能力の定着 ー異年齢ーを読んで

園庭でも、異年齢での関わりがとても多く見られます。小松崎先生の報告の中に〝幅の広い異年齢集団を構成することによって、新しい知識や価値観を取り入れ、さらに自分たちの能力を定着させるため、「教え・教わる」関係が自然に生まれるための環境を意図的に設定している〟とありました。

じー

じー

カゴを押しているのは2歳児クラスの子。柵に掴まっているのは、1歳児クラスの子です。何やらじーっと見つめていますね。

よいしょ

よいしょ

見送ったようです。すると、何かを探してあっちへ行ってしまいました。

これこれ。あったあった。

これこれ。あったあった。

見つけて戻ってきました。

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あ、どうも

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大満足♪

このような、関わりがとても多く見受けられます。ちょっと坂になっているこの場所でのカゴ押しは、1歳児のこの子にとっては少しハードルが高かったかのかもわかりませんね。でもやってみたい。やってみたら出来た!!2歳児のこの子は1歳児の子に教えようと思って、意図して目の前を何度も通ったわけではないのでしょうが、これこそ、〝「教え・教わる」関係が自然に生まれるための環境〟がそこにあるということであると思います。

また、これらの姿を見て異年齢の関わりそのものも素晴らしいなと思うのですが、何といっても、それらをよしとする職員の姿勢に心を打たれるのです。保育園の環境は、保育室や園庭のつくりいかんにせよ、大人が子どもに向ける眼差しによって大きく左右されます。

それをうまく説明できないのですが、例えば。カゴはその後別の遊びへその子が向かった為に、坂の途中に放置されました。多くの保育園では、もしかしたら「危ないから」「邪魔だから」「出したものは片付けよう」などして、元にあった場所へ大人が持って行ってしまうかもわかりませんね。ところが、そのカゴはずーっとそのままの状態なのです。それが、もしかしたら次の関わりに繋がるかもしれない、次の遊びに発展するかもしれない、という保育者からの意図であり、また、落ちているカゴ一つで、玩具一つでいちいちヤキモキしない(笑)心の余裕であると思うのです。

部屋や園庭の掃除を徹底することが保育者の大切な仕事ではありません。きれいにこしたことはないですが、掃除なら掃除のプロがいるわけで、その道の業者さんに任せればいいのですね(笑)藤森先生は、保育者の仕事とは『環境をデザインすること』と仰っています。

〝「教え・教わる」関係が自然に生まれるための環境を意図的に設定している〟。僕らは常に何らかの意図をもっています。その意図を、さも正しいことで片付けてしまうのはもったいないと思います。保育園で生まれるドラマの一つ一つにそのドラマが生まれる為の布石があり、その布石は、目の前の子どもや職員を見守ろうとする温かな眼差しによって生まれているのかもしれません。

(報告者 加藤恭平)

また遊んでねー

また遊んでねー

親子遠足の看板制作

先週の17日は、新宿せいが保育園親子遠足でした。16日開催の予定だったのですが、雨のため17日の開催となりました。17日は、快晴で絶好の遠足日和となり、園児、保護者、職員みんなが楽しむことができました。

さて、今回私が書きたいのは、その遠足の内容ではなく、遠足の看板についてです。これまでの行事の看板は、学童さんが作ってくれていたのですが、今年から学童がなくなったため、私とお昼寝をしない3、4、5歳児の子たちで作成することになりました。これまで何度も話題に出てきているとは思いますが、今年の新宿せいが保育園のテーマは『伝統を見直そう』です。そこで、看板もそのテーマに沿って作成しようと思い、色んなアイデアが浮かびましたが、どれもイマイチなものばかりでした。

そして、遠足が週末と迫った臥竜塾で、塾長のお宅でトイレに入って、ふと前を見ると、尾形光琳の『燕子花図屏風』の絵葉書が目に入りました。これは、ブラヘイジで、熱海にあるMOA美術館に行った際、実際に見たことのある絵でした。見た瞬間「これだ!」と思い、作成を始めました。

燕子花図屏風

作成にあたり、どのように子どもたちと作ろうかと悩みました。そこで絵の苦手な私にとって、かきつばたの絵を描くのは、難しかったので、そこを子どもたちに折り紙で作成してもらおうと考えたのです。苦手なところを子どもたちにフォローしてもらう、新宿せいがのチームワークですね。(笑)

さらに、私のこだわりが2つあります。燕子花図屏風の背景を見てみると、正方形の金箔が並べられているのが分かります。このように、背景に金箔や銀箔を用いるのは、琳派の特徴の1つのようですが、これを再現したかったのです。金の折り紙を並べても良かったのですが、それでは味がなく、金箔の感じが再現できませんでした。そこで、様々な色の折り紙に、金のスプレーを吹きかけ、再現しました。すると、スプレーしたおかげで、ムラができ、味がでてきたのです。

そして、私のもう1つのこだわりが、「リズム」でした。燕子花図屏風の特徴として、同型を繰り返して用いることで、リズム感を与えていると言われています。燕子花図屏風を見ていただくと分かりますが、同じような配置のかきつばたを繰り返し、リズム感が出ていることが分かります。それを看板に再現したかったのです。しかし、そこが一番難しいところでした。何度もかきつばたを置いてみたのですが、リズム感を表現することができなかったり、かきつばたが多くなったりしました。悩んでいると塾長が通りかかったので、配置の相談をしました。そして、配置の修正をしていただいたのですが、修正するうちに、どんどんリズム感が生まれてきたのです。塾長との美術センスの差を痛感しました。(笑)

これら2つのこだわりが入った今年の親子遠足の看板がこちらです。

自分で言うのも、おかしいですが、ずっと眺めたくなるくらい、納得のいく看板になりました。(笑)

今後の行事の看板も、伝統にちなんだものを作成していく予定です。その都度、ここで報告ができたらなと思っています。

西村 宗玲

初の懇談会

先々週の土曜日に息子の保育園の懇談会がありました。

当初は出る予定ではなかったのですが、遠足が延期になってしまったので夫婦二人で参加しました。

 

基本的に私は保育園で担任をもっていないので懇談会という物に初めての参加になります。

懇談会の様子は、翌朝の朝会で聞くだけなので、実際はどのような雰囲気なのかいつも気になっていました。

ですから参加することが決まって内心はとても楽しみにしていました。

 

ドキドキしながら息子の保育園に向かい、わが子を預けて、いざ保育室に入りました。

やはり母親が多いのかな?と思っていましたが、私以外にも3人のお父さんが参加されていました。

 

まずは担任の自己紹介から始まり、続いて保護者の自己紹介です。その時にお子さんの自慢話をして下さいとのこと・・・。

それぞれの保護者の自己皆さんが我が子の自慢話を展開されて、なかなか面白かったです(笑)

ちなみに山下家の自慢話は、よく妻と歌を歌うので、歌詞の最後の部分だけ一緒に歌って楽しく過ごしていることです。

自慢話というか、一緒に過ごしていて楽しい時のエピソードですね。

 

さて懇談会の話題に入りましょう。

まずはこの時期から「イヤイヤ期」についてです。

以前、私の活動報告でも触れましたが、懇談会でも議題にあがりました。

 

お兄ちゃんお姉ちゃんがいる家庭は、この時期を一度経験しているかもしれませんが、

初めてのお子さんの家庭は、まさに未知との遭遇かもしれません。

保育園からのアドバイスとしては、「受け止めて切り返すこと」と話していました。

子どもの自我を受け止めているつもりでも実際は受け流していることがあるとのことです。

 

子どもが「いや!」と言えば「やらなくていいよ」と言い、「○○が欲しい」と言えば与えるといった、

要は子どもの言いなりになる関係でなく、

子どもの欲求を「こうしたいんだね」と共感し、意味づけをする、行動の背景を理解してあげる関係を築いて下さいと。

 

よく塾長の講演でも、この辺りの話はよく出ますし、園内研修で質問事項でも多いです。

それに対しての答えは、

「まずは本人に共感してあげること、そしてちゃんと向きあえば分かってくれますよ」と。

1歳だからといって、まだ何も分からないと決めつけるのでなく、一人の人間と接することが大切なのかもしれません。

とは言っても全員が素直に言うとおりにしてくれるか?というと、難しいかもしれません。

見守る保育の基本、子どもを信じる。

保育士はもちろん、親が我が子を信じてあげないといけませんね!

 

あとは事前に懇談会の出欠表の提出の際に、子育てにおいて疑問に感じていることや、悩みなどがある方は書いていたそうです。

 

その中で「しつけをどのようにしているのか?」という質問がありました。

何人かの家庭にどう考えているか聞いていましたが、山下家に振られ、妻が答えたのは

「逃げ道を作ってあげたい」と言いました。

「まだイヤイヤ期がピークではないので、そこまで大変ではないですが、今後成長して怒ることがあった場合、二人で怒るのではなく、

どちらか一方が怒った場合はどちらかが怒らないで安心基地になってあげる」と。

それを聞いていて、おそらく私は安心基地ではないな(笑)と思いながら聞いていました。

 

そんな具合で懇談会が終わりましたが、

感想としてはもちろん初めての体験だったので刺激が多く、いい経験をしました。

そして、わが子が安心できる保育園に入園できたことに嬉しく思います。

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親になってみて、色々なことが初体験と同時に、

自分の保育園を親の目線から見ることができるようになったと思います。(報告者 山下祐)

能力の定着 —異年齢—

異年齢集団という「発達の幅」や「多様性」が存在する環境によって、子どもたちは大人になるための準備をしています。大人社会には様々な発達や異なりが存在しているわけですが、そのような中で、社会に適応し、必要な力を携え、自分を表現し、その力をいつでもどこでも使用できるようにしなくてはいけません。その上で最も重要な行程でもあると考えているのが、「能力の定着」です。その過程が自然発生的に生まれるのが、「異年齢集団」でもあるのだと思います。

塾長は「教えることにより能力を定着させる」「学んだことを様々な方法で表現し、人に伝えようとすることは、知識を構築するうえで非常に役に立つ」と言っています。そこからは、他者から“教わるだけ”であっては自分の力にならないこと、教わったことを別の他者に“教える”場が必要であるということが読み取れます。そのため、「教え・教わる」経験を重要視しているのですが、なぜ「教わる→教え」ではなく「教え→教わる」であるのかということを考えてみました。能力を定着させるため、まずは、他者から自分にはまだない能力を“教わる”必要があるのだと思っていました。それがあって初めて、模倣からの“教え”があり、能力を定着させていくのではと思っていたのですが、最近の塾長ブログや研究などでは「赤ちゃんは教えたがり」とか、「赤ちゃんは能動的」であることが報告されています。その部分から考えてみると、子どもは生まれながらにして「教わる」よりも早く、「教え」ようとしており、そういった行動が前提にあることで「教え→教わる」につながる気がしたのです。

先日、1歳児が、以前報告でもあげたコマをクルクルと上手に回していました。その様子を0歳児がじっと見つめていたのです。その「見られている」気配を感じ取った1歳児は、さらにコマを回します。まるで、「ほら、すごいでしょ!」と見せつけるかのようです。0歳児は、それでもじっと見つめています。次第に、自分でも触ってみたくなったのでしょう。ハイハイで近寄ってきては、その回っているコマを止めてしまいました。

「見ているよ」

「見ているよ」

「触ってみよう」

「触ってみよう」

1歳児はというと、その姿を見て「いいよ、やってごらん」といった感じに、コマを譲り、別の場所へ行ってしまいました。0歳児はというと、1歳児のマネをして手や指を動かして、コマをなんとか回そうとしていたのです。これらは全て非言語コミュニケーションで行われているため、本当の意味や感情は分かりませんが、私は、この一連の流れから、0歳児は「教わる」よりも先に、じっと対象者を見つめ“あなたを見ています”といったことを「教え」ていたのだということを感じました。

「難しい…」

「難しい…」

去年度のある日、5歳児が園庭にある網状の遊具を上手に登っていました。その姿を1歳児がじっと見つめていました。5歳児は、時折その1歳児の方をちらっ、ちらっと見ながら登っているのです。明らかに1歳児を意識して登っています。5歳児がそこから降りた後、1歳児もマネをするかなと見ていると、自分にはまだ難しいということを理解しているのか、何事もなくその場を立ち去っていきました。ここから、“見られる刺激”という「見ていることを教えられる環境」が、まず必要なのだなと思ったのです。そして、1歳児の脳内では、きっと「見る」という能力の定着が行われていたのではと感じています。

見て・見られる刺激

見て・見られる刺激

発達が同じ者同士の関わりからでは見られにくい、コマの事例の1歳児であっても、遊具の事例の5歳児であっても、どちらも教えるという経験によって、“自分はこんなことができるのか!”と、自分の能力を知る機会にもつながっていくのだと思います。新宿せいが保育園では、毎年必ず“新人さん”を入れるようにしているということを聞いたことがあります。それは、子どもと同じように、幅の広い異年齢集団を構成することによって、新しい知識や価値観を取り入れ、さらに自分たちの能力を定着させるため、「教え・教わる」関係が自然に生まれるための環境を意図的に設定しているのではないかなぁと、今感じました。

(報告者 小松崎高司)

ちょっと変わった職員が考えるリーダー論3 〝背中は語る〟

人はその背中に憧れて、見守る保育のドアを叩く

初めてその先生と出会ったのは、藤森先生の名著『0・1・2歳の「保育」』の中でした。正確に言うと実際にお会いしたわけでなく、その本を読んで勝手に憧れていただけなのですが(笑)その、写真がこちらです。

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掻き鳴らすギター、テーブルに乗った足、集中を通り越して熱狂しているようにも、呆然としているようにもとれる子ども達。今にも音が聴こえてきそうな臨場感あるこの写真の男性に一目見て恋をしました。

その先生もまた、新宿せいが保育園の前身である『せいがの森保育園』から見守る保育を支える重鎮の一人です。新宿せいが保育園を最前線で牽引する男性保育士の筆頭であります。先日の本多先生の報告にも登場されています。(http://namagaryujuku.com/?activity=歩き方)

藤森先生が10年間毎日欠かさず更新されているブログ『臥竜塾』の2013年3月8日『ユーモア』(http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2013/03/ユーモア.html)の中で、〝タイミングの良いジョークや陽気な笑いは、創造性を刺激し、コミュニケーションの端緒を開き、一体感や信頼感を強め、仕事をより楽しくしてくれる〟と書かれています。

憧れの人と同じ職場にいるというのは、例えばがんばってバンドで売れて、憧れていたミュージシャンの方々と紅白歌合戦に出るような、そんな感覚です。気さくなその先生のお人柄に調子づいた僕に、ついにこの写真のことを話す機会が訪れました。種明かしのようで嬉しかったのですが、聞くと、「カメラを向けられたから、ついね(笑)」とのことで(笑)これこそ上記されているユーモアそのもの。また、それを著書の中に掲載された藤森先生の度量、意図を感じさせます。

その先生の放つ光は、お集まりの時間ににわかに輝きを増します。その先生の読む紙芝居、絵本の面白さに子ども達はもちろんのこと、職員も、ついには保護者までも集まってしまうのです。いつの日かは、気付いたらそこにいた人達はとっくに就業時間を過ぎていました。ザリガニなどの生き物を題材にした写真の紙芝居や、部屋に置いてあるいつもの絵本がその先生の力によって、命が吹き込まれるかのようです。また、ラジカセ、マラカス、カホン、ギター、そして、自転車の鈴(笑)など、挙げればキリがないのですが、それら全てが先生の武器です。

また、2013年3月7日『雰囲気』の中で〞リーダーは、みんなから注目されているために、他の人以上に、その表情が人に与えるインパクトは、わずかな表現でも伝わりやすいのです。ですから、大げさに自分をアピールする必要はありませんし、目立つ表現をする必要はなく、自分に率直に気持ちを表現すればいいのです。〟

その先生の影響で、お集まりの時間に何か面白いことをしたいという気持ちが強くなっていました。積極的に自分からそういう機会を得ようとガツガツしていた時に、「今日の遅番(お集まりの主導をとる先生)って加藤先生なの?」と一言。たった一言いただき、自分が周囲の先生からそのような機会を奪っていたかもわからないことを、そっと教えていただきました。

「もう加藤くんも教える立場だからね。」

言葉としては、なんと少ない言葉なのですが、とても胸に響きました。その先生を始め多くの先生に見守られて自分があることを確認させていただいたような、また、自分を認めてもらえているような、そんな気持ちになりました。

2013年3月8日『ユーモア』のブログはこのような言葉で締めくくられ、次のテーマへと、発信されています。〝人は、それぞれ経験も、育った環境も違いますので、考え方も違います。考え方が違う人と同じ目標にむかって一緒に仕事をしなければなりません。そのために、その違いを受け入れる寛容さ、その違いまでも自分の中に取り込む度量の広さが必要になります。〟

相手を傷つけることなく、相手の意欲を削ぐことなく、相手に気付かせてあげる。僕も新しく入った人達を迎えて、実感として感じていることがあります。その先生が言って下さったそれは度量ある人の言葉であり、藤森先生が保育を〝保育道〟であると仰るように、保育とは人を高めていく仕事であるということを、改めて感じる出来事でした。

僕は、この背中を追いかけていこうと思います。いつの日かその先生のように、憧れられる存在を目指して。

(報告者 加藤恭平)P3250052

マタニティカフェ

子育て支援事業の一つに妊婦さんを対象とした集まりがあります。 よくいう「マタニティカフェ」です。

全国、色々なところで開かれていると思いますが、 内容としては、簡単なお菓子を作ったり、赤ちゃんが遊べる玩具を作ったり、

初めての出産に向けて不安や心配を抱えたお母さんに 先輩ママや保育士、助産師から出産に向けてのアドバイスやお話を聞いたりと、 お茶を飲みながら、妊婦さんが楽しく過ごす場です。

 

私の息子が通っている保育園でも定期的に行っているそうです。

そのマタニティカフェを私の妻が保育園でやってみたい!とずっと言ってました。 そして夜な夜なパソコンの前でポスター制作をしていました・・・。

そしてついに先日、完成し保育園のホームページに掲載しました。 良かったら見て下さい(笑)

ただ妻の場合はなかなかの精神の持ち主だっので妊娠中も不安と言うよりは楽しみの方が強い印象を受けました。

とは言っても全く不安が無いわけでは無かったと思いますが…。 ただ中には出産の怖さ、そして赤ちゃんが産まれた後にどうしたらいいのか?

そして役所に出さなければいけない提出書類など、やることがたくさんでパンクになる人もいるかもしれません。

そんな時に先輩ママの体験談や保育士さんから赤ちゃんの接し方、離乳食の事など自分で勝手にイメージを膨らませて憂鬱になるのでなく、

自分の耳で実際の話を聞くことで、不安も少なくなると思います。それは結果的にお腹の赤ちゃんにも良いですし、出産に向けての良い心構えにもなると思います。

 

さて話しが変わるのですが、先日、息子の一歳半健診に行ってきました。

最初に保健師の方から言葉や歩行がいつ頃から出来るようになったか?とヒアリングを受けて、そして身体測定のあとにお医者さんによる健診です。

早めに行ったにも関わらず、既に多くの親子がいてかなり待たされました…もちろん息子は静かに待てるわけなく、動き回り、時には泣いたり、騒がしかったです(笑)

そしてやっと全ての行程が終わった~!と思ったら、 「この後に懇談会があるので、あちらのお部屋でお待ちください。」 と…なるほど・・・そういうことか・・・。

最初は出ないで帰ろうと思いましたが、せっかくの機会なので出ることに。もちろん回りはお母さんばかりで、お父さんは私と、もう一人いたくらいです。

まずは子どもの自己紹介をしながら、言葉、食事、イヤイヤ期などの現在の状況を話して下さいとのこと。 ちょうど我が子もイヤイヤ期が激しくなってきたので、それを伝えて

「まぁ良い感じでイヤイヤ期ですね(笑)怒っても仕方ないので、いつも妻と笑って見てますね~」

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と答えると、やたら関心してくれました(笑) と言うのも他のお母さんの話を聞くとイヤイヤ期にカナリ手を焼いているようで、余裕がないそうです。

そんなお母さんに区の方が

「竜くんのパパのように、イヤイヤ期を余裕を持って受け止めて、見守ってあげることが大切ですね」

とアドバイスしていました。ちょっと嬉しかったですね(笑)

そんな話を聞いて、つくづく自分の職業に感謝した瞬間です。

おそらく保育に出会っていなければ我が子のイヤイヤ期に私もイライラし、手を焼いていたでしょうね。 また保育園で働いていたとしても見守る保育だからこそ、

我が子のイヤイヤも笑って見ることができるのかもしれません。

見守る保育の三省の一つ 「子どもの存在を丸ごと信じる」

保育に限らず、子育てにもこの言葉は大切な言葉です。

もし妻が開催するマタニティカフェで私に少し時間をくれるなら、その事を出産を控えたお母さん、お父さん方に伝えることができればと思います。(報告者 山下祐)

ちょっと変わった職員が考えるリーダー論2 〝笑い声の魔法〟

その笑い声は一際大きく、その場の雰囲気、景色をがらりと変える。

その笑い声が聞きたくて僕らは子どもの面白い姿を一生懸命探すのです。

藤森先生が毎日欠かさず更新されている、『臥竜塾ブログ』の2013年3月6日『笑い声』の中で、〝明るい雰囲気は、職場における協調体制や公平性や能率を向上させる〟とあり、笑顔や笑い声の重要性について書かれています。その中で、「EQ~こころの知能指数」を書いたダニエル・ゴールマン氏の〝笑い声を聞くと、私たちは自然に笑顔になったり笑い声をあげたりする。そして、それが連鎖反応のようにグループ全体に広がっていく。笑いが伝染しやすいのは、人間の脳に笑顔や笑い声を感知する開回路が特別に組み込まれているからだ。その結果、いい意味での感情のハイジャックが起こる。〟と紹介されています。

その先生はとにかく面白いことを見つけることが速く、それを周囲と共有するかのように、大きな声で笑います。新宿せいが保育園開園の立ち上げだけでなく、その前身となる『せいがの森保育園』の立ち上げからいらっしゃる、いわゆる〝大〟ベテランの先生です。

僕はその先生とチームを組んで幸運にも今年で2年目となります。その先生の寛大さ、笑い声の力に幾度となく助けていただいてきました。

例えばなのですが、

自分の目の前で子どもが転んだ時。子どもが園庭の砂を食べてしまった時。散歩に出るドタバタの中で、ある職員が上履きのまま散歩に出てきてしまった時。おしっこだと思って替えようとしたオムツから大きい方のものが出てきてしまった時。食べないと言ったオヤツをやっぱり食べると子どもが言った時。まだまだあります、日常のちょっとした心穏やかでいられなくなるかもしれない瞬間(笑)忙しかったりすると、尚更のように思います。

ところが、それら全てをその先生は笑ってしまいます。〝笑い飛ばす〟を辞書で引くと「大した問題ではないと笑って取り合わない」と出てきますが、そんな無責任な態度でなく、深い思いやりの中からくる本物の笑いで、笑い〝翔〟ばしてくれるのです。

ブログの中には、〝笑い声は、友好関係を確信させる唯一無二の信号だ。他の感情を表わす信号と違って(笑顔は演技で作れる)、声をあげて笑うことは高度に複雑な神経回路の働きを伴い、演技が難しい。したがって、見せかけの笑顔で人をだますことはできても、無理な笑い声は空虚に響く。〟とも書かれています。その先生の笑い声は、とにかく温かく響き渡ります。

また、ゴールマン氏は、職場における笑い声について、「職場に笑い声があれば、それは従業員たちが頭だけでなく、心も集中している兆候と言える。しかも、職場での笑い声は、陳腐な冗談とは無関係だ。笑い声は、自分たちは波長が合っている、自分たちはうまくやっている、ということを再確認するメッセージだ。それは、信頼、気安さ、世界観の共有を示す。今のところ何もかもうまくいっている、という信号なのだ。」とも言っています。

そう、つまり笑い声は人を動かします。その笑い声についていきたくなるのです。

もし、職場で部下や、後輩がいる方、その人たちが自分の言うことや意見を尊重してくれずに困っていましたら、ぜひ笑ってみてください。効果は絶大です。

デール・カーネギーの名著『人を動かす』の中で、英国の偉大な文学者ドクター・ジョンソンの言葉が紹介されています。〝「神様でさえ、人を裁くには、その人の死後までお待ちになる」。まして、われわれが、それまで待てないはずはない。〟

批判よりも笑顔を。非難よりも笑い声を。魅力的で、一際大きな笑い声をもった人が、僕らのリーダーです。

IMG_1080(報告者 加藤恭平)

発達に合わせる

4月から新学期が始まり、5月も中旬から下旬になってきましたが、子どもたちの様子を見ていてあることに気が付きました。

私のいる幼稚園では、昨年から1・2歳児のクラスができました。そして、そのクラスの子どもたちが、今年から進級し、幼稚園のクラスに入ることになります。クラス編成がおこなわれていく中で、子どもたちはバラバラのクラスに分かれていきます。私や園長先生の思惑としては、1・2歳児でのクラスで培った子どもたちの様子を中心に保育を進める中でモデルになること、ほかの子どもたちのできることが深まることや伸びていくことを期待したのですが、その様子は少し違っていました。

 

私のいる幼稚園は比較的自由に遊ぶ時間が多いのですが、初めはそれぞれのクラスのお友どもたちとあそぶ様子がほとんどでした。しかし、最近は進級した子どもたちは自由遊びの時間になると1・2歳児クラスの時に一緒に過ごした子どもたちと遊んでいることが多くなってきたのです。また、別の子どもはお姉ちゃんのいるクラスに入りびたりになることも増えてきました。

 

初めは、気心のしれるなかの子どもたちだからそうやって一緒に遊ぶことが多くなってきたのかと思っていたのですが、よくよく考えてみるとそれだけではないのではないかと思い始めました。というのも、幼稚園は年齢別であり、一人担任です。そして、1・2歳児の頃のクラスの2歳児、つまり進級した子どもたちは9人ほどで、その他は新しく幼稚園に入ってきた子どもたちです。当然、集団の中で育つ子どもたちよりも、家庭で過ごした子どもたちのほうが多くなります。つまり、子どもたちのこういった遊びの姿やお姉ちゃんのところに行くという行動は自分の発達にあった環境ではないからなのかもしれないのです。

 

また、園での生活では幼稚園の先生方は新入児に対するケアをどうしても優先しなければいけなく、進級児はそういった活動に合わせることになります。例えば、「手を洗う」ということも手を洗う方法を教えるところから始まりますし、観察して見ていかなければいけなくなります。そのため、できるだけ全員で行くようにします。しかし、1・2歳児クラスでは生活習慣の自立を目的として進めていたので、自分たちでやることが当たり前でした。そのため、それをやってきた進級児の子どもたちは待つことが増えてきます。そして、手を洗えるからこそ、自分から行こうとすると止められることもあるそうです。こういったように日頃保育をしていく中で、子どもたちのできることと活動の動きにズレが生じてくることが多くなります。それはなにも生活の部分だけではなく、遊びの部分においても、子ども同士の発達のずれが出てきているように思います。

新宿せいが保育園にいた頃、幼児の部屋を紹介するにあたって、必ずこういった質問がありました。

「異年齢で遊ぶとそれぞれの年代の遊びって保障できるんですか?」

そのときに藤森先生は

「それはできます。子どもたちは発達によって、遊ぶ友だちを変えていきます。それぞれの発達にあった子ども同士で遊ぶことがあるので。その方がよっぽど遊びが保障されています。」

という、やり取りがありましたが、まさに進級した子どもたちが集まって遊んでいるのは発達があった友だち同士だからなのかもしれません。

保育園においては同年代のクラスが複数あることも少なく、3歳になったとしても、進級時よりも新入児の方が多くなるということになることはあまりありません。また、異年齢でのクラス編成であったら、進級の子どもたちの様子も発達に合わせた子どもを探して遊ぶことでその姿は違っていたりするのかもしれません。また、一人担任ではなく、チームであったら、進級児と新入児のケアの仕方がもっと多機能にできたのかもしれません。

以前、大阪の幼稚園の先生が集まったプロジェクトで「こども園をするにあたって3歳児は進級組と新入組を分けた方がいいのではないか」という議論になりました。初めはいろんな人とかかわることやモデルになること、見ることも大切であって、進級児がいるからこそ、家庭から来た多くの新入児のモデルになることや伝えることができると、思っていたのですが、幼稚園という一人担任、年齢別クラスという現場で進めるにはこういった問題がやはり出てきました。また、幼稚園は子どもたちを受ける人数の規模が大きいです。だからこそ、環境のあり方をもっと考えていかなければいけませんし、それを改善する方法に「見守る保育」の環境やチーム保育の考え方を見直してカスタマイズすることが大切だということを改めて感じることになりました。そして、今回の件からどう環境を作っていくことができるのかということを考える機会にもなりました。

(投稿者 邨橋智樹)

ちょっと変わった職員が考えるリーダー論

初めて報告をさせていただきます。

5月より生臥龍塾の一員となることができました。ここまで多くの方々の支えがあり、またこれからも多くの方々の支えの元、藤森先生の傍で学ぶことができることを思うと、支えて下さっている皆様に、改めて感謝の気持ちでいっぱいになります。本当に、ありがとうございます。

そして、塾生のみんなと同じように報告を書く機会をいただきました。報告を書きたいと思っていた時から少しずつ温めていたことがありました。それは〝リーダー〟についてのことです。

我らが新宿せいが保育園中山副園長先生から「加藤くん。将来園長先生になりたいのだったら、これを読むといいよ」そう言われて勧められたのは、藤森先生の〝臥竜塾ブログ〟(http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/)の中の〝リーダー論〟という連載でした。保育園の園長先生になりたいと思っても何から勉強していいものか、設置スペースや、お金のこと、経営のことなどを真っ先に学ぶ必要があると漠然と思っていた僕には、とても衝撃的でした。

新宿せいが保育園で働き始めてからというもの、保育士の方々と交流をもつ機会に多く恵まれるようになりました。新宿せいが保育園に初めて来た時に感じた、風通しの良さ、職員間の気さくな楽しそうな雰囲気。他園の先生方と話していると、これは一体どこから生まれるものなのだろう、という思いを感じられるようです。実際に僕も他園に勤務経験があり、その秘密を知りたいと思っていました。

リーダー論を読み進めていった中で、また日々新宿せいが保育園で見守る保育を学ぶ中で、中山先生がなぜリーダー論を読むことを進められたのか、そして、この新宿せいが保育園の風通しの良さ、職員間の気さくな楽しそうな雰囲気はどこからくるものなのか、そのことを自分なりに理解できるようになっていきました。

様々な要素がある中で、その中でも最も大きいと感じているのが、藤森園長先生を始めとする〝リーダーの存在〟ではないか〟ということです。藤森先生は2013年3月2日『リーダーのSQ』(http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2013/03/リーダーのsq.html)の中で、〞ミラー・ニューロンは、組織にとってとても大きな意味を持っています。それは、組織は、一つの社会だからです。その社会の中では、お互いに心の交換の有無によって善し悪しが決まるのです。たとえば、無愛想でユーモアに欠ける上司の下では、メンバーのミラー・ニューロンは刺激を受けません。一方、よく笑い、おおらかな雰囲気づくりができる上司の下では、この細胞が活性化するため、メンバーたちも笑顔を見せることが多く、チームの一体感も高まるといわれています。これが、私が提案する「楽しい職場」の意味なのです。〟と仰っています。

新宿せいが保育園に来た初めての日、朝会に参加しました。初めての職員室。緊張しながら椅子に座っていると、藤森先生が入ってこられました。ひとりでに増す緊張感。藤森先生は眉間にシワを寄せた険しい表情をされています。

その時です。ある男性職員が、なんとラジコンのヘリコプターを飛ばし始めたのです!確かに、「今日これを散歩先で飛ばすんだ♪」と嬉しそうに言っていたのは、耳に入ってはいました。—ラジコンをもって散歩に!?なんだその素晴らしい環境は!と驚き、朝会が始まっても和やかで楽しそうな雰囲気に驚き、と頭の中で忙しくしていた矢先、なんと大胆にも、そう、飛ばし始めたのです。朝会が始まった直後、しかも藤森先生の目の前で!僕がやったわけではないのに、なぜか僕の緊張はピークに達していました。

終わった。この先生は確実に怒られる…。そう思っていた時に藤森先生から出た言葉です。

「ちょっと充電が足りないんじゃない?」

衝撃でした。そして、瞬時に理解できました。この職員室の中で緊張していたのは僕だけだったこと。藤森先生の険しい表情は、生まれつきのものであるということ。そして、この保育園がこんなにも明るく和気あいあいであること。その理由が、わかった気がしました。

読んでいただいている皆様と同じように、今いる職場以外に、多くの組織に所属されてきた経験があると思います。僕は、その組織の魅力はリーダーがいかに魅力的であるかということは無視できない、という経験を多くしてきました。新宿せいが保育園には藤森先生、中山先生を筆頭に、経験年数の多い、いわゆる〝ベテラン〟と呼ばれる先生が、その核を担って下さっています。

この先生方は本当に素晴らしい方々です。その魅力を、藤森先生のリーダー論の連載とリンクさせながら、お伝えしていきたいと思っています。

(報告者 加藤恭平)

多様性 —異年齢—

子ども時代を“大人になるための準備”と考えた時、「発達の幅」が重要になると、前回報告させていただきました。社会というものを視野に入れると、その発達の幅は、同時に「多様性」をもたらしていると感じます。子どもたちは、そんな多様な環境の中で、自分というものを知っていく気がします。塾長は「人間というものは、他者を通して自分を理解する」と言っています。つまり、周囲が多様であればあるほど、自分という存在がより明確になっていくのではと思っています。母子関係だけよりも、親戚・地域・社会などとの関わりによって、人は自分を理解していくということだと思います。ということで、今回は、「多様性」についての考察をしていきたいと思います。

 

まず、自分というものを理解していく上で、多様な他者という存在が自分にとってストレスなく関わり合っていくかというと、そうでもないと思います。多様性という刺激は、適度な葛藤やストレスも多く生み出しています。先日の臥竜塾年間講座の中のディスカッションでは、「5歳児が0歳児にお手伝い保育に入ると、すぐに戻ってきてしまう。赤ちゃんがどうして泣いているのかが理解できなかったり、意志がなかなか伝わらないことにストレスを感じている様子。」といった報告がありました。年齢に限ったことではなく、性別・国籍・思考・価値観・性格・発達といった異なりから、このような葛藤やストレスを感じるのです。

 

しかし、塾長は、この経験から「調節する力」が育まれていくと言っています。なかなかコミュニケーションがとれない相手との関わりから、相手が何をしたがっているのか、何を望んでいるのか、何を伝えようとしているのかを探り、それに対して自分が試行錯誤して、相手との関わりや距離を調節いく過程にこそ、生きていく上で最も大切だとされている「対人知性」が育まれていくのではないでしょうか。つまり、場合にもよりますが、葛藤やストレスは決して悪いものではないということです。もちろん、共感することは大切だと思うのですが、目先に広がっている子どものそういった姿に、「かわいそう」などと悲観的なイメージを持つことよりも、その先にある「恩恵」に関心を持つことも必要です。それらの究極が、昔からことわざとして残っている「可愛い子には旅をさせよ」であると感じています。

 

また、塾長のブログでもよく取り上げられる単語として、多様性という言葉を変えた「ダイバーシティ」があります。近年、企業がこの言葉を掲げることが多く、企業内の人材を誰一人として無駄にはしない、多様な人材の採用や定着だけでなく、その先にある「活用」に注目を向けているようです。つまり、個々人の異なりを認め、尊重し、その「違い」に価値をつけ、組織内のパフォーマンス向上を目的とするわけです。塾長は、それらを「共異体」と表現し、数十年も前から保育園という場で提案し続けてきました。(知れば知るほど、塾長の偉大さが増していきますね…。)そういった、個々人の特性を優先される多様的な環境によって、子どもたちは、これからの社会に必要な大人になるための準備をしていくのです。

(報告者 小松崎高司)