子どもってやっぱり天才だ、と思う瞬間

2歳児クラスでビーズのようなカラフルで小さいものを、白い枠の中にプチプチっとはめていく遊びが流行っています。

こんな玩具です

こんな玩具です

 

4月当初は、この玩具を出しても、容器をシャカシャカと振って遊んだり、床にザーッとこぼしてみたり(笑)本来の遊び方とは違った遊び方でもって子ども達を楽しませていた玩具でしたが、最近は本当に集中して遊べるようになりました。パズルも同様で、そんなところからも子ども達の成長を大いに感じています。

黄色だけをハメています

黄色だけをはめています

一人の子が夢中で同じ色だけをはめていました。すると女の子が混ざってきました。同じ玩具を二人で協力して遊んでいます。

赤だけ集めていました

赤だけ集めていました

そのテーブルの隣です。これもまた同じ色で集めることにしたようです。違う玩具ではありますが、遊びが影響しあっていることを感じさせます。

そこに混ざってきたのがこの子。

混ざってきた時にはもう原型が出来ていました

混ざってきた時にはもう原型が出来ていました

もう既に原型が出来ていますね。この遊びの最初はこの子が青だけでこの玩具の模様をつくっていたことが、事の始まりだったようです。確かに最初の写真をよく見ると、青がほとんどないことがわかります(笑)

よく見たら青が全然ありませんね(笑)

よく見たら青が全然ありませんね(笑)

 

遊びが物理的にも影響し合っているようです。

IMG_2114

そして、青がなくなったので、空いているところに緑を入れていった、という流れです。

 

ここで、クラスの先生からの素晴らしい一言が入ります。

 

「目もやってみたら?」

 

たった8文字の衝撃。この言葉で、この子の創作脳がグルグルグルーッ!と回転したのがわかりました。

「できたよー!」

「できたよー!」

 

見事完成。その名も『おばけ』です。

 

この作品はすごいと思いました。その後数日間そのままにしておいてもどの子も分解しようとしなかったことを思うと、子どもからしても、何か壊してはいけないような、『作品』としての雰囲気が出ていたのかもしれません。

 

また、ここに辿り着くにあたって、子どもの意図を理解し、想像力を掻き立たせ、完成へと導いていったあの声掛け。新宿せいが保育園が誇るベテランの先生によるアプローチですが、この結果(作品)を見ると、やはり洗練されたもの、例えて言うなら洗練された保育観が心に宿っていることを感じざるを得ません。

 

この作品を見ると、子どもってやっぱり天才だと思います。重ねて、藤森先生の言葉が頭をよぎりました。11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されているブログ『臥竜塾』2006年8月24日『かっこよさ』の結びの文章でした。

 

〝どんな天才でも、それを受け止める人がいないと開花しませんね。〟

 

子どもの才能を認める大人がいてこそ、光る才能がある。才能に満ち溢れた子ども達を前にして、僕らは日常、どれだけの才能を認められているのでしょうか。

 

子どもの才能と、それを見守る保育者の姿勢に感動しつつ、日々の自分に対して強い内省の気持ちを沸かせるこの度の出来事でした。

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(報告者 加藤恭平)

「草莽崛起⑥」

急遽、6を書かせて頂いたのは、後日野見山さんからご指導を受けたのです。

奇兵隊を結成した際のエピソードです。高杉晋作が2度目の奇兵隊を結成した際に、一人一人に声をかけて歩いた…と書きましたが、本当は一回目の奇兵隊を結成した時に高杉晋作が民の人達に声をかけて歩き、そして一人一人の長所を見抜き結成したのが最初の奇兵隊です。 そして2回目が功山寺で一人待っているところに志士たちが集まりました。ドラマでは前原一誠、伊藤利助(後の伊藤博文)が志士たちを集い、晋作のもとに集まっていましたね。

その後、幕府との戦いは坂本龍馬によって薩長同盟が結ばれ、強力な戦力を得た長州は幕府との戦いに勝利に終わり、徳川の時代に終止符を打ち、大政奉還へとすすむのです。

既に高杉晋作は結核を患い、闘病生活を送っていましたが、当時の医療では治すこともできず27歳という若さでこの世を去りました。その時に詠んだ句があります。

 

「おもしろき こともなき世を おもしろく」

 

『面白くないこの世の中を面白くしてやる!』という晋作のらしい強い気持ちがこもった句ですね。

しかし色々と調べてみると・・・

 

「おもしろき こともなき世に おもしろく」

 

というパターンもあるそうです。違いが分かりますか??「を」と「に」の違いです。たった一文字ですが、この一文字によってかなりニュアンスが違ってくるのです。

『面白くないこの世の中をどうしたら面白く生きることができるのだろう・・・』という意味です。当時、豪快と思われていた高杉晋作の意外な一面が句から読み取れますね。そして、この句には下の句があります。それは高杉晋作自身が作ったのではなく、長州から逃げた高杉晋作を福岡でかくまった野村望東尼(のむらぼうとうに)が作ったのです。

 

「すみなすものは 心なりけり」

 

「心の持ち方しだいで、面白くもつまらなくもなるものだ」という意味です。いい下の句ですね。確か大河ドラマでも久坂玄瑞が高杉晋作に「お前の人生がつまらんのは、お前がつまらんからじゃ!」と言った言葉を思い出しました。もしかしたら、その時の言葉が高杉晋作の心境を大きく変えたのかもしれませんね。

野見山さんに聞くと、東行庵に記されているのは「を」の方でしたし、個人的にも「を」を使っているそうです。どちらにしても「面白く生きたぞ」という言葉が最後の言霊だったということになります。野見山さん自身も「今回の人生は愉しかった」と言って死にたいというのがあり、毎日は他愛もなく当たり前のように過ぎていきますが、本来の人生は一期一会、悔いのないように自分らしく生き切っていきたいとおっしゃいました。

高杉晋作が詠んだ辞世の句。どちらが本当なのか私には分かりませんし、正直どちらでも素敵な句だと思います。その後の下の句である、自分の心持ちしだいで、面白くも、つまらなくもなる。という意味が胸に染みます。

よく塾長が講演などの最後に言われる言葉

 

「人生の半分は職場にいるのですから、その職場がつまらなかったら人生の半分がつまらないことです。それならば、楽しく保育をした方が絶対にいいですよ!」

 

この言葉を思い出します。それこそ「心の持ち方次第」ですね。

 

ちょうど大河ドラマも明治時代になり私の大の苦手な時代に差し掛かりました。しかし、今は本当に楽しく学べています。これも「臥竜塾」のお陰ですね・・・。

先週の土曜日に久しぶりの「ブラヘイジ」があり、世田谷にある松陰神社に行かれたそうで、松陰が二度入れられた牢獄跡、終焉の地と辞世の句など、松陰ツアーだったそうです。

ちょうど土曜出勤と所用のために参加が出来ずに、塾長から送られてくる写メールを羨ましながら見ていました。(報告者 山下祐)

「学ぶ力 最終章」

とうとう最後の章となりました。そもそも私がこの本を購入したのは今から約3年前で、この本が出版された年です。たまたまテレビを見ている時に橋本先生の特集をしていて、見ていると共感できることが多く、それこそ「見守る保育」じゃないか!と思い、本屋に走り購入したのです。ただ、ここで注意していただきたいのでは、橋本先生の教えを学ぶといよりも、私はなぜこういう考え方になるのだろう?と気になったのです。

今まで読んで下さった方も感じていると思いますが、塾長が普段から言われている言葉や見守る保育の理論と共通部分が多々ありました。さらに橋本先生は高校教師でしたので、見守る保育がいかに幼児教育だけでなく、高校でも成り立つという結論にも注目してみたいと、思ったのです。高校になると授業もかなり難しくなりますし、何よりも大学入試という大きな壁があります。それらをどう乗り越えていくのか、など参考になるのでは?と思いました。

さて、最後の章ですが、ここでは橋本先生の人生について書かれてありました。その中で個人的に面白かったのは 「なりゆきに任せる生き方」 と言うことです。言われるがまま、なるようになる、といったように時の流れに自然に寄り添うということが実に多かったそうです。ただ、自分で決めなければいけない場合は自ら選択し、決断してきたそうですが、おそらく橋本先生の選択が良かったのだと思います。それこそ塾長がよく塾生にも言われますが「優先順位を間違えてはいけない」という事と同じではないでしょうか。

さらに橋本先生は「好きなことを好きなだけやる」これも心構えとして持っていたようです。

おそらく橋本先生は教師という職業を仕事として捉えているのでなく、趣味として捉えていたのではないでしょうか。そのへんも塾長は「私の趣味は仕事です」と講演でも同じ様な事を言われています。私も今は趣味は仕事ですと自信を持って言えます。これは個人的主観になってしまうのですが、私が塾長の助手として出張に行っていたときに

「山下くん、もし『仕事』として出張に来ているならば、来なくていいよ」

その言葉を言われて目が覚めた思い出があります。かと言って出張を趣味として捉えるのも何だかおかしいですよね(笑)助手として行くのは、もちろん塾長をサポートする役割もありますが、何よりも一緒に楽しく、そして学ぼうという意欲が当時の私には足りなかったのかもしれません。それを感じ取った塾長は私にそのような言葉をかけたのだと思います。そこから私も考え方が変わったのを思い出しました。

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今週の塾でこんな話が出ました。少し報告と重なってしまうので深く言いませんが、

「子ども達が大きくなって、何かのときに『あれ?これはどこかで誰かに教わったような・・・』と感じた時に、その『誰か』になりたい。」

すごく深い言葉です。私もこの言葉を聞いたのは講演ではなく、二人で話しをしているときに聞いた気がします。橋本先生も「スローリーディング」の事が記事に取り上げられたとき教え子の一人が橋本先生に手紙を書いたそうです。その生徒とは卒業してから40年ぶりのやり取りだったそうで、それを受け取った橋本先生は「教え子の心に残っているということは、最高の喜びであり、教師冥利です」と書いています。若干、塾長と状況は違いますが、これぞ学びだと私は思います。

塾長と出会ってからまだ10年も経過していませんが、それでもたくさんの事を学びました。色々な状況なときに、こんなときに塾長はこういうことを言っていたな、こういう考え方をしていたな、と感じ取れるようになりました。また自然と行動に出ていることも時々あります。

確か、このホームページを始めた時に私が本当の学びは師の考え方を学ぶと書いた記憶があります。塾長の教えを頭で覚えるのでなく、体全体で感じ取り、そして習慣として身につけ、それこそ塾長の言葉行動、考え方が自然と言葉や行動して表れることが本当の学びだと思います。

それが塾長の冥利なのかもしれません。

最後になりますが、塾長と橋本先生は同じ教育者として言動が似ている事がありブログに紹介しましたが、一番の共通項は

 

「自分の活躍ではなく、教え子の活躍を何よりも喜ぶ」

 

これだと思いました(報告者 山下祐)

役割交代と協力

以前「逆向きのエプロン」という題で、子ども同士の関わりにおける「能動と受動の役割交代」について報告させて頂きました。その中に、エプロンを付けてもらっている1歳児の男児がいました。今回は、その男児が、他児の助けを感じ取って自ら手助けしている場面があったので、報告したいと思います。

1歳児の子どもたちは、食事をした後に、自分が使用したエプロンとタオルを汚れ物袋に入れます。しかし、フックにかけられた袋の片方の取っ手のみを外し、片手で汚れ物を持ってその袋に入れるという行程が難しいようで、汚れ物袋を丸ごと職員のもとに持ってきて「やって!」と、職員が袋を持って口を広げ、子どもが汚れ物を入れることもあれば、コツをつかんで全ての行程を自分でこなす子どももいます。

男児は、その行程が出来ずに悪戦苦闘し、周囲を見回している1人の女児を見つけました。その様子を見て、“目の前の人は物を入れようとしている”、“助けを必要としている”などと、他者の気持ちを察したのだと思います。男児は、自らその子のビニール袋を持ち、女児の手助けをし始めました。大人の役割を子どもが交代し、そして、その子どもにしてもらった子どもが別の子どもの助けとなる、そのような一連の流れが見れた気がします。「能動と受動の役割交代」が、人類の存続に関連している「協力」という戦略とつながっているのではとも思える姿でした。

持ってあげるよ

持ってあげるよ

そのような子どもの同士の関係のなかで、社会を形成していく基礎を培っている子どもたちに、私たちは今後どのような対応をすればいいのかと考えた時、その男児が協力できる場面を伝えたり、それに気が付く機会が増えていくような環境を整えていくことなのかなと思いました。例えば、職員に「やって!」と汚れ袋を持ってきた子どもに、「◯◯君ができるからお願いしてみたら?」という声かけをしたり、その男児の汚れ物袋かけの周辺に、まだ1人で入れることができない子どもを配置し直すとか、袋に入れようとしている他児が見える場所に男児の食事する椅子を配置するなどでしょうか。そのような環境設定をして、子どもたちの動向を観察するのは、きっと楽しいでしょうね。予想とはまた違った子どもの動きなんかも見られて、その度に次の環境を考える、そういった過程が保育の醍醐味でもあると感じています。

また、ビニール袋を持ってもらった女児は、いったい何を思うでしょうか。いつもは先生にやってもらうことを、自分と同じような他児がしてくることで、これまでにない新たな刺激を感じたのは間違いないと思います。そのような刺激が、その子の発達のための大切な経験であると思いますし、対人関係・社会性の基礎を培うだけでなく、「協力」行為の輪を広げ、それらを加速させていくものでもあるのかなとも感じました。

(報告者 小松崎高司)

夏の野菜?果物?藤森先生も好きなあの食べ物といったら!完結編

夏が過ぎ、スイカの季節が終わろうとしていることを園庭のスイカが教えてくれました。

今年は、スイカにとても活躍してもらいました。最後に、子ども達の忘れられない笑顔をスイカが作ってくれたことを写真と共に報告させていただきます。

プール納めも近づく8月下旬のことです。

プール納めも近づく8月下旬のことです。

皆で園庭に集まりました。期待に膨んだ表情をしています。

「ではこれから切りまーす」

「ではこれから切りまーす」

「せーの!」

「せーの!」

パッカーン!「やったー!」

パッカーン!「やったー!」

きれいに色づいています。

きれいに色づいています。

どんな匂いがする?「スイカの匂いがするね」

どんな匂いがする?「スイカの匂いがするね」

さて、切っていきます。

さて、切っていきます。

皆で食べられるように、

皆で食べられるように、

「やったー!」切る度に(笑)沸く歓声です。

「やったー!」切る度に(笑)沸く歓声です。

さて、実食!

さて、実食!

「ちょっと座って待っててね」

「皆に配るからちょっと座って待っててね」

「次に何か楽しいことがある!」という期待感が、子どもの「待とう!」と思う気持ちを育みます。

毎日、給食前、おやつ前に皆で「いただきます!」をする為に、お喋りしたりしながらを待つ経験を重ねています。

このような積み重ねが、子ども達に〝待つ〟ことの意欲を持たせ、また、このような機会でその積み重ねてきたことの成果を見せてくれるのだなぁと感じたりしました。

皆に配っていきました

皆に配っていきました

それでは「すいかんぱーい!」ナイスセンス!

それでは「スイカんぱーい!」ナイスセンス!

「すいかんぱーい!」

「スイカんぱーい!」

「すいかんぱいしよ」「てへへ」

「スイカんぱいしよ」「てへへ」

 

皆で美味しくいただきました。

さて恒例の塗り絵タイム。スイカの塗り絵に人気が集まります。

夢中になって塗っていました。

夢中になって塗っていました。

すると、テーブルの反対側で「これ◯◯ちゃんのだよ!」と声が。

隠すように押さえています。

何やら隠すように押さえています。

ちょっと見せて、と声をかけると手をどけて見せてくれました。

すいかの〝す〟

すいかの〝す〟

確かにその子の名前の中には〝す〟が入っています。子どもの発見の面白さに小さな感動を覚えると同時に、意図せぬところで、繋がりが生まれていることを教えてくれる子ども達に、感謝の気持ちが湧いてきます。多岐にわたって子ども達の環境をデザインしてくれる西村先生、山下先生が中心となって植えてくれたスイカが、このような発展を生み、また、子ども達に、夏ならではの喜びを文字通り味合わせてくれました。多くの人の関わりの中で、子ども達が育まれていることを改めて感じさせてくれた取り組みでした。

これで、今年のスイカ報告は以上です。最後に絵本係として、スイカを題材にこのようなボードをつくったので紹介させてください。

また来年のスイカの季節が楽しみです。

『すいかのたね』『なつのおとずれ』を紹介しました

『すいかのたね』『なつのおとずれ』を紹介しました

 

(報告者 加藤恭平)

 

ピーマンクッキングのその後

以前に園の畑で採れたピーマンを子どもたちと一緒にクッキングをしたことで、保護者の方も家では全く食べないと言っていた「ピーマンのきんぴら」をよく食べていた。という事をお伝えしました。

最近、その子たちが「給食でピーマン出ないの?」と聞いてきました。クッキングをしたことを覚えてくれていた事を喜びつつ

出ないわけではないのですが、たまたまあまり入っていなかったせいか聞かれました。試しに「だってみんなあまりピーマン好きじゃないでしょ?」と聞いてみました。そしてら、「みんなでクッキングしたときのピーマンが美味しかったから食べられるもん!」と言った後に「でも家のはあまり好きじゃないんだ」と言っていました。その違いは何なのかその子に聞いてみたかったのですが、すぐにどっかに行ってしまったのと、ちょうど誰かに呼ばれたこともあて理由が聞けませんでした。

次回、給食でピーマンが出た際にはその子たちのところに行ってその理由を聞いてみたいと思います。

 

話は少し変わりますが、大河ドラマ「花燃ゆ」の中でも、野菜嫌いの幼児(お世継ぎ様)に対して、その世話役が嫌いな野菜を食べられるようにするにはどうするかと考えたところ、その時代にはとんでもない方法で野菜嫌いを克服していました。それが、新宿せいが保育園の食育三本柱の一つである「栽培」です。

お世継ぎ様なので、ゆくゆくは殿様になるお方に畑仕事をさせてしまいます。先ず、庭を耕し畑にした後、種まきをして水やりなどすることで、成長していく姿が楽しみになっていきます。そして、育った野菜を収穫し調理を頼みます。出てきた料理に以前までは全く見向きもしなかった野菜をそこで初めて食べることができるようになりました。

 

ドラマの中なので、実際にそのような事をしたのかはわかりませんが、食に対する子どもの興味は「栽培」「調理」「共食」の三本柱にあり、また、五感を使うことでその興味が一層増していくのではないかなと感じました。(報告者 柿崎)

見習うこと

この話は同じクラスの先生の体験談であり、あるSNSをコピーさせてもらっています。
そして本人から載せていいか確認を取って載せています。笑
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昨日の出来事、
うちの保育園は異年齢で保育してて、朝の会は345歳児の子どもたちがグループごとにテーブルに集まってやるんですが、ある3歳児の子が黄色グループなのですが真ん中の席がよくて青グループに座りたいと座っていました。ちょうどイスが余ってて、他の子どもたちもその子の普段からの姿をみてるので気にしてない様子。私もまたやってるなぁwと思いながらまっいっかと笑
でも会の終盤になり。。ある3歳児の女の子が座ってる席に遅れてきた違う4歳児の男の子が登場!みんなの気にしてなかった雰囲気が一転!!
座るところが無いとベソをかく4歳児の男の子に、周りお友だちも3歳児の女の子にどいてあげなと声を掛けました。4歳児の男の子も違うグループの3歳児の女の子に気付いて声を掛けました。でも3歳児の女の子は「でもさ、さっき空いてた。あっち座れば。。」と全く譲らず!!がんこチャーン!!笑
紙芝居を読もうとしてた私は、こりゃ始まったなーと思いましたwでも、周りの子が紙芝居そっちのけで、「じゃあこっち座る?」といすを出してくれたり。。
どーしたらいいかなぁーと言う私をよそに、子どもたちは声を掛けてくれました。でも、どーしても3歳児の女の子は動かない!!!
これは。。なんかいいチャンス!?と思った私は、みんなに「どーしてもどーしてもそこに座りたい○○ちゃん(3歳児の女の子)みたいだねー。。みんなならなんて声かける?ちょっと私にはわかんないなー。。私たちはどーしたらいんだろぉ??困ったなぁー」と投げかけてみました。
すると、5歳児の女の子が。。
「どうしてもそこがいいの??
○○ちゃん(3歳児の女の子)がどうしてもそこがいいなら、黄色グループと青グループの他の子が反対に座って変わってあげたら??」

なんとっ!!!?がんこちゃんのために周りの子が全員座るところをかえるの?!!!えー!!!!∑(゚Д゚)

と、思ってる大人たちをよそに、子どもたちは「それいいじゃんっ!!」とさっさとガタガタ座るところを変わり始めました(O_O)
話が理解しきれていない小さい子の手をひいて、4.5歳児の子はどんどん互いの席に移っていきます。なかには、やだなぁーと言う3歳児の女の子もいましたが、雰囲気をみて、「きょうは仕方ないな」と渋々変わっていきました。
当のRちゃんはちょっと気まずそうにしながらも変わらずその席に座り、同じグループの子がきてくれるとちょっと照れくさそうに笑いながらそっぽをむいてました。

「みんなってすごーいっ!!!」
「○○ちゃん(3歳児の女の子)の気持ちみんながわかって優しくしてくれて良かったね。優しくしてもらったこと、忘れないでね!」

私がしたのはそぉやって声を掛けただけ。

子どもたちってほんと柔軟っ!!何が正しくて間違っててとかじゃなくて、相手の気持ちを大事にしたいなって思ってくれたんだなって思いました。まぁ時には大人以上にシビアで厳しくて、それがまたいい影響を与え合う場面もたくさんあるんだけれど。

ちょっとした5分くらいの出来事だったけど、子どもたちに教えてもらいました。
そして、読むはずだった紙芝居は読めずwしょーがないねっと笑い、みんなで2ページだけみておしまいにしました!!

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とここまでがそのお話でした。
この先生のこれはチャンス!?と思えるセンスが素晴らしいと私は思います。
先生がそこで止めて仲裁に入ることでこの関わりはなくなってしまいます。問題を解決する頭の働きがここでフル回転することで様々な問題に打ち当たった時に解決できるのでしょう。その積み重ねでこの相手を思いやる気持ちと問題の解決に至ったのではないかと思っています。
 そして途中から現れた5歳児の女の子の対人知性にも驚かされます。塾長のブログの「対人知性」には、対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」とあります。
まさに5歳児の女の子は3歳児の女の子の気分、気質、動機、欲求を選別しそれに適切な対応をしたのではないかと私は思います。さらに3歳児の女の子の性格をも理解した上で席を交換する選択だったのではないかとも思えます。
私がいいなと思うのはその状況を他のみんなも見ているということです。一人の女の子と一人の男の子の為に繰り広げられた展開をみんなが見ることで共感を得られたり、それは違うのでは?とそれぞれ思うことがあると思います。その考える機会を全体に持たせられる道徳のようなものが実際に目の前で行われていることがより生きるために必要なことではないでしょうか。
私自身がその場にいたらどうしていたのかは不安ですが、このような状況でもしっかりと核心を持てるような先を見通す力があるこの先生はすごいと思います。支援するコーチとしての役割をここでしっかりとしている先生を見習っていこうと思います。
(報告者 本多悠里)

なぜ相手は手を払いのけたのだろうか

先日、1歳児2人が隣同士で座りながらままごと遊びをしていました。お互い、隣にいることは知っているという感じでしたが、干渉せずに遊んでいました。すると、その1人であるA(24ヶ月児)に対して、B(19ヶ月児)が、持っていたお椀を「どうぞ」といった感じに渡そうとしました。Aは「いらないよ」といった感じに、手で払いのけました。

どうぞ

どうぞ

いらない…

いらない…

しかし、そのきっかけによって、Aは相手の遊びに興味を持ち始めたように、Bがコップを手に持って飲む真似をしている姿を見ると、Aもそれを真似していました。また、Bが飲む真似をした後、コップの中に入れていたチェーンリングを咥えてみると、Aもそれを真似してチューンリングを咥えてみせます。すると、互いに顔を見て、笑い合っています。

見てる

何してるんだろう…

あ、面白そう…

あ、面白そう…

やってみたいな…

やってみようっと…あ、笑ってる

その時、この子どもたちは、その瞬間からではなく、しばらく前から、互いの遊びに関心を持ち、コップの中にチェーンリングを入れていたことに気がつきました。その後、そのような行程を繰り返し、非言語コミュニケーションのもと、互いの動きを見合って自分の行動を変えていました。

初め、手を払いのけられたBは、それ以上はせずに、ただ隣にいて自分の見立て遊びを展開していました。その時、なぜ相手は手を払いのけたのだろうか、あの子は何がしたいのだろうかと思っていたのかもしれません。しかし、Aが自分の遊びに興味を持ち始めたと感じると、その遊びを一緒に共有しようと寄り添います。この遊びがしたかったのかな、これは楽しそうにしているななどと思っていたかもしれません。そこから、他者に対する『協調性』が感じられました。まさに、他者の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適応しようとしている過程のようにも感じました。

その後、面白い出来事が起こります。

AとBが2人で笑い合っていると、近くで0歳児の泣き声が聞こえてきました。すると、笑っていたAの表情は一変し、その泣き声がする先を見つめるのです。その様子を察したBも笑うのをやめて、Aが見つめた先を見ていました。

誰かが泣いてる…

誰かが泣いてる…

他者との協調を可能にするためには、まず相手の存在に気づき、相手が見ているものを一緒に共有したり、共視することが大切だと感じました。他者の行動の意味を察し、結果的に1歳児の2人が、泣いている0歳児に反応したように、近くに“他者に気がつく素材”(この場合は0歳児の泣き声)があること、また、当たり前ですが、自分と同じ部分に他者が反応を示しているという行為が「共感」を生むのだと、今回の事例で再確認出来ました。

裏話をすると、このエピソードは私が見たものではありません。0歳児クラスのある先生が「面白い動画撮れたから、(データ)送るね〜。」と、子どもの姿を共有してくれたおかげで、この報告が書けています。最近の塾長のブログ「レッジョと見守る保育」の中には、『子どもの好奇心や探究心とつきあうためには、まず保育者が好奇心探求心を持たないといけないのです。優れた学習者としてのモデルを示さないと行けないのです。次々に子どもに課題を与えることではなく、多くの情報を与えるのではなく、「子どもが探究している間、保育者は注意深く観察し、近くで耳を傾ける」ことがまず大切になります。』と書かれていました。この先生の行為は、まさに子どもの行為に遠くから寄り添った姿であり、私がそのようなエピソードを欲している事を知っているために、共有・協調しようとしてくれた姿でもあり、そして、「学習者としてのモデル」であるようにも感じました。

子どもの「対人知性」のモデルは、身近にいる大人同士の「対人知性」であると思います。そのような関係を自然に構築し、察してくれる環境に強く感謝しました。

(報告者 小松崎高司)

自分のDNA気質を知れば人生が科学的に変わる③

個としての「自分」を確立する事が今の私には必要なことが、この本と塾長の書かれている臥竜塾ブログから知ることができましたが、チェックリストの結果から新たに問題があることがわかりました。

数ある項目で異常値を出してしまった私ですが、中でも「自己抑制度」が基準値の5倍という結果に…

自己抑制度とはその言葉通り、自分を抑制してしまっていることです。

当たり前なのかもしれませんが、この点に関しては全く自覚していません。

今まで自分を抑制してきたつもりはないので、生き辛ささえ感じたことはありません。

それなのになぜこのような結果が出たのでしょうか。

前回の結果を考慮しつつ、自分なりに考えてみました。

そもそもに各集団に応じて様々な自分(偽りの自分)を作り出すことが私の特性であり、これをマイナスのことと捉えていることが原因なのかもしれないと思い始めました。

そして偽っていると思っていた自分も本当の自分なのかもしれないとさえ思い始めています。

そう考えていると、この結果を前にしても気持ちが楽になる思いです。

私に本当に足りないことは、自分を認める事なのかもしれません。

新宿せいがに勤めさせていただいてから、ある1人の職員の方に「若は誰とでも隔たりなく同じように接することができるのが良いところであり、すごいと思うよ。」と言っていただけたことがあります。

これは偽りと思っていた自分を今まで多く作り出し、多種多様な人間関係を今まで多く成立させてきたことが要因の1つかもしれません。

この本には「人間の生き方は3つの要素によって決定している」と書かれています。

1.自分のDNA気質を知れば人生が科学的に変わる①で紹介させていただいたDNA気質

2.その本来のDNA気質の発現を妨げるトラウマ情報

3.現在暮らしている環境

そしてこれら3つの要素がうまく調和しているときには、その人は幸福な人生を歩んでいると言っていいとあります。

そもそも様々にあるDNA気質に優劣などなく、それらの組み合わせを十分に活かせて、トラウマを払拭できるような「環境」に身を置けているかが重要である気がしました。

しかし、そんな簡単な話ではないらしく、自分に満足してないほとんどの人が2にあるトラウマ情報に足を引っ張られて、本来のDNA気質を活かしきれていない現状があると指摘しています。

その結果、人間関係をはじめとする様々なトラブルに見舞われてしまったり、やっかいな病気を患ったりするとも…

そこでトラウマ情報を払拭するための「SAT療法」と呼ばれるその人の人生を幸福な方向に導くセラピー手法が紹介されていました。

その「SAT療法」に関しては次回報告させていただけたらと思います。

(報告者 若林邦彦)

「学ぶ力④」

こうして「学ぶ」ことについて書いていると、なんだか不思議な感覚になります。と言うのも、小学校から高校、そして大学まで勉強というものをそこまで真剣に取り組んだことがないので、おそらく当時の私を知っている人からすると「えっ!?あいつが!?」となるでしょうね。それこそ自分の力ではなく、藤森平司という人物に出会ったことで、私の力を引き出してくれたんだと思います。本当に感謝しています。

 

そんな「学ぶ力」も終盤になってきました。塾長はよく「私は勉強が嫌いです」と言われます。おそらくほとんどの人は信じないでしょうね。テレビはニュースしか見ない、いつも本を読んで勉強している、という印象でしょうか。そんなことはありません。私が助手で行っていた頃、テレビは一緒にバラエティを見ますし、時には二人で温泉卓球やカラオケをしてみたり(笑)そして講演の合間には外に出歩き散歩に出かけてみたり、かなりアクティブです。ですが、その時その瞬間に様々な学びがあるのです。よく最初の頃に塾長に言われたのは

「学ぼう!という意欲が無くなった瞬間に、成長は止まってしまう」

最初の頃、正直あまり実感が沸かず、とにかく必死でしたが、今になってやっと理解できたように思います。おそらく頭の中で理性を持って「学びたい」という気持ちと、理性ではなく言ってしまえば本能で「学びたい!」という気持ちとでは雲底の差だと思います。橋本先生は言葉は違いますが

「学びがあって成長し、成長したらまた新たに学びの場と出会う」

すごくこの言葉の意図は理解できます。しかし、学ぶ中で自分にとって苦手分野があると思います。私も苦手分野があります。チーム保育ではお互いの得意分野を活かし、お互いに補い合うことが大切ですが、時には苦手な事をやらなければいけない時があると思います。そんな時には思い切ってやってみるといいと橋本先生は言われています。と言うのも苦手と思っているのは頭の中で自分で描いてしまったり、あとは過去に失敗してトラウマになってしまったり、苦手分野がある人は様々だと思います。その時に少し客観的に捉えどの部分が苦手なんだろう?と苦手と付き合ってみると案外、そうでもないかもしれません。私は人前で話す事は基本的に苦手です。と言うのも実はかなりの人見知りである私は人前で話すこと、そして知らない人たちの中にいることが本当に苦手でした。しかし塾長との出張で、苦手から得意になってきたように思います。それは何度も場数をこなしたからかもしれません。色々な場所で塾長から話しをする機会をいただき、最初の頃は緊張で何を言っているのか分からない時や、変な事を言ってしまい大失敗してしまったり・・・しかし何度もやっていくうちに自然と自分の形ができてきて、いつしか不安から自信につながるようになりました。もちろん今でも反省点は多いですが・・・。あとは塾長のブログ臥竜塾のコメントもそうですね。時々、自分の最初のコメントを思い出して検索してみるのでが、あまりにも幼稚な文章に笑ってしまうくらいです(笑)ですが、今もずっと続けることで当時より、ましな文章を書く事ができるようになったと思います。「継続は力なり」ということわざは間違っていませんね。

 

さて話がガラッと変わりますが、「ゆとり教育」についても書かれています。そもそも橋本先生は「ゆとり教育」に関してはよく分からないと言っています、その理由として、それらの状況に詳しくないというのと、先生や学校が何をやりたいのかいまいち理解できないとのことです。平成23年4月から小学5、6年から英語が必修になりました。それに対して、やはり国語にもっと力を入れるべきだと言うのです。小学校から英語を教えたところで、どれだけ使いこなせるかはなはだ疑問と言います。確かにそうですね。塾長も保護者講演で言われることは

「いくら小さい時に英語を教えたところで、人とコミュニケーションができなければ意味がない」

と言われています。またこんな例をよく話されます。

「妻と街中を歩いている時に外国人の集団に道を聞かれて話しかけられてしまいました。妻は英語を話せるので任せていたら、一言も話せなかったのです・・・。なぜかというと妻は道を知らなかったからです。結局、私が道を教えました。」

また塾長がドイツ研修から戻ってきて職員室で話している時に職員から英語が話せたら、相手と直接話せるのにと言われて塾長は

「じゃあ先生、今から研究者が集まる会議に出て議論をしてみたら?日本語だよ?」

塾長はいくら英語を話せても、話す内容がなければ英語が話せても何の意味もないということです。また英語が話せなくても通訳をつければいいし、今はスマホで簡単に通訳が可能です。それよりも乳幼児期にしか身につくことが出来ない、興味、関心、好奇心、探究心など「知りたい」という意欲を身につけることが大切とよく言われます。

「ゆとり教育」の政策として今でも覚えているのは円周率の数字が簡略化されたり、授業時間を減らすなど極力、子どもに負担をかけないようにしたつもりですが、橋本先生からすると教師も生徒も怠けていただけで「ゆとり」ではなく「怠け教育」と言っています。さらに面白い発想というか、時には「詰め込み教育」が必要と言っています。ここでいう詰め込みというのは受験のための詰め込みではなく、色々な事に興味を持ち、それについて勉強し、本を読んだり、時には辛い時もあるかもしれませんが、それでも書いたり、本を読む、こういう積み重ねが後に「心のゆとり」となり必ず我が身に返ってくるというのです。その時に必要以上に勉強したことがゆとりにつながる、それが本当の意味での「ゆとり教育」であると言われています。何となくこれは分かる気がします。私も塾長のブログのコメントを入れ続けて約9年になります。特に最近の内容は難しくてコメントを書くのにも一苦労です(笑)ですがずっと続けていることで、内容がとても難しくてコメントが全く思いつかなくても、なぜか「心にゆとり」があるのです。

また橋本先生が何度も言われている「横道にそれる」これも「ゆとり」に繋がると思います。ある意味保育という仕事は横道にそれやすい仕事だと思います。よく塾長が「保育という仕事は自分の趣味や特技を十分に発揮できる職業である」と。保育室の装飾を考える時も、何も保育雑誌を見なくても、おしゃれな喫茶店に行けばとても参考になりますし、モダンな居酒屋なんかに行っても参考になります。また旅行先のホテルや温泉旅館でもちょっとしたインテリアや装飾もそのまま保育に活かすことができます。塾長が休みの日に行う「ブラヘイジ」も立派な横道です。一見ただの東京の下町散歩のように見えますが、実は保育のヒントがたくさん隠されていますし、歴史の勉強にもなるので自然と教養がつき、それが力となります。

橋本先生は横道というのは「考えるきっかけ」のことと言われています。日常生活のありとあらゆるところに張り巡らされています。それに気づくかどうかということです。

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保育に例えるならば塾長が講演でよく言われる「子どもに共感すること」子どもは本当に色々な事に興味を持ちます。それに対して保育士も一緒になって不思議がり、調べたり、考えたり、それが大切であり、方法は違いますが「スローリーディング」になると思います。(報告者 山下祐)