塾長のドイツ報告にもありましたが、ドイツの園庭はこんなようになっています。ゴツゴツとした岩は普通にあり、ここで子どもたちはいつも遊んでいるそうです。
こんなところでは怪我が絶えないのでは?と思う方も多いと思いますがドイツの保育園では2年間でばんそうこうすら出したことがないそうです。つまり怪我をしていないということです。
なぜ怪我がないのか。それは一斉保育ではなく、子どもの自主性を大切にしているからというところに行きつきます。
一斉保育にして、危険な物は排除して安全な環境にすることで子どもたちは自ら危険を回避する力がなくなってきているのではないかと思います。子どもはこういったところが大好きです。実際私が幼い頃は大人からしてみたら少々危険だなと思うところが格好の遊び場でした。
自らがその岩場を体験することで自分で危険を回避する力を育まなければ将来ちょっとした危険も回避することはできないでしょうね。
私の勤めている保育園の近くには自然豊かな公園があります。そこには石畳や石段があり、子どもが自らが危険を回避しなければいけない環境にあります。最近その公園の工事が進み新しい公園ができました。そこには毎日のように散歩に行き、子どもたちが遊んでいます。
そこにはドイツのような岩場ありました。
このような感じです。
この岩場で遊ぶのは子どもたちは大好きでよく遊んでいます。初めて行くところですし、注意して見ていましたが、子どもたちは一切怪我することなく遊んでいました。更に毎日のように行っていても怪我をする子はまだ出てきていません。すり傷すらまだない状況です。
以前から自ら危険を回避しなければいけない環境にあることで自然と身についていることがわかります。よく見ているとそんなに危ない遊びはしていない様子でした。自分が無理そうだなと思うようなことは自らが回避しているようにも見えました。
もちろん大人が見ているのも大事ですが、やはり1番大事なのは子ども自身が自らが危険を回避することが大切であることを改めて感じます。
これからも子どもたちの将来のために危険な物を排除しすぎないことを意識していこうと思う環境だと思えました。
(報告者 本多 悠里)
自然の中には私たちが想定していない環境がたくさんありますね。高い所だったり、斜面だったり、飛び越えたくなるような幅があったりと様々です。年上の子たちがそんな所で遊んでいる様子を見て、年下の子たちも真似してやってみようとすることがよくありますが、やはり子ども達は自分の今の状態にあった所まで(環境)を自分で感じていると思えることが多く、ほとんど無理をすることがありません。「やっぱり止めよう」という声をたまに聞くことがあります。挑戦したいという気持ちを持ちながらも、環境に合った関わり方を自分なりにしたから出た言葉なのかなと思います。無理をするのは大人の方なのかもしれませんね。見栄だったり、誰かと比べて自分を見たりとそんな気持ちが無理をさせてしまい、肉体的なまたは精神的なケガを負ってしまうのかもしれませんね。「子どもたちの将来のために」とありました。先を考え、今どう関わるのがいいのか、この視点は私の課題でもあります。しっかり考え、大切にしたい思いだなと改めて感じました。
ドイツの保育園の園庭の写真を見て改めて思うのですが、本当に素晴らしい環境が近くにできたものだと思います。確かに一斉保育の怖いところは、怪我が増えることですね。皆が同じことをできないことが人間の本質であるかと思うのですが、その真逆を強いるわけですから子ども達はそれに対応できず、将棋倒しのように怪我をしてしまうといったイメージです。
僕は更に本多先生が仰ることに加えて、〝してはいけないことの量が増える〟ことが挙げられるかと思います。それによって職員が楽しくなくなり、結局子どもも楽しめず、負の連鎖が怪我を生むようにも思えます。子どもの力を信じ、信じていることを実行すること、すなわち見守ることが大切ではないかと思います。