落ち葉

3,4,5歳児クラスのお散歩で面白いこと出来事がありました。

 

新宿せいが保育園では毎週水曜に近くの小学校の校庭を借りて遊ぶイベントがあります。

校庭が使えるのは、9時半までで、そこから子ども達は再び室内遊びと外遊びを選択します。室内を選んだ子は園に戻り、外遊びを選んだ子はさらに、11時半過ぎまでとたっぷり外で遊べます。

 

その日はちょうど水曜日で、校庭の後の外遊びは、最近できたばかりの公園に行きました。そこはとても広く、また日が出ている時はごろんと横になりたくなるくらい気持ちのいい芝生が生えている公園で、子ども達は、ほどよい日差しを浴びながら、ボール遊びをしたり、かけっこをしたり、ムシさがしをしたりと思い思いに遊んでいました。

 

私も、なんとなくいすに腰掛けながら、子どもたちの様子を見ていたのですが、ある子どもたちのグループが目に留まりました。そのグループは、芝生の上に落ち始めているたくさんの落ち葉をせっせと拾ってきては、一か所に集めながら何か話していました。

 

少し離れていたので良く聞こえないところもあったのですが、

「もっと集めてきて」「後でお店屋さんを・・・」と、何やらごっこ遊びをする準備をしているようでした。

楽しそうだなと思って見ていると、公園の手入れをしてくれているおじさんたちが、芝生に落ちている葉っぱの掃除にやってきました。

 

おじさんたちが熊手で芝に落ちている葉っぱをきれいにしてくれている横で、かすめ取るように葉っぱを集めていく子ども達。

私はそれを見ながら、「おじさんたち掃除しにくいかな~」と思っていると、

 

おじさんが「遊ぶのはいいけど、ちゃんと持って帰っててよ」と一言。

 

そんなことを言われて、子どもたちはどうするのかと見ていると。

一人の子が「どうする?持ってってだって。」

突然の声掛けにしばらく止まる子どもたちでしたが、その後が輪になり、相談を始めていました。しばらくすると、パッと散らばってまた葉っぱを集めだしました。ですが今度は自分たちが集めていた場所ではなく、おじさんたちが集めている袋に入れていました。

 

どうやら、ごっこ遊びから、お手伝いと葉っぱをいっぱい集める遊びに変更したようでした。そんな様子におじさんも感心していましたが、何人かの子ども達には、おじさんが集めている熊手にたくさん葉っぱがあると、おじさんの周りを行ったり来たりで、おじさんも苦笑いでした。

 

おじさんの一言で変わった遊び。

 

もし大人だったらどうでしょう。私の場合、注意されるとそこでお終いにしてしまうかもしれません。ですが、子どもたちはそれをきっかけに新しい遊びを生み出し、更に楽しんでしまう。そんな所に子ども達の強さと魅力を感じた出来事でした。

 

(報告者 西田)

実習日誌①

 保育園には定期的に実習生が来ます。先日、私がいるクラスにも実習生が来ました。実習生は「実習日誌」に保育を記録していきます。また、保育士は「実習指導者欄」に助言という形で記入し、実習生の保育を振り返ります。その度に、自分の保育も振り返っていることに気づき、自分も「実習生」であったことを思い出します。当時を思い出すと、その期間で多くのことを学びました。そしてこう思います。
 
「どうしてそんなに学べたのか?」
「良い学びには何が必要なのか?」と。
 
 もちろん、その園が素晴らしかったということに尽きるのですが、その原因を私なりに振り返ってみたいと思います。
 
 『子どもたちの日々の生活や様々な保育環境から、子どもの本質を認識し、これからの子どもたちにとって何が大切なのかを、実習中の体験をもとにして理解し、常に子どもが自発的に活動できる環境の一部になれるよう、子ども社会への介入のしすぎに注意しながら、心にゆとりが持てる保育方法を学びたいと考えています。具体的には、活動に応じて編成される子ども集団の様子や、順序性・選択性の保育、また、習熟度やチーム保育などを子どもの様子や保育者の意図を考え、ふまえながら貴園の保育に関わり、子どもの本質や求められている子どもの将来像を感じとりたいと思います。』
 
 上の文は、私が大学4年の時、保育所実習をした時の実習日誌内にある「実習生がこの実習を通して学びたいこと」という欄に記入した文です。これを記入した時の心境を思い出してみると、“学ぶ意欲”に満ちあふれていたように思います。それもそうです。何もかもが新鮮で、ある意味自分の想像を遥かに超えた現実がそこにあったからです。その園の存在を知った時、大学側に「ここで実習がしたいです。」と頼み、自分で実習のアポイントをとりました。人を寄せ付ける魅力がそこにはありました。何よりも、「楽しそうだなぁ」と感じたのが行動に移せた最大の要因であったと思います。
 
 良い学びにするためには、まず自分に「学ぶ意欲」があること、そして「保育者の思い」を知ろうとすることが必要だと思います。それは、「興味関心」や「探究心」でもあり、同時に実習生にとっては「指導される力」でもある気がします。それは、だた言われたことだけすればいいというものではなく、真摯的に取り組んで疑問に感じたことを聞く姿勢であるように、教えてもらう人と“学びの対等”を図る行動のように感じます。
 
 異年齢保育の良さに、発達の異なる者同士が「刺激を受け合う」ということがあると思います。年齢の違いではなく、できる子どもがそうでない子どもに教えてあげる行為から、相手から新しい刺激を受ける側と、相手に教えようとすることで自分の考えを整理してどうすればうまく伝わるのかを考えようとする側との相互間に学びが存在することを両者が理解することで、その機会が素晴らしいものになる気がします。立場は違えど、学びは対等であるべきです。
 
 実習におけるそのような過程を自分はどう感じていたのかなどを、現在保育現場で働いている私と、実習をして実習日誌を書いていた大学4年である当時の私から読み解いていきたいと感じます。
 
実習日誌
懐かしの実習日誌
 
 
(報告者 小松崎高司)

アンパンマンに誘われて・・・

先週の日曜日に「歯の健康スペシャルin中野」というイベントに抽選に応募したところ当選したので行ってきました。
内容としては「歯を大切にしよう」という企画で主催は東京都歯科医師会で、お菓子で有名なロッテの他にいくつかの会社が協賛をしているものでした。
なぜ応募したのか?というと企画の中にアンパンマンショーがあったので、妻がせっかくだから行ってみようか!?と言ったので応募しました。
あとは無料なので(笑)
ですので会場に着くと子ども連れの親子がたくさんいました。
まだ息子は一歳なので…おそらくアンパンマンは分からないでしょうね(笑)
ただ会場の雰囲気などで楽しそうにしていたかな(笑)?

さてプログラムが始まり、いきなりアンパンマンショー!!
という上手い訳がありません。最初は来賓や偉い人の挨拶、そして医学博士の15分ほどの講演、その後に歌手によるミニコンサート、
そして休憩を挟んで歯科衛生士専門学校の先生と生徒による歯磨き指導、それが終わってやっとアンパンマンショーの始まりです。
まぁ、最初にアンパンマンを出してしまったら、ほとんどの人が帰りそうですもんね。
私も、最初はアンパンマンまで我慢するかぁ・・・と思っていましたが、
途中の医学博士の講演がとても面白く、聞き入ってしまいました。
その中でいくつか保育現場、特に給食に関わる大切なことを話していたので紹介します。

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まず人間の歯の役割について解説がありました。
この辺は大体の人が知っていると思います。
前歯の役割は食べ物をかじりとる為、奥歯はすりつぶす役割などです。
そこで食べ物の大きさについて、子どもに食事を提供する時に、どのくらいの大きさにしているか?です。
写真を見ていただければ一目瞭然ですが、
子どものためと言って、あまりにも小さく切ってしまうと、かえって前歯の役割を果たせず、
歯が弱くなってしまうとのことです。
ですので、あえて大きく切って、食べ物を前歯でかじりとる事を子どもにさせる事が大切とのことです。
確かに子どもの為と言って、何でも細かく切って調理したものは、
確かに喉にもつっかえないですし、安全かもしれません。
しかし、それが果たして子どもの為なのか?です。これは塾長もよく言われていることです。
子どもの為と言って、なんでもしてあげるのは結局、子どもが本来持っている能力を大人が奪っていることと同じことです。

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次は姿勢です。
もちろん姿勢よく食べることが正しいのは誰でも知っていますが、
私が注目したのは足の裏をしかりつけることです。
ここでは足の裏を床につけないと集中して食事ができないと言われていましたが、
これは以前、塾長の話で足の裏をしっかりつけて食べることで味覚が変わる、という話しを聞いたからです。

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次は歯が健康になると、食べ物を美味しく食べることで
脳内ホルモンが分泌されドーパミンがやる気を起こさせ、セロトニンがくつろぎを与え、脳血流量がアップすることで記憶力を高めるという、
精神的に人を助ける働きをするそうです。
さらに、5感を使って食事をする大切さも話していました。
味覚で基本の味を味わう
視覚は料理を見た目
嗅覚は料理の香り
聴覚は音で野菜を食べた時に「シャキシャキ」とする音を聞いて楽しむ
触覚は歯ざわり
と5感をフルに活用して食事をすることの大切さをお話されていました。

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これは保育でも同じですね。
先日、どんぐりプロジェクトで一緒にコラボをしたNPOの団体の方と再度一緒に新しい取り組みを行いました。

それはドイツで行っている森の幼稚園を日本でも実践してみたらどうか?ということで
試験的に新宿せいが保育園の子ども達と園舎の裏にある大きな公園で実践しました。
その時に大切にしていたのはやはり五感です。五感をフルに使って自然と親しむ事が目的です。
ただ、そこで塾長が懸念していたのは、どうも日本で既に実践している所は、アスレチックのように森の中でただ遊ぶという方法が多いので、
そうではなく、ドイツの森の幼稚園のように文字数指導を行ったりと、もっと保育を導入することが大切と言われていました…。

さて話を戻します…。
最近の塾長のブログで「給食」がテーマにずっと連載をされていました。

それもあってか、医学博士の講演内容が塾長の食育の考え方にとてもリンクしていた部分が多くありました。
「かじりとり」「姿勢」「五感」どれも塾長が話されている事と同じく考え方ですね。
どうしても保育を考える場合、保育の世界でしか物事を見ることができず、
気付いたら視野が狭くなっている場合があります。
そうではなく、もっと保育以外、もしくは全く保育と関係のない事を体験したり、
見たり、聞いたりするのもいいですね。
それが塾長の開催する「ブラヘイジ」だったりします・・・。
(投稿者 山下祐)

ビオトープ2

前回、ビオトープの話からドイツの自然環境に対する行政の取り組みを紹介しましたが、では、実際自然を大切にするということは教育現場の中ではどのように伝えられているのでしょうか。

 

最近、ビオトープを作るにあたり、幼稚園にあった塩瀬治氏の「ビオトープ みんなでつくる 知識編」という本を参考にしました。7年前の本なのですが、そこにドイツにおけるビオトープの考え方が書かれています。

まず、ドイツの環境教育のポイントですが、そこには7つの柱が書かれています。1.感覚体験の場であること。自然の授業の中で経験することが大切である。 2.自然の中で遊びながら学べる場であること。 3.aesthetic(エステーティッシ)であること。美的追求心があること。 4.環境利用の方法について学ぶ場である。森林や湖について学び、林業に農業について学ぶ。 5.自分がここで感じた自然を記録できる場であること。 6.森や湖などの自然がもつ精神的な意味について学ぶ場である。歴史の中でそれがどのように人間の文化や生活に関わってきたかを学ぶ場である。 7.科学的探究の場であること。

 

この7つのポイントが環境教育において重要視されています。これらの考えを見ていくととても印象的なのが、「感覚体験・経験」というものがとても重要になっているということです。そして、そこから「学ぶ」ということの考え方の違いです。ここでの「学ぶ」は「先生から教えられる」ものではなく、自分で経験し、体験し、探求・追求をもとに自ら感じ、学ぶということが見えてきます。「経験・体験する場」を作ることをいかに重要視しているのかが分かりますね。というのも、それも1920年頃から「学校は知識を詰め込むだけの機会のような場所ではなく、人間になるための教育の場である」という考えが広まり、各学校での取り組みが始まったそうです。

 

この本にはいくつかのドイツでの教育現場で行われている環境や取り組みが紹介されていました。そして、その紹介された中に私がドイツに行ったときにあった環境もありました。

 

図2

園庭環境にあったフィーリングロード

 

1つはフィーリングロードです。写真にもあるようにいろんな素材が地面にうまっている道です。ここではレンガから枯れ葉など様々な素材によってできた道を介添え者と共に体験者とあるく様子が紹介されています。こういった環境は普段使わない皮膚感覚が刺激されることで、いろんな体験をすることを目的としています。私がドイツに行ったときにはその考えを含め、いろんな足場を経験することの大切さも一緒に説明されていました。というのも最近の街は舗装され、固められた歩道が多く、不安定な足場というものが少なくなっています。だからこそ、いろんな足場を経験することで、自然とバランス感覚も一緒に養うことができると言っていました。とくにこのバランス感覚というものはドイツの遊具にとっても非常に重要視されている能力であるそうです。というのも、今年のGTサミットのあとにあった研修でドイツの遊具メーカーaibeの方がこう言っていました。「バランスを必要とする遊具は集中力を強化する。また、コースを作ることでバランスを取りながらどう渡るかを考えることは問題解決能力を養うことにもなる。」ということをバランスについて言っていました。バランスを取ることは非常に集中力を使います。体を使うということだけではなく、脳の活性化や考える力も一緒に養うということですね。また、そのときに藤森先生は「今の子どもたちは体が大きいのに運動量は低い。今の時代、特別な機能を上げるのではなく、やりたいスポーツで発揮できるような体のコントロール能力やバランス感覚を養うことが必要ですね。」と話していました。ただ、そとで走り回るだけが運動ではないのかもしれません。だからこそ、ドイツの保育園の環境は走り回るといった環境だけではなく、自然物が多い園庭環境なのだと思います。自然の中にはバランスを取らなければいけないような所は多いでしょうし、それだけで非常に優れたアスレチックですから、いろんな能力がつきます。少し話はズレてしまいましたが、こういたフィーリングロードはこれらの点を踏まえて、必ずといってもいいほど、多くの保育園や幼稚園が環境の中に取り入れていたのが印象的です。

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不安定な足場で遊ぶ 乳児

 

もう一つはハーブ園です。様々なハーブが育てられています。私が言ったときにもミントやレモンバームなどのものがありましたが、そこでは葉の臭いや花を楽しむことがあります。また、それらの臭いをお互い説明する活動などをするそうです。というのも臭いを説明するのは体験者の個人的体験によるものが多く、同じ植物の香りでもひとによって多様な反応が見られます。人が違う感じ方をもっていることを学び合うことも大切であり、表現することや他の意見を聞くことを活動の中で行うそうです。

 

図1

ドイツの園庭にあったハーブ園

そのほかには、野鳥の営巣や観察小屋。池をおくことで水生生物を観察するなど、さまざまなことが紹介されていました。そして、それらの環境は基本的には「五感」をつかうことを目的にされています。今まで保育園でこれほどまで、園庭の環境に意図をのせていたかなとドイツの環境を見ながら考えていました。

 

もちろんここで紹介されていることの多くは小学校が対象で書かれていることが多いです。しかし、これらの環境は実際には幼稚園や保育園でも設備されているところがありました。そこには「体験や経験」が中心となる考えとしてあるからそういった環境が作られているのだと思います。まさに「環境を通して」ですね。

 

「自然」を保育の中に取り入れるにはどうしたらいいのか。体験や経験する環境をもっと作りたいと思うのですが、どういった視点で考えていけばいいのかを考えるいい機会になります。

 

(投稿者 邨橋智樹)

セミバイキング

以前に新入園児が入ってきた話をしましたが、もう一人年中さん私の保育園に入ってきてくれました。非常に可愛らしく、新しく入ってきた子とは思えないほどしっかりしている様子でした。
日常生活でもすぐ慣れ始め、友だちも増えてきていました。
ただ、3日くらいたったときお母さんからこんなことを言われました。「うちの子、給食全部食べなきゃダメなのかなー。と不安になっています。」と言われました。

私ははっきりと「大丈夫です。」と答えました。

なぜかというとうちの保育園は給食を貰うときは自分で自分が食べられる量を意思表示ます。「いっぱい?ちょっと?」と聞き、好きなものであればいっぱいですし、あまり好きなものでなければちょっと答えられます。もっと言えばこの食材が嫌いならば、それを指定してこれはいらないという事もできます。自分が食べられる量を理解してもらうという意図もあります。
嫌いなものを強制されて食べるよりも、一緒に食べているお友だちが自分の嫌いな物を美味しそうに食べているのを見る姿を見て食べてみようかなと思える方がよっぽど自主的にその食材へと働きかけていると思います。
ですので、「安心してください。」と伝えると安心してもらい、その場は終わりました。
改めてセミバイキングをすることで子どもたちの自主性が育まれていることに気づきます。

更に、おかずはお当番である子どもがよそいます。子ども同士が必然と関われ、ご飯を貰い意思表示をすることで1日1回は必ず自分の意見を言える環境にあります。その中で上手く伝わらないことも少なくはありません。
最近年長の女の子が珍しく残していました。「どうしたの?」と尋ねると
「だっていらないって言ったのに聞いてもらえなかったんだもん」と言っていました。年長になってもそういったことがあります。
人に思いを伝えることは簡単ではありませんが、このセミバイキングは自分の意思を伝える良い練習であると思っています。新入園児が来ると当たり前のようにやっていることについて考えさせてもらえる良い機会ともなります。

余談ですが、私はバイキングに行くと最後には食べられなくなり残してしまうか、気持ち悪くなるほど食べて後悔するかです。きっと私も幼い頃セミバイキングをしていたら自分の食べる量を知れていたかもしれないと思ってしまいます…

(報告者 本多悠里)

 

便利な環境

私事なのですが、先日海外旅行に行ってきました。

海外にいく時に、頭を悩ませるのが「スマホ等の設定をどうするか?」ということです。私もどうする考えたのですが、それほど使う機会がないかなと、特に何の契約もせず基本は使わないようにしていきました。

無事、海外に到着して、色んな場所を訪れ、その土地の風習や、歴史、またおいしそうな食べ物などを、目の当たりにして興味津々。思わず普段通り、「どれどれ」とスマホで調べようとしたのですが、、、使わないような設定にしていたため、何も調べることができませんでした。

「日本にいるとなんでもすぐにスマホで調べられる」そんなギャップからか、少しもやもやした気持ちになってしまいました。

すぐ調べられる環境というのは、冷静に考えると恐ろしいものですね。

旅の醍醐味でもある、事前に調べること、本や看板を見て知ること、人に聞くこと、帰ってからも楽しみながら振り返ること。そういったことも、すぐに調べられる環境があると、ついつい忘れがちになり、忘れがちならまだしも、すぐに知ることができないことにいら立ちすら覚えてしまいます。

そんなことを感じた時に、保育の中で子ども達にも同じようなことが起きていないか考えてしまいました。

例えば、子どもたちの興味や疑問に、保育者が簡単に答えてしまって、まるで今回のスマホの様になっていないか。

散歩に出て、何か面白そうな植物を見つけた時に、園に戻ってから調べるという楽しむ体験ができているか。

例を出せばいくらでも、出てきそうです。

子どもたちの主体性・自主性を第一に考えていれば、そんなことは考えずとも大丈夫なのかもしれません。

便利な世の中に中では、致し方のないこともあるのですが、子どもたちが自分でやりたいと思えるような環境の大切さを改めて感じた出来事でした。

(報告者 西田)

ビオトープ

私の今いる園には「亀池」なるものがあります。以前はミドリガメ2匹とクサガメ1匹、あとアカミミガメが1匹いました。しかし、その亀池ですが、もう子どもたちは池にはまることがあったり、ミドリガメやアカミミガメが子どもたちの指を噛んだりで、なかなかな問題のある池になっていました。そこで、何か対策を打とうということになり、「亀池をビオトープにプロジェクト」を立ち上げました。

 

そこで、そもそもビオトープとは何だということになりました。始め私はビオトープといえばため池のことかと思ったのですが、ビオトープとはドイツ語で「生物が生きていく空間、住み場所」という意味です。つまり、一般的に考える「ため池」だけではなく、生物が自然に生きていく空間であればそれはビオトープになるのです。また、難しく言うと「周辺地域から明確に区分できる性質を持った生息環境の地理的最小単位」であるそうです。小さい生態系の縮図を作るということですね。以前、ドイツに保育研修に行ったときにもどの園においてもこのビオトープが置かれていました。というのも、そこでは子どもたちが生物や自然を感じることができ、その中で起きる生態系を自然と勉強・研究するために置かれているという話でした。

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ドイツのビオトープ

図1

ドイツのビオトープ

ドイツはヨーロッパの中でもとりわけ自然保護に力を入れている国です。ビオトープという考え方もドイツから出てきたものです。そして、自然保護のためにつくった法律が1976年に制定された連邦自然保護法です。そこでは「自然そのものの存在価値と、人間の存在基盤やレクリエーションの前提という観点から、自然と景観の保護と発展」が第一条で述べられています。そして、具体的には、生態系の再生機能の維持と発展、自然の公益機能と自然と景観の多様性などの長期的保護を載せています。2002年4月4日の改正では、目的に将来世代への責務が追記され、生物多様性の確保や、レクリエーションにおける経済性と自然保護との関係の定義、またその調和が強調されている。更に、自然・環境にやさしい農業の促進、市民や環境保護団体などの参加権の充実、(各州が土地の10%を提供する義務を負う)ビオトープ結合システムの保全、電線における鳥類の感電防止、国立公園と保護区域における発展の可能性、風景計画における自然保護の強化などを規定していました。とりわけ「将来世代への責務」というのが今とてもかんがえられているそうです。

また、この自然保護法では、開発とは自然を作り替えて、人工物となった時点で終わりではなく、もう一度自然にできる限り近づけるために最大限の努力をして終わらなければならないものだとされているそうです。そして、ドイツではこの法律のもと、企業や政治、市民が一体となり自然保護に取り組んでいるのだそうです。だからこそ、見学に行ったとき、町の中には森が多く残っており、森の幼稚園やビオトープがドイツの保育園や幼稚園などの教育機関でも多く環境にあったのだと思います。

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森の幼稚園

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ドイツの園庭

 

そして、この法律には「生物の多様性の保全」や「ビオトープ」の概念も記されています。1つ目は絶滅のおそれのある生物はもちろん、ごく身近に自然に生息している生物とその生態系の保護の目標。2つめはビオトープを郊外から市街地の中心まで、また、池・湖・河川・湿地・草原から森林まで、さまざまな方法でつなげる工夫をする。3つめは現在の生物のビオトープの保護だけではなく、より多くの生物が住めるようになるための整備。開発事業の際にも自然の復元と創造に取り組む。と3つの概念を通して自然保護を進めていくように考えられています。

 

また、多様性の保全においては生態系を守ることと美しい景色を守ることが概念化されており、生態系を守ることは自然保護地域を作り、人の立ち入りを制限することでもともとの生態系を壊さないように配慮をしたり、開発が制限されることが行われています。美しい景観を守ることは連邦自然保護法の中にもあるように釣りなどのレクリエーションの利用に繋がります。景観保護地域ではレクリエーションの利用が許可されています。そして、生態系の価値が高まると自然保護地域に変更されることがある地域のことが景観保護にあたるそうです。こういった取り組みは森や郊外だけでなく、市街地においてもとても整理されています。ドイツの町中を見ていてもとても多くの自然が残されていたり、町の中にもたくさんあったりすんですね。

 

ドイツの自然環境の考え方はとても勉強になります。自然に対する姿勢などは見習っていくことも多いのは事実です。また、今の子どもたちにおいて、自然環境はどういった影響があるのかを改めて考える良い機会になるので、もう一度自分なりに整理していこうと思います。

(投稿者 邨橋智樹)

アートと芸術④

 この「アートと芸術」の報告も、これで最後になります。
 
 題にもした、“アート”と“芸術”は同じ意味です。しかし、日本と海外ではその言葉の捉え方が違う印象があります。皆さんは、ある方が「僕はアートが好きでよくやるんです」と言ったら何を思うでしょうか?以前までの私は、「素敵な趣味をお持ちですね」「めずらしいですね」などと思っていたことでしょう。ましてや「アーティスト」という職業には、特別感を抱いてしまうと思います。先日見たTV番組では、『先進国の中では、日本人は美術館に行く回数が一番少ない』という結果が出ていました。その理由を調べてみると、『日本人が美術館に感じるイメージは「敷居が高い」「高尚」といったものが多く、それが「難解」「とっつきにくい」「貴族趣味」として美術を敬遠する理由の一つにもなっている。』など、美術や芸術とは何か“特別なもの”として捉えられています。
 
 “リサーチバンク”という自主アンケート・調査結果レポートサイトによると、10代から60代の全国男女1200人に対し、「日本は日常においてアートが身近と感じるか?」と尋ねたところ、半数以上の57%が「感じない」という回答がありました。しかも、24%は「わからない」といった回答であり、両者で81%を占めているのが現状です。つまり、圧倒的に「アート」に触れる機会が少ないこと、「アート」がどういうものであるかに関心がそれほどないことが読み取れます。
 
 そのような日本に対し、欧米では「アートは日常」というひとつの考え方があります。アート(芸術)とは、『表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。文芸言語芸術)、美術造形芸術)、音楽音響芸術)、演劇映画総合芸術)などを指す。』と書かれています。つまり、日頃行われる親子の会話も、自然な風景を見てわき上がってきた感情や言葉も、何気なく作られた作品も、ふと出た鼻歌も、気分が高まって自然と体が動いたことも、受け手の捉え方・見方(評価)によって、それは「アート」にもなりうるということだと私なりに解釈しました。日本において「非日常」であるアートを、いかに「日常」にしていけるかが、これからの課題でもあるそうです。
 
 この世界は、意味のあることだらけで囲まれていると説いています。“イスはイスと見なさい”といった、与えられた意味の世界に閉じ込められている息苦しさから、一旦“意味なんてない”、そんなもの私が作ってしまおうといった世界に行くことで、人間がもともと持っている主体性を取り戻していくことが「アート」でもあると。そのような活動が世界でも注目されてきている印象を受けます。このように、意味がない世界に一旦身を置くことで、将来出会う意味のあることだらけの社会から、多くの気づきや意味を見出すための力を蓄えているのが、「乳幼児期」なのかもしれません。この時期には、将来的には意味はあるが、今は“意味がないこと”であるナンセンスさと充分に満足できるまで関われる環境が必要であるということを、このシンポジウムでは投げかけていました。
 
 そのような「ナンセンスさ」の中にある価値を理解し、子どもとともに、多くの“面白いこと”や“楽しいこと”を共感・共有できる、一人の「アーティスト」でありたいと、そう感じたのでした。
 
(報告者 小松崎高司)

世代間交流2

前回の活動報告で世代間交流を紹介させていただきましたが、今回は乳幼児と小学生による世代間交流について、現在の学童の子どもたちの様子と交えて紹介させていただきます。

乳児と日常的に交流機会のある小学生は限られていると思います。

自分の家に弟や妹がいて、様子を見る等でかかわる機会のある子もいるでしょう。

しかし、乳児と呼ばれる期間は短く、歳が近い兄弟だと弟や妹が生まれた頃には自分自身もまだ幼いため、どのような様子であったのか覚えていないのではないでしょうか。

家の外に出ても、どこかで乳児と触れ合う機会などそう多くあるものではない。

小学生が乳児と交流することから得られることは、単に乳児の様子を知り、かかわり方を学ぶことだけではないと思っています。

もちろんそのような価値もあると思いますが、乳児という存在に触れることで生命についても考える機会にもなるのではないでしょうか。

生まれたばかりの乳児と出会うことで、生命を持って誕生してきていること、かけがえのない存在として大切にされていることがわかり、自分自身もそうであったということにも改めて気付くことができると思うのです。

他の世代間交流も人と人との交流であるので、生命にかかわっていることに違いはないですが、乳児とのかかわりは特に生命を身近に感じることのできる特別な交流であり、小学生にとって価値のあるものとなるのではないでしょうか。

また、乳児は小学生という普段かかわることのない者とかかわることで、両親や保育者以外の存在を知り、新たな世界に触れる経験を得られるのではないでしょうか。

小学生にとっても乳児にとっても互いに新たな存在や世界に気付くことのできる貴重な経験としてこの交流にはとても重要な意味があると思っています。

新宿せいが保育園では、週に一度年長組が下のクラスにお手伝い保育にいきます。

そして新宿せいが学童クラブでは、保育園から持ち上がりの子が比較的に多く、お手伝い保育に対してとても意欲的です。

また、お手伝いにいくクラスで圧倒的人気を誇るのが0歳児クラスです。

お手伝いにいく目的は各々違い、ほとんど乳児が可愛いからという理由ですが、交流をするということに意味があるのです。

正直ちゃんとお手伝いとなっているのか不安ですが、この交流から双方に多くの気付きや学びを得ていってくれたらと思っています。(投稿者 若林)

環境の変化

私は今幼児クラス担任させてもらっています。その幼児クラスに8月から新入園児が入ってきました。早生まれということもあり、少し幼く同年代の子よりも体が少々小さいです。入りたての頃から環境の変化や前の保育園の小規模な集団から大きな集団に変わったことから、少し落ち着きはなく自分の思い通りにいかないとすぐに癇癪を起こし、少し手が出てしまう子です。

その子が最近、同じクラスの子と玩具の取り合いになっているところを目にしました。遠くから見ていたので駆けつけようと準備はしていたのですが、側にいたある男性職員が声をかけてくれていました。その後すぐにその男性職員は2人をピーステーブル(以前にも説明したケンカをした時に話し合う場所です)に連れていきました。そして一言。
「はい、ここで話しきて」と言ってその場を立ち去っていきました。
私はそこで思ったのが、あの子が果たしてピーステーブルでお話ができるのだろうか…と。
掃除をしていた私は掃除そっちのけで気づかれないように見に行ってしまいました。
するとそこでは、その新入園児が、
「話してよ!話してよ!ねぇ、話してよ!!」と連呼していました。いつもだったら貸してもらえないと手が出てしまっていたところ、グッとこらえて話していました。
相手の子が、
「話してるよ…」というと、その子は
「うるさい!」と一言…矛盾はしていますが。
その後彼は仲良く本を読んでいた子がいたらしく、いきなり立ち上がり、一緒に本を読んでいた子のところへ行き、
「○○君、今ケンカしてるから待っててね」と今まで聞いたことないほどの優しい声で言ったあとにピーステーブルに戻り再度、
「話してよ!」と繰り返していました。
ただ言い続けてもお友だちは折れることなく玩具を渡さずにいました。
すると、埒が明かないと思ったのか貸してもらえないことを諦め、その場を立ち去って行っていきました。
玩具をかたくなに離そうとしなかったお友だちもそれはそれでいいかというような表情で終わっていました。
終わってすぐに、新入園児の子に、
「仲直りできたの?」と聞くと、
「うん。」と言っていました。
話にはなっていないかもしれません。ただ私にとってはその子がお友だちと立派にお話をしているように見えました。何かを伝えようとしていることがわかりました。
この一連の流れから、私は新入園児にこの子はまだお友だちとお話ができないのではという固定概念が存在していたことに反省しました。以前にも書かせてもらった3歳児のケンカのシーンと同じような感じですが、ここで違うのがずっと新宿せいが保育園にいた子同士のケンカではなく、途中入園してきた子のケンカでした。
まだ話せないだろうと思ってしまっていたことに反省しますが、それ以上にこの見守る保育をすることで入園当初は不安定だった子がこんなにもすぐに成長し、ピーステーブルでお話ができるようになっていることに感動しています。やはり、子ども同士の影響で慣れていく環境というのがいかに大切かというのがわかります。どんな意図で男性職員がピーステーブルで話してきてと言ったのかはまだ聞いていません。きっと私よりその子のことをより理解していたのであろうと思います。その新入園児にそういった機会を設けてくれたことに感謝しています。

と、色々と感じることのできる出来事でした。
(報告者 本多 悠里)