「感動の幅」

11月2日の塾報告です。

今日も食事後はzoomを繋げて、地方の塾生と意見交換を行いました。

今回、メインとなったテーマは「STEM」です。

と言うのも、11月7日に「乳幼児STEM保育研修会」を開催し、実践報告をするプログラムが含まれていました。

その報告で茨城の青山保育園の小松崎先生に実践報告をしていただきましたので、今回いくつか小松崎先生から藤森先生に報告をする上で質問があるということでした。

小松崎先生の報告のテーマとしては…

「乳児のSTEMとは?」

「私たちは不思議がり」

で、乳児におけるS T E Mをメインに実践報告を考えているそうです。

小松崎先生が赤ちゃんたちのお部屋での姿を見ている中で

ものを何回も落として繰り返して遊ぶ姿から「物理学者では?」

部屋に入ってくる太陽の光や、また反射した光を追いかける姿、

そして動くものを目で追うという発達、

それら全ての行動から乳児からSTEMをしているという方向に結びつけるというものです。

そういう問いかけから藤森先生の話しとして・・・

「違いに気づく」ことがS T E Mの最初のステップではないかということです。

「演繹法(えんえきほう)」と「帰納法(きのうほう)」

について話をしてくれました。

まず演繹法というのは、すでに知られている法則(一般論・ルール)や前提から、順に論理を積み重ねて結論を出す考え方です。

どちらかというと、日本は演繹法で学校の授業を進めていることが多いとのことです。極端なことを言うと、算数の授業では最初から計算式があり、その答えを求めることしょうか。

そして帰納法というのは、複数のある事象(前提)から結論を導く思考法のことを指します。統計分析にも使用される方法で、大量のデータから傾向やパターンをしっかり理解し、推論を導いていきます。結論は絶対的な真実とは限らず、あくまで前提を踏まえて論理的に正しい推論というのが、帰納法の特徴となっているとのことです。

海外ではこちらを採用している国が多いかもしれません。

先ほどの算数の授業の例で言うと、先に答えがあって、計算式を答えるとうことでしょうか。

STEM保育は「帰納法」がしっくりくると私は感じました。

科学的な視点から見ると答えは決まっているのかもしれませんが、

子どもたちと森口先生が科学実験で遊んでいる姿を見ると必ずしも、

正しい実験結果にたどり着くことが正解では無いと思いました。

1つの方法から子ども達が自分達なりの方法を導き出し、それによって結果が違ったり、また何度も挑戦したり、こうした姿がSTEM保育の楽しさであり、大切な部分のような気がします・・・。

藤森先生のアドバイスを受けた小松崎先生の実践発表は、

とても素晴らしい内容でした!

また何かの機会でご紹介できればと思っております・・・。

そして・・・

話は「教養」についてです。

私も藤森先生と出張に行かせていただいた時に、歴史的に有名な場所を訪れることがありました。

当時、大学を出たばかりの私はそこまで教養がなく、歴史に関しても浅い知識しか持っていなかったので、よく藤森先生に「ここがあの有名な・・・」と言われても正直、ピンと来なかったのですw

「知った瞬間よりも実際に体験することにより、深まることが教養の良さ」by藤森平司

確かにその通りなのです。

それから私は大河ドラマに興味を持ち、歴史の深い部分まで知ることができました。

例えば・・・2018年に放送された「西郷どん」では、西郷隆盛をはじめ明治維新の内容でした。私はその辺りの知識がほとんど無かったので、とても面白く、多くのことを知りました。

その後に、藤森先生と鹿児島に出張に行く機会があり、西郷隆盛が最後を迎えた場所にいき、お墓を訪ねました。

実は訪れたのは2度目ですが、感動が違いました・・・。

当時の歴史的な背景はもちろん、西郷隆盛だけでなく、そのほかの登場人物など、多くのことを知ったことで、細かい部分に本当に感動したのを覚えています。

「人は人といることで感動する幅が広がる」by藤森平司

深い言葉をいただきました。

人によって感動する部分は違うため、自分が今まで感動しなかった部分を、身近な人が感動することで共感し、そこから新しい価値観、感動を感じることができる、ということでしょう。

藤森先生が続けて・・・

大人はそれまでの自分の経験から感動するものを押し付けようとしてしまいがちですが、子どもは大人と違う部分に興味を持つため、押し付けてはいけない。と言われました。

その言葉を聞いて反省したことがあります・・・

それは長男のサッカーに対して、私が口を出しすぎていたことです。

自分のサッカー経験から物事を判断し、プレーに良し悪しを伝えていたのです。

成功はするけど、自分で考えて判断するという能力が身につきません。

サッカーだけでなく、いろいろな場面で、瞬間的に自分で考えて、判断するというのは、社会に出て大切なことですね。(報告者 山下祐)

文化は大人が作って伝承は子どもがする

11/16(水)の塾報告をさせていただきます。

今回もしっかりズームで外部臥竜塾の方も参加してくださっています。

今回出た話題としましたは…

・子ども会議(映画)の話題
・不適切な保育
・子どもの呼び方(LGBTも含め)
・保育について

子どもが遊びをしていて夢中になっている際、次の活動(朝の会であったりご飯)に向かわなければならない時にどんな関わり声かけが良いのだろうか…
そしてどんな関わり方をして子どもが自分でお片付けなどもできるようになるのか…我々保育士というのはどんな関わりが求められるのかという話題になりました。

子どもが夢中で遊んでいる時にあまり止めずにその子のやりたいことを尊重することもとても大事なことだと思います。ただそのバランスが崩れてしまうことも恐いことなのかなと個人的には思うところです。あまりにもその子を尊重しすぎることでやめ時を見失いギリギリまでやることで片付けもせずに次に行ってしまうことも多くなってしまいます。藤森先生は子どもは前を見る生き物のため、たまには片付けをせずに今夢中になっていることを止めてまで戻らせて片付けをする必要はないのではともおっしゃっています。そこもやはりバランスが大事にであるように思います。片付けに十分時間が取れる時などは一緒に片付けをしたり、遊び感覚でルールを作ったりと様々な片付けがありますので夢中だからと言ってやりたいからやらせておくのでは意味が少し違ってくるのかなと感じます。身につけてほしい一つには片付けというのもありますのでそこはしっかりと視野に入れておきたいところです。

そこで今回の塾で話題になったのが、
「文化は大人が作って、伝承は子どもがする」
という考えです。

やはり、初めは子どもだけで生み出すのは難しい部分がありますので片付け方であったり、遊び方、どんな関わり方、ゾーンの使い方などをまずは大人が示し、それを子どもたちが身につけていくことで下の子どもたちに伝え、伝承していく形が自然でより伝わりやすのではないかと考えます。実際に新宿せいが子ども園ではその伝承が行われいるのではないかと思います。例えば雑巾掛けでは大人がまずは教えることから始まり、できるようになってきたら、年度の後半から年長さんが年中さんに伝承してい形です。雑巾掛けに限らず様々なことを子どもにしっかりと身に付くように教えてあげることも必要なのでないかと思います。そこからやっと見守れるようになるではないかと考えます。初めから見守るというのは子どもにとっては少しハードルが高いのかもしれないと個人的には思う次第ですが、様々な考えがありますので

冒頭にもありますが、子どものやりたいことを実現することも大事ですが何を大切にして何を優先するのか、教えなければいけないことなのか…バランスというのが見守る保育をする上で非常に難しいと今回の話で個人的に感じる部分でした。
何年やっていても保育には正解がないと言いますか、これでオッケー!と思えることが今だにないでが、こうして塾生や藤森先生とお話しすることで次はこうして見ようかなとワクワクすることは常にありますのでそれが保育の楽しいとことの一つなのかなと感じさせてもらいました。
結局何が言いたいかよくわからなくなりましたが終わりにさせてもらいます。
こうした保育を話せる場にいつも感謝しています。

報告者 本多悠里