前回の続きです・・・
またまた間が空いてしまい、読んでくださった方には大変、読みにくいかもしれません。申し訳ございません・・・。
さて前回は「人の死」を軽視しているのでないか?と言う國分氏の提言で終わりました。
飯島氏
【人類と感染症の関わりはいつから??】という問いに対して、
「1万年くらい遡ることです。人類が農業を開始するということは、森林を切り開くなど生態系へ介入することである。と言うことは、農業というのは生態系に対してかなりの負荷をかけてしまっている。そうなると、もともと森林にあった、病原体と人が交錯することになり、結果的に感染症にかかってしまう・・・。また野生動物を家畜化することも、大きな要因の1つである。農業は人が集まって、共同作業をすること、それが文明化である。その文明化によって生態系と人間の距離が徐々に縮まり、かつ人が集まることで感染症が起きてしまうのを1万年繰り返してきている。」
山際氏
「ゴリラは10から20頭で生活をしているため、常に互いの顔をみて生活している。同調していることで仲間であると確認して認識しているが、それがないと、仲間であると認識しなくなる。それに対して、人間は数年離れて、また戻ってきても仲間であると認識できる。進化の過程で「離れ合う」ということも、社会の作り方の条件として認めてきた。それをもう一度思い出す必要がある。」
國分氏
「人と会うということはどういうことか?そのことを真剣に考える。人に会うことを制限された時に、何が起こるのか??
アガンベンはお見舞いは慈悲の心で行うもの。それもできない。怪我した人、病気の人はどうなってしまうのだろう?精神的、身体的に大きな打撃になってしまうのでは?といっています」
山際氏
「人間が「言葉以外」で使ってきたコミュニケーションの手段を、新型コロナによって失ってしまうのではないか??信頼を「言葉だけ」に依存してこなかった。身体と身体が共鳴しあう中で信頼を形づくってきた。身体を共有しないと信頼は作れない。今、人と会うことができないため、言葉だけでどう信頼を作り上げていくのか?人は共感しながら人間社会を作り上げてきたが、その中で言葉は後から出てきたから、一番信頼できるコミュニケーション手段ではない。今、身体の共鳴が失われ、「言葉だけで繋がる社会」に放り出された時に、人間が一体どうなるのか??人間は言葉を登場させるよりも音楽を先に発明したと思っている。
「気持ちを伝えるコミュニケーション」音楽は人と人の間を共鳴させる一番いい装置である。そういうものをもう少し多用して、情報社会にも人と人が共感できる仕組みを作ったほうがいい。
続けて山際氏がコロナ以前に戻れるのか??という問いに対して・・・
「今、ビジネスを一気に再開させてしまうと、モノの移動、開発、大気汚染がコロナ以前よりもひどくなってしまう可能性がある。それは、また新しいウイルスを呼び起こしかねない。野生動物から感染してしまうことに注目して、自然破壊をやめることが必要だし、地球の環境が変わり始めているため、地震、津波などの災害によって、そこから私たちが接したことがない新たなウイルス、細菌が出てくる恐れがある。氷河の下、深海の生物・・・地球にはバランスがあるため、人間の手で、地球の秩序をこれ以上壊してはいけない。細菌やウイルスも悪いものばかりではない。人間にとっていい働きをしてくれるものもいる。地球は「細菌の惑星」であって、あるいは「ウイルスの惑星」であって人間は主人公ではない。バランスを壊さないような地球の管理の仕方を真剣に考える封鎖や接触を禁止したとしても人間らしい社会を営めるのか?今後、パンデミックを経験した国が、初めてパンデミックを経験した国を助けていく。これから国を超えて助け合っていかなければいけない時代が来る。その時に先陣争いをするのではなく、国と国がどのように連携できるのかを考えていく必要がある。」
最後は山際氏の言葉で締めくくられています。
今回、3人の対談を見ることで、改めて人間として大切なこと。
決して忘れてはいけないことを気付かされた気がします。
個人的に一番印象に残っているのは「死者の権利」です。
親族でさえ故人に会えないというのは、本当におかしい気がします。
もちろん感染リスクを抑えるためとは言え、
最後までちゃんと送ることができないのは、おかしい気がします。
また山際氏の話から、私たち保育現場で何を大切にしないといけないのか?
直接的な話ではないにしろ、通じるものが見えてきた気がしますし、
見守る保育を学んでいる人は同様に感じたのではないでしょうか?
途中、哲学者の話など難しい表現があり、理解しにくい箇所もあったかもしれませんが、
今、コロナの状況で社会が変わっていこうとしている中で、
変化して良いものと、変化しではいけないものを教えていただきました。(報告者 山下祐)