アートと芸術④

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 この「アートと芸術」の報告も、これで最後になります。
 
 題にもした、“アート”と“芸術”は同じ意味です。しかし、日本と海外ではその言葉の捉え方が違う印象があります。皆さんは、ある方が「僕はアートが好きでよくやるんです」と言ったら何を思うでしょうか?以前までの私は、「素敵な趣味をお持ちですね」「めずらしいですね」などと思っていたことでしょう。ましてや「アーティスト」という職業には、特別感を抱いてしまうと思います。先日見たTV番組では、『先進国の中では、日本人は美術館に行く回数が一番少ない』という結果が出ていました。その理由を調べてみると、『日本人が美術館に感じるイメージは「敷居が高い」「高尚」といったものが多く、それが「難解」「とっつきにくい」「貴族趣味」として美術を敬遠する理由の一つにもなっている。』など、美術や芸術とは何か“特別なもの”として捉えられています。
 
 “リサーチバンク”という自主アンケート・調査結果レポートサイトによると、10代から60代の全国男女1200人に対し、「日本は日常においてアートが身近と感じるか?」と尋ねたところ、半数以上の57%が「感じない」という回答がありました。しかも、24%は「わからない」といった回答であり、両者で81%を占めているのが現状です。つまり、圧倒的に「アート」に触れる機会が少ないこと、「アート」がどういうものであるかに関心がそれほどないことが読み取れます。
 
 そのような日本に対し、欧米では「アートは日常」というひとつの考え方があります。アート(芸術)とは、『表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。文芸言語芸術)、美術造形芸術)、音楽音響芸術)、演劇映画総合芸術)などを指す。』と書かれています。つまり、日頃行われる親子の会話も、自然な風景を見てわき上がってきた感情や言葉も、何気なく作られた作品も、ふと出た鼻歌も、気分が高まって自然と体が動いたことも、受け手の捉え方・見方(評価)によって、それは「アート」にもなりうるということだと私なりに解釈しました。日本において「非日常」であるアートを、いかに「日常」にしていけるかが、これからの課題でもあるそうです。
 
 この世界は、意味のあることだらけで囲まれていると説いています。“イスはイスと見なさい”といった、与えられた意味の世界に閉じ込められている息苦しさから、一旦“意味なんてない”、そんなもの私が作ってしまおうといった世界に行くことで、人間がもともと持っている主体性を取り戻していくことが「アート」でもあると。そのような活動が世界でも注目されてきている印象を受けます。このように、意味がない世界に一旦身を置くことで、将来出会う意味のあることだらけの社会から、多くの気づきや意味を見出すための力を蓄えているのが、「乳幼児期」なのかもしれません。この時期には、将来的には意味はあるが、今は“意味がないこと”であるナンセンスさと充分に満足できるまで関われる環境が必要であるということを、このシンポジウムでは投げかけていました。
 
 そのような「ナンセンスさ」の中にある価値を理解し、子どもとともに、多くの“面白いこと”や“楽しいこと”を共感・共有できる、一人の「アーティスト」でありたいと、そう感じたのでした。
 
(報告者 小松崎高司)

アートと芸術④」への2件のフィードバック

  1. 解釈の違いもあるとは思いますが、確かに日本人によって「アート」は日常かと言われれば、そうではないかもしれません。どうしてなのでしょうか。もしかすると日本人の感覚の中にアートは表現するものであるという意識が強いからなのかなと思ってしまいました。単なる表現ではなく、主張を含んだ表現という言い方の方が合うのかもしれませんが、そのような主張、表現は日本人には苦手な部分でもあり、あまり主張しないことに美徳のようなもの感じているのかもしれません。そんな意識ががアートを近寄りがたいものという認識にさせている部分があるのでしょうか。アートが身近になることで、自分の思いを少しずつでも表現したり、主張できるようになるならそれはいいことでもあるんじゃないかなと思いました。「意味のあることだけで囲まれている」というのも印象深い言葉です。意味のないことに意味があるといいますか、意味のないことをしている中から意味を見出しているといいますか、意味のないような世界に意味があるという認識は私も感じます。

  2.  アートという言葉がぐっと身近になったような気持ちになりました。アートという言葉の翻訳を自分なりに身近なものに解釈し直す必要が日本人にはあるようですね。想像することもアートであるのだと思います。創造もしかりですね。もし、日本人の身近にアートがないのであれば、想像する毎日がないということなのかもしれません。与えられた仕事、ノルマ、をこなしていくような不本意に進む毎日の中では豊かな想像をすることは難しいと思います。
     もし想像することが日本人にとって難しいことになっているとして、それが社会に反映されて今の日本の状況があるとするならば、やはり変えなくてはならないでしょう。これからの時代を担う子ども達の為に、僕達自身の為にどのような未来を創造していくのかを日頃から気楽に想像していきたいものです。身近なことから楽しい想像を膨らませていきたいですね。

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