子どもたちが日常を過ごしている中で、私たちは、子どもの“うまくいったこと”に焦点を当てる事が多いです。それは、なかなか見る事ができない姿であったり、子どもが本来持っている姿というのを保護者や外の世界に発信していくことが役割でもあるからです。しかし、その“うまくいったこと”の背景には、その何十倍もの「うまくいかなかったこと」の礎があるのだなぁと感じることがあります。
ある土曜日、0歳児がズボンを履かずにいるところを見て、2歳児が履かせようと手伝いにきました。0歳児は何も言わずに2歳児の様子を見ているのですが、次第に足をばたつかせるので、2歳児はやりにくそうです。
その様子を見て、3歳児も手伝いにきました。2人がかりで0歳児のズボンを履かせようとします。しかし、0歳児はそれでも足をばたつかせています。
そのような姿に苦悩していた2歳児が、ある方法を思いつきます。近くに落ちていた玩具を手に持って球体がクルクル回っている間に、それに気を取られている隙にズボンを履かせようとしたのです。
ズボンは膝まで来ました。お尻まで上げるために、2人は0歳児に「立って、立って」「こうやって立っちしてよ」等と実際に動きを見せながら伝えていました。それでも最終的にズボンを履かせることはできませんでした。近くに来た職員に、「◯◯ちゃんがズボン履かな〜い」と訴えます。
その職員は「自分で履きたいんだろうね〜。◯◯ちゃん、いつもそうなんだよね。」と言います。それを聞いて「へぇ〜」という2歳児。すると、2歳児と3歳児は、その場を離れて別の遊びをしようと移動している最中、カメラを向けていた私に向かって「ちゃんと履いてくれないんだよ。座ってくれないし、立ってくれないし…」とブツブツと言いながら去っていきました。0歳児はというと、2歳児と3歳児の姿を最後まで目で追っていました。
0歳児は、どうやら自分でズボンを履きたがっていたようです。同時に、2・3歳児に関心を寄せていました。そして、結果的にその気持ちをうまく汲み取ることができなかった2・3歳児がいました。しかし、0歳児はどうしてズボンを履きたがらないのか?といった疑問が頭を巡っていたことでしょう。そして何よりも、コミュニケーションの難しさや思い通りにいかないという経験をしていたことでしょう。
きっと、このような経験が「うまくいったこと」を支えているのだと思います。
(報告者 小松崎高司)
確かにうまくいったことに焦点を当てる事が多く、そうではない「うまくいかなったこと」にあまり注目していませんでした。うまくいかなっかたことにも大切なことが詰まっていますね。他者の気持ちがうまく理解できなっかた経験はその後の他者との関係に必ず影響してきますね。同年齢でもそうですが、年下となると余計にその子の気持ちを考えようとするのかなと思いました。異年齢での関わりの中でうまれるこのような難しい部分があるからこそですね。