一歩

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最近、自分にできることはなんだろうか。と考えることが多いです。それは悪い意味ではなく、とても前向きな悩みです。

考えていくと、その時々にもよりますが、必ず一つくらいはあるものです。僕の悪い癖はそれを後回しにすることです。そして、後回しにした結果、うまくいくかというと決してうまくいくことはほぼありません。そうわかっていても、なかなか一つ足を踏み出すことに躊躇してしまう自分がいます。

今でも、変な足踏みはしてしまうことがあり、ときに人に迷惑をかけてしまうことがありますが、その数や頻度は減ってきているように思います。つまり少しは行動的になってき他のだと思います。すると、不思議とチャンスが舞い込んでくるようになりました。そして、その意識が人を呼び、ほんの少しのうねりが出てきているように思います。たった少しのきっかけがこういった行動に出てきている様に思います。

そのきっかけの一つは自信です。そして、志。僕は新宿せいが保育園にいたことで、たくさんのことを学びました。その学びは僕にとって自信をもって、「良いモノ」であるという確信があります。藤森先生からいろんなことを学び、現場で実現するための夢や志ができました。だからこそ、その大筋に則って、話をすることで、その理想や理念が自分に力をくれるように思います。そして、それが子どもの姿や成長・発達として、見えてくるととても嬉しくなり、自分の自信になってきました。

もう一つは仲間です。藤森先生を始め、今、ブログを書いている生臥竜塾のみんな、新宿せいが保育園の先生方が応援してくれる人がいること。保育園・幼稚園でも信頼してくれる人がいることは自分の中でとても大きな自信になっています。

一歩を踏み出すことで、大きくことが動き始めたように思います。しかし、行動することは自分にとって未知の世界なことが多いので怖いです。しかし、なにか積極的に動くことで見えてくることが多くありました。

今、関西でもGTの動きを活発にさせていこうという園長先生方がいて、少しずつ動き出しました。こういった輪がもっと重なり合い、絡まり合いながら、大きな一つのうねりになっていくことを願っています。なによりも今、預かっている子どもたちの将来にとって、いったい自分たちがどう関わっていくことが良いことなのか。社会に貢献するために保育園や幼稚園がどうしていくことが良いのかを考えて、保育を進めていきたいと思っています。

(投稿者 邨橋 智樹)

一歩」への2件のフィードバック

  1. 邨橋さんと僕の悩みは同じではないと思うのですが、なんだかその葛藤のような感覚が、僕なりにではありますが、とても理解できるような気が不思議としています。僕の中にも常に悩みはあり、受け取り方にも波があるといいますか、よかったり、悪かったりの繰り返しという感じがしています。そんな風に波があるからこそ悩むことも多くなりますし、それでもどこかに光が見えてくると嬉しくなります。その繰り返しなんですかね。なんとか安定しないものかなと思うこともあるのですが、そんなにうまくはいきませんね。自分の行動を支えてくれるものに「自信」というものがあるなら、今はその自信をつけることが必要なのかもしれません。なんだかよくまとまっていない文章で申し訳ありません。

  2. 『危険が迫っている時、逃げ出してはいけない。かえって危険が2倍になってしまう。しかし、決然として立ち向かえば、危険は半分になる。』とは、1940年に首相となり、1945年に退任するまでイギリスの戦争を主導したウィンストン・チャーチルの言葉です。戦争を正しいこととは全く思っていませんが、危険に対する人間のとるべき行動を表す言葉として、至言であると感じています。
    塾頭が三十にして立つ、四十にして惑わず、と言葉にしていた通り、その道のスタートに立つことを決めた三十代。いよいよもってこの道で生きていくのだと心を決める四十代であると思います。慌ただしく過ぎていく毎日にも、意味があることを信じて、今はしっかりと自分の立っている道の上を、一歩一歩確かめながら歩いていきたいですね。

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