と、おどけてみせてくれたのです。
それを見た右上の女の子も「◯◯ちゃん!ばー!」と、ひょうきんに加わっています。
写真の口元からもお分かりの通り、泣いていた女の子は笑ってしまいました。目に浮かべていた涙はどこかへ行ってしまった様子です。2ヶ月という時間は、子ども達にとって、仲良くなるには十分過ぎるようです。
と、おどけてみせてくれたのです。
それを見た右上の女の子も「◯◯ちゃん!ばー!」と、ひょうきんに加わっています。
写真の口元からもお分かりの通り、泣いていた女の子は笑ってしまいました。目に浮かべていた涙はどこかへ行ってしまった様子です。2ヶ月という時間は、子ども達にとって、仲良くなるには十分過ぎるようです。
塾長が紹介してくれた映画は「8月のメモワール」という映画です。
1970年夏、ミシシッピ州、ベトナム戦争から帰還したスティーブンは戦争で精神病を患い、治療を続けていました。彼の妻ロイスとリディア、ステュの姉弟はトレーラーハウスで貧しい生活を送りながら父の帰りを待っていたのです。しかし父のスティーブンが家に帰って、職を探してもなかなか長続きはせず、その理由として精神病で治療していたことが原因で、すぐに職場から解雇を言い渡されるのです。
そんなある日、姉弟は大きな木を見つけ、ここにツリーハウスを作ろう!と計画しそれぞれが材料を集めて早速、ツリーハウスを作ることに。そこでリプニッキ家にあるガラクタ置き場に目を付けるが、かえって6人兄弟にいじめられてしまうのです。そんな息子に父が言ったのは
「我慢を忘れると一生後悔することになる」
と言ったのです。しばらくして、父は小学校の用務員として働けることになったが、精神科で治療していることが学校に知られ解雇になってしまうのです。それでも父は諦めずに必死に仕事探し、子どもたちに明るい未来を見せたいという思いで働くのです。そんな時に銀行が抵当で売りに出している家を手に入れようと、高い給料がもらえる石切り場の仕事に就くことに。しかし家を買うことは息子のステゥと秘密の約束にし、妻のロイスを驚かせようと約束をしました。そんな父にリディアは「どうせ、また首になる」と言い、母のロイスは非難は絶対に許さないと言われ、反省したリディアは父のスティーブンと言葉を交わし「父さんが年をとって死んだら、私の天使になってくれる」と。
例の家を手に入れるためにスティーブンとステゥが出かけた時に些細なことでリプニッキの父に絡まれ、ステゥの身に危険が及んだことから、リプニッキの父を掴み息子に謝らせ、彼を罵った息子にも謝らせた。そしてスティーブンはステゥに戦場での話しをしたのです。
戦場で親友と呼べる仲間がいていつも一緒だったが、敵に襲われ彼が重傷を負ってしまい、彼を抱えて必死で逃げ、脱出用のヘリまでたどり着いたが、定員はどう頑張っても一人しか乗れない、そしてスティーブンは意識が無い彼を置き去りにしたという体験を話したのです。そして「自分自身と国を許そうと努力した」と・・・。
一方、姉のリディアが黒人の友達が担任から差別的な態度を受け激しく抗議をした、そんなある日石切り場で大きな事故が起き、スティーブンは石切り場での仕事を紹介してくれた恩人を助けるために重傷を負ってしまいます。しかし家族の願いは虚しくも数日後にスティーブンはこの世を去ってしまうのです。
しばらくしてツリーハウスはリプニッキ兄弟に占領されてしまい、ステゥは取り戻すために友人たちと様々な攻撃を仕掛けて反撃に出たのです。なんとかツリーハウスを取り戻したのも束の間で、今度はリプニッキ兄弟が攻撃してきたのです。火炎瓶、トラクター、打ち上げ花火・・・まさに子ども同士の争いではない状態、そんな風景をステゥは木の上から冷静になると、その風景は本物の戦場にダブって見えたのです。その時、リプニッキ兄弟の末っ子のビリーが給水塔に落ちてしまい、ステゥとリディアは必死に救出し、息を吹き返したビリーが「天使を見たよ」と。それをきっかけにリプニッキ兄弟とも揉めることもなくなり、ツリーハウスにも飽きたころ、銀行の管財人から例の家を父が落札したと告げにきたのです。家はボロボロですが、新しい生活にやっと幸福の予感が訪れるのです。
少々長くなりましたが、ざっとこんな感じなあらすじです。本当は実際に見た方がいいので、今度の、臥竜塾で見れたらと思います。
塾長はこの映画の感想としてよく言われるのは
「争って、勝ったとしても虚しさしか残らない」
と。映画の中で、ベトナム戦争でアメリカが勝ったとしても実際はアメリカも大きな痛手を受けてしまったし、ステゥはツリーハウスを取り返そうとして戦って、残ったのはボロボロになったツリーハウスだけです。
父のスティーブンが「我慢を忘れると一生後悔する」という言葉は本当にその通りかもしれません。ステゥも一時は父の言葉を思い出し、冷静になって話し合おうとするのですが、結局は冷静さを失ってしまい、暴力に出てしまいます。
改めて「戦う」という本当の意味を理解しないといけないですね。子ども達はどうしてもテレビを見ると戦隊ものや仮面ライダーなど戦うシーンが多く、あの風景を「戦う」と認識してしまっていると思います。ただ私も小さい時に見ていたので大きなことは言えませんが・・・。
映画の中で父のスティーブンは息子のステゥに「我慢ができるよう自分自身と戦いなさい」と伝えたかったのではないかな?と思いました。
「真の敵は己の中にある」よくスポーツ選手とかが言いそうな台詞ですが、実はあながち間違っていないのかもしれません。結局、様々な行動を決めるのは自分自身の意思ですから・・・。(報告者 山下祐)
wikipediaには、「手」について『「手」は脳の中では、(舌・口と同様に)人体の他の部分の実際のサイズの比率のと比較してかなり広い面積が割り当てられていることが明らかにされている。人間にとっての手の重要さ、脳が扱う身体活動の中に占める手の活動の割合の大きさが判る。(肉体の実サイズでは、例えば腹や腿のほうが大きいのに、脳の中の割り当て領域の広さでは、腹や腿よりも手のほうが大きいのである)』と書かれていました。人が、周りの環境に対して物理的に働きかける時には、ほとんど「手」を使うかと思います。その「手」には、脳につながる神経細胞が他の部分に比べると多く、手を活発に動かすと、その刺激は脳の多くの部分に伝わるということになります。また、『手は鋭敏な感覚器でもある。』とも書かれていました。
乳幼児であっても、自ら手や指先を使って物と関わろうとしたり、微細な運動を求めるのは、自発的にその刺激を脳に与え、その機能を活性化させようとしているのかもしれません。そういった刺激と同時に、脳の社会的な部分に刺激を与える行為の一つとして、他者と『手をつなぐこと』があるのではと思いました。
最近、1歳児の子どもたちが、子ども同士で手をつなぎ合う姿をよく目にします。部屋の中で手をつなぎ合って遊ぶ場所を移動したり、手をつなぎ合ってクッションにダイブしたり、手をつなぎ合って排泄場所から部屋まで戻ってきたり…。そんな疑問を抱いていると、ある日こんな声が聞こえてきました。
「じゃあ、◯◯くんと◯◯ちゃん、一緒に手をつないで戻ってね〜」
この声は、1歳児クラスにヘルプに来てくれた、職員室フリー担当のN先生でした。よく思い出してみると、同じクラスのC先生もよくこんな声かけをしている気がします。これは、排泄を終えた1歳児2人に対しての言葉がけであり、一緒に手をつなぎ合って遊びの空間まで戻ってもらうためのものであると思います。その言葉をかけられた2人は、目を合わせてまずポカンとしていました。しかし、数秒後、その言葉がけを理解した、又は自分なりに解釈できた方から「てって、てって(手)」と言って手を差し出していました。すると、相手の方も手を差し出してつなぎ合い、自然に笑い合って遊びの空間まで2人で戻ってきたのです。
先日、「探索と蟻」というテーマによって報告させて頂きましたが、排泄場所から遊びの空間までは少し距離があり、塾長からはその距離が1歳児にとって大切な「保育」であると学びました。その距離を、1人で探索するのではなく、2人で手をつないで探索することを促すという保育もあるのだなぁと感じました。そこでは、見守る保育で重要な「子ども同士の関わり」を生むための“言葉がけ”という「人的環境」が魅力を放っていたと思います。
この言葉がけが、最近の1歳児クラスの子どもたちの、手をつなぎ合う行動と関連しているとすると、「一緒に手をつなぐ」というキーワードが生み出す協力的思考は、子どもたちに社会性を感じてもらう素晴らしい言葉であると再認識することができました。
(報告者 小松崎高司)
皆さん、ご存知の通り8月15日は終戦記念日です。
ちょうどお盆休みのため、実家に帰省していました。テレビでは終戦に関するニュースや番組が流れており見ていました。
中でも一番、心を打たれるのがやはり「特攻隊」の話です。私は塾長との出張で色々なところに行きましたが、数多くの中で印象強く残ってしまう場所は「沖縄のひめゆり平和祈念資料館」「広島の平和記念資料館」「鹿児島県鹿屋市の鹿屋航空基地資料館」「福岡県の大刀洗平和記念館」と戦争に関する場所です。
小学校の時に授業で戦争の事はある程度のことは学びますし、戦争の悲惨さも理解できるかもしれません。また私の86歳になる祖母は戦争を経験しているため、空襲の恐ろしさなども聞きました。私が高校の時に亡くなった祖父も兵隊として戦地に出向き、その時の体験談も聞きました。そして特攻隊の話など、授業では聞けないような話しをたくさん知りました。しかし、そうは言っても経験したことがない世界なので、正直な気持ちを言うと「分からない」というのが私の感想です。
それが塾長と訪れた資料館や記念館を見学した時に、今まで生きてきた自分の価値観、生き方、考え方が180度変わるというか、言葉では言い表せない感情になり。そして訪れるたびに涙に溢れるのです。
特に特攻隊の話しを聞くと…言葉が出ませんでした。自分よりも若く、中には20歳にも満たない青年達が命を落とすのです。しかも出撃前の写真はみんな笑顔・・・。
「必ず死ぬ」
私は「必死」という言葉の意味をこの時初めて知った気がします。
よく普段の会話でも「必死」という言葉を使用すると思いますが、当時の「必死」という言葉の使い方と重みが全然違います。当時の写真で「必死」と書いてあるハチマキをしている青年たちの姿を見て、本当の「必死」の姿を見たと思います。
そんな特攻隊ですが、テレビでは実際に軍艦を一隻しか撃沈できなかったそうで、残りはぶつかる前に狙撃されてしまうそうです。
当時の特攻隊の人たちは何を思って特攻するのか、と言うと国のためとは表向きは言いますが、やはり「家族」だそうです。家族を守る為に特攻する。自分が特攻することで家族が守られるならば…そんな思いで空に飛び立つのです。
塾長とこの話しをしたときに塾長が言われたことは
「もちろん戦争の事を知ることは大切なことだけど、小さい子どもにはまだ話さないほうがいいかもね。それよりも『生きる楽しさ』をまずは伝えることが大切だと思う。」
この言葉を聞けて安心しました。自分の息子にもいつかは戦争の話をしなければいけない時期がくると思っていましたが、どのタイミングがいいのか?とちょうど悩んでいた時なので良かったです。
っとここにきて急に離しが変わるのですが、今回の帰省で戦争の映像を見ていて、ふと頭の中に浮かんだことがありました。それは以前、塾長から教えてもらった映画です。あらすじは塾長から聞いていたので、まさに、今このタイミングで見るべきではないのか?と思い、早速塾長のところにいき、映画を借りました。次はその映画を私なりに紹介したいと思います。(報告者 山下祐)
少し前の話になりますが、7月24日に長崎から多くの見学者が来られました。
長崎といえば見守る保育を実践している園が全国でも多く、そして年に3回塾長を招き研修会を行っています。
おそらくご存知のかもいらっしゃるかと思いますが、その前進には二人の園長先生の影響が大きいと塾長から聞いています。
そのうちの一人は塾生の西村くんのお父さんです(以後、西村先生)。私も助手として出張に行っていた時は西村先生には大変お世話になりました。
私の結婚式の時も長崎から来ていただき乾杯もしていただきました。
他にも、当時1年目だった私に対して長崎の園長先生方は優しく接してくださり、感謝の言葉しかありません。
出張に行かなくなってから、会う機会も減り少し寂しい気もありましたが、先日たくさんの先生にお会いできてとても嬉しく思いました。本当にありがとうございました・・・。
さて、35名も長崎から見学に来られましたが、研修の日程はまず午前中は保育園の見学で、今回は塾長自ら案内をされました。
そして午後は塾長の講演ということで、塾長がフル稼働の一日でした。
しかし塾長が研修の前日に
「私の話しは長崎に行って年に数回聞くことができるから、ココでしかできないことをしたいよね・・・」
と。そこで塾長が思いついたのは近年ベテランのA先生が学会などで発表されたりしているので、
A先生が子ども同士の共感についての発表をすることになりました。
さらに、急なフリで私も保育園の環境を発表することに・・・。
臥竜塾の教えの年間講座で行った「環境」の発表をして、更に塾生の西村くんも環境セミナーで行った見学園紹介のプレゼンも連速で行うことに。
長崎の保育園をたくさん見学しているのと、私よりも長く勉強されている先生が多い中で、改めて環境の発表はとても緊張しましたが、
おそらく自分の父親の目の前で発表する西村くんの方が緊張しているのではと思います(笑)
そして研修も無事に終わり、夜は新宿せいが保育園の職員と意見交換会でした。
当初、外で行う予定でしたが、せっかくだから!ということで、園内で行うことに!
3階のスペースの家具を移動し、ほぼオープンな環境にし、テーブルを並べて行いました。
そして食事はケータリングというのも初の試みです。
いま、ギビングツリーで色々な企画をされている神宮司さんという方がいます。
彼はせいがの森の時から塾長と関係があり、「食」の方にとても詳しい方です。
自分自身でも飲食店を経営されていたこともあり、しかも自然食を主に取り扱っているため、
食へのこだわりがとても強い方です。その神宮司さんからお店を紹介していただきました。
メニューは・・・
・三日間塩麹に漬けた白身魚のカルパッチョ
・三日間麦麹に漬けた鶏もも肉のステーキ
・神奈川の 豚を使った冷しゃぶサラダ
・生じゅんさいのおひたし
・いぶりがっこ、チーズ、とんぶりをのせたカナッペ
・舞茸の炊き込みご飯
と、どれも素材にこだわった逸品で、本当に美味しかったです。
どうやら保育園のテーマの「伝統」とつなげるためにメインと前菜に「麹」を使用したそうです。
なんだか嬉しいですね!!
さてさて、意見交換会の話に戻りますね。
まず塾長から挨拶を頂き、乾杯は副園長の中山先生がされました。
そしてせっかくの機会なので、各クラスに分かれて意見交換をしてもらうことに・・・。
いざ始まると、どのテーブルもすぐに盛り上がり、どのテーブルも静かにならず、基本的に終始盛り上がっていました(笑)
会が終わって、新宿せいがの職員に聞くと
「長崎の先生はアツイね(笑)もぅ話がとまらない(笑)」
という感想です。
それは私もいつも思います。と言うのも助手で長崎に行くたびに、長崎の先生方の見守る保育に対するアツイ思いが体中から溢れ出ており、
私も長崎出張の時には、そのパワーに影響され「私も、もっと頑張らないと!!」と強く思い、東京に戻っていました。そして長崎に行くと必ず一言挨拶をしなければいけないので、そういう部分もカナリ鍛えられました(笑)
そして今回、塾の報告でもありましたが、中国展開に向けて試験を塾生が考えるという話がありましたが、
今回、長崎の先生方に試しに解いてもらうことにしました。その際に文章的に変なところや、分かりにくいところなどを指摘してもらうという目的もありました。
その答え合わせを意見交換会の最後の方に担当した塾生が答え合わせをし、最後に「見守る保育ステッカー」を各園さんにプレゼントしました。今後、長崎の出張があると思うので、西村くんに試験問題の感想を聞いてきてもらい、改良を加えられたらと思います。
とにかく、その一日は朝から晩までアツイ一日でした。
さらにもう一つ嬉しいことがありました。熊本から外部塾生の渡邉先生と平田先生も研修に参加され、さらに大阪から外部塾生1号の邨橋先生も研修に急遽、参加することに。
せっかくということで、最後に記念写真を撮りました~。
いつか、いつか塾生全員が集まり、「塾生サミット」みたいな物を開いてみたいなぁと思いました。(報告者 山下祐)
先日から毎日プールに入って楽しんでいます。
以前報告をさせていただきました園庭は、塾頭山下先生と西村先生のお力で、素晴らしい園庭になりました。
2歳児クラスの園庭の脇には、ブルーベリーが植えられ、トマトが植えられ、その向かいにはなんとスイカが植えられました。
スイカを育てるということが自分の経験の中になかったもので、果たしてきちんと育つものなのかなぁと半ば疑問に思っていた部分もあったのですが(笑)
なんとまぁ、見事に大きくなりました!
するとその数分後、職員の悲鳴(笑 嘘です)が。なんと、ある子が収穫してしまいました。
正確には勢いでもいでしまったのですが、ここは大人の対応をと思い、とりあえず穏やかにそのスイカを確保。
それをおやつの時間に割ってみることにしました。
中の色は、白でした。香りはスイカで、味はスイカとズッキーニの中間のような感じで、「美味しい!」とはちょっと違う感じの味でした。
ちょっと興奮しすぎて写真を撮ることを忘れてしまったのですが、子ども達も興味津々といった感じでスイカの中身を見つめていました。
こんな感じでした↓
最近の塾長が書かれている臥竜塾ブログでは、「指さし」を含めた人間がコミュニケーションに有効活用する身振りをトマセロ氏らの研究と照らし合わせて解説してくださっていて、それが1番顕著に現れるのが乳幼児期で、私たち保育者はそれらの子どもたちの姿を毎日観察できているのですから、塾長のブログを拝見している方はトマセロ氏らの研究、塾長の解説が今ある子どもたちの姿と結びつく経験ができたのではないでしょうか。
私もその1人であり、ブログと子どもたちの姿が連動して、日々の気付き、発見が多くなってきたと実感しています。
そこで、様々にある保育のシチュエーションの中でとても重要な要素に「子ども目線」があると感じ、塾長のブログにより得られた子どもたちの姿、行動の理解を今まで以上に子ども目線、または「子どもの立場」に置き換えて考えることで、更なる理解に繋がっていくように思いました。
昨年度の成長展で、子どもたちに小型のビデオカメラを付けてもらい、その動画を保護者の方々に観てもらう取り組みをしました。
これは私たち保育者にとっても大きな気付きで、子どもたちの目線ではパーテーション越しはどう映っているのか等の様々な気付き、発見が得られました。
それらを活かして「子どもの目線」から指さしを含めたコミュニケーション行為の理解を深めていけたらと考えています。
そこで、1歳児クラスのお部屋で子どもたちと過ごしている時に、極力立たずに座っている姿勢か、動く時はうさぎ跳びをするかのような姿勢で動いて子どもたちとの目線の共有を図ってみました(笑)極端ですがこのような方法しか思い付きませんでした…
これにより、普段より多くの子どもの協力的・援助的・利他的な行為を体験することができた気がしています。
うさぎ跳びのような姿を維持して、歩き辛そうにして歩いていると1人の子が私の腕を掴んで、一生懸命上に上げて立たせようとしてくれたのです。
これには感動しました。
この行為を受け、立って「ありがとう」と伝えると満面の笑みを浮かべていました。
このときのうさぎ跳びの姿勢をしていたときの意図は、単に子どもたちとの目線の共有で、立たせてもらいたいという子どもたちの援助的で利他的な動機を引き出そうとするものではなかった分、自然にその行為に及んだようにも感じました。
逆にその行為を受け、またそのシチュエーションを作って、意図的のその子前を通り目線を送ると、無視されてしまいました。
子どもたちは大人の意図することを瞬時に理解し、行動に反映させることができるのだと身を持って体験することができました。
他にもうさぎ跳びの姿勢でいると、ある子が棚の上にあるおもちゃを指さし、取って欲しいと要求してきました。
しかし、うさぎ跳びの姿勢では届かないところを見せると、前回の子と同様に私が立てば取れることを知っているかのように手を掴んで立たせようとしてくれました。
今回はこんな極端な形で実践しましたが、次回からも様々な方法を考えて子ども目線から更なる子どもの理解に繋げていけたらと思います。
(報告者 若林邦彦)
茶室での報告が続きます。
茶室で食べ始めたある日、ある女の子がおかわりをするために茶室を出て、おかずをおかわり当番の先生にもらいに行きました。その際におかわり当番の先生はその女の子に、「茶室で食べるのはどう?」と聞いたそうです。
するとその女の子がこう答えたそうです。「なんか落ち着く」と答えたそうです。
これはまさにその雰囲気をしっかりと感じとっているということだと思います。
ほかにも最近こんな感想が子どもから出ました。
「静かだから、食べやすい」と言っている子もいました。
茶室の前にはこんなものが貼ってあります。
少し反射して見えにくいですが…
この茶室という非日常空間に入ることにより上の写真にあるように不安や緊張の緩和、イライラを解消したりする効果があるようです。
子どもたちの発言にあるように落ち着くという言葉が出るということは、この空間があることによって子どもたちは何も言わずとも緊張や、イライラを解消したりしていることがわかります。
さらにいつもとは空間があることで違う落ち着きがそこには感じられます。気持ちは高ぶってはいるものの発する言葉はとても落ち着きがあり、しっかりと物事を考えて話しているような印象です。
そして自分の言いたいことをここではしっかりと主張し、お友だちや先生ともよく話ができます。話をすることで感じたのが、静かに心を解放し、自分を見つめ、自分の発散エネルギーを自分の中に取り戻す時間であるようにも感じました。
静かであることで、騒ぐ必要がないため、自分の言った発言をしっかりとみんなが聞いてくれることで満足感を得られ、イライラの解消にも繋がるのではないかとも思えます。
子どもたちと大事なお話がある時はこの空間を使っても良いのではないかとも思えます。
茶室の前にある掲示のような効果が目の前で感じられることはとても面白く、五感をフルに使えるお茶というのは非常に面白そうだと感じます。
そのお茶を以前、塾生の西村氏がお茶を習っているため、その先生をお呼びしてお泊り保育の際に本格的なお茶体験を子どもたちにしてもらいました。その報告はいつか…笑
そして、それぞれの先生が茶室で一緒に食べることでちょっとした気づきが2つありました。
1つ目は、正座です。
現代の子は椅子での生活が普通であるのか、すぐに姿勢が崩れてしまう子が多いということ。数名は最後まで正座でご飯を食べることができますが、まだ難しい様子。ただ現代は足が長い子が多いというのは正座という生活ではなく椅子に座る習慣がついていることがわかります。
ですのでこの茶室という空間はちょうど良く、日本の伝統を肌で感じ、正座という日本の文化を思う存分味わえる空間であるように思えます。
2つ目は、箸の持ち方です。
狭い空間では、それぞれの子をよく見ることができます。普段も見ていますがそれ以上にということです。笑
近いことで箸の持ち方など教えられる良い機会ともなります。以外と持ち方がわからない子が多いことに気付け、遊びの中に組み込んでいかなければいけないねという反省点も浮き彫りになったと言うことです。
ちょうどこの日は納豆炒めというおかずだったため一粒取れるかな?ということをやってみました。
個々の発達がよく見れるという部分でもよい機会なのではないかとも感じます。茶室という空間があることで様々な発見が見られます。
これからもなにか発見があれば報告していきたいと思います。
(報告者 本多悠里)
先日、怒ること、叱ることについて、とても考えさせられたと同時に、気持ちがとても救われたことがあり、自省の意味も込めて、報告をさせていただきます。
新宿せいが保育園は、20:30までが開所時間である為、18:30以降の子ども達に、補食や夕食を提供しています。
それはある夕食でのことで、その日のお味噌汁の具はジャガイモでした。
子ども達といつものように「いっぱい・ちょっと」を尋ね、自分で自分の食事の量を決めてから、夕食をスタートしました。
2歳児クラスの男の子が、大好きなお肉のおかずを最初に食べ、「おかわり!」と来ました。
お味噌汁も、おかずも食べてからにしようか。何の気もなしに言ったことだったのですが、それに対して、
「ヤダ。だって汚い。」
と、おつゆだけになった味噌汁のことを指して言うのです。
皆さんなら、どう対応されますか?僕は、調理の先生が一生懸命作ってくれていることなどを、伝えました。
すると次の瞬間、その子は、目の前にあったおにぎりを皿ごと放り投げました。
皆さんなら、どう対応されますか?(笑)未熟な僕は、怒ってしまいました。
新宿せいが保育園では、19:30を過ぎると、遅番担当の先生二人での保育になります。
その子も、おかわりはできないは、怒られるは、で、本人ももうどうにでもしてといった感じになり、とりあえず食事の場所からあそびの場所へ、遅番担当のもう一人の先生の方へ移動をしてもらいました。
少し落ち着いたようで、それでも聞こえる小さな泣き声に、その後、もの凄い自省の念というのでしょうか、どうして怒ってしまったのか、怒ったり叱ったりする他にもっと他に方法はあったのではないか、と、とても落ち込みました。
藤森先生の臥竜塾ブログ
〝どうも人は、普段何か面白くないことがあった後では普段より堪忍袋の緒が切れやすいのです。これは、私たちは経験からそのことは知っていますが、それは、あらゆる種類のストレスは副腎皮質に働きかけて精神を緊張させ、人間を怒りっぽくするのです。〟
とあります。そこに至るまでの自分に落ち度があったこと、何かにもしかしたらイライラしていたのかもしれないことなど、色々と考えられるものの、その時は中々気持ちが切り替えられずにいました。
すると「どうしたんですか?」と。夕食の様子を見に来た調理の先生の声です。
これこれ事情を話すと、「なるほど。それは、私も同じ気持ちですね。」と一言。そして、その子のところへ行き、何やら話しています。
すると、すっと泣き声はやみ、あそびへと向かっていくその子の姿が横目で見えました。
遅番で一緒だった1歳児クラスの先生は僕と同い年の新人の先生です。食事の片付けも終わり、少し落ち着いたところで、必要があるだろうな、と感じ、その先生にもことの次第を話しました。
すると、「さっき、調理の先生が話してたよ。〝せっかくつくった料理を先生も汚いなんて言われたら嫌だし、おにぎりも投げないで食べて欲しかった〟って。そしたら、頷いてあそびに向かっていってたよ。」と教えてくれました。
また、「加藤くんの気持ちもよくわかる」、と言ってくれました。
僕は、とても気持ちが救われたような思いがしました。それと同時に、ここに、見守る保育が織りなすチームワークを肌で感じたように思い、先生方に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
改めて、職場におけるチームワークは、保育士同士だけのものではないこと。また、新人も何も関係がないこと。多様性の糸が織り成され、補い合って一つの環境が生まれていくこと。そんなことを感じました。
臥竜塾ブログ
〝何かに腹を立て、それを家に帰って夫婦の間でそのことを報告するときに、その内容に同じように腹を立てて聞くと、怒りが増大してしまうことがあります。それを、その理由なりを冷静に考察することから助言をすると、怒りがおさまるということがあります。そこに、私は複数の人からの多角的な見方が必要であり、それを素直に聞く力が必要だと思います。〟
僕は変わっているので、その僕が素直かどうかは別としても、あの時関わってくださった先生方の言葉は、とても優しく、心に染みるものでした。
同時に、モヤモヤしていた気持ちはいつの間にかどこかへ行ってしまっていたのでした。
数分後、その子の方から近付いてくるから驚きます。
「絵本読んで。」
子どもの方が、何枚も上手で、僕は本当に未熟です。
僕は、声を大にして言いたい。見守る保育は、保育士としても人間としても未熟な人を、救い、育てる保育である、と。
(報告者 加藤恭平)
先日、1歳児クラスの昼食後の掃除をしていました。床にこぼれている物を雑巾で拭き取っていると、ある視線に気づきました。一人の1歳児が、椅子に座ってこちらを見ているのです。その子は、パーテーションを抜け出し、掃除のために除けられた椅子にちょこんと座りながら、両手をモゾモゾと動かしながら掃除をしている大人を眺めていました。その子は何を見て何を思っていたのでしょうか。すると、数日後、その子は昼食後に自分が持っていたタオルで、汚れた床を拭いていました。その様子を見ていた職員は、「◯◯ちゃん、ありがとね。そのタオルじゃなくて、こっちのピンクの雑巾でお願いね。」と言って床用の雑巾を渡していました。手や顔を拭く用のタオルで床を拭いている子どもに「こんな汚いことしないで!」と言って取り上げてしまうのではなく、その行為を別の物や正しい物でできるように、その行為を可能にできるような環境を用意する事が大切であると思っているからでありますし、事前に掃除をする大人の様子を見ているその子の姿を把握しているからこそ、この対応にも意味が生まれるのかなとも感じました。
また、窓に模造紙を貼っている職員を見つけて、その様子をじっと見つめる1歳児がいました。定規と鉛筆を駆使してきれいに貼られていく紙を眺めていました。しばらくすると、1歳児が不思議な行動をし始めました。座りながら、両手を前に突き出し、左右に動かしたりしているのです。それは、目の前にいる職員の動きそっくりでした。どうやら大人の行動を模倣しているようです。すると、その子は「よし、いける!」と思ったのか、落ちていた紙を拾って窓に歩みより、自分でもやろうとしていたのです。紙を貼っていた職員はその子に気づき、「お〜◯◯ちゃん。来たかぁ〜。」と作業をしながら言っていました。個人的には、“作業をしながら”というところが好きです。
大人が黙々と床掃除をしたり、行事のために窓に模造紙を貼っている姿というのは、子どもにとっても社会の一部ですし、様々な役割を知る機会でもあります。
塾長は、こう言っています。
『なぜヒトは身ぶりを模倣できるようになったのでしょうか。ヒトは、社会を形成し、そこで助け合い、協力して生きてきました。当然、そのためには他者とのコミュニケーションが大切になってきます。その際、言葉だけに頼るのでなく、他者の身ぶりを頻繁に模倣し、また同時に模倣されていることに気付きます。他者の身体の動きに注目した模倣は、他者と同じ経験を忠実に繰り返すことを可能になっていきます。その結果、自分の心と他者の心をしっかりと重ね合わせることができ、他者がなにを考えているのか、何を意図しているのか、といった心的状態を、他者の行為を観察するだけで読み取ることができるようになります。それが対人知性と呼ばれるスキルで、現在生きていく上で、最も大切な知性であるといわれています。これは、自分が属する社会のメンバーと円滑にコミュニケーションするうえで、欠くことのできない能力であるからです。』
子どもに関わる全ての大人は、子どもが「属する社会のメンバー」であり、社会のモデルでもありす。そのような、大人の行動を模倣してみたり、子どもの同士でも、お互いに模倣し合ったりするような経験から、他者理解という相手とのつながりを自ら形成し、社会を学び、多様な他者を学んでいくのですね。子どもの、大人や他児の行動を模倣しようとする観察力や行動力、そして探究心にいつも驚かされています。
(報告者 小松崎高司)