『社会的状況による言語』

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お迎えの時間、ぐんぐん組(1歳児クラス)の担任の先生と保護者の方のやりとりを見ていたら、とても興味深い場面に立ち会えました。

担任の先生「うんちが出ると自分でオムツを持ってきて教えてくれるんですよ」

保護者の方「家では違います。出てない、って言ったりするし、逃げたりして替えさせてくれないんですよ」

すると、その話を側で聞いていたその子がお母さんの口を塞ぐようなポーズをしてこう言ったのです。

「言わないで」

『臥竜塾』2018年9月4日『社会的状況による言語』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

ウィリアム・ジェイムズが言うところの「いくつかの自我に分裂する」とは、二つの分類を意味しています。一つは調和のとれた状態で、子どもに対してはやさしく、自分の管理下にある囚人に対しては厳しいという看守がその例だと言います。もう一つは調和のとれない状態で、いわゆる「ある知り合いのグループには自分の別の顔を知られたくない」状態です。シンデレラの二つの顔は不調和状態でした。シンデレラは家の外での自分の顔を継母に知られることを恐れていたのです。

ほとんどの子どもたちは、家の外での行動を多かれ少なかれ親に知られてもおおごとではないと思っています。しかし、家での行動を家の外で披露するとなると、何か手厳しい罰が待ち受けているかのように、子どもたちはそれを恐れると言うのです。

「まだ言葉で表現できない子も、その子の話題をしているとお母さんの口を手で抑えたりする姿をよく見る」

後で聞いた担任の先生からのお話にも驚いてしまいました。1歳児クラスの子にもうこのような意識が芽生えているのですね。

(報告 加藤)

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