出張報告in長崎 1日目

9月5日から7日までGT長崎の研修に参加させて頂きました。

日程的には前回行ったGT熊本の時と同じ流れの日程でした。5日は午後に長崎へ到着し1園目の見学をしました。このブログの「製品」からたまに提案があるように「文字、数、科学」に関するヒントを紹介している中で今回見学させて頂いた保育園さんにも参考になるものがたくさんありました。

先ずは、簡単な「すごろく」なのですが、これは市販されているものとは違いマスの部分が単純に「2すすむ」や「1もどる」「1かいやすみ」などシンプルで数もわかるし、ルールもわかりやすいのではいかと思いました。数字や「すすむ」「もどる」「やすむ」などの言葉の意味を理解していきルールも理解できるようになれば、もっと内容の濃いものを使って遊んでいけるではないかと思いました。

手作りのすごろく

手作りのすごろく

また、「三目並べ」というものもありました。これも手作りのものだったのですが、コマを三つ並べるという遊びも数が理解できないと楽しくないですし、深く考えれば相手に三個並べさせる前に自分が並べなければならないという勝負なので、このようなゲームもレベルに合わせて三目から五目に増やしていっても楽しんでいけるのではないかと思いました。

遊び方も記された三目並べ

遊び方も記された三目並べ

以前、塾長から「ドイツでは日本で言う廊下のような場所も保育室と考えている」と聞いていましたが、ここの保育園さんもそのような意味を感じさせてくれる場所がありました。それは、いつでも水分補給ができるようにお茶の入ったドリンクサーバーとコップが設置され、横に座って飲めるようにベンチも置いてありました。

廊下に設置された給水コーナー

廊下に設置された給水コーナー

ここの園さんでは手作りおもちゃが多く見られたのですが、それに対し塾長は手作りおもちゃの意味を次のように教えてくれました。

「手作りおもちゃが良いのは、市販されているおもちゃでは補えないところを補う事が出来ることと、今いる子どもたちの発達や成長にあったおもちゃが作れること」と言っていました。

今回は特に「文字、数、科学」という点と「手作りおもちゃの在り方」というところで私自身もとても学ばせて頂きました。(報告者 柿崎)

ブロックゾーンから

最近製品でブロックゾーンの紹介をしたと思いますが、そのブロックゾーンから発展し、
面白い作品が子どもたちから生まれました。
段ボールで作ったビー玉を転がして遊ぶ作品

段ボールで作ったビー玉を転がして遊ぶ作品

これは段ボールで作られ、とても細密に作られていました。
転がっていくビー玉の道筋を予想し、落ちそうになるところをしっかりと落ちないように
段ボールで補強してありました。ビー玉を転がすと途中で落ちてしまいそうなイメージを
持ちますが、転がしてみると見事に段ボールのくぼみに転がっていき最後まで行きます。
正直やらせてもらったときは驚きました。また面白いことにこれを作ったのが5歳児クラス
の子なのですが、それを作っている時の様子をちょっとかいを出すことなく、同じ机に頬に
手をおき肘をついてずーっと見ている3歳児クラスの子がいました。自分は作れないから見て
学んでいることと憧れの眼差しで見ている姿が印象的でした。
これを作りたいと言い出した時に職員が段ボールを子どもが加工しやすいような大きさに
切り製作の素材に置いておいたようです。その影響からか5歳児クラスの女の子が立体製作を
作るようになってきました。
郵便箱を作ったようです

郵便箱を作ったようです

どうやら家を作っているようですが途中のようです

どうやら家を作っているようですが途中のようです

こんな作品が出来るようになってきたことから以前先輩保育士が言っていたことを思い出します。
「子どもたちが立体の製作物を作り始めたので、空き箱などを用意してあげたいと思います」
と言っていました。正に今がその時期なのかと思う子どもたちの様子です。
この創造力をより膨らませてあげるためには私たちが環境の素材を変えることで違った
発想が出てくるのではないかと思えました。
こんな子どもの姿を見て今の子どもの状況に合わせていくことが環境から保育をしていくことだと思います。
当たり前のことかもしれませんが、もっと子どもたちの様子に敏感に反応し、どんなことをしたいのかといくことを
読み取っていく必要があると感じます。
(報告者 本多)

7つの習慣 3

最近、保育の話を聞くことや話すときに注意していることがあります。よく藤森先生の話でもたびたびでてくる「そもそも・・」という視点です。これは非常に簡単なようでいて、とても奥が深いものです。しかし、その視点を持つことの重要さは意識していなかったときの何倍も自分に実りのある学びをもたらしてくれ、毎日訓練のように考えるようにしています。

 

そんな「そもそも論」ですが、まさにこの内容が「7つの習慣」の2つめに書かれていました。ここで、まず始めにコヴィ氏は「終わりを思い描く」という作業することが必要であると言っています。その「終わり」とは目的であり、夢や志ですね。「終わりを思い描くことから始めるということは、日々の中でさまざまな役割を果たすときに、自分の価値観を明確にし、方向をはっきりと定めて行動することである。」

 

よく保育の話をしていると「それって夢ですよね」とか「理想と現実はねぇ」と言われることがたびたびあります。しかし、志や夢がないとやはり実現することはできないのです。志や夢があるからこそ、価値観が生まれ、向かう方向を明確にしてくれるのだと思います。そして、コヴィ氏はこれらの「終わりを設定し、方向性を持つこと」を知的創造とし、日々の中での活動を物的創造としています。

 

とはいえ、毎日の日々の生活の中では、大きな志や夢の問題だけでなく、具体的な話や考えなどが出てきて、迷いや悩みが生まれることが多くあります。夢や志は持っていても、そればかりを言ってもなかなか納得してくれません。そうしたときにその夢や志の価値観をとおして、「なにができるのか」「大切にしていることはなにか」をはっきりと意識し、立ち返ることが必要だと7つの習慣には書いています。コヴィ氏は迷ったときの立ち返る目的や他人に影響されてぶれることのない基本的な価値観を「原則」とし、このことを持つことが非常に重要であると言っています。「そもそも、なぜそれをしなければいけないのか」「自分がやろうとしていたことの原点はなんだったか」をかんがえることがブレない自分を作り出すとしています。

 

そして、その価値観のもとに問題や活動に力を注ぐと、次第に言動や行動にブレがなくなり、人間としての安定性が増していきます。その安定性は言い換えると「自信」ですね。その自信は相手との違いを尊重し、自分の目標にむかえるようになるのです。

 

私は「見守る保育」に出会い、藤森先生から学ぶことで一つの大切な価値観を持ちました。その中で、これからの保育を考えたときにどう子どもたちを見ていけば良いのか、そもそも子どもたちに必要な能力とはと考えることが多くなりました。これらの視点を通して、今後とも保育に携わっていきたいと思います。

 

(投稿者 邨橋智樹)

A Spoonful Of Sugar

藤森先生のブログの議題になったことのある「メリーポピンズ」。

その中の歌にとてもいい歌があります。

「A Spoonful Of Sugar(お砂糖ひとさじで)」という歌です。

 

その歌詞の中に

Just a spoonful of sugar the medicine go down   in a most belightful way.

(ただちょっぴり砂糖があるだけで)         (楽しくなるわ)

という歌詞があります。

 

その歌は、子どもたちが薬を苦いから飲みたくないといった時にお砂糖が少し入れば楽しく飲めるという意味の歌なのですが、保育の中でも同じような場面がたくさんあると思います。

 

例えば、私がやるようにしているのが、お散歩から帰ってきた時に手を洗いたがらない子がいた時、手を洗った子に手を見せてもらい少し大げさに、「まぶしい!」という反応を見せることです。

汚れが取れて、きれいになったからピカピカでまぶしいという意味でやっているのですが、まだなぜ手を洗わなければいけないのかと理解が難しい子も、その反応を楽しみながら手を洗うことができます。

 

子ども達が苦手な食べ物がある時は、きれいになったお皿を見せてもらい、同じようにピカピカでまぶしいという反応を見せると、子どもたち同士でお皿を見せあい、少しでも多くのお皿をピカピカにしようと頑張ります。

 

お集まりの時にも、上手に座っている子を「さすがお兄さん(お姉さん)だね」と褒めてあげること、それは座っている子とまだの子も「座ろう」という意欲につながっていきます。

 

ここまで書いて自分でも改めて気づいたのですが、子どもたちにとってお砂糖、つまりは楽しみがなんであるかというのを作ってあげるのではなく、できている子にも、できていない子にも教えてあげることが大切なのかもしれませんね。

子どもにとって認めてあげることの重要性、満足感を感じました。

(投稿者 西田 泰幸)

上下関係

近頃、学童の子どもたちは今回のタイトルである「上下関係」で揉めることが多くなってきました。

良い意味では、最上級生である3年生が決め事等を率先して決めてくれているのですが、悪い意味では、何でも自分色に染めたがる傾向が強くなり、自分の意見をしっかり持ち始めた2年生の一部が不満を持ち始めたことが事の発端です。

学童の職員間で話し合った結果、昨年もその傾向が強く、この上下関係が伝承していることに気付きました。

今年の3年生は昨年の3年生を見てきて、その姿を真似て、自分と重ね合わせている。

しかし、昨年2年生だった今年の3年生には今年の2年生の気持ちがわかるとも言えます。

でも、「昨年私たちも我慢してきた」だからこそ曲げられないという気持ちがどうしてもでてくる。

私は小学校低学年から高校卒業までサッカーに没頭してきたため、このような体育会系の上下関係は嫌と言うほど経験してきました。

だからこそ2年生の3年生に対する気持ちが非常にわかるのですが、この上下関係から学べることは私の経験上数多くあるとも思っています。

確信を持って言えることではありませんが、このような貴重な機会を下手な大人の介入によって妨げることは逆効果なのではないでしょうか。

人生で必ず経験する上下関係を社会に出る前に経験することはとても大切なことで、職場等での先輩・後輩間における人間関係の基盤となると思っています。

小学校低学年でこのような上下関係を経験できることは子どもたちにとって大きな財産となる。

しかし、大切なのはそれを経験してどう思うか、そしてその思いを自分が最上級生になったときにどう反映させるかにあると思います。

小学校3年生までの学童ではそれを求めるのは早いかもしれませんが、人は失敗から多くのことを学ぶ生き物であるため、この時期は存分に失敗することが何よりかなと思っています。

そして失敗から先は、前回の報告に書かせていただいた一円対話などを用いて、子どもたちと一緒になって話し合い、共感しながら学びを深めていくことが保育者に求められることではないかと今回の上下関係の出来事から思いました。

また、今回は上下関係でしたが、上下関係以外にも子どもたちの世界には伝承により自然に構成されていることがたくさんあるのではと思っています。

伝承の内容の良し悪し関係なく、その一つ一つには必ず意味・学びがある。

その一つ一つを大事にこれから子どもたちと一緒にしっかり向き合い、学びを深めていこうと思います。(投稿者 若林)

お茶タイム

私は子どもたちのケンカの仲裁がどうも苦手なので、子どもたちがケンカを
してしまった場合、ほとんどピーステーブルに行ってもらい解決してもらうようにしています。
あるとき4歳児クラスの女の子が5人くらいでケンカが始まりました。
その子達はわかっていて自分たちでピーステーブルに向かっていきました。
ただ、ピーステーブルに行ってもなかなか帰ってこないことがありました。
どうなっているか様子を見に行くとまだ話していたので、そこに5歳クラスの女の子を呼び、
「ちょっと話し聞いてあげてくれる?」と頼み、行ってもらいました。
すると、5歳クラスの子が「先生わからない」と一言。
堂々巡りの話をしているので解決の糸口が見つからないようでした。
お互いに言っていることはわかるのですが…
大人が聞いてもよくわからない状態でした。
私はこんなときが苦手です。
ただ、その中に大人が入り、よく話しを聞くことできっと誰が悪くて誰が正しいと
いうような正と悪をつけたがってしまうようになります。
結果的にどちらかが謝ったほうがいいのでは?といようになってきます。
そこで塾長が言っていたようにふとした時に笑い合い仲直りできるのが子どもたちです。
曖昧な仲直りも時にはいいのではないかと判断しました。
(もちろん、しっかりと話し合いをし、解決しようとする時もあります。
他の保育士のように上手には出来ませんが頑張っています…。)
そして、その時に思い出したのが、以前先輩の保育士がケンカしてピーステーブルにいる
子どもにお茶を持っていく姿を目にしました。まぁまぁ落ち着いてというような感じでしょうか。
その時はその続きを見ていなかったのでわかりませんが、今この状況で5人にお茶を持って
行ったらどうなるかと思い、一生懸命子どもたちとお茶を持っていきました。
すると、お茶をもらった子どもたちは何だ何だ?というような表情を浮かべていました。
「ちょっとお茶でも飲んで落ち着こう」と声をかけると子どもたちはお茶を少し飲み、
一息入れるとさっきまでの表情は一変し、更に笑顔に変わり、
「もう解決したよね!!」「うん!!」といって一瞬で仲直りが始まり、ピーステーブルを
ささーっと出て行ってしまいました。
少しのどが乾いていたせいもあるかもしれませんが、なにかふとしたことで笑い合い仲直り
できることがある子どもたちですので、時に保育士がそんな環境作りをお手伝いしてあげる
ことでまた違った形で解決ができるのではないかと思える出来事でした。
(報告者 本多)

出張報告in熊本 2日目

今回、「GT熊本」が新たに立ち上がり、九州から5か所、全30園から最大計221名の先生方が3日間にわたる研修に参加されていました。

29日は午後に1園、30日は午前中に3園の公開保育があり、そのうち2園を見学させて頂きました。午後からは見学園からの実践発表がありました。

1園目は、「視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚」の五感を体験できるおもちゃが常設で置かれていました。ちょうどその時は子ども達が全員外で過ごしていたので実際にそれを使って遊んでいる姿は見ることができなかったのですが、日々五感を使って体験できるものがあるというのは素晴らしいことだと思いました。

そして何より驚いたのは、野菜を通じて製作したものや、描いたものがとても多かったということでした。というのも実践報告で、園の畑には年間を通して何かしら育てているという事だったので観察や収穫をすることでそういったものが多くなるということでした。「五感」と言いましたが、「味覚」だけはなかなか保育室で常設が難しいと思いますが、見学させてもらっていた時に、畑で大葉を収穫しているグループがいました。その後その大葉を使って和風パスタを作っていました。何かしら育てている畑を利用することで常設が可能になっていました。

面白かったのは、収穫したじゃがいもと子どもをシーソーにのせ重さ比べをしている実践でした。シーソーの片方に子どもが乗り、もう片方にはかごを置いて、そのかごに1個ずつじゃがいもを釣り合うまで乗せていきます。

 

2園目は、0、1歳の部屋に「ハッピーコーナー」というコーナーがありました。そこには子どもたちの初節句のときの写真や、職員の先生と思われる方の結婚式の写真など、プライベートでハッピーな時の写真が貼ってありました。こういった写真を貼るのもいいなと感じました。また、3,4,5歳のクラスの活動紹介で、「水を色んな角度から楽しみました」という取り組みが紹介されていました。そこには「水」というテーマから遊びを発展させていく過程が描かれていました。先ずは、プール遊びをしている時に子どもたちが発見したことが3つあったそうです。

  1. ペットボトルに入れた水の量によって穴から出てくる勢いの違いに気づく
  2. 排水溝へ排水している水に船を浮かべ、同じところで止まっている船はなぜだろう
  3. ペットボトルの口と口を合わせ、逆さにすると水が外にこぼれないことになぜだろう

という発見があったそうです。その子どもの疑問、不思議を大切にしようという取り組みです。

そして、近くの湖で生き物を捕まえ観察したり、泡遊びをしたりと、1つのテーマから子ども自身がいろんな遊びを発展させ、そこから色々な事を発見したり不思議に感じたりと、とても素晴らしい活動をしているなと思いました。

また、実践報告では「あおぞら弁当の日」という活動を紹介していました。園の近くに湖があり、散歩へ行った際に「ここでお昼ご飯を食べたい」という子どもたちからの意見から考えた活動だそうです。この園は3,4,5歳児クラスが2グループあります。片方のグループが湖へ行ってお弁当を食べる時には、行く前にどのくらい食べるかをボードに記入し、それを参考にしながら園で過ごすもう片方のグループが弁当を作ってあげ、次回は逆をという活動をしていました。この活動は、ご飯やおかずを食べやすいようにと、相手のことを考えながら作ることを目的にしています。

実は、30日に公開保育をされていた園さんは、数年前に新宿せいがの研修旅行の際にお世話になった園で、その後、建て替えたという事もありますが、私自身その時には感じられなかったことや、新しい取り組みなどされていて参考になるこがたくさんありました。(投稿者 柿崎)

五感を使うおもちゃ

五感を使うおもちゃ

「水」を使った活動

「水」を使った活動

マネジメント7

おそらく多くの人は新しい物に興味を示します。
最新の電化製品、最新のパソコン、最新のスマホ、最新のゲーム機など、
これらは以前のものより、より優れた機能を持って市場に現れ、
それに顧客は敏感に反応し、最新の物を購入します。

子どもも同じ様に、新しい物にはとても敏感に反応し、興味津々になります。

ついさっきまで楽しく遊んでいたおもちゃの事もいとも簡単に忘れて、新しい物に飛びかかり、
集中し、飽きるまでずっと遊び続けます。
私はその時の子ども達の顔を見るのが、嬉しくてたまりません・・・。
私も新しい物にはとても興味津々になります。
ただ、それは物に限定したわけではなく、考え方の場合もあります。
特に塾長と話していると、色々な視点の考え方を言われるので、
聞いている側にとっては、本当に「目からウロコ」のような発想です。
塾長の話しは保育の世界だけでなく、様々な世界でも通用する話しだと聞いていて思います。
それは経営論やマネジメントの話でなく、人生論です。
時々、保育業界には全く関係のない来客がありますが、
皆さん、帰る頃には満足した顔をして保育園を出ていきます。
おそらく長年、同じ業界にいると視点が狭くなってしまい、新しい発想が生まれにくいのが、
塾長と話すことによって、自分の視野が広がり、新しい発想を生み出しやすくなるのかもしれません。
ただ、残念ながら塾長の話しを聞いても、なかなか変わらないのが、保育の世界です。
と言うのも、保育の世界というのは、何も変えなくても成り立ってしまう世界だからかもしれません。
その反面、企業は明日、もしかしたら会社が潰れてしまう可能性だってあります。
だからこそ、会社が少しでも成長できる事には敏感に反応し、取り入れようとするのかもしれません。
いま、保育会は、こども園という大きな動きがある中で、
全国でも新しい制度に向けての研修が開かれていると思います。
もちろん制度の話も重要なのは確かですが、よく塾長が言われる言葉で
「どんな時代や動きになっても、時代に流されないような保育をすることが大切」
と言われます。
いくら制度が変わろうが、こども園になろうが、自分たちが自信を持った保育。
それこそ保育指針、幼稚園教育要領、子どもの権利条約、これらをしっかりと取り入れた保育をすれば、
何も恐ることはないと思います。
ドラッガーは新しい事を取り入れることに関して、こう言っています。
「イノベーションの戦略は、既存のものはすべて陳腐化すると仮定する。(中略)
 イノベーションの戦略の一歩は、古いもの、死につつあるもの、陳腐化したものを計画的かつ体系的に捨てることである。
 イノベーションを行う組織は、昨日を守るために、時間と資源を使わない。昨日を捨ててこそ、資源、特に人材という貴重な資源を
 新しいもののために開放できる」
と言っています。
これを保育で例えると、今までの行ってきた保育を陳腐化(古いこと)と仮定して、
全てを捨てるのでなく、それこそ何が必要で何が重要なのか?ということを、一定の視点で見るのでなく、
全体的なバランスを見ながら、その中で不必要な物、考え方だけを計画的に捨てることが大切。
更にイノーベーションを行う園はどんどん前に進む。
そうすることで、一人ひとりの可能性を開放できる・・・と言ったところでしょうか。
もしドラでは主人公が既存の高校野球を全て陳腐化し、何を捨てるか?と考えます。
そして辿りついた答えが「送りバント」「ボール球を打たせる投球術」を捨てることにしたのです。
一つ目の「送りバンド」を捨てる意図としては、一番は失敗のリスクが大きいということです。
更には選手や監督の考え方を硬直させ、野球自信をつまらなくさせていると監督は言っています。
二つ目の「ボール球を打たせる投球術」これはプロ野球でも常識となっていて、一種の美学のように語られているが、
逆に投手の伸び悩みを招いていると監督は言っています。またこれも、変に試合を長引かせる、
そして考え方が狭くなるといった、送りバント同様、野球をつまらなくさせる弊害もある。
これらの理由から野球部では、この二つを無くす方向になったのです。
私は野球の事はそこまで詳しくないので、何とも意見もできませんが、
確かに高校野球、プロ野球を見ていると、送りバントをする場面をよく見るので、
特に何とも違和感は感じませんでした。またボール球を打たせる投球術、
おそらく野球をしている人にとっては当たり前の戦術かもしれません。
それを本の中では封印し、いかに効率よく試合展開をするか?そして試合に勝つ・・・と主人公は考えていますね。
野球を経験してきた人にとっては、この作戦はどうなのか?聞いてみたいですね。
さて、塾長のそばにいて、色々な話しを聞いて思うことは、
塾長の考え方は常にイノベーションを感じます。
だからと言って過去の考え方を全て捨てるわけでなく、
それこそ「計画的にかつ体系的に捨てている」という感じです。
時々、塾長はどこまで先の事を考えているのだろう??と思う時もしょっちゅうです。
それだけ時代の先を見て、それこそどんな時代でも通用する保育、考えを頭の中で描いている気がします。
自分が今まで信じてきた事が、間違いだったり、気がつけば古かったり・・・。
それを知ったとたん、誰でもショックは受けると思います。
しかし、じゃあ何も変えずにそのままでいるのか?というと、私はそうでは無いと思います。
特に保育園という場は自分のためでなく、目の前にいる「子ども」が主役です。
明らかに何十年前の社会と今の社会を比べると環境も全然違うはずです。
そんな変動した社会の中で今、目の前にいる子ども達は生きていかなければならないならば、
それに時代に合わせた保育に変えていく必要があると思います。
そんな手助けが、この臥竜塾が手伝うことができればと、密かに願っています。(投稿者 山下祐)

7つの習慣 2

私自身そうなのですが、なにかうまくいかないとき、行き詰まることがよくあります。そして、そのことに対して、「なんでこうなってしまった」と悩みがより深みにはまることもおおいですね。そうならないためにも必要なことは「主体性」であるとコヴィ氏は言っています。そして、その「主体性」こそ、7つの習慣のひとつめの習慣です。

その主体性とは「人間として、自分の人生に対する責任を持つこと」です。つまり、成功も含め、仕事上の失敗や人との関わりの中で起こる問題、自分の周りにあるさまざまな出来事は自分で行動を起こした結果であるということです。そして、「私たちの行動は、周りの状況ではなく、自分自身の決定と、選択の結果である。」ということであり、何事においても自分自身で決定、選択しているということを意識していなければいけません。

行動を起こす上で大切になってくることが、「反射的に反応せず、自覚して行動を選択すること」です。つまり、反応や批判などが起こった場合、その刺激に反射的に反応する行動(流された行動)をするのではなく、そのことに対して「自覚」した上で、主体的な行動(自分自身で選択した、自覚した上での行動)を心がけることです。そして、その結果を単なる出来事として受け止める(失敗:あいつのせい。運がなかった)のではなく、選択による帰結として考えること(失敗:次はこうしよう! 欠点:こう変えていこう 不得意:得意な人に任せよう。勉強していこう)という思考に持ってくる心がけが必要であるということです。そして、その思考が周りに影響していくのです。

 

ただ、ここで注意しなければいけないのが、結果や自分の影響に意識を向けすぎることです。あくまで、大切なことは「主体的に行動すること」結果は自分が決めることではなく、自分の行動の結果として付いてくるものとして捉えなければいけません。つまり、望む結果が違うのであれば、自分の行動を変えるしか方法はないのです。「根気よく試行錯誤を続ければ、結果も変わってくる」ということを意識することが大切です。

私は意志が弱いのか、自分の行動で失敗したときに、問題や行動を変えることを意識はしていても「自覚」するということをなかなか受け入れられずにいます。だから、しらず流された行動をとってしまい反省することばかりです。しかし、一つ一つ改善していく中で「チーム」というものをもっと良いものにしていくために自分の行動を見直すことや改めることは大切なことですね。

 

この章では最後にこうも書いています。「主体性の本質は自分自身や人との約束と約束に対する誠実さである」と書かれています。藤森先生のブログにも同じような事が書かれていること多いですね。目標に向かうために「誠実さや真摯さ」は常に持ち続けていこうと改めて思いました。そして、それが本当に悩んだときに初心に立ち返る重要なエネルギーになるのではないでしょうか。

(投稿者 邨橋智樹)

ゴー・ビトゥイーンズ展③

【ゴー・ビトゥイーンズ展:こどもを通して見る世界】で感じてきた報告も、今回で最後です。

 これまで、『異なる文化、現実と想像、大人と子ども、
あらゆる境界を行き来する子どもたちが放つ「生きるちから」』について見てきて感じたことは、子ども独特の世界観は、子ども特有の想像性がきっかけとなり、目に映る現実の世界と、想像の世界とがリンクした結果の産物であるということです。大人が目にする子どもの理解できない行動や雰囲気が、その境界の往来を可能にしているのです。

 この展示会の主催者は、こんなことを行っています。

『本展は、異なる文化の間、現実と想像の世界の間など、さまざまな境界を自由に行き来する子どもの性質に注目し、子どもの視点を通して世界を展望しようとする試みです。世界各国の優れたアーティスト26組の作品に表れる子どものイメージを通して、社会で起こっているさまざまな事象に注目し、政治、文化、家族など子どもを取り巻く環境と、彼らが直面する諸問題に目を向けます。さらに、遊びや夢、記憶などをキーワードに、大人の常識や伝統の枠組みにとらわれない子どもの創造性と、その多様な感覚に迫ります。
環境に翻弄される存在であると同時に、行き詰まった情況の突破口ともなり得る子どもの潜在能力は、未来への鍵となることでしょう。境界を超える子どもの姿を通して、より多様な価値が共存する、新たな世界への可能性を探ります。』

 境界を往来する子どもたちは、新たな扉を開く突破口であり、未来への鍵なのです。大人が「またそんなことして!」「いいかげんにしなさい!」と言っている子どもの行動が、もしかすると未来を創造する力になるかもしれないのです。

 そして、この展示会のサブタイトルに「こどもを通して見る世界」とあります。それは、この展示会が始まる期間前に、一般の子どもたちに実際に見てもらった感想や思いを、展示写真の下に掲示してあるのです。その言葉からも、子どもたち同士で独特の想像を、さらに想像で返してそれを広げる掛け合いが読み取れたりして非常に興味深かったです。また、キッズ・ワークシートといって、美術館に訪れた子どもたちを対象に作られた冊子がありました。そこには、写真を見て、自分がどこを見てどう感じたか、写真の子どもは何を言っているのか、そして自分の好きなものは何なのかといった、自分自身の深い部分に問いかけるような質問が書かれています。行った日にも、多くの子どもたちが用意されたテーブルで、ワークシートに何やら思い思いに書いていました。

キッズ・ワークシート

キッズ・ワークシート

ここはどこ? なにがみえる?

ここはどこ?
なにがみえる?

 私は「ゴー・ビトゥイーンズ」とは、ずっと写真家の名前だと思っていました。しかし、違っていました。その意味は、こう書かれていました。『ゴー・ビトゥイーンズ…媒介者。19世紀後半のニューヨークで貧しい移民の暮らしを取材した写真家ジェイコブ・A・リースが、英語が不自由な両親の橋渡しとしてさまざまな用務をこなす移民の子どもたちを「ゴー・ビトゥイーンズ(媒介者)」と呼ぶ。』

 ゴー・ビトゥイーンズとは、子どもたちのことだったのです。

私たちは、子どもを通して見えない世界を見ることができています。子どもが、現実とは異なる世界との媒介となり、新たな発想のきっかけを作ってくれているのです。その想像性は“多様な価値”から生まれ、まるで、それが重要であると判断する大人の力量が求められているかのようです。子どもたちが想像していることを実現できる現実であってほしいと、強く思った経験になりました。

 (投稿者 小松崎高司)