アートと芸術①

 大学時代に、絵本文化論という授業で「自分だけの絵本ノートを作る」という課題がありました。絵本ノートとは、図書館などで自分が興味ある絵本を探して読んで、その内容を要約して、そこからどういった感想をもったか、作者は何を伝えようとしているのかなどを自由にノートへ記録していくといった課題でした。まだ、絵本についてもよく分からなかったので、子どもがどんな絵本を好むかというよりも、自分が面白いと感じた絵本を選んでいました。そんな中、ピーター・レイノルズ:作・絵、谷川俊太郎:訳の「てん」という絵本と出会います。その時の衝撃は今でも覚えています。たぶん、言葉では言い表せない当時の自分が目指そうとしていた形、憧れていた人間像がそこにあったのだと思います。
 
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 この絵本は、絵を描くことが苦手の男の子と、そんな男の子の“そのまま”に価値を見いだそうと寄り添う先生の物語です。ちょっとした大人の見方やアシストが、子どもの将来を左右していき、子どもの未知の才能を引き出していくといった過程を見ることができます。幼い頃から言語や造形で表現することが好きで、「アート」の世界感に憧れがあったこともあってか、その絵本に深い共感を覚えたのだと思います。
 
 そして先日、そのようなアートの世界を知りたいと思い『ARTが生み出す子どものチカラ レッジョ・アプローチ、日本の独自なアプローチ』というシンポジウムを聞きに、上野の東京都美術館に行ってきました。今回の内容は、主に日本で「造形作家」という方を呼んで活動に取り入れている園の実践報告と、香川県高松市での取り組み「芸術士がいる保育所」の話を聞きました。私自身、「造形作家」や「芸術士」などの言葉を耳にしたのは初めてだったので、新鮮な気持ちで話を聞くことができました。
 
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 まず、協賛・協力:タマダプロジェクトコーポレーション代表である玉田俊雄氏からの挨拶がありました。そこで、興味深い話を聞きました。アートは、「未来力」であり、「福祉(ハピネス)」であり、「外交力」であるという、独自に考え出したアートの定義についてです。未来を創造する力を育み、自分を表現することで癒され、言葉を超えて世界とつながることができる、そういった力がアートにはあるということです。また、玉田氏は、現代には『リベラルアーツ』が必要だとしきりに言っていました。私はその言葉を聞いたのは初めてだったのでよく分かりませんが、リベラルアーツ教育をしている某大学が、上場企業の中からの支持率が一番高かったという話でした。きっとその大学の卒業生が、上場企業が必要としている能力を携えていたということだと思います。「リベラルアーツ」という単語を調べると、「自由学芸」や「基礎的な教養を形づくり、人としての根幹部分をつくる学び」とか「人間としての教養」などと出てきましたが、教育基本法第一条に書かれている「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質」とも似ているように思います。少し気になるので、これは、またの機会に学び直したいと思います。
 
 では、さっそく内容に入りたいと思いますが、それはまた次回に報告させて頂こうと思います。
 
(報告者 小松崎高司)

7つの習慣 9

前回までの話で「聞く力」ということが話に上がりました。そして、自分自身その「聞く力」を努力しているものの、なかなか「話すこと」を優先してしまい、聞くというところに向かわないことが反省としてあります。特に組織に至ってはどうしても「聞く」だけでは解決まで至らず、考えが違った場合や方針とは違った場合は時として考えをしっかりと伝えなければいけないときはあります。ここからが私の課題なのですが、うまく人に伝えるためにはどういった点で話をしなければいけないのでしょうか。うまく「聞く」うまく「話す」ためにはどうしたら良いのか。6つ目の習慣はそのことについて書かれていました。

 

その6つめの習慣とは「シナジーを創り出す」ことです。「シナジー」とは「相乗効果」のことです。人と一緒に組んで何かをしているときにどうしても共通点ばかりに目がいきがちになります。しかし、ここでは共通点ではなく、相違点をいかにお互いが活かし合い、シナジー効果を生むことで大きな成果にするかということが書かれています。コヴィ氏はこのシナジーのことを「人生においてもっとも崇高な活動」であると見なしています。それはなぜかというとシナジーを創り出せば、今まで存在しなかった新しいものを生み出せるからです。前述にもあったように「シナジー」とは相互作用のことですが、新しいものを生み出す「シナジー」の本質は「違いを尊重する」ことだとここでは説明されています。そして、お互いに納得できる「第三の案」を見いだすことを目指します。ここで注意しなければいけないのがこの「お互いに納得できる」ということが大切です。人と活動しているとどうしても意見がぶつかることは多々あります。そこでついしがちなのが「妥協」です。しかし、妥協した結果は個々の力の和よりも小さな結果しか生まれません。下の図を見てもらうとよく分かると思いますが、相乗効果によって起こる結果は妥協して得た結果より大きな三角形になり、それだけ大きな成果が生まれるのです。

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では、具体的にシナジーをもたらすコミュニケーションとはどういったものか、その鍵はコミュニケーションの「深さ」であるといいます。その深さを表すレベルは三段階、お互いに守りに入り、自分が損しないことだけを考える「防衛的コミュニケーション」。信頼や尊敬がやや高まり、ある程度の相互理解は生まれるが、共感による傾聴がないために解決は妥協によってなされる「尊敬的コミュニケーション」。信頼と協力の度合いが最も高くなり、それぞれの相違点について深く理解し合い、個々があげる成果より大きな成果を生み出せる段階の「シナジー的コミュニケーション」の3つです。どうもこの図を見ているとまだまだ、「シナジー的コミュニケーション」には至っておらず、「防衛的コミュニケーション」や「尊敬的コミュニケーション」でコミュニケーションをとっていることが多いことが分かりました。

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シナジー的コミュニケーションまでいくと前述にあったお互いに納得できる『第三の案』が生まれてきます。それはどちらも当初は考えていなかった案であり、両者の意見を活かした新しい案です。そして、それは双方が得をする「Win-Win」の案になります。

 

ここまで「シナジー」のことを書いてきましたが、このシナジー的コミュニケーションができればとても大きな成果が得られることはよくわかりました。しかし、実際の自分の状況や現実を考えると、そうはうまくいかず、どうしても話ができない人や考えが合わない人、ソリが合わない人がいます。このようにとても共感できない、尊重や相違点を持つことなどできないと思っていても、「妥協を選択することは危険だ。」とこの本では言われています。妥協は相手の無神経さ、愛情のなさを認めたことになり、後の争いの種になる。どんな衝突になっても自分は自分の原則を守る。どんな相手に対しても違いを尊重してシナジーを作り出せる。と真摯に人と関わることが必要だと書かれています。

 

「新たな案」を生み出すことについて、以前藤森先生のブログの中で「イノベーション」という言葉がありました。

 

「いかにして新しい価値を創造するか」イノベーションということについて以前ブログで取り上げましたが、今、保育界では、乳幼児教育を学校教育に組み入れるか、児童福祉として守るかという岐路に立っています。私は、どちらに組み入れるかというのではなく、新しい「乳幼児教育」という新しい価値を創造すべきだと思っています。乳幼児期に大切にするべき教育は、学校教育でもなく、児童福祉でもなく、その時期だけで大切にするべき教育があるはずです。それを制定するのはまだ早いということも言われていますが、それどころか、今がその時期であると思っています。一体化や、引っ張り合いをして、守ろうとする労力を、創造することに使うべきだと思っています。

(2012年11月21日 「来年のキーワード」抜粋)

 

これからの時代、保育園や幼稚園の一体化など、子どもに関わる社会自体、大きく変わってくるように思います。そういった時代に対応するためにもシナジーを生み出す環境を作ることは必要になってくるでしょうし、そこで生まれる新たな考えは非常に重要なものになってくると思います。

 

「他者とのコミュニケーションが相乗効果的に展開すると頭と心が解放されて新しい可能性や選択肢を受け入れ、自分の方からも新しい自由な発想が出てくるようになる。」ともに共感できる人と一緒に組んで何かをしたときほど、楽しく、新しい発想が生まれることは経験としてあります。お互いがお互いの良さを利用し合い、理解し合う関係は理想です。トップダウンで指示して仕事をする関係ではなく、お互いを尊重する関係を作れるような環境を作ることや目指すことはこれからの社会とても大切なことです。それはなにも大人にとってだけではなく、子どもたちにとっても必要なことです。

(投稿者 邨橋智樹)

出張報告in富山②

午前の公開保育後、また別の保育園さんで園内研修を行いました。

今回の園内研修は、前もって質問事項をもらっていたので塾長はそれをもとに答えながら話しをしていきました。

Q人形の片付ける場所を示しているが、片付けられない。どうすれば…

A「人形」や「ブロック」など、集合の概念がないとか片付けられない。1歳児で大切な遊びは見立て遊びです。見立てることで、想像力が養われます。また、3~5歳児では、「散歩」が大切です。というのは、行った先が目的地ではなく、向っている道中が目的地と言われている。歩いている途中で面白いものを見つけたり、発見をすることが大切。

Qハイハイを十分にすることはとても大切なのは理解しているのですが、9か月の子が立ち上がってしまい、その子に対してどうしていけばいいのか。

A立ち上がるためには、先ずつかまり立ちをするはずなので、つかまれるもの(家具や、先生の足など)を遠ざける必要がある。

Q3歳で出来ていてほしいことができていない場合は…

A発達とは飛ばすことができないことから、2歳の時に先生が十分にしてあげなかったからなのでは。その部分だけ2歳児と同じ対応をしてやってあげちゃう。園を卒園するまでにできるようになっていれば良い。

Q5歳児の子たちが「自分が、自分が」という主張が強すぎて相手に対しての思いやりがないのですが…

A自分の主張が通ったり、話を聞いてくれたという喜びを先ず感じさせてあげる。そうすれば相手の気持ちもわかってあげられる。

Qアレルギー児が増えてきているのですが、それに対する対応とは…

Aアレルギーとは、自分の身体に異物が入ってきたという反応なので、「あまりの清潔主義はほどほどに」を提案している。

といった質問を答えながら園内研修をしていきました。このように全国の保育園さんで園内研修をし、質問などを聞いていると、その保育園さん独自で悩んでいる事だったり全国的に悩んでいることだったりと、私自身は調理なので私では気付けない部分を保育士さんが普段悩んでいる事と、それに対する答えが学べることが最近刺激的です。(報告者 柿崎)

子どもとの関わり

私事なのですが、10月から新宿せいが保育園で再び働かせていただいています。

1年半ぶりに戻ってきたのですが、色んな変化があり、勉強させられるばかりなのですが、ついこの間、すごく驚いたことがありました。

 

それは、戻ってきてから、初めて0,1歳の部屋に保育に入った時に、子どもたちがだれも泣かなかったということです。

3、4,5歳児クラスぐらいからだと、まだ私がいた時を覚えていて、普通に話しかけてくれます。

ですが、初めて会う0,1歳の子どもたちが誰も泣かずに一緒に遊んでくれるとは思いませんでした。

 

中には「だれなのかなー」と、私のことを見つけて警戒する0歳さんもいたのですが、しっかりと自分で慣れている先生を探し、その近くに位置取りながら観察していました。

 

考えてみれば、新宿せいが保育園では朝夕の保育中に違うクラスの職員と関わりがあったり、時間が空いた時間に保育室に来てくれる調理の職員いたり、看護や事務の職員など、40人近い大人が子どもたちそれぞれと関わっています。

40人近い人と関わること、それは大人の生活の中でも多いと感じるのに、0~5歳の間にそれが経験でき、普通のことになっているというのは、とてもいい経験だなと感じます。

 

そんな中、3,4,5歳のクラスには何人か、警戒をしたまま近くに寄ってこない子もいました。もちろん、それもどうするのかな~とその子どもたちの様子を見ているのですが、そんな様子を見ていてあることを思い出しました。

 

以前、NHKのヒューマンという番組で

紛争地域に入った軍隊が言葉も通じない環境で一触即発の空気の中、そこにいる民衆とどう向き合ったかというシーンでした。得も言われぬ空気の中、そこにいる軍隊がとった行動は「みんなで笑う」ということでした。「笑顔」見せることで、その場の空気は穏やかになり、そこをやり過ごすことができたそうです。

 

子どもたちの警戒と、紛争はだいぶ違うかもしれませんが、「笑顔」を見せながらゆっくり仲良くなっていきたいと思います。

 

(報告者 西田 泰幸)

緊急時アレルギー対応2

前回に引き続き「緊急時のアレルギー対応について~エピペンの実技指導、アナフィラキシーの対応など~」の研修についての報告をさせていただきます。

アナフィラキシー症状が見られた場合に使用することで、医師の治療を受けるまでの短時間、症状を緩和させることでき、ショック症状を起こす事を防ぐ補助治療剤が「エピペン」です。

エピペンは太ももの前外側に注射するもので、入っている成分はアドレナリンです。

アドレナリンには血圧を上昇させる作用があるそうです。

エピペンを注射する上での状況判断基準は、蕁麻疹まではまだ注射せずに経過観察で、食後30分以内にゼーゼー(喘鳴)、喉が苦しい、オットセイが鳴くような咳、顔色が青白い、唇が紫色のいずれかか、嘔吐を繰り返し、脈が速いか、動悸を訴える場合に注射するべきだそうです。

そこで講師の先生がこの講義の中で最も強く訴えていたことがあります。

それは、「本人の意思は無用、親へは事後承諾で!!」ということです。

最初は人命を優先すれば当たり前のことなのに、なぜそこまで強調するのかわかりませんでした。

しかし、現在では子どもが嫌がったので子どもの意志を尊重して注射しなかったという事例が多くあるそうです。

逆に経過観察段階の蕁麻疹が出たから注射してしまい、結果的にアナフィラキシーではなく、誤射となるケースも少なくないようです。

この2つのケースの原因は、共にアナフィラキシー症状が出た時のエピペン注射の状況判断基準における知識不足であり、この2つのケースは命を落とす危険性があるのです。

しかし、エピペンを打たなくても誤射してしまっても罪には問われません。

これが知識不足を促す結果となっている気もしますが、罪になるとなれば、また別の問題が生じる事でしょう。

罪になる、ならないは関係なく、子ども預からせていただいている私たち保育者や教育者は、アナフィラキシー症状が出た時のエピペン注射の状況判断基準における知識をしっかりと養っておく必要性を強く感じます。

私がこの研修に参加した経緯は、私が勤めさせていただいている学童の子どもの中にエピペンを処方されている子がいるからでした。

しかし、もっと幅広くこのような研修を行い、皆が皆周知していかなければなりません。

現に学童にいるエピペンを処方されている子が医師から学童の職員に渡すようにとエピペン使用時のことを記してある書類がありますが、その書類に書かれていることは要点をまとめたものにすぎず、今回の研修で初めて知り得たことが多々ありました。

今回の研修でアレルギーの原理からアナフィラキシーが出た時のエピペンを用いる細かな対応まで学べる良き機会となったと共にこの研修を受ける必要性を受けたものが広めていかなくてはといけないと感じた研修でした。(投稿者 若林)

出張報告in富山①&同窓会

10月9日から11日まで富山県の保育園さんが公開保育をするという事と、また別の保育園さんから園内研修の依頼があったので塾長に同行させてもらいました。

以前からこの園内研修は決まっていたのですが、今年ドイツに行ったメンバーが2名働いている保育園さんで、その公開保育に横浜の園の園長先生も出席をすると聞いたのでそれならばという事で同窓会開催の話が決まりました。決まったと言っても公開保育まで残り一か月を過ぎていたので、「最悪集まらなかった場合には5人でもやろう」と塾長と話していたくらいでした。そして募集をかけ、最終的に集まったのは10名と予想を超える人数が集まってくれました。

同窓会を毎年開催する目的は、ドイツに行ってから学んできたことを実践したり、どう自園に取り込んでいったなどの発表をしたりする会です。今回の会はドイツへ行ってから3ヶ月半後というスピード開催だったので、なかなか実践までいってないという話もありましたが、やはり一緒に行ったメンバーという事で再会の嬉しさと楽しさでとても盛り上がった会となりました。

10日の午前中は、その保育園さんの公開保育でした。個人的に一番目を引いたのは、模造紙1枚分くらいの大きな手作りカレンダーでした。そこには、10月に予定している遊びや活動などが書かれていました。そのカレンダーを作り始めたきっかけは、盆踊りの日までに子どもが自分のお面を一週間ある中でいつ作るかを計画できるカレンダーでした。一斉にやるのではなく期間の提示があることで、いつ作ろうかと考える。また、「今はこれがしたい」という遊びの優先順位が決められる、2~5日くらい先を見通せるようになる。という目的があったそうです。先生が一回一回確認をしたり、先生からその日にやらせてしまうというものではなく、あくまでも子どもを主体とし、自分でいつやるかを選択させているという事でとても参考になりました。

10月の予定カレンダー

10月の予定カレンダー

また、給食の様子も見学させてもらっていているなかで、先生だけ主食が置かれていなかったので質問させてもらったところ「主食だけは自分たちで持って来てもらっています」と教えて頂きました。後から塾長に聞いたのですが、「全国ではむしろその方が多い。ウチみたいに大人と子どもが同じのを食べ、同じ時間に食べられるのは珍しい方だよ」と教えてもらいました。臥竜塾メンバーにも実家が他県で保育園をやっていので聞いてみたところやはり新宿せいがが珍しいということでした。

今まで普通だと思っていたことがむしろ全国では珍しいといことに驚きました。「違い」を感じながら思ったことは、

塾長が常々言っている事ですが、やはり子どもを主体とし、最善の利益を与えていかねければなりません。それには先ず、先生たちが楽しんで働けることが大切だと思います。それが全国共通になれば子どもにも良い影響があるように思います。(報告者 柿崎)

マネジメント10

とうとうマネジメント10になりました。
理解しにくい箇所も多々あったかもしれませんが、ここまで読んで下さった皆さんに心から感謝します。

さて最後に私が「もしドラ」を読んでこれは保育園にとても関わるドラッガーの言葉ではないか?と感じた言葉は

「真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。
 真摯さは、とってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければならない。ごまかしがきかない。ともに働く者、特に部下に対しては、
 真摯であるかどうかは2、3週間でわかる。無味や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。だが、真摯さの欠如は許されない。
 彼らはそのような者をマネージャーに選ぶことを許さない」

これは先輩としての心構えとしては大切にしたい言葉です。
やはりドラッガーの中では「真摯さ」というのは何に置いても重要視しなければいけない事なのかもしれません。
保育に対して真摯に取り組んでいるか?子どものことを真摯に考えているか?
確かに私が1年目の時の先輩達の姿を思い出してみました。
当時は養成校も出ていない私が保育園の世界に飛び込みましたが、
正直言うと、子どもと遊ぶという印象しかありませんでしたが、
職員会議や園長先生の話、そしてそれを真剣に聞く先輩がた、
さらに園長先生の話しを聞いた上での職員同士の話し合い・・・。
全てが真剣に取り組み、
「保育というのはこんな人を熱くする職業なのか!?」
と感じた記憶があります。そんな姿をみて私も徐々に保育というのに興味を持ち、
学ぶようになりました。

何度もブログでも言いましたが、今年から後輩が入り、一緒に仕事をするわけですが…当時の先輩達のようにたち振る舞っているのか?

と常に考え、自分なりに悩む時があります。
ただ、このドラッカーの言葉を聞いて、なんだかスッキリした気分です。
「真摯さ」これを忘れずに、心掛けて行動する事が大切なのかもしれません。
先輩だから指導しなければいけない、先輩だからいい格好しなければいけない…変に気負うのでなく、
日々の仕事を真摯にこなすこと。簡単そうに見えて、一番難しいと思います。

見学者の方や研修先での質問で、後輩の指導をどうしたらいいか?と聞かれます。
その時に私がいつも答えるのは、先にも書いたように、先輩の姿を見て色々と学んできました。と…。
そして今でも先輩がよく言われるのは、私も教えられるほど、まだ分からない。

ベテランの先生が未だ分からないって目の前で言われたら、自分なんて、まだまだですね(笑)
ただ、それだけ簡単に身に付けられる保育ではないし、奥が深いです…。

「もしドラ」を読んだのは、今から5年前くらいですかね。塾長の奥様から勧められて読んだのがきっかけです。

そもそもドラッカーという人物すら知らなかったので、多少は抵抗がありましたが、読めば読むほどドラッカーの言葉に魅了されました。
しかしながら、当時はまだ保育の現場に繋げることが出来ませんでしたが、やっと何となくですが当時よりも深く理解できているように思います。
自己満足ですけが…。ただこうして、保育の現場に自分なりに、つなげて考える事で本当に勉強になったと思います。
また今回に限ったことではありませんが、
有名な人の言葉や考え方というのは私は、どこか通じる物というか、
考えるベースが似ているように思います。
塾長はドラッガーの本は読んだことがあるとしても、彼を研究しているわけではありませんし、
基本的に塾長個人の考え方です。決して真似ではなくオリジナルです。
しかし似ています・・・。
これに関して言うと、永遠の謎かもしれません。
そんな塾長から日々学ぶということは、本当に貴重な経験ですし、人生の財産になります。
今後もより一層、真摯に学ぶ姿勢を大切にしていこうと思います。
と「もしドラ」を勝手に終わろうとしていますね。肝心な本のストーリーを飛ばしてました(笑)
そうですね…気になる方は…ネットで検索してみてください!!
(投稿者 山下祐)

7つの習慣 8

前回「話すこと」よりも「聞くこと」、「聞く」=「信頼」という話をしました。では、どうしたら自分の「聞く力」をステップアップできるのでしょうか。

まず、相手と話をするときに目指すところは4つめの習慣「Win-Win」です。話す側も聞く側もどちらも幸せになるように聞くことが理想です。そして、「話す側」に信頼してもらうためには「共感」することが大切です。子どもたちとの関係でもよくこの「共感」は大切になりますね。大人にとってもその気持ちは変わらず、「共感してくれる、聞いてくれる」からこそ、話そうと思うものです。では、人はどういったときに「共感してもらっている」と感じるのでしょうか。コヴィ氏は「共感による傾聴とは相手の目線で話を聞き、心の底から誠意をもって相手を理解しようとすること」といっています。つまり、相手が「何を言ったか」という目線ではなく、「どう感じたか」を聞くようにすることが必要です。その目線を持つだけで、聴き方は大きく変わってくるかもしれませんね。つい相手の感情や世界を見ずに相手の話を止めて、自分が話し始めてしまうことは少なくありません。人の話を聞くときはまず自分の「話したい」という欲求をできるだけ自制することが大切です。

また、この章では会話の段階を4つに分けています。0から始まり、「無視」、「聞くふり」、「選択的に聞く」、「注意して聞く」、「感情移入して聞く」の5項目でその最上位が「感情移入して聞く」と言うことです。この「感情移入」というのがなによりも「共感」ということに近づくわけですが、ここで1つ落とし穴があります。感情移入とありますが、それは「自叙伝的な聴き方」をしては相手が「共感」したとは思わないということです。「自叙伝的聴き方」とは人の話を自分の経験上で解釈し、評価しようとする聞き方です。「私のときはこうだった」という話し方がそうです。結局その話し方では相手にとっては「本心の意味で気持ちを分かち合ってくれた」とは思わず、「自分と比べられた」と思うであろうし、ともすれば、「自分はだめだ」と悲観的に捉えてしまうことにもなってしまいます。そういった上辺だけの傾聴(もどき)は逆に相手を傷つけ、人間関係を最悪の方向に持っていきます。なによりも必要なことは「相手を心から理解しよう」と思う気持ちが「傾聴、共感」を生むのです。

それらを踏まえ、共感による傾聴の上達のために、4つのステップが紹介されています。第一段階は「相手の話の中身(キーワード)を繰り返す。」これにより相手の話を注意して聞くようになる。第二段階は「話の内容を自分の言葉に置き換えて話す」話の内容を考えながら聞くようになる。第三段階「相手の感情を自分の言葉で置き換えて話す」相手の感情に注意して聞くようになる。第四段階「第二、第三を同時に行う」この段階で初めて相手は心を開き、信頼感が生まれる。これらの4つの段階を注意して心がけることで「共感による傾聴」が上達していくと書かれています。そして、ここの最後の文章には「あくまでこれらのスキルを使った傾聴は、相手を理解したい」という誠意があってこそ、意味がある。と言われており、そのためには以前から説明しているある7つの習慣を心がけていないとできないことです。

文章だけで見ると、その「共感による傾聴」は決して難しいことではないように思えました。しかし、なによりも「相手を理解しよう」と思う気持ちを持つことが一番先で有り、まだまだ自分自身冷静な気持ちを持つことができず、熱くなってしまい「傾聴もどき」をしている部分は多々あります。自分の「話したい」欲求を止めること、自制できることはある意味「人格者」になるための第一歩なのかもしれません。

以前、私の園にカグヤの方が来られて「一円対話」をしました。そこでのルールには「相手が話している間は聞く、言葉や相づちをいれない」というルールがありました。一円対話ではあくまで「ルール」だったのですが、それは相手の言葉に感情移入できるための一つ目のステップをルールにより超えることができるようにしたものだったというのが分かります。

今回の話は自分にとってはかなり大きく、重要な内容だったのですが、ちょっとした心がけ1つで相手の信頼は大きく変わります。私は「話すのが好き」なタイプなので、どうしても自分の方に話を持っていこうとするのですが、それではいけませんね。この章にはこうも書かれていました。「私たちは多くの場合、外部の助言がなくても自分をコントロールできる。心を開くチャンスさえあれば・・・自分の問題を解きほぐしてくれる。すると解決策がその過程ではっきりと見えてくるものである。」人に話しているうちに自分のしなければいけないことが見えてくることはとても多くあります。話していくうちに「気づく」この姿勢は「見守る」ことに近いように思います。相手のことを信じて、理解しようとする。ということは保育においても、実社会においても必要とされるものだというのを改めて感じました。

(投稿者 邨橋智樹)

伝え方

新宿せいが学童クラブでは登所すると、必ず連絡帳を出すことになっています。

保育園と違い、子どもたちだけで来て、子どもたちだけで帰るので、帰宅時間の変更などがあった場合は、この連絡帳に書かれることになっています。

 

ほとんどの子が来ると同時に出してくれるのですが、学童で友達に会えたことが嬉しかったり、何をして遊ぼうか考えていたり、はたまた宿題のことを考えていたりと忘れてしまうことも時々。そんな時は職員が声をかけて、出してもらったりもしています。

 

先週、そんな連絡帳を何日も出し忘れてしまっている子がいました。

当然、その度に、「連絡帳忘れてないかい?」などと声をかけられているのですが、正直、声をかける方も、かけられる方もいい気分ではありません。

 

そんな思いがお互いに通じたのか、ある日、学童の入り口をくぐるなり、連絡帳を職員に渡していました。そんな様子に、私も、その子も思わず微笑んでしまいました。

 

その日のおやつ後、みんなで話をするタイミングで、当番の子どもたちが「先生からなにか伝えることはありますか?」と聞かれ、思わずこういってしまいました。

 

「最近、連絡帳を出し忘れている人がとても多くなってます。もしかしたら、よく言われているなと思っている人もいるかもしれません。でも、今日はそんな中、誰よりも早く連絡帳を出してくれた人がいます。それは○○くんです」と、その子の名前を言うと、照れくさそうにしながらも、嬉しそうでした。

 

それ以来、、、といってもまだ3日ほどですが、その子は学童に来て、連絡帳を出し忘れることはなくなりました。そして連絡帳を出した後、ハイタッチをするというちょっとした楽しみもできました。

口うるさくなってしまいそうな時は、褒めることを忘れずに、伝えたいことが、お互いにうれしく思えることは一番の伝え方のような気がします。

(報告者 西田 泰幸)

川の流れ方

 園の近くには、「おとめ山公園」という、素晴らしい公園があります。子どもたちと、よくそこへ散歩に行って遊んでいるのですが、先日、面白い遊びをしていたので報告したいと思います。
 その公園は、自然豊かな傾斜緑地です。その斜面からは、東京の名湧水57選に選ばれているわき水が流れ、小川が流れています。子どもたちは、その小川に潜んでいる「スジエビ」や「タニシ」などを見つけてつかまえようとしていたり、秋の花の蜜を吸いにヒラヒラとやってきた「モンキチョウ」を自分の帽子でつかまえようとしていたり、素足になって芝生の上でゴロゴロしたり、園から自分で持ってきたビニール袋に「ドングリ」や「ムラサキシキブ」を集めたりと様々です。
 そのような中、小川でスジエビをつかまえようとしていた5歳の男児が、持っていた松ぼっくりを小川にポチャンと落としました。すると、その松ぼっくりはゆっくりと下流へ流れていきます。その様子が面白かったのか、その松ぼっくりに「どんぶらこ」という名前をつけ、もとの場所に戻って「いけ!どんぶらこ〜」と投げて、少し先の下流で拾い「頑張ったなぁ俺のどんぶらこ」と言ってねぎらいの言葉をかけていました。
松ぼっくりを川に投げ入れるところ
松ぼっくりを川に投げ入れるところ
 この過程を見ていて思ったのが、“川の流れが早い所と遅い所”、“松ぼっくりがぶつかる障害物(葉や枝)を事前に取り除くこと”、“下にある石にぶつからない深さの場所を見つける”など、多くの配慮事項がなければいけないことです。何度も繰り返しているうちに、子どもたちは遊びを通して修正していくのです。
 また、園から自分で持ってきたビニール袋でスジエビをつかまえようと、袋ごと川にジャボッと入れ、中に入ったかを確認するためコンクリートの歩道にドバ〜っと水を出していました。すると、中に入っているかを確認するよりも、そこに出した水の行方に興味を持ち出したのです。その水は、最初は方々に散らばりますが、そこは斜面のため、しばらく流れると一本の水の道ができます。水はゆっくりと下り始め、「すごい、合体している!」「竜みたい!」と子どもたちは言っていました。その遊びを何度も繰り返すと、水の道が長くきれいに一本の線を描いていきます。その一本道は10メートルくらい続きました。
数本の中から出る一本道
数本の中から出る一本道
水の行方を見つめる子ども
水の行方を見つめる子どもたち
 小川を通して行われた一連の過程を見て、子どもたちは“川ができる原理”、“川の流れ方”を遊びを通して学んでいる!と、ふと感じました。「川」を調べると『として落ちたり地下から湧いたりして地表に存在する水は、重力によってより低い場所へとたどって下っていく。それがつながって細い線状になったものが川である。』と書かれています。
 人が成長していき、目の前にある物や自然現象を、頭ではなく心で理解しているような感覚になるのは、このような遊びのおかげかもしれないと感じました。早速、川の絵本を探して、絵本棚の目立つ所に置いてみたいなと思います。
 そのような遊びを提供してくれる「おとめ山公園」ですが、以前から工事が入っていました。それは、面積拡大のためです。そして、晴れて今月の26日(日)から面積拡張された公園が開放となります。そのことによって、子どもたちの遊びの幅や興味のポイントがどう変化していくのかが楽しみです。塾長の言葉を借りるなら、その場所でしかできない体験を、子ども自らが発見して存分に関わることができるような手伝いをしていきたいと思っています。
川を見つめるトンネルたち
水を見守るトンネルたち
(報告者 小松崎高司)