔ながらの梅干しの味がしてとても美味しかった」と試食も喜んでいただけたようです。

このような機会を通して、人に喜ばれることの嬉しさを子どもたちと味わっていきたいと思います。

(報告 加藤)

道徳のかけがえのない部分

整理をしていたら出てきた風車を、

思い付いてエアコンの風のくる場所に

いただきますを待つ子たちがフーフー

嬉しかったのはその後で、

棚から降りやすいようにと子どもたちが椅子をセッティングしてくれました

ブログ『臥竜塾』2017年1月4日『道徳のかけがえのない部分』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

正しくは、私たちの道徳感は、二つの部分から成り立っていると彼は考えています。道徳は、私たちに生まれつき備わっている部分から始まっているからだと言います。そしてそれは、目を見張るばかりに豊かでもあるのです。赤ちゃんは道徳的な生き物だということは明らかになっています。進化のおかげで、他者に共感し、他者を思いやることができます。他者尾行動を評価することもできます。正義と公平も少しは理解しています。しかし、私たちは、単なる赤ちゃんを超えた存在なのです。私たちの道徳のかけがいのない部分、私たちを人間たらしめているものの多くは、人類の歴史と、個人の発達の過程で現われます。それは、私たちの思いやり、想像力、そして、合理的思考を可能にするたぐいまれなる能力の産物であると結論しています。

赤ちゃんの頃から育まれてきた思いやりや優しさをこうして表現してくれる子どもたち。この仕事だからこそ得られる喜びがあることを改めて感じます。

(報告 加藤)

おもてなし

迎えた「おもてなし」当日。

「おもてなしチームは手をあげて下さい」

バッジチームが作ったバッジを胸につけていきます。それを横目に、それぞれの時間を過ごそうとする他の子たちにも聞いてみることに。

「やっぱりやってみたい」

数人の子が名乗り出ます。それを快く受け入れて、余分に作ったバッジをつけてあげるから子どもたちって本当に素敵だと思います。

すいすい組(5歳児クラス)だけ早めにおやつを済ませて、

シロップをすくって、水で割って、紙コップに入れていきます

調理の先生も味見に

受け取った紙コップを並べていく子たち

自然と生まれる役割分担

担当が変わりながら、支え合いながら、

7がつ12にち きんようび うめじゅうすでかんぱい

準備が整いました

わいわい組(3歳児クラス)・らんらん組(4歳児クラス)の子どもたちが起きてきました。

初めてのお客様

甘い?酸っぱい?美味しい?

「美味しい」

嬉しい言葉に、小さな歓声があがりました。

ブログ『臥竜塾』2011年4月23日『おもてなし』の中でこう書かれています。

「おもてなしの心」は、日本文化の中でそれらは継承され、日本人の「思い遣り」の心や「感謝の心」として表わされてきました。そして、裏表の無い心で触合う相手と心をひとつにし、誠実に奉仕の心で伝えることが「おもてなし」です。

にこにこ組(2歳児クラス)の先生にも

沢山の人に梅ジュースを飲んでもらい、満足そうな子どもたち。次の日からももちろん当番活動は行われましたが、すいすい組の子たちから、独占しようとするような、威張るような言葉は聞かれなかったということです。

(報告 加藤)

ハレの体験2

3週間で完成予定の梅シロップ

1日1回、上下を逆さにして振ることがお当番の仕事に追加されてから数日後。

「この仕事はすいすい組(5歳児クラス)だけの仕事なんだ」

「これはすいすいだけしか飲めないんだ」

当番活動中に、わいわい組(3歳児クラス)とらんらん組(4歳児クラス)の子に向かってそういう風に言う子がいたという話をフリーの先生から聞きました。

その話を受けてすいすい番の時間にミーティング

「威張るのはよくない」

「梅ジュースをわい・らんさんにも飲んでもらおう」

という結論になり、おもてなしをしよう、ということになりました。

ここで、皆に、おもてなしに参加したいか、参加したくないか、の意志を聞くと、参加したくない、という子もいるから面白いですね。自分の意見を言える雰囲気があるということでしょうか。

では、おもてなしをしたい子だけで集まり、さて何をしようか、ということで話し合っていくと、

「梅ジュースを入れる紙コップに絵を描く」

「おもてなしをする子皆のバッジ作る」

という意見が出ました。

梅ジュースを入れる紙コップに絵を描くチーム

おもてなしをする子皆のバッジを作るチーム

分かれて設計図を描きます。

上が紙コップチームのイメージ図。下がバッジチームのイメージ図。

このすいすい番の時間を2日使って、いよいよ当日を迎えました。

(報告 加藤)

ハレの体験

すいすい番の時間、テーブルが汚れてきたね、ということで

チームに分かれてテーブル磨き

皆一生懸命磨いています

終わると綺麗になったテーブルを前に、皆程良い達成感を味わった様子でした。

こういう時に、皆で乾杯をしたりできるものがないかと思っていたところ、

調理さんから有難い提案

毎年恒例の梅シロップ作り

3週間で完成予定

その間、1日1回、上下を逆さにして振ることがお当番の仕事に追加されました。

3週間後は丁度、新宿区主催の『プラネタリウム』を見に行く日です。

見に行ったその日に、皆で初めての遠出をしたことを祝おうということになり、その日を楽しみに待ちました。

楽しかったプラネタリウム

そして帰園

割りものは炭酸水か水か

そして何も割らずにそのまま、という三択の中から選びます。

皆に渡りました。

乾杯

甘い、酸っぱい、美味しい、美味しくない、様々な感想があったようですが、皆とても嬉しそうでした。

ブログ『臥竜塾』2014年1月23日『「ハレの体験」』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

人間はこんな時代でも「ハレ」を求めるものです。連休になると、どこかに行きたい。ボーナスが出たらこんなものが買いたい、今度の休みには、おいしいものを食べに行きたい、など計画します。しかし、訪れる先には、どんな「ハレ」があればいいのでしょうか?ボーナスでなければ買えないものは何があるのでしょうか?おいしいものは、どんなものでしょうか?人間の欲望はきりがありません。かつての「ハレ」が「ケ」になると、新たな「ハレ」を見つけようとします。次第に刺激の大きいもの、その時代に必要なものを求めていきます。それが、人類の進歩、発展、様々な発明をしていくエネルギーになってきたのかもしれません。これからも人間は新たなる「ハレ」を求めてつぎつぎといろいろなものを作り出していくでしょう。

しかし、同時に、かつての「ハレ」も見直し、大切に引き継いでいくことも必要です。それが、文化なのです。冠婚葬祭、年中行事、しきたり、それらを大切にし、それらの「ハレ」を待ち望む子どもたちの姿を大切にいなければなりません。私の園で、集団給食改善都知事賞を受賞したのは、食育3本柱として「栽培」「料理」「共食」であるとし、これらは人間しかしない営みであり、その一つの効果は、「待つ」力であるということの提案です。かつて、子どもたちにとって「ケ」の毎日の中で、「ハレ」の日は、待つ力を育んできたのかもしれません。それは、生きる目的になったり、毎日のハリであったりします。

「栽培」とは、日本では、稲は夏に田植えをして秋には刈り取るまでを言います。刈り取るということは、田は枯れた状態と同じです。これがケガレです。稲を刈り取った後に行われるのは豊穣祭です。五穀豊穣を神様に感謝するお祭りです。このお祭りがハレなのです。この祭りを大人も子どもも待ち焦がれます。それは、祭りが楽しいだけでなく、育てていた稲が実を結び、収穫があるからです。それを待ち、祝うということが生活リズムなのです。このリズムは、日本では四季が織りなしていきます。園で、栽培をしています、クッキングをしています、みんなで食事をしていますということではなく、子どもたちに「ケ」と「ハレ」の体験をさせることに意味があるのです。

梅シロップを飲むことは子どもたちにとってハレのことなのだろうと、嬉しそうな姿を見ていて思います。

そんな子どもたちでしたが、梅シロップを巡って、また違った展開を見せてくれました。

(報告 加藤)

友だちの世界

夕方、

すいすい組(5歳児クラス)の子たちが作っていました

「お城」をイメージして作ったとのことで、二つの作品が二人の手によって作られました。それぞれ独立しているのですが、「隣で作っているのを見て僕も閃いたんだ」と一人の子が教えてくれました。

大作の予感です。片付けて周囲を綺麗した時の、いわゆる「映え方」が楽しみですね。

片付けの時の最近のすいすい組の一部の子たちの小さな流行で、「変なロボット作り」というものをこの日もやっていて、

散らかっているブロックでそれを作ります

片付けるより楽チンで楽しいとのことです

そろそろ落ち着いてきた様子で、カメラを向けようとすると、

「あー、これ(変なロボット)が写っちゃうか」

「それなら二段に重ねて、少し奥にずらしたら?」

片付け方、写真の撮られ方にも、協力と工夫を見せてくれた二人に感動してしまいました。

ブログ『臥竜塾』2019年6月29日『友だちの世界』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

親よりも「友だちの世界」のルールを優先することが子どもの本性だとすれば、「子どもはなぜ親のいうことをきかないのか」という疑問にはなんの意味もないと言います。逆に不思議なのは、宗教や味覚のように「親のいうことをきく」ものが残っていることだというのです。

保育者はもちろん親ではありませんが、親の言葉さえ子ども集団の前では殆ど意味を成さないのであれば、ああしなさい、こうしなさいという保育者の言葉はどれ程の意味を持っているのでしょうか。子どもが子どもたち同士の関係性の中で、片付ける、工夫する、

クリエイティブな思考力を通わせ合いながら作品を作り上げる

などのことが遂げられているようなこの状況が自然と生まれることについて、考えさせられます。

(報告 加藤)

男集団と女集団

秘密基地作り、余りにも大きな基地になってしまい、置き場所がなくなってしまったために解体しました。

また作り直しています

こちらは基地の中で見る「テレビ」を作りたいチーム

見ると、自然と女の子だけで集まっています。

こちらのチームは男の子ばかり

進め方にも違いがあり、

男の子チーム→やりながら考える

女の子チーム→書いた設計図を持ち寄って、どれを作るかを決めてから始めようとする

とても興味深く思いました。

ブログ『臥竜塾』2019年2月1日『男集団と女集団』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

学齢期における男集団と女集団の違いについてハリスは何度も取り上げられてきました。エレノア・マコビーはそれを次のように簡潔にまとめています。

「仲間集団内に見られる社会構造は、男性集団と女性集団では異なる。男性集団は人数的にも多く、階級制が強くなる傾向にある。集団内における個々のかかわりあい方は、男子集団と女子集団とではだんだんとその違いも大きくなり、異なる「らしさ」を反映し、違ったスタイルが見られるようになる。男の子たちでは、競争心や優勢であること、縄張りを築き上げてそれを守ること、強靭さを誇示することへのこだわりがより強くなる。そのために他の男の子たちとも衝突し、危険を冒し、挑戦をし、また挑戦を受け、我を通し、弱みを隠す機会も増えるのだ。男の子の間では同性愛を念入りに批判する話題と同様に、性的(性差別的)な話題にこっそり興じることがある。女の子は、各人の目的を達成することに関心をもつことは言うまでもないが、男の子以上に集団の結束力や協調性、さらには相互に助け合う友情にこだわる。彼女たちの関係は、男の子たちのそれよりは親密だ。」

子どもたちの見せる自然な姿から学ぶことの多さを改めて感じます。

(報告 加藤)

失敗と成功

 

秘密基地を作っています

内装準備

外装を考案する子たち

初日で完成には至りませんでしたが、次回どんなものを皆で作りたいかを、

設計図にして

設計図

この子の提案は、

基地の屋根

それを、

皆の前で発表します。

①僕は・私は、○○の設計図を描きました
②設計図の説明
③(説明を)終わります

質問を受けます

子どもたちは質問をすることも、されることも好きですね。提案した内容も深まるようで、盛り上がっていました。

完成までどういう流れでいけばいいものかと、また、何をもって完成とするものかと思っていたところ、塾頭山下先生の言葉ではっとなりました。

「完成しなくてもいいじゃない。」

「別に失敗でもいいじゃない。そこから学べばいいのだから。」

ブログ『臥竜塾』2008年8月19日『失敗と成功』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

人生においてでは、何が失敗で、何が成功かということはわかりにくい場合が多くあります。渋沢栄一は、「眼前に現われた事柄のみを根拠として、成功とか失敗とかを論ずれば 真実を逃すことがある」と言っています。家庭を犠牲にして仕事で成功しても、家族関係では失敗したことになりますし、他人を引きずり落として地位が上がっても、人生の成功者とはいえない気がします。また、このようなことも言っています。「会社事業その他一般営利事業のごとき、物質上の効果を挙げるのを目的とするものにあっては、もし失敗すると、出資者その他の多くの人も迷惑を及ぼし多大の損害を掛ける事があるから、何が何でも成功するように努めねばならぬものである。が、精神上の事業においては、成功を眼前に収めようとするごとき浅慮をもってすれば、世の糟(かす)を喫するがごとき弊に陥って、永遠の失敗に終わるものである。」
また、失敗かどうかという判断も、短期的に見てはとても危険です。栄一はこうも言っています。「たとえ一時は失敗のごとくに見えても、長い時間のうちには努力の功空しからず。社会はこれによって益せられ、結局その人は必ずしも千載の後を待たずとも十年二十年あるいは数十年を経過すれば、必ずその功を認められることになる」
 本当の意味で、成功者になりたいですね。

このような活動を通して、子どもたちと一緒に学んでいきたいと思います。

(報告 加藤)

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