「いい玩具っていうのは…」

「いい玩具っていうのは、遊び方が決まってないものだよね。」

 

これは、近所にある玩具屋さんのご主人の言葉です。その方と仲良くなったのは、先々月、コマの紐を買いに行った際、隣にあったベーゴマのロゴ(文字)の意味について教えてもらったのがきっかけでした。

W:早稲田 K:慶応 R:立教 T:東京 H:法政 M:明治 等の六大学ロゴ 他にはプロレスラーや野球選手等、子どもたちにとってのヒーローが用いられていた。

W:早稲田 K:慶応 R:立教 T:東京 H:法政 M:明治 等の六大学ロゴ
他にはプロレスラーや野球選手等、子どもたちにとってのヒーロー名が用いられていた。

その方は、今の玩具の流行だけでなく、1960年代に流行したスーパーボールやスリンスキー、1970年代に流行したアメリカンクラッカーなど、昔からの玩具にも詳しく、店頭にあるものを使って説明してくれました。私も、アメリカンクラッカーの使い方を知らなかったので教えてもらうと、それにハマってしまい、購入して園に持っていきました。子どもよりも、大人がハマっていましたが…(笑)。

アメリカンクラッカー

アメリカンクラッカー

ご主人の様々な話を聞いていると、大学時代の「玩具文化論」という授業を思い出しました。ご主人の姿は、教授が玩具の歴史を話している姿のようでした。それも、入店時の無口な姿からは想像できないくらい饒舌に、且つ、非常にイキイキと語っていました。大学で「玩具文化論」を教わっているみたいで楽しかったです。そして、話も終盤になった頃、冒頭にあった「結局、いい玩具っていうのは、遊び方が決まってないものだよね。」とおっしゃっていたのです。初めから“この玩具はこうやって遊ぶもの”というように、遊び方が決まっているものよりも、“これはどうやって遊べばいいのだろうか”など、使う本人によって柔軟に遊び方が変わっていく玩具が「いい玩具」である、ということだと思います。しかし、近年ではそういった玩具も次第にニーズが減っているともおっしゃっていました。

 

ある日、家具の穴から芋虫のようなものがニョキっと出てきて、下にポトンッと落ちました。案の定、私の面白センサーが反応したので、しばらく様子を見てみることにしました。

あれ…何か出てきた。

あれ…何か出てきた。

使い方

使い方

これは、両側が磁石になっていて、複数個をくっ付けて造形していくという玩具なのですが、ある1歳児が、家具のフックを付ける用の小さな穴部分から、その玩具を入れ落として「型落とし」のように遊んでいたのです。その遊び専用に作られた玩具でも家具でもないのに、見事なまでに「型落とし」にはちょうどよい大きさだったのです。

こんな形。

こんな形の物が…

ちょうど入る。

ちょうど入る。

玩具が落ちる「カタンッ…カタンッ…」という音につられてか、しばらくすると、そこに0歳児もやってきました。1歳児が遊んでいる様子を見ていたのですね。0歳児も、自分もやってみようと挑戦して、見事型に入れ落とし「カタンッ」と音をならしていました。よほど楽しかったのか、何度も繰り返し遊んでいました。

見ている。

見ている。

やってみよう。

やってみよう。

ここで、その玩具は基本的には玩具同士をくっ付け合わせるという遊び方が決まっているのに、子どもの好奇心や探究心によって、その遊び方の壁を越えていることに気がつきました。子どもは、このように自ら様々なところに興味を持って、試してみて、面白い遊びを自発的に探しているのだとも感じました。

玩具の使い方は子どもが決めるものであって、大人によってその範囲を狭めてしまっている現状があり、与えられた遊び方をしているだけでは大切な創造力は育たなくなってしまうと、玩具屋さんのご主人は懸念しています。そのため、その玩具屋さんには基本的に遊び方が決まっている物は入荷しないようにしているともおっしゃっていましたが、自分の思いと社会のニーズ、それらを天秤にかけた経営も一筋縄ではいかないようです。

 

(報告者 小松崎高司)

 

ゆっくりと距離を縮めていく子 いきなり玩具をとるような形で関わりを生み出そうとする子

先日、対人知性についての報告をさせていただきました。

今回もそれに少し関連した出来事があったので報告させていただきます。

スポットを当てるようになると、今までなら受け流していたことも、関連性を帯びたものとして捉えられるような感覚になるから不思議です。

遊んでいる様子を見つめていました

遊んでいる様子を見つめていました

写真右の子がテーブルいっぱいにおままごとを広げていることがことの発端でした。緑の服を着た子が見つめています。その遊びに加わりたいようですが、きっかけを見つけているのか、中々声をかけられずにいます。

入りたいけど入れないような、「いーれーて」「一緒にあーそーぼ」と言いたいけど言えないような、そんな表情ですね

入りたいけど入れないような、「いーれーて」「一緒にあーそーぼ」と言いたいけど言えないような、そんな表情ですね

 

これも一つの対人知性と捉えます。アメリカの心理学者ハワード・ガードナーは、

  • 対人知性とは、他人を理解する能力をいう。この人の動機は何か、あの人はどう動くだろうか、皆と協調して動くにはどうすればいいのか、といったことを理解する能力だ。
  • 対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」である

と、対人知性を説いています。言い出せない子に勇気が足りない、と一側面的にはそう見てとることもできるようにも感じますが、〝遊んでいる子の気分を察して言い出さずにいる〟という、大人で言う〝空気を読んでいる〟行為ともとれるように感じています。それらが生む葛藤をしっかりと心の中で感じながら、それが表出されたような表情が写真には現れているように感じるのですが、いかかがでしょうか。

 

ここで、先日報告させていただいたブログ(泣いていた子のそばに来た子ども達が面白いことをして笑わせた、というような内容の報告です)から、藤森先生がこんなことを仰っていたと本多先生から伺いました。要約した内容を書きます。

 

「泣いている子をただ単に保育者が受け止めてしまえば、そこにその子を笑わせようとする子どもは現れなかったかもしれない。保育者が見守ることによって子ども達同士の関わりが生まれ、その子達の対人知性を伸ばすきっかけが生まれた、とも考えられる。もし、そこで生まれた関わりが見守ることの難しいものだった場合には、例えば軌道修正してあげたり、援助してあげたりすること。それこそが保育者の役割ではないか。」

 

藤森先生が僕の報告を話題にして下さったことの嬉しさと同時に、そのことを僕に教えてくれた本多先生に感謝の気持ちでいっぱいになります。

 

〝軌道修正〟

 

〝援助〟

 

その言葉に触発され、ありきたりながら、この子ども同士の関わりの中に、ちょっと顔を出そうと考えました。

緑の服の子にペットボトルを渡してみました。

緑の服の子にペットボトルを渡してみました。

 

すると、面白いものです。「いーれーて」の言葉なしに、その子は遊びの中に入ることができました。緑の服の子も嬉しそうです。

「ジュース入れてあげるね」

「ジュース入れてあげるね」

嬉しそうに飲む緑の服の子です

嬉しそうに飲む緑の服の子です

すると、ここでちょっとした問題が発生します。

忍び寄る影…(笑)

忍び寄る影…(笑)

写真右側の男の子が、勝手にそこにあったバナナをとってしまいます。

IMG_1889

バナナの玩具を取られたことに気づいて泣く女の子。「泣くとは思ってなかった…」というような表情でしょうか。

バナナの玩具を取られたことに気づいて泣く女の子。「泣くとは思ってなかった…」というような表情でしょうか。

 

すぐに元にあった場所へ戻していました。その子もどうやら遊びの中に入りたいようです。緑の服の子がどう入れてもらおうか迷っていたこととは大違いな大胆な入り方ですね(笑)

なので、ちょっと落ち着いたところで、その子にもコップを渡してみました。

 

コップを持って近付いていきました。

コップを持って近付いていきました。

すると、

やかんの中の飲み物を入れてくれました。

やかんの中の飲み物を入れてくれました。

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あそびに入れてもらえた満足感からか、自分であそびを発展させていました。

 

ここで、ちょっと見守ってみることに。この後、また一人加わるのですが、その子は遊んでいる様子を見た後、どこか別の遊びに向かっていきました。

楽しそうに遊んでいますね

関わりながら楽しそうに遊んでいます

さて、数分後。

緑の服の子は満足したようです。他の遊びに移っていました。

緑の服の子は満足したようです。他の遊びに移っていました。

自分だけの世界での見立て遊びへと発展をしていました

自分だけの世界での見立て遊びへと発展をしていました

 

もしかしたら子ども達の関わろうとする思いだけでは進展し得なかったことも、一緒に遊べたり、遊びを発展していくきっかけになったりとすることが、大人の援助によって、可能になることを実感しました。

 

また、関わろうとする力、つまり対人知性にもそれぞれが育くんできた感覚というものがあるのか、ゆっくりと距離を縮めていく子もいれば、いきなり玩具をとるような形で関わりを生み出そうとする子もいるようです。どちらがいい悪いということではなく、それぞれが子ども個人の持ちうる最高の能力でもって関わっているということを大人が理解して、援助をしようとすることが大切と言えるのかもしれません。

 

「保育者が見守ることによって子ども達同士の関わりが生まれ、その子達の対人知性を伸ばすきっかけが生まれた、とも考えられる。もし、そこで生まれた関わりが見守ることの難しいものだった場合には、例えば軌道修正してあげたり、援助してあげたりすること。それこそが保育者の役割ではないか。」

 

時に自分に問いかけながら、保育者としての役割を、これからも担っていきたいと思いました。

 

(報告者 加藤恭平)

「学ぶ力①」

皆さん、灘高校はご存知ですか?高校生クイズをよく見る方はピンとくると思います。全国屈指の進学校の一つで、有名な高校です。かといって生徒は常に勉強しているか?というとそうでもなく、校風は「自由」だそうです。そして中高一貫であり、面白いのが、一度教科担任になると高校の3年生までずっと持ち上がりで同じ生徒を教えるというユニークな制度を取り入れており、時間の使い方は教師の裁量に決まるそうです!

今でさえ進学校で有名ですが、最初から進学校ではなかったそうです。

その灘高校には伝説の教師と呼ばれている先生がいました、それが「橋本武(たけし)先生」です。

その橋本先生の教え子の中には作家の遠藤周作、神奈川県知事、東京大学総長、東京大学副学長、最高裁事務総長、日本弁護士連合事務総長など日本の各界のリーダーがいます。その教え子の一人が書いた本の中に橋本先生が行った授業「スローリーディング」が取り上げられ、注目を浴びたのです。そんな橋本先生の本に書かれてある言葉が塾長が言っている事と同じでしたので、やはり見守る保育は乳幼児だけでなく、中学高校、そして大人になって通用するのだと改めて思いました。そんな橋本先生の言葉を紹介したいと思います。

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「『学ぶ』ことは遊ぶこと、『遊ぶ』ことば学ぶこと」

とにかく橋本先生は「横道にそれる」ことに重点を置きました。ある生徒が「遊ぶは好きだけど、学ぶは嫌」と言った事に対し、頭ごなしに「遊ぶ気持ちになって学べばいい」とは言わず、子どもは「遊ぶ気持ちで学ぶ事を知らないから、自然にそう思わせることが大切と言います。そして

「当たり前のことに疑問をもつ」

いつもは当たり前のように思われている事に対して疑問を抱くことから考える幅が広がるとのことです。これは塾長が講演でも話しをされますね。塾長が小学校教諭の時に一番最初に生徒に言った言葉が

 

「大人の言っていることを信じないで、自分の目で見たものを信じなさい」

 

言葉は違いますが、根本は一緒ですね。大人が言っていること、教科書に書いてある事が全て正しいと信じるのでなく、あえて疑問を持ち、自分の目で確かめたことを信じなさい。この塾長のスタイルは今現在も変わりません。

 

橋本先生が「横道にそれる」というのを大切にしているのは例えば・・・

「『遊ぶ』の『あそ』と何だろう?熊本の阿蘇山、阿蘇の海など『あそ』は山や海の名前になり、『ぶ』がつくと『遊ぶ』になる。同じように『学ぶ』の『まな』も仮名文字の元となった『真名』というのがあり『ぶ』がつくと『学ぶ』となる。じゃあ『ぶ』がつくコレクションを集めてみよう」

 

というふうに「学びとは意味がなくても面白ければいい、これも『遊ぶ=学ぶ』です」というのが橋本先生の授業スタイルです。「さらに子どもが安心して遊べる環境をつくる」と言います。そもそも、なぜ「学ぶ」と「遊ぶ」を強調するのかというと、自ら進んで参加するのが「遊び」であり「学び」もそうあるべきと考えたからです。子どもは自然と何かに興味を持てば自分から進んでやるようになる。そして子どもが遊べるような感覚で学んでいけるように仕向けると言っています。まさに「見守る保育」の保育室の環境を設定する上での考え方を同じですし、塾長が常々言われている事です。子どもが自発的に関われるような環境を用意する。子どもにとって遊びは学び。全く同じような考え方です。

 

「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」

付け焼き刃で詰め込んだ知識はすぐに使い物にならなくなります。だから20年、30年と見た長期的な学力、能力を身につけるには、疑問に対してじっくりと腰を据えて考えるやり方でないと効果があがらないと言われます。これを聞いて思い浮かんだのは、やはり乳幼児から算数や英語、体育教室などに力を入れている施設です。確かに子どもは柔軟ですぐに身につくかもしれませんが、長期的にみて、それは将来に本当に役に立つのかと思います。もしかしたら数学者や世界的に有名な通訳、そして体操のオリンピック選手になるかもしれませんが、それは、ほんのごく一部です。

それよりも塾長がよく講演でも話していますが、乳幼児期にしか身につかない能力をしっかりと身につける必要があると思います。色々な事に興味を持ち関心を抱く、そして好奇心、探究心と言った、まさに学ぼうという意欲の原点をこの時期にしっかりと身につけるべきです。

 

「子どもが安心して遊べる環境をつくろう」

橋本先生が言われた言葉ですが、やはり「環境」ということに重点を置いています。さらに「自らすすんで参加するのが「遊び」であり「学び」もそうあるべき」と言われています。見守る保育でも「環境」という点にはとても重点に置いています。また「環境を通して保育をする」と保育指針にも書かれているように「環境」というのは子どもにとって重要な存在です。そして子どもが自発的に活動するという点においても、全く同じ考え方ですね。

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とにかく橋本先生は「遊ぶ」ように「学ぶ」ということを徹底的に意識した授業を行ったそうです。とくに国語を重点においたそうで、生きる力、学ぶ楽しさのもととなるのは国語と言われています。次は橋本先生がこだわった国語の授業方法を紹介してみたいと思います。(報告者 山下祐)

自分もやらなきゃ

ご存知だとは思いますが、私は小さい頃からサッカーをしていました。高校3年生までサッカー三昧の日々。高校3年生、最後の大会!さぁ、頑張るぞ!…でも私はベンチにも入っていません!そしてそこは男子校!マネージャーなんているわけはありません!

と、いうことでチームのために私が志願して務めました。笑
そんな話はさておいて、サッカーが好きなのでよくサッカー番組を見ます。
最近あるサッカー番組で中村俊輔選手と槙野智章選手が対談しているところを見ました。
中村俊輔選手といえば日本代表の10番(エースナンバー)を背負っていた選手です。しかし、南アフリカW杯の時にまさかのスタメンから外れるという時期がありました。そんな辛さを味わっている選手でもあります。
その対談で槙野選手は中村選手にこんな質問をしました。
「あの時はどんな気持ちだったんですか?」
と…
中村俊輔選手は、
「あの時はメンタルが崩壊しそうだった」
と答えています。
そこからは続けてこんなことを言っていました。
「でも、僕が違う大会に出ている時、ベンチにいる先輩たちが冷たいタオルを持ってきてくれたり話しかけてくれたり、雑用みたいなこともずっとやっていて、そういう先輩の姿を見て自分がその立場になったら自分もやらなきゃと思った。」
と言っていました。
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その大会では闘莉王選手も代表にいて、
「出てないオッさんも頑張ってるんだから俺らも頑張ろうよ!」
とチームを盛り上げていたそうです。
その話に槙野選手は
「それがチームですよね。」
と答えています。
確かにそれがチームだと思います。
なんだかこの話を見ていて少し違うかもしれませんがチーム保育を思い出します。
よく塾長はリーダーや先輩が偉そうにしていてはならないと言います。いじられるくらいが大きな器があり、チームが上手くいくと私も思います。最近は中堅になってきてそんなことをよく思います。
私たちは保育を勝つためにやっているわけではありません。ただ、日本代表と根本は同じでチームのためにどう動くかを考えれば自然とそうなるのではないかと思えます。サッカーはチームの人が疲れていれば冷たいタオルも持ってきますし、水も持っていきます。
保育も出来ないところがあれば助け合うといったところは同じですね。
中村俊輔選手はその先輩の背中を見て同じようにやなければと奮闘します。
私たちも同じで先輩保育士がどんなことも率先してやる背中を見て育っています。
偉ぶることもなく私たちと対等に話し、保育をしてくれる先輩に感謝しています。
そう考えると日本代表と同じことを私たちはしているということになるのでしょうか。笑
私は勝手にそんなことを思って嬉しくなりましたが、それはどこのスポーツチームにもよくある話かもしれませんね。
チームのためになにをすべきかを考える。
それがチームなのですね。
よく塾長はチーム保育をサッカー型と例えてくれます。
ポジションは決まってはいるけれども臨機応変にポジションを変えられるそのチームワーク。まさにチーム保育です。
この対談を聞いてグラウンドの外でもチームワークが成り立っているように思えます。そんな意味も含めてサッカー型の保育に強く共感します。そして、この繋がりに勝手に感動していました。笑
ですので、そんなチームワークで子どもたちの良いところを目一杯引き出していけたらよいと思います。
んー、合っているのかはわかりませんがそんなことを思います。
(報告者 本多悠里)

日常の中に

先日、朝の受け入れの際に母親を後追いする1歳児がいました。すると、ある1歳児が手に持って遊んでいたマッサージ玩具を「どうぞ」といったようにその子に渡そうとしたのです。そこに、悲しんでいる子どもの姉がやってきました。姉は、妹の気持ちを受け止め抱きしめると、すかさず玩具を持ってきてくれた子どもの気持ちも理解して、その玩具を受け取ります。そうしている間に妹は姉に読んでほしい絵本を持ってきて、「読んで」とせがみ、姉は、妹と玩具を持ってきてくれた子どもに向かって読み聞かせを行っていました。2人も楽しそうに聞き入っていました。

玩具を渡そうとしている

玩具を渡そうとしている

お姉ちゃんが来た

お姉ちゃんが来た

玩具を姉に渡す

姉が玩具を受け取る

3人で絵本

3人で絵本

別の日には、ある1歳児が、つなげたブロックを電車に見立て、床を走らせていました。すると、その遊びが魅力的に映った別の1歳児が、それが欲しいとせがんできました。しかし、自分で作った電車ですからそう簡単には渡せません。しばらくすると、渡したくないので逃げる子と、それを使いたいと追う子の“追いかけっこ”が発生してしまいました。これは、周囲で遊んでいる他児にも影響ができるなぁと思っていた職員が、「◯◯君が作ってあげれば?」という一言を発しました。すると、逃げていた子が立ち止まり、追ってきた子に向かって「ほしい?待ってて。」と言って、その子のために同じような物を作って渡してあげていました。別の子どももやってきては、その子に作ってもらい、結果、3人で一緒に床を走らせて楽しんでいました。

作ってくれているのをじぃーと見ている

作っている様子をじぃーと見ている

上記2つの事例は、対人知性で重要な「この人の動機は何か」「あの人はどう動くだろうか」「皆と協調して動くにはどうすればいいのか」といったことを学んでいるシーンでもあると感じています。「他者がなにを考えているのか、何をしようとしているのかを、他者の行為を観察して」それに見合った行動を自らしようという経験をしています。集団の中にいる子どもたちを見ていると、それが日常の至るところで行われているのだと思います。それらに気づき、科学的な知見に基づいて保育を考えていくのも楽しいですね。

番外編

電車好きのある1歳児が、他児が使っている電車の玩具が欲しいと訴えていました。近くを見てみると、それと全く形・色の同じ玩具があったので、玩具を取られそうになっていた子に渡して、それをその子に渡すように促しました。大抵の場合、それで解決するのですが、今回はそうはいきませんでした。どうしても、他児が使っている玩具が欲しかったのです。みなさんは、その理由が思い浮かぶでしょうか?私自身、「なんでこれに固執するのだろう…」と思っていました。すると、同じクラスのある職員が「あ、新しいんだ!」と言ったのです。一瞬「?」でしたが、両方を見比べると、確かに同じ物なのですが、「使い古した電車」と「真新しい電車」という違いがあったのです。

古いやつ

古いやつ

新しいやつ

新しいやつ

大人は、「きれい」「格好良い」や「汚い」「格好悪い」といった清潔やその他に関する事を、子どもに知ってもらうために何度も言い聞かせたり、時には大変な思いもしなくてはならないと思っているかもしれませんが、子どもは1歳にしてそれらを理解しているということのように感じました。その面に対して、子ども自身にとっての優先順位が大人の思うところよりも低いだけであり、その優先順位が変わってくる事が成長の証として感じ取れる部分でもあるのかなとも思ったのでした。

(報告者 小松崎高司)

自分のDNA気質を知れば人生が科学的に変わる②

チェックシート用いて、自分がこの人格気質、ストレス気質の6つの内、どれとどれのタイプを持ち合わせていて、組み合わさることでどのような効果があるのかがわかりました。

驚くことに、6つ全てにタイプに該当していました(笑)

この結果を知ったとき、とても稀なケースなのだろうと思いましたが、逆に1つや2つと少ない人の方が稀なようです。それでも全て当てはまるという人はなかなかいらっしゃらないでしょうね…

6つ全てのタイプが当てはまる人の気質コーチングにこう書かれていました。

『全てのタイプが重複している人は、自己成長できれば、状況に応じて対応できる高い可能性を備えています。しかし、各気質タイプの特徴によって自分の中に矛盾が生じやすく、「自分は一体何なのか」分からずに混乱してしまい、苦しい人生になる可能性があります。また、そのときのストレス状態や環境によって発現するタイプが変化するため、周りから誤解されたり、理解してもらえないことが多いかもしれません。その苦難の中、大失敗や病気にもなるかもしれません。宗教にも救いを求めるときもあるかもしれません。その中で、周りに感謝できるようになり、また周りの方々の気持ちを尊重しながら進められ、こだわりが生じ苦しいとき、「まあいいか」という言葉を10回以上声に出してこだわりを取り除いたり、信頼できる人と揺るぎのない関係を築き、その方にネガティブな感情を吐露し、思い込みを取り除いたり、また「いいなあ」と思っても、すぐ行動しないで、信頼できる人に相談できるよう冷却期間を設けて進められれば、各場面に適した気質タイプに切り替えながら行動できるため、すばらしいリーダー気質ともなり、リーダーとして活躍していけるでしょう。』

全て言い当てられたという感想にはなりませんが、所々思い当たる節があります。

私が自分自身を自覚している点として、人間関係を含めた環境に順応するために「偽りの自分」を各集団に合わせて作ってしまうことがあります。

そこが「自分は一体何なのか」分からずに混乱してしまうことに繋がっているのかもしれません。

「自分らしく」とは一体何なのでしょうか。偽りの自分が複数いることは自覚していますが、どれも本当の自分でもあるようにも思えます。正直自分でも自分がわからなくなってしまっているのが本音です。

今回お休みをいただいてしまった機に「自分のDNA気質を知れば人生が科学的に変わる」という本に出会い、自分を見つめ直す機会にできていますが、塾長が書かれている臥竜塾ブログも読み進められる時間ともなり、この本で改めて自覚することができた自分を改善するヒントとなる内容を見付けました。

それは、2011年9月17日に書かれた「個の確立」というタイトルにあります。

プレレパーソナル(個の確立以前)からパーソナル(個の確立)へのプロセスとして、第1段階から第3段階まで書かれてあり、自己成長の第1段階は、個としての「自分」を確立する事から始まるとあり、日本的な人間関係のしがらみを断ち切り、他者の愛を失わない為に「偽りの自分」を演じ続けるのを止め、過去のつらい出来事や、心の傷への囚われから「自分」を解放する事であり、「自分が生きている」と実感できる自分、自己決定できる自分を確立する事であるとありました。

次に第2段階、第3段階と続いていくわけですが、私はどうやらこの第1段階でつまずいているようです。

自分を理解していると思い込んでいた自分がいたことにも気付き、まだまだ自分を理解しきれていないことにも気付けました。

そのためには他者を知ることが重要で、他者を知ろうとする手前、「偽りの自分」で接することは矛盾していることになりますね。

そして、この本の前書きには「そのDNA気質をあるべき方向で上手く活かすことができれば、その人は幸福な人生を送ることができる」と書かれているので、自分の当てはまったタイプ全ての説明や特徴を本を読み進めながら知っていき、このように文字化することでより自分を知っていける機会にして、個の確立に繋げていけたらと思います。

(報告者 若林邦彦)

ピーマンクッキング

先日、お昼の配膳のため3、4、5歳児クラスに上がり配膳台で準備をしていると、端に保育園の畑で採れたピーマンとナスがたくさん置いてあるのを見つけました。担任の先生が「こんなに採れてしまってどうしましょう」と、ちょっと使い切れない様子でした。その日はお盆という事もあり、子どもの人数も少なかったので急きょクッキングをすることにしました。ピーマンとナスという事で、「みそ炒め」を作ろうかと思ったのですが、以前に担任の先生がクッキングをしていたこともあり、あえて子どもの嫌いなピーマンのみでクッキングをしたらどうなるかと思い、「ピーマンのきんぴら」を午睡の時間に自由参加で年長さんを集めて作ることにしました。

 

子どもたちには先ず、半分に切ったピーマンから種を取ってもらい洗った後、順番に包丁を使って千切りにしていきました。何回も切っているうちに手がピーマン臭くなってしまい、「手が臭くなったー!」とブーブー言いながらも一生懸命切ってくれていました。炒める作業は僕がやりながら、横から順に子どもたちに調味料を加えてもらいながら作っていきまいた。1回では作り切れない程たくさんあったので、2回に分けて作りました。

 

作りながら何人かの子が「私ピーマンきらい」「僕もきらーい」なんていう言葉を聞いていたので、「本当に食べるのかな?」と思いながらフライパンから皿に盛り付けていると、「早く食べたい」という声が!

1回目に作った方を試食してみたところ見事に全員が「おいしい!!」と言っていたので、「え?さっきピーマン嫌いって言っていなかった?」と確認したところ「これはおいしい」と言ってパクパク食べていました。食べながら一人の子が、「2回目に作った方も食べてみたい」と言ったので、作り方も調味料も変わらないのですが、食べてみたところやはり「おいしい」と言いながらも、「でも1回目の方がおいしい」と言っていました。それをきっかけに自分はどっちが好きかを発表しあっていました。何度も食べ比べながら「2回目の方が好き」という子もいた中で、嫌いなはずのピーマンをちゃんと味わってどっちが好きかを答えている事に驚きました。

1回目と2回目に作ったピーマンのきんぴら

1回目と2回目に作ったピーマンのきんぴら

 

そんなこんなで食べていると、ピーマンが嫌いと言った子のお母さんがお迎えに来ました。自分の子がピーマンを食べていることに驚いていて、「○○ちゃんも食べたの?」と何度も聞いていました。そのお母さんも家でピーマンのきんぴらを作ったことがあるそうなのですが、その時は全く食べなかったそうで、作り方を聞いて「同じ感じなんですけどねぇ(笑)」と言いながら帰ってきました。

 

自分たちで水をあげ育て、収穫を体験したり実際にクッキングをしたりすることで子どもの興味や関心は何倍にも膨れ上がっているように思いました。塾長の「食育」の本の中でも食育3本柱として「栽培、収穫、料理」と書かれていますが、現代では野菜がどのように育つのか、どんな形をしているのか知らない子もいる中で、ある意味これ以上にない「食育」をしているように感じました。「そんな経験をたくさんさせてあげたいな」と感じたクッキングでした。 (報告者 柿崎)

「ありがとうございます!いただきます!」「どういたしまして!いただきます!」

 先日、調理の先生からご依頼いただき、にこにこさん(2歳児クラスの名称です。以下にこにことさせていただきます)はとうもろこしの皮むきをしました。 昨年の様子を調理の先生も知っていたので、「すぐに飽きちゃうかもね」「あまったら3・4・5歳児クラスに手伝ってもらいましょう」と話していたのですが、開始するや、剥く剥く!剥きに剥いて、あっという間に4箱分も剥いてしまいました。  

集中してリーダーの先生の話を聞いています。

集中してリーダーの先生の話を聞いています。

さぁ、スタートです!剥く剥く剥く剥く子ども達!

さぁ、スタートです!剥く剥く剥く剥く子ども達!

剥いています!

剥いています!

こういう時に剥くのが上手な子って、なんだかすごく格好よく見えます。「◯◯くんすごーい!」「◯◯ちゃん自分で剥けるんだねー!」なんて大人の声が飛び交うので、言われる子はちょっとしたヒーローのような気分になるのでしょうね。周りの子の羨望の眼差し(?笑)を受けながら、思いっきり楽しんでいました。

「僕の分も剥いてくれる?」「いいよ」

「僕の分も剥いてくれる?」「いいよ」

 

「たくさん剥いてくれてありがとう。おやつに目の前で焼いてたべようね♪」

 調理の先生が最後に言ってくださいました。楽しくがんばったことに対してありがとうを言われる嬉しさを、子ども達はこういったところからも感じていくのだろうと思います。お昼寝から起きてからが楽しみになりました。

 

 カーテンが開き、午後の光が差し込むと、楽しみにしていた子も多く、すっと起きてきた子ども達です。全員が集まったところで、いよいよ焼いていただきました。

ファイヤー! (注)演出を目的とした言葉であり、調理の先生が言った言葉ではありません。

ファイヤー!
(注)演出を目的とした言葉であり、調理の先生が言った言葉ではありません。

 皆、嬉しそうに見つめていました。立ち上る湯気、香ばしい香りに大人も食欲がそそられます。

「大きいの小さいのどっちがいい?」「おっきーの!」

「大きいの小さいのどっちがいい?」「おっきーの!」

  刷毛でバターと醤油を混ぜたタレを塗って、「いただきます!」

  …と思ったら、すぐ向かいにいるわいらんすい(3・4・5・歳児クラスの略称です。以下『わらす』とさせていただきます。)の先生の声が聞こえてきました。こういう時の声って、賑やかにしていてもよく通るから不思議です。  

「今日のおやつのとうもろこしはにこにこさんがむいてくれたんだって!皆でありがとうして食べよっか!」

  自然と静かになるにこにこの子ども達。顔は、わいらんすいさんの方をじーっと見ています。誰も目の前にあるとうもろこしに手をつけずに、その様子を見つめていました。

  わいらんすい「ありがとうございました!いただきます!」

  なんだか、嬉しくなりますね。こちらからもこう返すことにしました。

  「どういたしまして!いただきます!」

  一つのフロアー皆で、とうもろこしにかぶりつきました。舌の上に踊るその美味しさを、色々な人に喜んでもらえたという喜びと一緒に子ども達は味わっていたことと思います。

  夕方はそれにちなんで、とうもろこしの塗り絵をクラスの職員が用意していました。

この日のとうもろこしの塗り絵は売れに売れ(?笑)完売でした。

この日のとうもろこしの塗り絵は売れに売れ(?笑)完売でした。

 とうもろこしの身の部分を緑色に塗る子がいて、「まだ剥けてないところなの。」とのことです。こんなところにも子ども達は取り組みの成果を見せてくれるのですね。様々な体験ができた、素敵な取り組みだったなぁと思いました。

 また、調理のお手伝いをする日が楽しみです。

(報告者 加藤恭平)

自分のDNA気質を知れば人生が科学的に変わる①

最近自分を変えたい、生き方を変えたいと思う気持ちを強く持ち始めた為か、「自分のDNA気質を知れば人生が科学的に変わる」というタイトルの本に手がのびました。

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この本の著者は宗像恒次(むなかた つねつぐ)さんという方で、現在では筑波大学大学院で教授をなさっていて、SATイメージ療法と呼ばれるうつ病の病状回復などにとても効率的な心理療法を考案した方です。

この本を読み進めていく上で、タイトルにもありますが「DNA気質」という文字をよく目にします。

DNA気質とは、6つに分類されると考えられていて、またそれらの持って生まれたDNA気質によって、その人の生き方のベクトルが決定づけられているとも考えられているそうです。

それらのDNA気質のどれが自分に当てはまるかを知り、そのDNA気質をあるべき方向で上手く活かすことができれば、その人は幸福な人生を送ることができますが、逆に生来の気質とは異なる無理な生き方を続けていると、その人の人生にはいつか破綻が訪れると書いてあります。

その6つのDNA気質は、人格気質とストレス気質の2つに分類されていて、人格気質は「循環気質」「粘着気質」「自閉気質」、ストレス気質には「執着気質」「新寄性追求気質」「不安気質」があるそうです。

各気質に特徴があるようなので紹介させていただきます。

人格気質↓

●循環気質…気分屋で、話が好き。認められたい願望が強く、情報操作に長けているが、ストレスを感じると投げ出すことがある。本質的には寂しがり屋なので、情緒を安定させるために気の合う友人との会話は不可欠。自分だけは生き残ろうとする生物的戦略がある。

●粘着気質…単純で不器用なタイプ。集中力があり、几帳面な反面、融通が利かない。義理堅く、上下関係を重んじ、筋が通らない話には反発する。種の群れの秩序を守ることで生き残ろうとする生物的戦略がある。

●自閉気質…利害にとらわれずに本音で人と関わろうとする。他者を重んじ、その影響を受けやすい。対人距離がキープできないと、情緒が不安定になる。他方、1人の自己世界にこもろうとする。強者に守られて生き残ろうとする生物的戦略がある。

ストレス気質↓

●執着気質…真面目で強い熱中性、徹底性、責任感、義務感がある。完全主義で、自分にも人にもそれを求めることで、自分や人を苦しめることがあるので、強い孤独感、無力感を持つ。常に求める気質なので、結果に満足することがない。

●新寄性追求気質…探究的、衝動的、逸脱的、攻撃的、短期、センセーショナル。新奇なことに目を輝かせる。思い付いたらいてもたってもいられなくなり、すぐに行動を起こす。後先を考えずに無謀な行動を取ってしまうため、失敗することも多い。

●不安気質…孤独で、恐怖感の中にいる。悲観的で神経質、敵対感情が強い。被害妄想から抑うつ状態になり、ストレスからパニックを起こすこともある。周りの反応に対してネガティブな思いを抱き、恐怖感からマイナス感情を吐露してしまう。

これらのDNA気質のどれか1つが当てはまるというものではなく、人によっては2つ、3つと当てはまるものがあるそうです。

そして、その組み合わせによっても変化するそうなのです。

自分がどれとどれに該当して、組み合わせ的にどうなるのかを知るためのチェックシートもあります。

次回はその組み合わせを私自身の事例をもって、紹介させていただき、今の自分自身、今後の自分自身について考えていけたらと思います。

(報告者 若林邦彦)

帯状疱疹

私事ですが、先週末に帯状疱疹との診断が下りてしまい、今週1週間お休みをいただくことになってしまいました。

診断時は、今まで帯状疱疹と診断されたことは1度もなかったので、どのような病気なのかもわかりませんでした。

良い機会だと思い、自分なりに診断時にいただいた帯状疱疹のパンフレットとネット上の情報を基に調べてみました。

この病気は、水ぼうそうにかかったことがない人への感染が考えられるため、私たちのように子どもに携わる仕事に就いている者には、より早期発見が大切なためシェアさせてください。

調べた結果、「帯状疱疹は、痛みのある皮膚病で、体の片側に起きる強い痛みと、痛みがある部分にできる帯状の赤み、ブツブツ、水ぶくれが特徴の病気です。子どもの頃にかかることの多い“水ぼうそう”のウイルスが原因で起こるそうです。発症は幅広い年代でみられますが、特に高齢の方で多く、患者さんの約70%は50歳以上の方だそうです。

また人によって、発症部位が異なるようで、私の場合は左腿裏に発症しました。

この発症部位によって、一大事へと発展してしまうこともあるそうです。

なぜなら、帯状疱疹は体の表面だけの病気ではなく、体内の神経にも深く関係している病気だからだそうです。

例えば、眼の近くに発症すると視神経に、頭部に発症すると脳内神経に異常をきたすこともあり、とても危険なようです。

帯状疱疹の初期症状として痒みを伴うことがあり、虫さされやかぶれと自己判断してしまい、症状が悪化してしまうケースも多いようです。

そんな自己判断の難しい帯状疱疹ですが、見分けるためにいくつかのポイントがあります。

1.発疹前に痛みが出ることが多い

2.1日目より2日目の方が、発疹が増えている

3.体の左右「片側だけ」

4「チクチク」あるいは「ビリビリ」という類の電気が走るような痛み。

私の場合は2と3が該当していましたが、発疹が出てから2日目の受診となってしまいました。

なぜなら痛みよりも痒みが先行していたこと、そして主治医の先生から事例がないから関係がないとまで言われたのですが、発疹が出る1日前に同じ箇所を蟻に噛まれたのです…

私の場合は特殊な条件が重なりましたが、それでも園の看護師の先生からの強い薦めもいただき、帯状疱疹と診断が下りる方々の中でも早期発見の方だと言っていただけました。

おかげで激痛をさけることもでき、今では今までの日常とさほど変わらない生活が送れています。

ですので、体は元気なのに職場に行けないという辛い現状ですが、だからこそできることを追求していこうと思います。

普段あまり本は読まない私ですが、極力外出を控えなければならないこの機にいくつか本を読みながら自分を見つめ直す期間にできたらと思います。

その本や思ったことについてもまた報告させていただけたらと思います。

(報告者 若林邦彦)