20時30分のクリスマスツリー

その場、その瞬間によって保育の形は変化し、同時に、できることとできないことが生まれるのだと思います。その日に生まれた“できる事”は、閉園間際の3人占めのクリスマスツリーでした。

閉園間際のクリスマスツリー

閉園間際のクリスマスツリー

大人数がいれば、部屋の電気を消す事もできません。日中であれば、日光によってせっかくのイルミネーションが半減してしまいます。少人数になり、日が落ちたからこそできることですね。

横からはクリスマスソングがひっそりと流れ、光輝くイルミネーションを見ながら、「わぁ〜!見れてよかったね〜。」等と3人での会話を楽しんでいます。きっと、これが独り占めであったら、会話は“できない事”ですね。

また、仮に1人だけ残ったとすれば、このクリスマスツリーは独り占めです。保育園で、物を独り占めできることはなかなかないですから、それはそれで貴重な体験ですね。

そして、一日の保育園を、最後まで満喫してもらいたいですね。

(報告者 小松崎高司)

相手向きの文字

12月15日(火)に、臥竜塾生による年間講座の「文字・数・科学」を担当させて頂きました。その日に至るまで、子どもたちの普段の姿の中に、どんな文字・数・科学があるのかなぁなどと思いながら、保育をしていました。

ある日の朝、1歳児が5歳児に向かって「よんで」と絵本を渡している姿を見つけました。ふとカメラを構えていたのは、「文字」についての中で、文字への関心・意味を読み取れる力を育むためには「文字を読めないうちから絵本を読み聞かせる」ことが大切であると学んでいる最中であったからなのか、それとも、その2人の間にある心地良い空気を、無意識に感じ取ったからなのかは分かりませんが、その2人の関わりの中で、印象に残るような姿が見られたので報告します。

まず、「よんで」と絵本を渡された5歳児は、テーブルの上に絵本を平面に置いて、相手からでも見えやすいようにして読みきかせを始めました。しばらくすると、5歳児がおもむろに絵本を上下逆にしたのです。つまり、1歳児側から、文字や絵が見えやすいように「配慮」したということです。それまでは、文章もスラスラ読んでいましたが、上下を逆にしたという事もあって文字が逆さまになり、読みづらくなってしまいました。読み聞かせは「ば…すは…み…ちを…すす…みます。」といったような、少々つたない言葉になっていましたが、1歳児は変わらず5歳児が発するその言葉に、真剣に耳を傾けていました。

逆向きの文字

相手向きの文字

1歳児が絵本の文字を目で追っているという事はないかもしれません。また、1歳児は絵本を逆さに見ていても気にとめないかもしれません。しかし、5歳児は、自分の読み聞かせのスピードや正確性が劣るということよりも、相手に対する「思いやり」を優先したのだと思います。

塾長の【こくごのはじまり】という本の“あとがき”にはこう書かれてあります。

『小学校へ行くと、すぐ「読み」「書き」という「こくご」の授業が待っています。机の上での学びの前に、幼児期にもっとやっておくべきことがあるのではないか、というのが本書を書こうとしたきっかけでした。言葉を話したり書いたりすることは、自分と他人の間の「関係をつくる」ということです。ただ単に、口先だけのもの、文字づらだけのものではなく、心と心を交流する営みなのです。あいさつをかわすこと、絵本を読むこと、けんかをすること、手遊びを歌うことなど、日常生活の折々を、「こくご」の基礎を養うよい機会として生かしてください。』

まさに、文字や言葉を越えた「心と心を交流する営み」が、そこにあったように思います。

(報告者 小松崎高司)

よォーこそ!〜よく来てくれた ドーゾヨロしく!〜

先日、にこにこ組(2歳児クラス)から、仲良しだったお友達が一人転園をしてしまいました。

 

寂しい気持ちも束の間、12月1日から新しいお友達がクラスにやってきています。

赤い服の男の子(以下 赤井くん)が新入園児の彼です。慣らし保育初日からどんどん遊びの中に入っていける子で、もう既に違和感なくそこにいますね(笑)

赤い服の男の子(以下 赤井くん)が新入園児の彼です。

 慣らし保育初日からどんどん遊びの中に入っていける子で、もう既に違和感なくそこにいますね(笑)

すると、青い服の子(以下 青井くん)、黄色い服の子(以下 黄色くん)が遠慮をし始めました(笑)これこそ対人知性の一つであると思います。

堂々とした遊びっぷりに、青い服の子(以下 青井くん)、黄色い服の子(以下 黄色くん)が遠慮をし始めました(笑)

これこそ対人知性の一つであると思います。

ここで、もうお馴染みではありますが、初めて読まれる方に〝対人知性〟について紹介させていただきます。

 

  • 対人知性とは、他人を理解する能力をいう。この人の動機は何か、あの人はどう動くだろうか、皆と協調して動くにはどうすればいいのか、といったことを理解する能力だ。
  • 対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」である

 

子ども達にこの力が育まれていることを、新入園児の子が教えてくれるような思いがしました。

 

そして、展開されていきます。

「これは、僕の黄色(電車の玩具)だからね。」

黄色くん「これは、僕の黄色(電車の玩具)だからね。」

赤井くんに、優しく牽制する黄色くんです(笑)それでも赤井くんは電車の玩具が欲しくて仕方がない様子。

すると次の瞬間、隣りであそんでいた青井くんの電車をとってしまいます。

すると次の瞬間、赤井くんは隣りであそんでいた青井くんの電車をとってしまいます。

青井くんは気付いているのかいないのか、何も声をかけませんでした。初めてのお友達に対して、遠慮のような、気が引けるような気持ちがあったのかもわかりませんね。それを見た黄色くんが、こう言います。

 

「いっぱいあるでしょ。一番長いよ。」

 

青井くんの気持ちを代弁するように、赤井くんに声をかける黄色くんです。こんなにも子ども達が育っていたのかと、感動してしまいます。

着々と電車の数を増やしていく赤井くんに、フードを被った男の子(以下 風土くん)が近付いてきました。

着々と電車の数を増やしていく赤井くんに、フードを被った男の子(以下 風土くん)が近付いてきました。

いよいよ面白くなってきましたね(笑)

しばらく赤井くんのあそびを見守っていた風土くんです。

しばらく赤井くんのあそびを見守っていた風土くんです。

写真を見てもらえるとわかる通り電車の数が全く違います(笑)

さすがにしびれをきらしたのか、青井くんが赤井くんの電車の列から電車をとろうと手を伸ばしました。すると、

「これは赤井くんのだよ。」

風土くん「これは赤井くんのだよ。」

風土くんがその手を遮るように座り込み、青井くんに優しく諭したのです。

まるで、ドラマを見ているような展開に、驚きました。

最後まで読んでいただけるとわかるのですが、風土くんは、最初から赤井くんに好感をもっていたようです。その気持ちから、このような行動に出たのかな、ということが後になって推測できます。

赤井くんはそんなこともつゆ知らず、一人楽しく遊び続けていました。

赤井くんはそんなこともつゆ知らず、一人楽しく遊び続けていました。

この風土くんの配慮、そして赤井くんのあそびを見守ろうとするその姿勢は僕らが愛する、見守る保育そのもののようにも思えてきます。子どもが子どもを見守るという姿を見せてくれたように思うのです。

 

そして、この関わりの終盤へ向かいます。

黄色くんは、何かを察したようで、〝赤井くんと一緒に遊んでみる〟ことにしたようです。

黄色くんは、何かを察したようで、〝赤井くんと一緒に遊んでみる〟ことにしたようです。

赤井くんの電車に自分の電車をつなげてみようと試みるのですが、

赤井くんの電車に自分の電車をつなげてみようと試みるのですが、

「ヤダよ。」

「ヤダよ。」

断られてしまいます(笑)

大人ならムッときそうな瞬間ですね(笑)何も言わず、そっと電車を引いた黄色くんでした(笑)

 

数秒後。

すると、風土くんも改めて関わろうと、そっと寄ってきました。

風土くんが改めて関わろうと、そっと寄ってきました。

風土くん「積み木好き?塗り絵好き?」

風土くん「積み木好き?塗り絵好き?」

赤井くん「しゅしゅぽぽ好き!」

赤井くん「しゅしゅぽぽ好き!」

「え?…風土ね、ぐちゃぐちゃに塗っちゃうんだ〜♪」

「え?…風土ね、ぐちゃぐちゃに塗っちゃうんだ〜♪」

 

噛み合わない会話(笑)それを相手の気持ちを推しはかりながら、進めていこうとする風土くんのこの姿勢は、大人顔負けですね。

 

赤井くんは新しいお友達との会話よりも電車の玩具に夢中で、そのことがわかったのでしょう、風土くんは彼との会話をそっと止め、静かに電車のあそびの中に入っていきました。

 

さぁ感動のラストシーンです!

「順番こにあそぶものですよ〜」

黄色くん「(電車は)順番こにあそぶものですからね〜」

 

赤井くんに聞こえるか聞こえないかのような絶妙なトーンで(笑)黄色くんは赤井くんに電車の遊び方を教えるような、軽い牽制球を投げて、このやりとりは終了しました。ここまでの関わりで積み重ねた気持ちの集大成のような言葉に、思わず笑ってしまいました(笑)

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新しています『臥竜塾』ブログ2011年10月12日『仲間』の中で、こう書かれています。

 

〝同年齢の仲間との間では、その関係において、二者関係にはならず、相手との共同作業になります。したがって、子どもは仲間との対等な関係から、他人とはどういう人たちであるかを学び、その関係になれていなくてはなりませんし、仲間間の交渉上の規則にも慣れている必要があります。

(中略)くりかえし仲間と接触を持つことで、幼児は自分の行為と相手の行動との間の随伴性を発見し、自分のパートナーに効果的に対応するにはどうすればよいのかがわかってきます。仲間は、伝達したり、攻撃したり、防衛したり、協力したりするスキルをゆっくり丁寧に作り上げていく機会を与えてくれる存在です。仲間は子どもにとっていろいろな意味で近い存在であるので、人間関係の発達に必要な能力を訓練するパートナーとしては、親よりも適しているといえます。

子ども同士の関係は、まだまだ研究される余地がありそうです。〟

 

新入園児のその子にとってはもちろんのこと、受け入れる側である子ども達にとっても、とても刺激があり、見守る大人も改めて子ども達の成長に気付かされたこの度の出来事でした。

 

〝子ども同士の関係は、まだまだ研究される余地がありそうです。〟

その言葉に深い納得を抱きながら、新しい仲間の誕生に大いに胸を馳せ、今日も子ども達の新しい姿を追っていきたいと思います。

 

(報告者 加藤恭平)

心の余裕

「たすくん、すごいよ、見てごらん」

「あっ…はい…」

4階の最上階で仕事をしていた私に塾長が言いました。ちょうどお金の計算をしていた私は、計算に集中していたので曖昧な返事をし、そして外を見たら…

 

「スゴイっすね!!」

 

「ね!スゴイでしょ!?」

 

こんな神秘的な夕日を見たのはいつぶりでしょうか。塾長は外に出て写真を撮っていました。その写真がこれです。

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都会は自然が少ないかもしれませんが、この、夕日も立派な自然の一つです。それに気付くか気づかないか…その時の私は気付けませんでした。 どんなに仕事が忙しくても、自然をみつけるだけの「心の余裕」を持って仕事に励みたいです。(報告者 山下)

おめでとう 今月生まれのあなたの為におめでとう♪

先日、皆が大好きな我らが誇るベテランの先生(以下 大先生)のお誕生日がありました。

いつもはケーキでお祝いする職員のお誕生日ですが、昨年から引き続いて、大先生の大好きなハンバーガーでお祝いをしました。

 

この日、運良く大先生は職員室で係りのお仕事中。午睡中の時間を使っていざ準備開始!クラスの先生にハンバーガーの買い出しに行っていただき、残った職員でその日の連絡帳、装飾の準備、と分担をしました。この辺りのチームプレーは、さすが見守る保育で培われた〝チーム保育〟のチーム感、そのものだと思います。

 

生臥竜塾セミナーにて、ドイツのおもてなしを模したテーブルがとても素敵だったので、真似てみようとチャレンジ。すると、

 

「そんなに面白いことやるなら、早く言ってよ(笑)」

 

と、塾頭山下先生が装飾をしてくれることに!感謝です!!!

そして、このセンス!

そして、このセンス!

そして、このセンス!短い時間で、どんどん仕上がっていきます。

さらに、このセンス!短い時間で、どんどん仕上がっていきます。

西村先生も駆け付けてくれました。

西村先生も花を添えてくれます。

見事完成!素晴らしい仕上がり!!!

見事完成!素晴らしい仕上がり!!!

そして、ハンバーガーが盛り付けられました。(奥にいるのは実習生さんです。真剣に日誌を書かれています。)

そして、ハンバーガーが盛り付けられました。(奥にいるのは実習生さんです。真剣に日誌を書かれています。)

 

西村先生に協力してもらい、いよいよ大先生を呼んできてもらうことに。

僕らは、おままごとゾーン、ロフトにそれぞれ隠れて、大先生が来るのを待ちます。

「にこにこの部屋にクラスの先生が誰もいません。」

西村先生の誘いが上手すぎて(笑)慌てた様子で階段を駆け上がってこられました。

「本当だ誰もいない…え、なんで…あ!すごい!だましたな!(笑)」

と最高のリアクションで答えて下さいました(笑)

誕生日の歌を歌って、僕らも登場。

喜んでもらえて本当によかったです。

喜んでもらえて本当によかったです。

恒例の記念撮影!

恒例の記念撮影!

そして、実食!

毎日がんばっておられる実習生さんにも幸せのお裾わけ♪

毎日がんばっておられる実習生さんにも幸せのお裾わけ♪

 

皆で美味しくいただきました。

各クラス共に、それぞれの誕生日のお祝いを、こうして楽しくやっています。

 

見守る保育の織りなす〝チーム保育〟に必要不可欠な結束力、そして日々のコミニュケーションをより楽しいものに、より円滑なものにと育んでいく、大切なイベントだと思っています。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新しています『臥竜塾』ブログ2013年4月12日『組織のEQ』の中で、こう投げ掛けられています。

〝その会社は社会奉仕と教育を社訓としていたにもかかわらず、社長は目の前の利益にしか関心がなかった。ライバル社がほとんどなかったので、社長は多少質を下げても顧客を失う心配はないと考えていた。さらに、この社長は社員の福利厚生を軽視する態度を隠そうともしなかった。「どんどん雇って使い捨てればいい」というのが決まり文句だった。もっと悪いことに、この社長は他者を尊重する気持ちのかけらもない男だった。ある日、若い社員が社長を含む数人に、「今日は私のバースデーなの」と言ってケーキを配った。みんなは笑顔で「おめでとう」と声をかけたのに、この社長は近くにいたマネージャーに向かって大声で、「何だ、このバカ騒ぎは。君は部下をまともに働かせることもできないのか」と言った。そして、ケーキを配った社員の方へ向き直り、彼女を頭のてっぺんから足の先まで眺めて、「おまえも、こんなカロリーの高いケーキを食べてる場合じゃないだろう」と言ったのだ。

 

こんな組織はどうなっていくのでしょうか?〟

その答えを、2010年4月1日『遊び心』の中に見つけることができるように思います。

〝ある人から、私の園の質の高さは、「遊び心」にあると言われました。その理由のひとつに男性職員が多いことがある気がします。男性は、いつまでも赤ちゃんのようなところがありますが、それは、私の園の男性にそういう人が多いのかもしれません。しかし、その発想を「馬鹿みたい!」と言わないで、一緒に遊び心に乗ってしまう女性の職員がいるからということも理由でしょう。しかし、その遊び心は、もしかしたら最近の日本の特徴なのかもしれませんし、その心が日本を救うかもしれません。〟

 

皆で大好きな先生の誕生日をお祝いすることは、ひいては日本を救うことになります。そういう思いで、1年に1度のそれぞれの大切な日を、皆で楽しんでいます。

午睡明け、子ども達が起きてきました。お皿以外はそのままにして、どんな反応をするか見てみることに。

(触っていいものなのかな…チョン)

(触っていいものなのかな…チョン)

(チョン)(チョン)

(チョン)(チョン)

「これね、触っちゃいけないやつなんだよ。」(さっき触ってた本人が笑)

「これね、触っちゃいけないやつなんだよ。」(さっき触ってた本人が笑)

(わかっちゃいるけど…チョン)

(わかっちゃいるけど…チョン)

 

興味津々の様子ですね。そんな子ども達を見ていたら、いいことを思いつきました。

新宿せいが保育園では、17時までを通常番として、それ以降を遅番やにこにこ番(にこにこ組の担任だけでなく、各クラスからも職員が入ってくる体制となり、18時頃までにこにこの部屋で過ごします)、などの体制を組んで、保育にあたっています。

そのにこにこ番の時間で、大先生の為に皆でプレゼントをつくろう!と提案をしてみました。

塾頭山下先生をお手本に、見様見真似で環境を設定。

塾頭山下先生をお手本に、見様見真似で環境を設定。

製作開始!粘土でプレゼントを作ります。

製作開始!粘土でプレゼントを作ります。

「これお団子—!」

「これお団子—!」

「お団子ー!」プレゼントの8割はお団子と蛇!

「お団子ー!」プレゼントの8割はお団子とヘビ!

「これ車のハンドルー!」プレゼントにハンドルはハイセンス!

「これ車のハンドルー!」プレゼントにハンドルはハイセンス!

「これハンバーガー♪」メガ!

「これハンバーガー♪」メガ!

たくさんできたところで、この日一緒に保育にあたっていた職員に大先生を呼んできてもらうことに。

「大変です。クラスにきてください。」

またまた誘い方が上手すぎて(笑)慌てた様子で階段を駆け上がってきてくれました。

「たはは(笑)嬉しいー!ありがとー!でもこの誘い方はもうやめて(笑)」

「たはは(笑)嬉しいー!ありがとー!でもこの誘い方はもうやめて(笑)」

「食べてもいいの?」「いいよー!」

「食べてもいいの?」「いいよー!」

「あむあむあむあむ。美味しー!」

「あむあむあむあむ。美味しー!」

 

子ども達も大喜びで、その後、皆で藤森先生作詞・作曲のお誕生日の歌を歌ってお祝いしました。

祝っても祝い足りない程の御恩を大先生に誰もが感じています。子ども達もまた然りで、日々を重ねれば重ねるほど魅力的になり、皆から慕われて、喜ばれるような、大先生のような存在になりたいと心から思います。

大先生、本当におめでとうございます。この1年も、素晴らしい1年になりますように!!!

 

(テーブルデザイン:塾頭山下祐 西村宗玲 報告者:加藤恭平)

あぁよかったなぁ あなたがいて〜見守る人の心に咲く花・花〜

先日の遅番で、わいわい組(3歳児クラス 以下わいわい)らんらん組(4歳児クラス 以下らんらん)すいすい組(5歳児クラス 以下すいすい)の子ども達の関わりについて、感動することがあったので報告させていただきます。

 

新宿せいが保育園は、20:30までが開所時間です。18:30から遅番の時間となり、時間が経つ毎に子どもの人数が少なくなっていきます。

 

この日の素敵な場面は20時頃に訪れました。赤い部屋(ちっち組0歳児クラス・ぐんぐん組1歳児クラス共同の部屋)の運動スペースであそんでいた時のことです。

写真に写っている子は計5人。

写真に写っている子は計5人。

その中で、手前桃色の服の女の子(以下桃ちゃん)だけがにこにこ組(2歳児クラス 以下にこにこ)で、他の子はわいらんすい(3・4・5歳児クラスの略称)の子達です。この度の主役となるのは、写真左の立っている男の子(らんらん組 4歳児クラスの子)と、写真中央右で前の子を抱きかかえるようにして笑っている男の子(すいすい組 5歳児クラスの子)です。

 

桃ちゃんが坂になっている台の上に乗ってくれた瞬間大喜びをしていました。

 

そしてあそびが始まりました。

「おいで!」「登ってみて!」

「おいで!」「登ってみて!」

当たり前に登れるのですが(笑)恥ずかしさからか、このあそびへの猜疑心(?笑)からか、桃ちゃんもゆっくり登っていきます。

登り終わると、「おめでとーう!」と(笑)

登り終わると、「おめでとーう!」と(笑)

そして、設定した台をバラバラにして、また組み立てる、ということを繰り返していました。

 

その時に、らんらんの男の子が大きな声でこう言いました。

 

あぁ、桃ちゃんといると楽しいなぁ!

 

あぁ、桃ちゃんがいてくれてよかったなぁ!

 

まるで、模範解答のような美しい言葉に正直、驚いてしまいました。

 

そして、すいすいの子が、

「桃ちゃんも楽しかった?」「…(うん。)」

「桃ちゃんも楽しかった?」「…(うん。)」

それを見たらんらんの子も、

「また明日もあそぼうね!」「…(うん。)」

「また明日もあそぼうね!」「…(うん。)」

桃ちゃんは嬉しそうに頷いていました。

 

その後の桃ちゃんのテンションの高いこと(笑)お迎えが来るまで、飛んだり跳ねたりして、その喜びを表現していました。

 

あまりに素敵な出来事だったので黙っていることができず、すいすいの担任である本多先生にこのことを伝えました。

 

「お手伝い保育の影響がきっとありますね。」小さい子にお世話をしてあげたい、楽しい気持ちにしてあげたい、という気持ちが育っているのかもしれない、とのこと。

 

毎週、すいすいから各クラスにお手伝い保育として、グループに分かれた数名がお手伝いをしにきてくれます。半日一緒に過ごして、午睡のトントンまでしてくれます。クラスの子ども達は嬉しいやらちょっと緊張するやらなのか、にこにこでは、何だか姿勢がシャンとなる子もいたり(笑)ブロックなどのあそび一つにしてもいつもと違った物凄いものを作ってくれたりするので、その日は僕ら大人は本当に助かるし、新しい発見があるしで、子どもも職員もとても楽しみにしているイベントです。

 

また、素敵な言葉を桃ちゃんに言ってくれたらんらんの男の子についても、そういえば、と先日あったという素敵なエピソードについて話してくれました。

 

いつもは塾頭山下先生や西村先生と一緒にすいすいが給食後、部屋の雑巾がけをしています。運動会では雑巾がけの世界大会もあった程で(笑)子ども達にとっては、楽しくて、またすいすいにしかできないものとして、とても特別な気持ちで取り組んでいるようです。

先日、すいすいがクラスで戸外へ出た時に、らんらんが雑巾がけに取り組んだことがありました。その時に、今回の主役の一人であるそのらんらんの男の子がとても上手に雑巾がけをしていた、ということでした。

なぜそんなに上手なのか。聞くと、その子はこう答えたそうです。

「だっていつもモニターで見てるから。」

3階と2階を映像で繋ぐモニターを見て日々イメージを膨らませ、訪れたその機会をチャンスとし、自分の行動へ反映させたのでしょう。すいすいという年長組への憧れの大きさ、また、自分より年を重ねた相手を見てその相手から学ぼうとする意欲の高さを感じる、とても素敵なエピソードだと思いました。

(詳しくは、生臥竜塾2015年10月31日『伝承』(報告者山下祐)をご参照下さい)

 

そんな2人だからこそ、こうしてにこにこの子に、このような優しい言葉、優しい発想が思いつくに至ったのかもしれません。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年1月7日『教える、教わる』の回の中で、こう書かれています。

 

〝少子化、地域社会での連帯の欠如などの環境から、子どもどうしの世界が失われ始めています。学校においても、授業形態は、多くの時間、教師という大人からの伝達が多くなっています。今日、様々な子どもたちは、大人からしか物を学んでいないところが顕著だと言われています。エリクソンは大人から物を学ぶことに価値がないとは一切言っていません。それは勿論価値のあることですし、大切なことです。しかし、乳幼児から児童期の発達課題を十分に消化していくために不可欠の要件というのは、「友達から物を学ぶことであり、友達に自分の物を分かち与える」ことなのです。こういう経験を十分しなければならなくて、内容よりも量が大切だということも言っています。どれくらい多くのことを友達から学んだか、どれくらい多くのことを友達に与えられたかということが大切であるとエリクソンは言っているのです。(中略)〟

 

そして、こう締めくくられています。

 

〝エリクソンはその時期を小学校低学年である児童時の課題と言っていますが、これは、私からすると、程度の差があるとはいえ、また、その姿は違うと言えども、すでに乳児から行われていることのような気がしています。それは、乳児の頃から共感する力を持っているからです。同時に、違いを知るということも、自己を確立してくることも関係してくるからです。

もう一つ、私は、この教わる、教えるという関係は、異年齢で行われることが多いために、異年齢で過ごすことも大切になると思っています。〟

 

子ども達が、教え、教わる関係の中に身を置いていること。その環境が、大人の心を和ませ、花が咲いたような優しく豊かな場面を作り出しているように感じてしまいます。子ども達が子ども達らしく育ち、またその子がその子らしく育っていく中で出逢えるたくさんのドラマのワンシーンに出くわすことができたようで、とても幸せな気持ちになれたこの度の出来事でした。

 

最後に、この『教える、教わる』の回の中で、大人こそ意識して考えねばならないと思われる重要な文章があったので、別件ながら自省の思いも込めて掲載させていただき、この度の報告を終わろうと思います。立場、身分、年齢を超えて、目の前の人を認め、尊敬の気持ちを持ち、自分のために、子ども達のために、相手を変えるのではなく、自分を変えて成長させていかなくてはならない、という強いメッセージが込められているように感じるのです。

 

〝能力の高い人に対して、その人を尊敬できるか、その人に共感できるかということが大切であるのに、どうしても、嫉妬とか、羨望とか、敵意とか、その裏返しとしての劣等感を強く意識してしまうことが最近は多いようです。あるいは逆に、自分のほうが何か優れているときに、健全な誇りとか、自信とかいうことではなくて、優越感を感じてしまうことがあります。

劣等感と優越感というのは、表裏一体の感情で、人間は、だれもがいろいろな意味で程度の差はあれ、そういう感情は持っているのです。それが過度に強調されて子どもの中に育ってしまうということは、エリクソンが言う、この勤勉さを習得しなければならない時期に、友達から豊かにものを学び得たか、同時に友達に多くのことを分かち与えたかという経験がとても大事であるということをエリクソンは強調しているのです。〟

 

同じブログの中にこれだけの内容を描かれる藤森先生を尊敬します。

自分を磨いて、成長していきたい。改めて強く思いました。

 

(アドバイザー:本多悠里 報告者:加藤恭平)

耳を傾ける時

塾長のブログに、このような事が書かれていました。

 

【新聞全面広告に、こんな言葉が出ていました。「口でよく読み、目でよく見、心で理解することを、読書三到といいます。」最近は、この言葉は、あまり聞かなくなってきました。読書は、江戸時代以降、活字文化が主役になりました。寺子屋時代は、「読書三到」が国語教育の中心だったようです。読書三到(どくしょさんとう)という意味を広辞苑ではこう書いてあります。「読書の法は心到・眼到・口到にあるということ。すなわち、本をよむときは心・眼・口をその本に集中して、熟読すれば内容がよくわかることをいう。南宋の朱子が主張した読書の際の三条件。

心到=心を本に集中させる

眼到=目を本に集中させる

口到=声に出して本をよく読む

『 到 』は徹底的におこなう意。」

『訓学斎規』読書写文学では、こう説いています。

「読書に三到有り。心到・眼到・口到を謂う。心ここに在ざれば、すなわち眼子細を看ず。心眼すでに専一ならざれば、却ってただ漫浪誦読(まんろうしょうどく)し、決して記する能わず。記するも久しきこと能わざるなり。三到の中に、心到最も急なり。心すでに到らば、眼・口あに到らざらんや」(心が集中していなければ、眼もおろそかになり、口誦しても覚えられない、心が集中していさえすれば、眼と口はついていく)とあるように、特に心到が大切であるという考えです。

しかし、私は、もう一つあると思っています。それは、「耳到」です。いわゆる「読み聞かせ」の大切さです。「耳をよく傾けて本を読む」ことで、内容がより深く理解でき、話の主題により迫ることができると思います。】

 

この文を読んで、乳幼児期の「耳を傾ける経験」が重要であると感じましたし、きっと、「自分から耳を傾ける経験」という意味なのだなと思いました。その“自発的に”という要素が入らないと、「耳到」と同じく大事な「心到」も生まれてこないようにも感じます。自ら耳を傾け、人の話に興味を持つことは、「聞く力」を育み、他人とのコミュニケーションを支える力となります。そう考えた時、子どもたちはいったい何に耳を傾けているでしょうか。1歳児の保育園での一日を振り返ってみると、所々で生活の流れを促す際の大人(職員)の声を聞いているにしても、自発的にという感じではないですし、1日の中ではほんの一部分です。昼食時、リーダーの先生は、数人が机に来ると「読み聞かせ」をしています。その声に反応して、遊びの空間から自ら歩いてその話を聞きにくること等はありますが、これも1日の中ではほんの一部分です。では、いったいどこで?何に?と思った時、このような姿を見つけました。

1歳児が1歳児に読み聞かせ

1歳児が1歳児に読み聞かせ

5歳児が1歳児に読み聞かせ

5歳児が1歳児に読み聞かせ

ままごとをしながら他児の話に耳を傾ける

ままごとをしながら他児の話に耳を傾ける

とある土曜日 5歳児の声に耳を傾ける

そのような経験を経た後の姿

子どもたちは遊びを通して、他児の声や話に自発的に耳を傾け、一日を過ごしていることに気がついたのです。つまり、子ども同士の関わりが「自発的に耳を傾ける経験」をさせているのではないでしょうか。このような経験によって、相手の話す「内容がより深く理解でき、話の主題により迫ること」が可能になり、聞く力が身に付き、コミュニケーションを支えていくのだと思いました。見守る保育の特徴として「乳幼児同士の関わり」があると思います。それを大切にしようとする機会は、子どもたちに自発的な「耳を傾ける時」を保障しているような環境でもあるように感じたのです。

(報告者 小松崎高司)

「プロースト」

「では今から講座を始めますが、皆さん机の上からペンを片付けて下さい」

 

と、言ってから年間臥竜塾の第7回目の講座を始めました。 今回は「海外の保育」ということでドイツ、ミュンヘンを中心に紹介させていただきました。

 

まずは最近、塾長の講演の中でも話される保育の原理・原則を言いました。

 

・子どもの自主体的な活動

・子どもの自発的は活動

・一人一人の特性に応じる

 

以上の三つは保育の原理原則であり、世界で行われている保育、有名なところでいくと5カリキュラムの「レッジョ・エミリア」「テファリキ」「ハイスコープ」「 SICS」「スウェーデンの保育カリキュラム」、他にも「モンテッソリー」「フレーベル」「シュタイナー」など全ての保育に共通しているモノは、上に書いてある3つの原理・原則です。ですから「見守る保育」が特別な保育をしている訳でなく、世界で見ると普遍的な考え方です。しかし見守る保育が唯一、他のカリキュラムと違うのは乳児保育ではないでしょうか。世界は乳児保育に対してそこまで取り組んではいないと聞きます。要は日本のような保育園はないのです。しかしドイツはキンダークリッペという0~2歳を預かる施設や、0~6歳まで預かるコープという施設があります。しかし見守る保育のように乳児からの関わりという考えはありません。ですので、世界に発信するには「乳児からの人同士の関わり」を中心とした「見守る保育」を提案し、指針を作成しようと塾長は考えています。

 

今回の講座で皆さんに伝えたかった事は、我々が行っている「見守る保育」というのは日本で見ると珍しいかもしれませんが、世界で見ればそんなに珍しくもなく、むしろ進んでいる方向は世界と同じです。日本のスタンダード化、そして世界に提案しようとしている為、むしろ最新であり、実践は間違っていないということを知ってもらいたかったのです。

 

と色々と書きましたが、もう一つの裏のテーマがあります。それは新宿せいが保育園の研修方法を知ってもらいたかったのです。と言うのも、見学者からの質問や相談などで研修のあり方について質問をされますが、新宿せいが保育園はあまり研修をたくさんしているわけでもなく、塾長の話しを皆で月に一回に聞いたりするわけでもなく・・・あまり言うと自虐ネタになるのでこの辺で (笑)

ただ唯一言えるのは、楽しく研修をしています。ですので、今回は参加者の皆様に実際に新宿せいが保育園で行っている研修方法を体験してもらおうと計画しました。おそらく塾長の講演などでご存知の方もいると思いますが、先日、ドイツ研修から帰ってきたので、そろそろ新宿せいが保育園でも研修に行った職員に報告をしてもらおうと思っています。まず最低限、用意するのは・・・。

 

・ドイツビール

・ドイツミュンヘンのソーセージ

・ザワークラウト(キャベツの酢漬け)

・プレッツェル

 

の4つです。と言うのも

ドイツを知るには、ドイツを体験しないと分からない」というのが塾長の理論です。

 

そして職員でドイツビールを片手に乾杯してから報告のスタートです。

ですから、今回の講座の最初に「ペンを片付けて下さい」と言ったのです。

 

そして…

 

「本来はドイツビールで乾杯したいところですが…さすがに一応は研修なのでノンアルコールで(笑)ですので今回、用意したのはスプライトです。スプライトはどうやらドイツが発祥らしいです。では皆さん!お互いにグラスに飲み物を注いで下さい!準備はいいですか!?  ちなみにドイツの乾杯の掛け声はプローストです。そしてグラスは底の厚いグラスで、コップの底と底をぶつけます!では!プローストッ!!」

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そして、講座が始まりました!!

ちなみに、テーブルの装飾は「おもてなし」です。と言うのもドイツ研修で見学先に行くと、必ず「おもてなし」を受けます。ジュース、ケーキ、お菓子、時にはビールも出たそうです(笑)そしてセンスの良い装飾が飾ってあります。今回はドイツ研修ということで、実際にドイツのおもてなしも更に皆さんに体験してもらいたいと思ったので、テーブルも飾ってみました。

そのお陰か、終始雰囲気もよく後半のグループディスカッションも各グループ盛り上がっていました。テーマは「日本の良さとは何だろう?」です。

今回、ドイツミュンヘンで行われている保育を中心に紹介しました。実際に写真を見ても参考になる部分も多く、本当に学びが多いです。しか、全てドイツが良いわけでなく、日本の良さも必ずあるのではないか?ということで、保育に限定してしまうと少し難しいので、保育に限らず、日常生活など全てにおいて世界に誇れる、日本の良さを皆で考えてみました。おそらく、出てきた日本の良さはきっと保育にも役に立つと思ったからです。

 

ちょうど、今年のテーマが「伝統を見直そう」です。装飾はもちろん、昔の人たちの生活に注目してみると、すぐにでも実践できるものがあります。最近、私が個人的にはまっているのは「炭」です。これもカグヤの野見山社長からご指南いただき、炭の力を聞きました。すぐに染まってしまう私は、炭の魅力に取り憑かれ、カグヤの社員の方から炭をたくさん分けていただき、ご飯を炊くときやお風呂に入れたり、冷蔵庫の消臭に使っています。また保育園では細かく砕いて植物に入れたり、トイレの消臭、そして来客用の靴箱に入れています。これも立派な伝統であり、日本の良さだと思います。

 

ちょっと話がずれてしまいましたね。

私自身はドイツ研修に今から約6年前に参加しました。その6年分の写真を見ましたが、統一カリキュラム「バイエルン」に基づいた保育実践は素晴らしいと改めて思いました。どの施設も独自性がありますが、根本となる理念はぶれていません。また中山副園長からバイエルンに関する資料を頂きました。よく塾長の講演でもドイツのバイエルンの話を聞きますが、実際にどのような事が書かれているのか気になっていました。今回のいただいた資料は訪問の際に必ず通訳として同行してくださるベルガーゆきこさんという日本人の方が訳したものと聞きました。書かれてある内容がとても面白かったので、少し紹介していきたいと思います。(報告者 山下祐)

一人一人違う種を持っています その花を咲かせることに一生懸命になればいいのです

先日、夕方の自由遊びの時間ににこにこ組(2歳児クラス)の子ども達の対人知性の高度な関わりがあったので報告させていただきます。

水玉模様の服を着た女の子(以下 水玉ちゃん)が強い視線で見つめています。その先には、

水玉模様の服を着た女の子(以下 水玉ちゃん)が強い視線で見つめています。その先には、

女の子の集まりが。何か、面白いことになりそうな雰囲気がありますね(笑)

女の子の集まりが。何か、面白いことになりそうな雰囲気がありますね(笑)

この写真の中にいる女の子達は4人とも、毎日の関わりを見ていて、とても大人っぽい関わり方をします。話し合いで解決出来る力のある子達なので、この場面を見守ってみることにしました。

写真中央紫色の服の女の子(以下 紫ちゃん)がこの報告の主役の一人です。どうやら、紫ちゃんの持っているお人形を水玉ちゃんが使いたいものの、紫ちゃんが元々使っていたものだったので、「あとでね」「ダメだよ」というやりとりをした直後、ちょっとこじれてしまった(笑)という感じだったようです。

写真中央紫色の服の女の子(以下 紫ちゃん)がこの報告の主役の女の子です。

どうやら、紫ちゃんの持っているお人形を水玉ちゃんが使いたいものの、紫ちゃんが元々使っていたものだったので、「あとでね」「ダメだよ」というやりとりをした直後、ちょっとこじれてしまった(笑)という感じだったようです。

じーっと見つめています(笑)

じーっと見つめています(笑)

見かねた友だちが声をかけに行きます。

見かねた友だちが声をかけに行きます。

水玉ちゃんは気付いていますが無言です(笑)

水玉ちゃんは気付いていますが無言です(笑)

紫ちゃんも来ました。

紫ちゃんも来ました。

ケンカの当事者ながら、相手の傍に行けるというのがすごいですね(笑)紫ちゃんの頭の中には、もしかしたら「話の決着をつけに行きたい」という思いだったかもしれません。もしかしたら、「かわいそうなことをしたな」という思いだったかもしれません。どちらにしても想像の範囲ですが、それを考えても、〝ケンカをしても逃げたりせず、それっきりで終わらせない〟という紫ちゃんの心意気のようなものを感じて、子どもって本当にすごいなと思ったりします。

ピンクの服の子「これが使いたかったの?」 水玉ちゃん「…(うん)。」

ピンクの服の子「これが使いたかったの?」
水玉ちゃん「…(うん)。」

使いたかった気持ちが自他共に再確認されました(笑)さぁここからです!

自然、1対1での話し合いに。 紫ちゃん「これ紫ちゃんのだもん。」

自然、1対1での話し合いに。
紫ちゃん「これ紫ちゃんのだもん。」

水玉ちゃん「ヤダ!」

水玉ちゃん「ヤダ!」

写真右の男の子も気になっているようですね。

紫ちゃん「ねぇ〜…。なんでいいよって言わないの…?」

紫ちゃん「ねぇ〜…。なんでいいよって言わないの…?」

このケンカを終わりにしたい、お人形を気持ちよく使いたいというような、紫ちゃんの呟くような言葉です。

しびれを切らして、クラスの先生の元へ。 先生「どーしよーねー。」(いい返し!笑)

しびれを切らして、クラスの先生の元へ。
先生「どーしよーねー。」(いい返し!笑)

ここで面白いのが、どうやったら水玉ちゃんのキゲンが直るのか、そして、このお人形をどうしたら自分の元に置いたままで、また元の関係に戻れるのか、ということを紫ちゃんが考えているということです。かなり高度なことだと思います。

先生「もう一回話してみたら?」

先生「もう一回話してみたら?」

 

再度チャレンジ。

紫ちゃん「(水玉ちゃんに貸したら)紫ちゃんの赤ちゃんなくなっちゃうもん。」

紫ちゃん「(水玉ちゃんに貸したら)紫ちゃんの赤ちゃんなくなっちゃうもん。」

水玉ちゃん「…私早お迎えだから(貸して欲しい)。」

水玉ちゃん「…私早お迎えだから(貸して欲しい)。」

実際は早お迎えではないのですが(笑)流石です。

 

二人にどこか妥協点が生まれたのでしょう。少し空気が変わりました。

紫ちゃん「じゃさ。ちょっと待ってて。すぐ貸してあげるから。」

紫ちゃん「じゃさ。ちょっと待ってて。すぐ貸してあげるから。」

紫ちゃん「ね。ちょっとおいで。」

紫ちゃん「ね。ちょっとおいで。」

その誘いには水玉ちゃんは乗らなかったものの、二人の間の空気がはっきりと変わり、一緒にあそび始めました。

 

そして、感動の(?笑)クライマックスです!

おもむろにしゃがむと遊びが始まりました。水玉ちゃんがもっていた箱を開けた瞬間!

おもむろにしゃがむと遊びが始まりました。水玉ちゃんがもっていた箱を開けた瞬間!

紫ちゃん「あ!そのスリッパいいね!私持ってないやつだ!」

紫ちゃん「あ!そのスリッパいいね!私持ってないやつだ!」

なんと、水玉ちゃんの持っているものを褒めたのです!この紫ちゃんの行動にとても驚きました。水玉ちゃんは、嬉しそうに履いています。

 

そして、

(紫ちゃんどこ行ったかな?)

(紫ちゃんどこ行ったかな?)

おままごとゾーンから出てきて数分後、バッグの中に何かを仕入れてきた様子です。水玉ちゃんのキゲンはすっかり直っていますね(笑)

おままごとゾーンから出てきて数分後、バッグの中に何かを仕入れてきた様子です。水玉ちゃんのキゲンは表情から見て取れる通りすっかり直っていますね(笑)

 

そして、

お人形は水玉ちゃんの元へ!

お人形は水玉ちゃんの元へ!

「ありがとう。」

「ありがとう。」

相手を褒め、喜んでくれた。その気持ちが自分の気持ちも高揚させ、相手に対して寛大な気持ちになれたのかもしれません。

 

そして、数分後。

二人で遊ぶテーブルの上にお人形はありません。

二人で遊ぶテーブルの上にお人形はありません。

おもむろにバッグから何かを取り出しています。

おもむろにバッグから何かを取り出しています。

それは、なんとスリッパでした!

なんとスリッパでした!

仲良しな足が並んでいました。

その後、二人はすっかり仲直り。仲良くあそんでいました。

 

ここで改めて、〝対人知性〟について紹介します。

  • 対人知性とは他人を理解する能力をいう。この人の動機は何か、あの人はどう動くだろうか、皆と協調して動くにはどうすればいいのか、といったことを理解する能力だ。
  • 対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」である

相手の気持ちを察し、そして、相手の態度に対して、自分の対応を変えていく。自分も幸せ、相手も幸せな結果を導いていくその姿勢は、単なる世渡り上手的な印象のものではなく、相互の幸せを考えて行動するという、とても高度な関わり方であると思います。

 

自分だけがよければいい、ではなく、相手だけがよければいいという自己犠牲の精神でもない。自分も相手も幸せにしようとする行動こそ、これからの時代のよりよい生き方ではないか、と、強く感じます。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年2月11日『貢献』にこう書かれています。

〝知恵は、必ずしも、誰でも持っているものではなく、生まれつき備わっているものでもなく、生きている中で、学んでいくものもあるのです。〟

また、

〝私の園の理念は、「共生と貢献」です。 (中略)ストレスが多いけんかなどでも、子どものころから体験することで、それを調整する力が付きます。人は、他と共生していく生き物であり、それゆえに他と共生することで感情をコントロールすることができるのです。〟

 

この度の子ども達の関わりを見た時、大袈裟かもしれませんが、まさに園の理念と言えるべき姿が、子ども達から垣間見えたような、そんな気がしました。

 

さらに、2006年2月8日『育てるとは』という回の中では、このように書かれています。

 

〝動物占いで有名な弦本將裕氏がこんなことを言っています。(中略)「個性心理学では辞書にない言葉の使い方をしますが、「そだてる」というのは、「素立てる」と書きます。学校で習う「そだてる」は「育てる」ですが、これは養うという意味も入っているのです。養われている者からしたら、ご飯を食べさせてもらっているから逆らえません。これが今までの、上から下へものを言う教育だったのです。これからは、素立てる、素(個性)を立てる、教育でなければならないのです。今までこの素を知る術がなかったこともあったでしょう。素がわからないから、種がわからないのですから立つわけがない。いろいろな種がありますが、花屋さんに買いに行くと、「いつ蒔きなさい」「お水はいつあげなさい」「いつ咲きますよ」と袋に書いてあります。種がわかっているから育て方がわかるのです。人間だけは、生まれたときには何も書いてありません。オギャーと生まれた赤ちゃんの足の裏とかに、「どう育てなさい」とか「いつグレる」とか書いていないでしょう。つまり、種(素)がわからないから立つわけがない。子どもも素・立たない。」

子どもの個性を知ることは、それを認めることに通じます。そのために、子どもの理解と予測がなければなりません。それが、親としての愛情です。また、保育者としての専門性です。子どもがもっているものを引き出すためには、子どもに何かをしよう、してあげようとする前に、まず、子どもを知ろうとする努力をしないといけないでしょう。

 

子どもを知り、そして、子どもの元々もっている個性、才能であるその〝素〟を育ててこそ、保育なのではないか。見守る保育は、それを育む保育であるということを改めて感じた、この度の出来事でした。

 

最後に、

 

あれだけ争ったお人形はと言うと…

先ほどの写真です。右端をご覧ください。

先ほどの写真です。右端をご覧ください。

右端をご覧ください。

右端をご覧ください。

(笑)

(笑)

先日の環境セミナーで、〝2歳児のイヤイヤ期に対して、どう対応すればよいですか?〟という質問に、藤森先生がこう答えられていました。

 

「大人が本気にならないことです。」

 

いつだって優しい気持ちで、頭を柔らかくして、子ども達を信じて見守っていこうと改めて思いました。

 

(報告者 加藤恭平)

Just The Way You Are〜とある先生の愛情〜

先日の土曜保育の時間に感動したことがありました。

その日は、我らが誇るベテラン男性職員が午睡前の紙芝居を読んで下さいました。

ナスのお化けが出てくる紙芝居で、子ども達は〝オバケナス〟と覚えて、とても印象に残った様子で布団へ入っていきました。

にこにこ組(2歳児クラス 以下にこにこ)担任の僕も、午睡の場所へトントンをしに行きました。

リズミカルにテンポよく、ビートを刻みながらトントンをしていると、にこにこの男の子が急に、

「このズボン嫌だ。」

と言うのです。どうやら寝る時になって今履いているズボンが気に入っていなかったことを思い出したようなのです。子どもってこういうところ、ありますよね(笑)

にこにこの部屋に行って履き替えてくることに。ところが着替えの引き出しの中には、お尻にポケットがついた、これまた彼のお気に入りではないズボンしか入っておらず(笑)嫌がりながらもしぶしぶ納得させ、その時は彼の承諾もきちんと得て、そのズボンに履き替えて、また布団へ戻りました。

布団へ行くと、ぐんぐん組(1歳児クラス)の今年入られた大型新人の一人であり(僕は新人の方全員大型新人だと思っています)、3児の母であり、この度の主役である先生がトントンをして待っていました。その先生の顔を見て、「この先生なら…」と思ったのでしょう、(このあたり、子どもの対人知性の一つだと感じます)

「このズボン嫌だ。」

と、本当は嫌だった心の内をその先生に伝えていました(笑)

僕は、もう他に彼のズボンはないし、あとは保育園のズボンを貸すことくらいしか思いつかず、そのことをその先生に伝えようとした瞬間、なんとその先生は、彼のお尻のポケットを優しくキュッと掴み、

「これでもうポケットはなくなったよ。もう大丈夫だから寝ようね。」

と優しく諭したのです。

コクンと頷き、納得した表情で布団に入っていく彼を見て、その先生の鮮やかで優しく、温かみのある保育に、とても心を打たれてしまいました。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されているブログ『臥竜塾』2013年10月25日『教師から教育者』というブログの中で、こう書かれています。

〝私たちは、教師というとどのようなイメージを持つでしょうか?「教える人?」「偉い人?」「権威を持った人?」「権力を持った人?」「怖い人?」「優しい人?」様々な印象を持っている人がいるでしょう。その多くは、自分が出会った教師のイメージがあるかもしれません。また、それは、時代によっても変わってきているかもしれません。(中略)

ペーターセンは、教育者と生徒の関係、また、生徒と生徒との関係は、「人間的なもので、より高貴な基本的な態度に基づくべきである」と言っています。〟

より、高貴な基本的な態度。それは、見守る保育の三省の中にもある、

・子どもに真心を持って接したか

という基本姿勢であると同時に、その人それぞれのもつ愛情そのもののようにも思えてきます。

また、『臥竜塾』ブログ2013年5月21日『偉大な旅6』の中で、

〝ある出来事が起きたときに、男女という違う脳を持った存在が補い合い、生きていく知恵を生み出していくのです。(中略)そして、様々な年齢差を持つ集団も、遺伝子を次世代につないでいくために必要な多様性のひとつです。〟

とも書かれており、ズボンを履き替えることしか思いつかなかった僕を、そっと優しく、まるでお母さんのような愛情で包んでくれたその先生の保育は、まさに多様性の部分を体現され、僕の足りなさを補って余りあるものでした。

その職場での経験年数でなく、人生を積み重ねてきた人のもつ器量や懐、そういったものが、人それぞれの中に必ず存在します。このような先生が存分に腕をふるえるような、その人らしさが自然と出せるような環境を、僕は本当に素晴らしいと感じます。

感動は続きます。その子が眠るまでのもう一つのドラマを紹介して、この度の報告を終わらせていただきます。

布団に入るとごキゲンで、少しテンションが上がってしまった彼です。何やら自分で目隠しをしていますね。

布団に入るとごキゲンで、少しテンションが上がっていた彼です。何やら自分で目隠しをしていますね。

あらま、隣の子も。これは、その先生が、「目を閉じたら〝おばけなす〟が見えるかもしれないよ。」と促したからなのです。

あらま、隣の子も。これは、その先生が、「目を閉じたら〝オバケナス〟が見えるかもしれないよ。」と促したからなのです。

数分後。二人揃ってスヤスヤと寝息を立てていました。

数分後。二人揃ってスヤスヤと寝息を立てていました。

子ども達は、こうして愛情の中で育まれ、夢を見るのでしょう。

子ども達は、こうして愛情の中で育まれ、夢を見るのでしょう。

 

(報告者 加藤恭平)