マネジメント7

おそらく多くの人は新しい物に興味を示します。
最新の電化製品、最新のパソコン、最新のスマホ、最新のゲーム機など、
これらは以前のものより、より優れた機能を持って市場に現れ、
それに顧客は敏感に反応し、最新の物を購入します。

子どもも同じ様に、新しい物にはとても敏感に反応し、興味津々になります。

ついさっきまで楽しく遊んでいたおもちゃの事もいとも簡単に忘れて、新しい物に飛びかかり、
集中し、飽きるまでずっと遊び続けます。
私はその時の子ども達の顔を見るのが、嬉しくてたまりません・・・。
私も新しい物にはとても興味津々になります。
ただ、それは物に限定したわけではなく、考え方の場合もあります。
特に塾長と話していると、色々な視点の考え方を言われるので、
聞いている側にとっては、本当に「目からウロコ」のような発想です。
塾長の話しは保育の世界だけでなく、様々な世界でも通用する話しだと聞いていて思います。
それは経営論やマネジメントの話でなく、人生論です。
時々、保育業界には全く関係のない来客がありますが、
皆さん、帰る頃には満足した顔をして保育園を出ていきます。
おそらく長年、同じ業界にいると視点が狭くなってしまい、新しい発想が生まれにくいのが、
塾長と話すことによって、自分の視野が広がり、新しい発想を生み出しやすくなるのかもしれません。
ただ、残念ながら塾長の話しを聞いても、なかなか変わらないのが、保育の世界です。
と言うのも、保育の世界というのは、何も変えなくても成り立ってしまう世界だからかもしれません。
その反面、企業は明日、もしかしたら会社が潰れてしまう可能性だってあります。
だからこそ、会社が少しでも成長できる事には敏感に反応し、取り入れようとするのかもしれません。
いま、保育会は、こども園という大きな動きがある中で、
全国でも新しい制度に向けての研修が開かれていると思います。
もちろん制度の話も重要なのは確かですが、よく塾長が言われる言葉で
「どんな時代や動きになっても、時代に流されないような保育をすることが大切」
と言われます。
いくら制度が変わろうが、こども園になろうが、自分たちが自信を持った保育。
それこそ保育指針、幼稚園教育要領、子どもの権利条約、これらをしっかりと取り入れた保育をすれば、
何も恐ることはないと思います。
ドラッガーは新しい事を取り入れることに関して、こう言っています。
「イノベーションの戦略は、既存のものはすべて陳腐化すると仮定する。(中略)
 イノベーションの戦略の一歩は、古いもの、死につつあるもの、陳腐化したものを計画的かつ体系的に捨てることである。
 イノベーションを行う組織は、昨日を守るために、時間と資源を使わない。昨日を捨ててこそ、資源、特に人材という貴重な資源を
 新しいもののために開放できる」
と言っています。
これを保育で例えると、今までの行ってきた保育を陳腐化(古いこと)と仮定して、
全てを捨てるのでなく、それこそ何が必要で何が重要なのか?ということを、一定の視点で見るのでなく、
全体的なバランスを見ながら、その中で不必要な物、考え方だけを計画的に捨てることが大切。
更にイノーベーションを行う園はどんどん前に進む。
そうすることで、一人ひとりの可能性を開放できる・・・と言ったところでしょうか。
もしドラでは主人公が既存の高校野球を全て陳腐化し、何を捨てるか?と考えます。
そして辿りついた答えが「送りバント」「ボール球を打たせる投球術」を捨てることにしたのです。
一つ目の「送りバンド」を捨てる意図としては、一番は失敗のリスクが大きいということです。
更には選手や監督の考え方を硬直させ、野球自信をつまらなくさせていると監督は言っています。
二つ目の「ボール球を打たせる投球術」これはプロ野球でも常識となっていて、一種の美学のように語られているが、
逆に投手の伸び悩みを招いていると監督は言っています。またこれも、変に試合を長引かせる、
そして考え方が狭くなるといった、送りバント同様、野球をつまらなくさせる弊害もある。
これらの理由から野球部では、この二つを無くす方向になったのです。
私は野球の事はそこまで詳しくないので、何とも意見もできませんが、
確かに高校野球、プロ野球を見ていると、送りバントをする場面をよく見るので、
特に何とも違和感は感じませんでした。またボール球を打たせる投球術、
おそらく野球をしている人にとっては当たり前の戦術かもしれません。
それを本の中では封印し、いかに効率よく試合展開をするか?そして試合に勝つ・・・と主人公は考えていますね。
野球を経験してきた人にとっては、この作戦はどうなのか?聞いてみたいですね。
さて、塾長のそばにいて、色々な話しを聞いて思うことは、
塾長の考え方は常にイノベーションを感じます。
だからと言って過去の考え方を全て捨てるわけでなく、
それこそ「計画的にかつ体系的に捨てている」という感じです。
時々、塾長はどこまで先の事を考えているのだろう??と思う時もしょっちゅうです。
それだけ時代の先を見て、それこそどんな時代でも通用する保育、考えを頭の中で描いている気がします。
自分が今まで信じてきた事が、間違いだったり、気がつけば古かったり・・・。
それを知ったとたん、誰でもショックは受けると思います。
しかし、じゃあ何も変えずにそのままでいるのか?というと、私はそうでは無いと思います。
特に保育園という場は自分のためでなく、目の前にいる「子ども」が主役です。
明らかに何十年前の社会と今の社会を比べると環境も全然違うはずです。
そんな変動した社会の中で今、目の前にいる子ども達は生きていかなければならないならば、
それに時代に合わせた保育に変えていく必要があると思います。
そんな手助けが、この臥竜塾が手伝うことができればと、密かに願っています。(投稿者 山下祐)

7つの習慣 2

私自身そうなのですが、なにかうまくいかないとき、行き詰まることがよくあります。そして、そのことに対して、「なんでこうなってしまった」と悩みがより深みにはまることもおおいですね。そうならないためにも必要なことは「主体性」であるとコヴィ氏は言っています。そして、その「主体性」こそ、7つの習慣のひとつめの習慣です。

その主体性とは「人間として、自分の人生に対する責任を持つこと」です。つまり、成功も含め、仕事上の失敗や人との関わりの中で起こる問題、自分の周りにあるさまざまな出来事は自分で行動を起こした結果であるということです。そして、「私たちの行動は、周りの状況ではなく、自分自身の決定と、選択の結果である。」ということであり、何事においても自分自身で決定、選択しているということを意識していなければいけません。

行動を起こす上で大切になってくることが、「反射的に反応せず、自覚して行動を選択すること」です。つまり、反応や批判などが起こった場合、その刺激に反射的に反応する行動(流された行動)をするのではなく、そのことに対して「自覚」した上で、主体的な行動(自分自身で選択した、自覚した上での行動)を心がけることです。そして、その結果を単なる出来事として受け止める(失敗:あいつのせい。運がなかった)のではなく、選択による帰結として考えること(失敗:次はこうしよう! 欠点:こう変えていこう 不得意:得意な人に任せよう。勉強していこう)という思考に持ってくる心がけが必要であるということです。そして、その思考が周りに影響していくのです。

 

ただ、ここで注意しなければいけないのが、結果や自分の影響に意識を向けすぎることです。あくまで、大切なことは「主体的に行動すること」結果は自分が決めることではなく、自分の行動の結果として付いてくるものとして捉えなければいけません。つまり、望む結果が違うのであれば、自分の行動を変えるしか方法はないのです。「根気よく試行錯誤を続ければ、結果も変わってくる」ということを意識することが大切です。

私は意志が弱いのか、自分の行動で失敗したときに、問題や行動を変えることを意識はしていても「自覚」するということをなかなか受け入れられずにいます。だから、しらず流された行動をとってしまい反省することばかりです。しかし、一つ一つ改善していく中で「チーム」というものをもっと良いものにしていくために自分の行動を見直すことや改めることは大切なことですね。

 

この章では最後にこうも書いています。「主体性の本質は自分自身や人との約束と約束に対する誠実さである」と書かれています。藤森先生のブログにも同じような事が書かれていること多いですね。目標に向かうために「誠実さや真摯さ」は常に持ち続けていこうと改めて思いました。そして、それが本当に悩んだときに初心に立ち返る重要なエネルギーになるのではないでしょうか。

(投稿者 邨橋智樹)

ゴー・ビトゥイーンズ展③

【ゴー・ビトゥイーンズ展:こどもを通して見る世界】で感じてきた報告も、今回で最後です。

 これまで、『異なる文化、現実と想像、大人と子ども、
あらゆる境界を行き来する子どもたちが放つ「生きるちから」』について見てきて感じたことは、子ども独特の世界観は、子ども特有の想像性がきっかけとなり、目に映る現実の世界と、想像の世界とがリンクした結果の産物であるということです。大人が目にする子どもの理解できない行動や雰囲気が、その境界の往来を可能にしているのです。

 この展示会の主催者は、こんなことを行っています。

『本展は、異なる文化の間、現実と想像の世界の間など、さまざまな境界を自由に行き来する子どもの性質に注目し、子どもの視点を通して世界を展望しようとする試みです。世界各国の優れたアーティスト26組の作品に表れる子どものイメージを通して、社会で起こっているさまざまな事象に注目し、政治、文化、家族など子どもを取り巻く環境と、彼らが直面する諸問題に目を向けます。さらに、遊びや夢、記憶などをキーワードに、大人の常識や伝統の枠組みにとらわれない子どもの創造性と、その多様な感覚に迫ります。
環境に翻弄される存在であると同時に、行き詰まった情況の突破口ともなり得る子どもの潜在能力は、未来への鍵となることでしょう。境界を超える子どもの姿を通して、より多様な価値が共存する、新たな世界への可能性を探ります。』

 境界を往来する子どもたちは、新たな扉を開く突破口であり、未来への鍵なのです。大人が「またそんなことして!」「いいかげんにしなさい!」と言っている子どもの行動が、もしかすると未来を創造する力になるかもしれないのです。

 そして、この展示会のサブタイトルに「こどもを通して見る世界」とあります。それは、この展示会が始まる期間前に、一般の子どもたちに実際に見てもらった感想や思いを、展示写真の下に掲示してあるのです。その言葉からも、子どもたち同士で独特の想像を、さらに想像で返してそれを広げる掛け合いが読み取れたりして非常に興味深かったです。また、キッズ・ワークシートといって、美術館に訪れた子どもたちを対象に作られた冊子がありました。そこには、写真を見て、自分がどこを見てどう感じたか、写真の子どもは何を言っているのか、そして自分の好きなものは何なのかといった、自分自身の深い部分に問いかけるような質問が書かれています。行った日にも、多くの子どもたちが用意されたテーブルで、ワークシートに何やら思い思いに書いていました。

キッズ・ワークシート

キッズ・ワークシート

ここはどこ? なにがみえる?

ここはどこ?
なにがみえる?

 私は「ゴー・ビトゥイーンズ」とは、ずっと写真家の名前だと思っていました。しかし、違っていました。その意味は、こう書かれていました。『ゴー・ビトゥイーンズ…媒介者。19世紀後半のニューヨークで貧しい移民の暮らしを取材した写真家ジェイコブ・A・リースが、英語が不自由な両親の橋渡しとしてさまざまな用務をこなす移民の子どもたちを「ゴー・ビトゥイーンズ(媒介者)」と呼ぶ。』

 ゴー・ビトゥイーンズとは、子どもたちのことだったのです。

私たちは、子どもを通して見えない世界を見ることができています。子どもが、現実とは異なる世界との媒介となり、新たな発想のきっかけを作ってくれているのです。その想像性は“多様な価値”から生まれ、まるで、それが重要であると判断する大人の力量が求められているかのようです。子どもたちが想像していることを実現できる現実であってほしいと、強く思った経験になりました。

 (投稿者 小松崎高司)

お泊り会

先週の22日、23日に学童のお泊り会を昨年に引き続き、学童クラブ内にて行いました。

別日程で、保育園でも年長組が同じく保育園内でお泊り会を行います。

私は昨年、3・4・5歳児フリーを担当させていただいたので年長組も学童もお泊り会を経験することができました。

年長組と学童のお泊り会で最も違う点は、子どもたちが自分たちでお泊り会をどうしていくか、何をするかを考え、実行することです。

今年は子どもたちが数多くの案を出してくれた中、下記のようなプログラムを実施しました。

・09;15出発。上野の「科学技術館へ!」(電車で)

・15;00に帰ってきて、スイカを含めた「いろんなフルーツ割り」(他にリンゴ・パイナップル)

・終了後、お風呂

・17;00からバーベキュー&流しそうめんの準備、18;00からスタート!

・19;00から職員による怖い話後、保育園内にてきもだめし!

・20;00から枕投げ

・21;00から寝る準備を整えてDVDを見る

・21;30就寝

・06;30起床

・07;00朝食

・08;00新聞作り(チーム毎にお泊り会の楽しかったこと、印象に残ったことを新聞として形に残し、振り返る)

・09;30保護者の方々を招いて、賞状授与式(1人ずつ「~だったで賞」を発表しながら授与)

・10;00解散

とやりたかったことを盛り沢山行えた子どもたちはとても満足気な笑顔を保護者の方々や我々保育者に向けてくれます。

そして保護者の方々から夏休みに限らず、小学校のある普段の期間の祝祭日等を使って、もう一度行えないでしょうかとアンコールの声を多数いただきました。

お泊り会では、子どもたちが自分たちで考え、自分たちで実行していくにあたり、行っていく上で壁にぶつかることがある。

その壁と真剣に向かい合い、先を見据え、打開策を練るという、生きていく上で必須な思考を1人ではなく、チームで、そして学童の子どもたち全員で行えたことにより、チーム的にも全体的にも団結力も増したとお泊り会から1週間が経ち、感じています。

これは職員間も然りで、今回のお泊り会には学童職員抜きで12名の保育園の職員の方々がお手伝いしてくださりました。

中には昨年学童職員で事情により退職された方もお手伝いに来てくださいました。

お手伝いに来てくださった先生方抜きではここまで良い会にはならなかったことでしょう。

この場を借りてお礼を言わせていただきます。

本当にありがとうございました!

また、今回のお泊り会は多数の先生方にお手伝いしてくださったこともあり、子どもたちと共感しながら大人も十二分に楽しむことができました。

特に科学技術館には子どもたちと一緒に共感できたことがたくさんありました。

この機会を活かし、日々の保育に取り入れ、共に共感した事柄を遊びや学びへと繋げられよう拡げていけたらと思っています。(投稿者 若林)

出張報告in熊本

8月29日に熊本県のとある保育園で、公開保育があったので見学させてもらいました。その園の見学でまず目についたのは、「パペットコーナー」というコーナーでした。そこで子ども同士で人形劇をしていました。塾長の講演等でよく「子どもと大人で遊んだり完結させてしまうのではなく、子ども同士の横のつながりを大事に」という話しが出ることがありますが、まさに横のつながりで過ごしていました。パペットを操る担当の子もいれば、それを観る観客の子もいてそれぞれの役割がありました。

以前に新宿せいが保育園の成長展でも「遊びの発展」ということで紹介したことがありました。それは、子どもが一人で絵本を読むということから発展し、一人の年長さんが大人のようにみんなに読み聞かせをするという姿が見られたことがあります。これも遊びの中からの発展が横へのつながりになったということでしょう。それは、普段、先生方がやっていたのをマネしたのかはわからないのですが、ストーリーなどは特になさそうだったものの、とても盛り上がっていました。

もう一つは、運動遊びをしていた姿を見たときに二種類の平均台が置かれていて、それぞれに子どもたちが並んでいました。一つは幅が広い平均台、もう一つは幅の狭い平均台でした。

そして二歳児さんで行われていたのは両手を上げ、片足でケンケンしながら動き回る体操をしていました。

今年ドイツへ行きそこで行っていた運動遊びは、ほぼ全てバランス感覚を養うための運動遊びでした。体力や筋肉は幼児期にはつけることはできませんが、、バランス感覚を幼少期に養うことでケガ等を避けられることができるので、そういった運動を実際に取り入れられていたのでとても参考になりました。

(投稿者 柿崎)

2014.8.29

ゴー・ビトゥイーンズ展②

今回も、以前に行った「森美術館」での【ゴー・ビトゥイーンズ展:こどもを通して見る世界】で感じた「異なる文化、現実と想像、大人と子ども、
あらゆる境界を行き来する子どもたちが放つ「生きるちから」についての報告をしていきます。

 

〈異次元を往来する〉

 よく、子どもに対して「人間らしくなってきた」と表現する人を目にします。言葉や状況を理解し始め、自らでも何がしたいのかを伝えられるようになってきた子どもに対して言っている場面が多いと思います。では、それまでは何だったのでしょう?

 それを、展示会ではこう表現していました。

『空想、ごっこ遊び、工作や絵を描くことなどを通して、子どもは簡単に想像の世界に遊ぶことができます。そもそも、子どもにとっての「現実」は、想像の世界から完全に切り離せていません。「この世」や「あの世」を含む、あらゆる境界を軽々と飛び超える子どもたちの想像の力を通して、より多様な世界のあり方が見えてきます。』

 子どもはの発想は、大人でも考えつかない切り口から生み出されてきます。それは、想像の世界にいることがあたかも普通かのような感覚になっている時、それを現実の世界で自然と行った時に生まれる発想ということだと思います。展示会では、そのような現実と想像の世界を頻繁に行き来している時期の子どもたちに焦点をあてて、生まれてくる前の話や生まれてきた時の様子を、子どもが実際に話している映像がいくつも流れていました。また、「この世」と「あの世」を自由に横断する子どものエネルギーを、小学生の子どもたちが『どんなじこくへいくのかな』というテーマのもと、自分が想像する地獄の立体物を制作し、自らでその作品の説明をしている映像が流れていました。

 

「どんなじごくへいくのかな」

「どんなじごくへいくのかな」

 全てが規格外のようなものに見えて、所々にいれる現実的な描写が妙な説得力をかもし出しているのです。大人は、「想像できることは全て実現できることだ」と言うかもしれません。しかし、逆に、想像できないことは実現できないということです。大人が子どもの姿を見て、「人間らしくなってきた」と表現するのは、やっと大人が想像できるところまで降りてきた姿であり、それまでは大人が想像できない世界を漂っていたということになります。以前私が、子どものそういった姿から「子どもと少しでもつながった気がするのです。そのつながりが、自分の存在を意味あるものにしてくれる」と表現したのは、少しでも、子どもがいる想像の世界に近づけたような気がしたからだと思います。

 子どもの、現実と想像を行き交うことで生み出される過程や仕組みを、上手に残してこられた人が、物事を創造することに長けた能力を活用して、新しい発想のもと“時代”を作っていく人になっていくのかもしれないと感じました。

 

つづく…

 

(投稿者 小松崎高司)

マネジメント6

※まずはじめに、今回のブログの投稿を一日過ぎてしまい、大変申し訳ありませんでした。
主人公のみなみがマネージメントに取り組み、初めての大会が始まりました。
相手の高校は同じ都立の普通高です。最終目的を甲子園と考えると、一回戦で負けているようでは話になりません。
そして試合が始まりました…7回までお互いに一点も許さず、ピッチャー同士の投げ合いの試合展開。
そして7回裏で相手の攻撃を迎え、とうとう打ち崩され、一挙に7点も取られてしまいコールド負けをしてしまったのです…。
しかし主人公はこの試合の負けは、野球部の運命を大きく変える、価値かある『負け』だと気づいたのです…。

おそらく野球部の様に人生の中で、その人の運命を大きく変えるターニングポイントが、何度か訪れると思います。

その時にどっちの道を選ぶかによって、今後の人生が良くなるか、悪くなるか決まってくると思います。
よく塾長が言われる言葉で

『選択をする上で、間違った方を選んでしまうと、もっと悪くなってしまう、その時に無理にでも良い方向に戻さないと、取り返しがつかなくなる』

これは私も実体験で経験があります。
塾長が言われるように、選択を間違うと面白いくらい、どんどん悪い方向に進んでしまい、案外それは自分で気付かない事が多い気がします。
その時に気付くか?気付けないか?と言うのも、その人がそれまでに培ってきた『力』が大きく影響すると思います。
また塾長は続けて、こんな言葉を言いました。

『人生においてチャンスは誰にでも巡ってくる、ただ逃してしまうと2度と同じチャンスは巡ってこない、

しかし、いつチャンスが来るのか予測は出来ないため、いつでもチャンスを物にするために普段から力をつけておく必要がある』

先程の『ターニングポイント』と繋がる言葉ですね。

本の中では、主人公が野球部が大敗したのをきっかけに、今が『成長』の時だと感じたのです。

「成長には準備が必要である。いつ機会が訪れるか予測できない。準備しておかなければならない。準備ができていなければ、機会は去り、他所へ行く」

とドラッガーは言っています。

…全く塾長と言っている事と同じですね(笑)

『力』と言われても、本当に自分がそこまで力がついているのか?と、思うことがあります。

毎週の生臥竜塾の帰りは本多くんと同じ帰り道なので、よく色々な話をしながら帰っています。
先々週でしょうか、先週から塾の報告を交代でやることになり、読まれた方がいるかと思いますが、前回は本多君が報告をしました。

本人は塾が始まった時から終わるまで必死にノートを書きながら参加し、帰り道も「ちゃんと書けるか不安で仕方ない…」って言っていたのにもかかわらず、
その日にアップできるほどのスピードで報告を仕上げたのです。しかも内容もとても分かりやすかったです。

次の日に塾長が保育園で副園長先生と報告について話していました。その話を聞き耳を立てていましたが、

毎日、ブログのコメントを書いているからか、書くスピードも速くなるし、内容も的確に捉えているよね。と二人で話していました。

おそらく自分で力がついたのか?どうか?というのは自分では分からないのかもしれません。

逆に「自分は力がついたのかも…」って思うのは本当の力ではないかもしれません。だからといって「力」ばかりに固執してしまうと、
誤った「力」がついてしまうような気がします。
それこそ塾長が言われるように楽しく学ぶことが大切で、楽しさの中で自然と「力」がついてくるものだと思いました (投稿者 山下祐)

7つの習慣 1

物事を動かすときにうまく人に伝えることは難しいですね。自分と同じ方向に向いている人であればいいのですが、そうでない人の場合、同じ方向に向いてもらえるようにアプローチすることはとても大変なことです。自分自身、人に話すときにどうしても、自分の気持ちが先に出てしまい、相手に聞いてもらうどころか、逆に言いくるめてしまう悪い癖があります。そうすると理解はしてくれるものの、納得はしてくれません。そして、それに対して自分自身もイライラしていることがあります。「相手は分かってくれない」「なぜ、わからないのかな」と思うことばかりです。しかし、それは自分のアプローチが悪いからなのかもしれません。

最近、ビジネス書のランキングの中で、いつも高くランキングいりしている本で、スティーブン・R・コヴィーの「7つの習慣」という本があります。ここにはビジネス書として、経営や業績を伸ばすと言うことよりも、「7つの習慣」をもつことで人格を高める習慣を身につけることで、人生を成功してものにしていこうという内容です。最近ではこういった難しいビジネス書も小説になっていたり、コミックになっており、とても読みやすく解説されているものは多いので読み始めています。

話に戻りますが、このように「相手は分かってくれない」と思ったときにそのアプローチをもう一度見直す必要があります。コヴィー氏は「私たちは世界をあるがままに見ているのではなく、私たちのあるがままの世界をみているのであり、自分自身が条件付けされた状態で世界を見ているのである」と書かれています。つまり、多くの人は自分の都合の良いように物事を見て、「良いこと」と「悪いこと」を判断しているのです。そして、いつでも「できなかった理由」を環境のせいにしていることが多いですね。しかし、いつまでも相手が変わらないと嘆いていても何も変わりませんし、チームの関係もうまく循環していくことができません。

そこでその意識を変えることが重要になってきます。問題は前述にもあったように見方を変えることが必要です。「自分は正しい、相手は間違っている」と思っていてはなにも変わらないのです。他人や組織、環境など自分の外側(アウトサイド)が変わらないと結果がでない(アウトサイド・イン)という考え方ではなく、見方や人格、動機など自分の内面(インサイド)の行動に変えることで結果を引き寄せようとする意識を持つことが7つの習慣を身につける前提になっています。

 

考えてみれば、最近、保育を変えることや、しっかりとまとめなければいけないと思うことが、知らず焦りに転じることになり、人の見方を悪い方に変えているのかもしれません。

そして、これらの考えは「見守る」ということととてもリンクしているように思います。「見守る」ためには「相手を信じる」ことはとても重要です。その気持ちを持つためには、相手に要求してばかりではいけないのです。自分のアプローチや考え方、見方を相手に合わせて見ることはこういった保育をしていく上で、とても必要な意識だと思います。

(投稿者 邨橋)

モダンタイムス

仕事をするうえで、仕事をする以外の時間に何をして過ごすか。それは大きな意味を持つと思います。

以前、塾長が病院にかかった時にこんなことを言われたそうです。「あなたはいつも保育のことばかり考えていますね。たまには違うことも考えないと体にとってよくありませんよ。」

いくら保育が楽しいからといって、「同じことばかり考える」それは脳にとってもよくないこと。それを聞いてから、保育以外の時間を大切にするようにしています。

その中の一つが本を読むこと。

最近は、なかなか読めていませんが、私にはとても大好きな小説家がいます。それは伊坂幸太郎氏です。

いくつもの作品があるのですが、特徴的なのがどの作品も日常にあるような何事もない人々の生活を描かれていて、あるところから、その人々の生活が交わりを見せるようになり、終盤になると、それぞれが欠かすことのできないキーマンになって話が進んでいく。という感じのものなのですが、その人々の生活が交わっていくところが何とも言えず面白くはまっています。

 

そんな伊坂氏の作品に「モダンタイムス」というタイトルのものがあります。

私は初め読んだ時は気付かなかったのですが、のちに臥竜塾で同じタイトルを目にすることになります。

 

それはチャーリー・チャップリン氏の「モダンタイムス」という映画です。

チャップリン氏は言わずと知れた有名な「喜劇王」です。

 

臥竜塾の中で、塾長はこの作品を、チャップリン氏の作品の中でも、初めてセリフ音声を取り入れた作品として紹介してくださいました。

内容は

その当時時代背景、資本主義社会や機械文明といったものを痛烈に風刺したもので、労働者がまるで機械の一部分のようになってしまっているという世の中を、笑いで表現しているというものでした。

初めてのセリフ音声といっても、作品の中で2か所だけセリフ音声が入っているのですがそこが塾長のポイントでした。

1つは、主人公(チャップリン)が働いている工場の社長が、労働者を怒鳴る時。これは全編通して字幕で見ている中、そこが音声になっているのは、まさに労働者がまるで機械の様に扱われているという様子を的確に表現され、とても衝撃的でした。

もう1つは終盤のシーンでチャップリンが歌わなければいけなくなってしまうシーン。作品の中では、歌がうまい役を演じているチャップリンですが、本番の直前に歌詞カードをなくしてしまいます。そこでチャップリンがとった方法は・・・なのですが、そこはぜひとも作品を見てみてください。そのセリフのシーン以外もとてもおもしろいです。ちなみに、初めてのセリフ音声ということで、全世界で共通で見れるような言葉という配慮もされていたということです。

そんな「モダンタイムス」ですが、もちろん最初に作られたのはチャップリン氏の方で、伊坂氏はそんなチャップリン氏の作品を知っていたのか、なんとなく同じく現在の時代を風刺した作品になっている気がします。

自分は人のために生きているのか、機械の一部の様になっていないかと考えさせられるいい一場面でした。

(報告者 西田泰幸)

一円対話

学童ではよく一円対話という話し合いの形式を用います。

写真で載せていますが、一円対話とはみんなで輪になって向き合い、テーマに沿って意見を出し合いながら話し合うことです。

一円対話にはルールが設けられていて、

●相手が話しているときには口を挟まない。

●相手が話していることを尊重し、聞く。

●互いを信頼し、自分が思うことを素直に話す。

があります。

私は一般企業への就職を考えていなかったため、大学生時代に一般的な就活はしてきませんでした。

そのため友人から聞いた話になってしまうのですが、企業等への一般的な就活には面接はもちろんとして、グループディスカッションを用いるところが多いと聞きました。

何度もグループディスカッションを経験した友人は最初は限られた時間でどれだけ自分の意見を主張できるかに主点を置いていたと言っていました。

しかし、最後には面接でもグループディスカッションでも同じで、如何に相手の話を傾聴し、その上で自分の意見を主張することが大切だということに気付いたと言っていました。

その友人の体験談から、学童期や児童期に行う一円対話の重要性に気付きます。

学童では子どもたちが子どもたちだけで話し合いを進行していく月案会議によく用いられます。

様々な意見が飛び交う中、自分の主張を押し通そうとする子、または仲の良い友達の意見に便乗するだけの子、はたまたそれらの意見を聞いた上で「これならどう?」とみんなの意見を汲み取りつつ発言する子など様々です。

新年度が始まり約5ヶ月ですが、みんなの意見を汲み取りつつ発言できる子が最上級生の3年生を中心に増えてきたと感じています。

私が考えるにこの一円対話の最大のメリットはみんなの顔を見渡せることにあると思っています。

人は相手の意見を汲み取る手段は意見を聞くことだけではありません。

表情からも汲み取れます。

●傾聴や頷きを用いて相手の意見を引き出し、相手の意見を尊重した上で自分の意見を主張する。

●主張していない人の表情からも汲み取る。

この2つのスキルは社会に出る上でとても重要なスキルであり、この2つのスキルを得る上で一円対話は最適な話し合いの形式であり、一方向的に不特定多数に向けて発する「二次的言葉」が急速に発達する学童期ならではの方法であると思いました。

ちなみに臥竜塾も一円対話形式でみなさんの表情を見渡せ、塾長のお話を初め、他の塾生の方々の意見を尊重して聞き、意見を交わし合い学びを深めています。(投稿者 若林)