メンズディスカッション

一昨日は塾長が主張のため、臥竜塾はお休みでした・・・。
先日「GTメンズディスカッション」という企画がありました。
今回で3回目で私は初めての参加でとても楽しみにしていました。
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新宿せいが保育園の長岡先生がファシリテーターとして最初に趣旨を話しました。

「藤森先生の話を聞いて、自分なりに租借して、自分なりの言葉、人生にリンクさせて社会にアウトプットしていく必要があるのでは?だから、このような会を始めたいと思った。」
せっかく保育士になったとしても、職場で男性一人というのは確かに辛いですね。
よく塾長の講演で男性の役割という話しをされますが、

「『男だからダイナミックに遊ぶ』『男だから外でサッカーをする』男だから~と言う人がいますが、おそらく男性より女性の方がダイナミックで逞しいです(笑)
子どもにとっては女性だけの社会はおかしいし、男性だけというのもおかしい。両方いることで意味があります。

例えば子どものくだらない遊びに何度も付き合えるのは男性だけど、女性は付き合えない。それを見守っているのが女性の役割です」と。

長岡先生が言うには全国で見ても男性保育士は5%に過ぎないそうです。
まだまだ女性の職業という印象が強いですね・・・。

さてディスカッションですが、今回は3つの議題を用意しました。

・保育行事のアイディア
・保育における多様性
・男性保育士の将来

の3つです。その中で自分が話しをしたい聞いてみたい議題を選択して、
じっくり話し合います。

私は悩んだ結果「保育行事におけるアイディア」を選びました。
今回はその事を書こうと思いましたが、実は内心「男性保育士の将来」についての話し合いに
参加したかったのです。
と言うのも最近の見学者や先日のGT職域セミナーのグループディスカッションの中で
男性についての話しが出るのです・・・特に給与面・・・。

「実際に男性保育士の給与でやっていけますか?」

と・・・。
まぁしょうがないですね。実際に新宿せいが保育園で男性保育士で現場にいる人は11人もいます。
色々と先生方から話しを聞くと、やはり処遇が低いのですぐ辞めていくそうです・・・。
それに対して新宿せいが保育園は人数も多いので、どうしてか?気になるそうです。
その辺について塾長は

「おそらく一流のサラリーマンに比べると処遇は低いのは当たり前。私の息子は帰りも終電で子どもと遊ぶ時間もないほど忙しいし土日も仕事などて会社に行くこともあります。

それに比べて保育士は定時に帰ろうと思えば帰れるし、行事前以外残業もない。だから何を優先するかだよね。例えばお金を優先するならば自分のプライベートの時間はほとんどない。
自分のプライベートを優先するならばお金は望めないよね…」

確かにその通りかもしれません。私はお陰さまで結婚して子どもにも恵まれました。

平日は定時に上がらせていただき、帰って息子と触れあう時間を持つことができます。
休日も家族3人で楽しく過ごさせてもらっています。それも職場の理解あってこそだと常に感じています。
確かに東京のサラリーマンに比べると低いかもしれませんが、お金で買えない物を日々頂いています。
塾長が言われるように本当に何を優先するかで生活が大きく変わりますね。

ちょっとお金の話しばかりなので、話題を変えましょう(笑)

また塾長はこんなことを常に言われています

「男性保育士は実家が保育園を経営していない限り、自分の将来を不安に感じてしまう。だから私は全国の男性保育士に『夢』を与えたいんだよね…それが我々の臥竜塾でもあるんだよ。

来年度から塾生が年間で講座を開くことで目標にもなるし、それがもっと広がると養成校の講師になれるかもしれないし、園内研修を頼まれるかもしれない。
そうなると夢が広がるよね…だから臥竜塾がもっと発信していく必要があるかもね。」

これを目の前で聞いて、感動して言葉も出ませんでした…。
どうしても、まだまだ保育園は女性の職場という印象が強いあまり男性が定着しません。

おそらく給与の面もあるかもしれませんが、やはり将来を見出だせないでいるのかもしれません。

長岡先生が最後にこんな事を言いました。「僕らが突っ走ることで、世間にアピールして、イメージを変えていく!」
本当にその通りかもしれません。もっともっと私達が色々な事を実践し、それを発信しアピールすることで全国の男性職員に勇気と夢を与えることができたら幸いです…

そして一緒になって実践することができたら、すっごい!!楽しいでしょうね!!!

ちょっと今回の報告はかなり情緒的になってしまいました(笑)

でも本当に一緒に楽しく保育をしていきたいと強く思った今日この頃です…(報告者 山下祐)

節分のあれこれ

先週の2月3日は節分でしたね。皆さんの保育園やご自宅では「豆まき」をしましたか?

もちろん新宿せいがでも毎年その行事は行われています。
ところで、なぜ節分に豆をまくのだろうと思ったことはありませんか?そして、そもそも「節分」とは何かご存知でしょうか?私自身も以前に調べたことがあったので今回は「節分」ついて紹介したいと思います!
「節分」とは本来、「季節を分ける」つまり季節が移り変わる節日を指し、立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日に、1年に4回あったものだったそうです。ところが、日本では立春は1年のはじまりとして、特に大切と考えられていたため、次第に節分といえば春の節分のみを指すようになっていったようです。
立春を1年のはじまりである新年と考えれば、節分は大晦日(おおみそか)にあたります。平安時代の宮中では、大晦日に陰陽師らによって旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな)」の行事が行われていたそうです。室町時代以降は豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展し、民間にも定着していき現在に至ったそうです。
「豆まき」とは、一年の災いを払うための厄落としとして「豆まき」が行事として行われています。つまり、豆とは「魔滅(まめ)」という意味でまかれていたそうです。
そして、豆まきはその年の歳男、又は一家の主人が「福は内、鬼は外」と言いながら煎った大豆をまき、みんな自分の年の数だけ豆を食べるとこれから1年病気にならないと言われています。しかし、場所によっては「鬼は外」と言わないことがあるそうです。
・川崎市の千蔵寺では本尊が厄神鬼王(やくじんきおう)という鬼面の神様なので「鬼は内」と鬼を暗くした堂内に呼び込み、住職が鬼たちに説教をして、悪い鬼は改心させ社会復帰させるという言われがあるそうです。 ・埼玉県の武蔵嵐山の鬼鎮神社(きじんじんじゃ)でも平安末期に畠山重忠の館・菅谷館の鬼門を守るために作られた神社で、鬼が御祭神であるため鬼が邪気から人々を守ってくれるということになっており、江戸時代ころから鬼が豆をまいて厄払いをするようになったそうです。口上は「鬼は内、福も内、悪魔外」と言うそうです。 地方や、鬼との関係で必ずしも「福は内・鬼は外」ではないところもあるみたいです。
 
さて家庭で豆まきをする時は誰が鬼役をしてますか?
だいたいは父親が鬼役をして子どもが豆をまくと思いますが、実は父親は鬼役をしてはいけないそうです。
これは塾長の講演でもよく出る話しですが、テレビでこんな実験をしていました。
豆まきをする前に子ども達に世界で一番強いのは誰か?という質問をすると、だいたいの子どもは
「ウルトラマン」「仮面ライダー」と答えるそうです。
そして、いざ節分が始まり目の前に鬼が現れたとき、子どもはどういう行動をするかと言うと、
逃げて父親、母親にしがみつくと思います。実際に保育園でも先生にしがみついている子どもがたくさんいました(笑)
その時に父親が鬼に向かって豆を撒いて鬼を退治したあとに、
もう一度子どもに「世界で一番強いのは??」と同じ質問をすると・・・。
ほとんど子どもが「お父さん」と答える結果になったのです。
確かに子ども達はテレビの影響で戦隊ものやウルトラマン、仮面ライダーなどが一番強いと思っていても、
いざ自分に危機に迫った時に目の前で助けてくれる存在を実際に見ることで考えが急に変わります。
そんな実験を踏まえた上で鬼役は父親がやってはいけないのです。
 
新宿せいが保育園でも鬼が来て、先ほども書きましたが先生にしがみついて泣いている子どもがたくさんいました。
ただ鬼役はもちろん外部の人に頼んでいます。子ども達も「○○先生でしょ?」と疑っているので、
毎年、近くのGT園の園長先生にお願いをし、その保育園の男性保育士にお願いしています。
ですので、保育園の男性職員は鬼をやらないようにしています。
ちなみにクリスマスのサンクロースも同様で、外部の人に頼んでいます。
 
さて、リアル豆まきの話しに戻りましょう。
子ども達が鬼の登場で部屋中が泣き叫び、豆が部屋中に散らかってカオスな状態・・・
そんな時に保育園で一番強い人と言えば・・・そうです「園長先生」です!!
塾長がお部屋に登場し、鬼に豆をぶつけて鬼を退治したのです!!
すると子ども達からでた言葉は
「園長先生!すげぇ!」
「園長先生、カッコいい!」
「園長先生が保育園で一番強いんだっ!!」
とほとんどの子どもが口を揃えて言っていました・・・。
 
よく「子ども達が戦いごっこをしてしまう・・・」という質問を多く受けます。
それに対して塾長が言うには
「一日の大半を保育園で過ごしているのに30分のテレビに影響されてしまうのは、
もっと保育園で遊びを提案しないからではないですか?
子どもは細い棒を作るという発達があります。それを釣竿にしたり、魔法の杖にしたり戦いごっこではない遊びにつなげる言葉がけや提案をしたらいいのでは」
確かにそうですね。そういう意味で節分は子ども達の頭の中の「強い人」というイメージを変えるには、
とてもいい機会かもしれません。
節分は行事なので、毎年行事食を作っています。何年も続けて同じメニューになっていますが、子どもたちも毎年良く食べてくれていますし、秘かに味も年々向上していっています!笑
あと節分を見ていて思ったことは、この日だけは職員のミラーニューロンは萎縮しているのかもしれません。
子どもをわざと鬼に近づけ、怖がらせ、泣かせています・・・。
これは・・・どう捉えたらいいのでしょうか(笑) (投稿者 柿崎)
鬼ライス、スープ、大根と白菜のゆかり和え、大豆の揚げ煮、オレンジ

鬼ライス、スープ、大根と白菜のゆかり和え、大豆の揚げ煮、オレンジ

表現の幅

人は、各々様々な趣向で相手に、自分の思いを伝えようと表現していると思います。言葉であったり、顔の表情であったり、沈黙であったり、行動であったり…。その趣向を変えていくことで、表現の幅が広がったり、多様な視点を身につけたりすることもあるかと思います。

ということで今回は、少々考えすぎてしまうところがある私が、子どもたちを見て素直に感じたことを、普段とは違った(肩の力を抜いた)形で表現してみたいと思います。

 

 

『ひととき』

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霜柱に触れた手は冷たくて

遊ぶ意欲を失いかけた時

陽の光に照らされている壁に気がつきました

そこに触れてみれば

凍った手も顔も心も溶かされて

「ねぇ、もっと集めよう!」と…

小さな発見が

大きな喜びに変わる

そんな ひととき

陽と壁と子どもの力に

感謝するのです

 

 

『その前』

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物事が起こるには

必ずその前があります

鬼ごっこの前にも

こんな光景がひそかにあります

追いかけたり 逃げたりするだけが

鬼ごっこではなく

この時間も

鬼ごっこなのだと思います

 

 

『子ども色の眼鏡』

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「みて、シンバルだよ〜!」

そんな時

きみたちの瞳には

子ども色の眼鏡が

かけられているのだと感じます

そうでなければ

いったいこれを

どう見れば

シンバルとするのでしょう

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いつの日か

その眼鏡をかけてみたい

そう思うのが

素直な気持ちです

 

私たちは、子どもから多くのことを学び、多くのことを感じています。大人と子どもに関係なく、一人の人が一人の人に何かを与える。子どもと大人の間に、人としての垣根がないように、それが、人としての捉え方なんだと感じています。そんな思いも、表現していきたいと思います。

(報告者 小松崎高司)

シーソー

学童の子どもたちと近くの公園へ遊びに行った際に面白い遊びの発展が見られました。

シーソーの遊具がその公園にあり、女の子4人でその遊具で遊んでいた際に私が

「AちゃんとBちゃんよりCちゃんとDちゃんの方が少し下に傾いているね。」と言うとDちゃんが

「私はクラスで背の順が後ろから3番目だからAちゃんBちゃんCちゃんよりも重いの!」と言いました。すると背の順をお互いに言い合い、

「じゃあAちゃんとCちゃんを交換すれば同じになるってことじゃない?」とBちゃんが提案します。

その案に他の子が賛同し、再度チャレンジ。

しかし結果はあまり変わらず…

この日は全員で公園に遊びに来たのではなく、選択制にしていたため、他に女の子がおらず、男の子たちは鬼ごっこに夢中であったため、そこでこの遊びは終わってしまいました。

しかし、その後に4人で話し合ったらしく、その話し合いで出た答えを私に言いに来てくれました。

「背の順で○番目のEちゃんをAちゃんかBちゃんのところに入れれば同じになると思うの!だから今度この公園に遊びにきたらもう1回やってみる!」と言ってきました。

今回の遊びの発展に、私がかけた声かけは最初の1度きりで、その後のやりとりは全て4人の子どもたちだけでのものです。

私の1回の声かけでこうも遊びが発展するのだと保育者の声かけの重要性を感じたと共に子どもたちの探究心に驚いた出来事でした。

しかし、今回は背の順と体重が比例すると思い込んだ末の結論となってしまっています。

次回にEちゃんを交えてチャレンジした際、子どもたちはどのような結論を見出すのでしょうか。

楽しみです。

願わくは、同じにならず、再び子どもたちが考える機会となり、大人を介せずに子どもたちだけで背の順と体重は比例しないという結論に至ってくれたらと思っています。

そうなるとその後この遊びはどう発展するのでしょうか。

どう転んでも良い学びとなるよう見守り、時には子どもたちの探究心、好奇心を擽る声かけができたらと思います。

(投稿者 若林)

「チョコレートドーナッツ」

塾長は以前雑誌の掲載で映画の評論を一時期書いていました。もちろん子どもに関する映画です。
私たちも過去の塾で塾長が薦める映画を見て解説を聞いた会もありました。
私も映画は好きで、以前はよく見に行ったり借りたりしていました。
また保育園に勤めているせいか、子どもに関する映画が始まると注目するようになりました。
そこで、今回の報告は塾長のように上手く書けませんが、ある映画について書いてみようと思います。
ただ私一人では難しいので今回は小松崎先生とコラボしてみました。
今回は「チョコレートドーナッツ」という映画を見ました。
おそらく見たことがある方もいると思います。
では、見たことがない方にあらすじを…。
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1970年代末期のカリフォルニア。歌手を夢見るショーパブのダンサー・ルディ(男性)は、

検事局のポール(男性)と一目ぼれしてカップルとなりました。
あるとき、ルディの近所に住むダウン症の少年マルコの母親が薬物所持の罪で逮捕されてしまい、
施設送りになるならと、ルディとポールはマルコを引き取って育てることを決意しました。
しかし二人の関係は当時のアメリカでは理解を得られず、
ゲイであることを隠したまま3人で暮らすことになります。マルコも特別支援学校に通うことになり、
3人で幸せな時間を過ごしていました。しかし幸せな時間も一年足らずで終わってしまうのです。
当時のアメリカはどうしてもゲイという事に大きな偏見を持っているせいか、
執拗に二人を追い詰め、二人からマルコを奪ってしまうのです…。
結末は私の口からは言えないので、気になるかたは自分の目で確認していただけたらと思います…。

山下「今は性同一性障害という言葉が周りに周知されているから、例え知り合いや身近な人で、そういう人がいても、そこまで特別視はしなくなったけど、その言葉を知るまでは正直、偏見な目で見ていたかも…。」

小松崎「制作者の意図としては、現実を知ってもらいたかったのですかね。また人間の本性というか、誰にだって秘密はあると思いますが、それを人との出会いによって引き出されるものがありますよね。ルディと出会うことでポールの秘密が打ち明けられたように。」

山「あと一番気になったのが、裁判の内容が子どもの親権でなく、二人の関係を追及する内容ばかりだったシーンがショックだったな…ただその時にルディが「一人の人生ついての話しだぞ!あんたらが気にも留めない人生だ!!」という発言は大切な言葉だったね。」
小「そうですね。ただルディがマルコにどうして、あそこまで思い入れたのか、気になりましたね。」
山「確かにそうだね。映画の中ではマルコが隣に住んでいたのは知っていたそうだけど、実際に関わったことも会ったこともない感じだったもんね。」
小「ファーストコンタクトは音楽の音がうるさく、ルディが文句を言いに行って隣の部屋に入った時に、部屋の片隅で一人座っていたマルコを見たのが、ちゃんと初めて会いましたよね。」
山「そうそう、その時に母親が薬物所持で逮捕されて、家庭局の人が来て何も言わずにマルコを施設に連れていったけど、その夜にマルコが抜け出したところをルディとポールが見つけて、ルディが自分の家に連れていって、自分が面倒を見るって決心した感じだね」
小「しかし、赤の他人をそこまで面倒見ようと思ったのはマルコに何か感じたものがあったんでしょうね。」
山「自分と被ったのかな?」
小「そうかもしれないですね、自分自身、周りと変わっているからこそ、障がい児に対しても偏見な目で見ないのかもしれないですね。あとは家族が欲しかったんじゃないですかね?当時は残念ながらレズを認められないし、もちろん実際に家庭を持つのは難しかったから、どこにである幸せな家庭を持ちたかったのも引き取った理由かもしれませんね」
山「そうかもしれないね。マルコを引き取ったあとは、どこにでもあるような幸せに過ごしていたからね。そして自然と父親役と母親役になっていたね。それを決定づける瞬間が夕食の時に、マルコに『何を食べたい?』と聞いて『ドーナッツ』とマルコが答えると、ルディが『夕食にドーナッツなんて』という発言にポールが『たまにはいいじゃないか』と諭したシーン。あれは完璧に夫婦の会話だね」
小「そうでしたね~。まさにチーム保育ですね!自然と自分の役割というのを理解している感じですね。自分の得意分野を活かすという意味では、ルディは母親のようにマルコに寄り添い、ポールは父親のように少し離れたところから二人を見守っている・・・という絵でしたね」

山「あとは二人(ルディとポール)と暮らしてからのマルコの変化が、一番印象に残ったかも」

小「確かに、そうですね」
山「今まで母親に全くかまってもらえないまま育てられた結果、知能的に遅れていたけど、二人に出会い、何よりも学校に行き集団という中で過ごす事で、マルコ自身の発達は著しかったね。マルコの担任も2人の存在がマルコの成長に大きく影響していると言ってたしね」
小「園長先生の講演でも、新宿せいが保育園でダウン症の園児が集団で過ごす事で、みるみる発達をしていたという実例をよく話していましたよね?」
山「そうそう、おそらく映画ではルディとポールのお陰でマルコの発達が著しく成長したように話しているけど、そうは言っても例えマルコと同じ障がい児でも集団がマルコにも大きく影響していると感じたなぁ・・・」
小「そうですね、言われてみるとそうかもしれませんね。ただそういう視点は普通の人は感じないでしょうね(笑)」
山「そうだね、おそらく藤森先生の話しをよく聞いていると、集団というキーワードに視点がいくね」
小「ちなみに園長先生(藤森先生)が見ると、どういう感想を言われるか気になりますね」
山「確かに・・・どういう視点で捉えるのか・・・今度、臥竜塾で見てみようか・・・」
と言った感じで2人で「チョコレートドーナッツ」の感想を述べてみました。
一番は自分の目と耳で確認していただいた方がいいかもしれません。
マルコがダウン症だから、ルディとポールが同性愛だから可哀想と思って見るのでなく、
劇中でのセリフ「一人の人生についての話しだぞ」とルディが叫んだ言葉の通り、
障がいという偏見を持たずに見ていただくといいかもしれません(報告者 小松崎・山下)

マイスターから

新宿せいが保育園には製作ゾーンがあります。そこでは絵を描いたり、粘土で作品を作ったり、折り紙をしたり、箱で立体物を作ったりと様々です。子どもたちは皆そこでゾーン体験をしているようです。

ある子が粘土で上手に動物や自分で想像したものなどを次々と作り出していっていました。まさにゾーン体験ですね。それを見た職員たちは驚き写真を撮るほどです。
「この上手さはマイスターだね!」ということで粘土製作マイスターというものができました。少し特別感があり、更にマイスターのみ、紙粘土で製作ができるようになりました。絵の具で色も付けられます。
その紙粘土製作を嬉しそうにその子はやっていました。その様子を見ていたお友だちも興味津々‼︎僕、私もなりたいというような刺激を受けていました。
できた作品は、男性職員が「こんなのに入れたらカッコよくないですか?ピッタリっす!」といって展示してくれました。これもまた作った子にとっては嬉しかったようです。
作品を展示

作品を展示

このように子どもそれぞれの特性を活かし発展させてあげることでその子の自信へと繋がることがわかります。
さらにその子の兄妹(妹)の面談があり、その面談をした男性職員から聞いたのですが、兄の話まで盛り上がり、「ここの保育園は本当にそれぞれの特性を活かしてくれる。兄はその粘土のマイスターをもらったことで自信がついたようです。」という言葉もらったそうです。
こうして、やっていることが保護者にまで伝わっていることが嬉しく感じ、しっかりと保護者にまでこの保育を理解してもらえていることがわかります。こうした積み重ねがあるからこそ、保護者との信頼関係も強いものとなっていくのだと感じます。
この流れは、その子の特性を発見した職員、発展させた職員、展示した職員、違うクラスで面談した職員がクラスに関係なくこちらに伝えてくれることで共通に理解しているからこそ成り立っていることがわかります。この流れもチーム保育ならではなのでしょうね。
このチーム保育というのが子どもに自信を持たせ、保護者理解にも大きく影響していることがわかる出来事でした。
(報告者 本多悠里)

ユビキタス

先日、家族で上野動物園に行った時に面白いものを見つけました。

それは、これです。

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東京ユビキタス計画と書かれたこの看板。

よく見てみると子どもたちが小さな機械を持って、このUcodeと書かれている場所にその機械をかざしています。

 

すると、機械の画面にその動物の写真や説明みることができ、鳴き声までも聞くことができる様でした。よく美術館などで、こういった機械を貸し出しているを見たことがあったのですが、貸し出しをしている窓口に行ってみると、もっと大規模なもののようでした。

 

調べてみると、東京全体で何年前から試験的に導入され、今では銀座や、東京ミッドタウン等と言ったところでも使われているようです。銀座や東京ミッドタウンの場合は、動物園とは違い、大人向けで、商品の説明だったり、野菜の産地、作っている人の情報を知ることができるらしいのですが、これまで生活をしてきて全く気付かなかったので少し驚きでした。

 

この「ユビキタス」(ubiquitousは、元々は英語で「神様が遍在する」という意味だったらしいのですが、ラテン語のUbiqueの「いつでも、どこでも」の意味で最近では使われているようです。また、欧米で神様が「唯一神」なのに対し、日本では「八百万の神」ということもあり、日本的ユビキタスとして、やおよろずプロジェクトとしてたちあげているところもあるそうです。

 

と、ユビキタスについて長々と書いてしまいましたが、私が動物園で感じたのは、「これなのだろうか?」という疑問でした。

 

私が、子どもの頃などは、動物園の看板をわくわくしながらで読んだり、読めない字がある時、親に聞いたり、うまくいけば飼育員さんに聞いたりした記憶があります。

 

もちろん今も看板はあり、ガイドさんによるツアーもあるのですが、機械を持って子どもたちが嬉しそうに走り回り、色んな情報を得る。

確かに手軽で、分かりやすいのですが、すぐに答えを知ることができるというのは科学の発展ともいえるのかもしれませんが、子どもたちの科学発見という意味では少しもったいなさも感じてしまいます。子どもたちの興味をうまく引き出し、それをうまくつなげるのは難しいものですね。

 

(報告者 西田泰幸)

 

 

参照 上野動物園ユビキタス http://www.tokyo-zoo.net/zoo/ueno/uc/index.html

ユビキタスシステム http://ts.uctec.com/uctec/jp/system/s_01.php

ちょっと待ってみる

個人的に、日々の保育を行ううえで“ちょっと待つ”ことを意識しています。言葉がけも、行動も、思考においても、自分の限界からちょっと待つことをすると、自分が思い描いていた想像の世界とは異なった世界が、そこに繰り広げられていたなんてことが多くあります。そんなことをこのように言っていながら、「そのつもりになっていただけだった…」「まだまだだなぁ…」と感じた出来事がありました。

皆さんは、この写真を見て率直にどう感じるでしょうか?

積み上げられた図鑑

積み上げられた図鑑

私は、隣のテラスで洗濯物を干し終えた後、部屋に入ってきたらこの光景が目に飛び込んできました。素直に、「なんだこりゃ?」と思いました。何かしようとしているのかなと思いつつも、本は一冊ずつ本棚から出して見ればいいし、片付けが大変だろうにぃと思ってしまいました。この場面は夕方だったこともあり、精神的に疲れていたのかもしれません。私が「図鑑出し過ぎじゃない?」と呆れ口調で言おうとした瞬間…

「パソコンとDVDらしいですよ。」

という声が後ろから聞こえました。「えっ?」と後ろを振り返ると、同じクラスの新人の職員が立っていました。もう一度、子どもたちの姿をよく見てみると、確かにデスクトップパソコンとキーボードです。

パソコンとDVD

パソコンとキーボード

手を素早く動かしながら、タイピングの物マネまでしていました。その職員に話を聞いてみると、どうやら子どもたちは、デスクトップパソコンでDVDを見ようとしていたそうです。また、積み上がっていた図鑑は、その大事なDVDだったのです。子どもに対して申し訳ない気持ちになったと同時に、その職員のタイミングのよい一言に救われた気がしました。

人は不完全であると思います。むしろ、不完全であるから魅力的なのかもしれません。いつも言っていることが実行できているとは限りません。しかし、その都度それを補ってくれる人の存在がいるということを感じました。例え、それが新人職員であってもです。その職員は、よい意味で思考も行動もゆっくりです。だから「ちょっと待ってみる」が自然にできるのかもしれません。それが、その人の特技であるのかもしれません。これからも、その特技に甘えてみようと思いますし、あの言葉を言われた瞬間「余計なお世話だ。新人が何を言ってるんだ!」などと思っていたら、きっと私の成長や学びは終わりなんだと思います。

最後に、その子どもたちはしっかりと全ての図鑑を片付けていました。むしろ、いつもより早いくらいでした。十分に、満足した遊びが行えたからでしょうね。

(報告者 小松崎高司)

話し合い

今回も学童での子どもたちの話し合いの様子を紹介させていただきます。

今回の話し合いは、2月の月案を子どもたちが決める際に小学校で土曜に授業参観があるため、振替休日として平日に子どもたちのお休みがズレたことにより、2月中に1日だけ子どもたちが丸1日学童で過ごす日ができ、その日に何をするかで意見が割れたために行われたものです。

出た案は、夏休み等の長期休みの際に必ず月案に出る、電気製品以外のおもちゃを学童に持ってこられる「おもちゃもってきほうだい」と普段は距離的になかなか行くことができない公園に行き、みんなで遊んでみんなで一緒に青空の下でお弁当を広げて食べる「ピクニック」です。

この2つの案をめぐって2グループで話し合いをしました。

ちょうどその頃、塾長のブログに話し合いに関して書かれている内容のものが「話し合い」「ディベートとディスカッション」「話し合いでの役割」の3つがありました。

私たち学童職員間でも、現在学童で子どもたちが話し合う機会を多くとっている最中ということもあり、私自身とても勉強になりました。

今回の話し合いは、特に「ディベートとディスカッション」に書かれている内容のものとリンクする点が多くありました。

この内容によると今回の話し合いは、ディベートに近い話し合い形式となっています。

2グループが向き合い、真剣にお互いが出した案の魅力を伝え合います。

その際に意見が動いた場合、グループの移動は自由です。

しかし、「ディベートとディスカッション」にも書かれている通り、ディベートは勝敗が付き物となってしまいます。

ディベートは、第3者(ジャッジ・観客)をより説得できたかで勝敗が分かれます。

ですので、勝敗の区切りを付けないためにも、第3者(説得対象)を我々保育者にせず、お互いが説得対象者となり、第3者を設けない形で、片方のグループが納得をして、全員が1つの案にまとまるまで行おうと考えました。

結果を言ってしまうと、「ピクニック」側に心が動いた子が多かったものの、全員とまではいきませんでした。

ですが、天気が良ければ「ピクニック」、悪ければ「おもちゃもってきほうだい」という案が途中で出て、子どもたちもこの案がお互いの意見が両方共に尊重されるためか、意見が統合されました。

しかし、子どもたちの意志によりこの話し合いは現在も進行中です。

ホワイトボードを用意し、新たに出た魅力や案を書けるようにしました。

そこには新たな話し合いの題目となるような内容が書かれていました。

それは「天気の良し悪しは登所してから変わることもあるから難しいのでは」といった内容です。

今後この題目で話し合いの機会を設けられたらと考えています。

今回の話し合いにより意見は統合されつつあるので、今度の話し合いはディスカッション形式で行ってみようと思います。

ディベートに似た今回の話し合いでもグループ間で協力的な姿勢を見ることができましたが、全員が1つの題目に向き合い、ディスカッションを行うとどんな協力的な姿勢が生まれるのか、そしてそこからどんな案が出てくるのか、未知数ですね。

未知数だからこそ面白い!

今後の話し合いでの子どもたちの様子も今後の活動報告で報告させていただきたいと思います。

(投稿者 若林)

子ども同士の影響

子どもたちの影響力は保育者を越えるということを改めて最近経験することができました。

というのも、今私の働く園の1・2歳児のクラスで言葉のまだでない子どもがいました。今年度が始まった当初も話を聞くことは特に問題はなかったのですが、言葉は「ア~ア」や「ン、ン」といった喃語のような言葉でした。園にもなかなか慣れなかったのですが、先生の中で落ち着く先生を見つけてからは少しずつですが、保育室の中でその先生の近くで遊ぶなど少しずつ慣れてきました。そんな子なのですが、最近になって、一語文が少しずつ出てきました。保育士はなによりもそのことが嬉しく、今その子の様子を見ています。では、その子にとって、何が言葉を出すきっかけになったのでしょうか。

その子は家庭でも、言葉の練習をしても、あまりうまくいきません。単に言葉の遅れだとはいえ、それでも2才児で高月齢の子どもにとってはやはり遅いです。そこで言語療法士のかたからのアドバイスがありました。「一番良いのはお世話の好きな女の子がいると言葉が出てくるかもしれません」なるほど、それはあるかもしれない。そんなことを言われたからかどうなのか、今年度も終盤に入っていく12月になんとお世話をする子どもと遊んで居るではありませんか!!「おやおや」と見ていると、その女の子と一緒に遊んでいるうちに喃語の発声がとても力強くなってきます。もう少しだね。保育士の他の先生といっていると家庭から来るお便り帳には「初めてパパ、ママと聞きました」という内容が!それからは「保育者の名前が出てきました」というように少しずつですが、言葉の出てくることが多くなってきました。

まだまだ、保育園ではそれほど言葉を発していないのですが「嫌」や「パパ、ママ」など確実に単語は増えています。もちろん発達によって追いついてきたという見方はあるのでしょうが、安心する先生、慣れていた環境、そしてなにより子ども集団の中にいたからこそ、より言葉の発達が促進されたというのは間違いないことだと思います。大人はジェスチャーで察したりしますが、子ども同士ではそれだけでは伝わりきらないところもあったと思います。しかし、そうではなく、一番は声の出ない子にとって、発声している子どもの姿がモデルになったからではないかと思いました。考えてみるとその子は職員の膝の上にいながらも子どもたちの遊ぶ様子を観察していました。

言葉のでなかった子どもの変化はそれまで大人と関わりばかりだったのが、子ども同士に変わってきたその時に大きく変わりました。改めて子ども集団の大切さを感じるとても良い機会でした。藤森先生の講演の中で「ミラーニューロン」というものがありました。そこの記述にとても気になることが・・。「ミラーニューロンが言語の発達と言語の進化にとって極めて重要な脳細胞であるという仮説において信憑性を持たせることになるのです。」なるほど、もしかしたら、子どもたちのこの変化はミラーニューロンが大きく関わっている様子ですね。ブログ臥竜塾の中に「ミラーニューロンは、他人が受けている状況に共感する能力」とあります。そして、その能力は「非言語コミュニケーション」や、「模倣」はそのミラーニューロンのためにできるらしいです。たしかに子どもたちにとって、大人の模倣もモデルとしては必要でしょうが、やはり子ども同士の関わりというのは一番近いモデルであって、大人がモデルを示すより、より大きな影響を子どもに与えているというのを感じます。そして、それは遊びだけではなく、子どもたちの生活や発達にまで、大きく影響が起こることだということを改めて感じました。

(投稿者 邨橋智樹)