A Spoonful Of Sugar

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藤森先生のブログの議題になったことのある「メリーポピンズ」。

その中の歌にとてもいい歌があります。

「A Spoonful Of Sugar(お砂糖ひとさじで)」という歌です。

 

その歌詞の中に

Just a spoonful of sugar the medicine go down   in a most belightful way.

(ただちょっぴり砂糖があるだけで)         (楽しくなるわ)

という歌詞があります。

 

その歌は、子どもたちが薬を苦いから飲みたくないといった時にお砂糖が少し入れば楽しく飲めるという意味の歌なのですが、保育の中でも同じような場面がたくさんあると思います。

 

例えば、私がやるようにしているのが、お散歩から帰ってきた時に手を洗いたがらない子がいた時、手を洗った子に手を見せてもらい少し大げさに、「まぶしい!」という反応を見せることです。

汚れが取れて、きれいになったからピカピカでまぶしいという意味でやっているのですが、まだなぜ手を洗わなければいけないのかと理解が難しい子も、その反応を楽しみながら手を洗うことができます。

 

子ども達が苦手な食べ物がある時は、きれいになったお皿を見せてもらい、同じようにピカピカでまぶしいという反応を見せると、子どもたち同士でお皿を見せあい、少しでも多くのお皿をピカピカにしようと頑張ります。

 

お集まりの時にも、上手に座っている子を「さすがお兄さん(お姉さん)だね」と褒めてあげること、それは座っている子とまだの子も「座ろう」という意欲につながっていきます。

 

ここまで書いて自分でも改めて気づいたのですが、子どもたちにとってお砂糖、つまりは楽しみがなんであるかというのを作ってあげるのではなく、できている子にも、できていない子にも教えてあげることが大切なのかもしれませんね。

子どもにとって認めてあげることの重要性、満足感を感じました。

(投稿者 西田 泰幸)

A Spoonful Of Sugar」への2件のフィードバック

  1. 書いていくうちに書く前には思っていなかったことを感じるというこがありますね。書いていくうちに考えが整理されたり、思ってもみなかったあっちと繋がったりすることがあり、そうかこう考えればいいのかなんて発見もあったりしますね。そんな発見はおもしろいですね。「なぜそうしないのか」というような攻撃的な関わり方で脅すのではなく、自然とそうしたくなるような、自分からそうしたくなるような工夫は忘れてはいけませんね。

  2. 自分がそうしたいと思わなければそうすることが難しいように、やはり意欲は自分の内面のものであると思います。子ども達に何かしてほしいと思った時、大人はとにかく頭を使って子どもの意欲を引き出す方法を考えるべきですね。力任せにやってしまえば、子どもは納得できないけど怖いからやる、大人は使えるはずの脳を使わずに済ませてしまう結果となり、後味もよくないということで双方にとって全く良いことではありません。
    大きいのは体だけというような大人になりたくないと改めて思いました。

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