9月4日の塾報告

1ヶ月ぶりの現地塾でした。

6月より新宿せいがで勤務しております伊藤です。
9月1日から高田馬場近くに引越しして、一人暮らしを始めました。1日目から押し入れにてゴキブリと鉢合わせまして(笑)、掃除グッズをどんどん集めている日々です。

さて1ヶ月ぶりの現地での塾ということもあり、
話は、一夏の思い出について語ることから始まりました。帰省や旅行、美術館等々に行った話を語っていただきました。小林先生の語ってくださった100階建ての家の展覧会は是非とも行ってみたいです。


中でも廣田先生の21 21での話にあった、
「美術館は、気づきを与えるきっかけをくれる場所ですよね」という話は印象的でした。
アートやデザイン作品を見ていても
何だろうこれ?
何を表現したかったのか。
想像を膨らませたり、新たな視点をくれるのが鑑賞の面白いところかなと思います。

かくいう私も夏の思い出として、
ART SQUIGGLE YOKOHAMA 2024 | やわらかな試行錯誤 芸術と私たちを感じる45日間
https://artsquiggle.com
という企画展に行ってきました。その中でも、《今日の遊び場》中島佑太の作品のハンマーで岩石から石、砂へと削って作っていくワークショップに参加しました。
大きな岩石を、みのとハンマーで岩肌を削ぐように叩いていくことで石を取り、ハンマーで石を砕いて砂にしていく…。
園庭の砂場ひとつとっても、身の回りにあるものって何から出来てるんだろうというのを体験しながら考えれることが面白かったです。

話はそれましたが、本日のメインは塾生内での異年齢保育のプレ発表でした。見守る保育や個別最適な支援について、項目ごとに実例の動画を多く含めながら、発表していただきました。中でも、異年齢保育での関わりには2つ分けることができる話が大きな学びとなりました。


一つに年長児が年少児に教えることはもちろんいい関わりはあるのですが、
もう一つ、能力による異年齢の関わりも異年齢保育では大切ということを学びました。チェスやオセロや、コマなど年齢が違くても同じくらいの強さであれば遊びは深められることが挙げられます。逆に言えば同じ発達でなければ遊びは深めることは出来ません。
せいがでも、コマの得意な年少児が年長児とどちらが長く回せるか勝負して遊んでいる姿が見受けられます。この能力による異年齢の観点は抜け落ちがちですが、大事にしたいですね。

実例の動画を多く踏まえた発表でしたが、まだまだ作り途中ということで2週間後の本番発表が楽しみです!

8/7 ZOOM塾報告

おはようございます。こんにちは。こんばんは。廣田です。報告が遅れてしまいましたが、8/7の塾報告をさせていただきます。

この日はオンラインでの塾でした。最初の話題は、藤森先生と塾生の本多先生が、昔仙台に出張へ行かれた時の話をお聞かせいただきました。

その時は、東北新幹線はやぶさが開通して間もないころだったそうです。初めてのはやぶさの感動はいまだ忘れられないと、本多先生がお話しされておりました。

記憶に残ったエピソードは、はやぶさでは終わらなかったとのことです。皆さんは仙台で行われている七夕まつりをご存じでしょうか?

仙台七夕まつりは、東北夏祭りの一つで、毎年200万人以上が訪れる大きなお祭りです。

この時の出張は、7/7の七夕の日に行かれたとのことでしたが、お祭りもやっていなければ、人も全然いないと…。なぜだ?と調べてみたところ、七夕まつりは本来、旧暦7/7の行事として全国で広まっているが、仙台七夕まつりでは、その季節感に合わせるため、新暦の一か月遅れの暦である中歴を用い、8/6~8/8に開催されていると記載があったそうです…。

これも新たな学びだったとのことでした。笑

余談になりますが、僕の学びとして、岩手の「盛岡さんさ踊り」や新潟の「長岡花火大会」などの有名な行事、ありますよね。てっきり大きな祭りのような行事は、8月の第一週の週末に行われるのだと思っていましたが、盛岡さんさは8月1日~4日。長岡花火大会は8月2日~3日と、曜日ではなく日にちを基準に毎年行われています。長岡花火大会に関しては、1945年8月1日の空襲被害から、長岡復興祭として、日にちが決まっているようです。盛岡さんさは、伝統的に上記の日にちで行われているようです。

日本の伝統的な行事は、開催する日にちにも意味があるのだと学びを得ました…!

さて、今回の塾報告では、印象に残った2つの話題についてお伝えしていこうと思います。

1つ目は「おあつまりについて」。そして2つ目が「保育の遊び心について」です。

まず「おあつまりについて」です。皆さんの園では“おあつまり”、行っているでしょうか。

そして“おあつまり”と聞くと、どのようなものを想像されるでしょうか。

よくあるものとしては、子どもたちが大体登園した時間帯、主活動に入る前に、子どもたちが同じ場所に集まって、日にちや天気を確認したり、活動についての話や大事な話を聞いたりする場、というのが“おあつまり”ではないかと考えています。

藤森先生は“おあつまり”に関して、こうお話されていました。

おあつまりは、生活にメリハリをつくる一つの区切りである。朝のおあつまりでは、今日することを伝え、それを聞いた子どもたちは、自由に活動を選択する。そして遊ぶゾーンの話し合いをこの場で行うことで、参加していた子どもたちの意見を反映できる。逆を言うならば、参加しなければ自分の意見は反映されなくなってしまう。子どもたちが自由に選択して過ごすには、これらの基本が大切。

園生活でのメリハリと選択するための取り組み、この2つの要素が強いのだと、話を聞いていて感じました。

よく「子どもがおあつまりに来ない」という話を耳にします。そこに関しても藤森先生は、話を聞かなければ、その子が困るのだから、無理に呼ばなくてもいい。と話します。

僕も以前、おあつまりに参加しない子を見ていて、結局おあつまりに参加しなくても、活動には入れるし、遊べるし、ご飯は食べられるしで、困るという経験をしていないように見えました。

「これでは、自分の好きなことをし続けていても困らないのだから、おあつまりに参加しようとは思わないかもな」そう思ったことを思い出しました。

ここで少し気を付けなければいけないことがあると、藤森先生は話します。それは、来なかった子に対して、嫌味を言うことです。

嫌味とは例えば「○○くん(ちゃん)が来なかったからできないんだよ」とか言うことですね。そうではなく、淡々としていればよい、とおっしゃられていました。

無視をするということではなく、あまり関わりすぎない、諭そうとしすぎないことが大切なのかと、今回の話を聞いていて感じたところです。

おあつまりの中で、ゾーン決めのような、子どもたちが意見を述べ、それを基に遊びを展開していくような取り組みがあることも重要なのでしょう。

そして、2つ目の話題にもつながりますが、リーダーを務める保育者が、子どもが「見たい!」「参加したい!」と思うようなことを行うことも大切だと思います。

そこで出てくるのが「遊び心」です。

塾生の小松崎先生のお話に出てきた「ラッキーボーイ・ラッキーガール」というイベントが楽しそうで、強く印象に残っています。

ラッキーマンです

イベントとは言いましたが、行うのはご飯の時間。食事を終えた後、1枚だけお皿の裏にマーク?を隠しておくそうです。

そしてご飯を食べ終えた子が、お皿の裏を見て、マークがあるか確認する。マークがあった子が、その日の「ラッキーボーイ・ラッキーガール」です。

景品があるわけでもなんでもありません。周りの友だちから、「今日いいことあるよ!よかったじゃん!」と言われる。それも当たった嬉しさの一つなのです。

周りの友だちから祝福をされることというのは、子どもたちにとって想像以上に嬉しいようで、みんないい表情を浮かべるそうです。

この遊びは、配膳をもらった後の子どもたちがお皿の裏を見て「今日模様入ってる!」「こっち書いてないやー」と会話しているところから着手したそうです。

この遊びへの広げ方も、日々「遊び心」をもっていなければ、見逃してしまうことだったんではないかと思います。

ちょっとした工夫で、保育はどこまでも楽しくなるのだと感じさせられる回でした。

以上で報告を結ばせていただきます。また次回、お楽しみに!

報告者:廣田

7月24日 塾報告

今回の塾では、環境セミナーで受けた質問、「食事のマナー」について塾生みんなで考えました。

「ご飯に味噌汁をかけて食べる、ぶっかけ飯はいいのでしょうか?」という質問があったそうです。

たしかに、見た目を悪く感じることもありますし、おかずと一緒にご飯を食べてほしいと思うこともあります。

藤森先生は、ぶっかけ飯について、「文化も関係あり、一概に悪いとは言えない。日本食は味が濃いため、ご飯を食べて中和している面もある。文化の差が大きい。他に、箸で食べる文化もあれば、手で食べる文化もある。」と仰っております。

ぶっかけ飯のように、冷や汁やお茶漬けなどの汁を入れて食べるものもたくさんあります。

一概にどちらが悪いとは言えません。

食事のマナーに関して、文化の差がありますし、日本においても地域の差があります。

ご飯と味噌汁の置き方にも文化の違いがあり、一般的にはご飯が左側、味噌汁が右側に置くと思いますが、大阪では逆だそうです。

お寿司は斜めに置くのは右利きが食べやすいように置いていて、右利きと左利きも関係があるそうです。

私自身も、食べる前はご飯を左に置きますが、食べ始めると、左ではない食べやすい位置に置くこともあります。

子どもに配膳をする際は、左側にご飯を置くように伝えますが、食べ始めたら特に声をかけたりはしません。

その人が食べやすく美味しいと感じることができればいいのではないのでしょうか。

マナーを押し付けるのも違いますし、一緒に食事をする上で、みんなで美味しく食べられるように相手に配慮することが大切なのではないでしょうか。

食事を共にするということは、共に生きる姿勢にもつながると感じました。

次の質問です。

「なぜ新宿せいがでは、一斉にいただきますをしているのですか?」という質問があったそうです。

藤森先生は、「みんなが揃って食べられるのは人間だけ。動物はすぐに食べてしまう。目の前の欲望に負けてしまう。待つ力は食べる楽しみがあるからこそ身に付く。」と仰っています。

01歳児クラスでも絵本や紙芝居を読んで、食事を待ちます。それは気を逸らして、待つ力を育てているからです。

保育業界において、子どもに待たせることはいけないという風潮を強く感じます。

しかし、生きていく上で待たなければいけないことはたくさんあります。

急いでいるからといって、赤信号で進むわけにもいきません。

排泄の自立も、その場ですぐにしてしまうわけにはいきません。

やはり、待つ力は重要です。

ただただ無駄に待たせればいいのかというわけではなく、目の前に楽しみがあるからこそ待つことができます。待ち方も、見通しが持てるような待たせ方をしなくてはいけませんね。

食事に関する質問でしたが、全ては生きていくこと、人と関わることの大切さににつながっているように感じました。

(佐野)