台風から

先日、東京に台風が上陸しました。

ちょうどその日は火曜日なので臥竜塾と第2回目の年間講座でした。

確かに先月の年間講座の時もかなりの雨でした…。

さすがに3回目の講座で雨はないと思いますが、二度あることは三度あると言いますね(笑) しかし竜というのは水を司る神様でもあります。

竜の神様が臥竜塾生の年間講座を見守ってくれていたのかもしれませんね…。

 

そんな、訳で臥竜塾の時も塾長の家の窓に雨風か強く当たって帰りが心配でしたが、

案の定びしょびしょになっての帰宅です(笑)

まぁ小中とサッカーをしていたので基本、雨でも練習や試合をしていたので、

少し懐かしい気分になりました。 そんなことはさておき、保育園の近くに神田川が流れていますが、普段は静かで、

夏には子どもが川に入って遊べるくらい深さもない、静かな川ですが、

大雨の時は一変、牙を向きます…。 もちろん、その日の神田川は水かさも高く、そして激流のように激しく流れ、

見た瞬間、寒気がしました…。

写真は私の自宅近くの川です。

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写真では少し分かりにくいかもしれませんが、水位が全然違います。

よく夏の時期に川へ遊びに行って、流されたり、溺れて行方不明になったというニュースを聞きます。

レジャー遊びもいいですが、テンションが上がりすぎて、危険な行為だけは…やってはいけませんね。と言いながら私が一番、気を付けないといけないのですが…。

 

最近の塾長のブログは保育の話に特化していますが、時々自然がテーマの時もあります。と良いながら結局は保育に繋がる内容になるのですが(笑)

塾長のブログで「自然 神様」で検索をかけて見直してみると、こんな内容のブログがあったので読んでみてください。

 

http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2011/09/post_2033.html

 

私の生まれた富山県に伝統文化「おわら風の盆」があります。

この時期には人が少ない富山県でも県外からの観光客が急激に多くなり、

富山県の八尾町という富山でも山の方にある場所が渋谷並みの人ごみになります(笑)

今年は新幹線開通ということもあり、更に人が増えそうですね・・・。

 

私の祖父が好きだったので、実際に何度か見に行ったことがあります。

当時は何のために踊るのか理由が分からないまま見ていましたが、

塾長のブログで初めて知りました(笑)

 

ちょうど塾長がブログを書かれた時の富山への出張は私が同行していたので、

一緒に見ていましたが、地元の保育園や幼稚園の子ども達も大人顔負けの踊りを披露していました。

その姿は決して嫌そうな顔でなく、何か誇らしげな顔をしていました。

もちろん憧れ、好きという内発的動機付けがあると思いますが、

それよりも自分たちが伝統を繋いでいくんだっ!という強い地元愛というのを感じます。

私の高校の時に、その八尾に住んでいる友人がいましたが、

「あれ、踊れるの?」と聞くと誇らしげに「踊れるよ」と言っていました。

以前、島根のあさり保育園に見学に行った時に遊びの空間に「石見神楽」ができる衣装などがありました。

風の盆と同様、子ども達も真似して神楽を踊るようですね。

島根に出張に行った時に見せて頂きましたが、とても迫力があり、確かに幼い時に見たら、自分もやりたい!と思う子どもは出てくるでしょうね。

そうやって伝統が受け継がれ、守られ、そして神様を祀ることで、

自然からの驚異、悪霊から人々を守っているのかもしれません。

伝統を守り続けていくと言いますが、

なんだか伝統のためというよりも、地域を守る為に伝統を繋いでいくような気がしました。

 

もっと大きく言うと、日本が伝統を守っていくのは、

歴史や実物を残して後世に残し守っていくのももちろん大切ですが、

日本という国を守る為に伝統をつなげていく必要があると思います。

 

今年の保育園のテーマは「伝統」です。

もちろん保育園の地域の伝統を知ることも大切ですが、

もっと視野大きくして日本全体の伝統を見直すのもいいと思います。(報告者 山下祐)

モチベーション

先週の金曜日にメンズディスカッションを行いました。 今回の参加者も約30名のたくさんの男性保育者が参加していました。

今回のテーマは「共感」ということです。

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よく共感というと「子どもに共感する」といった具合で話し合いをするかと思いますが、 今回は職員間での「共感」をテーマにしてみました。

新宿せいが保育園の職員の長岡先生が今回も進行役として会を進めるにあたって、 塾長に何を議題にしたらいいのかと相談したところ、

新年度が始まって一ヶ月が過ぎ、5月に入りました。 よく聞く「五月病」・・・にはなっていないと信じていますが、 そうは言っても新人職員は何か感じているはずなので、

それを皆で共感していこう!という流れに持っていくようです。

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さて、まずは長岡先生から、去年度の成長展の時に保護者の方に「共感」についての発表をしました。

その発表内容は子ども同士での共感の具体例や動画などをパワーポイントにまとめたものです。それを皆で見てから、グループに別れてディスカッションを行いました。

私のグループは働いて3年目未満の先生が多かったので、色々と新鮮な話を聞けました。正直、最初は先輩が怖いです・・・という少しブルーな気持ちになるような話しが多いかな?

と思いましたが、全くの逆で、毎日が楽しいという言葉を聞けて、ホッとしました。

その話の中でモチベーションはどうやって保っているか?という話になり、やはり現場の先生が多いので子どもの笑顔、「また明日遊ぼうね!」という子どもの言葉など日頃から子ども達からモチベーションを貰っているそうです。

そして私が答える番になり、色々と考えた結果、

やはり私のモチベーションは「日本を変えること」と言いました。

もちろん子ども達から元気を貰っていて、それもモチベーションに繋がっていますが、自分がこれから、あと何十年働けると考えたときに日本の保育を変える為に何が出来るのか?

それを考えて、事を成すことが私のモチベーションの維持に繋がるのかもしれません。 とは言ってみたものの、かなりの理想論ですね。

でも臥竜塾生が先月から講座を始めたりと具体的に動き始めましたが、

今後、塾長を中心に塾生達がいれば必ず何か大きな事が出きるのでは?と思うようになりました。

吉田松陰にとって一番恐いことは「事を成さないで死ぬこと」と言いました。

この世に生を受けたのだから、何か1つでも大きな事を成したい!と最近は強く思います。

それが、どんな些細な事でも大きなこと、時には面倒なことや辛いことが起きたとしても、将来の自分の姿を想像し志を持ち続ければ、全てがプラスに捉えることが出来ると思います。

改めて自分の目的を再確認をする機会になったメンズディスカッションでした・・・。

そして吉田松陰にやたら影響を受けている今日このごろです。(報告者 山下祐)

歩き方

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皆さんはこの写真を見て何か気づくことはありますか?

 

普段の幼児クラスのお散歩の様子ではありますね。少し気になるのは保育士が先頭に立って歩いていないということです。つまり先頭は子どもたちということです

 

今回はお散歩での「歩き方」について焦点を当ててみようと思います。お散歩でも色々と注目すべき所はたくさんあると思いますが、目的地に向かうまでどのように歩いているのか、そして私が先輩保育士から学んだことを紹介したいと思います。

本来ならば保育士が先頭を歩いていくのが普通ですが、私の先輩保育士はそうではありません。一瞬見ただけでは危ないのでは?と思う方も多いと思いますが、実践してみると全くそうは感じません。というのは、次の写真を見ていただければわかると思うのですが、子どもたちに何やら声をかけています。
何か言っています。

何か言っています。

なにを話しかけているかと言いますと、
「3本目の木まで行ったら待っててくれる?」
と言っていました。
本当に待っていられるの?と思う方もいらっしゃると思いますが、子どもたちはしっかりと…
「1本…2本…3本!!」
と言って自信満々でそこまで行くと止まっているではありませんか。
もちろん、先輩保育士は先頭を歩いている子がどんな子かもよく知っていて行っています。
こうすることにより、少し道を渡る時などは先頭の子に「あの電信柱まで行ったら止まっていてくれる?」など先にあるも物を見て伝え、共有し、声をかけ先に行ってもらうことで先頭の先生が次の引率の先生が来るまで子どもが渡る道に立っていられるということです。
もちろん先生は先頭をしっかり見つつ、自転車などが来た時に対応ができます。次の先生が来たら場所を代わるのでスムーズに行うことができます。
右の方に行き、危険がないかの確認

右の方に行き、危険がないかの確認

このように先が見えないので見えるところまで行き車が来ているかなども確認出来ます。
ここを渡っているときは危ないから見ていたいけど先頭だから行かなければ…と思うことはあると思います。そんなときにこうすることによって危険箇所を見ることもできますし、何より子どもたちは頼られることで自信に繋がっているような気もしています。さらいうと保育士が子どもを信じるという部分にも繋がっているように思います。
そんな歩き方をしていると、心にも余裕ができ、本来の目的である散歩の途中でも綺麗な花があることに気づけたり、あんな虫がいたね、という発見にも繋がっていくことが、実践していてわかりました。
この歩き方を教えて頂いたのは、何年か前に散歩に行ったときです。。
40人ほどのお散歩の帰りに私が先頭を歩き、間にその先輩保育士、最後にもう一人の保育士3人で歩いていました。その際、1番後ろの子にトラブルがあり、保育士一人が対応しました。
対応している間は、私と先輩保育士2人となります。少しおどおどしている私にその歩き方をささっと私のところにきて、教えてくれました。すぐにそれを実践することで視野がぐんと広がり、大人も子どもも歩きやすいことに気づきます。
また教え方もナチュラルな言い方だったのでそんな部分を私も見習いたいと強く思っています。
そして、この実践を繰り返すうちに思うことは先頭の子に「何本目」などというワードが出てきます。数の数え方の概念や量の把握にもつながり様々なメリットがあるのではないとも思えています。
普段何気なくしている散歩の中にも様々な要素が含まれていることがわかりました。
(報告者 本多悠里)

発達の幅 —異年齢—

 

先日、3・4・5歳児クラスの職員と話している時、こんなことを言っていました。今年度初め、定員が増えること・職員が慣れていないこと、子どもひとり一人をしっかり把握することなどを目的に、子ども集団の規模を狭め、一時的に年齢別で保育を行おうとしたが、結果的に、子どもが落ち着かなかったという姿があったそうです。その様子を見て、異年齢集団へと変えてみると、次第に子どもの姿が変わり始め、熱中して遊び込めるようにもなり、全体が落ち着いてきたのだと話していました。

 

いったい異年齢集団の何が、子どもをそのような姿に変えたのでしょう。

 

塾長は、異年齢のメリットとして『教え、教わるという体験をするとか、年長児の行動を見て真似たり、あこがれたり、お互いに刺激を受けるということ』をあげられます。つまり、このような、「教え、教わる」といった子ども同士による関わりが、集団をまとめ始めたといっても過言ではないと感じます。本来、職員が必要な場面であっても、その部分を発達が上の子ども、あるいは、発達が下の子どもの存在によって、“カバーされた”、足りない部分を“補い合った”という姿につながったのだと思います。

 

発達の異なる者同士が関わることにより、互いの能力を刺激し合い、補い合うといった姿は、一度、目を外に向けると同じ光景が広がっていることに気がつきます。それが、「社会」です。塾長の『異年齢でのかかわりは、遊ぶときだけでなく、大人になるときの準備に必要なことなのです。教育基本法の目的である平和で民主的な社会の形成者としての資質を備えることであるならば、社会という異年齢集団でのかかわりのために、子どもの頃から異年齢で過ごす体験が重要になるということは当然でしょう。』という言葉の意味が、深く理解できますね。

 

これら「教え、教わる」経験を可能にしたのは、異年齢という「発達の幅」であると感じています。確かに、年齢別集団であっても、4月から3月という1年の幅のある集団です。しかし、3・4・5歳児クラスの異年齢には、3年の幅が存在します。その幅の広さは、「教え、教わる」経験の幅も3倍にし、他者から得る刺激も3倍になるのではないでしょうか。また、その環境というのは、大は小を兼ねるという発想のように、同年齢でストレスなく楽しく遊ぶのか、それとも少し発達の上の子どもの遊ぶ姿を見て刺激を受けるのか、それとも、発達が下の子どもに教えてあげるのかということを、子ども自身が状況によって選択できる環境であるとも言えると思います。

 

塾長の『0・1・2歳児の保育』という本にも、【遊ぶときは発達が同じくらいの相手を選ぶ】【マネをしようとするときは発達が少し上の相手を選ぶ】【教えてもらう時は発達がもう少し上の相手を選ぶ】という経験を自ら選び、“赤ちゃんは人を使いこなしている”ということが書かれています。自分に必要な能力を自ら選択しているということは、その選択出来る範囲を少しずつ広げてあげるのも、私たちの役割であると思います。そのためにも、3年という「発達の幅」が必要になるのではないでしょうか。

(報告者 小松崎高司)

大人になるための準備 —異年齢序章—

子どもたちは、子ども時代を何のために生きているのでしょうか。

三年前、以前勤めていた保育園で「子どもらしさ」について考えることがありました。いわゆる、「元気に走り回っている」とか「大声で歌っている」とかではない、子ども時代を謳歌している姿とはどのような姿なのであろうかと思っていました。そんな時に目に止まったのが、ある女の子の水遊びをしている姿でした。私はその象徴的な姿に衝撃が走り、このような記録を残しています。

 

「子ども」

「子ども」

 

 

以前、生きるための目的は“遺伝子を残すこと”であるということを学びました。では、遺伝子を残すことが人類の目的であるとすると、なぜ、「大人」に直接いかず、一見遠回りであるかのようなの「子ども時代」を作ったのでしょうか。その時代に、遺伝子を残すための重要な体験をする必要が、遠回りをしてまでもあったということかもしれません。遺伝子を残すということは、時間と必要な体験が必要不可欠であったことが予想できます。その中でも、「必要な体験」というのは何だろうと考えた時、上の写真の子どもの姿が思い浮かんだのです。

 

大人から見ると笑ってしまうような光景なのですが、その子どもにとっては真剣そのもののようです。その子どもは、真剣にバケツを頭からかぶり、自ら視界を遮り、真剣にチューブをくわえているのです。(その真剣さが大人をユーモアの世界にいざなうのでしょうが…笑)まさに、ありのままの好奇心に瞬時に向き合い、自らの働きかけによって物事の道理やなどを理解していく過程であるかのように映ります。塾長はこう言っています。「遊びの目的には、それが子どもの自発的な遊びにしても、ある目的があります。それは、生きていくための学びが遊びにはあるからです。」きっと、この真剣な遊びにも生きるための目的があり、大人になるための準備が含まれているのだと思います。

 

「なんだろうな」「面白そう」「やってみよう」「楽しい」

 

好奇心という動機によって行われる様々な体験が、遺伝子に蓄積されてきたひとつ一つの能力の種のようなものに水がまかれ、その種が各々成長していくといった、そのようなイメージが「子ども時代」にはあります。つまり、好奇心を刺激させる環境、好奇心を妨げない環境というのが、子ども時代には必要であり、同時に「大人になるための準備」なのであると感じます。

 

そして、遊びや好奇心の先には、必ず「他者」がいるようにも感じています。ここでいう他者とは別の「子ども」の場合が大半です。上の写真でも、小さく紹介されているように、バケツをかぶっている女児の姿を見た別の男児が、同じようなマネをして自ら関わろうとした写真があります。そこで、大人になるための準備として、好奇心を駆り立てているであろう『異年齢』に注目しました。同じ発達・同じ考え・同じ行動があるだけなら、写真ような姿は生まれないのではと感じます。発達の異なる“子ども”という「他者」の存在から、「発達の幅」「多様性」「能力の定着」という三つの観点から、『異年齢』についての考察をしていきたいと思っています。

 

(報告者 小松崎高司)

「メリハリ」

前回の報告に続き新しい環境を紹介させていただきます。 「メリハリ」ということですが・・・。

メリハリと聞くと、どんな印象を持たれているでしょうか?? 私も子ども達と掃除をすると時に使う言葉ですが、 年長さんになると、どうしても小学校への移行を考えると思います。

私は担任をした事なんてもちろんないので、大きな事を言えませんが、 小学校に行くと時間割があり、それ通りに授業が進みます。

その合間に休み時間があり、トイレに行ったり、友達と話したり、遊んだり・・・と自由に過ごします。 しかし授業が始まると、勝手にトイレには行けないですし、大きな声で話すと先生に怒られます…。

という風に半日の学校生活の間に集中する時間、そうでない時間とはっきりと分かれているので、 少しづつメリハリを持って欲しいと思い、私なりに接しています。

 

ここまでは保育者としての関わり方ですが、今年の新しい取り組みとして、 環境から子ども達にメリハリを伝える事を実践してみようと計画しています。。。

 

その一つに報告から少しずつ出ていますが、和室の活用です。

和室の活用方法として計画しているのは、タイトルに書いたように「生活のメリハリ」です。

定員が増えることで子ども達のテンションも上がります。もちろん子どもは元気に生活するのが一番かもしれませんが、時には自分のエネルギーを体内に押し込める時間も必要だと塾長は言います。

そこで和室で給食を食べる事にしました。その場合、雰囲気も大切なので重箱のお弁当箱に給食を詰めて、そして卓袱台で食べます。

とは言っても最初は子ども達も新しい環境に嬉しくてワイワイ食べるでしょうね(笑)しかし、普段と雰囲気が違い、そして食器も違うとなると、子ども自身も少しずつ気づき始めてくれるのではないかな?と期待します。

 

さて話は変わりますが、先日その和室で「お茶会」を開催しました!

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塾長の娘さんが昔からお茶を習っていて、その腕前は人に指導できるほどとのこと…。

その娘さんが教わっていたお茶の先生とお弟子さんにお出でいただき、職員向けにお茶会をしてくれました! 実は数年前にも1度開催したことがあり、今回で2回目です。

もちろん、前回教わった作法は忘れていたので、一からご指導を、いただきました。

先生曰く、お茶の作法はまずは相手に敬意を表することが大切ですと言われました。そうすると自然と作法ができますと…。

確かに一つ一つの動作が理にかなっており、無駄な動きがありません。 だから難しいのかもしれませんね、ついお茶会というと変に緊張してしまい、それが無駄な動きをさせてしまっているのかもしれません。

保育も同じかもしれません。もちろん子どもの育ち、環境、関わりかた、見守る保育を実践する時に考える事がたくさんありますが、

逆に考えすぎると視野が狭くなり、本質が見えにくくなると思います。 そんな時は自然体になった、純粋に子どもの事を考えると見えてくるのではないでしょうか…。

最後はちょっと関係のない内容になってしまいましたね(笑)それでは失礼します。(報告者山下)

逆向きのエプロン

現在、1歳児は昼食時にエプロンをしています。イスに座った子どもから、職員がその子のエプロンを付けていくのですが、先日、ある女児がその行為を真似して、他児にやってあげていました。

逆であることに気がつく

保育園などではよく見られる姿であると思うのですが、よく考えると、不思議です。なぜ、そのような行為をするのでしょうか。様子を見ていると、褒められるためでも、相手のためでも、喜んでもらうためでもないかのように、ただただ淡々とやってあげています。エプロンのマジックが付いたことを確認すると、相手の様子をうかがうことなく、また別の子のエプロンを付けにいきます。

塾長は、こういった行為を「能動と受動の役割交代」と表現しています。ブログには、子どもが『人にやってあげるのは、やってもらって必ずしも心地よいことだけでなく、無理やりに食べさせられているとき、それを拒否すると同時にそのものを食べさせている大人に食べさせようとします。これは何も仕返ししようとしているということではなく、役割交代をしているのでしょう。』と書かれてありました。その子は、意識的に相手を理解しようといった思惑はないものの、多くの役割交代といった経験から、今後の自分の行動や思考を選択するための材料として使用していくのかもしれないと感じました。つまり、役割交代によって、コミュニケーションの基礎を培っているのだと思います。

また、塾長ブログに「能動的な行動が、逆から見れば受動的な行動になります。そこに、人同士の関係が成り立っている」とも書かれていました。そのような人同士のコミュニケーションには、自分と相手、その相互間の思いがあるわけで、そういった視点で上の写真を見てみると、面白いことに気がつきました。それは、エプロンを付けている女児ではなく、自分のエプロンを付けられている男児にスポットを当ててみたのです。よく見ると、そのエプロンは本来の向きではなく、逆向きで付けられているのです。そして、その男児はそれに気がついています。

自分で直そうとする

自分で直そうとする

4月生まれの高月齢である男児は、懸命にそのエプロンを直そうとしますが、しばらくするとやめてしまいました。職員に向きを変えてほしいと訴える様子もなく、そのまま「いただきます」をしていました。「別にこれでもいっか…」と思ったのか分かりませんが、ただ事実として、「やってもらっていた」ではなく、「やらしてあげていた」といった主体的な受動であることがうかがえます。その男児には、きっと、コミュニケーション能力の「ゆずる」とか「任せる」とか「委ねる」とか相手の気持ちを尊重することにつながる力を培っているとも考えることもできるのではないでしょうか。また、一番大切な、自分はここまでできるから、ここからはやってもらおうといった「自立」を育んでいるのだと感じました。

塾長ブログの最後に、「人にやってもらったことを人にやってあげることが実現できる場が必要であり、それが次第に社会を形成していく基礎を培っている」とありました。女児がその後も、役割交代ができる環境を整えていきたいと、そう感じました。

(報告者 小松崎高司)

角度

前回の報告「寄り添うこと」で、どうして人は他者を思いやったり、他者に共感するのだろうかといった疑問が浮かびましたが、きっとそうすることで、他者を理解しようとしたり、その後に待っているであろう“楽しいこと”や“笑い合ったり”することのために、そうしているような気がしました。また、その共感の際、共通して見られる特徴があることに気がつきます。それは、「角度」です。

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誰かが負の状態に陥った時や、何かを共有しようとする時など、他者はその人に寄り添うために、自然と首や膝の角度を変えようとします。その姿は、相手の表情を読み取ろうとしたり、相手と同じ視線や世界を共有しようとしているようにも映ります。その角度は、時には“心の角度”として表に出ていない時もあると思いますが、その思いを持つということは、人が他者と関係を持っていくうえで、非常に重要な要素でもあるのではないかと感じたのです。

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塾長の最近のブログでは、生身の人同士の関わり、自分以外の他者との関係性欲求を満たすことが、将来、社会性を構築する入り口としても、また、生存に至るまでも、他者の存在は重要であると説われています。子どもたちが見せるその角度は、自分以外の他者と関係性を持とうとする代表的な姿でもあり、自ら生きようとしている姿でもあるように思いました。

先日、泣いている1歳児のもとにティッシュを持ってきた、同じクラスの女児の報告を書きました。最近、その女児がまた、ある男児が声をあげて泣いている姿を見ていたので、再びティッシュを持っていくのかなぁと様子を見ていると、その女児は膝を気持ち下げ、手を添え、その男児の表情をしばらくうかがっているのです。

様子をうかがっている。

様子をうかがっている。

そして、涙を出していないのを認識したかのように、頭をよしよしと撫でていました。1歳児でも、甘え泣きと本気泣きを本能的に理解しているのかなと驚いている時に、その様子を見ていた違う男児も、そのよしよしに加わっていました。そういった連鎖が、人と人の関係性をより強固に、そして定着させていくんだろうなぁと感じました。そう考えると、保育園が持っている可能性の大きさや重要性が浮かび上がってきます。私たちは、そのような人類の存続にも関わるような仕事に就いているのですね。

連鎖

連鎖

(報告者 小松崎高司)

 

年間講座報告2

先に山下先生から報告がありましたが、続けて私からも、臥竜塾講座の報告をさせていただきます。

私はまだ就職してから1年ということもあり、今回の年間講座は4月の環境の園内見学の案内だけを担当させていただきました。山下先生が話したことの実践例を案内で紹介していくため、山下先生と打ち合わせを行い、また塾長からもレクチャーを受けながら準備を進めました。

今回の講座の目的の1つに、人に話すことで、その知識が自分の身になるということがあります。塾長と出張に行き、そこで何回も講演を聞くことで、色んな知識が頭に入ってきます。そして、今回の講座でそれを人に伝えるために、1度自分の中で整理して、分かりやすく伝えるために、考えました。さらに、当日話すことで、さらに身になることを実感しました。

それを実感できたのが、18日の土曜日に行ってきた、ある保育園の園内研修でした。そこでは、環境を見ながら職員の質問に答えるという形式の園内研修だったのですが、塾長だけではなく、私にも質問が飛んでくることがありました。すると、講座で話していたため、色んな実践例などが出てきて、質問に答えることができたのです。もちろん、完璧な答えではないため、まだまだ塾長の補足が必要ですが、確実に講座で成長できたなと思えた瞬間でした。

山下先生が、新宿せいがの環境を理解するのに、8年じゃ足りないとおっしゃっていましたが、1年ちょっとの私はそれ以上に足りません。(笑) ただ、塾長をはじめ、塾の先輩、園の職員から色んなことを学べるので、これからがまた楽しみだなと思っています。それを1つずつ吸収して、自分も伝えていけたらとも思います。

今年は、4月の講座しか担当がありませんが、来年からは何か1つ担当が持って話ができるように、また勉強したいと思います。もちろん5月以降も、他に塾生のサポートをすることで、色んな学びがあると思いますので、楽しく講座をやっていきたいです。よろしくお願いします。(西村宗玲)

年間講座 「臥竜塾の教え ~環境~」

火曜は記念すべき、第一回の「臥竜塾の教え」が無事に終わりました。講座に参加してくださった先生方、この場を借りて改めてお礼申し上げます。本当に参加してくださりありがとうございました。

今回のテーマは「環境」ということで山下と西村君で発表と見学を案内させていただきました。ですので、今回の報告は二人からさせていただきます。

まず始めに私の方から・・・。

まず、今回の講座を開くことになった経緯を挨拶と兼ねてお話をさせていだきました。人前に出て話したり発表するのは段々と慣れてきましたが、

やはり挨拶になると、なんだか急に緊張をして、たどたどしい挨拶なりました(笑)塾長がよく結婚式の主賓の挨拶の際にも

「挨拶だと緊張するから講演だと思って話しをする」と言われていたのが、何となく理解できました。

確かにパワーポイントを使って発表になるとスイッチが入ったのか、集中して発表することができ、まさにゾーンに入っていました(笑)1429280499398

発表の中でも「子どもたちのゾーン体験」についてですが、ゾーン体験というのは本人の持っている能力を最大限に引き出してくれる効果があります。

実際に発表中ずっとではありませんが、所々自分でも集中し自然と言葉も出て、楽しくなった瞬間がありました。ただ、ある意味自己満足の世界でしょうか(笑)

そして有り難いことに参加者の先生方も真剣に私の話を聞いてくれたので、それもゾーン体験の効果を相乗効果させたのかもしれません。本当に嬉しかったです。

今回の発表にあたり塾長の方からたくさんの資料をいただき、それを自分の中で整理しまとめましたが、まだまだ自分の勉強不足というか、やはり新宿せいが保育園の環境を理解するのは8年じゃ足りないですね・・・。1429280514115

そして塾長の言葉一つ一つをしっかりと理解していく必要性を改めて感じました。ただ少なくとも今回の発表で自分自身、大きな学びを得たのではないかと思います。

講座の最後に「私もまだまだ藤森先生から学んでいる最中です。ですので皆さんと一緒に、そして楽しく学べることができればと思います!これから1年、宜しくお願いします!」と。(報告者山下祐)