子どもの様子から読み取る

新年度になり、新しく入園した子がいるクラスになりました。今年度は幼稚園の1・2歳児のクラスが二年目を迎える年であり、実際、クラスがどう変わるのかわくわくしています。

そこで頼りになるのが昨年度からいる子どもたちです。今、私のいる幼稚園の1・2歳児は1歳児・2歳児を合同で見るような形になっているので、1歳児はそのまま残留する形になります。新年度は新しく入ってくる子どもたちがどういった子どもたちなのかわくわくしながら見るだけではなく、そういった新しく入ってくる1才児の小さい子どもたちに対して、今まで2才児の中にいた1才児の子どもたちがどういった関わりをするのかとても楽しみでした。

実際、新しいクラスになったときに、今年は月齢が低い子どもたちがたくさんいたのですが、なによりもその残留している子どもたちが頼りになりました。新しく入ってきた子どもたちにおもちゃを譲ったり、これまでの経験があるので、なんでも自分たちでやろうとしてくれたりと、自分から率先して、手伝ってくれる姿を見ているとその成長がとてもよく見えます。そのため、先生方は新しい子どもたちに手をかけることができる余裕が出てきます。こんなにも成長したなと、去年の今頃を考えるとその子たち一人一人の様子を感じることが多いです。

しかし、良いことだけではありませんでした。確かにおもちゃを譲ってくれることや我慢をしてくれることはありがたいことなのですが、子どもたちの様子が変わってきました。我慢する中で「チック」などの目に見える様が出てくることがありました。また、落ち着いていた「かみつき」なども現れることがありました。

藤森先生のブログにも「かみつき」についての記述がありますが、そこには「ひとは、かむことで「集中力を高め、同時にストレスを緩和する」効果があると言われています。」とあります。また、そこでは「かみつく行為は、発達上の問題ではあるけれど、年齢の問題ではなく、子ども同士がかかわり始めたときのストレスとか、他人とかかわるうえでの自己表現ではないかと思ったのです。」まさに、その通りの内容で子どもたちの様子に現れているように思います。

そのため、クラスの先生方はその様子を感じると、どう寄り添ってあげるといいのか、残留して頑張ってくれている子どもたちにどう対応や環境を作っていってあげればいいのかということを考えます。

新年度は子どもたちにとっても、新しい環境になり、楽しいこともありますが、その反面、ストレスも出る場合もあります。その環境の中で、子どもたちはいろんなことを感じ、新しい環境にトライしていく子どもたち、その中で、保育者がどう関わり、どう寄り添うことができるのか、子どもたちの様子を見て、考えていかなければいけませんね。

(投稿者 邨橋智樹)

新年度を迎えて

新年度という題で以前西田氏が書いていた通り、今の時期は色んなチャンスを秘めている大切な時期とありました。

私もそんな思いで今全体を客観的に見ることで気づくことが多くありました。
その中で、子どもや環境を見ていくのはもちろん、大人(保育士)というチームも入れ替わります。
初めての本格的な一週間を終え、思うことは充実していることと、自分の立ち位置(自分自身のポジション)というのが去年と明らかに変わっていたこと、そして、定員が増えたことで去年とやり方が違う中でどう試行錯誤していくかということです。
西田氏のブログにもありましたが残留する職員が1人いて、その1人がそのクラスを引き継ぎをしていきます。その1人の役目を担っているのが今年は私にあたります。
上手く伝えられているかはわかりせんが、努力しようと思っています!
そして一週間が始まってみると、自然と私が在園児にシャキッとしてもらう、つまり少し怒り役のような立ち位置になります。それは当たり前で、まだクラスに慣れていない先生はまだわからないことがあり、大人も慣れるまで少し時間がかかります。
これは私にはとてもいい経験であるように思いました。
今まで私はチームのバランスをとるとき、ポヤっとしているポジションが多かったからです。そのことを考えると初めての経験をさせてもらっています。更に自分が自然とそのポジションについていたことに気がついたとき、大人も自然と環境に応じて変化していくことに気がつきます。
怒り役といっても四六時中怒っているわけではありませんが。笑
もしかしたら、慣れていくうちにそのチームのバランスも少しづつ変化していくかもしれません。その都度チームのバランスをとり、環境の変化には応じていきたいと思っています。
そして、新しくなったやり方で試行錯誤が続いています。
それは定員が増え、幼児クラスは2階3階に分かれて保育するため、少し忙しく、でも楽しさをもある中でやらせてもらっています。今一緒に組んでいる先生は新宿せいが保育園が開園したときに幼児クラスを受け持っていた先生だったのでふと聞いてみました。
「このくらい初年度は忙しかったんですか?」と…
するとその先生は、
「んー、こんなに気づくことがなかったからねぇ、目の前のことをやるだけだったよ。」と…
言いました。
確かに経験を重ねることで今なにが必要でなにが最優先なのかという選択肢が増えていきます。それぞれ先生の気づきが多ければ多いほどいいのですがその中でどう対応していくという難しさも感じています。塾長のブログでもあるように認知コストが高くなっていることがわかります。
試行錯誤することの楽しさ、難しさを経験できることが分かります。
そして様々な気づけるチャンスを4月は与えてくれているようにも感じました。
(報告者 本多悠里)

主体的に「見られる」

先日、1歳児が片手を使ってテーブルの上でお皿を立てて回そうとしていました。親指とその他4本の指と、手首を使って、非常にぎこちない動きでしたが、楽しんでいました。その光景は4年前に1歳児クラスを担当した時にも見ることができました。その時に、「その動きを活用できる玩具はないかな」と考えて購入したのが、「コマ」です。

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このコマは、2000年日本グッド・トイ委員会選定玩具であり、小さな力で長く回り、止まっている色と動いている色が変わるので色遊びにもなる、そんな玩具です。4年前は夏くらいに購入したと思います。やはり、すぐには回すことは出来なく、大人や上のクラスの子どもたちが回す様子を見て、それを真似して頑張って回そうと試行錯誤している様子が印象的でした。結果的には、ほとんどの子どもが回せるようになったのですが、今の時期にしては難易度が高いのかなとも思い、子ども同士だけで真似っこができて、達成感がそれほど遠くなく味わえるような玩具がないかと考え、回しやすいコマを購入してみました。

早速、その玩具を出してみると、すぐにコツを掴んで回す子どもがいました。その様子を見ていた他の子どもが、同じコマを隣に持ってきて、自分も回そうとしている様子が非常に面白かったので、写真をとってみました。

コマを持ってきたところ

コマを持ってきたところ

まず、別の場所で、各々だけで遊ばないところが面白いなと思いました。出来る人の近くに行ってそれを真似るためとか、楽しさを一緒に共有したいとか、そんな気持ちが働くのでしょうか。

自分もやってみる

自分もやってみる

次に、相手がコマを回している時は、隣の子どもはコマを回さないで相手の様子を見ているといったところに面白さを感じました。一緒に同時に回すのではなく、相手が回し始めてからそのコマを止めるまで見届けてから、自分のコマを回し始めていたのです。見るタイミングや、見られるタイミングを図っているようにも感じました。「見られる」と聞くと、受け身のようなイメージを抱きますが、この場面では見られる瞬間を自ら計画的に図っていることから、それは主体的な活動なのではないかと思ったのです。まさに、相互作用であり、どちらもが主体になっている場面でした。

一緒に回してみる

一緒に回してみる

そして、ある程度互いの様子を見合った後、二人一緒に回していました。「面白かったね」「楽しかったね」そんな言葉を言い合っているような二人の表情が、なんだか嬉しかったです。

余韻

余韻

 

このコマの楽しさや難易度を経て、4年前のようなコマにいくのもいいかもしれません。今年のテーマは「伝統」ということで、玩具も伝統色を出していけたらと思っています。

(報告者 小松崎高司)

「幸せのプラットホーム2」

以前、職員の送別会の話を書きました。そしてその会で塾長が言われた言葉、覚えていますか?本当に心に染みました…。

その時の報告で保護者の話も少し触れたので、今回はそのエピソードを書きたいと思います。

今年で卒園した園児の保護者でお寺のご住職さんがいらっしゃいます。

お子さんは二人いまして、お兄ちゃんも新宿せいが保育園の卒園児です。

そして二人とも0歳児からの入園でしたので、とても長いお付き合いをさせていただきました。

お父さんは朝の登園時に塾長と顔を合わすと色々な話をして、塾長からすると教え子みたいな存在だったのかもしれません(笑)

それだけ園との信頼関係も深い保護者の方でした。

 

そんな保護者(以後、お父さん)の方には夢が二つあるそうです。

一つ目は新宿せいが保育園の分園になりたい!という夢です。

以前、こんな話を聞きました。

行事の時にも保育が必要な家庭にはもちろん預かっています。

それを見かねた、お父さんが代わりに見ていてくれて、

しかも行事も一緒に回ってくれたのです…本当に有り難いことです…。

 

そして二つ目の夢は子ども達に講話をしたい!という夢です。 先日、二つ目の夢が叶ったのです。

お父さんに保育園に来ていただき年長さんを対象に講話をして下さったのです。

新年度の新しい環境として茶室があります。

そこで子ども達に向けて「良い行い」について講話を頂きました。

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子ども達にお手伝いをしているか?と聞きました。

まぁ、だいたいの子ども達はしていると手を挙げてました。

そしてお父さんが言ったのは

 

「それは、お母さん、お父さんに言われてお手伝いをしているのかな?それとも自分から進んでお手伝いをしている?」

 

見守る保育の基本、自発的にしているか?ということです。

大人に言われてやるのでなく、自分から自発的にお手伝いをすることが大切な事で「良い行い」と子ども達に伝えて頂きました。

 

とても素敵な講話を聞かせていただきました…。 何よりも子ども達に話をしているお父さんの姿、笑顔が本当に素敵でした…

普段も笑顔を見せてくれますが、それ以上の笑顔でお話をしていました…。

 

「幸せのプラットホーム」 次はどんな人が新宿せいが保育園で幸せになっていくのか…とても楽しみです。(報告者山下祐)

新年度

4月は新年度が始まり何かと忙しい時期です。前年度中に、色々準備をしてきたとはいえ、どの園でも、始まってからの様子や、お互いの動きなど確認しあうことだと思います。

 

新宿せいが保育園でも、4月から定員が大幅に増えたということもあり、今は職員同士の話し合いや、全体会議が何度も開かれています。

その話し合いの中では、各クラスの様子、新入園児の様子や定員が変わったことでの動きの変更を話しています。

 

そんな話し合いの中、ふと感じたことがありました。

各クラスの担任がいろいろ報告している時に、なんとなく「この先生の報告の仕方うまくなったな」と感じたのです。

新しい年度が始まる時、私たちはどうしても子どもの様子、環境と子どもの方に集中しがちですが、保育士はどう変わり、成長しているのか。そんな所に焦点をあてて話をするのも面白いのではと感じました。

例えば

職員で集まり、ぞれぞれ前年度大変だったこと、できるようになったことを言い合って見たり、周りからその職員の良くなったところを言ってもらったりする場を設けてみる。

そうすることで、職員一人一人が成長しているという実感、自信を持つことができ、人的環境としてより良いものになっていく。

とここまで書いていく中で、新宿せいがではそんなシステムが気付かないうちに出来上がっている気がしました。

 

新宿せいがでは、新年度のクラスのチームを決める時に、ルールがあります。

それは、前年度のクラスのうち一人は、そのクラスのやり方を伝えるため残留すること。もう一人は子どもの様子を伝えるため、次のクラスへ持ちあがること。

 

その二つは大切な役割で、それは新人、中堅、ベテランに関係なく、その役割を果たすため、しっかりと周りに伝えていかなければいけません。そして、新しいクラスに来た職員もまた、それらを聞かなければなりません。

 

それは自分のやってきたことを再確認する場でもあり、皆にそれをどのように伝えることができるか、また伝えることによりよりそのことが研ぎ澄まされるということでもあります。そうしたことが、自然と職員一人一人が自分の力を再認識するいい機会になっているのでは感じました。

 

新しい年度が始まる時、それは忙しさとともに、いろんなチャンスを秘めている大切な時期なのですね。  (報告者 西田)

寄り添うこと

新年度になり、今年度は1歳児クラス担任となりました。そこでは、3・4・5児クラスでは感じたことがないような、多くの自分の中での葛藤と出会っています。正直、子どもが何を感じて、何を思っているのかが分からない時があります。そんなことを思っていると、先日の臥竜塾でも報告された、塾長の「乳児と障がい児に関しては、強い思いは通用しないんだよ。理屈も分からないから、いくら言っても通用しないんだよ。まず通用しない相手には、とにかく気持ちに寄り添ってあげることが大切。そしたらそのうち向こうから素直に近づいてくるから」という言葉を思い出しました。

最近、理屈で考えすぎているのか、頭が固くなってしまっていたかもしれません。そういった大人の言動や思考に、いち早く反応するのは“子どもたち”です。まさに、こちらが何を言っても通用しない経験をさせてもらっています。(笑)

そこで、「寄り添うこと」とはどんなことなのだろうと考えてみようと思いました。

まず、べったりと密着している様子ではないことは理解できます。まだ、信頼関係の出来ていない人からそうされたら、きっと困ってしまいますね。もちろん、負の状態に陥っているなど、時によってはそれが必要な時も出てくるかと思いますが、その見極めが大切ですね。ということは、おそらく体よりも、「心」に寄り添うということであると感じます。

次に、相手にこちらの意図を感じてもらうために、耳や心を傾けようとする存在にならなくてはいけません。相手の気持ちを否定せずに耳を傾ける「傾聴」こそが、その始まりであると思うのですが、あれやこれやと言いたい気持ちを押し込める努力が必要ですね。そして、こちらがどのようなスタンスで「傾聴」しているかも重要であると思います。真心を持って、真摯に向き合っているかなど、自分の中から嘘偽りを無くすことが、「寄り添う」には必要なことであったのだと理解しました。確かに、始めから子どもに好かれる人というのは、なんとなく始めから人柄や人の良さがにじみ出ているような印象を持ちます。子どもはそんなものも感じとっているのでしょうか。

そして、やはり「共感」は必須ですね。子どもが向いている方向を見たり、その時の感情を共有したり、その瞬間その瞬間にある出来事に、自分も同じ気持ちでいることを伝えながら、相手の心の波長に自然に合っていくことが、寄り添っていく過程でもあると感じました。

そんな思考を巡らせている中、1歳児のある子どもが、自分が遊んでいた玩具を他児に取られて泣いている場面に出くわしました。よし!まずは自分の中から噓偽りを消して…傾聴して…共感して…と、色々と考えている最中、その子のそばにいた1歳児が、棚の上にあるティッシュ目指してトコトコ歩いていきました。その動向を見ていると、手を目一杯伸ばしてティッシュを棚から落とし、そこから一枚抜き取ると、泣いている子どもの涙を拭いてあげていたのです。この瞬間、私は「寄り添うこと」について色々と考えることはもうやめようと思ったのです。

なぜなら、今度からは、子どもが子どもにしてあげていることを真似しよう思ったからです。泣いていれば近寄って様子を覗きこんだり、楽しいことをしていれば一緒に同じことをして楽しんだりなど、子ども同士が遊んでいる様子、子ども同士が関わっている様子、それらを真似すれば、自ずと「寄り添うこと」ができてくるのではないかと、強く感じることができました。

(報告者 小松崎高司)

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寄り添い

寄り添い

歌作り

前回の報告にも書かせていただきましたが、閉所式の際に卒所児の子どもたちが新宿せいが学童クラブへの贈り物として歌を作ることになり、もう1人の学童職員のご友人で、音楽プロデューサーをなさっている「堤晋一(つつみしんいち)さん」と堤さんがプロデュースなさっているParadi-Soulパラディーソウルの皆様に、歌作りにご協力いただきました。

完成した歌の歌詞がこちらです。

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新宿せいが学童クラブの歌

 

メロディを付けて聞いてもらえないのが残念ですが、とても良い曲となり、涙ぐむ方もいて、閉所式の締めにピッタリでした。

閉所式の数週間前に歌作りのために来所してくださり、子どもたちの学童での思い出や私たち職員へのメッセージを聞き出してくれました。

それを子どもたちが紙に書き留めてくれました。

その1部をご紹介させていただきます。

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学童の1日

 

これはその子なりの学童での1日を書いてくれたものです。

お泊り会など特別なイベントを思い出として書いてくれた子もいますが、このような日常も良き思い出です。

そして職員へのメッセージも書いてくれました。

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思い出とメッセージ

 

私たち職員は、閉所式後に見せてもらえたのですが、感動ものでした。

この場を借りて、お礼を言わせていただきます。

堤さん、Paradi-Soulの皆様、お忙しい中、素敵な曲を作ってくださりありがとうございました。

Paradi-Soulの方々のブログにも活動報告が掲載されているので、こちらもご覧ください。

http://ameblo.jp/paradi-soul/entry-12003726620.html

新年度に移り、学童は閉所してしまいましたが、子どもたちが新宿せいがと今後も関わりを持てる魅力的な制度をご紹介させていただきます。

それは、「SSS(スリーエス)」S(せいが)S(サポート)S(スタッフ)というボランティア制度です。

これは今年度からというものではありませんが、4年生以上になった卒所児や地域の数多くのボランティアの方々が利用してくださっています。

この報告を書かせていただいている本日も昨年度卒所し、4年生になった子どもたちが、私が今年度担当している1歳児クラスにお手伝いに数名来てくれました。

保育園のころから新宿せいがの見守る保育のもとで育ってきただけあって、頼もしいものです。

そして現在塾長のブログで「模倣」について書かれていますが、私たち職員の姿を模倣しながら1歳児の子どもたちと関わっている姿もありました。

今後もこのような関わりを続けて、お互いに刺激し合いながら学びを深めていき、子どもたちの成長を見守っていこうと思います。

(投稿者 若林)

「朋遠方より来たるあり、また楽しからずや」

つい先日、保育園に男の子が遊びに来ました。

その男の子は卒園児で、学童クラブにも在籍していたのですが、少し前にあった学童クラブの閉所式に参加できなかったことで、せいがの職員が会いたがっていたということを友だちから聞いて、わざわざ会いに来てくれたということでした。

この春から中学校に行くというその男の子は、外見は保育園時代の面影を残しつつも、保育園にいた頃の様にワンパクな感じではなく、とても礼儀正しい男の子になっていました。そんな様子に私も思わず気持ちがたかぶり、色々と話をした本当に楽しい時間でした。

 

以前、臥竜塾で塾長に孔子の言葉を教えていただいたことがあります。

その言葉の中の一つにこんな言葉がありました。

「学びて時にこれを習ふ、また説ばしからずや。 朋遠方より来たるあり、また楽しからずや。 人知らずして慍みず、また君子ならずや。」(意味:いにしえの良き教えを学びそれをいつも実践する、それこそ喜びである。朋(同じ教えを研究、学習する人)が遠くからでもいとわずにやって来る、それは実に楽しいことである。 他の人が自分を正しく知って評価してくれなくても、心に不満をいだいたり、まして怒ったりはしない。それでこそ君子である。)

 

この真ん中の文の「朋遠方より来たるあり、また楽しからずや」という言葉。臥竜塾中では、地方出身の塾生が多く、将来また戻り、近くにいなくなってしまうかもしれないが、志を同じくした者同士とまた再会でき、同じ保育を語るのが楽しみということで話をされます。私自身も地方出身者なので、塾長、塾生がこんな風に考えてくれていると思うとほんとにありがたく、ずっと一緒に保育を志していけるという思いでいっぱいです。

 

少し感覚が違うのかもしれませんが、今回の出来事、そして学童の閉所式で卒所児にあった時、私は同じような感覚を感じてしまいました。

楽しいこと、つらいこと、大変だったことといったいろんな経験や、一緒にご飯を食べ、遊び、生活をしてきたということ。長い保育の中で、共に多くのことを学ぶ機会もありました。そんな存在の人に再び和えることができて、最近の様子や成長した様子を話し合えること。それは、本当にうれしいことだと思います。

 

塾長の話では、もっと長く子どもに関わっていると、自分の教え子が今度は保育士になり、保育園に就職にきたり、また教え子の子どもが保育園に入ってきたりと、これから先に楽しみがたくさんあるようです。

機械や物ではなく、人に関わる、特に子どもという存在に関わっている仕事だからこそ、その場限りの仕事ではなく、ずっと先にも楽しみが待っている。それは保育という仕事の魅力の一つですね。            (報告者 西田)

表現の形 —絵本—

先日、絵本の可能性をまた一つ、見出すことができた機会がありました。

3月14日に卒園式が行われました。その日に、毎年一冊のアルバムが配られます。それが「卒園アルバム」です。そのアルバムからは、卒園する子どもたちひとり一人の思い出を読み取ることが出来ます。アルバムには、好きな「外遊び・部屋遊び・歌・絵本」や、「楽しかったこと」「“ありがとう”と思ったこと」「お友だちのみんなへ(メッセージ)」などの項目があります。職員が把握している内容だけでなく、実はこんなことが好きで、こんな思いを持っていたとかと、その子の新たな一面・知らなかった一面をも知ることができます。

自分の気持ちをうまく表現できず、時には手を出してしまうほど不器用で、友だちには多くの誤解を持たれてしまう、一人の男の子がいました。担任の先生は、その子にはこんな良い所があるんだよということを、友だちにも本人にも辛抱強く伝えていくと同時に、自分の気持ちを意欲的に楽しみながら表現できるものを見つけて欲しいと願っていたと思います。

その子の卒園アルバムページで、好きな絵本のタイトルにはこう書かれていました

『けんかのきもち』

絵本「けんかのきもち」

絵本「けんかのきもち」

この絵本は、「けんか」をした子どもの頭の中で、ぐるぐるとかけめぐる言葉たちをそのまま文章にしたようなお話です。そこにはけんかの「原因」は出てきませんが、子どもたちの心の動きがエネルギッシュに表現されています。きっと、卒園を迎えたその子の気持ちと、絵本に出てくる「ぼく」の気持ちとが交わり、共感し、安心し、気持ちを整理することができたのではないでしょうか。

「表現」にも、様々な形が存在すると思っています。表情・言葉・沈黙・行動・目線などありますが、そこに「絵本」もある気がしました。自分の気持ちを代弁してくれている絵本、今の気持ちはこの絵本のこの場面、といったように、これも一つの表現の形であると感じたのです。

一昨日、担任の先生が、その子の話をしていました。「最近、みんなをまとめてくれる。時と場合を理解して、何をするべきかも友だちに教えてあげていたり、相手の気持ちを理解するのが上手なんだよね。」

その子は、2月17日に絵本マイスターになりました。絵本マイスターを考えた時、「たくさんの絵や文字に親しめるように」や「みんなに貢献できるように」といった願いがありましたが、そこに「自分の気持ちを理解し、表現できるように」といったことが追加できるかもしれません。

卒園式当日。卒園児がみんなの前で自分の夢を、自分の声で表現する場面があり、そこでその子はこう言いました。

 

「大きくなったら、漫画家になりたいです!」

 

一人でも多くの人に共感を与えられる、そんな漫画家になってほしいと思うのは、大人のエゴでしょうか…。

(報告者 小松崎高司)

「幸せのプラットホーム」

この時期、各保育園では「送別会」が行われているのではないでしょうか。
私たちの保育園も今年は2名の職員が退職することになり、涙涙の送別会でした…。

一人は初年度から一緒に働いている職員で、もう一人は今年で3年目になる職員です。

二人とも旦那さんの仕事の関係で職場が今よりも遠くになってしまうのと、出産を控えているということもあり…決断したそうです。

みんなで食事をしながら、思いで話に花を咲かせていました…。

そして最後は花束と園からプレゼントを渡し、塾長からの話です。
その話の内容がとても感動したので書かせて頂きます。

「最近、新宿でも新しく民営化で開園する保育園が増えてきましたが、私がその保育園で研修を頼まれたときに言うのは、何しろ気が強くないと初年度はやっていけない、と言います。

そういう意味では初年度からいる先生はみんな気が強かったですね、おそらく今も残っている先生は気が強い人だけが残っているのかもしれません。
しかし途中から入ってきた○○先生は、お父さんからこんな話をされました。うちの娘は頑固で親の言うことを全く聞かなかった、しかし新宿せいが保育園で働き始めてから性格がだんだん変わり優しくなりました。
と言われました。これを聞いて環境というのは、人の性格にとても影響するのだなぁ、感じると共に、やっと新宿せいがもそういう環境になり、人を幸せにできる場所になったのだなぁと思いました。
私はここが『幸せのプラットホーム』でありたいと思います。どんな人でもちょっと立ち寄るだけで幸せになれる場所、そんな素敵な場所でありたいと思います。
先日も保護者の方に保育園に来て頂き、その保護者の、夢を一つ叶えることができました。そんな風に色々な人が来ても幸せになってくれる場所であり続けたいと思います…。
二人も何か困ったことがあったら、いつでも言ってください。すぐに助けに行きますし、ここがありますからね…」

数年前に同じような事を言っていた人を思い出しました。

その人は半年くらい、新宿せいがでアルバイトとして働いていましたが、経歴が面白い方で大学を出て公立の保育園の園長を勤めた経験がある人で、
当時は仲間と一緒に保育園を、立ち上げる為に準備をしているときに「見守る保育」に出会い、門を叩いたそうです。
そして、今は横浜で認証保育園の園長として勤めています。
彼が新宿せいがを辞めるときに皆の前で話した内容が「保育に困った人の駆け込み寺になって下さい」と言いました。
どうやら彼も保育に悩んでいた時に塾長の本と出会い、助けられたと話していました。

率直にそんな場所にいられる自分が本当にありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです…。

ただ、新宿せいが保育園だけでなく全国に「幸せのプラットホーム」が増えれば、
こんな素敵なことはないですね(報告者 山下祐)