アートと芸術③

 芸術士は、一方的に「アート」を教えに行くというものではなく、「かたわらにいる時間」を大切にしながらも、客観的に観察しているというより、一緒になって見ながら同じ空間を作り上げている中で、随所に“こんな使い方もあるよね”といった提案をさりげなくしたり、素材の新しい活かし方などを伝え、子どもや保育士の中にある素材の固定概念を打ち砕こうとしているようにも感じます。
 
 しかし、そんな芸術士の存在も、保育園ではなかなか受け入れられないそうです。それもそうです。保育士にとっては、“私たちがいるのに…”といった戸惑いを抱く方も少なくないそうです。実際にお話をしていた芸術士も、「私たちがまずやらなければいけないのは、現場にいる保育士の方々とのコミュニケーションです」とも言っていました。私は、塾長が常に言っている「役割の違い」がそこにはある気がします。保育士と芸術士の役割がかぶることなく、連携をうまくとることによって得られる雰囲気というのは、多様性を認めることにもつながり、子どもの“育ち”にとって非常に重要であると思います。
 
 また、ある園で絵の具の活動の準備をしている時、子どもが「何やっているの?」と寄ってきて、中にペンが入っている絵の具の缶をカラカラ振り始めました。すると、「これは秋の音がするよ!」と子どもが言ったそうです。他の子どもたちも寄ってきて、缶をたたき始めたりもしたり、“え!こんなところにも”といったところに落ちている、様々な“子どもの気づき”を拾える暇な時間があるのが私たち(芸術士)でもあると言っていました。この感覚は、保育士も大切にしていることだと思います。しかし、日々生活を共にしている中で、忘れかけてしまう感覚でもあるような気がします。
 
 また、芸術士はこんなことも言っていました。
「意味がない活動を面白そうだからやってみたいが、それを保育士に説得するというスキルが必要。全てにねらいがあって、A+BはCだからこれをやろうだと“逃げ道”がなくなったり、“ゆとり”がなくなってしまう。」
 
 このような、“どうでもよく、意味のないことの大切さ”に、今回の最大の学びが隠れているように感じました。
 
 そして、楽しそう・面白そうといったことに、“ねらい”や“意図”に匹敵するような意味合いを持たせてもいいのでは?と、芸術士は問いかけます。何げないイスを見ても、私たちは「イス」としか認識しませんが、その上に物が置いてあり、有名な芸術家の名前が書かれたプレートが飾られていたら、きっとその作品に自らで付加価値を見出すことでしょう。まさに、“意味のないこと”に意味を見出したのが「アート」の本質ではないかと強く感じたのです。
 
 つづく…
 
(報告者 小松崎高司)
 

世代間交流

先日学童でハロウィンパーティを行いました。

簡単に内容を説明させていただくと、保護者の方々が家庭役で在宅してもらい、仮装して訪問し、「Trick or Treat」と言ってお菓子をもらい、学童に戻ってみんなでそのお菓子を食べるという会です。

このハロウィンパーティは、毎年の恒例行事で毎年多くのご家庭が家庭役を担ってくださり、子どもたちも職員もとても楽しみにしている会です。

家庭役を率先して担ってくれるご家庭が多いことからもこの会の充実度を感じましたが、さらに毎年のこの会で家庭役を担っていただいているボランティアの方が今回も家庭役を担ってくださりました。

その方は、この会だけではなく、毎週火曜日に学童に来てくださり、製作を中心に子どもたちと一緒に遊んでくださっています。

その他にも定期的ではないものの、ボランティアで来てくださる方は多く、職員はとても有り難い気持ちでいっぱいです。

そこで今回のタイトルとさせていただいた「世代間交流」の話に移ります。

世代間交流とは、世代の異なる人が相互に交流し、互いの生活文化や価値観の理解を深めるために行われる活動のことです。

人間は、生涯を通して家庭、学校、地域社会や職場等で行われる様々な営みから自分づくりを行っていると考えています。

学童もそんな貴重な経験のできる数少ない場だと思っています。

現代は少子化や核家族化が進行し、昔と比べて子どもを取り巻く環境が大きく変化してきています。

かつては祖父母,親とその子どもたちといったように、家族の人数も多く、世代が限られることがなく豊かな人間関係を持つことができましたし、各家族における子どもの数も多かったため、兄弟、姉妹でのかかわりも豊富であったそうです。

しかし少子高齢化が進んだことなども影響し、現代の日本の家族は親と子のみによる核家族の家庭が多くなった。

さらに各家族における子どもの数も減少し、家庭内での人間関係が単純化してきている。

このような背景がある中、様々な世代のボランティアの方が学童まで足を運んでくださり、子どもたちと交流を図っていただけることは、現代の時代背景という視点からみてもとても有り難いことです。

今後もボランティアの方々と子どもたちの交流を大切にいていくと共に、地域の方々、そして保育園の職員も含めた様々な世代の方々との交流を図れるような行事を月案会議等を用いて、子どもたちと一緒に考えていきたいと思います。(投稿者 若林)

7つの習慣 10

「7つの習慣」も最後の習慣になりました。最後の習慣は「刃を研ぐ」です。

 

「刃を研ぐ」とは一言で言えば、「自分を磨く」ということです。

 

ここでは「素材としての自分を高めることでそれぞれの習慣で得られる実りも自然と大きくなる」

と書かれています。今まで高めてきた習慣の考えをより実りあるものにしていくために、どう自分を高めていくことかが最後の習慣になっています。

 

「自分を高める」というのはどういうことでしょうか。「朝活」や「仕事外の活動」が最近では取りざたされることが多いですね。もちろん、そういった活動も1つの自分磨きです。しかし、大切なことは「知識」や「肉体」を鍛えることを目的とするのではなく、いかに効果的な人生を生きるために活かすかということをかんがえていくことが必要であるということです。せっかく、いろんな活動をするのですから、改めて、「自分を磨く」ためにどういった視点で考えて活動していけば良いかを考慮した上で、人生に活かしていきたいですね。そして、その習慣こそが「刃を研ぐ」という最後の習慣なのです。

 

7つの習慣ではその自分磨きは自分の器を大きくするといっています。

そして、その器を育てるために4つの側面が上がっています。それは体調(肉体)、観点(精神)、自律性(知性)、つながり(社会・情緒)です。そして、これらの側面をつけるため、バランスよく時間をとることが必要です。

 

まず、肉体的側面で刃を研ぐとは、運動によって体をメンテナンスすること。持久力、柔軟性と強さという3つを意識する。健康な体なら、第一の習慣「主体的である」も続けやすい。確かに、運動をしていると無駄なことを考えることも少なく、以外とストレス解消にもなります。

精神的側面で刃を研ぐとは、自らの価値観を深く見つめること。第2の習慣で行う自分への反省と関係している。読書や音楽鑑賞、自然の中に身を置くなどして、自分の心と向き合うようにする。

知的側面で刃を研ぐとは、情報収集力や選択力を磨くこと。第3の習慣に基づき、自分の目的や価値観にあった番組や優れた本を読むようにする。自分の考えや経験を日記に書くのもいい。まさにこの生臥竜塾のブログは私にとってはこういったことを実践しているように思います。

社会。情緒的側面で刃を研ぐとは、人間関係においても自分の価値観に忠実に振る舞うこと。仕事やボランティアによる社会貢献などの活動で、公的成功を目指す第4、第5、第6の習慣のために必要なことです。

 

これらの4つの側面が高まることで、自分自身が鍛えられ、自分の価値が高まります。価値が高まれば、その人の支えになることもできます。そして、それがまた新たな価値になります。こうして、自分の活動自体がシナジー(相互作用)の効果を生むのです。なんでもかんでもやみくもに取り組むのではなく、そこにある本当の目的をしっかりと見据えた上で、活動を心がけていくことは大切なことです。

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また、この章にはこうも書かれています。

「人に優れた自分」として接したいのなら、自分自身を高めてその姿で人とありのまま接する方がよほど楽なのだ。つい見栄や意地を張って背伸びをするから後で辻褄があわなくなり辛くなってしまう。だからこそ、「見せかけではなく、本当の自分を磨くことが必要なのです。

 

よく塾長がたくさんの人と会ったとき、それが国会議員であろうが、保護者であろうが、地域の人であろうが、同じような対応をしている姿を見たときのことを思い出しました。それはすごく大切なことだとそのときは思ったものです。そうできるためにも日々自分を高めることを意識し続けるようにしていきたいですね。

 

さて、これで7つの習慣の話はすべて終わりました。この本を読んでいて、反省する部分や参考にする部分はたくさんありました。チーム保育をしていくことや組織を作り上げていくうえでの考えや心の有りようがとても見えてきたように思います。そして、なにより面白いのが、ここでは対大人で書かれていたことですが、そこを子どもに置き換えて考えることもできるのです。こういったビジネス書でも、保育にとても大切なことがたくさんあるということです。人格形成は大人にとっても、子どもにとっても考えなければいけない内容ことで、そう考えていくと「保育」は生涯に関わることであり、生涯教育だなと思いました。そして、今の時代だからこそ、改めて、もっと「人格形成」という部分に焦点を当てて教育を考えていくことも必要なことではないのかと思いました。

 

最後にこの本ではこう書かれていました。

「種を蒔き、辛抱強く雑草を抜き、大切に育てれば、本当の成長の喜びを実感できるようになる。そして、いつか必ず、矛盾のない効果的な生き方という最高の果実を味わえるのである。」

 

ここでは自分自身が習慣をつけることを言っていますが、そのまま、保育の目指す内容であるようにも思います。子どもたちにもこういった習慣がついてくれるといいなと思いました。

 

(投稿者 邨橋智樹)

横のつながり

先週の日曜日に新宿区学童保育連絡協議会が主催の運動会(略して連協運動会)がありました。

新宿せいが学童も毎年参加し今年で8回目の参加になり、そして悲しい事に最後の参加です・・・。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、来年度から隣の小学校に学童が出来る代わりに、
今年でせいがの学童が廃止になることになりました。
そして学童の部屋が空き部屋になる分、保育園の定員も増加になります。
ですので、来年度から新たな新宿せいが保育園が誕生します。
今回は最後という事もあり、特別な思いを持って臥竜塾全員で運動会に参加させていただきました。
もちろん塾長も来てくださいました。
まず連協運動会の簡単な説明をします。
新宿せいが学童を含め、連協に加盟している学童、児童館が紅白の2チームに分かれます。
そして「大玉おくり」「玉入れ」「リレー」「綱引き」などを行い点数で勝敗を決めるという、
至ってオーソドックスな運動会です。
中でも一番最後に「館対抗リレー」という競技は、紅白関係なく、
純粋に施設ごとの勝負なので、ある意味、総合優勝よりも価値が高かったりします(笑)
ちなみに新宿せいがは2年前に優勝。去年は3位と悔しい思いをし、
今年こそはリベンジに燃えての参戦です。
ちなみに「館対抗リレー」というのは小学校1年、2年、3年・・・大人と順番にバトンを渡す縦割りリレーです。
新宿せいがは男性が多く、そして若く、そして運動ができると三拍子揃っているので、
他の施設に比べると明らかに大人の平均年齢が若いので、
去年から、職員は男女一人づつと規制がかかってしまいました(笑)
そんな規制がかかっても新宿せいがは今年も順当に決勝に進みました。
そして、決勝がスタート!!
せいがの第一走者の小学生は卒園児で、保育園の頃から運動神経抜群の男の子です。
当時は多動気味な部分もありますが、運動になるとピカイチです!
もちろんスタートと同時に1位になり2位と大きな差をつけてバトンを渡しました。
そのあとも2位に差を詰められては離しの繰り返しで、なんとか1位のままアンカーにバトンを繋ぎ・・・
アンカーは元ラグビー部の筋肉ガチガチの体育会系の保護者(もちろんお父さん)です。
この日のために体を作ってきました!と言わんばかりの体つきでした。
そんなお父さんが抜かれる理由もなく!そのままゴールテープにトライ!!優勝を果たしました!!
最後の運動会で有終の美を飾ることができ、本当に感動しました・・・。
さて、感動話しはここまでにしておきましょう。
塾長が月曜日の朝会でこんな話をされました。
「年々、連協運動会に参加する保護者、子ども達が減ってきているそうです。また小学校、中学校でも父母会の存在も要らないのでは?という声もどんどん出てきて、
うちに父母会があるという事に、驚く人もいるそうです。それだけ横のつながりが減ってきているという事になります。
それに比べて、うちの学童は子どもも保護者の参加者も他の学童や児童館の中でも一番多かったです」
と・・・。
確かに1年目の運動会に参加した時はせいが学童が一番少なかったのを覚えています。
それに比べて他の施設は子ども、親の参加者も多く、少し寂しかったのを覚えています。
それが年を重ねるうちに、参加者も増え、いつしか他の施設と同じくらいになり、
最終的に一番多くなりました。
今年の館対抗リレーはせいが学童だけで4チーム出場しました。
個人的に嬉しいのは現在、学童に通っている児童はもちろん、
過去に学童に通っていて卒所したOBの小学生も多く参加している事になんだか嬉しかったです。
中には小学5年生で私と同じくらいの身長の男の子もいて、
それはなんだかショックでした・・・(笑)
また学童の保護者から、こんな話しを聞きました。
他の学童は人数が減ってきているのにせいが学童は減るどころか応募も増えてきていると。
おそらく新宿せいが保育園の周囲から図書館、児童館が閉館になり、放課後に子どもが過ごせる場所が少なくなってきているのも影響はありますが、
塾長は学童に行く子どもが減ってきている事に対して「危険」と言っています。
それは学童に行かないということは、家の中で一人か数人でゲームをしている方が楽しく、
外に出て色々な経験もしないということです。
塾生の若林が学童での活動を色々と報告していますが、
月案会議を自分たちで行い、活動の内容、ルールなど話し合って決めています。
学校ではなかなか経験できない活動を学童ではできる。
これは小学生にとっては貴重な場所だと私は思います。
そんな貴重な場所が来年度から無くなるのは・・・寂しいですね。
今回、最後の連協運動会に参加し素敵な思い出が作れた反面、
都内の小学生の子ども達を取り巻く環境の実体を直に触れる機会になり、
色々と考えた一日となりました。
最後に・・・
運動会は中学校の校庭を借りて行うのですが、トラックが本当に小さく、おそらく50m~80mかと・・・。
トップスピードでコーナーを曲がると本当に転倒するくらい小さなトラックで、過去何人もそのコーナーに犠牲になりました。
今年も一人職員で犠牲になり、しかも2年連続で・・・私よりも「若」いのに・・・。
運動不足は恐いですね・・・。
またいきなり走るのは危険なので、ウォーミングアップを学校の外で行った際に、転倒し流血した職員もいました。
塾長は言います。
「運動不足の人が急に動こうとすると、頭では以前のように動こうと指令を出しても、体が追いついてこなくて、足が前に出てこないんだよね・・・
だから雑巾がけは有効だよね」と。(投稿者 山下祐)

アートと芸術②

 『ARTが生み出す子どものチカラ』のシンポジウムは、乳幼児期の子どもの力を引出すのに、アートというところから考えることが大事ではないかといったことに賛同した方々によって開催されました。一つの例としてレッジュ・エミリアでの実践から学び、そこからどう日本独自のアプローチをしていくか、子どものイメージをどう見るのか、それぞれ違うイメージをどう捉えていくのか、子どもの育ちや可能性をどう引出すことができるのか、それを皆で協力・共同しながら語り合っていく、これからの未来の子どもたちの可能性を育むあり方を考えていくといった趣旨となっています。
 
 香川県高松市では、2009年から芸術専門家による芸術経験を活かして、子どもたちの可能性を見守る「芸術士がいる保育所」という取り組みをしています。「芸術士」というのは、絵画・彫刻・パフォーマンス・デザイン・工芸など、
様々な分野で表現活動する作家さんのことで、その名前は高松市が生み出し、芸術士が保育所に在中していることを目指して始まった制度です。高松市から委託を受けている「アーキペラゴ」というNPO法人が、自治体では初めて、保育園、幼稚園、子ども園に芸術士を派遣し、保育の中で保育士と連携しながら、毎週1回、年間を通じて、子どもたちと造形活動や身体表現など様々な表現活動を、日常にある「アート」の目線から関わろうとする取り組みをしています。
 
 では、「芸術士」は実際に子どもたちとどう関わっているのかというと、普段子どもたちが遊んでいる“折り紙”は15㎝の正方形ですが、それが1mの正方形であったらどうなるのかといった発想から、それを実際に環境として用意して子どもと折ってみたり、普段遊んでいる遊具にペイントをしたらどうなるのか、プールに1500個のガチャガチャのカプセルを入れてみたらどうなるのか、トイレットペーパーでぐるぐるまきになってみたらどうなるのか等、普段、保育園にはないような発想を持ち込み、子どもたちの「探究心」を刺激し、「想像力」を高め、「創造力」を引出していきます。
 
 私が、印象に残ったのは「保育園にはないような発想」というところです。気になりますね。その後の話を聞いていて、面白い発見をしました。それは、ある活動を、芸術士が撮った写真と保育士が撮った写真とを見比べた時です。保育士が撮った写真は、子どもたちが楽しそうに遊んでいる全体像や活き活きとした表情をおさめていたのに対し、芸術士は、対象物目線からの子ども写真や、足で物と触れ合っている時には、その足だけに焦点を当てて撮った写真などがありました。保育士は、子ども全体・その場全体を把握しようとしています。芸術士は、子どもと対象物とか関わっているポイントをクローズアップしようとしています。まさに、両者が大切にしているものが異なっている様子が読みとれるのですが、芸術師のそういった一つの分野を「追求・探求」するといった視点や着眼点が「保育園にはないような発想」として上がったのではないかと感じました。
 
 芸術士は、それぞれが芸術のある分野の専門家なので、自分の得意な分野からアプローチをしていました。例えば、陶芸家や彫刻家は「粘土」という一つの素材から、多くの遊び方を提案します。身体表現家はリズムに合わせて体を動かすという一つの表現から、デザイナーは「服」という一つの分野から、できるであろう多くの可能性を発信し、ありとあらゆる素材を子どもに託します。まるで、常にチャレンジし続け、その素材の可能性を探し求めているかのようです。
 
 保育の専門家である私たちは、どこをクローズアップするべきなのでしょう。私はそれが、趣旨にもあった「育ち」であると感じました。保育者一人ひとり異なる「育ち」から、子どもの「育ち」の可能性を引き出し、「追求・探求」し続けるといった使命が、保育士にはあるのでしょうね。
 
つづく…
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日々のアート

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「こたつ」
(報告者 小松崎高司)

言葉の力

先日、一時保育の部屋にいた時に面白い会話が聞きました。

ちょうど朝の子どもの受け入れの時間だったのですが、お部屋で何人かの子どもたちが、おもちゃで遊んでいました。保育園のクラスと違い、一時保育は、初めて会う子同士だったり、何度かしか会ったことがないという子が多いのですが、そんなことは関係なしに遊ぶ子どもたちの姿にたくましさを感じていると

おままごとで仲良く遊んでいた女の子と男の子が、おもちゃの取り合いになりました。「かして~」とどちらも引かない展開がしばらく続いた中、ふと女の子の方がこんなことを言いました。

「きみは、いまなんさいなの?」

すると男の子は、「2さい」、それを聞いた女の子は、「だったら、ちゃんとおはなしして、かしてっていわれたらかしてあげなきゃいけないんだよ」

それを聞いた男の子は納得をしたのか、すっとおもちゃを貸してあげていました。

普段、保育園のクラスにいると、子どもたちもだいたいの子の年齢を知っているので、お互いに年齢を聞くということはあまり見かけません。

なので、この年齢を確認してからどうするか決めるという女の子の行動はなぜか新鮮に感じてしまいました。そして、それを言われて、自分で納得をする男の子の反応も面白く感じてました。(もしかしたら、女の子の勢いに負けただけかもしれませんが、、、)

人類が言葉を獲得した時、大きく進化し、情報伝達、関わりにおいて大きな発展がありました。同じように、子どもたちの中でも、言葉がつかえるようになった時、その関わりは大きな発展を迎え、またそれを理解できることというのは、今回の男の子の様に自己を確認するきっかけにもなる場合もあるのですね。

子どもたちがどんなことを話しているか、どんな反応をしているか、毎日楽しみがつきません。                  (報告者 西田泰幸)

チーム替え

以前「チーム活動」というタイトルで園のテーマにある「季節」にちなんで学童でお当番活動等を行うチームを決め、活動した報告をさせていただきました。

今回は年度の半分を過ぎ、子どもたちがチームとして活動することをしっかりと理解し、チーム内の自分の位置・役割を把握し、バランスが取れ、各チームの色が確立したことをきっかけに思い切ってチーム替えを決行しました。

前回同様、四季をテーマに大きく4チームに分け、あえて仲の良いグループと前回のチームメイトを上手く散らし、大人が編成しました。

新しいチームを発表したときの子どもたちの反応は、不満は一切なく、みんな目がキラキラしていました。

私は不満を持つ子が1人はいるだろうと思っていたので驚きました。

そこで、1人の子に「チーム替え嫌じゃなかった?」と聞いてみました。

すると、「全然!むしろ楽しみ!」と前向きな返答が返ってきました。

中には、「席替えみたいで楽しい!」と答えた子も…

そんな子どもたちの様子を見ているとこちらの楽しみも倍増する思いです。

新しいチームの最初の活動は、チーム名を決めることから始まり、どんなチームになりたいかを話し合いました。

残り半分の年度を新しい各チームがどのような色を出していくか楽しみでなりません。

最初の方に、あえて仲の良いグループと前回のチームメイトを上手く散らし、大人がチーム編成をしたと書きましたが、その様に今回は大人の思惑が濃く反映したチーム編成となりました。

今回のチーム編成のポイントは大きく2つあります。

1つは前回のチームでリーダーシップを取り、チームを引っ張っていってくれた子をあえて一緒にしたチームと前回のチームではリーダーポジションではなかった子たちだけのチームを作り、各チームどう機能していくのか。

チームによって自分の位置・役割は変わっていくものと考えます。

私自身今まで様々な集団に属してきましたが、同じ位置というのはそう多くありません。

集団によって、その集団を構成する仲間によって自分の位置・役割は多種多様です。

この1つ目のポイントはこれからの人生で属するであろう多様な集団に順応できるスキルを養っていくと同時に、仲間、そして自分自身を知ることに繋がっていけばと思います。

もう1つは学童生活で関係の薄い子、関係を深めていって欲しい子を組み合わせてみました。

関係が薄いということは今後の関係性が未知数とも言えます。

極端に言えば、ここで生まれた関係性により、その子が生涯の友と成り得るかもしれないということです。

この2つに共通するのはチームの仲間を観察すること、そしてその仲間たちの個性・長所を見出し、その上で集団内の自分の位置取りをすることを感覚的にでも捉えてくれたらと個人的に思っています。

この2つのポイントがチーム活動にどう活きていき、子どもたちの関係性にどう変化をもたらしていくのか、今後の活動報告で報告できたらと思います。

また、このチーム編成を行う上で学童職員で話し合って決めたのですが、どの子とどの子を組み合わせたいか等、ほとんど意見が一致し、子どもたち一人一人を見守る目線が同じであることを再認識できた今回のチーム替えでした。(投稿者 若林)

アートと芸術①

 大学時代に、絵本文化論という授業で「自分だけの絵本ノートを作る」という課題がありました。絵本ノートとは、図書館などで自分が興味ある絵本を探して読んで、その内容を要約して、そこからどういった感想をもったか、作者は何を伝えようとしているのかなどを自由にノートへ記録していくといった課題でした。まだ、絵本についてもよく分からなかったので、子どもがどんな絵本を好むかというよりも、自分が面白いと感じた絵本を選んでいました。そんな中、ピーター・レイノルズ:作・絵、谷川俊太郎:訳の「てん」という絵本と出会います。その時の衝撃は今でも覚えています。たぶん、言葉では言い表せない当時の自分が目指そうとしていた形、憧れていた人間像がそこにあったのだと思います。
 
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 この絵本は、絵を描くことが苦手の男の子と、そんな男の子の“そのまま”に価値を見いだそうと寄り添う先生の物語です。ちょっとした大人の見方やアシストが、子どもの将来を左右していき、子どもの未知の才能を引き出していくといった過程を見ることができます。幼い頃から言語や造形で表現することが好きで、「アート」の世界感に憧れがあったこともあってか、その絵本に深い共感を覚えたのだと思います。
 
 そして先日、そのようなアートの世界を知りたいと思い『ARTが生み出す子どものチカラ レッジョ・アプローチ、日本の独自なアプローチ』というシンポジウムを聞きに、上野の東京都美術館に行ってきました。今回の内容は、主に日本で「造形作家」という方を呼んで活動に取り入れている園の実践報告と、香川県高松市での取り組み「芸術士がいる保育所」の話を聞きました。私自身、「造形作家」や「芸術士」などの言葉を耳にしたのは初めてだったので、新鮮な気持ちで話を聞くことができました。
 
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 まず、協賛・協力:タマダプロジェクトコーポレーション代表である玉田俊雄氏からの挨拶がありました。そこで、興味深い話を聞きました。アートは、「未来力」であり、「福祉(ハピネス)」であり、「外交力」であるという、独自に考え出したアートの定義についてです。未来を創造する力を育み、自分を表現することで癒され、言葉を超えて世界とつながることができる、そういった力がアートにはあるということです。また、玉田氏は、現代には『リベラルアーツ』が必要だとしきりに言っていました。私はその言葉を聞いたのは初めてだったのでよく分かりませんが、リベラルアーツ教育をしている某大学が、上場企業の中からの支持率が一番高かったという話でした。きっとその大学の卒業生が、上場企業が必要としている能力を携えていたということだと思います。「リベラルアーツ」という単語を調べると、「自由学芸」や「基礎的な教養を形づくり、人としての根幹部分をつくる学び」とか「人間としての教養」などと出てきましたが、教育基本法第一条に書かれている「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質」とも似ているように思います。少し気になるので、これは、またの機会に学び直したいと思います。
 
 では、さっそく内容に入りたいと思いますが、それはまた次回に報告させて頂こうと思います。
 
(報告者 小松崎高司)

7つの習慣 9

前回までの話で「聞く力」ということが話に上がりました。そして、自分自身その「聞く力」を努力しているものの、なかなか「話すこと」を優先してしまい、聞くというところに向かわないことが反省としてあります。特に組織に至ってはどうしても「聞く」だけでは解決まで至らず、考えが違った場合や方針とは違った場合は時として考えをしっかりと伝えなければいけないときはあります。ここからが私の課題なのですが、うまく人に伝えるためにはどういった点で話をしなければいけないのでしょうか。うまく「聞く」うまく「話す」ためにはどうしたら良いのか。6つ目の習慣はそのことについて書かれていました。

 

その6つめの習慣とは「シナジーを創り出す」ことです。「シナジー」とは「相乗効果」のことです。人と一緒に組んで何かをしているときにどうしても共通点ばかりに目がいきがちになります。しかし、ここでは共通点ではなく、相違点をいかにお互いが活かし合い、シナジー効果を生むことで大きな成果にするかということが書かれています。コヴィ氏はこのシナジーのことを「人生においてもっとも崇高な活動」であると見なしています。それはなぜかというとシナジーを創り出せば、今まで存在しなかった新しいものを生み出せるからです。前述にもあったように「シナジー」とは相互作用のことですが、新しいものを生み出す「シナジー」の本質は「違いを尊重する」ことだとここでは説明されています。そして、お互いに納得できる「第三の案」を見いだすことを目指します。ここで注意しなければいけないのがこの「お互いに納得できる」ということが大切です。人と活動しているとどうしても意見がぶつかることは多々あります。そこでついしがちなのが「妥協」です。しかし、妥協した結果は個々の力の和よりも小さな結果しか生まれません。下の図を見てもらうとよく分かると思いますが、相乗効果によって起こる結果は妥協して得た結果より大きな三角形になり、それだけ大きな成果が生まれるのです。

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では、具体的にシナジーをもたらすコミュニケーションとはどういったものか、その鍵はコミュニケーションの「深さ」であるといいます。その深さを表すレベルは三段階、お互いに守りに入り、自分が損しないことだけを考える「防衛的コミュニケーション」。信頼や尊敬がやや高まり、ある程度の相互理解は生まれるが、共感による傾聴がないために解決は妥協によってなされる「尊敬的コミュニケーション」。信頼と協力の度合いが最も高くなり、それぞれの相違点について深く理解し合い、個々があげる成果より大きな成果を生み出せる段階の「シナジー的コミュニケーション」の3つです。どうもこの図を見ているとまだまだ、「シナジー的コミュニケーション」には至っておらず、「防衛的コミュニケーション」や「尊敬的コミュニケーション」でコミュニケーションをとっていることが多いことが分かりました。

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シナジー的コミュニケーションまでいくと前述にあったお互いに納得できる『第三の案』が生まれてきます。それはどちらも当初は考えていなかった案であり、両者の意見を活かした新しい案です。そして、それは双方が得をする「Win-Win」の案になります。

 

ここまで「シナジー」のことを書いてきましたが、このシナジー的コミュニケーションができればとても大きな成果が得られることはよくわかりました。しかし、実際の自分の状況や現実を考えると、そうはうまくいかず、どうしても話ができない人や考えが合わない人、ソリが合わない人がいます。このようにとても共感できない、尊重や相違点を持つことなどできないと思っていても、「妥協を選択することは危険だ。」とこの本では言われています。妥協は相手の無神経さ、愛情のなさを認めたことになり、後の争いの種になる。どんな衝突になっても自分は自分の原則を守る。どんな相手に対しても違いを尊重してシナジーを作り出せる。と真摯に人と関わることが必要だと書かれています。

 

「新たな案」を生み出すことについて、以前藤森先生のブログの中で「イノベーション」という言葉がありました。

 

「いかにして新しい価値を創造するか」イノベーションということについて以前ブログで取り上げましたが、今、保育界では、乳幼児教育を学校教育に組み入れるか、児童福祉として守るかという岐路に立っています。私は、どちらに組み入れるかというのではなく、新しい「乳幼児教育」という新しい価値を創造すべきだと思っています。乳幼児期に大切にするべき教育は、学校教育でもなく、児童福祉でもなく、その時期だけで大切にするべき教育があるはずです。それを制定するのはまだ早いということも言われていますが、それどころか、今がその時期であると思っています。一体化や、引っ張り合いをして、守ろうとする労力を、創造することに使うべきだと思っています。

(2012年11月21日 「来年のキーワード」抜粋)

 

これからの時代、保育園や幼稚園の一体化など、子どもに関わる社会自体、大きく変わってくるように思います。そういった時代に対応するためにもシナジーを生み出す環境を作ることは必要になってくるでしょうし、そこで生まれる新たな考えは非常に重要なものになってくると思います。

 

「他者とのコミュニケーションが相乗効果的に展開すると頭と心が解放されて新しい可能性や選択肢を受け入れ、自分の方からも新しい自由な発想が出てくるようになる。」ともに共感できる人と一緒に組んで何かをしたときほど、楽しく、新しい発想が生まれることは経験としてあります。お互いがお互いの良さを利用し合い、理解し合う関係は理想です。トップダウンで指示して仕事をする関係ではなく、お互いを尊重する関係を作れるような環境を作ることや目指すことはこれからの社会とても大切なことです。それはなにも大人にとってだけではなく、子どもたちにとっても必要なことです。

(投稿者 邨橋智樹)

出張報告in富山②

午前の公開保育後、また別の保育園さんで園内研修を行いました。

今回の園内研修は、前もって質問事項をもらっていたので塾長はそれをもとに答えながら話しをしていきました。

Q人形の片付ける場所を示しているが、片付けられない。どうすれば…

A「人形」や「ブロック」など、集合の概念がないとか片付けられない。1歳児で大切な遊びは見立て遊びです。見立てることで、想像力が養われます。また、3~5歳児では、「散歩」が大切です。というのは、行った先が目的地ではなく、向っている道中が目的地と言われている。歩いている途中で面白いものを見つけたり、発見をすることが大切。

Qハイハイを十分にすることはとても大切なのは理解しているのですが、9か月の子が立ち上がってしまい、その子に対してどうしていけばいいのか。

A立ち上がるためには、先ずつかまり立ちをするはずなので、つかまれるもの(家具や、先生の足など)を遠ざける必要がある。

Q3歳で出来ていてほしいことができていない場合は…

A発達とは飛ばすことができないことから、2歳の時に先生が十分にしてあげなかったからなのでは。その部分だけ2歳児と同じ対応をしてやってあげちゃう。園を卒園するまでにできるようになっていれば良い。

Q5歳児の子たちが「自分が、自分が」という主張が強すぎて相手に対しての思いやりがないのですが…

A自分の主張が通ったり、話を聞いてくれたという喜びを先ず感じさせてあげる。そうすれば相手の気持ちもわかってあげられる。

Qアレルギー児が増えてきているのですが、それに対する対応とは…

Aアレルギーとは、自分の身体に異物が入ってきたという反応なので、「あまりの清潔主義はほどほどに」を提案している。

といった質問を答えながら園内研修をしていきました。このように全国の保育園さんで園内研修をし、質問などを聞いていると、その保育園さん独自で悩んでいる事だったり全国的に悩んでいることだったりと、私自身は調理なので私では気付けない部分を保育士さんが普段悩んでいる事と、それに対する答えが学べることが最近刺激的です。(報告者 柿崎)