ちょっと変わった職員が報告する勉強会~園内研修編4~ EPISODE 3

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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

前回の報告では乳児保育の大切さについて、オランウータンやゴリラの離乳時期と人間の離乳時期を比較し、そこから見出すことのできる乳児保育の大切さについてまでを書きました。

今回はその続きです。

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「赤ちゃんは生まれながらにして半分くらい言語的スキルが育っている」と藤森先生。

それは胎内でお母さんの声を聞いているからだと考えられます。最近の研究では、お母さんの話している言語と同じ言語を話す人を赤ちゃんは好むということがわかっています。

このことは、『臥竜塾』ブログ2016年10月13日『人種の偏見』の中にも書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝生まれたばかりの赤ちゃんも、日常耳にしている言語を認識できると言われています。そして、話者が赤の他人でも、その言語を別の言語より好むこともわかっています。研究者たちは、赤ちゃんがおしゃぶりを吸って選好を示す方法を利用して、ロシア人の赤ちゃんはロシア語、フランス人の赤ちゃんはフランス語、アメリカ人の赤ちゃんは英語を好むことを明らかにしました。生後わずか数分でも、同じ現象が見られるそうです。おそらく赤ちゃんは、母親の胎内で耳にするくぐもった音に、次第になじんでいたであろうと考えられています。〟

母親の胎内にいる時から耳馴染んできた言語。「なので、”母語”とか〝母国語〟と言います。」言葉の由来に納得してしまいます。

「というわけで、もし子どもに英語を話させたいと思ったら、胎内に赤ちゃんがいる時からお母さんが英語を話してください。」補足のように話されていましたが、このこともとても頷けますね。

さて、ここからとても興味深い展開へと発展していきます。

「ここに担当制のおかしさがあるような気がします。一人で見るということは人類の歴史としておかしいのではないでしょうか。」

『臥竜塾』ブログ2015年6月2日『子育てに関して』の中にはこう書かれています。

〝子育てに関して、ヒトと大型類人猿との間に驚くべき違いがあることがわかっています。それは、ヒト以外の大型類人猿では、子育てのほぼ100%を母親が担っています。ヒトでは、伝統的社会から現代社会に至るまで、平均値は50%にしか担っていないのです。協力的繁殖のシナリオでは、母親以外の養育者は、しばしば能動的な食物供給や基本的な世話といった向社会的行動に従事します。(中略)

サラ・ハーディは、さまざまな研究結果に基づいて、ヒトは共同保育者として進化し、基本的に他者の援助無しでは子育てすることができないと主張します。母親以外の誰か(例えば父、祖父母、母親の兄や姉)、あるいは遺伝的に無関係な人(例えば乳母や看護婦、育児グループなど)による子育てであり、母親が自分自身の必要を満たすために子どもから一時的に離れることを許容するかもしれないとして、働く女性を容認しています。

 これらの仮説が、組み合わされているかもしれませんが、ここで重要なのは、「類人猿から一線を画したヒト進化には、経験の情動的、動機的側面も含め、なんらかの最初期段階が存在し、それこそが協働行為や志向性の共有を可能にする複雑な技術や動機付けが選択されうるような新たな適応的スペースにヒトを押し上げた」と言うことなのです。

 これは、私の仮説ですが、最近、協働で活動する事が困難であったり、食物をフェアに分配しようとせずに独占しようとしたり、社会的行動をとることが少なくなっていたというような最近の変化は、もしかしたら、この最初期段階での経験なり、その過程を経ることが少なくなってきたことが影響しているのではないかと思います。たとえば、子育てを母親だけに背負わせるということは、ヒトに特異的な向社会な動機を持ちにくくするということにならないかもしれません。

子育てを社会的な営みとしてとらえることが、もしかしたら、少子化を防ぐ有効な手立てになるかもしれません。〟

〝母親に似たような人〟ということで担当制の利点を考えた時、それは赤ちゃんが胎内にいた時に用いていた言語と同じ言語を話す人という点では、母親に似た存在というのは必要でしょう。日本語を話す母親の元に生まれた赤ちゃんは日本語を話す大人を好むからです。ですがそれだけの理由で、担当制を推進する理由になるのでしょうか。

〝子育てを社会的な営みとしてとらえる〟改めてその大切さに気付かされる思いがします。

そして、藤森先生はその後、このように続けられました。

「お母さんと二人きりでの子育てでは、〝我慢〟という力がつきづらいのです。」

我慢、自制心。現代の保育の最先端の課題へと展開されていきます。

(報告者 加藤恭平)

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