哲学・人類学・歴史学から見るコロナ新時代 後編

前回の続きです・・・

またまた間が空いてしまい、読んでくださった方には大変、読みにくいかもしれません。申し訳ございません・・・。

さて前回は「人の死」を軽視しているのでないか?と言う國分氏の提言で終わりました。

飯島氏

【人類と感染症の関わりはいつから??】という問いに対して、

「1万年くらい遡ることです。人類が農業を開始するということは、森林を切り開くなど生態系へ介入することである。と言うことは、農業というのは生態系に対してかなりの負荷をかけてしまっている。そうなると、もともと森林にあった、病原体と人が交錯することになり、結果的に感染症にかかってしまう・・・。また野生動物を家畜化することも、大きな要因の1つである。農業は人が集まって、共同作業をすること、それが文明化である。その文明化によって生態系と人間の距離が徐々に縮まり、かつ人が集まることで感染症が起きてしまうのを1万年繰り返してきている。」

山際氏

「ゴリラは10から20頭で生活をしているため、常に互いの顔をみて生活している。同調していることで仲間であると確認して認識しているが、それがないと、仲間であると認識しなくなる。それに対して、人間は数年離れて、また戻ってきても仲間であると認識できる。進化の過程で「離れ合う」ということも、社会の作り方の条件として認めてきた。それをもう一度思い出す必要がある。」

國分氏

「人と会うということはどういうことか?そのことを真剣に考える。人に会うことを制限された時に、何が起こるのか??

アガンベンはお見舞いは慈悲の心で行うもの。それもできない。怪我した人、病気の人はどうなってしまうのだろう?精神的、身体的に大きな打撃になってしまうのでは?といっています」

山際氏

「人間が「言葉以外」で使ってきたコミュニケーションの手段を、新型コロナによって失ってしまうのではないか??信頼を「言葉だけ」に依存してこなかった。身体と身体が共鳴しあう中で信頼を形づくってきた。身体を共有しないと信頼は作れない。今、人と会うことができないため、言葉だけでどう信頼を作り上げていくのか?人は共感しながら人間社会を作り上げてきたが、その中で言葉は後から出てきたから、一番信頼できるコミュニケーション手段ではない。今、身体の共鳴が失われ、「言葉だけで繋がる社会」に放り出された時に、人間が一体どうなるのか??人間は言葉を登場させるよりも音楽を先に発明したと思っている。

「気持ちを伝えるコミュニケーション」音楽は人と人の間を共鳴させる一番いい装置である。そういうものをもう少し多用して、情報社会にも人と人が共感できる仕組みを作ったほうがいい。

続けて山際氏がコロナ以前に戻れるのか??という問いに対して・・・

「今、ビジネスを一気に再開させてしまうと、モノの移動、開発、大気汚染がコロナ以前よりもひどくなってしまう可能性がある。それは、また新しいウイルスを呼び起こしかねない。野生動物から感染してしまうことに注目して、自然破壊をやめることが必要だし、地球の環境が変わり始めているため、地震、津波などの災害によって、そこから私たちが接したことがない新たなウイルス、細菌が出てくる恐れがある。氷河の下、深海の生物・・・地球にはバランスがあるため、人間の手で、地球の秩序をこれ以上壊してはいけない。細菌やウイルスも悪いものばかりではない。人間にとっていい働きをしてくれるものもいる。地球は「細菌の惑星」であって、あるいは「ウイルスの惑星」であって人間は主人公ではない。バランスを壊さないような地球の管理の仕方を真剣に考える封鎖や接触を禁止したとしても人間らしい社会を営めるのか?今後、パンデミックを経験した国が、初めてパンデミックを経験した国を助けていく。これから国を超えて助け合っていかなければいけない時代が来る。その時に先陣争いをするのではなく、国と国がどのように連携できるのかを考えていく必要がある。」

最後は山際氏の言葉で締めくくられています。

今回、3人の対談を見ることで、改めて人間として大切なこと。

決して忘れてはいけないことを気付かされた気がします。

個人的に一番印象に残っているのは「死者の権利」です。

親族でさえ故人に会えないというのは、本当におかしい気がします。

もちろん感染リスクを抑えるためとは言え、

最後までちゃんと送ることができないのは、おかしい気がします。

また山際氏の話から、私たち保育現場で何を大切にしないといけないのか?

直接的な話ではないにしろ、通じるものが見えてきた気がしますし、

見守る保育を学んでいる人は同様に感じたのではないでしょうか?

途中、哲学者の話など難しい表現があり、理解しにくい箇所もあったかもしれませんが、

今、コロナの状況で社会が変わっていこうとしている中で、

変化して良いものと、変化しではいけないものを教えていただきました。(報告者 山下祐)

カーポラヴォーロ

6月17日の塾報告をさせていただきます。
この日は邨橋氏が行った「チーム保育」の塾セミナーを無事に終えたお祝いとして外食をしました。外食をした場所は以下の部分をクリックしてみてください!

カーポラヴォーロ

↑クリックしていただけると公式ホームページにいきます。

というお店で行いました。ここは藤森先生の御用達のお店であります。
コロナの影響でお客さんが少ないというお話もあり、少しでも助けに慣ればなという思いもあり、訪れました。

乾杯を済ませ、お食事を楽しみました。
まずはいただいたお食事をずらっとのせさせていただきます!
もう全て美味しくて塾生は出されたらすぐに食べるスタイルで貫いておりました。

天然酵母のパン
オレンジ色のものが人参が入っているそうです。
人参のスープ
人参、オリーブオイル、塩、胡椒、水のみでできているそうです。
非常に美味!!伝わりますかね〜。
ナポリタン
以下に説明がありますので一読を…

料理名を忘れてしまいすいません…覚えているものだけ、書かせていただきました。

いやー、今見ても食べたくなります。

上のホームページをご覧になった方はわかると思いますが、
「からだが喜ぶお料理」と「笑顔溢れる時間」をというのが初めに出ていますね。

そこでシェフである鳥海さんという方のブログを拝見させていただきました。
そのブラグから引用させていただきます。
↓クリックしていただけるとブログへ飛びます(写真付きのものへ)

プロ野球を目指す野球少年だった私は、バイトで関わった飲食業界の魅力に引き込まれ、気づけばイタリア料理人を志すようになっていました。そして24歳の時にあてもなく裸一貫でイタリアミラノに。働き口も見つからず路頭に迷っていた頃、以前日本で知り合った方の紹介でミシュラン一つ星を獲得し続けている「JOIA」のシェフと出会う事ができたんです。この出会いが今に繋がる原点となり、大きなターニングポイントでした。「JOIA」では、自然栽培や有機栽培といったこだわりの野菜や、添加物を含まない食材、調味料をメインに使用していました。肉や魚を使った伝統的なイタリアンを学びに来たはずが、野菜をメインとした料理を看板にしているそのお店のスタイルに衝撃を受けました。当時はお金もなく、お店の賄いなど野菜中心の生活になっていたので、若かった私には正直物足りなさを感じてたのですが・・・日本にいた頃はコンビニ弁当や冷凍食品といった生活だったため、自然に近い食材に囲まれた生活を重ねるうちにみるみる自分の身体と食への概念が変化していったんです。半年~1年立ったころには、体が軽くなったり体調が良い状態続いたりと目に見えて変化が。
「やっぱり食って大事だな」と強く思うようになったんです。イタリアでの修行中も何度か日本に帰省するタイミングがあったのですが、コンビニで何気なくとったおにぎりを見て愕然としました。原材料が添加物だらけで、パンに至ってはさらにその倍も添加物が使われていました。「体にとって入れなくていい物ばかり!こんなの絶対におかしい!」という想いが、自分が学んだ食の素晴らしさを日本で発信したいと考えるようになった大きなきっかけとなりました。そうしてできたのがこのお店、「カーポラヴォ―ロ」です。

こちらがシェフの思いとなります。

このお話を生で聞くことができ、塾生一同食い入るように聞いていました。

特に印象的だったお料理がナポリタンでした。
その料理の説明がこちらになります。

「まずはケチャップを使うことなく作られていること。マッシュルーム、ピーマン、玉ねぎ、ソーセージ、というシンプルな具材ではありますが、野菜は自然栽培といい、無肥料、無農薬のものを使っています。ソーセージは無添加で放牧豚のものを使っています。一週間に一度でもいいからそう言った自然に近い状態のものをご家庭で使って欲しいなという思いでこのお店を始めたので、こう言った自然に拘った食材を使うようにしています。全部が全部できるわけではないですが、家庭でもこういったことに目を向けていただけたら、5個入っている添加物のものを2個にしてみるといったことをしてもらい、思考が変わっていくようなきっかけになっていただければという思いでやっています。」

色々お話を伺いましたが、やはり無添加のものを食べることで体の調子が良くなるというのは頷けますし、我々が以下に添加物を多く摂取しているかがよくわかりました。

ちなみに…


スラッシュの後に書かれている食品は全て添加物だそうです。何か食べ物や飲み物を買う際は表示を見て買うといいかもしれませんね。

そしてこのご時世ですのでお客さんも少ないということで色々と先のことを先手先手で考えているそうです。先を読む力というのは保育同様大事なのですね。

たまにはこんなブログもどうでしょうか。
ぜひカーポラヴォーロ に足を運んでみてください。

報告者 本多悠里

哲学・人類学・歴史学から見るコロナ新時代 前編

少し間が空いてしまいました・・・。

6月3日に行われた塾の続きです。

前回に続き、3人のオンライン対談の内容をお伝えしようと思います。

箇条書きになっているので、少し内容が掴みにくいかもしれませんが、

ご了承ください・・・。

まず最初のテーマは・・・

山際氏

「今回のコロナウイルスは人が移動しやすい集まりやすい時代に、非常に賢く適応している。

産業・教育・政治を根本から考え直す必要がある。」

國分氏

「「ウイルスは差別しない」と言われているが、

現代の「格差社会」を健康の面でありありと示す可能性がある

潜在的に人間が他者にとって脅威を持つ存在になっている

人間関係の社会が変わってしまう」

飯島氏

「歴史上で見ると、今回の状況は繰り返されてきている。

2009年新型インフルエンザが起きた時と同じ状況になっている。

マスクが不足 医療機器の不足、医療崩壊の危険性など・・・。

その対応をしている最中に2011年の東日本大震災の対応に追われ、

震災の対応に関心が動いてしまった。

そのため、新型ウイルスへの対応の準備が未完成のまま起きてしまった。」

3人の発言はどれも納得のいく言葉ですね。国分氏の人間が他者にとって脅威を持つ存在となっているというのは、確かにそうかもしれません。

例えば電車の中で咳をした途端に周囲から避けられ、軽蔑な目で見られるでしょう。前からマスクをしていない人が歩いてきたら、自然と避けて歩いたり・・・少し前までは全くそんな事がなかったのに、今回の一件で人間関係の社会が変わると言うのは身にしみて感じる部分です。

次は山際氏から飯島氏への質問です。

山際氏

「今回の感染症によって人間の社会がどう変わったのか??

もとどおりに戻るのか??感染症が変えたものとは??」と言う問いに対して

飯島氏

「ヨーロッパがハワイを開拓しようとしたら、ヨーロッパから持ち込んだウイルスによって、たくさんの人が亡くなってしまった。

そのため、労働力を確保するために日系人などのアジア系の人を労働力として連れてきた結果、現在のハワイで日系人などのアジア系の人が多い。

現在のハワイを表している一つの背景として「感染症の来襲」である。

今回のコロナの影響で小さな島国は早々に外国からの入国を止めたのは、自分の国がハワイのように無くなってしまう可能性がある、そういった歴史を知っていたから早々に入国禁止をした可能性がある。」

この問いに答えた飯島氏のあとに山際氏はこう話しました。

山際氏

「人間の社会の作り方にとって、重大な危機である。

人類という種は信頼できる仲間の数を増やすように進化してきた。人々が移動することによって、集団と集団との関係を密接に作ってきた。

人が移動、人が集まることによって国が作られ、国同士が連携しあってグローバルな社会を作り上げてきたが、それが今回のコロナで崩されてしまった。

接触と移動を禁じられた事には、社会の作り方を根底から覆されてしまった・・・。」

藤森先生がよく講演でも人は社会を形成する事で進化してきたと言われますが、社会を形成するということは、人が集団を形成することです。

子ども達も、集団で遊ぶことで多くのことを学んでいます。その集団や人と接することを禁止されてしまうということは、人は進化できない。学ぶこともできないという事になるのは、山際氏がいうように「重大な危機」です。

ここで國分氏が違和感を感じるとのことです・・・

国分氏

「統計的に人口を扱う。人をコマとして見ていることに少しも疑問を持たないことに違和感。」

・・・少し難しい表現かと思いますが、そのあとの飯島氏の言葉で理解できます。

飯島氏

「感染者の数に一喜一憂している。疫学は数学であるが、一人一人の顔が見えない・・・。集団でしか人間を捉えないという問題は確かにある。一人一人の感染、死が数字としてしか表されていない。」

確かに毎日のニュースで「今日の東京の感染者は・・・」という数字の方に敏感になっているかもしれません。昨日より少ない!⤴︎今日は昨日より少し増えた⤵︎など、数字でしか見ていなかったかもしれません。大切なのは「一人一人の顔」と表現をしていますが、特に感染によって亡くなってしまった方、人の命を大切にしなければいけない所を、数字で表して片付けている状況が違和感なのかもしれません。

ここで山際氏が哲学について問いをかけました。

山際氏

「新たな哲学の時代。新たなウイルスの出現によって、人間の生きる意味が変わるのだろうか?」

これに対して哲学者の國分氏は

「哲学は問いを立てることによって見えてくるものがある

イタリアの哲学者ジョルジュ・アガンベンと言う人物が今回のコロナに関して

イタリアの政府に対して少し批判的な意見をしたことに炎上してしまう。

そして補足説明を行った

言いたかったことは大きく分けて2つ

・死者の権利

新型コロナウイルスに感染して亡くなった方が、葬儀を行われずに埋葬される。

親族ですら会うこともできない。

人が亡くなってしまった方を大事にしない、お見舞いすらできない。人が死者に対して敬意を払わなくなった時に社会はどうなってしまうのだろうか?

「生存以外の価値を認めない社会」

生存だけを価値として認めてしまう。

感染してしまうから人と接しない、葬儀も行わない。そんな社会に入ってしまい、そういうことに少しも疑問を持たないことに、人間の関係、社会はどうなってしまうのだろうか?とアガンベンが問いています。

そしてもう1つが

・移動の自由         

近代社会の法体制では一番が死刑で一番下が罰金で、その間が移動の制限である。人間にとって移動をすることが極めて重要であるということを理解していたため、移動を制限すること刑罰として採用している。それだけ移動を制限すること人間社会にとって非常に酷なことである。そのことを重く受け止めているのか??

ソクラテスは哲学者はアブのような存在である。

みんなが飛びつきやすい意見が出た時に「本当にこれでいいのか?」と何度もしつこく問いかけることが哲学者の役割である。アガンベンはアブとしての役割を果たしている。

本当にそのまま突き進んでいいのか?突き進んだ時に社会はどうなってしまうのか?このアガンベンの問いかけをしっかり受け止める必要がある。

仮に葬儀を行われない、死者に会うことができないことが認められたとしても、そのことに少しも疑問を抱かない。なにも考えを持たないで受け入れてしまったら、社会はおかしなことになってしまうのではないか?とアガンベンは私たちに問いている。死者に対して敬意持つのは、社会が大事にしてきたことを守っていくことである。今まで作り上げてきたものを守っていかなければいけないと思った時は過去のことを考える。それが原理原則を守ろうという気持ちになるが、死者に対して何の敬意も持たなくなると、

今まで大事にしてきたことに何の配慮もない・・・。

ペラペラの薄い現在だけが残ってしまう・・・。」

この言葉を聞いて去年の春に亡くなった祖母の葬儀を思い出しました。

親族一同が集まり、祖母を偲び、私が知らない話をたくさん聞きました。また地域の人も参列してくださることで、社会との繋がりを改めて感じます。

それを感じさせてくれたのは祖母が残してきた遺産だと思います。

ニュースで志村けんさんがコロナに感染し亡くなってしまいましたが、親族が志村けんさんに会うことができたのは、遺骨になった志村けんさんでした・・・。

この状況にコロナだから仕方ない、というのは確かに変だと思います。

かといってニュースで見ましたがオンラインで葬儀を行うのも、変だと思います。もちろん感染のリスクを減らすのは、人の命がかかっているので重要なことですが、そうだとして「人の死」を軽視しては絶対にいけないことだと思います。

さてここで対談の前半を終わりにします。(報告者 山下祐)

リモートで繋がる&ヤンのプレ発表

今回の塾はZOOMでした。

17日に行われる塾セミナーのプレ発表ということでZOOMを使いみんなで共有しました。

塾セミナーの担当が大阪にあるたちばな幼稚園の邨橋先生だった事もあり、大阪にいながらみんなで共有できる事の便利さを感じました。

そして今回地方から参加の先生は、熊本の渡辺先生、鹿児島の松元先生、石川の西田先生、茨城の小松崎先生の参加もありあした。

プレ発表が行われる前、メンバーが揃うのを談笑しながら待っている中で塾長から「コロナの影響でいろんな人と会えなくなったからこそ、ZOOMなどを使って普段会えないより遠くの人と関わる」ということを仰っていました。

確かに普段の塾では塾長のお宅で同じ釜の飯を食べながら行っていますが、今では実家の園に戻り園長や副園長となった外部塾生のメンバーとも繋がれるので。様々な見方や意見が聞けるようになりとても刺激的になりました。

また、塾長から「長崎の西村先生の園さんと子どもたち同士でZOOMしてみたり、ゆくゆくは海外の子どもたちと関われると良いよね!」という事も仰っていました。

いろんなことをやってみようということで、まずは自己紹介をしてみたり、一緒に朝の会をしてみたりしてみたら良いかなという話になりました。自分も調理の立場として何か面白いことを提案したかったのですが、すぐには出て来ませんでした。しかし塾が終わってから思い出したのは、以前見ていたテレビでコロナウイルスの影響で里帰りできなかった家族が、手打ちうどん作りが趣味のお父さんからリモートでそれぞれの家庭が教わりながら作り、離れてはいるけどみんなで手打ちうどんを食べるという面白いことをしていたのを思いだしました。実際、保育現場でやるとなると事前準備が色々大変だとは思いますが、面白いのでは!?と、思いました。

そんな話をしているうちに全員が揃ったので、ここから邨橋先生によるプレ発表が始まりました。内容は前々回から「チーム保育」ということで理論的な部分を森口先生から、実践的な部分を加藤先生から話をしてもらっていました。なので、邨橋先生からは新宿せいがにいた経験から実家の保育園、そして幼稚園へとどの様に「チーム保育」を行なっていたのかを発表してもらいました。

感想を発表中

詳しい内容についてはネタバレになってしまうのでまだお話はできませんが、終わった後のみんなからの感想は、「とてもわかりやすくて良かった」という感想がほとんどであとは「具体例を少し入れるともっと分かりやすくて良いかも!」という声もありました。

今月の17日が本番になりますが、改めて聞けることが楽しみです。

(報告者 柿崎)

オンサイト開始しました!

6月3日の報告をさせていただきます。

今日の塾は約1ヶ月半ぶりの塾長での自宅開催でした!

前回まではzoomを使ったオンラインの塾でしたが、非常事態も解除され、

今までの通りの日常に戻りつつあるのかもしれませんが・・・

なんとも言えない状況です。

ただ嘆いていても何も始まらないので、今できる範囲で精一杯やっていくことが大切のような気がします。

さて久しぶりのメニューですが、

以前、私が塾の報告でコロナの影響でスーパーでの野菜やお肉などを買えない状況を報告した時がありました。

ちょうど都知事が土日に外出を自粛するようにと発言した週で都民が食料を買い込んだ時です。

それを受けた石川の外部塾生の西田先生が心配してレトルト食品などを送ってくださいました。

その中で金沢名物「チャンピオンカレー」が入っていたので、それをいただくことに!

西田先生!!ありがとうございましたぁ!!

トッピングは・・・

キャベツ・ゆで卵・チーズ
ほうれん草・らっきょう・納豆・チキンカツ・スナック!??

注目すべきは「ラーメンスナック」と書かれた袋。

これをチョイスしたのは・・・宮城さん笑

確か以前、カレーの時はこちらを持ってきていました。

少しづつ自分の役割を感じ取っている宮城さんですね(笑)

久しぶりに、みんなで一緒に食べるカレーライス!

「一体感」というスパイスが効いていたのか、いつもよりも美味しく感じました!

そして・・・デザートは・・・。

そうです6月5日が誕生日の宮城さん!!おめでとうございます!!

嬉しい事が重なって、久しぶりのオンサイトの塾も良いスタートを迎える事ができました。

食事、デザートも終わり今回の本題ですが、

まずはこちらのyoutubeをみんなで見ることに。

そうです!塾長と塾生の対談をyoutubeにアップしたのです!!

今後も定期的に収録していきたいと思いますので、アップしたら皆様にお知らせしていきたいと思います!!

そして次の映像は・・・

BS1スペシャル「コロナ新時代への提言」とい番組をみんなで視聴しました。

“コロナショック”で政治・経済・教育など社会システムの大転換期を迎えつつある今、誰もがこれからの時代をどう生きるべきか、不安を抱えています。

そこで、人類学者・山極寿一、哲学者・國分功一郎、「疾病史」を専門とする歴史学者・飯島渉の3人が“アフター・コロナ”を生き抜く指針を語っていただきます。

新型コロナ問題によって浮かび上がる「人間とは何か?」という根本的な問い。彼らが考える、コロナ時代の人間や社会のあり方とは?・・・。

この映像の内容はとても深く、まとめるのに時間もかかりそうなので、数回に分けて報告させていただきたいと思います。(報告者 山下祐)

ZOOM塾 5/20

5月20日、ZOOM塾報告をさせてもらいます。本日もたくさんの先生たちが参加されました。今日の議題はここ一週間の近況報告です。今回もバトンを渡すリレー形式で発言しあいました。まずは、環境の話をしてくれていた高橋君。園では環境構成をどうするか考えていたそうで、おこのジャングルのような凝ったツリー、横断歩道などこってますねー素晴らしい出来ですさすが高橋君!

蜂の巣などこってます!
事故する車たち、白線などリアルです!

次は邨橋先生です、自園の取り組みを話してくださいました。

大阪も緊急事態宣言が解除されるらしいですが、一号認定の利用者の取り扱いであったり今後の行事をどうしていくか?など考え事が絶えないようです。朝の会をどうするか?

ここでいい言葉が、「こういう状況だからこそ職員を信じる事ができるいい機会」と深い言葉でした。ちなみに加藤先生と松先生との話で大阪の知事を見るとヤン先生を思いだすよねーとリーダーシップをとる人間の表情は似てくるね!と話しをしていたようです。確かに似ていますね!吉村知事(笑)

大阪をひっぱる知事

次は横田先生です。すくすくさんの一時保育を担当しており最近は利用する人もいない事から、職員玄関の外回りを綺麗にしたりしているそうです。玄関にプランターを置き、キュウリ、トマトなどやってくれました!

トマト君

ここで、森口先生から西田先生へ面白いパスが、金沢市の市議会議員がこのご時世でパチンコ屋に出向くという内容でした。見てる人は見てるという事ですね。苦しまぎれのいいわけもむなしくきこえてきます(悲)まさしく「天網恢恢疎にして漏らさず」お天道様の目はごまかせなかったようですね。

余談ですが、私が学生時代によく言われていた言葉です(笑)

次は、城山のわたなべ先生のお話です。ここで興味深いのが、本州ではなく九州ではどうなっているのか?園では、子どもは、ほぼ来ている感じだそうです。取り組みとしては、保護者向けに遊びのYouTube配信をしたり、行事ができないからこそなにか新しい形を模索されているそうです。

次のバトンは本多先生へ!お家では、息子が楽しめるような事を考えてるそうで、ミニ四駆の箱にダンゴムシを育てたりしているそうです。自治体によって利用できる人が限られるそうですが、世田谷区では医療従事者の子どもだけの預かりだそうです。その中で、リモート保育に参加した先生ですが、やはり画面越しは難しいのか、リモート保育の難しさを感じたと感想をおっしゃっていました。

リモート保育の難しさを話してくれました!

次に鹿児島の松元先生です。子どもは8割方きているそうで、行事の作業もない状態だが、職員と話し合いを持つことができたのが良かった。内容は10の姿を職員に共有したり、クラスの写真を出してもらい環境構成を考えたりしているそうです。

次は、ピーマンマン先生です。

ピーマンマンに扮しくれたカッキー先生。子どもたちの反響はというと、こんなエピソードが、わらすで一緒にご飯を食べた時に、僕ピーマン大好きだよ!と子どもに言われたそうです。カッキー先生も反応があるのは嬉しかったと、次回作に意欲を燃やしていました。

調理も子どもたちが少ない事から。普段やらない調理室のそうじをしたりしているとの事です。科学と調理の融合で焼きそばとムラサキキャベツで色づけたコラボのレシピを作る事が今後やられる事だそうです。


ピーマンマン先生素敵でした!

次に若林先生です。ほぼ平常運転らしく、保護者によっての多少の自粛はあるそうです。働き方に対しても自園独自の体制をしいて、休みも交代で休ませているそうです。

次は山下先生ですが、話の詳細はまだ煮詰めている段階なのでお伝えする事はできませんが、このコロナの影響で、セミナー等もできなくなってしまっているので、なにかGTとして出来ないか?このご時世許される中で試行錯誤していくそうです。

最後のとりは、宮城さんです。

GTとコラボして5歳児から取り組める教材、家具等を園長先生と考えてビーズクッションは脳にいいとの研究が出ているそうで、いやしのゾーンなど作ってみては?と、園長先生から提案がありました。

先生方皆、このご時世だからこそ何かできることはないかと試行錯誤されて取り組もうと考えてらっしゃる様を見ると、頭が下がりますね。

最後にメインのテーマが発表されました。ステム教育です。

私自身ステム教育が理解できていないので、概要を引用させてもらいました。

STEM教育はオバマ大統領が一般教書演説等で優先課題として取り上げたことが広まるきっかけとなったと言われている。

四つの理数系の教育に力を入れることで、科学技術及びビジネス分野で国際競争力を発揮できると考えられており。世界における科学技術の優位性を保ちつつ、それを維持していくための国家戦略との事です。難しそうです(笑)

ZOOM塾ならではのメリットは怪我の功名じゃないですが、色んな方面から先生方の話が聞けてためになる事がホント多いです!

時系列での報告になってしまいましたが、また来週も楽しみですね!

報告者 川辺



ハラリ氏の提言から考える

先日の塾の様子をご紹介します。

この日の塾もzoomにて開催されました。

内容としましては、ETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界~海外の知性が語る展望~」をみんなで視聴するという会になりました。

新型コロナウィルスの感染が拡大した世界、これから世界はどのような方向に向かっていくのか、今何を考えるべきなのかということをハラリ氏へのインタビューから考えていくという内容の番組です。

「ホモデウス」という著書でも有名なハラリ氏ですが、たびたび塾長の話の中でも登場する方ですね。

番組はとても刺激的な内容でしたので、少し紹介をしていきたいと思います。

まずハラリ氏が「危険なことが2つある」というところから番組がはじまります。

その2つとは「発展途上国の感染拡大、医療崩壊」と「ウイスルの突然変異」ということでした。

スペイン風邪は突然変異し、強力さを増したウイルスが第二波を巻き起こし、多くの人の命を奪ったそうです。

そして、ここからハラリ氏はウィルスの流行だけに関心を持つべきではないという展開で話をはじめます。

「パンデミックは世界の変化を加速させる」と。

そこでハラリ氏が警告しているのが、「民主主義に訪れる危機」です。

各国が、都市封鎖や外出制限という国民に対する自由の制限を行なっています。そんな中、ハンガリーでは、

首相の権限が拡大され、議会の承認なしに非常事態宣言が無期限で延長できるようになったそうです。更に感染防止を妨げる虚偽の情報を流した者には、最高5年の禁固刑が科されるそうです。

このように、感染症対策だから仕方ないと思ってしまいますが、よく考えてみると、どこか独裁的で民主主義とは言えないような方向に向かっているということに気付かされます。

そんな中でも、私は特にドイツのメルケル首相の言葉が印象的でした。

「そのような行動制限は、絶対的な必要性がある場合にのみ正当化されるべきもので、民主主義において決して軽率に、また一時的であっても決定されるべきではありません。ですがこれは今、命を救うために不可欠なのです」

民主主義を大切にしている人の言葉ですし、自由というのがどれだけの末に得たものなのかということを感じます。

そして、ハラリ氏は続けます。

「通常、民主国家は平時には崩壊しません。崩壊するのは決まって緊急事態の時なのです。しかし非常事態の時こそ民主主義が必要です。いま各国の政府は巨額のドル、円を使って対策を打っています。私たちに必要なのは民主的な監視です。それがないと権力者が友人や支持者の会社を救済して他の会社を倒産させることになります。緊急対策は間違いなく必要なのですが、チェックアンドバランスが欠かせません。政府に権力につながる人だけでなく、国民すべてを支援させる監視が必要なのです」

このようなことってすでに起きてしまっているのではないかと…思ってしまいますね。

正直、今回の新型コロナウィルスの問題をこのように捉えたことがなかったので、こういう視点があるのかと驚かされましたし、とても納得させられました。

また、ハラリ氏はこのように続け、

「発達した監視技術が、感染の抑制を口実に乱用される危険です。中国は感染拡大を封じ込めるため、感染者が発生した詳細な場所や日時を地図上に示すシステムを開発、感染リスクがある場所を市民が避けられるようにしました。さらに、人々の移動履歴などの個人情報を記録したビッグデータを使ったアプリを開発、ID番号を入力すると過去に感染者と接触した可能性があるかどうかが分かるのです。判定のもととなるデータは、当局が収集した国民一人一人の鉄道や飛行機の利用記録です。過去に感染者と同じ車両に乗ったり、飛行機で近くの席に座ったりしたことが判明すると濃厚接触者と判断され、自宅待機と保健当局への連絡を求められるのです。また、一部の地域では地下鉄やタクシーに乗った際にも、QRコードで個人情報の登録を求められるようになりました。こうした監視技術はいま中国だけでなく、世界各国に広がろうとしています」

監視社会が到来するであろうという話を展開されました。

なんだかこの話はとてもリアルですね。もうすでに始まっていることなのかもしれません。

私たちが知らない間に何かが進んでいるということはよくある話です。

やはり、そういう意味でも今何が起こっているのか、政府は何をしようとしているのか、

それは本当に正しいことなのかということを考えながら、私たちが国を、政府をチェックしていくような

目を持つことが大切なのかもしれません。

そして、ハラリ氏は人々にはできて、ウィルスにはできないこととして、

「協力」というのがキーワードになると。

「ですからパンデミックへの現実的な対応策は、隔絶ではなく、協力と情報共有です。コロナウイルスに対する人間の最大の強みは、ウイルスと違い協力できることです。中国にいるウイルスはアメリカのウイルスに対してどうやって感染するのか、どうやって人間の免疫系を避ければよいのか伝えることはできません。しかし人間は中国の医師がアメリカの医師にアドバイスできますし、中国政府がアメリカ政府を助けることも可能です。ウイルスを検出する方法についても、協力して共通の計画を策定できます。私たち人間の強みです。これを活用しなければ現在の危機はさらに悪化するでしょう。この感染症が世界のどの国で広まっても、人類全体に対する脅威だと理解すべきです。確かに今は国境を封鎖し、移動を制限する必要があります。そのためにも協力と情報が不可欠です。中国や韓国は感染症の拡大と封鎖解除の重要な情報を持っています。中国は封鎖を緩和しようとしています。その過程で得た情報や教訓は、今後最も効果的な方法を判断するうえで、ヨーロッパや世界中の国々の参考になるでしょう。それぞれの国が自分のことだけを考えると、貴重な情報は失われてしまいます。もし中国がロックダウンの緩和で何か失敗したのに、その情報を開示しなかったら、イタリアやスペイン、カナダなどが今後同じミスを犯すでしょう。ですからロックダウンもグローバル化を反映して、情報を共有ながら進めていくべきです」

最後に未来への提言として、

ハラリ氏はこう結びました。

「この感染拡大が究極的に何をもたらすのか、あらかじめ決まっていません。結末を選ぶのは私たちです。もし自国優先の孤立主義や独裁を選び、科学を信じず陰謀論を信じるようになったら、その結果は歴史的な大惨事でしょう。多数の人が亡くなり、経済は危機に瀕し、政治は大混乱に陥ります。一方でグローバルな連帯や民主的で責任ある態度、科学を信じる道を選べば、後になってそれは人類にとって悪くない時期だったと思えるはずです。私たち人類はウイルスだけでなく、自分たちの内側に潜む悪魔を打ち破ったのだ、憎悪や幻想、妄想を克服し、真実を信頼し強く団結した種になれた時代と位置づけられるはずです」

この言葉からは希望を感じますね。

というような番組をみんなで見た後にそれぞれ感想を言い合いました。

特に監視社会が加速するのではという展開には塾生もみんな驚いていました。

ハラリ氏も「科学を信じること」と言われていましたが、塾長はそこから

「科学を信じるということは新しいことではなく、ここまで生き延びてきた人類の生き方を見直すこと」と言われました。この言葉がとても印象的でした。

ついつい科学、研究結果というと何か新しいものと思ってしまいますが、

明らかにされたということで、本来あったもの、大切にされていたものであるということですね。

教育もまた、科学によって証明されるのは伝統的育児がいかに人類の繁栄を支えてきたかということだと思います。だからこそ、塾長が講演の中で話す、ホモサピエンスが協力して生き残ってきたという事実が科学によって解明される訳ですし、それこそが人類が生き残ってきた最善の方法であるからこそ、今回のこの危機も人類が情報共有という協力で切り抜けなければいけないのだとハラリ氏は言います。

これは何も新しいことではありませんね。人類がここまでやってきたということです。

何だか、うまく説明できないのがもどかしいのですが、この番組をみることで、いかに冷静に物事を正しく見ていくのか、またあらゆるものはつながっているということを改めて感じました。

また、塾長というのは常に物事の本質とは何かを考えています。

今回のコロナ問題についても、その情報は本当に正しい情報なのか、その考え方は正しいのか

ということを考え、疑問を持ち、それを紐解いていこうという姿勢を近くにいて感じます。

私たち塾生もこの番組をみることで、そして、塾長の考えを知ることで、そのような本質を掴むことの

大切さを感じる時間になったのではないでしょうか。

報告者 森口達也