I wanna be with you now〜コップのdistance見つめて〜

「喉、渇いたー。」「先生、水飲みたいー。」

 

「自分たちで飲んできてー。」ということで、にこにこ組(2歳児クラス)食事スペースで、自分たちで水道の水を汲んで飲む子ども達です。

緑色の服の子(以下 緑くん)が、水を出せずに困っています。

緑色の服の子(以下 緑くん)が、水を出せず(正確には出〝さ〟ず?笑)に困っています。

ここに至るまでに散々自分たちで蛇口をひねって手を洗ってきたはずなのですが(笑)今日は水を出せない気分のようです。その様子を見て、立ち上がって水の出し方を教える紫色の服の子です。

 

面白いことが起きそうな予感がしますね(笑)見守ってみることにしました。

「だからぁ、上を持ってね…、それでぇ…。」その場所から色々言葉で教えてくれるのですが、中々蛇口に手を伸ばそうとしない緑くん。

「だからぁ、上を持ってね…、それでぇ…。」その場所から色々言葉で教えてくれるのですが、中々蛇口を回せない様子の緑くん。

その様子を見て、黒い長袖の男の子が立ち上がります。

「こうやるんだよ。」

「こうやるんだよ。」

実際にやってあげていました。その様子を、僕と同じ気持ちで見守っていたのしょう、ボーダーの子の親指が立っていますね(笑)

「おー。」二人して、嬉しそうな声です。

「おー。」二人して、嬉しそうな声です。

「このくらいで。」二人でなんとなく量を決めて、水を止めていました。

「このくらいで。」二人でなんとなく量を決めて、水を止めていました。

みんなでかんぱーい!

みんなでかんぱーい!

 

気持ちを受け止めてもらえたこと、飲みたかったお水が飲めたこと。色んな嬉しさ、美味しさが緑くんの表情に表れていますね。

 

水を出すことをためらっていた緑くん。誰かに「水を出して」と直接頼んだわけではないのに、その彼の表情や行動を読み取って、声をかけたり、実際にやってあげたりする子ども達に、〝対人知性〟が育まれていることを改めて感じます。

 

ここで、もうお馴染みではありますが、初めて読まれる方に〝対人知性〟について紹介させていただきます。

  • 対人知性とは、他人を理解する能力をいう。この人の動機は何か、あの人はどう動くだろうか、皆と協調して動くにはどうすればいいのか、といったことを理解する能力である。
  • 対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」である

 

今年度も『成長展』という大きな行事が近付いてきています。子どもの成長をその子自身が、また、保護者と職員が楽しみながら感じ合うことのできる素晴らしい行事です。

そして、今年度の成長展のテーマはずばり〝対人知性〟。一年間、このテーマでブログを書けたことを、とても嬉しく思っています。

 

さて、実は、今回報告したいことは、この蛇口のやりとりの先、水を飲み終わった後の子ども達のとった行動にあります。

 

これも、考えてみれば、対人知性の一つではないかと思えるものでした。

 

続編にて、報告させていただきます。

 

(報告者 加藤恭平)

「色の識別」

またまた実家に帰省中の話しになります。

 

父から急にこんなことを言われました。

「もう○ちゃん(息子)は、色とか理解しとんが(理解してるの)?」

 

なぜ急にこんな質問をしたのか詳しく聞いてみると、 帰省した時に本屋さんで息子の本を買いました。 本といっても付録がついて、色々なキャラクターが載っている本で、

今回、本に付いていた付録はお風呂で遊べる玩具です。

父がお風呂に入った時に、壁に張ってある付録の玩具を見て思ったそうです。

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ちなみに湯船に浮かばせて遊ぶ玩具です。

父も保育業者なのである程度の子どもの発達に関しては理解しているので、2歳児が色と形を識別し、ちゃんと元通りに片付けが出来るのか?と思ったそうです。

ただ父も塾長の講演を何度か聞いているので、その辺の事は理解しているようですが、やはり現場ではないので実際の子どもの姿を見ているわけではありません。

ですので、今回、付録のおもちゃをどのように遊んでいるのか気になったそうです。

 

私は息子と一緒にお風呂に入って、一緒になって遊んでいたので全く気付きませんでしたが、確かに色を合わせて組み合わせて遊んでいるし、片付けも色に合わせて片付けています。 ちなみに兄夫婦の娘ちゃんも息子同様に色に合わせて片付けていたそうです。

 

塾長もよく講演で一歳クラスの子どもたちが色や形の違いが理解できると言われています。

 

私もその話をよく聞いていましたが、息子の片付けの行動を見ていて特に意識して見ているわけでもなく、当たり前のように見ていましたが、やはり父のように現場をあまり見ない人にとっては、どうやら衝撃的な事らしいです。

 

「やっぱ、そうだよなぁ!これはスゴいことやちゃ。○○子(母の名前)2歳で色と形の違いが理解できるんぜ!?知っとったぁ?」(富山弁)

 

お酒が入っていたせいか、少し興奮気味の父でした(笑)

 

 

ちなみに母は元幼稚園の先生でしたが、母の反応は驚いているのか、あまりピンと来ていないのか、中途半端な反応です(笑)

 

今回の父との会話で自分の反省点として、もっと現場の子ども達の姿を観察しないといけないと思いました。当たり前のことを当たり前と思わず、もっと新鮮な目で見ないといけないですね・・・他の塾生の書くブログの内容と比べると些細な内容かもしれませんが、ブログに書くことで、自分の行動と保育に対する姿勢を振り返ることができます。(報告者 山下祐)

うまくいかなかったこと1

子どもたちが日常を過ごしている中で、私たちは、子どもの“うまくいったこと”に焦点を当てる事が多いです。それは、なかなか見る事ができない姿であったり、子どもが本来持っている姿というのを保護者や外の世界に発信していくことが役割でもあるからです。しかし、その“うまくいったこと”の背景には、その何十倍もの「うまくいかなかったこと」の礎があるのだなぁと感じることがあります。

ある土曜日、0歳児がズボンを履かずにいるところを見て、2歳児が履かせようと手伝いにきました。0歳児は何も言わずに2歳児の様子を見ているのですが、次第に足をばたつかせるので、2歳児はやりにくそうです。

スクリーンショット 2016-01-07 22.12.12その様子を見て、3歳児も手伝いにきました。2人がかりで0歳児のズボンを履かせようとします。しかし、0歳児はそれでも足をばたつかせています。

スクリーンショット 2016-01-07 22.11.08そのような姿に苦悩していた2歳児が、ある方法を思いつきます。近くに落ちていた玩具を手に持って球体がクルクル回っている間に、それに気を取られている隙にズボンを履かせようとしたのです。

スクリーンショット 2016-01-07 22.10.23ズボンは膝まで来ました。お尻まで上げるために、2人は0歳児に「立って、立って」「こうやって立っちしてよ」等と実際に動きを見せながら伝えていました。それでも最終的にズボンを履かせることはできませんでした。近くに来た職員に、「◯◯ちゃんがズボン履かな〜い」と訴えます。

スクリーンショット 2016-01-07 22.11.58その職員は「自分で履きたいんだろうね〜。◯◯ちゃん、いつもそうなんだよね。」と言います。それを聞いて「へぇ〜」という2歳児。すると、2歳児と3歳児は、その場を離れて別の遊びをしようと移動している最中、カメラを向けていた私に向かって「ちゃんと履いてくれないんだよ。座ってくれないし、立ってくれないし…」とブツブツと言いながら去っていきました。0歳児はというと、2歳児と3歳児の姿を最後まで目で追っていました。

スクリーンショット 2016-01-07 22.11.440歳児は、どうやら自分でズボンを履きたがっていたようです。同時に、2・3歳児に関心を寄せていました。そして、結果的にその気持ちをうまく汲み取ることができなかった2・3歳児がいました。しかし、0歳児はどうしてズボンを履きたがらないのか?といった疑問が頭を巡っていたことでしょう。そして何よりも、コミュニケーションの難しさや思い通りにいかないという経験をしていたことでしょう。

きっと、このような経験が「うまくいったこと」を支えているのだと思います。

(報告者 小松崎高司)

うまくいかなかったこと2

ある1歳児は、自分のズボンを他児に渡して手伝ってもらおうとしていました。しかし、それを受け取った別の1歳児は、自分のズボンを渡されたと思ったのか、それとも手伝いたくなかったのかは分かりませんが、ズボンの柄を確認すると、ポイッと後ろに投げ捨ててしまいました。

スクリーンショット 2016-01-07 22.09.11スクリーンショット 2016-01-07 22.10.04スクリーンショット 2016-01-07 22.08.14その行方を2人で確認します。すると、ズボンを持ってきた子は、すぐにそのズボンを拾い上げて、別の他児に助けを求めるためにその場を立ち去りました。あきらめ具合が気持ちいいですね(笑)

スクリーンショット 2016-01-07 22.08.37次の1歳児にも、そのズボンを渡して履かせてもらおうと促すのですが、その1歳児は、そのズボンを突き返してきました。まるで“自分でやって”といった感じでした。

スクリーンショット 2016-01-07 22.08.54スクリーンショット 2016-01-07 22.09.26

先日、先輩保育士さんと、3月に行われる成長展の『対人知性』について話す機会がありました。そこでは「課題を伝えていく」視点も面白いよね、という話になりました。子どもたちの発達を「過程」で捉えていくということは、“今の姿で全部マル!”ということであると同時に、そこから見えてくる「課題」もあります。対人関係を通し、子どもたちが、自身でその課題に取り組んでいる姿に焦点を当てる事で、『発達過程からみる対人知性』が見えてきます。

乳幼児期における経験カリキュラムの中には、「うまくいかなかったこと」に価値を置くという大切さと共に、そこにはいつも、リアルタイムに作り出される「課題」に対して、真摯に向き合っている子どもたちの姿がありました。

(報告者 小松崎高司)

ちょっと変わった職員が考える『臥竜塾ブログ』のすすめ

先日、いつもの公園にお散歩に行きました。

 

中に入ると、あれ?いつもは見ない車が公園の中に止まっていました。

作業車が入っていました。

作業車が入っていました。

「みんな、あの車には近付かないようにねー。」

「みんな、あの車には近付かないようにねー。」

フランクな言い方(笑)ですが、そんな言葉掛けだけでも、しっかりルールを守るにこにこ組(2歳児クラス)の子ども達です。

近くで遊びはするのですが、見えない線があるかのように、ある一定のラインから先には行きません。

近くで遊びはするのですが、見えない線があるかのように、ある一定のラインから先には行きません。

この子達も同じような感じです。

この子達も同じような感じです。

新入園児も多かった4月当初。公園の外へ出てしまいそうになる子も少なくありませんでした。その都度出てはいけないことを伝え、在園児のみんなからも声をかけてもらうなどする中で、自然と「この子達ならもう危険な場所へ行かないだろう」という安心感へと、見守る側の、大人側の気持ちが変化していく過程を改めて体験することができました。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年4月9日『ルールは誰が』の中でこう書かれています。

 

〝ヒトは、自分が思うままに行動せずに、その欲求を「抑制」する力を持っています。そのときの「抑制する」というのは、その行動を行うか、行わないかという意思決定を下す力です。その判断は、脳内で行われているはずです。ヒトは小さいうちには、行うか行わないかは、大人が判断している場合が多くあります。してはいけないことを、大人が判断して止めます。その抑制は、物理的なもので遮断したり、遮ったり、また、言葉で制止したりします。しかし、いくらそのような外部からの抑制する力が加わろうと、その力に対して従うか、従わないかは最終的に本人の意思決定が左右しています。

 

大人からの指図ではなく、子ども自身が、〝車に触れてはいけない〟、ということを選択している、ということですね。

 

 その意思決定を下すまで、脳内ではあらゆる可能性を考慮し、それを絞り込んでいく作業をしているのです。そのプロセスを藤井さんはこんな例を挙げています。「目の前に10種類のおいしそうなフルーツがあるとき、どれを最初に食べようかと迷います。いちばん好きなものを最初に食べる人もいれば、大好きなものは最後にという人もいます。さらに緻密な人なら、全体のバランスを考えて、酸っぱいものは前半に、甘いものは後半にというような戦略を巡らせる人がいるかもしれません。この悩みは、誰に迷惑をかけるわけではありませんし、けっこう楽しかったりします。ただ、このような楽しい悩みでも、私たちがフルーツに手を伸ばすときには、たくさんの可能性の中から一つの可能性へ絞り込む作業が必要になります。これが絞り込めていないと、フルーツに触れる直前でフォークをウロウロさせることになります。」

 

悩むこと、迷うことの中にも、楽しい迷い、楽しい悩みというものもあります。それでもその中から〝選ぶ〟〝決める〟という力はやっぱり必要になってくる、ということですね。

 

 このような意思決定の仕組みは、私たちのあらゆる行動選択に共通ですし、それが適切に行われないと、一歩も動くことはできないと藤井さんは言います。このようなフルーツを食べる順番を決めるのも、社会的意思決定を行うのも、意思決定のメカニズムという点で見るなら、基本的にあまり変わらないということであれば、社会のルールも、結局は各個人の脳がそれを支えることで作っていることに気がつくと言います。

 

社会のルールは〝ルールを守ろうとする人〟、その人達によって構成され、守られるに至っている、ということですね。

 

 つまり、私たちの行動に影響を与えるルールは、社会からトップダウン的に与えられるだけではなく、各個人がそれを受け入れ、咀嚼して脳内に取り込むことで成り立っていることになるというのです。これは、ルールというものが、社会というシステムとその構成要素である私たちの間に起きる相互作用によって維持、実行されているということを示しているのです。そう考えると、「ルールを守る」というのは、誰かから強制されて行う行為ではなく、自発的な行為となるのです。そこに積極的な意味を見いだすことができるのです。

 

例えば信号を守るのは、守ることを法律で強制されていることだけではなく、守らないと事故になる、事故をしたくない、という人逹の共通認識のもとで、積極的に守られている、ということですね。

 

 このように考えると、意思決定に対して時には外部から強制され、受動的なものと見えることもありますが、そのときの外部からの力は、積極的なルール維持へのサポート表現であると考えることは簡単なことであると藤井さんは言います。「社会というものは、上位個体ではなく、各個体がそれを認めることで成立している」という一面を忘れてしまうと、社会的なルールというものが一方的に天から降ってくるものであるという、誤解を生み出してしまう恐れがあると警告します。

 

あれもダメ、これもダメと厳しく強制して、ルールだらけにしてしまう保育、子育てというものがあるとすれば、それはもしかしたら人の本質から外れてしまっていて、〝ルールは天から降ってくるもの〟という、とても受け身な心が育ってしまいかねない、ということですね。

 

 ルールが降ってくるように見えるのは、私たちが生まれたときに、すでに社会は存在していたからに他ならないと言います。実際は、その既存のルールを獲得した後は、わたしたち各自が社会と相互作用を行うことで新しいルールを常に作っているということを理解するのではないかと藤井さんは言います。

そんな姿を、園では、初めて子ども社会を自ら構築する3歳児に見ることができます〟

 

ここまで読み切ることができた方。すごい!おめでとうございます。

 

なんと、中略など一切無しで掲載させていただきました(笑)

 

ぜひ藤森先生が毎日更新されている『臥竜塾ブログ』に足を運んでみてくださいね。

 

話が逸れてしまいましたが(笑)〝そんな姿を、園では、初めて子ども社会を自ら構築する3歳児に見ることができます〟ということで、

 

そんな姿を写真に収めることができましたので、次回、報告させていただきます。

 

(報告者 加藤恭平)

集団と社会的参照

12月29日~地元、富山に帰省しました。

やはり2歳になる息子の去年と今年の姿を比べるのですが、祖父、祖母、曾祖母の存在をちゃんと理解できるようになっていました。写真を見せても「これは誰?」と聞くと「じぃじ」「ばぁば」「おおばぁば」と言うようになり、私の父、母、祖母も喜んでいました。

 

また私の兄夫婦にも子どもがいて、一人は息子と同じ歳の女の子がいます。そして、去年の夏に2人目を無事に出産し、6ヶ月の男の子が家族の一員に加わりました。

 

まず、息子が目の前に明らかに自分より年下の子どもがいることで、少し意識しているのか、赤ちゃんの玩具で遊ぼうとした時に「それは赤ちゃんの物だよ?」も言うと素直にやめました。少しお兄さんになった気がした瞬間です(笑)

 

それよりも成長を感じたのは兄夫婦の娘ちゃんです。 ここ2年間ずっと人見知りで私にはほとんど近づきませんでした(笑)まぁ会うのが年に数回なのでしょうがないのかもしれませんが、息子にもなかなか関わろうとしませんでした。それが今回の帰省で見違えるように息子はもちろん、私にも平気になって一緒に遊んだり、話すようになりました。と言うのも、今年の4月から保育園に通っているので、それが一番の要因かもしれません。 それまではずっと母親か祖父母としか過ごしていないので、子ども集団の経験がほとんど少なかったようです。時々、支援センターには行っていたようですが、頻繁に行っていたわけではないようです。

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それが保育園に通って、集団を経験したことで友達との関わり方を娘ちゃんなりに学んだのだと思います。また月齢で見ると息子より数ヶ月高いので、色々と面倒を見てくれるようになりました。それを見ていてもなかなか面白いですね(笑) 食事の際にお皿を用意して「これだよ!」っと教えてくれたり、玩具も譲ってくれたり、遊び方も教えてくれたりとお世話をしてくれています。一方、息子の方は聞いているようで聞いていないのか…親としてはもぅ少し反応しなさいと思いながら見てました(笑)

 

去年まで全く一緒に遊ばなかった者同士が今年のお正月は楽しそうに遊んでいる姿を見て、本当に成長を感じると同時に、やはり集団の経験というのは子どもを大きく成長させる大切な環境だと改めて再確認しました。

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この話しを塾長にしたところ

「おそらく社会的参照で、お兄ちゃん夫婦の顔を見ているのかもしれないね」

と言われました。

兄夫婦が私達夫婦をどういう風に接しているのか、じっくり見て、

「この二人はどういう人なのか?」「関わっても大丈夫なのか?」

と娘ちゃんなりに判断したのでしょうね。

どちらにしろ「集団」というのは子どもを大きく成長させてくれる大切な環境ですね。(報告者 山下祐)

世界をかえさせておくれよ そしたら君とイスがしたいんです 完結編!!!

完結編です。

いいと思ったことは即実行。行動こそこの地球に生きる者の原理とでも言わんばかりの速さで、

塾頭が動きます。

「にこにこさん、すごいなぁー。」 何気なく、かつ、さりげないアプローチ!

「あぁー!にこにこさん、すごいなぁー!」
何気なく、かつ、さりげないアプローチ!(笑)

(どれどれ…?)

(どれどれ…?)視線を送る子ども達です。

「今からあの子がやるから見ててごらん。」

「今からあの子がやるから見ててごらん。」

「はい!イスを持ちまして〜!」

「はい!イスを持ちまして〜!」

「お手本ありがとー!」注目されてちょっぴり照れ臭そうな水色の服の子です。

「お手本ありがとー!」注目されてちょっぴり照れ臭そうな水色の服の子です。

そして、イス置き場まで置いていくその過程を子ども達と一緒に見守って下さっていました。

 

さて、いよいよ記念すべきわいらんすい(3・4・5歳児クラス)第一号のイスが置かれる時がやってきました。

おめでとうございまーす!

おめでとうございまーす!

一番最初に置きにきてくれたのは、わいわい組(3歳児クラス)の女の子(桃色の服を着ているので以下桃ちゃん)でした。しかし、そこでもドラマがあり、そのことを塾頭が教えてくれました。

 

「実は桃ちゃん、イスを忘れて、行こうとしたんだけど、その時にすいすい(5歳児クラス)の子が気付いてくれて、〝イス片付けるんだよ〟って教えてあげてたんだ。」

 

「だから、記念すべき最初のイスはすいすいが気付いてくれたイスってこと。」

 

なんだか、感動してしまいます。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2010年3月11日『協働』はこのような文章で締めくくられています。

 

〝フィンランドの子供は、競争で人に勝つといったことに余計なエネルギーを使いません。「3か月前と比べてここは伸びてきた」「ここは持ち味だから頑張ろう」「ここは苦手だけど先生が応援してくれるから頑張ろう」。それぞれが自分の人生を豊かにするために学んでいるのです。(中略)

フィンランドの子どもたちは、失敗しても、その子を責めることはせず、つまずいても失敗しても、それが人間の生きる姿だとおおらかに認めながら、人と人が頭を寄せ合って事を解決していきます。日本では、今、学力レベルは低く、いじめ、不登校も多いなかで根本的な改革が求められています。〟

 

イスを片付けることを忘れたって構わないんです。それは気付いた人がやればいいこと。人間は完璧ではありません。だからこそ手を取り合って、教え合って、学び合うのですね。

 

知っていることを惜しみなく優しく教えてあげられる子ども達の姿に、また、その姿を楽しく温かく見守る職員の姿に、これからの日本の教育の在り方が見えてくるような気がします。

 

そして、

イスがまた一つ。

イスがまた一つ。

「ちょっと待ってな。」

「ちょっと待ってな。」

(よいしょ。よいしょ。)

(よいしょ。よいしょ。)

「片付けてくれて、ありがとう。」

「片付けてくれて、ありがとう。」

ベンチを動かして、子ども達が運びやすいように環境を設定する塾頭の何気ない、さりげない優しさ、かける言葉の温かさに、こうして僕らは魅了されてしまうのです。

 

(環境マイスター:塾頭山下祐 報告者:加藤恭平)

画像を撮る

あけましておめでとうございます。外部塾生の邨橋です。

久しぶりの投稿です。今年も子どもたちとともに学んでいける環境と、保育という道をしっかりと見据えて頑張っていきたいと思います。そして、新宿せいが保育園以外ならではの発信や実践を昨年よりもっと積極的にしていきたいと思います。よろしくお願いします。

 

以前、幼稚園の子どもたちの様子を発表した時につかった動画なのですが、その内容が改めて子どもたちの本来持っている力が見える様子が取れたので、報告したいと思います。

 

これはある男の子が泣いている様子なのですが、登場人物は左のAくんと右のBくんです。この子たちは1歳児で写真は4月頃のおむつ替えの様子です。そのころ、まだまだ、Aくんはおしゃぶりが必要で、それがないと落ち着かなく泣いてしまいます。

 

それを見ていたBくんはAくんの様子を見て、周りにあるものを探します。

 

そして、Aくんが何で泣いているのかを考え、おしゃぶりに気が付きます。そして、それをAくんの口元に持っていきます。1

 

しかし、おしゃぶりのひもが手にひっかかってしまい、せっかくはいったおしゃぶりがとれてしまいます。23

 

Bくんはそのひもを丁寧にとったあと、改めてAくんの口におしゃぶりを持っていきます。4

そのあと、とても満足した顔をして先生に目を向けます。5

 

藤森先生のブログによく出てくる「共感」や「協力」、そして、「共通基盤」など、本来の子供たちのもっている力を改めて感じます。そして、その中で子どもたちが相互作用しながら、コミュニケーションをとっているということがよくわかる様子でした。泣いて知らせる。そしてそれに呼応して、問題を解決しようとするといった様子は決して、受動的な様子ではなく、きわめて能動的に反応しているのがわかります。そして、それに応じて、子どもたち自身が経験の中で学んでいるのがよくわかります。

 

また、この様子を見て、先生がAちゃんの様子を見て、おしゃぶりを口に運ぶことは簡単なのですが、そうしなかったのはこの動画を撮っていたからです。

 

以前、新宿せいが保育園にいったときに藤森先生が

「動画や写真を撮るためには、その子がどういった様子を見せるかを予想することが大切です。そして、そのために発達理解や子どもの様子を理解していなければならない」とおっしゃっていました。

 

新宿せいが保育園の先生方が写真や動画を撮るということはある意味でその行為自体が保育の学びにつながっているのかもしれません。

(投稿者 邨橋智樹)

1歳児の「数」

「数」と聞くと、みなさんはどのような印象を抱くでしょうか?私は、正確性が必要とされ、なんとなく難しいといったイメージがありましたが、それは、「数」に対する刷り込みの影響がほんどであったのだと、このブログを読んで感じました。

「地アタマ」

http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2007/04/post_579.html

また、乳児は、足し算や引き算などをすでに理解しており、宇宙の法則のようなものに反する事象に対して違和感を抱くようであるといった研究結果もでているそうです。

「赤ちゃんの物理学」

http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2015/10/赤ちゃんの物理学.html

このようなブログの内容を読み進めながら、塾長の著書「さんすうのはじまり」を軸に「数」の講座資料をまとめていきました。

この本の中には、子どもの発達過程に沿って日常にある様々な場面を通して、あくまでも具体物を使って「数」という体験をしていくかが重要であると書かれています。また、それを22のステップに分け、「生きた教材」がすぐそばにあることを教えてくれるのです。

これらを踏まえ、1歳児クラスの日常を眺めていると、ある光景に目が止まり、シャッターを切りました。それがこの写真です。

「物の集まりを知る」 「大きさ比べ」

「物の集まりを知る」
「大きさ比べ」

ある1歳児が、同じ色のブロックだけを箱から取り出し、それらをつなげ、「電車」を作っていました。すると、その遊びに興味を示した別の1歳児も、同じように同じ色のブロックをつなげ始めました。すると別の子も…といったように、遊びはつながっていきますが、それだけではありませんでした。あきらからに、他児の電車の長さを意識しているのです。走らせる時も、並走させて長さを比べていました。

 

さんすうのはじまり

さんすうのはじまり

著書「さんすうのはじまり」のステップには、同質の仲間を識別して選び出す『ものの集まりを知る』体験、そして、大小比較を意識する『大きさくらべ』体験という項目がありました。つまり、沢山の色がある中から同じ色のブロックのみを選別していること、また、それらをつなぎ合わせて大きさ比べをしていることから、1歳児であっても「数」の基礎となる学びを体験しているということになります。

逆に言えば、このような体験がその後の「数」の認識をスムーズにさせ、後伸びを生んでいる体験の一つでもあるのだと感じることができました。

(報告者 小松崎高司)

世界をかえさせておくれよ そしたら君とイスがしたいんです

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2010年3月11日『協働』の中でこう書かれています。

 

〝最近、私は人の遺伝子は社会を形成するために様々なものが組み込まれている気がしています。それは、現在、人間が持っている特性を見ても、集団を形成することに適しています。そして、その集団は、競うためにあるのではなく、共生し、協力するために必要だったはずです。(中略)

もう一度、それぞれの役割の中で、協力したり、協働していく社会をつくらないといけない気がします。(中略)

フィンランドでは、子供と親が、子供と教師が、そして子供たち同士が対話し、「ともに学び合う」ことをとても大切にしているそうです。〟

 

〝協働〟。そして〝ともに学び合う〟という感覚に、新宿せいが保育園の職員の心は常に満ちているのだなぁということを改めて感じた出来事があったので、報告させていただきます。

「にこにこ組(2歳児クラス 以下にこにこ)さんはすごいなー。」

「にこにこ(2歳児クラス 以下にこにこ)さんはすごいなー。」

「お!にこにこさんは、本当にすごいなー。」

「お!にこにこさんは、本当にすごいなー。」

 

おもむろに動画を撮り始める塾頭山下先生です。やたらと褒めてくれているなぁとは思ったのですが(笑)次の瞬間、

「よし!にこにこさんから下克上始めよう!!!」

力強い言葉が放たれました!(笑)

にこにこでは、給食後、椅子を自分たちで片付けます。その方がその後の掃除もしやすく、子ども達も何だか楽しいようで、器用に運ぶのです。

以前、『給食の楽しみ その中から育まれていくもの』というタイトルで報告を書きましたが、この椅子を片付けることも子ども達の給食後の楽しみの一つになっています。

昨年10月初旬の写真です。この頃に始めました。

昨年10月初旬の写真です。この頃に始めました。

器用に自分たちで積んでいくものですね。

器用に自分たちで積んでいくものですね。

椅子の数は4個まで。それ以上積むと崩れてしまいます。

子ども達は「いーち、にー、…。」と自分たちで数えながら、また、数えられない子は、気の利く友だちが横から数えてくれたりして、うまいこと4つ重ねて置いていきます。

その成果を塾頭は褒めていてくれたのですね。そして、わいらんすい(3・4・5歳児クラスの総称 以下わらす)の先生のところへ行ってこんなやりとりをしていました。

「にこにこがすごいんですよ!僕ね、正直椅子片付けるの面倒だと思ってたんですよ(笑)」

「にこにこがすごいんですよ!僕ね、正直椅子片付けるの面倒だと思ってたんですよ(笑)」

 

そうなのです!この椅子を片付けるという取り組み。わらすでは、職員がやっていたことだったのです!

僕らにこにこ組の職員も、にこにこのみんなに〝椅子を片付けてもらおう〟と提案しつつも、〝わらすになったらやらないことだしなぁ〜〟と思いながらやっていたことだったので、何だか衝撃でした(笑)考えてみれば、大人がやらずとも、子ども達で出来ることですね。

「なんでもっと早く気付かなかったんだろうね〜!(笑)」「本当すね〜!(笑)」

「なんでもっと早く気付かなかったんだろうね〜!(笑)」「本当すね〜!(笑)」

考え方によっては流れるように過ぎていく毎日の中で、ふと足を止めてみる。塾頭が気付いた発見が、わらすの子ども達にとっても、職員にとっても小さくて大きな変革へと繋がった瞬間を目の当たりにした思いがしました。

そして、この姿こそ、〝協働〟の本質であり、〝ともに学び合う〟こと、そのものの姿であるように思います。

年齢や、立場など関係なく、いいと思ったものをすかさず取り入れていく。それが生活を豊かにし、環境を豊かにしていく秘訣のようにも感じられます。

にこにこ組(2歳児クラス)から始まったことが、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)へと伝わりました。このことを塾頭は下克上と表現されたわけです(笑)

そして、その日から早速〝椅子を片付ける〟ことがわらすにも導入されていきます。

この度の報告、もう少しだけ続きがあります。

次回、完結編です。

(報告者 加藤恭平)