つい先日、保育園に男の子が遊びに来ました。
その男の子は卒園児で、学童クラブにも在籍していたのですが、少し前にあった学童クラブの閉所式に参加できなかったことで、せいがの職員が会いたがっていたということを友だちから聞いて、わざわざ会いに来てくれたということでした。
この春から中学校に行くというその男の子は、外見は保育園時代の面影を残しつつも、保育園にいた頃の様にワンパクな感じではなく、とても礼儀正しい男の子になっていました。そんな様子に私も思わず気持ちがたかぶり、色々と話をした本当に楽しい時間でした。
以前、臥竜塾で塾長に孔子の言葉を教えていただいたことがあります。
その言葉の中の一つにこんな言葉がありました。
「学びて時にこれを習ふ、また説ばしからずや。 朋遠方より来たるあり、また楽しからずや。 人知らずして慍みず、また君子ならずや。」(意味:いにしえの良き教えを学びそれをいつも実践する、それこそ喜びである。朋(同じ教えを研究、学習する人)が遠くからでもいとわずにやって来る、それは実に楽しいことである。 他の人が自分を正しく知って評価してくれなくても、心に不満をいだいたり、まして怒ったりはしない。それでこそ君子である。)
この真ん中の文の「朋遠方より来たるあり、また楽しからずや」という言葉。臥竜塾中では、地方出身の塾生が多く、将来また戻り、近くにいなくなってしまうかもしれないが、志を同じくした者同士とまた再会でき、同じ保育を語るのが楽しみということで話をされます。私自身も地方出身者なので、塾長、塾生がこんな風に考えてくれていると思うとほんとにありがたく、ずっと一緒に保育を志していけるという思いでいっぱいです。
少し感覚が違うのかもしれませんが、今回の出来事、そして学童の閉所式で卒所児にあった時、私は同じような感覚を感じてしまいました。
楽しいこと、つらいこと、大変だったことといったいろんな経験や、一緒にご飯を食べ、遊び、生活をしてきたということ。長い保育の中で、共に多くのことを学ぶ機会もありました。そんな存在の人に再び和えることができて、最近の様子や成長した様子を話し合えること。それは、本当にうれしいことだと思います。
塾長の話では、もっと長く子どもに関わっていると、自分の教え子が今度は保育士になり、保育園に就職にきたり、また教え子の子どもが保育園に入ってきたりと、これから先に楽しみがたくさんあるようです。
機械や物ではなく、人に関わる、特に子どもという存在に関わっている仕事だからこそ、その場限りの仕事ではなく、ずっと先にも楽しみが待っている。それは保育という仕事の魅力の一つですね。 (報告者 西田)
先日、絵本の可能性をまた一つ、見出すことができた機会がありました。
3月14日に卒園式が行われました。その日に、毎年一冊のアルバムが配られます。それが「卒園アルバム」です。そのアルバムからは、卒園する子どもたちひとり一人の思い出を読み取ることが出来ます。アルバムには、好きな「外遊び・部屋遊び・歌・絵本」や、「楽しかったこと」「“ありがとう”と思ったこと」「お友だちのみんなへ(メッセージ)」などの項目があります。職員が把握している内容だけでなく、実はこんなことが好きで、こんな思いを持っていたとかと、その子の新たな一面・知らなかった一面をも知ることができます。
自分の気持ちをうまく表現できず、時には手を出してしまうほど不器用で、友だちには多くの誤解を持たれてしまう、一人の男の子がいました。担任の先生は、その子にはこんな良い所があるんだよということを、友だちにも本人にも辛抱強く伝えていくと同時に、自分の気持ちを意欲的に楽しみながら表現できるものを見つけて欲しいと願っていたと思います。
その子の卒園アルバムページで、好きな絵本のタイトルにはこう書かれていました
『けんかのきもち』

絵本「けんかのきもち」
この絵本は、「けんか」をした子どもの頭の中で、ぐるぐるとかけめぐる言葉たちをそのまま文章にしたようなお話です。そこにはけんかの「原因」は出てきませんが、子どもたちの心の動きがエネルギッシュに表現されています。きっと、卒園を迎えたその子の気持ちと、絵本に出てくる「ぼく」の気持ちとが交わり、共感し、安心し、気持ちを整理することができたのではないでしょうか。
「表現」にも、様々な形が存在すると思っています。表情・言葉・沈黙・行動・目線などありますが、そこに「絵本」もある気がしました。自分の気持ちを代弁してくれている絵本、今の気持ちはこの絵本のこの場面、といったように、これも一つの表現の形であると感じたのです。
一昨日、担任の先生が、その子の話をしていました。「最近、みんなをまとめてくれる。時と場合を理解して、何をするべきかも友だちに教えてあげていたり、相手の気持ちを理解するのが上手なんだよね。」
その子は、2月17日に絵本マイスターになりました。絵本マイスターを考えた時、「たくさんの絵や文字に親しめるように」や「みんなに貢献できるように」といった願いがありましたが、そこに「自分の気持ちを理解し、表現できるように」といったことが追加できるかもしれません。
卒園式当日。卒園児がみんなの前で自分の夢を、自分の声で表現する場面があり、そこでその子はこう言いました。
「大きくなったら、漫画家になりたいです!」
一人でも多くの人に共感を与えられる、そんな漫画家になってほしいと思うのは、大人のエゴでしょうか…。
(報告者 小松崎高司)
この時期、各保育園では「送別会」が行われているのではないでしょうか。私たちの保育園も今年は2名の職員が退職することになり、涙涙の送別会でした…。
一人は初年度から一緒に働いている職員で、もう一人は今年で3年目になる職員です。
二人とも旦那さんの仕事の関係で職場が今よりも遠くになってしまうのと、出産を控えているということもあり…決断したそうです。
みんなで食事をしながら、思いで話に花を咲かせていました…。
そして最後は花束と園からプレゼントを渡し、塾長からの話です。
その話の内容がとても感動したので書かせて頂きます。
「最近、新宿でも新しく民営化で開園する保育園が増えてきましたが、私がその保育園で研修を頼まれたときに言うのは、何しろ気が強くないと初年度はやっていけない、と言います。
そういう意味では初年度からいる先生はみんな気が強かったですね、おそらく今も残っている先生は気が強い人だけが残っているのかもしれません。
しかし途中から入ってきた○○先生は、お父さんからこんな話をされました。うちの娘は頑固で親の言うことを全く聞かなかった、しかし新宿せいが保育園で働き始めてから性格がだんだん変わり優しくなりました。
と言われました。これを聞いて環境というのは、人の性格にとても影響するのだなぁ、感じると共に、やっと新宿せいがもそういう環境になり、人を幸せにできる場所になったのだなぁと思いました。
私はここが『幸せのプラットホーム』でありたいと思います。どんな人でもちょっと立ち寄るだけで幸せになれる場所、そんな素敵な場所でありたいと思います。
先日も保護者の方に保育園に来て頂き、その保護者の、夢を一つ叶えることができました。そんな風に色々な人が来ても幸せになってくれる場所であり続けたいと思います…。
二人も何か困ったことがあったら、いつでも言ってください。すぐに助けに行きますし、ここがありますからね…」
数年前に同じような事を言っていた人を思い出しました。
その人は半年くらい、新宿せいがでアルバイトとして働いていましたが、経歴が面白い方で大学を出て公立の保育園の園長を勤めた経験がある人で、
当時は仲間と一緒に保育園を、立ち上げる為に準備をしているときに「見守る保育」に出会い、門を叩いたそうです。
そして、今は横浜で認証保育園の園長として勤めています。
彼が新宿せいがを辞めるときに皆の前で話した内容が「保育に困った人の駆け込み寺になって下さい」と言いました。
どうやら彼も保育に悩んでいた時に塾長の本と出会い、助けられたと話していました。
率直にそんな場所にいられる自分が本当にありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです…。
ただ、新宿せいが保育園だけでなく全国に「幸せのプラットホーム」が増えれば、
こんな素敵なことはないですね(報告者 山下祐)
前回の「食べる機能」の記事から、気づけば1ヶ月も立ってしまいました。前回は子どもの食べる機能には環境との相互作用が大切であり、子どもを取り囲む周囲からの適切な刺激が子どもの機能にも大きく影響するという「個体(子ども本人)と環境の相互作用」と子どもの発達には活発に起こる時期があります。そのときに適切な働きかけをする必要があるという「発達には適切な時期がある」があるということを紹介しました。これは日本歯科大学付属病院准教授 口腔介護・リハビリテーションセンターの田村文誉先生の記事をもとに改めて子どもたちの食べる機能の発達をみていったのですが、では残りの4つの部分はどういったことが大切だと言われているのでしょうか。
3つめは「一定の発現順序がある」です。
それは「乳幼児が摂食・嚥下機能を獲得していくには、身体の発達と同じように一定の発達順序があります。多少前後することはあるにしてもある程度の順番があることを、多くの人が理解していますが、食べる機能にも発達の順序があることは、意外と意識されていません。そのため、離乳食の進め方を急ぎすぎたり、子どもの機能に合わない硬さの食べ物が提供されたりしてしまうことがある。」とのことでした。
4つめは予行性がある。
「ある動きが上手になると、次の段階の動きが現れやすくなるということです。たとえば、舌の動きがよくなり、舌で押しつぶすことが上手になってくると、ある表紙に咀嚼の動きが出てくることが起こります。」
5つめは直線的でない。
「発達はまっすぐに順調に伸びていくわけではありません。できるようになったなと思ったら、急に下手になったり、また、急に上手になったりと進んだり後戻りしたりしながら発達していく」
6つめは個人差が大きい
「機能の発達の進み方には個人差があります。同じ年齢や環境であっても、同じようなものが同じように食べられるとは限らないのです。隣の子どもが肉や生野菜を食べているからといって、いやがるものを無理に食べさせる必要はありません」
そして、最後にこの章ではこのように締めくくっています。「以上のように発達には原則があります、スタート地点を急ぐ必要もないし、急いでもそれが有利につながることもありません。子ども自身の持てる力に合わせて、進めていけばよいということです。」
上記の田村先生の6つの発達の条件は決して、「食べる機能」に置いてだけではなく、子どもたちの発達において必要な事柄であり、場面においても必要なことですね。子どもにあわせた環境を用意することで子どもたちの持てる力はより発揮されていくことだろうと思います。
また、食育講師の井上ききさんのブログにはこういったことも書かれていました。
「消化に気持ちは大きく反映され、大きく関係します。楽しい食事をすると消化も順調に行われやすく、消化吸収もいい。十分に機能が働いていると今の身体に必要な栄養素を効率よく吸収できます」「一方、楽しくない食事は緊張状態や悲しい状態では、内臓の機能が萎縮して十分働いていません。消化不良になります。便秘や下痢になるし、せっかく食べても、栄養になりにくく、栄養失調状態になることもある」
それほど、子どもたちの食べる環境の必要性や子どもたちの発達は「食べること」「遊ぶこと」「生活すること」すべてにおいて見る視点は共通点があるということを知ることはとても大切だということを改めて感じました。
藤森先生の臥竜塾ブログ「食事」という内容の最後にこう書かれていました。
「指針にも「喜んで食べることが心と身体の栄養となる」と書かれているように、逆に言われて食べることは、心と身体を壊すことがあります。そのため、「食事の環境を様々に工夫し、明るく楽しい食事の場にするとともに」と書かれてあるように、食事の場の持ち方が栄養にずいぶん影響するものです。栄養価、栄養素、摂取量ばかり言い過ぎている気がします。」
大人の意識やよかれと思っていることが子どもたちにとって本当に良いことなのかと見直すことが大切ですね。
(投稿者 邨橋智樹)
以前新宿せいが保育園に勤めていた先生が実習に来られ、そこでの体験を論文かなにかにまとめた文章を聞かせてもらったことがありました。ちょうどその実習に来られた時はおたのしみ会といって劇や歌、合奏などを通して発達を見てもらう会がすぐありました。少し、クラスごとに練習をしている姿を見ていたそうです。その中での感想がとても素晴らしいものでした。各クラスのことをどのような感想を述べるのかと思っていたらそうではなく、
「年長組の練習はさすがでしたがそれ以上にそれを見ている年中組が熱心に見ていることが印象的だった」
とありました。
この視点というのは当時視野が狭かった私には非常に参考になるお話でした。今も狭いですが…
1年後自分が年長になった時こんな風にやりたい、こんなことが出来るんだという憧れのようなものがそこにはあります。子どもにとってその憧れや、やってみたいという気持ちはその子を主体的にできる一番の材料であるように思います。
現在の幼児クラスでもじーっと年長や同年代の子をよく見ていていきなり出来るようになっている子もいます。ずーっと見て自分の中で温めて出来ると思ったときにやってみるその自分の力量を知っている様は子どもが自分のことをよく理解している証拠でもあるように思います。
先日卒園式がありました。その卒園式には年中組も参加します。1度練習した際、年中組が年長組を見る眼差しはキラキラしているように私は見えました。ある子どもは親に練習の模様を事細かに説明していたそうです。きっと今度は私たちもやるんだという意識は少なからず持てたように思います。
その様子を見ることで、見ることと見ないことの差を大きく感じることができました。
年度末ということでそれぞれの学年が1つ上がります。
その中で年長から年中へ伝承されていくものがあります。その中の1つが新宿せいが保育園では雑巾がけです。
1年間年長の雑巾がけを見てきた年中の子たちは一体年長になったときにどんな雑巾がけを見せてくれるのか楽しみです。

年長の雑巾がけを興味深く見ています。
見て学ぶというのは赤ちゃんから始まり大人になった今でも同じことだと思います。更に同じくらいの年齢から学ぶことは非常に多いようにも思います。
保育をしていく中で互いに刺激し合える環境というのを意図的に作っていくことをより意識していこうと思えました。
(報告者 本多悠里)
先日、家族で動物園に行ってきました。うちの娘は決まって象と虎に大興奮なので、なんとなくのルートは決まっているのですが、その日はサル山がなんだか人だかりで盛り上がっていました。なんだろうと覗いてみると、サルのオスとオス同士がボス争いなのか、ケンカをしていました。その激しさと迫力に、みんな見入っていました。
もちろん私も面白いなと思って見ていたのですが、娘がふと「ケンカしてるね。危ないね。」と言い出しました。確かに、あまり見たことがないと“そんなことをするのか”と変な感じに感じるのでしょう。
一応、その場では、「お猿さんのリーダーを決めるためなんだよ」と、サル山のボス争いや、動物の本能といったことを説明したのですが、後で少し考えてしまいました。
それは、藤森先生の話で「ミラーニューロンが委縮していると人の痛みを喜んでしまう。」という話を思わず思い出してしまったからです。動物と人は違うと思うのですが、「争いを見て面白く感じる」というのも少し悲しい気もします。
ちょっと話がずれてくるのかもしれませんが、TVを見ていた時に興味深い話がありました。
内容は刑務所の話で、受刑者は毎日規則正しい生活しかなく、娯楽といったものがほとんどない。そんな中で過ごしていると、人はなんとか面白いことを探そうとするそうです。ですが制限された生活の中では、見つかるはずもなく、唯一見つけるのが、弱いものを見つけて、いじめるということだそうです。
刑務所という全く想像もつかない分野ですが、人の心理をついている問題だけに、子どもの世界にも似たような話があるのではないかと思います。もしも子どもたちの行動が制限され、自由がなくなったら、、。子どもたちはどのようにして、楽しみを見つけるのでしょうか。
子どもたちの中でケンカやトラブルが多いなど、いつもと違う様子が見られた時は、私たちが子どもたちの自由を制限してしまっているというサインなのかもしれませんね。子どもたちが正しく面白いことが探せるようなミラーニューロンになるように、環境をしっかりと調えてあげたいですね。
(報告者 西田)
「環境」は“きっかけ”にすぎないのかもしれません。
ある環境を用意したら、それで保育者の仕事は“終わり”であるかのような錯覚を起こしてしまいがちです。実際、私もそう思っていました。しかし、そうではなく、その環境に子どもたちがどのように関わり、その関わりをもっと深めるためには何が必要かと、考える事が重要であると感じました。それが、藤森先生が言われる「発展」であるのだと思います。
先日の成長展では、その「発展」の過程を各ゾーンごとに展示しました。

ブロックゾーン

絵本ゾーン

伝承遊びゾーン

ごっこゾーン

文字・数ゾーン

製作ゾーン

科学ゾーン

ゲーム・パズルゾーン
子どもたちが環境にどう働きかけて遊びが発展していったのか、職員がそんな子どもたちにどうアプローチして発展させていったのか、その間に確実にある「プラスα」の存在を、“分かりやすく”展示しようと思ったのがきっかけでした。
先日、ある女児が「先生、こっちに来て!」と嬉しさを押し込めたような表情で言ってきました。ついていってみると、科学ゾーンに素敵な作品がちりばめられていました。何かを試したり、調べたりするものとしてではなく、科学ゾーンにある、科学の力を利用して「造形」をした子どもの姿を見たのは初めてだったので、非常に感動しました。

科学ゾーンの物で作った造形作品
しかし、感動するのは早かったのです。テーブルには、こんな置き紙がありました。

「これでみてみてね!」
促されるまま、その光景を覗いてみれば、そこにはまた美しい光景が広がっていました。造形をしておしまいではなく、作った作品をこれで覗いて眺めるといった体験型の作品であったのです。


その遊びに感動したもう一人の職員が、「みんなにも見せてあげようよ!」と提案し、即座にその子の“体験型作品ゾーン”を作ったのです。普段なら、遊んだ玩具は解体して元に戻す事が前程となっていますが、この感動を他の子どもたちにも味わってもらいたい、その子の遊びを深めたいといった思いから、科学ゾーンの棚の中に、そのブースを作ったのだと思います。
科学ゾーンに、磁石や万華鏡を用意するのは簡単です。しかし、そんな環境を通して、子ども同士がつながるような仕組みを生み出したり、その遊びが発展するような言葉がけや更なる環境を“その瞬間に”用意することはなかなか簡単なことではないと同時に、そのような柔軟性や発想が保育士に求められていることでもあるのだと思います。個人的に思うのは、それができるのは「その人の経験値」が非常に関連しており、これまでにどんな経験をしてどんな思いを抱いてきたのか、そしてどんな好奇心と共に歩んできたのかが、ポイントのようでもあると感じています。正直私は、そんな多様な経験をしてきているとは思っていません。なので、周囲の人の「良い所」「面白いと思った所」を真似して自分のものにするしかありません。もちろん、そこから生まれた自分の好奇心を追求・探求していきたいとも思っています。
「環境」は終着点ではなく、あくまでもきっかけであり、そこから保育が始まるのだと思います。
(報告者 小松崎高司)
2月の寒い朝、用務の西村氏が、テラスに出来ていた「氷」を3・4・5歳児クラスに持ってきてくれました。非常に大きくて分厚く、子どもたちも興奮気味に手で氷の感触を楽しんでいました。その氷も、ちゃんと“子どもたちに氷遊びをさせたい”といった思いから、前日に水を貼って意図的に氷を作っていたということを聞きました。さすが、環境マイスター山下氏の弟子ですね。私は、そういうのに弱いです。人の思いをなんとかして活かしたい、子どもたちに、氷遊びを通して不思議を味わわせたいと感じて頭に思い浮かんだのが、去年学童児とやっていた先輩保育士のある「実験」でした。
その実験とは、氷にストローを押し当て、息を吹きかけ続けたらどうなるかという実験です。さっそく、製作ゾーンにあったストローを持ってきて、子どもたちに問題提起をしてみました。子どもたちは「氷が動く」「解ける」などと予想しながら、実験し始めました。

実験中
氷の厚さは2㎝くらいあるので、なかなか結果がでません。しかし、子どもたちは一心不乱に息を吹きかけ続けていました。しばらくすると、ひとりの男児が、その部分だけ氷が解けて窪み始めたことに気がつきます。実際に手で触れてその窪みを確認したり、周囲の子どもたちもその感触に感動していました。「もっとやってみよう」といって、さらに続けていると「あ!穴があいたー!」と叫び、達成感と満足感を浮かべた表情をしていました。

氷に穴
先日、ある子どもが粘土遊びをしていました。「俺ね、長—いやつ作る!」と意気込んでいます。すると、粘土をうどん状に細長くし始めました。一緒に粘土遊びをしていた子どもも、その様子を見て“楽しそう”と感じたのか、おれもわたしもと、粘土を細長く作り、それをつなげ始めたのです。“これは、面白いことが始まるぞ”と、私の面白センサーが反応をしたので、「メジャー(巻尺)」をすぐに出せるよう用意していました。子どもたちは、ものの数分でテーブルの長さほどの物を作り、そして、そこでは足らないと、ついには、床でつなぎ合わせていました。
しばらくして、満足いく長さに到達したのか、「ほら!長いでしょ!」と言ってきました。私は、メジャーを出したくて出したくて仕方がなかったので、「どのくらい長い?」と、少々意地悪な質問を投げかけました。すると、みんなに「?」が浮かび、沈黙になりましたが、一人の男の子が「測ってみればいいんだよ」と言ったのです。以前、ブログでも紹介した「身長計」を使おうとしていたので、もっと便利な物があると、手に持っていた「メジャー」を自慢げに出すと、子どもたちは「うおぉ〜!」とうなっていました。まさに120点の反応です。(笑)

測定中
さっそく、みんなで長さを測ってみました。結果は、203㎝。子どもたちの中で、「203㎝」は粘土で表現できるという一つの経験になったと思います。最後に、中心になって指揮をとっていた男児が、その203㎝の粘土をきれいに渦巻き状にしていました。“面白い!”と思って、その長さも測ってみると、なんと12センチ。「203㎝が12㎝になった!」と、何に使えるかは分かりませんが、そんな変化球も伝えてみました。

変化球
子どもの姿を見て、その瞬間をどう活かそうかと考える大人のように、そんな大人の姿を見て、それはどこに活かせるかと状況を見て考えて選択できる、そんな子どもの姿を望んでいきたいです。
(報告者 小松崎高司)
先週末に保育園の卒園式があり、その後に今年度で新宿せいが学童クラブが閉所するということで閉所式を催しました。
新宿せいが学童クラブが開所してから閉所までの8年間で在所していた子どもたちを呼び、大人と子どもを合わせて、総勢200名もの方々に参加していただきました。
私は新宿せいがに勤めさせていただいてからまだ2年しか経っていないため、現在の小学4年生までしか見覚えがないのが残念だったのですが、現在の高校1年生の子たちまで参加してくれて、初年度からの先生方にとっては、久々の再会となり、思い出話に花が咲いている様子でした。
式は約2時間行われ、メインは歴代の卒所児の子たちに前に出てきてもらい、代表の1人に学童での思い出等を一言話してもらいました。
その中で初年度の高校1年生の卒所児が面白い思い出話をしてくれました。
それは、初年度学童職員だった本多先生が頭を切ってしまった事件です。
思い出がたくさんあった中でのこのチョイス…
相当心配したことでしょう…
他の学年の子どもたちも自分の言葉で思い出等を話してくれました。
その話を聞いていると、子どもたちにとって新宿せいが学童クラブがどのような場所だったのか、改めて思い知りました。
現在の在所児の子どもたちは、数年後に新宿せいが学童クラブでの思い出を話してくれる機会があったら、どのような思い出を話してくれるのかと考えていると、楽しみに思えると同時に新宿せいが学童クラブで過ごす時間が残り2週間しかないという現実と向き合うきっかけとなりました。
残り2週間で何ができるかも重要なことかもしれませんが、私は今年度子どもたちと過ごしてきた1年間を一緒に振り返れる時間を作りたいと思っています。
また、参加してくれた保護者の方々や職員、そして子どもたちに「新宿せいが学童クラブへ一言」を付箋に書いてもらいました。
それがこちらです。

新宿せいが学童クラブへ一言
学童職員として子どもたちと関われたのはたった1年ですが、これを見ると涙腺が緩んでしまします。
初年度からの先生方などの気持ちを察すると、尚一層涙腺が緩む思いです。
更に、私ではないのですが、もう1人の学童職員の方のご友人で、音楽業界でお仕事をなさっている方に「新宿せいが学童クラブの歌」を作ってもらい、なんと当日までお越しいただいて参加していただけた全員の前で歌ってくださいました。
次回の報告で作曲までの流れを報告させていただこうと思っています。
(投稿者 若林)
先週の報告にも上がっていたのでご存知の方もいると思いますが、3月の初めに成長展と言う行事がありました。
保育園の行事の看板はいつも学童クラブの子どもたちが作っています。(そんな機会もこれで最後と思うと寂しい気持ちでいっぱいなのですが、、。)今回は「共感」がテーマと言うことで、共感と名前のついた絵を見て、そこから看板のデザインを決めていきました。
決めたデザインの絵には二匹の象がいて、いろんな色がきれいに描かれているものでした。
このデザインが決まった時、私の中ではいろんな色がある=難しいというイメージでした。
なぜかというと、クレヨンにしても、絵の具にしても色が沢山混ざると、黒っぽいあまりきれいな色とは言えない色になってしまうからです。そこを混ざらないように、きれいな色のまま、沢山の色を使う。そのためには、看板を作る子みんながその事を知っていなければなりません。小学生は図工の時間もあり、さすがにその事を知っているかなと思う所もあったので、とりあえず何もいわず子ども達だけに任せてみました。
大きな看板だったので看板本体、大きな象、小さな象という3つにわけて色塗りに取り掛かりました。
初めは、一番塗る場所が多い看板本体。
元のテーマの絵が柔らかいタッチだったことから、スポンジを使って絵の具で色を塗ることになりました。
なんとなく色が混ざると、汚い色になってしまうということがみんな分かるのか、一度色をつけた所は、乾いてからまた色をつける様にしていました。これなら大丈夫そうだなとみていると、その後手を使って描いたり、型紙を使ったりと色々と工夫をしていました。
また、別の日に今度は大きな象の色塗りをしました。
今回も大丈夫だろうと、そのまま任せて、後で見るのを楽しみにしていました。
ですが、出来上がった作品はものの見事にどす黒く、しかも色を塗りすぎて破れかけているところもあるという様子でした。
もっと早く気付けばよかったのですが、前回やった時はほぼ3年生ばかりだったのが、今回は1年生中心で3年生もいたのですが、1年生の色々やってみたい熱気に押されてという感じでした。
やるだけやって満足した子はいなくなり、残された何人かの子「どーするの?」という空気とともに、その作品を見ていました。私自身も「やったなー」と思ったのですが、何も言わず、大きな紙をもう一枚渡してみました。すると、1人だけいた3年生が、「じゃあこの絵(元のデザイン画)を見ながら、誰がどこをやるかいうね」と、1年生に指示を出し始めました。
そんな様子に1年生もやる気を取り戻し、再び看板作りに取り掛かっていました。今度は前回の失敗をみんな経験していたこと、そして全体を見てくれる人がいることで格段にいい作品になりました。そしてうまくできたことに満足したのか、元のデザイン画をベースにしながらも、そこにキラキラのまつ毛を付けるなどよりいいものに仕上げていました。
「失敗した時、何も言わずにもう一度チャンスを上げること」は子どもたちのよい経験にもなり、また周りを引っ張っていかなければと思う気持ちも芽生えるチャンスになるのですね。看板作りはこれで最後ですが、また別の機会に試してみたいと思います。
(報告者 西田)