以前に園の畑で採れたピーマンを子どもたちと一緒にクッキングをしたことで、保護者の方も家では全く食べないと言っていた「ピーマンのきんぴら」をよく食べていた。という事をお伝えしました。
最近、その子たちが「給食でピーマン出ないの?」と聞いてきました。クッキングをしたことを覚えてくれていた事を喜びつつ
出ないわけではないのですが、たまたまあまり入っていなかったせいか聞かれました。試しに「だってみんなあまりピーマン好きじゃないでしょ?」と聞いてみました。そしてら、「みんなでクッキングしたときのピーマンが美味しかったから食べられるもん!」と言った後に「でも家のはあまり好きじゃないんだ」と言っていました。その違いは何なのかその子に聞いてみたかったのですが、すぐにどっかに行ってしまったのと、ちょうど誰かに呼ばれたこともあて理由が聞けませんでした。
次回、給食でピーマンが出た際にはその子たちのところに行ってその理由を聞いてみたいと思います。
話は少し変わりますが、大河ドラマ「花燃ゆ」の中でも、野菜嫌いの幼児(お世継ぎ様)に対して、その世話役が嫌いな野菜を食べられるようにするにはどうするかと考えたところ、その時代にはとんでもない方法で野菜嫌いを克服していました。それが、新宿せいが保育園の食育三本柱の一つである「栽培」です。
お世継ぎ様なので、ゆくゆくは殿様になるお方に畑仕事をさせてしまいます。先ず、庭を耕し畑にした後、種まきをして水やりなどすることで、成長していく姿が楽しみになっていきます。そして、育った野菜を収穫し調理を頼みます。出てきた料理に以前までは全く見向きもしなかった野菜をそこで初めて食べることができるようになりました。
ドラマの中なので、実際にそのような事をしたのかはわかりませんが、食に対する子どもの興味は「栽培」「調理」「共食」の三本柱にあり、また、五感を使うことでその興味が一層増していくのではないかなと感じました。(報告者 柿崎)
栽培をすると、どうして嫌いな物でも「食べてみよう」となるのでしょうかね。自分で野菜を育てるという“主体性”が、食材に対する苦手意識を打破させるのでしょうか。保育する上で重要な子どもの主体性・自立・自発性などは、子どもに苦手意識を持たせないという面でも効果的であるのかもしれませんね。苦手意識というのは、自分以外の他者からの影響がほとんどであるように感じました。
実際にそんな場面があったかどうかは別として、確かにあの花燃ゆの野菜嫌い克服のシーンは印象的でしたね。まさに、食育三本柱の一つである「栽培」でしたね。私もテレビを見ながら、「おお〜」となんだか知り合いの人がテレビに出ているようなそんな感覚になりました。自分で育てた野菜がどんな味なのか知りたくなりますよね。自分で調理したものがどんな味なのかも知りたくなります。k.takaさんもコメントしておられますが、主体的な子どもの姿がそのような気持ちにさせるのかなと私も思いました。やらされるより、自分からやったものの方が達成感がありますね。