理念をもつということ

先日、私の今いる地域の私立幼稚園の先生方が参加するプロジェクトに参加させていただきました。そこでの話は、今後こども園になるにあたって、乳児(0~2才)までを預かるようになり、その幅広い年齢の子どもたちを受けるために保育を改めて考えていくというプロジェクト内容でした。

乳児を預かるということは幼稚園にとっては未知の世界です。当然、それぞれの先生方は不安があり、それぞれの保育をどう組み立てていけば良いのかに迷いがあるように感じました。その中に私は入っているのですが、やはり私は保育園につとめる年数の方がおおかったので、それほど悩むことはなく、むしろ年齢層が増えることは子どもたちにとってメリットの方が多いのではないかと思う方です。

そんな中ではじまったプロジェクト。始めにあらかじめ事前にとった自園や他園のアンケートを見ることから始まります。1.「登園時間や在園時間の長短がことなる子どもたちの保育における良いこと・悪いこと」2.「3才未満児の保育になるに当たって良いこと・心配なこと」、3.「幼稚園教諭以外の職種、資格保持者との協働の良いところ・悪いところ」これらの三つのアンケートを自園で事前に実施し、それを持ち合い、統計をとったのを発表するというものでした。やはり幼稚園で働く職員の方がほとんどなので、正直な意見がかなり多くありました。

それぞれのアンケートにおいては、1つめの項目では「遊ぶ時間が増えることで保育に余裕がでる」「関わる時間が増えることでコミュニケーション能力がいまよりももっと深まる」という良い意見もあれば、「登園時間が長くなる子や短くなる子でカリキュラムが変わってくる。そのため、習熟度に差ができるのではないか」といったことや「長い時間子どもを預けるのはかわいそうではないか」といった意見もありました。

2つ目の項目では「異年齢の関わりが増えることで年長児は自分の成長を感じ、自覚するようになる」といったことや「様々な年代と関わり、コミュニケーションをとることが成長に繋がる」といったことがありました。短所では「職員が乳児への配慮ができるかが不安」「言葉が伝わらないのでコミュニケーションをどうとって良いかが分からない」というものから「おむつを替えるのができない」というものまでありました。それが正直な意見なのかもしれません。

3つめのことは「いろんな職種の人と出会うことで、自分の知識が深まる」ということや「専門的な人がいることで安心して判断できる」といったこと、短所で言えば「職種が違う分、意見の相違がありそう」「連携がうまくとれるか心配」「価値観が合わないのではないか」という不安もありました。

また、ある先生は「土曜日も出勤しなければいけないのは嫌だ」や「夏休みがなくなるのは嫌だ」といったお決まりの意見なんかもありました。

自分自身の感想としてはこういった意見は実に正直な所だと思います。また、幼稚園という文化だけではそういった考えになるのも仕方の無いことなのかもしれません。なにごとにおいても変化をすることにおいては不安がつきものなのも納得できることであると思います。しかし、まず、改めて「理念」や「理想」、「保育観」といったものをもう一度見直すことも必要なのかもしれないと思いました。以前、ドイツ研修に行かせていただいたときも、オランダ研修に行ったときにも、どちらでも、子どもたちをどういった目的で、社会に送り出すかという理想は一本化していたように思います。そして、保育というものに真正面から向き合っていたように思います。もちろん、国や社会の施策もあり、地位が確立されているからより集中できるという要素もあるのかもしれませんが、どこかで保育観というものの目的がはっきりしていた印象があります。

藤森先生のブログの「改革と存続」の中で「それぞれの組織には、不易ともいうべき理念があります。もちろん、それは絶対に変えてはいけないのではなく、その理念を掲げた思いを変えてはいけないのであって、その具体的行動は、時代によって変化をしていくものです。」という言葉がありました。

時代によって、保育も変わってくることがあって当然であると思います。しかし、その中心となる理念や理想は変えてはいけないということですが、今、その理念が揺らいでいることが多いように思います。そして、それらが園独自になっていたり、それぞれの働いている職員においてもバラバラであることも多いように思います。

この会で私はアンケートの中であった一人の意見を採り上げました。その人は「看護師と働くに当たって、保育観や理念を一緒にしていかなければいけない」という意見でした。しかし、「理念」という言葉をあげた人は185人のアンケートの中、この方しかいなかったです。改めて、そういった意見を持つことや発信していくこと、時代によって、「変わるべきもの」と「変化してはいけないこと」を見極めて、洞察していくことの大切さを感じました。

(投稿者 邨橋智樹)

そこにあるもので応用する

 先日、ルールが生まれた瞬間に立ち会いました。
 
 最近、子どもたちはドッジボールをよくしています。2チームに分けるのも、誰かが「並んで〜」といってまず一列に並びます。次に、先頭の子の好きな単語2種類をみんなに伝えます。例えば「じゃあ、今日はタコとイカね。」というと、先頭から順に「タコ、イカ、タコ、イカ、タコ…」と最後の子どもまで言い終わると、タコチームとイカチームの出来上がりです。毎日、その単語が変わるのが面白いです。2チームに分かれたら試合開始です。しかし、下の写真のように園庭には線がありません。両者を分け隔てる重要な中央線がないのです。どうするのかなと観察していると、なんとそのまま試合が始まりました。大人だったら、まず線を書くでしょうね。しかし、子どもたちはというと、見事なまでに見えない線をなんとなく意識しながらも楽しそうに遊んでいるのです。たまに、相手チームの陣地に入りすぎる子どももいましたが、それでトラブルにはなりませんでした。
ドッジボールの様子
ドッジボールの様子
 数日間は、そのような遊び方でドッジボールは行われていました。スコップやシャベルを並べれば直線ができるという一隅のヒントを与えようとしていたある日、いつもと同じように試合をしていると一人の子どもが「あ、いいこと考えた!」といって、園庭にある落ち葉を集めてきました。そして、それを一列に並べ始めたのです。他の子も「いいね〜」と言わんばかりの表情で、その作業を手伝い、葉っぱによる中央線が出来上がりました。
 
ルールが生まれた時
ルールが生まれた時
 
 私が考えていた線よりも、実にスマートで合理的な線ですね。(笑)
 
 私が注目したのは、「あ、いいこと考えた!」と言った子どもは、何を思っていたのかということです。私が推測するに、相手が自分の陣地に入りすぎているのをずっと気にしていたのではないでしょうか。誰かが小さな疑問を抱いたとき、ルールは生まれるのかもしれません。そして、園庭にあるもの・そこにあるもので応用して線(ルール)を作り上げた子どもたちの“生きる力”に触れることができました。
IMG_0349
試合再開!
 
 子どもたちは、日々このような経験を繰り返しています。
 
(報告者 小松崎高司)

新宿せいが保育園の研修とは!

おたのしみ会(発表会)が終わり、今年最後の大きな行事が終わりました。
今回は妻に無理を言って、久しぶりに打ち上げに参加しました。
もちろん、息子をお風呂に入れて、食事を済まして、寝かしつけてからの参加なので、
お店に着いた時には、皆さんイイ感じでした(笑)
私がお店に入った時に、保育を終えた先生(先輩男性保育士)もちょうどお店に着いたようで、
自然とテーブルに座りました。
先輩と久しぶりに杯を交わし、保育の話しや今回のお楽しみ会の話しなど、
たくさん話すことができ、とても有意義な時間を過ごす事ができました。
妻に感謝です・・・。
その先輩との話の中で、とても重要なキーワードを聞く事が出来ました。
最近、見学者の案内をしている時に質問を受ける中で、徐々に多くなってきたのが、
「チームワーク」についてです。
どうも多くの園でチームワークに悩んでいるそうで、
中でも先輩と後輩の関係や、後輩への指導です。
私が今回の打ち上げで印象に残った言葉の中でいくつかあり、その一つが、
「毎日が必死だよ~(笑)」です。
笑いながら先輩は言われましたが、私にはとても衝撃を受けたというか、
私も8年目にして後輩が入ることで必死なのに、
先輩はそれ以上のプレッシャーを感じ、いかに自分のポジションを探すか必死だそうです。
そこで私が感じたのは、先輩の役割はいかに後輩ポジションを作るか?だと感じました。
長く務めていると自分の居場所、ポジションと言うのは、
自然と固定されてくると思います。そこに後輩が入ってくると、
自分の存在意義を示すかのように振る舞ったり、指導したり・・・。
以前、その先輩が言われた言葉で
「後輩から学ぶことが多くあります」
と言われたそうです。これは塾長の最近の講演でも聞きますね。
実際に私もこの一年で後輩から多くの事を学びました。
塾長のブログで江戸時代の教育について多く連載している中で「学び合い」という言葉が出てきたと思います。
先輩が一方的に教える関係でなく、お互いに「学び合う」という姿勢が大切であり、
良いチームワークが生まれると思います。
そんな中で今回の「お楽しみ会」という大きな行事を通して、
改めて先輩が言われたのは・・・

「行事は研修だね!!」

です。これも以前、塾長の講演の中でも出てきました。
見学者から「研修はどのように行っていますか?」という質問を多く受けます。
全く研修をしていないわけではありませんが、
これと言った決まった研修はありません・・・しかし自然と職員の共通理解が出来ているのは、どうしてか??
おそらく私たちは行事という研修を通してお互いの考え方、保育、そしてチームワークを学んでいるのかもしれません。
更に行事の準備を進めるうえで、失敗や問題が起きると思います。
その時にも
「失敗が楽しい(笑)」
と先輩は言いました。普通失敗を起きないように準備を進めますし、
失敗を基本的にいやがると思いますが、先輩は失敗がむしろ楽しいというのです。
おそらく失敗や問題が起きると確かに大変です。
しかし起きてしまった事をとやかく悔やんでも取り戻せないので、それならば楽しんじゃえ!!
という精神でしょうか(笑)
ただ、これに関して塾長の奥様の名言があります。
以前、塾長と出張に行った際に私のミスで大きな事件を起こしてしまいました。
私はとても凹んでしまい、どうしようもない状況の時に、
奥様が塾長に送ったメールは
「良かったじゃない!刺されなくて・・・」
という文章です。
私にも同じようなメールをいただきました。
問題が起きた時に反省も大切ですが、
それよりも、その状況をどのようにして解決していくか?
そのプロセスが大切で、それが自分たちを成長させてくれるという事かもしれません。
他にも先輩からたくさんの言葉をいただきましたが、
今回はこの三つを紹介させていただきました。
やはりチームワークの良し悪しはベテランが鍵を握っていますね・・・(投稿者 山下祐)

興味を強くする

保育園の装飾もクリスマス一色になってきましたね。

そんな雰囲気に触発されてか、最近、以上児のクラスや学童で保育に入ると、わりばしと毛糸を使ったオーナメントを一緒に作っています。わりばしを半分に折り、それを輪ゴムで十字に固定して、その周りを毛糸で順番にグルグル巻いていくというものなのですが、うまくできるととてもかわいいオーナメントになります。

 

ただ少しコツがあるのと、可愛いものを作るには途中で、毛糸の色を変えるために、毛糸同士を結ばなくてはなりません。そんな難しさがあるため、やり方を伝えるのにも少し時間がかかり、作っているゾーンはなかなかの人だかりができます。

人だかりができると、それを見てとりあえず集まってくる子、その子達に説明してくれる子などそういった関わりも見ているのも楽しみの一つなのですが、順番に教えてあげるねと話しながら、やっていると子どもたちの中で自然と順番を作りそれまで別の遊びをして待っていたりするのは、さすがだなと感じます。

 

一緒に作るのが、2回目、3回目となるにつれて、子どもたちの中に教えてくれる子が出てきて、その順番待ちに変化があります。今回のオーナメントは難しいところが多いので、なかなかそういった子は出てこないのかなと思いきや、子どもたちの興味はすごいですね。

上手な子に話を聞いてみると、1回目をやった後に、家で40個も作ったからもう一人で、できるし教えることもできるというのです。

 

教えてくれる子ができて、少し余裕ができそうかなという時に、私はその子たちに任せて少し離れてみることにしました。教える人が減った分、また少し混みだすのですが、その流れを見ながらあることを感じました。

 

それは、「待つことによって興味が強くなるということ」です。

 

例えば、外食をする時、有名なお店やおいしい料理を食べためによく並びますが、その並びがまたその味を更に良いもの感じさせているような気がします。遊びや興味においても同じようなところがあるのではないかと思います。

 

そして、どこまで本当かわかりませんが、食事をとるのに並んでまで食べるのは日本人くらいだというのを聞いたことがあります。これは、日本人の一つの特徴なのでしょう。遊びにおいても同じことが言えるとしたら、日本人は世界一いろんなものに興味を持ちやすい人種ともいえるのではないでしょうか。

 

オーナメント作りはまだまだ続きそうなので、しばらく様子を見ていきたいと思います。

(報告者 西田)

実習日誌④

 先日、私がいるクラスに入った実習生が、〈反省・考察〉の欄にこのような感想を記述していました。
 
 『今日は、保育者として充分に考えてから行動するように心がけた。帰りの会のとき、男の子同士の間でケンカが発生したが、近くに居たにもかかわらず、私はどこまで見守れば良いのか分からずケンカを止めることができなかった。子どもに対しての援助は加減が難しく、まだまだ先生方の観察が足りないと思った。』
 
 みなさんだったら、どう返答するでしょうか。
 
 私は一瞬悩みましたが、前回感じた「共感」の大切さとあの言葉を思い出し、こう記入しました。
 
 「“どこまで見守れば良いのか”は私たちも日々考えています。そして悩んでいます。しかし、その悩む過程にこそ保育者としての資質や楽しさがあると思います。その子は今どんな気持ちなのか、言葉で相手に伝えるのが難しいのか、どうすれば自ら手を出さなくなるのか、笑って楽しく過ごすためには何が必要か等、その子と十分に関わった後、理解しようとしています。“どこまで”見守るかより、共に生活し、関わっている中から“どこで引けばよいか”といった〈引き際〉を考えてみると、また違った形で子どもを見守ることができると思います。」
 
 これらの言葉の裏には、自分が言われて嬉しかったこと・塾長だったらどう答えるだろうと考えることの3つを大切にしました。また、〈引き際〉の話は、同じ塾生の邨橋氏が以前どこかで話した内容を使わせて頂きました。なぜ私がその話を知っているのかというと、塾長が嬉しそうに他の塾生に伝えてくれたからです。
 
 自分が普段している保育をそのまま言葉にする・伝えるという過程は、よく考えてみるとなかなか難しいものがあります。ましてや、相手が理解しやすく且つ希望の光が見えて明日からの保育が楽しくなるような言葉がけというのは簡単ではありません。そんな時は、自分が共感できた話や尊敬している人の言葉で印象に残っているものを選び伝えるといったやり方をするようにしています。例えそれが生意気そうに映ったとしても、その言葉の姿は実際にできているのかより“何を目指しているか”が重要な気がします。私自身、「見守る保育」ができているのか正直分かりません。ただ、それを“目指している”ことは断言できます。また、このように自分なりの発見や答えを伝えることで、自分の背筋がピンっとなる感覚を覚えるのです。
 
 そして、その実習生が〈自由記入欄〉にこんな言葉を残していました。
 
 『短い期間だったが、わいらんすい組のみんなが名残惜しくて仕方がありません。』
 
 この言葉から、この実習生は十分に子どもと関わり、保育の“楽しさ”を体験することができたのではないかと感じます。実習最大の目的とは何でしょう。現場の大変さを探すことでしょうか。それとも、指導職員に厳しく注意されることでしょうか。私は「保育の楽しさや素晴らしさを感じること」だと思っています。
 
 実習生であった私の実習日誌の最後〈実習を終えて(実習生の感想)〉の欄には、こう書かれてあります。
 
 「子どもの本質は、日々の“驚き”と“挑戦”と“感動”にあると感じました。目に止まった環境に驚き、自分でやりたいと挑戦し、できたことに感動するといったように数多くの様々な経験をすることで自分や他者、そして社会を知っていくのだと思いました。そのような経験を、思いたったらすぐにできる環境を用意している貴園で実習できたことにとても感謝しております。」
 
 この実習で、“保育の素晴らしさ”を体験し、自分なりの答えを出したのだと思います。そして、そういった思いを感じさせてくれたその園に、今、私はいます。〈実習指導者所見〉欄に記入してくれた先生たちと、今、一緒に働いています。実習で何を学ぶかは、実習でどんな人たちと出会うかが大きく影響しているのかもしれません。
 
(報告者 小松崎高司)

気づき

以前に職場の同期と話をしている時に先輩が教えてくれたことについて話す機会がありました。

様々なことを教えて頂いた中から、先輩がこんなことをして子どもに気づいてほしいという意図がある行動を思い出しました。
その一つを紹介したいと思います。
うちの保育園はご飯を食べ終わった後に食器を下膳します。お茶碗、お椀、おかず皿、コップをカゴに入れていきます。当然、人数が多いのでそれぞれの食器が多く重なっていきます。
大体それぞれの食器が2棟ずつくらいになるのが普通です。ですが子どもが置いていくと片方に偏り高く積み上がっていくことが多いです。あと1人積み上げたら倒れるのでは?と思うくらい積み上がる時もあります。それは大体大人が直し、平均的に置かれるようにすることがあります。
下膳の場所

下膳の場所

そこである日、下膳の時間にある先輩が何かの用事で違うクラスから通りました。なにかゴソゴソっと動いて去っていったなぁと思いました。
「ん?」と思い、何をしたのかをよく見てみると下膳食器のお椀の部分をわざと高く積み上げて去っていったのです。
なぜかはみなさんもすぐわかると思いますが、子どもたち自身がそれに気づき、整えてもらうことを意図していたようです。
この些細なことですが、遊び心のようなものと子どもたち自身の気づきにも繋がる行動に驚きました。
これに気づくことは共に共同生活をしていく上で人を思いやる気持ちや、物を大切にする気持ち、整理整頓をすることに繋がっていくと思います。
こういった些細なことを繰り返し繰り返し子どもたち自らが気づける環境を用意していくことの大切さを先輩の行動から感じることができました。
またこういった楽しいやり方をしてくれると自分もそういったやり方をしてみたいと思えます。
(報告者 本多悠里)

世代間交流6

高齢者と子どもの世代間交流を考える上でその交流を企画する保育者や介護者など援助者が必要となります。

世代間交流は、主役に据える高齢者と子どもの双方向の交流として捉えるのではなく、高齢者と子どもとの交流を企画する世代の三方向の交流として捉える必要もあるようです。

つまり、世代間交流を意図的に行うとき、二世代間の交流ではなく三世代間交流になるのです。

例えば、保育場面において世代間交流を企画した場合に、子どもと高齢者の関わり以外に保育者と高齢者、子どもと保育者の三世代方向の交流になります。

保育者がどの様な高齢者観を持っているのか、また子どもと高齢者の交流に参加することによって、その高齢者観はどう変化するのかもこの交流の醍醐味なのかもしれません。

また、高齢者においても子どもとの世代間交流場面において、援助者である保育者や介護者との関わりにおいても様々な刺激を受けるのではないでしょうか。

それぞれの世代の発達を考慮し交流プログラムを組んでいく専門家の世代間交流コーディネーターを養成しようと特定非営利活動法人日本世代間交流協会が行っているそうです。

ここまで書き進めておきながら、書くにあたって参考にさせていただいている本の紹介を忘れていました。

世代間交流について今回で6回目の投稿となりますが、幼老統合ケア研究会代表の多湖光宗さん監修で2006年初版発行の『幼老統合ケア』という本を参考に学んだことを書かせていただいています。

その本に世代間交流コーディネーターについて多湖光宗さんの考えが書いてありました。

それは「交流の主役となる高齢者と子どものほかに、高齢者と子どもを直接ケアする者と交流のコーディネーターが揃うことにより充実した交流を行える」です。

コーディネーターが企画する交流プログラムに高齢者、子ども、直接ケアする者が参加することにより効果的に行えるという考え方です。

保育者と介護者は交流の企画をするにあたり、交流すること自体が目的になってしまうことを解消することが期待されるとあります。

コーディネーター的な存在により保育者は子どもがいかに交流に取り組めるかを中心に考え、介護者は高齢者がいかに交流に取り組めるかを中心に行動できるということですね。

世代間交流援助者であるコーディネーターの存在は効果的に世代間交流を行うために有効であると思えました。

また、世代間交流コーディネーターによって企画される子どもと高齢者の交流を直に見て、体験してみたい気持ちにもなります。

私はこの本を通して世代間交流コーディネーターの存在を知りました。

改めて世の中には、私の知らないこと、知らない存在がまだまだたくさんあることに気付かされます。

その中に子どもの健全で豊かな育ちに必要となってくるものがあることでしょう。

それに気付いていくためにも多岐方面に渡って、アンテナを張り巡らせ、自分の好奇心にも嘘を付かず、11つの出会いを大切にしていきたいと思えました。

(投稿者 若林)

仕事・職場・遊び心

私の保育園では12月の終わりに生活発表会があります。今年から実際に保育が変わり、その一年目の発表会です。そして、今年から新宿せいが保育園の発表会を参考にして、できるだけ子どもたちの発達に近いことをしていきたいと思っています。

 

その中で、いかに先生たちにその趣旨を伝えていくか、考えていくかを伝えることはとても難しいことです。以前からの保育の様式があればあるほど、その趣旨からずれることもしばしばあります。そのズレをどう考えるか、伝えるかは毎回悩むことがあります。

 

あまり、積極的に言い過ぎると、周りの先生方は考えるのをやめて、言われるがままやってしまうことなります。その反面、言わないでいるとドンドン理念や目的からずれてきます。そんな中、新宿せいが保育園の発表会を見に行くことになり、その中で一つのキーワードを見つけることになりました。それが先日柿崎先生のアップした内容「先輩のフォロー力」でした。そして、その事柄はいわゆる「保育園の文化」であり、「雰囲気」に繋がっているように思います。藤森園長先生始め、ベテランの先生方の雰囲気が保育園の文化そのものに影響があるということが行事を見ている中で見えてきました。そして、それらはその園の文化の中で育つ新人職員やそのほかの職員に伝染していきます。チーム力が高まると、それぞれの立ち回り、役割を自分の中で解釈し動き始めます。チームワークを作る中でどういった役割を担い、チームがいかに円滑かつ、効率よく動くことができるかをそれぞれの先生方が考えている姿から見て学ぶことは多くありました。

 

実際、自園に帰り、園内で発表会のビデオを見て、あるベテランの先生と話す機会がありました。その先生の感想は「みんなが楽しそうにやっている姿が印象的ですね。そして、普段の保育がどうやっているかがとてもよく分かる」と言っていました。最近、よく思うのですが、「行事の為に保育をするのではなく、保育を進めていく上で行事がある」ということを思うことがあります。新宿せいが保育園の発表会の始めに藤森先生は散歩でそのことを例えていました。そこでは「散歩も目的地にいくことが大切なのではなく、散歩に行く過程が大切です。だから、行事でも行事ではなく、普段の保育が大事です」ということをおっしゃられていました。それを踏まえ自園の予行を見ているとたくさんのことが見えてきます。いくら発表会の為にとはいえ、私たちの仕事は「保育」であり、「保育の業務」をこなすことが仕事ではない。ということを最近は常々思うことが多いです。

 

そのベテランの先生はこうも言っていました。「私たちはまじめに取り組み過ぎて、楽しむことを忘れていたかもしれないですね。新宿せいが保育園のように遊び心は必要ですね。」とも言っていました。まじめに取り組むことはとても大切なことです。しかし、仏頂面ではやはり子どもたちは楽しむことができません。先生も一緒になって楽しむことももっと追求してもいいのではないでしょうか。それは結果として、子どもたちも楽しく取り組むだけでなく、自然な形でいろんなことを学んでいきます。この言葉が自園の先生が言い始めたことに何とも言えないうれしさを感じながら、思えば新宿せいが保育園でもこの「遊び心」というものはとても大切にしているのを思い出しました。しかも、それが行事の中で見えていることにその奥深さや大切さ、普段の保育から遊び心をもって取り組んでいるからこそ、行事でにじみ出ているということも分かります。

 

そう考えると「遊び心」というのは「保育士の専門性」の一つなのかもしれません。

それぞれの先生の持てる能力を出せる環境や「遊び心」が出せる保育園環境を目指していくことは大切ですね。

(投稿者 邨橋智樹)

実習日誌③

 私の実習3日目は、1歳児クラスに入りました。
 
 「1歳児の生活の様子を観察し、発達段階を理解する」という目標のもと、1日子どもと関わって抱いた感想がこちらです。
 
 『今日、感じたキーワードは“言葉”です。個人差もありますが、月齢が高い子は「おしっこ」と自分の口で言えたり、保育者や友だちに対しても言葉での関わりの多さに驚きました。発達段階も言葉がでてくることによって高くなり、言葉の数が多い子ほど、友だちとの関わりを楽しんでいる所があると感じました。なかには、自分の気持ちを言葉で伝えようとしているのになかなかその言葉がでてこない子もいると思います。そんな時に保育者が、その子の気持ちを言葉で伝えることで、「あ、こういう時はそう言えばいいのか」と自然に言葉を覚えるきっかけになると思うので、この時期の保育者の“言葉”は発達上とても重要になると学びました。』
 
 まだ、発達を段階的に捉えていたり、言葉以外にも子ども同士は関わり合っていることには気がついていないようですね。しかし、発達を一番分かりやすい「言葉」の面から観察したことにより『明日は、子どもの気持ちを汲み取れるように、「おしっこ?」「おかわり?」「青いおもちゃがいいの?」「うれしいよね」「気持ちいいね」などと様々な声かけをし、発語を意識したコミュニケーションをしたいと考えています。』とも書かれており、その時期の発達(発語)を促す環境として“保育者の言葉”に注目してみようとする様子もありました。
 
 塾長の「臥竜塾」ブログには、『「共感」というのは、とても大切なことであり、子どもたちの「フロー」という状態に対しても、「共感」が必要になります。子どもと一緒になって、常に今起きていること、子どもが現在直面していることに、一緒になって興味・感心を示すことが必要です。他人がどう感じているかを察する能力は、子育てや教育だけでなく、セールスや経営や恋愛、あるいは気配りから政治的行動にいたるまで、人生のありとあらゆる場面で必要になるとゴールマンは言います。』と書かれてあります。
 
 今思い返してみると、実習園の保育者が発していた言葉とは、すべてが子どもに対する「共感」の言葉であったと感じます。そうすることで、「他人がどう感じているかを察する能力」を促し、生きていく上で必要な「共感」を育もうとしていたのだと理解しました。
 
 その日の〈実習指導者所見〉欄には、こう書かれてあります。
 
 『実習お疲れさまでした。1歳児クラスでも月齢差が大きく、体の大きさや言葉がたくさん出ている子や、まだ喃語しか出していない子と様々ですね。なので、自分の気持ちを言葉で伝えられず、つい手が出てしまう子もいます。その都度、私たちはその子の前後の行動、気持ちを理解し「こうしたかったんだよね」などの声かけをしています。言葉で伝えるというのはとても重要なことだと私も思います。私も子どもの気持ちを汲み取ることを難しく思っています。小松崎さんも、子どもの気持ちを汲み取れるよう頑張って下さい。』
 
 この園の保育士は、実習生に対しても「共感」を実践しています。また、保育士になったとしても必ず子どもの気持ちを理解できるということではなく、現場の職員も日々悩んでいる、その過程を一緒に共有・共感し合って学んでいきましょうといったメッセージが込められているのでは、と感じました。子どもと関わる同じ“人”として見てくれている感じがして何だが嬉しかったです。
 
(報告者 小松崎高司)

保護者同士のつながり

先日、学童クラブにいた時に驚かされる出来事がありました。

 

学童クラブでは学校から帰ってきてから、宿題をやったり、遊んだりしながら降所予定の時間になったら自宅へ帰ります。降所は、明るいうちは一人で家まで帰る子が多いのですが、外が暗くなる時間帯はお迎えのみの降所となっています。

また、習い事をやっている子もいて、一時的に学童クラブから出て、また学童クラブに帰ってくることもできます。

最近少し困っているのが、この習い事がなかなか終わらず、学童クラブに戻ってくるのが遅くなると、一人で帰る予定だった子が、暗くなってしまい帰れない時間になってしまうことがあります。

 

この間も、習い事に行った子が教えてもらうことが多かったのか戻ってくるのが遅くなり、学童に来た時には外が暗くなり始めていました。まだ、一人で帰っても大丈夫な時間ではあったのですが、その子は「暗くなり始めているから、一人で帰るのは怖い」と帰れませんでした。保護者に連絡を取り、お迎えに来れるかを確認したのですが、連絡がつかず、学童でしばらく待つことになりました。

 

そんないつもと違う様子に、他の子をお迎えに来た保護者が、「どうしたんですか?」と事情を聞いてくれました。そして、「良かったらお家を知っているので、一緒に送っていきましょうか?」と声をかけてくれました。

その子の保護者と連絡が取れていなかったので、とりあえず連絡が取れてからとお話ししたのですが、その後、また他の子を迎えに来た保護者も「どうしたんですか?」「よかったら送っていきましょうか?」。また別の保護者も「送っていきましょうか」と声をかけてくれました。私の記憶する限り、声をかけてくれたどの保護者の家も、それほどその子のうちから近くはないのですが、保護者同士のつながりの深さに驚かされました。

 

そこで感じたのが、実は「帰るのが遅くなっている子」も、「声をかけてくれた保護者」も、保育園から学童に上がってきた家庭で、保育園と家庭がいい関係を築くことができれば、自然と保護者同士もよい関係になるのではと感じました。

良い保育をすることそれは周りにも影響がでるものなのですね。

 

(報告者 西田)