Red floor philosophy episode 14『何歳から?』より

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伸ばした手は玩具をかすめます。

伸ばした手は玩具をかすめます。

 

再度手を伸ばすのですが、あとわずかなところで届かず。

再度手を伸ばすのですが、あとわずかなところで届かず。

悲しみの声のあがる黄ちゃんですが、それも束の間。

次なる登場人物を花ちゃんは既に見つめていますね。

次なる人物の登場を花ちゃんは既に見つめていますね。

 

 にわかに泣き止んだ黄ちゃんと花ちゃんの視線の先には、

にわかに泣き止んだ黄ちゃんと花ちゃんの視線の先には、

 

新たな玩具を手にしたドットくん(ドット柄の服を着ているので以下どっとくん)の登場です。

新たな玩具を手にしたドットくん(ドット柄の服を着ているので以下ドットくん)の登場です。

ドットくんも、ずり這いができるようになり、移動することが活発になってきています。この時も、自分の力で移動してここまでやって来ました。

先程からのやりとりを見ていたかのような登場ですね。

おもむろに二人の前に玩具を出すドットくん。

おもむろに二人の前に玩具を出すドットくん。

 

その玩具を出したり引っ込めたりする姿に見とれながら、

その玩具を出したり引っ込めたりする姿に見とれながら、

黄ちゃんはいつしか自分の追っていた玩具を忘れ(諦め)てしまうのでした。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年5月27日『何歳から?』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「1歳を過ぎたころでも、荷物を両手に抱えた大人がドアの前で立ち往生していると手を貸してドアを開けてくれると言われています。それは、『ドアを開けたいけれど、両手にものを持っているために開けることが困難で困っている』というような他者の意図を理解して、手を貸すのです。この実例を見ると、ずいぶんと早い時期に、しかも乳児のころから可能になることがわかりますが、以前は考えられなかったようです。そこで、最近では協力的なコミュニケーションの取り方を重視して、心の理論の発達を考えようという動きがあるそうです。

しかも、早い時期から心の理論が行なわれるというよりも、2 ~ 3 歳の子どもは向社会的な傾向が見られるので、社会的な対人関係でよいとされている物事に関して他者の心を推測することが得意なのかも知れないとも考えられ始めています。これは、私が考えていることと同じです。特に、日本人は、欧米に比べて社会的な対人関係を大切にする気質があるので、早い時期から『困っている人を助けたい』と思っている子どもが育っている可能性があるのではないかと思っています。しかし、この『助っ人課題』について研究した松井智子らが、先の『助けたい』状況を入れた誤信念課題の調査結果をイギリスやカナダの学会で発表したら、『現地の子どもではこうはならない』といわれたそうです。そこで、彼女らは、『もしかしたらこれは日本の子ども特有の傾向かも知れません。』と言っています。

そうであっても、私は心の理論の発達には、子ども社会が大きく影響していると思っています。しかも、それはすでに乳児のころから始まっており、人類が、乳児のころから共同保育をされてきたなかでそれを獲得してきたということは容易に推測できます。」

子ども社会の中で気を逸らしながら、当初の目的の達成に手は届かずとも、そのホットな心をクールへと導き、また、導かれていった黄ちゃん。それを励まし支えた花ちゃんとドットくん。生まれながらにして持ち合わせている心の気質と、それを通い合わせることのできる園の環境が舞台となり、このような出来事を生み出すに至らせたのかもわかりませんね。

(報告者 加藤恭平)

 

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