本質

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少しずつ秋の訪れ感じる臥竜塾。

この日もzoomにて開催されました。

先日より臥竜塾生数名がある法人の研修会に参加させていただいています。
パワーポイントを用いた1時間の講義の後、zoom上でグループに分かれて内容についてディスカッションをし、最後それぞれの代表よりまとめの報告と共有が行われます。

内容は様々で、前回のテーマは「2歳児」。グループの中には2歳児クラスの担任をしている人もいれば過去に経験のある先生もいたりと、様々な角度から意見が交わされます。

例えば『環境』という視点から、「パズルをどのように置いているか」という提起がありました。

各園の先生方から意見を聞きながら、自園での取り組みを話しました。
その話を一通り聞き終えた後、


『臥竜塾生が研修会に参加する意味』

について塾長から話をいただきました。


「Fujimori Methodの本質について語れなければ」


例えば、自園の2歳児クラスのフロアーは独立しています。社会性が育ち、徒党を組む時期である子どもたちを0.1歳児や3.4.5歳児という集団の中に敢えて入れず、その育ちをより丁寧に保障していく必要性からです。

更に、環境について言えば、


コーナーではなく、『ゾーン』である点
チーム保育によって保育が行われる点


など、Fujimori Methodの中で独自に構成されている点、その他多くの保育と異なる塾長が特殊に考えている部分、


「それを語る・語れる必要があるのではないか」
「それが塾生が研修に参加する意味ではないか」


現場のアイデア勝負や個人のキャラクターで行われるような保育の事例、
それらについて楽しく話すことは間違いではない、
けれども、それに終始してしまっていなかったか。

次なる研修に臨む心構えに変化が必要なことを痛感する思いがしました。

「保育園の原則として、」

塾長が続けます。

「保育所は、必要だから増やす。
しかしながら、少子化が進めば当然保育所は余ってくる。
いらなくなったなら失くす、
それは仕方のないこと。
では、子どもたちの社会的スキルや子ども集団の重要性
それについては誰が考え、誰が保証するのか。」


『保育所は子ども集団を保証する上で必要』これを主張する必要がある。私たち保育実践者、保育経営者は、子どもたちに必要な、家庭で行えない保育を専門的に実践できる、だから必要である。

「そうでなくては、保育所は無くなってしまうだろう」

「次の世代に保育を存続していけるのだろうか」

塾長から鳴らされた警鐘を聞き、
研修やあらゆる機会を通して、
保育を語ることが必要であることを改めて感じました。

「Fujimori Methodではこのように考えられている」
それを理解し、語れた上で、現場の経験や感覚の部分を独自に加えて、
聞き手に話すことができるよう成長していくことが求められるのでしょう。

人間は成長していく生き物ながら、
人から教えられることに苦手を感じる、という二面性を持っていると言います。

「だから応答的であるべき」
「そして、応答的である為には、本質を知らないとね」

塾長の投げ掛けの中に本質的な優しさと厳しさの同居を感じつつ、
学びの途上にあることを改めて感じる夜となりました。

(2021/8/25 臥竜塾 報告 加藤)

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