自分の強みは??

私たちは日頃、現場で一人一人の子ども達の特性を見抜き、その子が持っている可能性を引き出してあげることが大切です。

逆に自分の特性は何だろうか?と考える人がいると思います。よく大学入試や就職試験で面接官から

「自分の長所は何ですか?また短所と思うところは?」

と質問をされると思います。塾長のブログに日本人は自尊心が外国と比べて低いという事が書かれていました。

最近のブログなので読んでいる人は覚えているかと思いますが、セリグマンの「オプティミストはなぜ成功するのか?」です。

もう一度、復習も兼ねて読んでみました・・・。

「私は自尊心には反対ではないが、自尊心は心身の状態を示すメーターにすぎないと思っている。それ自体が目標ではない。学校や職場でうまくやっていて、愛する人々との関係が良好で、遊びが上手にできていればメーターは高い値を示すだろう。うまくいっていなければ値は低いだろう。」

と書かれていました。

しかし研究を進める上で犯罪者の多くは自尊心が高く、彼らの不当な自尊心により暴力を引き起こしてしまうのです。

ですので、子ども達に間違った自尊心を教えてしまうと問題が起きてしまうことに気付いたそうです…。

どうしても自尊心は高い方がいいと思っていた自分がいたので、少し反省しました。

そうは言っても外国人は自尊心が高く、自己アピールをさせると、どんどんアピールするほど自分に自信を持っています。

ただ、日本には「謙遜」という言葉があります。

今週の臥竜塾でも出てきましたが、日本人は「謙虚な姿勢」を持っているので、そこまで自分を出さない傾向があるため、一様に日本人は自尊感情が低いのは何とも言えない部分ですね。

さて本題に移りましょう。

自分の長所、違う言い方をすると「強み」とは何か?と考えた事があると思います。

私も自分の強みは何だろう??と考えます。

以前、臥竜塾のメンバーで火曜日以外で食事をした時に小松崎先生が言いました。

「自分の強みを知ると自信にもなるし、落ち込んだ時にも、すぐに切り替えることが出来ると思うんだよね」

確かに分かります。仕事で失敗して先輩に注意された時や、保育がなかなか上手くいかないとき、自分にとってマイナスな出来事が起きた瞬間に一つでも自分の強みを知っているだけで、知らない人よりか早く切り替える事が出来ると思います。

これはセリグマンのオプティミストと関係があると思います。

自分の強みを知るには、よく自分と一緒にいる人に聞くのが一番かもしれませんが、なかなか、聞きにくい所もあるかと思います。

そこで塾長のブログ、そして私たちのブログにも毎回コメントをして下さっている「もりぐち」さんから自分の強みを知れる方法を聞きました。

詳しく聞くと、もりぐちさんの保育園の園内研修で園長先生が取り入れた研修だそうです。

「ストレングスファインダー」です。

おそらくご存じの方もいるかと思いますが、180ほどの質問に答えることで、自分の強みを教えてくれるものです。

気になる方は詳しくは調べてみるといいかもしれません。

塾長とその情報を聞いて、面白そうだから塾でもやってみようか!という事に。

ちなみにもりぐちさんの診断結果を聞くと、かなり合っているそうなので信憑性は高いかもしれません。

ある意味占いに近い物なので何とも言えませんが、診断結果が合っている、合っていないとは別として、自分を知るという判断材料として取り入れてもいいのかな?と思いました。(報告者 山下祐)

 

 

暗証番号

学童では、1日の活動の一区切りとして17時になる前に一度子どもたちだけで集まり、夕方のゾーン決めとお部屋の掃除を全員で行っています。 その際に子どもたちのモチベーションを維持、向上させるために毎回掃除にかかるタイムを測定しています。 そこでタイムを測定する際に使っているのは、職員の携帯電話(スマートフォン)に内蔵されているストップウォッチ機能です。

そこに一部の子どもたちが興味を示した出来事を紹介させていただきます。 他の学童職員の方は設けていないそうですが、私は自分のスマートフォンに4桁の暗証番号を設定し、その暗証番号を入力しない限り、開かないように設定しています。 ですので、最初は私が暗証番号を入力し開けてあげるのですが、子どもたちが掃除を終えた時には画面が消灯し、開けられなくなっているのです。 それでは不便だと思い、1度暗証番号を解除したのですが、子どもたちが興味を示したので再び設けることにしました。

当初私が暗証番号を設定していたことに意図があったわけではないのですが、子どもたちは私たちの想像を超えたところに興味を示すものだとつくづく感じました。 今では掃除をする際の子どもたちの1つの楽しみとなっています。 私はやみくもに番号を打ち込んでも解除できないことを伝えました。 そしてその番号には必ず意味があることも。 そうなると質問の嵐です。 「先生の誕生日は何月何日?」「西暦は何年?」などある意味では私をより知ってもらう良い機会となったのですが、自分ネタではすぐにネタが尽きてしまい、最近では子どもたちの誰かの誕生日やその当日の日付、掃除をスタートした時間などこの取り組みを始めてから何十通りも行ってきました。 たまに自分でもわからなくなってしまうほどです…

今ではネタも尽きてきて、今度はあえて意味のない適当な番号にして、下3桁だけ教えてあげることにしました。 そこで子どもたちの中にこちらの意図に気付く子がちらほら出てきます。 こちらの意図に気付いていない子は0~9の数字を適当に押してしまうのですが、気付いた子は自分が何の数字を押したかを覚えて2回目、3回目に番号を選ぶ際に同じ番号を押さないようにしたり、中にはメモをとっている子もいました。

そこでつい先日に気付いた子が「10回に1回は当たる!」と言い出しました。 しかし、ここで終らないのが子どもたちのすごいところです。 「じゃあ教えてもらう数字が2つに減ったら、何回に1回当たるんだろう?」と考え出したのです。 これは数学の確率の世界ですが、以前塾長の書かれているブログの内容にあった「科学の心」に通ずるところがあると感じています。 子どもたちが発展させてくれたこの取り組みを大切に、今後も子どもたちと一緒に拡げていけたらと思っています。 (投稿者 若林)

干し芋作り

秋頃にとある保育園さんからさつまいもをたくさん頂いたのですが、なかなか食べることができずに、職員室の片隅へ置かれていました。近くを通るたびに気にはなりつつも手をつけられずにいました。そしてようやく塾長から「置いておいても悪くなっちゃうから干し芋にしちゃおうよ」という一言があり、先週の金曜日に朝から干し芋作りをしました。

 

朝からという事で私自身は手伝えずというか、その時間に干し芋作りをしている事さえ知りませんでした(笑)なので途中までは聞いた話になってしまうのですが・・・。

最初は山下君が蒸し器でさつまいもを蒸し始めました。蒸している途中で、山下君のお子さんが体調不良になってしまったらしく帰宅してしまいました。お昼をはさみ、その後は蒸しあがったさつまいもはなんと、塾長自らが皮をむき、それを西村君が食べやすい大きさに切っていくという作業をしていたそうです。たくさんの量をやっていたので、そのころには夕方になってしまったのですが、ようやくそこで仕事を終えた私と小松崎君が参戦します!

切ったさつまいもを平ザルに並べていきました。並べながら思い出したのは、小松崎君の実家の茨城県は干し芋が有名で、買ってきてもらったことあったのですがとてもおいしかったのを思い出しつつ、「小さい頃に干し芋作り体験とかしたことある?」と聞いたところ、地元の名産だったとしてもやったことはないということだったので、塾長が「これで実家の保育園に帰った時に子どもたちとできるし、先にやっといたおかげでどこが大変かわかってよかったね」と言っていました。

 

子ども達と一緒にいきなりクッキングをするのではなく、先ずは大人同士でも楽しくやっておけば子ども達とやるときにも慌てないし、楽しさも伝えられるのかなと思いました。また、干し上がるまではやはり時間が必要です。「待つ」ということは人類しかできない行為であるため、その能力を育てるにも大切な時間だなと思いました。

つまり、私たち日本人は元々農耕民族であったため種を撒き、それが育ち収穫し食べられるようになるまでには長い時間が必要です。その間待つという事は自然と「我慢」をしていまし、待つという事は得意だったと思います。

最近では食べ物や欲しいものがすぐに手に入ってしまうため「我慢」するということが減ってきていると思います。例えば子どもが何かを欲しがり、そのものをすぐ与えてしまっていると我慢が出来なくなり、カッとした時に自分を抑えるという事も出来なくなってしまいかねません。確かに蒸し上がった時点で食べる事も出来ますが、子どもたちと一緒に出来あがるまで「待つ」ことは、わくわくできる時間でもあります。

 

今回は子どもたちには見せていませんが、私自身も初めての体験だったので出来上がりが楽しみです。

次回子どもたちとやるときには一緒にわくわくしながら食べる日を待ちたいと思います。(報告者 柿崎)

切った芋を並べて干します

切った芋を並べて干します

自分でやることで納得する

子どもが転んだ時どう対応するか?

これは誰しもが経験したことがある場面だと思います。先日も、1歳児クラスの散歩中に、ある男の子が何にもない所で突然転びました。たまたま私はそれを見ていました。他にも何人か見ていた職員、そして一緒に歩いていた子、手をつないでいた子も見ていたのですが、誰も特に声もかけず、その子の様子を何事もなかったかのように見守りました。すると、その子は転んだまま、しばらく何が起こったのか考え、何事もなかった様に立ち上がり、また歩き出しました。

 

もしここで大人が声をかけていたり、過度な心配をしたりすると、その子は泣きだしていたのかもしれません。ですが、「自分で転んだ」ということ、「いたくないか」などを自分で考えることで、自分で納得することができたのです。

 

こういった「自分で納得する」ということが大切な場面は、日常の中でよく見られます。

 

我が家でも、お風呂に入る時にそんな場面があります。私の娘は、髪を洗われるのが苦手です。まず一緒に体を洗い、次に髪を洗おうとすると、「後がいい!」と湯船に入ります。

しばらく遊んだ後、湯船から出るとそのまま出ようとするのですが、「シャンプーは後がいいって言ったよね」というと、しぶしぶ手を出して、シャンプーでごしごし自分の髪を洗い出します。

その時に、なるべく目に入らず早く終わるようにと、私がシャワーで洗うと「目目いたい!」と必ず泣きます。

ですが、自分でやらせるようにすると、洗い流す時間が長くなったり、どんなに苦しそうな感じになりしても、泣きはせず、ケロッとした顔で洗い流しています。

 

この場面で面白いなと思うのは、転んだ場合と違い、シャワーは自分の方が長く目をつぶる時間、水が顔にかかる時間があるということが、あらかじめ自分でわかっているのにそちらを選びで納得しているということです。

 

その感覚をどう表現していいのかは難しいですが、「自分でやることで納得する」そんな機会はまだまだいろんなところに隠れている気がします。保育をしていると忙しいタイミングもどうしてもあり、大人がやった方が早いと感じがちですが、「子どもたちに自分でやらせてあげる」そんな気持ちの余裕をしっかりと持っていきたいですね。

 

(報告者 西田)

お集り

以前、山下氏が「ラッキーboyラッキーgirl」のブログで朝の会の様子をアップしていました。あのようにノリノリで朝の会をしている時はやっている私も非常に楽しいです。ただ、やり過ぎには注意することは心得ておこうと思っているところです…。

そして、ノリノリの朝の会だけではなく少し子どもたちと一緒に不思議なことを体験する朝の会というのを先日することができました。
そこを紹介したいと思います。
先日全国的に雪が降った時がありました。朝登園してきた子どもたちは嬉しくて舞い上がるほどです。外は珍しく雪景色が広がっていました。
そして朝の会が始まり、少しすると小松崎氏が「本多先生、雪を詰めてきました。500ミリちょうどに詰めてきたんで、溶けたときどうなるか見ましょう!」と言ってきました。
雪を積めた状態

雪を積めた状態

こりゃ面白いということで、朝の会を中断し、子どもたちとこれが溶けたら増えるか減るかと予想しました。
大体子どもたちは減る予想の子が多かったです。
「結果は給食の時だね」と伝えると、活動中にも気になるのか、「溶けてきたよ‼︎」と嬉しそうに伝えてくれます。
そして、給食の時間になり結果をみんなでみました。その時のみんな目はキラキラしています。
「ドン!」と見せると子どもたちの予想通り!雪は460mlまで下がっていました!
「ほらー‼︎」と子どもたちは得意げです。
溶けた状態

溶けた状態

するとある男の子が…
「また凍らせたら増えるんじゃない⁉︎」と…
その子の好奇心、興味が湧いていることが伺えます。
確かに!どうなんだろう?というのが私の正直な感想でした。
そこで子どもたちに凍らせたらどうなるか聞いてみると、ほとんどの子が増えると答えています。
じゃ、冷凍庫に入れてくるね!結果は凍ったら出すからね!と行って持っていきました。
そして、凍ったところを見てみると…
凍った状態

凍った状態

子どもたちが言う通り氷になることで増えていました!
まだこの結果は子どもたちには見せていません。果たしてどんな反応が返ってくるのか楽しみです。
このようなお集まりで少しでも科学活動の芽生えに繋がってもらえればとも考えています。
塾長のブログでもあるように様々なものについて、もっと知りたい、やってみたい、子どもの興味をしっかりとつかめるような、質問をしたりして科学活動に興味を持てる環境を意識していこうと思っています。
興味を引きつける質問はまだまだ、練習する必要があると思っています…。
お集まりから環境へと流れ、内発的な動機づけへと繋がってくれたと思っています。
しかし、思いついた時に容器に雪を詰め、すっともってきてくれた小松崎氏の行動というのも興味、好奇心の塊でもあるように思います。
大人も様々な人から刺激され、向上心を持っていけるのだと思うことが出来ました。
(報告者 本多悠里)

話し合い2

以前紹介させていただいた話し合いに進展が見られました。

前回の話し合いでは、「ピクニック派」と「おもちゃもってきほうだい派」がお互いの魅力的な部分をプレゼンし、相対するグループの子の気持ちを動かすというディベート形式に似た話し合いを行いましたが、今回は全員で円になり、一円対話を用いたディスカッションを行いました。

前回の話し合いでほぼ意見がまとまりつつあったためか、今回の話し合いにはそれほど時間を有しませんでした。

比率では圧倒的に「ピクニック派」が多かったのですが、学童生活も残り少なく、どうしても学童におもちゃを持ってきて友達と遊びたいと譲らない子が数人いました。

今回の話し合いは、前回の話し合いを紹介させていただいた際にも書かせていただきましたが、片方のグループが納得をして、全員が1つの案にまとまるまで行おうと考えたため、正直今回の話し合いでもまとまらないかなと思っていたのですが、急に全員の意見がまとまる意外な案が飛び出しました。

それは、「両方の準備をしてきて、ピクニックに出かける前後で持ってきたおもちゃで遊べばいい」という最も中立でお互いの意志を汲んだ案でした。

前回までは、当日の天候次第でその日の準備を変えるところまで話が進んだのですが、その日だけの話し合いで結果を左右していたらこの2グループの意志を汲んだ柔軟な案には至らなかったのではないかと思っています。

冷静に考えれば出るような案でも1回限りの話し合いでは、話し合いがヒートアップすれば出る案も出ません。

これは子どもに限らず大人も同様ですね。

数人の友達と、もしくは1人でも冷静に考え直す時間が必要なのだと気付かせてくれた今回の話し合いでした。

塾長が書かれている臥竜塾ブログの1月27日「話し合いでの役割」に話し合いにおける注意点が書かれています。

「大人が気を付けなければいけないのは、子どもは質問の答えを言うまでに多少の時間がかかることがあるということを承知するということ」とありました。

今回正にその通りの経験ができた気がします。

前回の話し合いと今回の話し合いの合間は1週間以上ありました。

その結果が幸いし、この中立の案が出たのだと思えます。

前回、今回の話し合いは子どもたちにとっても私たち保育者にとっても良い学びとなりました。

今後残り少ない学童での生活であと何回できるかわかりませんが、今回のような有意義な話し合いの機会を時間と日にちにゆとりを持って設けていけたらと思っています。

(投稿者 若林)

大人も模倣

来月私の働く園で、成長展をしようと思っています。そのために、今、自園での話合いがいよいよ始まり、成長展に向けての取り組みが進み始めました。今回は幼稚園での初めての取り組みということもありますし、こういった「発達」といったものを焦点にクローズアップするという取り組みも今までなかったので、みな四苦八苦しながらも、なんとか実現させようと頑張ってくれています。ただ、全員のイメージがわかないので、今回の場合は、自分が新宿せいが保育園にいた頃の写真や今までせいがで実践していたことを基に、一度すべてを「模倣」してみようということにしました。

 

そこで、ここ最近の自分の中での考え方の変化について、きょうは書いていこうと思います。というのも、自分はあまり人の真似をするということが好きではなかったです。というのも、どこかで変な負けず嫌いがあって、真似をすることがどこかで「情けない」というか、それで良いのかと思う自分がいました。今思えば、変なプライドですね。

 

しかし、特に大阪に帰ってきてからはそこがどこか吹っ切れた気がします。というのも、「模倣」ということにたいして、藤森先生に言われたことがありました。ある例を出して、言われたのが「ある人がゴルフを始めました。Aさんは始めるに当たってタイガーウッズの教則本を読みました。Bさんはそんなのより我流で自分にあったフォームを見つけるといって始めました。では、どちらのほうが上達したと思う?正解は当然Aさんだね。まずはしっかりと基礎を身につけるためにモデルを真似ることはとても大切なことだよ。そして、その基本があるからより先に発展できるんだよ。」と言われました。なんとも今までの自分の虚勢が馬鹿のように思えました。そして、その発展へのプロセスは子どもと同じことですね。

 

この言葉もあり、しっかりとまず「模倣」をしていくことが大切だということを改めて感じ、新宿せいが保育園の協力してもらい、成長展を「そのまま」やってみることにしました。「良いものはいい」当然のことですが、それがなかなか認められない自分を見て、恥ずかしくなるばかりです。つい分かった気になって、独自でなにかしようとするときっと主軸から外れてしまうことに繋がったのではないかと今は思います。また、我流でするために考えることをするよりも、模倣をするにあたって「なぜ?この方法なのだろうか?」と考える方がとても学びがありました。そして、活動をするために説明していくことがあるので、そこでまた二度目の学びがありました。これほどまでに「模倣」というものには学びがたくさん隠れているということが実体験をもとにとても実感しました。

 

子どもたちの中にある「模倣からの学び」の瞬間も、きっと似たようなことなのだと思います。ただ、大人と違い、子どもたちはもっと模倣することに純粋で、すぐに取り入れようとします。その姿勢は生きていく中での基礎をその瞬間に作っていく過程だからこそ、純粋にそして、積極的に真似ることをしていくのだとおもいます。大人になるとそこに利害やプライドなどが入り邪魔をするのかもしれません。自分の実体験と子どもたちの真似ることの純粋さを比べると、この小さい時期だからこそ、「真似る」ということが幼少期にいかに大切なのかを改めて感じました。

(投稿者 邨橋智樹)

メンズディスカッション

一昨日は塾長が主張のため、臥竜塾はお休みでした・・・。
先日「GTメンズディスカッション」という企画がありました。
今回で3回目で私は初めての参加でとても楽しみにしていました。
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新宿せいが保育園の長岡先生がファシリテーターとして最初に趣旨を話しました。

「藤森先生の話を聞いて、自分なりに租借して、自分なりの言葉、人生にリンクさせて社会にアウトプットしていく必要があるのでは?だから、このような会を始めたいと思った。」
せっかく保育士になったとしても、職場で男性一人というのは確かに辛いですね。
よく塾長の講演で男性の役割という話しをされますが、

「『男だからダイナミックに遊ぶ』『男だから外でサッカーをする』男だから~と言う人がいますが、おそらく男性より女性の方がダイナミックで逞しいです(笑)
子どもにとっては女性だけの社会はおかしいし、男性だけというのもおかしい。両方いることで意味があります。

例えば子どものくだらない遊びに何度も付き合えるのは男性だけど、女性は付き合えない。それを見守っているのが女性の役割です」と。

長岡先生が言うには全国で見ても男性保育士は5%に過ぎないそうです。
まだまだ女性の職業という印象が強いですね・・・。

さてディスカッションですが、今回は3つの議題を用意しました。

・保育行事のアイディア
・保育における多様性
・男性保育士の将来

の3つです。その中で自分が話しをしたい聞いてみたい議題を選択して、
じっくり話し合います。

私は悩んだ結果「保育行事におけるアイディア」を選びました。
今回はその事を書こうと思いましたが、実は内心「男性保育士の将来」についての話し合いに
参加したかったのです。
と言うのも最近の見学者や先日のGT職域セミナーのグループディスカッションの中で
男性についての話しが出るのです・・・特に給与面・・・。

「実際に男性保育士の給与でやっていけますか?」

と・・・。
まぁしょうがないですね。実際に新宿せいが保育園で男性保育士で現場にいる人は11人もいます。
色々と先生方から話しを聞くと、やはり処遇が低いのですぐ辞めていくそうです・・・。
それに対して新宿せいが保育園は人数も多いので、どうしてか?気になるそうです。
その辺について塾長は

「おそらく一流のサラリーマンに比べると処遇は低いのは当たり前。私の息子は帰りも終電で子どもと遊ぶ時間もないほど忙しいし土日も仕事などて会社に行くこともあります。

それに比べて保育士は定時に帰ろうと思えば帰れるし、行事前以外残業もない。だから何を優先するかだよね。例えばお金を優先するならば自分のプライベートの時間はほとんどない。
自分のプライベートを優先するならばお金は望めないよね…」

確かにその通りかもしれません。私はお陰さまで結婚して子どもにも恵まれました。

平日は定時に上がらせていただき、帰って息子と触れあう時間を持つことができます。
休日も家族3人で楽しく過ごさせてもらっています。それも職場の理解あってこそだと常に感じています。
確かに東京のサラリーマンに比べると低いかもしれませんが、お金で買えない物を日々頂いています。
塾長が言われるように本当に何を優先するかで生活が大きく変わりますね。

ちょっとお金の話しばかりなので、話題を変えましょう(笑)

また塾長はこんなことを常に言われています

「男性保育士は実家が保育園を経営していない限り、自分の将来を不安に感じてしまう。だから私は全国の男性保育士に『夢』を与えたいんだよね…それが我々の臥竜塾でもあるんだよ。

来年度から塾生が年間で講座を開くことで目標にもなるし、それがもっと広がると養成校の講師になれるかもしれないし、園内研修を頼まれるかもしれない。
そうなると夢が広がるよね…だから臥竜塾がもっと発信していく必要があるかもね。」

これを目の前で聞いて、感動して言葉も出ませんでした…。
どうしても、まだまだ保育園は女性の職場という印象が強いあまり男性が定着しません。

おそらく給与の面もあるかもしれませんが、やはり将来を見出だせないでいるのかもしれません。

長岡先生が最後にこんな事を言いました。「僕らが突っ走ることで、世間にアピールして、イメージを変えていく!」
本当にその通りかもしれません。もっともっと私達が色々な事を実践し、それを発信しアピールすることで全国の男性職員に勇気と夢を与えることができたら幸いです…

そして一緒になって実践することができたら、すっごい!!楽しいでしょうね!!!

ちょっと今回の報告はかなり情緒的になってしまいました(笑)

でも本当に一緒に楽しく保育をしていきたいと強く思った今日この頃です…(報告者 山下祐)

節分のあれこれ

先週の2月3日は節分でしたね。皆さんの保育園やご自宅では「豆まき」をしましたか?

もちろん新宿せいがでも毎年その行事は行われています。
ところで、なぜ節分に豆をまくのだろうと思ったことはありませんか?そして、そもそも「節分」とは何かご存知でしょうか?私自身も以前に調べたことがあったので今回は「節分」ついて紹介したいと思います!
「節分」とは本来、「季節を分ける」つまり季節が移り変わる節日を指し、立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日に、1年に4回あったものだったそうです。ところが、日本では立春は1年のはじまりとして、特に大切と考えられていたため、次第に節分といえば春の節分のみを指すようになっていったようです。
立春を1年のはじまりである新年と考えれば、節分は大晦日(おおみそか)にあたります。平安時代の宮中では、大晦日に陰陽師らによって旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな)」の行事が行われていたそうです。室町時代以降は豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展し、民間にも定着していき現在に至ったそうです。
「豆まき」とは、一年の災いを払うための厄落としとして「豆まき」が行事として行われています。つまり、豆とは「魔滅(まめ)」という意味でまかれていたそうです。
そして、豆まきはその年の歳男、又は一家の主人が「福は内、鬼は外」と言いながら煎った大豆をまき、みんな自分の年の数だけ豆を食べるとこれから1年病気にならないと言われています。しかし、場所によっては「鬼は外」と言わないことがあるそうです。
・川崎市の千蔵寺では本尊が厄神鬼王(やくじんきおう)という鬼面の神様なので「鬼は内」と鬼を暗くした堂内に呼び込み、住職が鬼たちに説教をして、悪い鬼は改心させ社会復帰させるという言われがあるそうです。 ・埼玉県の武蔵嵐山の鬼鎮神社(きじんじんじゃ)でも平安末期に畠山重忠の館・菅谷館の鬼門を守るために作られた神社で、鬼が御祭神であるため鬼が邪気から人々を守ってくれるということになっており、江戸時代ころから鬼が豆をまいて厄払いをするようになったそうです。口上は「鬼は内、福も内、悪魔外」と言うそうです。 地方や、鬼との関係で必ずしも「福は内・鬼は外」ではないところもあるみたいです。
 
さて家庭で豆まきをする時は誰が鬼役をしてますか?
だいたいは父親が鬼役をして子どもが豆をまくと思いますが、実は父親は鬼役をしてはいけないそうです。
これは塾長の講演でもよく出る話しですが、テレビでこんな実験をしていました。
豆まきをする前に子ども達に世界で一番強いのは誰か?という質問をすると、だいたいの子どもは
「ウルトラマン」「仮面ライダー」と答えるそうです。
そして、いざ節分が始まり目の前に鬼が現れたとき、子どもはどういう行動をするかと言うと、
逃げて父親、母親にしがみつくと思います。実際に保育園でも先生にしがみついている子どもがたくさんいました(笑)
その時に父親が鬼に向かって豆を撒いて鬼を退治したあとに、
もう一度子どもに「世界で一番強いのは??」と同じ質問をすると・・・。
ほとんど子どもが「お父さん」と答える結果になったのです。
確かに子ども達はテレビの影響で戦隊ものやウルトラマン、仮面ライダーなどが一番強いと思っていても、
いざ自分に危機に迫った時に目の前で助けてくれる存在を実際に見ることで考えが急に変わります。
そんな実験を踏まえた上で鬼役は父親がやってはいけないのです。
 
新宿せいが保育園でも鬼が来て、先ほども書きましたが先生にしがみついて泣いている子どもがたくさんいました。
ただ鬼役はもちろん外部の人に頼んでいます。子ども達も「○○先生でしょ?」と疑っているので、
毎年、近くのGT園の園長先生にお願いをし、その保育園の男性保育士にお願いしています。
ですので、保育園の男性職員は鬼をやらないようにしています。
ちなみにクリスマスのサンクロースも同様で、外部の人に頼んでいます。
 
さて、リアル豆まきの話しに戻りましょう。
子ども達が鬼の登場で部屋中が泣き叫び、豆が部屋中に散らかってカオスな状態・・・
そんな時に保育園で一番強い人と言えば・・・そうです「園長先生」です!!
塾長がお部屋に登場し、鬼に豆をぶつけて鬼を退治したのです!!
すると子ども達からでた言葉は
「園長先生!すげぇ!」
「園長先生、カッコいい!」
「園長先生が保育園で一番強いんだっ!!」
とほとんどの子どもが口を揃えて言っていました・・・。
 
よく「子ども達が戦いごっこをしてしまう・・・」という質問を多く受けます。
それに対して塾長が言うには
「一日の大半を保育園で過ごしているのに30分のテレビに影響されてしまうのは、
もっと保育園で遊びを提案しないからではないですか?
子どもは細い棒を作るという発達があります。それを釣竿にしたり、魔法の杖にしたり戦いごっこではない遊びにつなげる言葉がけや提案をしたらいいのでは」
確かにそうですね。そういう意味で節分は子ども達の頭の中の「強い人」というイメージを変えるには、
とてもいい機会かもしれません。
節分は行事なので、毎年行事食を作っています。何年も続けて同じメニューになっていますが、子どもたちも毎年良く食べてくれていますし、秘かに味も年々向上していっています!笑
あと節分を見ていて思ったことは、この日だけは職員のミラーニューロンは萎縮しているのかもしれません。
子どもをわざと鬼に近づけ、怖がらせ、泣かせています・・・。
これは・・・どう捉えたらいいのでしょうか(笑) (投稿者 柿崎)
鬼ライス、スープ、大根と白菜のゆかり和え、大豆の揚げ煮、オレンジ

鬼ライス、スープ、大根と白菜のゆかり和え、大豆の揚げ煮、オレンジ

表現の幅

人は、各々様々な趣向で相手に、自分の思いを伝えようと表現していると思います。言葉であったり、顔の表情であったり、沈黙であったり、行動であったり…。その趣向を変えていくことで、表現の幅が広がったり、多様な視点を身につけたりすることもあるかと思います。

ということで今回は、少々考えすぎてしまうところがある私が、子どもたちを見て素直に感じたことを、普段とは違った(肩の力を抜いた)形で表現してみたいと思います。

 

 

『ひととき』

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霜柱に触れた手は冷たくて

遊ぶ意欲を失いかけた時

陽の光に照らされている壁に気がつきました

そこに触れてみれば

凍った手も顔も心も溶かされて

「ねぇ、もっと集めよう!」と…

小さな発見が

大きな喜びに変わる

そんな ひととき

陽と壁と子どもの力に

感謝するのです

 

 

『その前』

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物事が起こるには

必ずその前があります

鬼ごっこの前にも

こんな光景がひそかにあります

追いかけたり 逃げたりするだけが

鬼ごっこではなく

この時間も

鬼ごっこなのだと思います

 

 

『子ども色の眼鏡』

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「みて、シンバルだよ〜!」

そんな時

きみたちの瞳には

子ども色の眼鏡が

かけられているのだと感じます

そうでなければ

いったいこれを

どう見れば

シンバルとするのでしょう

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いつの日か

その眼鏡をかけてみたい

そう思うのが

素直な気持ちです

 

私たちは、子どもから多くのことを学び、多くのことを感じています。大人と子どもに関係なく、一人の人が一人の人に何かを与える。子どもと大人の間に、人としての垣根がないように、それが、人としての捉え方なんだと感じています。そんな思いも、表現していきたいと思います。

(報告者 小松崎高司)