おそらく多くの人は新しい物に興味を示します。
最新の電化製品、最新のパソコン、最新のスマホ、最新のゲーム機など、
これらは以前のものより、より優れた機能を持って市場に現れ、
それに顧客は敏感に反応し、最新の物を購入します。
子どもも同じ様に、新しい物にはとても敏感に反応し、興味津々になります。
ついさっきまで楽しく遊んでいたおもちゃの事もいとも簡単に忘れて、新しい物に飛びかかり、
集中し、飽きるまでずっと遊び続けます。
私はその時の子ども達の顔を見るのが、嬉しくてたまりません・・・。
私も新しい物にはとても興味津々になります。
ただ、それは物に限定したわけではなく、考え方の場合もあります。
特に塾長と話していると、色々な視点の考え方を言われるので、
聞いている側にとっては、本当に「目からウロコ」のような発想です。
塾長の話しは保育の世界だけでなく、様々な世界でも通用する話しだと聞いていて思います。
それは経営論やマネジメントの話でなく、人生論です。
時々、保育業界には全く関係のない来客がありますが、
皆さん、帰る頃には満足した顔をして保育園を出ていきます。
おそらく長年、同じ業界にいると視点が狭くなってしまい、新しい発想が生まれにくいのが、
塾長と話すことによって、自分の視野が広がり、新しい発想を生み出しやすくなるのかもしれません。
ただ、残念ながら塾長の話しを聞いても、なかなか変わらないのが、保育の世界です。
と言うのも、保育の世界というのは、何も変えなくても成り立ってしまう世界だからかもしれません。
その反面、企業は明日、もしかしたら会社が潰れてしまう可能性だってあります。
だからこそ、会社が少しでも成長できる事には敏感に反応し、取り入れようとするのかもしれません。
いま、保育会は、こども園という大きな動きがある中で、
全国でも新しい制度に向けての研修が開かれていると思います。
もちろん制度の話も重要なのは確かですが、よく塾長が言われる言葉で
「どんな時代や動きになっても、時代に流されないような保育をすることが大切」
と言われます。
いくら制度が変わろうが、こども園になろうが、自分たちが自信を持った保育。
それこそ保育指針、幼稚園教育要領、子どもの権利条約、これらをしっかりと取り入れた保育をすれば、
何も恐ることはないと思います。
ドラッガーは新しい事を取り入れることに関して、こう言っています。
「イノベーションの戦略は、既存のものはすべて陳腐化すると仮定する。(中略)
イノベーションの戦略の一歩は、古いもの、死につつあるもの、陳腐化したものを計画的かつ体系的に捨てることである。
イノベーションを行う組織は、昨日を守るために、時間と資源を使わない。昨日を捨ててこそ、資源、特に人材という貴重な資源を
新しいもののために開放できる」
と言っています。
これを保育で例えると、今までの行ってきた保育を陳腐化(古いこと)と仮定して、
全てを捨てるのでなく、それこそ何が必要で何が重要なのか?ということを、一定の視点で見るのでなく、
全体的なバランスを見ながら、その中で不必要な物、考え方だけを計画的に捨てることが大切。
更にイノーベーションを行う園はどんどん前に進む。
そうすることで、一人ひとりの可能性を開放できる・・・と言ったところでしょうか。
もしドラでは主人公が既存の高校野球を全て陳腐化し、何を捨てるか?と考えます。
そして辿りついた答えが「送りバント」「ボール球を打たせる投球術」を捨てることにしたのです。
一つ目の「送りバンド」を捨てる意図としては、一番は失敗のリスクが大きいということです。
更には選手や監督の考え方を硬直させ、野球自信をつまらなくさせていると監督は言っています。
二つ目の「ボール球を打たせる投球術」これはプロ野球でも常識となっていて、一種の美学のように語られているが、
逆に投手の伸び悩みを招いていると監督は言っています。またこれも、変に試合を長引かせる、
そして考え方が狭くなるといった、送りバント同様、野球をつまらなくさせる弊害もある。
これらの理由から野球部では、この二つを無くす方向になったのです。
私は野球の事はそこまで詳しくないので、何とも意見もできませんが、
確かに高校野球、プロ野球を見ていると、送りバントをする場面をよく見るので、
特に何とも違和感は感じませんでした。またボール球を打たせる投球術、
おそらく野球をしている人にとっては当たり前の戦術かもしれません。
それを本の中では封印し、いかに効率よく試合展開をするか?そして試合に勝つ・・・と主人公は考えていますね。
野球を経験してきた人にとっては、この作戦はどうなのか?聞いてみたいですね。
さて、塾長のそばにいて、色々な話しを聞いて思うことは、
塾長の考え方は常にイノベーションを感じます。
だからと言って過去の考え方を全て捨てるわけでなく、
それこそ「計画的にかつ体系的に捨てている」という感じです。
時々、塾長はどこまで先の事を考えているのだろう??と思う時もしょっちゅうです。
それだけ時代の先を見て、それこそどんな時代でも通用する保育、考えを頭の中で描いている気がします。
自分が今まで信じてきた事が、間違いだったり、気がつけば古かったり・・・。
それを知ったとたん、誰でもショックは受けると思います。
しかし、じゃあ何も変えずにそのままでいるのか?というと、私はそうでは無いと思います。
特に保育園という場は自分のためでなく、目の前にいる「子ども」が主役です。
明らかに何十年前の社会と今の社会を比べると環境も全然違うはずです。
そんな変動した社会の中で今、目の前にいる子ども達は生きていかなければならないならば、
それに時代に合わせた保育に変えていく必要があると思います。
そんな手助けが、この臥竜塾が手伝うことができればと、密かに願っています。(投稿者 山下祐)