歴史かおる墨田

遅くなってしまいましたが、11月5日の塾報告になります。

この日は墨田区の水神保育園さんで園長先生の保護者講演があり、その後に食事をするということだったので、勤務が終わった塾生が集合して一緒に食事をしようということになりました。

実は、水神保育園さんは今年から新宿せいが子ども園に就職された中村先生のお父さんが理事長をされている保育園さんで、法人内に他に2園の施設があり、見守る保育・藤森メソッドの実践をはじめられたという経緯があります。

水神保育園さんは東部スカイツリーラインの「鐘ヶ淵」駅が最寄駅になります。藤森先生の出張に同行させてもらうと、私の生活では行くことのない土地や駅で降りることも多く、とても新鮮な気持ちになります。

それだけ、先生は日本全国、都内においても様々なところへ行かれているということを感じます。

鐘ヶ淵駅から10分ほど歩いたところに水神保育園さんはあります。大きな壁のようにそり立つ住宅の中にある園さんで、公立からの民営化を受けたという経緯があります。

どこか懐かしい雰囲気を感じる園舎のホールでの保護者講演会でした。

平日の夕方にもかかわらず多くの保護者の方が参加しておられ、講演の内容も熱心に聞いておられるのが印象的でした。

講演の最後には質疑応答がありますが、藤森先生の質疑応答の時間は本当におもしろいといいますか、刺激的です。

参加者の方からの質問を横で聞いていて、自分だったらなんて答えるだろうかといつも頭の中でシミュレーションしているのですが、先生の答えは当然、もちろん当然ではあるのですが、いつも自分が考えるさらにさらに深い返答ばかりで、いつも驚かされます。

同時にとても学びになるので、個人的にこの質疑応答の時間はかなり好きな時間です。

藤森先生の質疑応答4時間研修なんていうのも、かなりエキサイティングな時間になると思いますので、ぜひ迷われている方がおられましたら、ご検討ください笑。

保護者講演会の後は、場所を「向島百花園」に移し、感染対策をとりながらの食事会が行われました。

庭園から見えるスカイツリー

この向島百花園を管理されている方と、中村先生のお父様がお知り合いということでこの場所での時間となりました。

向島百花園は1804年に開園し、360本もの梅の木を植えたことから、当時亀戸にあった「梅屋敷」ではなく、「新梅屋敷」などとも呼ばれていたそうです。

また、幾度も変転を経ながらも、園内の景観が今もなお、かつての趣きを保っており、江戸時代の花園を遺しており、景観、遺跡ともに重要であるとして、1978年に国の史跡および名勝に指定され、保護措置がとられることになったそうです。

夜の時間帯ではありましたが、管理人の方に庭園を案内していただきました。

様々な木々が人の意識が及ばない、まさに自然に栄えているような場所でした。こういった人の意識が作り出してない場というのは都内の中で貴重な環境ではないでしょうか。そのような場に身を置くことで、意識の世界から脱却することというのは現代こそ重要であるということを感じます。

少し話が、逸れてしまいました。

コロナ禍ではありますが、やはり人と人との交流は人にとって大切なことであるということを改めて感じました。

トーキョーサイダー

森口達也

本質

近所の公園の大きな銀杏の木が、なんとも鮮やかな色に染まり、秋の終わり、冬の始まり、そして1年の終わりがもう来るんだと日々が過ぎる早さを痛感するこの頃です。

ちなみに、木々が紅葉し落葉していくのは、エネルギー効率を考えた上での生存戦略と、新たな養分を作る事が大きな理由だと言われていますね。にもかかわらず、人が歩きやすいように、などの理由で、せっかく養分になるはずだった木の葉たちが掃き集められ捨てられていると思うと、複雑な思いがあります。ただそれでも来年の夏には青々と繁った葉が、暑さをしのごうとする私たちに優しく影を作ってくれるのだと思うと、自然の優しさと雄大さをを感じます。

今回は12月1日の塾報告です。

塾セミナーのプレ発表で、第二いちご保育園の先生が2名いらっしゃりました。今回の内容はずばり“2歳児”

0,1歳で作った見守る基礎を、定着させ幼児に向けて飛躍の準備をするこの時期は、約3年藤森先生のお側で学ばせていただいている私の中では、保育園やこども園での生活のなかで一番大切な時期なのではないか、と考えています。

今年は幼児クラスの担任をさせていただいているのですが、たしかに幼児から途中入園した子も、しばらく見守る環境で生活するとそれなりに理念に則った姿を見せてくれるのですが、やはり乳児から土台をガッチリと固めた子たちの幼児クラスでの伸びは目を見張るようなものがある気がします。

そんな乳児クラスと幼児クラスの狭間にいる2歳児クラスを各GT園さんが、どれだけ工夫し、趣向をこらして環境を作っているのかというのを見られるのはとても学びになります。

今回第二いちご保育園さんの発表で、目的と手段を混同してはいけないという言葉がよく出てきました。この言葉は常日頃から意識しなければなと感じるものではありますが、そもそも保育施設における目的はなんなのか、その原点を見失ってはより良い保育は出来るはずがありません。おおもとの理念を忘れては、目的を意識していたつもりがいつの間にか手段が前に出ていた、何て事も起こりうるなかで、どれだけ目的を見失わずにいられるか、というのは全ての保育士が掲げるべき大きな課題なのかもしれませんね。

環境は千差万別ありますから、正解があるものではないですが、常に原点に立ち返り、自分たちがやるべき事の目的を見失わないように心がけなければいけません。そうすることでおのずと結果のほうがやってくる気がします。

焦って目先のものにとらわれない本質のわかる保育士になりたいものです。そう、常に成長するという目的を忘れず、葉を広げたり紅葉したり落葉したりといった手段を決して間違えないあの木々のように。

最後にスモールボスも登場してくださいました。

(報告 髙橋)

2021/11/10

報告が遅くなってしまい、大変申し訳ありません。

秋も深まる臥竜塾。11月10日の報告です。

この日は、先日から参加させていただいている研修が話題に。

『保育者とは母親の代替である』という考え方が基本にあることが理解できる研修内容で、Fujimori methodとはその根幹が異なる為に、中々難しい研修となっている現状なのですが(笑)

その話を受けて、塾長から学びある言葉をいただきました。

「そもそも母親の、家での育ちを保つ→保母」

「保育に欠ける子を救済措置としての保育所→働く女性の為の保育所」

「それが今だに強く残っている」

しかしながら、日本の大学生の競争力はOECDの順位で最下位という結果が出ているそうです。

「もっと長期的に見たらどうか」

「感受性の一番高い時期に、社会的スキルを身につけなければならない時に母親に任せ切っている、もしくは、母親の代替のような保育をしているからでは」

日本の大学の教育成果が世界に通用しないのは現状日本の乳児保育が間違っているからではないか、という仮説が成り立つように感じられてしまいます。

しかしながら、

保育園は家庭の代替である→ならば家庭に戻すべきでは

ということでベビーシッターに補助金を出す、という流れもあるようです。

「愛着、という言葉はくっつく、という意味合いが強く出過ぎている」

「だから『愛着』ではなく、『アタッチメント』」

そして、

「アタッチメントの成立とは、安心をして大人から離れていろいろなものに目を向けられる、ということ」

「アタッチメントとはスキンシップではない」

「家庭のアタッチメントと集団のアタッチメントは種類が違う」

更に、

「乳児は常に大人との関わりを求めているわけではない」

だからこそ、担当制という保育形態への警鐘を塾長は鳴らし続けるわけですね。

「しかしながら実際は、保育士の一挙手一投足に目を奪われている」

「ずっと大人に意識がいっていることによって、保育士に遊びやゆとりの機会を奪われている」

そう思うと、脳の発達の大切なこの時期に、子ども集団の中でもなく、また、母子関係の代替であるような保育を受けることは、有意義なこととは言えないのではないか、と思えてきます。

余談になりますが、塾長は、担当制を頭から否定しているわけではありません。

「子どもの要求に気付けない、もしくは子どもの要求に知らん顔の保育士も中にはいるでしょう→担当を持たせる」

そう思うと、担当性の方がいい場合というのは、大人側の都合のことと言えるかもしれません。

「チーム保育、チームワークがうまくいかない園は担当制にした方がいいかもしれない」

「しかしそれをアタッチメントと結びつけてはいけない」

アタッチメントの意味、愛着、というあたかも保育用語化してしまっているかのような言葉について、もう一度きちんと学び直す必要があることを感じた夜となりました。

(報告 加藤)

茶室で質問コーナー

11月17日の報告をさせていただきます。

今日の塾はいつもと違う雰囲気で行いました。というのも、塾の開催場所は、保育園の茶室で行いました!森口先生のアイディアで、いつもの雰囲気と少し変えてみようという発想から初まったそうです。

昨年から猛威を振るったコロナウイルスですが、ようやく収まりの兆しが見えてきましたね。コロナの収まりも見えてきて、今回の塾では久しぶりにご飯を作ってみんなで食べました。ということで、メニューの紹介からしていきたいと思います。

今日のメニューは天丼と、お味噌汁でした。カッキー先生が特製のタレを作ってくれ、それをかけていただきました。久しぶりにみんなで作ったご飯を、みんなで食べるのはやはり一段と美味しく楽しいですね。

味噌質はインスタントですが、やはり、みんなで食べるご飯は美味しいです

ご飯を食べ終えると、突然あかりが消え、ハッピーバースデーの歌とともに、なんと外からローソクの明かりに照らされた塾頭とケーキが登場!!この演出にはみんな大爆笑でした笑。カッキー先生のお誕生日をみんなで祝いしケーキを食べました!柿崎先生、改めて、おめでとうございます。

まさかの外から登場笑

さて、今日の塾のメインは、西田先生の質問コーナーでした。先日GTサミットがあり、その中で、いくつか西田先生に質問が来ていたみたいです。その質問を塾生みんなで話し合ってみようというものが、今日のメインでした。

zoomにて参加の西田先生

早速ですが、内容に入って行きたいと思います。

Q物の使い方についてです。先日のGTサミットの発表園の中で、子ども達がバケツをかぶってそれが連鎖していった報告がありました。正しくものの使い方をしないが、これはいいのでしょうか?命の尊さを伝える事(捕まえた虫の扱い方など)は大人の関わりとして必要ではないかと思いますが、先生はどのようにお考えですか?

Aまずバケツの部分について

塾長「これって、何がいけないのかな?物を別なものにして使うこと、帽子を投げて遊ぶみたいなことではないの。昔、ある小学校の問題でレモンを使ってどういう遊びができるか。という問題があったの。みんなならどう答える?」

本多先生「うーん、レモンの皮をこう曲げて、汁をピッと飛ばす笑」

自分も、食べ物で遊ぶのはななしだろうから、投げるとかはないよな。じゃ、紫キャベツを使って色の変化を楽しむ?なんてことを考えていました。

塾長「実はこの問題の最高得点はレモンをボールにして遊ぶ。そして、一番点数の低い答えは、レモンを使って炙り出しをするなんだよ」

一同「えっ!?!?」

みんな驚きました。まさか、レモンをボールのするのがいいなんて想像もできませんでした。炙り出しが最低得点の理由は、レモンの機能をそのまま使っているから。発想がレモンに囚われているからだそうです。それに対してボールにすることは、レモンから全く離れた発想をしているからだそうです。子どもたちにとって、見立て遊びはとても大切ですし、バケツを頭にかぶるのも、バケツを帽子に見たてて、新しい発想をしているからいいではないかと塾長がおっしゃっていました。

自分「先生、見たて遊びは0、1歳の時、特に1歳児クラスの時は重要で、クラスにはあまり具体物をおかず、ブロックとかをご飯に見立てたりする遊びが重要とは知っているのですが、4、5歳になっても見たて遊びは重要なんですか?」

塾長「見たて遊びは年齢を重ねれば、どんどん高度になっていく。単純なみたてではなくなっていくからね。

食べ物をおもちゃにしてはいけないというが、昔のお手玉は全部小豆でできていた。大人がこれはこういうものと決めてしまうと、子どもたちの遊びが広がらない。見たて遊びは大切だよ」

最初はえっ!?と思いましたが、なるほどと思う納得の答えでした。

虫の扱いについてです。

これについては、森口先生はこう話していまいた。

養老たけしさんは、虫も殺せない人が、人を殺すといっているそうです。森口先生は昔、川でつった魚を水槽に入れて、その魚をまた釣るという遊びをしていたそうです。そして、何度か繰り返すうちに魚の顎が外れてしまい、戻らなくなってしまったそうです。それで、あっ、可哀想なことをしたと思ったと話していました。虫も、足をもいだり、踏み潰してしまい殺したりどの経験があり、気持ち悪さとか、命の大切さを知るのでは。もちろん、虫を殺すことはいけないことですし、現場では殺そうしている場面を見ると、止めるのですが、心のどこかで、まあ、仕方ないかと思うゆとりが大切なのではと話されていました。

Q3才以上児は現在100人近くいます。子どもたちが走りまわったり、奇声を上げる子が多くいます。試行錯誤しながら環境を見直したり、声掛け等工夫しています。活動は3つのグループに分けることが多く、比較的落ち着いています。そこで、現在、生活も3つのグループに分けてみようと計画をしています。朝の興味別遊びから全てを3つのグループに分けることも考えています。ちなみに響く環境は変わってなく、増築部分もかなり声が響きます。3グループで生活するスタイルはどう思われますか?

A音については、専門の先生に環境を見てもらうといいかもしれないですね。そしてグループに分けるのも、朝の会や、食事など、落ち着いて話を聞いたりする場面ではいいと思う。遊びの場面ではグループに分けるというより、ゾーンに分けて遊べばいいのではないか。あるゾーンがいっぱいになるようなら、ゾーンに定員を決めてやればいいのではないか。子どもたちが走り回るのは人数ではなく、遊べる環境を見直す必要があるのではないか。やりたいことがあると走り回ることはない。発達にあったものがあると走り回ることはないのではないか。

Qやすらぎのゾーンの使い方が気になっています。クッションやぬいぐるみ等を投げたり踏んだりする児が多いのですが、環境設定のポイントはありますか?

Aこちらの質問も、遊べない子がこういったことになりやすので、ゾーンの環境を見直すといいのかもしれない。発達にあったおもちゃがあるのか、もう一度見直してみるといいと思います

ということで、質問の回答を終え、今回の塾は終了しました。

今回もとても楽しい塾でした。参加していただいた西田先生も、ありがとうございました。

報告者 横田 龍樹

本当の子ども達の姿とは?

もう11月です・・・

これから報告するのは9月29日の塾です・・・

塾生として反省すべきことです・・・。

10月から宣言が解除されることに伴い、塾の開催もオンラインから新宿せいがこども園の4階会議室で開催する予定です。

塾生もワクチンを2回接種しましたので、とりあえずは安心ですが、

それでもお互いの間隔を保ち、換気をしっかり行って今後の塾を開催していければと思います。

さて、最初は小松崎先生(茨城・青山保育園)から近況報告をいただきました。

先日園内研修を行ったそうで、テーマはSTEMについてです。

STEM保育研究会の広報紙に青山保育園の実践を掲載させていただきましたが、その実践報告を書かれた先生を中心に研修を行ったそうですが、

職員の皆さんの反応としては、とても良かったそうです。

やはり「STEM=科学」というイメージが強いのと、なぜ必要か?

という部分が緩和されたとのことです。

これからSTEMに関しては益々注目を浴び、乳幼児期かどうSTEMを取り入れていくのか?がとても大切になってきます。

ちなみに来月11月15日にSTEM研修会が行われます。

興味がある方はギビングツリーのホームページに詳細が載っていますので、見てください!

さて、今日は異年齢について話し合うことになりました。

まさに原点回帰というか、「異年齢」という言葉こそは知っていますが、

表面的な説明で終わってしまうでしょう。

そうではなく、なんのための異年齢か?異年齢の意味などを改めて理解することは大切なことですね。

一人一人「異年齢」と聞いてどう考えるか語ってもらいまいた。

柿崎先生

・共食

・年上の食事の姿を真似する

横田先生

・観察ゾーンを女性職員が手伝ってくれる

・年上の人と関わることで、自分の興味などが広がるのでは?

二人とも現場ならではの「異年齢」の捉え方ですね。

私も異年齢と聞くと、子ども集団はもちろんですが、職員集団を思い浮かべます。1年目から新宿せいがで仕事をしている私にとっては、開園して約14年という期間の間だけでも様々な異年齢による職員集団というのを体験してきました。

それこそ新人だった立場での職員同士の関係、そして中堅、現在は私よりも先輩はいますが、年数からベテランと呼ばれてしまいます・・・。

藤森先生は・・・

「臥竜塾は有志で勉強しようと集まっている人だから、年齢はバラバラだよね」

と言われました。逆に年齢別で集まったら何をする?と問われましたが、まぁ年代も一緒なので共通の話題で盛り上がるくらいでしょうかw

おそらく塾長が言いたかったことは、塾生も異年齢だからこそ、それぞれの考え方や捉え方があり、自分に無い意見を聞くことができるのではないか?と我々に伝えたかったと私は個人的に思いました。

さらに、最後に塾長はこう言いました。

「子どもの事を本当に考えているならば、自然と理論が理解できるのではは?」

正直、これはなかなか難しいようにも思いました。

ただ冷静になって考えてみると、子どもの発達、保育の理論ばかりを学んでも、実践に結びつかなければ意味がありません。

逆になにも考えずに保育者のエゴで実践してしまうと、それこそ発達を超えたことをさせてしまい、本来の子どもの姿ではない姿にさせてしまう可能性もあります。

「子どもの事を真剣に考える」この言葉の意味を深く受け止める必要がありますね。

この言葉を聞いて、それぞれどう感じるのか分かりませんが、私として最終的には子ども達の姿が正解なのかな?と思います。

自分の発達にあった遊びだったら子どもは集中して遊び始めますし、そうでなければすぐに飽きるでしょう。

さらにいうと、発達もバラバラですし、性格も違う時点で統一の正解はなく、それこそ子ども一人一人に合った環境が大切ですし、子ども達自身も自分に合った遊び方を展開していくと思います。

例えば、オセロを渡した場合、年長はルールに則った遊び方をするかもしれませんが、まだ理解できない年少さんは白と黒を綺麗に並べたり、重ねたりとそれなりに遊ぶでしょう。私はそれでいいと思います。

それくらい心の余裕を持った子どもとの関わり方が良く、わざわざ1つ1つの関わり方に理論や正解を無理やり結びつける必要がそこまでないのではないでしょうか・・・。

何かのきっかけで実践と理論が結びつくと思いますし、そうした経験で初めて保育の深さを知るタイミングだと思います。(報告者 山下祐)

ZOOM塾

みなさん、元気でお過ごしでょうか?そして報告が遅くなり申し訳ございません。

ついさっき速報で、緊急事態宣言の延長が決まりました。都内の状況はといいますと飲食店は痺れをきらし、夜までいっている店をちらほら見ます。ワクチンパスポート的なものもできるみたいですね。はやく通常の日々が戻るよう願って………これは9月上旬の話なのでご了承ください(笑)

さて、塾の始まりは、森口先生の話から。プロ野球の話がありました。私が卒業した所は野球の強豪校という事もあり、プロから、独立リーグ、そしてまたプロに戻ってきた同級生の話に。

個人的な話ですが、ロッテの小窪君です。ぜひ応援してください(+_+)

彼の話になりますが、高校の時は、キャプテン。保育でいうとリーダー的な立ち位置でしょうか。彼は、常々感謝の言葉を色んな形で表現していた人間でした。カープでも選手会長を務めた人間です。森口先生もいっていましたが、いったん独立リーグにいって、またプロに戻る人間はそうそういないそうです。営業職に従事していた時、私は、有形商材の営業でしたので、商品はいいのはあたりまえ、買っていただくお客さんにリピートしてもらわなければならない。横のつながり。繋がる営業をちゃんとしないといけないと四苦八苦していましたが。先輩のトップセールスマンが教えてくれた一言、これが、商品ではなく人を売れ。最初はラッキーパンチでそこそこいけるかも知れないけど、その後は続かないだからこそ、人を磨けという言葉でした。業種がちがったらわからないですが、サービス業なら皆なるほどとおもうかも知れませんが(笑)どの業種にいても華を咲かす人は常に感謝の気持ちを口にしているのかなと。やはり人は、不思議なものでそういう人間には、人も自ずとついてくる。人道的側面ではありますが。たとえ、時代が移り変わろうともそこは、普遍的なところなのかもしれませんね!個人的な前置きが長くなってしまいました。

さて、今回の塾ですが、子どもの発達の話に、2歳児についてです、随意筋が発達することによって、ボタンをしめる事ができたり、色んな事ができてくる時期でこれを経て自立していく、だからこそ身体的な要素の随意筋が発達するような環境を整えないといけない。色んな場面を体験させ言葉を言わせる事が大事な時期であると園長先生に話して頂きました。

発達を知ると関わり方も分かってくるまさにその通りだと思いました。そして、自由を教える事の大事さ難しさの話に。自由とは、好きな事をする事ではなく、約束事があるルールのあるゲームなどをしてそれを守る事が大切であると、2歳児になるとこれらができるようになってくる。これは私も2歳児クラスにいた時感じた事ですが改めて重要な時期なのだと感じさせてもらいました。

そして、今1歳児を担当している私にとって、発達の過程をみるのに非常に有意義な時間を過ごさせてもらっています。

2歳児は発達を見極める重要な時期と共に、集団で遊ぶ、形成する時でもありますが、1歳児の遊びは非常に難しいのを感じています。月齢差が顕著に見える時期で巧緻性であったり動きの豊かさがはっきりわかる時。

遊びに至っても2歳児とは違い、ルールは皆無。運動機能の発達から、行動範囲が広がり好奇心も旺盛になり探索活動が盛んになり、周囲のお友達に関心を持ち始め、相手の遊びに興味を引く時期です。2歳児さんと比較すると、まだ協調やルールは理解できず、ものの取り合いやひっかき、噛みつき、癇癪などトラブルも多く起こります。感情表現が幅広くはっきりしてくるものの、言語の発達が不十分なので感情をうまく言葉にできないところも肌で感じている所です。発達のスピードは個人差がありますが、発達の順序性、発達の方向性を理解しつつ、発達が連続していくところを踏まえながら、援助する大事さ。環境を通してどのようにすればいいのか、学ばせてもらっています。

そして大人に受け入れてもらうことによって自発性、探索意欲を高めてきますが、まだまだ大人の援助や見守りを必要とする、自立への過程の時期に今直面している所ではありますが、その時期、その時期に顕著に現れる行為を保障しつつ、子どもの最善の利益考えていかねばならないと思わせていただいた今回の塾でした。

報告者 川辺

西田先生より

10月13日の塾報告をさせていただきます。

 石川のわかば保育園園長である西田先生から「子どもどうしの関わり〜伝える〜」についての発表が10月20日(水)にあるため(この報告が上がっている時には終わっているかもしれませんが…)塾生みんなでその発表を見ました。見終えた後にそれぞれが感想や意見を言うというスタイルです。私はというもの発表することが本当に苦手なため、そういった意見、アドバイス的なものが思い浮かびません。そういった視点はどうしたら身につくのか…そもそも勉強不足なのか?と自問自答です。本番の模様はYouTubeにアップされる(されない可能性もあります…)と思いますので楽しみにしていただければと思います。

右上にいらっしゃるのが西田先生です。
パジャマでのご出演ですが本番はビシッと決めてくださる予定です。
ちなみにこの写真はご自身(西田先生)が塾生であったことを証明したいという思いから発表の最中の自己紹介で使っていた場面です。相変わらず抜かりないといったところです。

〜伝える〜
というサブタイトルなのですがその理由として、地方だと見守る保育というのがまだ少ないこともあり、我々がこういったところで「発信」していかないとという思いから伝えるというサブタイトルをつけたそうです。以前高橋氏も言っていたように塾長のおっしゃっていることを伝えていくことの重要性を前々から感じてはいますがその難しさ、

 その後は加藤先生が研修に行かれたの報告してもらいました。

 加藤先生が乳幼児の研修に参加した模様を塾で報告してくだいました。どんな内容かと気になるところですが、我々が大切にしている「子ども集団」といワードは出てこなかったということでした。主に担当制のお話だったそうです。保育士というのは母親の代替であると言うこともお話に上がっていたそうです。
 その事例として、「虐待を受けている子どもが保育園に来た時に、その子にどんなアプローチをするのか」とあり、それぞれの先生は母親が代替と言う話があったため、母親の代わりのような暖かい環境で受け入れられたらいいなと言う意見があったそうです。それを受けた塾長は「そしたら母親と同じなら虐待をしなければいけなくなるね」というご意見をいただきました。確かに代替であるならば母親のようにとなればそうなってしまうなと単純に思ってしまいますね。上記にあるように「母親の代わり」というのは一体誰のことを指しているのかわからなくなるのと母親のようにとは一体どんな接し方なのかが具体的に示されていれば良いのではと思いますね。
 それぞれが研修に行きますがどんな研修なのか、果たして研修がどんな意味を持つのかという研修選びというのも大事になってくるのですね。

最後にGTチャンネルの方も更新しているようなのでチェックお願いいたします。

目を瞑っている時に撮ってしまいました、すいません。

報告者 本多悠里

久しぶりの乾杯

緊急事態宣言が解除になり徐々にコロナ感染者も減少傾向の中で、全国での感染者は1000人を切り、東京では100人を下まわろうとしています。なぜ減少しているかははっきりとわかっていないそうでまだまだ注意が必要ですが、このまま終息すればと願うばかりです・・・。

宣言が解除ということで、10月6日の塾では久しぶりに有機野菜を使用するレストランに行きみんなで乾杯をしました。久しぶりに外でみんなと飲めるビールは格別です(笑)

今回の塾は8人だったので1テーブル4人ずつ座り、話すときはマスクをしたりなどしながら美味しい食事をいただきました。

ZOOMとは違い、やはり対面で行うといろんな話題に花が咲くので保育とは関係ない話も交えながら(むしろそっちの方が多い…笑)いろんな話をしました。

そんな中で本多先生から、「月曜日は子どもたちが先生を求めてくる」という話がありました。月曜日にはやたらと「先生、先生〜」と呼ばれ、週末になるにつれ落ち着いてくるということでした。なんかわかるなぁ思うのは、私たち調理も子どもと一緒に食事をしますが、月曜日はやたらと声が大きかったり、食べ終わった後の食器が少し汚い傾向があって、週を追うごとに徐々に綺麗になるように感じていました。一週間を通して子どもたちにもサイクルがあって、それによって注意して見ていかないといけない部分があるなと感じました。

余談ですが私たち調理も金曜日になると、お皿の数を間違えたり、何かを忘れていたりと保育に迷惑にならない程度に小さいミスを犯しやすくなります。(笑)大人も週によって変化があるみたいですが、そんな時には「金曜だからしょうがない」という合言葉で笑いながらお互いにカバーし合っています。(笑)

園では、子どもたち同士で注意し合っている場面や、他の子がやっている事を見て学んでいる姿が多々見られます。社会の中で一人で過ごしていくというのはムリがあるなと思うのと同時に、集団によって得られるものはたくさんあるし、大切なことだなと改めて感じた今回の塾でした。(報告者 柿崎)

これから最後のデザートを頂きます

千両役者

保育の仕事と同時期に始めたクライミングも、早いものでもう3年目に突入しました。途中自粛していた期間もありましたが、二年以上1つのことを続けたというのは部活以外ではあまり無かったかもしれません。そう考えると10年以上もブログを書き続けている藤森先生は流石としかいえませんね。

ちなみにInstagramに登っている動画をアップしているのですが、未だにフォロワーが70人程しかいません。どうしたらフォロワーって増えるんでしょうね。


今回は9/15の塾報告です。


最近石川の西田先生の園がYouTubeで取り上げられたり、GT園の園長先生がYouTuberになろうと画策していたり、ただ実践をするのではなく、それを世の中に発信していく段階に見守る保育が移っているのを感じます。

それもYouTubeであったりInstagramといったsnsがテレビと同じだけの発信力を持ち始めている現状と、それらは私達のような素人でも簡単に使えるといった手軽さがあいまっているのでしょう。

ただ、それらの難しいところというのは、工夫していかなければ発信するツールとしての力をあまり持たなくなってしまうということです。

冒頭私のフォロワー数の少なさを嘆きましたが、では私がなにか工夫をしているかと聞かれるとなかなか答えられないのが現状です。一方でフォロワーを伸ばしているクライマーを見ると、期間をあまり空けない更新頻度であったり、字幕や説明、フレームをつけた見やすくて面白い動画の準備であったりと、私とはそもそもの質が違うということを感じます。たしかにそういった人たちは私よりも登攀する実力も高いのですが、それだけではない何かを感じます。

最近待機児童対策をしすぎた結果、保育園が余り始めていますが、その園を閉園するのではなく、配置基準の最低基準を広くすることで、それこそ密が避けられ新型コロナウイルス対策になったり、一人一人の子どもに対する対応の質をあげられたりするのだから、目先の物事をみて安易に判断するのはよくないね、と藤森先生はおっしゃられます。

このような素晴らしい考えも、世の中に発信して拡げていかなければ意味を持ちません。そういった意味でも我々塾生の役割というのは重要な意味を持つのだと背筋が伸びる思いです。

私が大学生だったころ、200人の学生の前で選抜された5グループがその週のテーマに沿ったパワポを発表するというものがありました。当時あまり真面目ではなかった私は、質では真剣に取り組んでいる他のグループにかなうわけがないと、面白おかしく当時流行っていたものを取り入れながらパワポを作り発表することで、優秀賞をとった覚えがあります。

まずはいかに自分の考えを聞いてみたいと思わせるか、保育でいうところの、導入をいかに出来るか、それが見守る保育がより世間に広がっていくために我々が成さなければならないことです。注目を集めるということは少し恥ずかしいかもしれませんが、世の中をさらによくするために、発信者という役になりきってみるのもいいかもせりませんね。

最後に新宿せいがのInstagramのページを貼っておきますので、よろしければ覗いてみてください。https://instagram.com/shinjukuseiga?utm_medium=copy_link

報告者 髙橋

本質

少しずつ秋の訪れ感じる臥竜塾。

この日もzoomにて開催されました。

先日より臥竜塾生数名がある法人の研修会に参加させていただいています。
パワーポイントを用いた1時間の講義の後、zoom上でグループに分かれて内容についてディスカッションをし、最後それぞれの代表よりまとめの報告と共有が行われます。

内容は様々で、前回のテーマは「2歳児」。グループの中には2歳児クラスの担任をしている人もいれば過去に経験のある先生もいたりと、様々な角度から意見が交わされます。

例えば『環境』という視点から、「パズルをどのように置いているか」という提起がありました。

各園の先生方から意見を聞きながら、自園での取り組みを話しました。
その話を一通り聞き終えた後、


『臥竜塾生が研修会に参加する意味』

について塾長から話をいただきました。


「Fujimori Methodの本質について語れなければ」


例えば、自園の2歳児クラスのフロアーは独立しています。社会性が育ち、徒党を組む時期である子どもたちを0.1歳児や3.4.5歳児という集団の中に敢えて入れず、その育ちをより丁寧に保障していく必要性からです。

更に、環境について言えば、


コーナーではなく、『ゾーン』である点
チーム保育によって保育が行われる点


など、Fujimori Methodの中で独自に構成されている点、その他多くの保育と異なる塾長が特殊に考えている部分、


「それを語る・語れる必要があるのではないか」
「それが塾生が研修に参加する意味ではないか」


現場のアイデア勝負や個人のキャラクターで行われるような保育の事例、
それらについて楽しく話すことは間違いではない、
けれども、それに終始してしまっていなかったか。

次なる研修に臨む心構えに変化が必要なことを痛感する思いがしました。

「保育園の原則として、」

塾長が続けます。

「保育所は、必要だから増やす。
しかしながら、少子化が進めば当然保育所は余ってくる。
いらなくなったなら失くす、
それは仕方のないこと。
では、子どもたちの社会的スキルや子ども集団の重要性
それについては誰が考え、誰が保証するのか。」


『保育所は子ども集団を保証する上で必要』これを主張する必要がある。私たち保育実践者、保育経営者は、子どもたちに必要な、家庭で行えない保育を専門的に実践できる、だから必要である。

「そうでなくては、保育所は無くなってしまうだろう」

「次の世代に保育を存続していけるのだろうか」

塾長から鳴らされた警鐘を聞き、
研修やあらゆる機会を通して、
保育を語ることが必要であることを改めて感じました。

「Fujimori Methodではこのように考えられている」
それを理解し、語れた上で、現場の経験や感覚の部分を独自に加えて、
聞き手に話すことができるよう成長していくことが求められるのでしょう。

人間は成長していく生き物ながら、
人から教えられることに苦手を感じる、という二面性を持っていると言います。

「だから応答的であるべき」
「そして、応答的である為には、本質を知らないとね」

塾長の投げ掛けの中に本質的な優しさと厳しさの同居を感じつつ、
学びの途上にあることを改めて感じる夜となりました。

(2021/8/25 臥竜塾 報告 加藤)