歴史かおる墨田

遅くなってしまいましたが、11月5日の塾報告になります。

この日は墨田区の水神保育園さんで園長先生の保護者講演があり、その後に食事をするということだったので、勤務が終わった塾生が集合して一緒に食事をしようということになりました。

実は、水神保育園さんは今年から新宿せいが子ども園に就職された中村先生のお父さんが理事長をされている保育園さんで、法人内に他に2園の施設があり、見守る保育・藤森メソッドの実践をはじめられたという経緯があります。

水神保育園さんは東部スカイツリーラインの「鐘ヶ淵」駅が最寄駅になります。藤森先生の出張に同行させてもらうと、私の生活では行くことのない土地や駅で降りることも多く、とても新鮮な気持ちになります。

それだけ、先生は日本全国、都内においても様々なところへ行かれているということを感じます。

鐘ヶ淵駅から10分ほど歩いたところに水神保育園さんはあります。大きな壁のようにそり立つ住宅の中にある園さんで、公立からの民営化を受けたという経緯があります。

どこか懐かしい雰囲気を感じる園舎のホールでの保護者講演会でした。

平日の夕方にもかかわらず多くの保護者の方が参加しておられ、講演の内容も熱心に聞いておられるのが印象的でした。

講演の最後には質疑応答がありますが、藤森先生の質疑応答の時間は本当におもしろいといいますか、刺激的です。

参加者の方からの質問を横で聞いていて、自分だったらなんて答えるだろうかといつも頭の中でシミュレーションしているのですが、先生の答えは当然、もちろん当然ではあるのですが、いつも自分が考えるさらにさらに深い返答ばかりで、いつも驚かされます。

同時にとても学びになるので、個人的にこの質疑応答の時間はかなり好きな時間です。

藤森先生の質疑応答4時間研修なんていうのも、かなりエキサイティングな時間になると思いますので、ぜひ迷われている方がおられましたら、ご検討ください笑。

保護者講演会の後は、場所を「向島百花園」に移し、感染対策をとりながらの食事会が行われました。

庭園から見えるスカイツリー

この向島百花園を管理されている方と、中村先生のお父様がお知り合いということでこの場所での時間となりました。

向島百花園は1804年に開園し、360本もの梅の木を植えたことから、当時亀戸にあった「梅屋敷」ではなく、「新梅屋敷」などとも呼ばれていたそうです。

また、幾度も変転を経ながらも、園内の景観が今もなお、かつての趣きを保っており、江戸時代の花園を遺しており、景観、遺跡ともに重要であるとして、1978年に国の史跡および名勝に指定され、保護措置がとられることになったそうです。

夜の時間帯ではありましたが、管理人の方に庭園を案内していただきました。

様々な木々が人の意識が及ばない、まさに自然に栄えているような場所でした。こういった人の意識が作り出してない場というのは都内の中で貴重な環境ではないでしょうか。そのような場に身を置くことで、意識の世界から脱却することというのは現代こそ重要であるということを感じます。

少し話が、逸れてしまいました。

コロナ禍ではありますが、やはり人と人との交流は人にとって大切なことであるということを改めて感じました。

トーキョーサイダー

森口達也

本質

近所の公園の大きな銀杏の木が、なんとも鮮やかな色に染まり、秋の終わり、冬の始まり、そして1年の終わりがもう来るんだと日々が過ぎる早さを痛感するこの頃です。

ちなみに、木々が紅葉し落葉していくのは、エネルギー効率を考えた上での生存戦略と、新たな養分を作る事が大きな理由だと言われていますね。にもかかわらず、人が歩きやすいように、などの理由で、せっかく養分になるはずだった木の葉たちが掃き集められ捨てられていると思うと、複雑な思いがあります。ただそれでも来年の夏には青々と繁った葉が、暑さをしのごうとする私たちに優しく影を作ってくれるのだと思うと、自然の優しさと雄大さをを感じます。

今回は12月1日の塾報告です。

塾セミナーのプレ発表で、第二いちご保育園の先生が2名いらっしゃりました。今回の内容はずばり“2歳児”

0,1歳で作った見守る基礎を、定着させ幼児に向けて飛躍の準備をするこの時期は、約3年藤森先生のお側で学ばせていただいている私の中では、保育園やこども園での生活のなかで一番大切な時期なのではないか、と考えています。

今年は幼児クラスの担任をさせていただいているのですが、たしかに幼児から途中入園した子も、しばらく見守る環境で生活するとそれなりに理念に則った姿を見せてくれるのですが、やはり乳児から土台をガッチリと固めた子たちの幼児クラスでの伸びは目を見張るようなものがある気がします。

そんな乳児クラスと幼児クラスの狭間にいる2歳児クラスを各GT園さんが、どれだけ工夫し、趣向をこらして環境を作っているのかというのを見られるのはとても学びになります。

今回第二いちご保育園さんの発表で、目的と手段を混同してはいけないという言葉がよく出てきました。この言葉は常日頃から意識しなければなと感じるものではありますが、そもそも保育施設における目的はなんなのか、その原点を見失ってはより良い保育は出来るはずがありません。おおもとの理念を忘れては、目的を意識していたつもりがいつの間にか手段が前に出ていた、何て事も起こりうるなかで、どれだけ目的を見失わずにいられるか、というのは全ての保育士が掲げるべき大きな課題なのかもしれませんね。

環境は千差万別ありますから、正解があるものではないですが、常に原点に立ち返り、自分たちがやるべき事の目的を見失わないように心がけなければいけません。そうすることでおのずと結果のほうがやってくる気がします。

焦って目先のものにとらわれない本質のわかる保育士になりたいものです。そう、常に成長するという目的を忘れず、葉を広げたり紅葉したり落葉したりといった手段を決して間違えないあの木々のように。

最後にスモールボスも登場してくださいました。

(報告 髙橋)

2021/11/10

報告が遅くなってしまい、大変申し訳ありません。

秋も深まる臥竜塾。11月10日の報告です。

この日は、先日から参加させていただいている研修が話題に。

『保育者とは母親の代替である』という考え方が基本にあることが理解できる研修内容で、Fujimori methodとはその根幹が異なる為に、中々難しい研修となっている現状なのですが(笑)

その話を受けて、塾長から学びある言葉をいただきました。

「そもそも母親の、家での育ちを保つ→保母」

「保育に欠ける子を救済措置としての保育所→働く女性の為の保育所」

「それが今だに強く残っている」

しかしながら、日本の大学生の競争力はOECDの順位で最下位という結果が出ているそうです。

「もっと長期的に見たらどうか」

「感受性の一番高い時期に、社会的スキルを身につけなければならない時に母親に任せ切っている、もしくは、母親の代替のような保育をしているからでは」

日本の大学の教育成果が世界に通用しないのは現状日本の乳児保育が間違っているからではないか、という仮説が成り立つように感じられてしまいます。

しかしながら、

保育園は家庭の代替である→ならば家庭に戻すべきでは

ということでベビーシッターに補助金を出す、という流れもあるようです。

「愛着、という言葉はくっつく、という意味合いが強く出過ぎている」

「だから『愛着』ではなく、『アタッチメント』」

そして、

「アタッチメントの成立とは、安心をして大人から離れていろいろなものに目を向けられる、ということ」

「アタッチメントとはスキンシップではない」

「家庭のアタッチメントと集団のアタッチメントは種類が違う」

更に、

「乳児は常に大人との関わりを求めているわけではない」

だからこそ、担当制という保育形態への警鐘を塾長は鳴らし続けるわけですね。

「しかしながら実際は、保育士の一挙手一投足に目を奪われている」

「ずっと大人に意識がいっていることによって、保育士に遊びやゆとりの機会を奪われている」

そう思うと、脳の発達の大切なこの時期に、子ども集団の中でもなく、また、母子関係の代替であるような保育を受けることは、有意義なこととは言えないのではないか、と思えてきます。

余談になりますが、塾長は、担当制を頭から否定しているわけではありません。

「子どもの要求に気付けない、もしくは子どもの要求に知らん顔の保育士も中にはいるでしょう→担当を持たせる」

そう思うと、担当性の方がいい場合というのは、大人側の都合のことと言えるかもしれません。

「チーム保育、チームワークがうまくいかない園は担当制にした方がいいかもしれない」

「しかしそれをアタッチメントと結びつけてはいけない」

アタッチメントの意味、愛着、というあたかも保育用語化してしまっているかのような言葉について、もう一度きちんと学び直す必要があることを感じた夜となりました。

(報告 加藤)