10月になり、運動会を控えて、少し忙しくなる時期だと思います。
私がお手伝いをしていた保育園でも、ちょうど昨日、運動会がありました。
当日を迎えるまでは、準備やハプニングなど色々ありましたが、やはり本番で子どもたちの頑張る姿や、子ども同士や保護者や職員など笑顔や応援する姿を見ると、みんなで1つのことをやり遂げた感があり、本当にうれしい気持ちになります。
運動会というと準備体操や整理体操がつきものですね。
運動会がまだの園は、夏のプールでやっていた体操や、日常の中でやってきたダンスなどを、楽しみながら振り返っている頃ではないかと思います。
ダンスといえば、少し前に小中学校で「リズムダンス」が必須科目となるということで話題になりました。小学校で取り上げられるというは、保育園にとっても関わりが深いものになると思います。
学童に通っている卒園児に、どんな感じか聞いてみたのですが、小学校ではもともとフォークダンスやよさこいなど取り入れていたのでそれほど、変化は感じないそうです。
ダンスを取り入れた目的は何なのでしょうか。
ダンスには以下の能力が必要といわれています。
- 動きをほかの人と合わせることによる周りをよく観察しないといけない能力。
- 音に合わせて動く、止まる(なので、幼少期のリトミックが推奨される)自分の体のコントロールを自分が思っている通りに行える能力
我が子もダンスが大好きで、毎日いろんなダンスを踊っているのですが、個人的には、一緒に楽しむという所がブームで、うまく踊れなくともお互いに笑ったり、頑張っているところを見るだけで大きな効果がある気がします。
色んな事を経験し、また楽しむことを子どもたちにしっかりと伝えていきたいと思います。
(報告者 西田泰幸)
9月30日に東京の保育園さんで、園内研修があり塾長の講演がありました。
何度か園内研修の依頼がある中で今回は調理、保健、用務などの専門職と呼ばれる人たちを対象に行いました。
初めの挨拶で先方の先生が「今回は調理、保健、用務といった専門職のみなさんを対象とした講演です・・・」というような挨拶があった中で講演が始まりました。そして塾長の一言目が『私の保育園では、「専門職」という呼び方はせず、保育士も調理も保健も用務も全て保育をする人という意味で、「保育者」と呼んでいます。』というお話がありました。つまり、調理は「食」を通して保育をする人。保健は子どもが病気やケガをしないために、ただ殺菌や危険物を排除するのではなく、病気をしない身体を作るには、また、自らの力で危険を回避できるようになるためにはどのような保育をすれば良いかを考える人。用務は、「環境」を通して保育をする人。という意味を込めて「保育者」と呼んでいるということでした。そのような始まりから、塾長が話されていた内容を紹介したいと思います。
・塾長が過去に小学校の先生をしていた際の体験から、牛乳が飲めなかった子に対してちょっとだけ飲ませるのであれば、ちょっとだけ飲んでいっぱい入っているものを残させるのではなく、逆にちょっとだけ残してあげ飲ました方が子どもにとって「飲みきった」という達成感がある。つまり片付けなども一緒で、最後の一つを片付けさせることで片付けきった感がある。次回片付けるときは、それを2つ、3つと増やしていく。
・調理は、ただ栄養価だけを計算し取り入れえるのではなく、自らの身体がそのものを欲するように感じさせるようにするのが「見守る保育」の調理。
・「待つ」ということは、性格スキルを育てる。待った先に楽しいことや良いことがあるとわかっているからこそ待つことができる。逆にそれが示されないと待つことは無意味になってしまうので待つことはできない。
・日本では考えられないのですが、ドイツの保育園を見学した際にトイレの中で座ってお集まりをしていたり、さらにそこには赤ちゃんのおしゃぶりが平気で転がっていたりする。また、園庭はあえて石畳にしたり大きな岩などは転がっている。これは、子どもは本来自分でそれらの菌や、危険などを防げる力を持っている。危険を自らの力で乗り越えさせるのが保育。
・自ら防げる力、自ら身体が欲する力、これが本来持っている力。それを人に予防されたり、与えられることでその能力が失われてしまう。
保育、食、保健、用務がお互いの専門性で物事の重要性を言い合うのではなく、何がその時子どもにとって大切なのかを、すり合わせていくことが大切なのだなと感じました。保育園で働いている「食」の面からの保育者として私自身とても勉強になった今回の研修でした。(報告者 柿崎)
前回、「他者を打ち負かして手にする勝利のことではなく、関わった全員のためになる結果に達するように効果的な人間関係を築くことのためにある」という「公的成功」と「Win-Win」のことを話しましたが、このような関係を作るためにどういった見方を持てば良いのでしょうか。一つは前回話したとおり、「勝者、敗者という考えは間違いである」という考えを持つことであり、そのためにも「ときには会話から降りる」ということです。会話から降りつつ、信頼関係を維持し、次の機会に協力するという考えです。
今回は「Win-Win」を達成するためのもう一つ中心となる考えと5つの柱について書こうと思います。
コヴィ氏は「Win-Win」の考えの中で必要なことは「勝者、敗者という考えは間違いである」という考えともう一つ、「豊かさマインド」の話をしています。人には「豊かさマインド」と「欠乏マインド」があると言います。「豊かさマインド」は「すべての人が満足することは可能だ」という発想です。幸せの量は一定ではなく、新しく作れると言う考えです。一方の「欠乏マインド」は人の成功を「おめでとう」とたたえながら、内心では嫉妬するような考えで、「幸せの量は決まっていて、誰かが一切れ取ると、自分が損をする」という発想です。つまり、私心なしで相手を素直に認めることができるかということですね。う~ん、早くもつまずきそうです。(汗)
しかし、私はこの文章を見て、「共感」と同じ感覚なのかなと思いました。「豊かさマインド」のような気持ちを少しでももっていないと共感はできないように思います。「欠乏マインド」あるほど、ぶつかったり、意地を張ったり、と建設的な話し合いができないように思います。よくよく考えてみると、私もぶつかるときほど、こういった「欠乏マインド」のような考えが少なからずあり、意地を張っているように思います。「欠乏マインド」があるのならば、「豊かさマインド」に切り替える必要がありますね。
さて、これまで話した7つの習慣の始めの「インサイド・アウト」第一の習慣の「主体性」、第二の習慣の「原則」、第三の「最優先事項」で得た誠実性、そして、「豊かさマインド」は「Win-Win」の達成を支える柱でもっとも重要な要素になります。それが次に出てくる5つの柱の一つ目「人格」です。
「Win-Win」は①「人格」②「関係」③「合意」④「システム」⑤「プロセス」の5つの柱によって達成できるとあります。
これらが実際どういった関連性になるかというと
すばらしい人格から始まる交流(①)、それがあることで高い信頼に基づく「関係」(②)を構築でき、だからこそ、議論を尽くして、双方が納得する合意(③)に到達すると言っています。
そして、「Win-Win」を得るにための組織や人間関係を構築するシステムも考える必要があります。チームの業績が上がれば、チームの評価が上がるという方法にシステムを転換する(④)必要です。つまり「チームの為にがんばれ」という単一で個人的な評価になる価値観ではなく、「協力したからこそできた」というチームワークとしての考えや価値観を持てるようなチーム作り、システム作りをすることで組織の中にいる人の人間関係を円滑にしていくことです。
そして、さらに結果に至るまでの「プロセス」も重要であるとしています。コヴィ氏はプロセスには①相手を理解し②解決すべき課題を明確にする。③確保すべき結果を明確にし④結果を達成する選択肢を出す。という4つのステップを進めています。
ながながと文章にするとなんだか難しく思います。つまり、「Win-Win」を得る為には、お互いの信頼関係がなければいけません。そのために自分自身の人格も高めることが必要とされます。そして、組織のあり方や環境における影響も考えていかなければいけません。自分の利益だけを主張しても、信頼は生まれないのです。結果を求めるだけではうまくいかないのです。5つの柱があることで初めて達成できるということを胸において、人間関係を作れるように意識していきたいです。
最後にこの第4の習慣の「Win-Win」のところで面白い文がありました。「豊かさマインド」の説明のところでしたが、「与える人がもっとも豊かになる」という文章でした。その文章を受け、絵本「ギビングツリー」を思い出しました。絵本「ギビングツリー」は保育環境研究所の「ギビングツリー」の名前の由来にもなっています。その絵本の中に出てくる木はもう一人の登場人物である男の子にすべてを与えます。その姿に無償の愛を感じるのですが、組織においても、人との関係においても「与えること」ができる人は「豊かな人」であるというのはとても分かります。与えるためには相手を信じなければいけません。そして、信じる為にはそれだけ自分自身の「度量」が求められますし、その度量こそが「人格」であるように思います。自分もいろんな人に「与える人」になりたいですし、自分を高めることはつねに意識していきたいものですね。
(投稿者 邨橋智樹)
もうすぐ10月を迎え、子どもたちの様子も落ち着き、他のクラスの交流も盛んになってきている今日この頃。
先日3,4,5歳の部屋にいた時に、うれしい出来事がありました。
それは、たまたま遊びに来ていた2歳の子が、ひも通しのおもちゃで遊ぼうとした時に、起きました。
突然、その子が転んでしまい、たくさんのひも通しブロックが部屋中に散らばってしまいました。
がしゃーんと、散らばる音に立ち尽くす2歳の子。
その様子に、「子どもたちの中で誰が助けに行ってくれる人はいるのかな?」と、まずは見ていました。。
すると、すぐに何人かの子が来て、一緒に集めてあげていました。
中には、集め終わったにも、そのまま一緒に遊んであげる子もいました。
さすが3,4,5歳だなと思いながら、
転んでしまって悲しい気持ちになるのではなく、その出来事から周りの助けてあげようという気持ちがうまれたり、今まで遊んだことのなかった子と一緒に遊ぶきっかけになったりと、いいことがたくさんだなと感じました。
しかしその時、私が一番うれしかったのは、違うことでした。
それは何かというと、「伝えたい相手がいる」ということでした。
助けに行ってあげた子の中に、朝の登園時になかなか保護者と離れられず、「いつも甘えん坊なんです」と相談されていた子がいたのです。
これまでもその子が、いろんなことができるのは知っていて、話をしたことはあったのですが、今回も率先して助けに行ってあげていて、誰かを助けてあげたり、自分で頑張ってみたりという、「いい出来事をまた伝えられるな」という、うれしさがありました。
もちろん保護者なので、子どもの頑張っている様子を聞いてうれしいのは当たり前といえばあたり前なのですが、そんな様子を、自分(保育者)だけでなく、心から「一緒に喜べる相手」、「伝えられる相手」がいるというのは、とてもうれしいことのように感じてしまいました。
そして、同じ保育者の仲間、そして子ども達など、一緒に話せる輪を広がっていくと、ただ話をするだけでも、楽しい気持ちがあふれていく。
普通の出来事といえば普通なのですが、そんな風に保育を楽しむことを再認識した出来事でした。
(報告者 西田 泰幸)
本日は私の体験した話をしていきたいと思います。
最近私はある失敗をしました。それこそ今塾長のブログでもある楽観的な考えを参考に自分の気持ちをコントロールしようとしているところです。
ただのその失敗から思うことがありました。
それは職場の方々の考え方から生まれる考え方についてです。
ある失敗をしたとき自分は申し訳ないと思うと同時にどうしたらいいのかという冷や汗が止まらなくなります。この失態についてどう挽回しようかと考えますが、まずは自分の力ではどうしようもない状況でした。
そんな時、まず同僚を見ると笑っていました。自分にとっては重要なことを笑っていました。一見意地悪のように聞こえますが、それはその焦りを柔らかくさせる雰囲気を作ってくれるものとなりました。なぜかというと私を責める人は誰一人いなく、これからどうするかをその後真剣に一緒に考えてくれるからです。ある先生は
「むしろこれから、良い方向に展開するかもよ」
というようなポジティブな考えを示して下さっていました。起こってしまったことを攻めるのではなく、その先をどうするのかを考える姿勢が見られます。そこでその失敗を起こした私は調子に乗るのではなく、反省し、もっと頑張らなくてはいけないと気づかされます。
同僚にそのことを話すと
「そうなんですよね、逆に怒られるより、ありがとうございますという気持ちともっと頑張ろうと思わせてくれますよね」
と言っていました。おそらく同僚もそんな経験をしたのかもしれません。人間誰もが失敗をすると思います。なので大変だったり、失敗をした同僚を見た時は共感し、助け合う必要があると感じます。その失敗に対して周りがどんな対応をとるかによってその保育園や会社の方向性が大きく変わってくるように感じます。
これを機に楽しんでしまおうというような姿勢がよく見られます。その職場の雰囲気からマイナスをプラスに変えてしまう力を非常に感じました。
その考えの原点はまさに塾長の考えから生まれていることはお分かりだと思います。
そんな考えが職場全体に共通していることが良いチームのあり方だとも思います。
そんなことを失敗から学んでいます。
(報告者 本多悠里)
学童にはくつろぎゾーンがあります。
しかし、現在ではくつろぐことの方が少なく、戦いごっこなど子どもたちが大騒ぎしながら遊んでいることもしばしば…
最初はその場に立ち会うと、
「くつろぎゾーンは何のためにあるの?」
と子どもたちに投げかけて子どもたちに考えてもらう機会を作っていました。
しかし、一向に騒ぎは減りません。
一時期悩みましたが、これも子どもたちにとって良い学びとなるきっかけになるのではと見守ることに決めました。
見守っているうちに1つ気付いたことがあります。
くつろぎゾーンは学童部屋の奥の一角にあるのですが、私たち保育者の目を盗むにはトイレ以外にはくつろぎゾーンしかないのです。
前回の生臥竜塾で塾長がおっしゃっていたことがあります。
9月18日に投稿された「自分で選択することの大切さ」に、遊びにおけるゾーンとコーナーの違いが書かれているのですが、
ゾーンとは、そこでの遊びがワクワクし、没頭できる場所、
コーナーとは、そのものを行うために区切られた場所です。
これらを照らし合わせるとくつろぎゾーンがくつろぐためだけの場所であれば、「くつろぎコーナー」なのです。
ここからくつろぎゾーンはくつろぐためだけの場所ではないという意図が伺えます。
現に学童では、月案会議等を行う場所としても使っています。
そして一見、保育者の目を盗むと言うと悪いことのように思ってしまいがちですが、これはとても大切なことのようにも思えます。
良い言い方を変えれば、保育者の目を盗んで生まれた遊びこそが、子どもたちの自発的な遊びなのです。
私たち保育者は子どもたちの自発的な遊びが生まれる貴重な場所を摘んでしまうのではなく、月案でその遊びをより発展させたりとその遊びを拡げてあげる方に徹しなければならないと思えました。
ここまでの内容ではくつろぎゾーンは基本的に騒がしいと思われてしまいがちですが、子どもたち間ではしっかりと伝承されているくつろぎゾーンの決まり事(暗黙の了解)があります。
それは、「くつろぎたい子がいる場合、騒がしくなってしまう遊びはくつろぎゾーンではしない」ということです。
この決まり事がなかったり、守られていなければ私たち保育者は見守ることができなかったかもしれません。
子どもたちが自分たちで決めた決まり事を守り、その上で行われる保育者の目を盗むという行為を活かしながら、子どもたちの自発的な遊びや考えを拡げていこうと思います。(投稿者 若林)
保育の話を先生方とするときになかなか伝わらず、つい強気に出てしまったり、言い合いになったりすることがあります。特に私は自分では相手の言い分を聞いているつもりでも、自分の思いが強いとなおさら、最終的に自分の主張を強く出してしまうことが多く、「議論」ではなく「説得」、悪く言えば「言い負かす」ことが結果として多くなっているように思います。
藤森先生の話の中でも「傾聴」という言葉が出てくることが多いです。その中には「共感」含まれています。そして、それはリーダーになる人だけではなく、保育においても必要不可欠であり、仕事・私生活、人間社会で豊かに生活するためには必要な資質ではないかと思います。非常に自分にとっては耳の痛い話で有り、まだまだ、自分にはたりない部分であり、非常に必要になってくるスキルであると思います。
では、人との対話の中でどういったことを注意したらいいのでしょうか。
「7つの習慣」では、人との関わりの中で必要なことは「Win-Win」を考えることで、そのことが「公的成功」を呼ぶと言われています。つまり「自分も勝ち、相手も勝つ」という考えです。
「私たちはえてして、強いか弱いか、厳しいか甘いか、勝つか負けるか、物事を「二者択一」で考えがちだ。しかし、この考え方には根本的な欠陥がある。原則に基づいておらず、自分の権利や地位にものを言わせる態度だからだ」
けっして、相手を悪く思っていなくても、納得するまで意地を張って話すことは多くあります。特に気づいてほしいと思えば尚更である。しかし、それは不毛な議論であり、その結果、売り言葉に買い言葉、ますます緊張は高まることに繋がってしまうことが多いのではないでしょうか。ときには会話から「降りる」ことが必要であるとあります。
なにより「Win-Win」「公的成功」の考えは「他者を打ち負かして手にする勝利ではなく、関わった全員のために結果に達するように効果的な人間関係を築くことである」こういった人間関係を構築することで、相手の言葉を引きだし、結果に活かすことでより多様な考えも出てきます。相手に譲った方が逆に得することも多くあります。
「Win-Win」という考え方はあなたのやり方でもなければ、私のやり方でもない、もっと良い方法、もっとレベルの高い方法だ」
藤森先生のブログには「WinWin」の関係は、「情けは人のためならず」と日本で言われてきたように、他人にかけた情けは、巡り巡って自分に帰ってくるのです。とNPOテーブル・フォー・ツー代表の小暮真久氏の言葉が書かれています。そして、こういう関係を築くためには7つの習慣の始めに書いた「インサイド・アウト」の考えがなければいけません。
では、実際「Win-Win」に至るまでにはどういった見方や心持ちをしていくことが大切なのでしょうか。「7つの習慣」には「豊かさマインド」と5つの柱が必要であると書かれていますが、次の機会に書かせてもらおうと思います。
(投稿者 邨橋智樹)
今回も、伝統工芸である別府竹細工のワークショップで体験して感じたことを報告していきたいと思います。

真竹
材料に使用される「真竹」は、大分県が生産量全国一を誇っています。弾力に富むため編むのに適しているそうです。竹細工職人は通常、伐採はしないのですが、清水さんは、使う材料がどのようにして自分のもとに来るのか知りたくて、竹を仕入れている仕事現場に行き、竹の伐採にも立ち会うそうです。竹が倒れる際にはキズが付かないように豪快に担ぎ、キズを最小限にしているなど、伐採の仕方を見て「見てみたかったというか、みるべきやと僕は思います。シンプルに、もっと愛情を持って竹を割るようになると思います。それが結果的に、できあがるものに影響があるなと思います。」とも語っていました。
実際にワークショップで作ったのは、「結」ペンダント・箸置き・コースターでした。竹のスベスベした感触と独特な柔らかさや繊細さ、そして意外なほどの強度に悪戦苦闘しながらも、竹との会話を楽しみました。ある方が、清水氏に「竹の中でも、良い竹と悪い竹ってあるんですか?」という質問をしていました。すると、「う〜ん、個人的には全て良い竹だと思っています。竹も勝手に割けられている身ですからね。」と言っていました。この言葉からも、清水氏が竹とどう向き合っているのかが感じ取れました。

コースター制作の途中
子どもを見ていても、良い悪いを決めてしまっているは大人であり、もともと子どもをそんな価値観ではかろうとしていること自体が違っていることを伝えられたように感じました。ワークショップに参加する目的として、竹細工をしてみたいという思いと、清水氏がどんな人間で、どんな生き方をしてきたのかを知りたいという思いがありました。塾長が「保育とは“道”であり、人として生きていく上の道理」と表現しているように、人の生き方の分だけ保育が存在するのだと思っています。自分が出会ったことのない生き方に触れるということは、よい意味で保育に対する価値観を覆す経験にもなると感じました。
竹細工の仕事に喜びを見出し、職人として生きる道を選んだ清水さん。仕事の種類は違いますが、そんな生き方に共感しながら充実した休日を過ごすことが出来ました。

完成品
(報告者 小松崎高司)