Blue floor philosophy episode 33『数覚』より

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数ゾーン、電卓が楽しいようです。

このような問題を出しました

このような問題を出しました

なぜか部屋の隅に貼って、解いています

なぜか部屋の隅に貼って、解いています

集中力が増すのでしょうか。

面白いのは、すぐに答えを持ってこないところで、取り組んでいる何人かが一緒にきます。

「(電卓で)出た数字が一緒になったら、それが(答えとして)合ってるのかなぁって」

「(電卓で)出た数字が一緒になったら、それが(答えとして)合ってるのかなぁって」

自然協力をするのですね。

ブログ『臥竜塾』2011年10月20日『数覚』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

最近、乳児に興味を持つようになると、人類に進化というものを考えるようになります。人類は、どんな遺伝子を持って子孫につないでいくのであろうか、また、何をつないでいく責任があるのかを考えます。また、その進化と呼応して、科学技術の進歩が、人類にとってどんな意味を持つのか、そして、どの方向に行こうとしているのかを考えます。

 現在、科学技術はある面において、人間の機能を大きく上回っています。過去において、科学技術は、人間に近づこうとしました。人間がすることを、機械が代わりにできないか、人間の手助けができないかと言うことで開発してきたのが、どこからか、人間のできないことをするような機能を備えています。
たとえば、計算をする能力は、どんなに安い、簡単な電卓でさえ、多くの人間の計算力をはるかに上回っています。では、計算力においては、電卓よりも人間のほうが劣っているのでしょうか。また、人間が今後進化をしていったら、電卓のような計算力を持つようになるのでしょうか。確かに、訓練すれば、たとえばそろばんを得意としてくると、少しは計算は速くなるでしょうが、コンピュータには到底及びません。

 しかし、計算において、コンピュータよりも人間のほうがはるかに優れた能力があります。そうなると、それは数学の世界ではなく、認知心理学も問題になります。私が疑問に思ったことと同じようなことをスタニスラス・ドゥアンヌも思ったようです。そこで、彼は、数学者から認知心理学・神経科学に転身しました。そして、『数覚とは何か?―心が数を創り、操る仕組み』を書き表して、ジャン・ロスタン賞を受賞したのです。

 彼の疑問は、この本の表紙の裏に書いてあります。「ヒトは数を数え、その営みの延長上に数学という堅固で有用な体系ができあがった。ではその数とは、あるいは数学とは文化的に創られたものなのか、それとも、人間の営みとは無関係に初めからあったものなのか。数覚があるなら、たとえば脳のどこにあるのだろう?」よく、「子どもたちの視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚という五感を刺激する」と言いますが、ほかにも子どもたちの脳の中には、いろいろな感じる部分があるようで、数覚という感覚はあるような気がします。

早く次の問題を出してほしい、と嬉しそうに言う子どもたちの姿を見て、数字の不思議を楽しむ力が本能的に携えられているのではないか、と思えてきます。

(報告者 加藤恭平)

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