Blue floor philosophy episode 10『誕生会』より

ブログ『臥竜塾』2012年6月3日『誕生会』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「園で行う誕生日会は、月1回です。ですから、子どもの誕生日の当日に祝うことにはなりません。しかし、子どもは、誕生日当日はうれしいものです。ですから、必ず、その日には誕生日であることを部屋の中に掲示して、職員はその子におめでとうという声をかけてあげるようにします。今迄、ずいぶんといろいろな試みをしました。たとえば、誕生日を迎えた子は、その日1日王冠をかぶったり、誕生ベルトを締めたりして、誰にでもわかるようにすると同時に、その日は、王様になったような、チャンピョンになったような気分になります。また、あるときには、免許証を発行し、その免許証を提示すれば、見せられた人はその子を必ず「だっこ」しなければならないとしたりしたこともありました。」

とても魅力的な取り組みですね。今年度は、

食事の時間にこのようなプレゼント。

食事の時間にこのようなプレゼント。

クラスの先生の考案で、子どもたちはとても嬉しそうです。

袋に入れて持って帰りたいので、みんなお皿の下に敷くことを希望します。

袋に入れて持って帰りたいので、みんなお皿の下に敷くことを希望します。

可愛いですね。こういう幸せを積み重ねていきたいですね。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 9『社会的行動の発達』より

厚生労働省による『保育所保育指針解説』「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」の「自立心」についての解説の中でこのように書かれています。

「「自分もこまをうまく回したい」と思うと、始めはうまくいかなくても諦めずに繰り返し挑戦するようになる。その過程では、友達がこまにヒモを巻く様子を見たりうまく回すやり方を聞いたりして、考え工夫して何度も取り組んだり、保育士等や友達からの応援や頑張りを認められることを支えにしたりして、できるまで続けることにより達成感を味わう。子どもはそこで得た自信を基に、大きな板で坂道を作って回しながら滑らせたりするなど、更に自分で課題を設定しもっと難しいことに挑戦していく。こうしたことを保育士等や友達から認められることで意欲をもち、自信を確かなものにしていく。なお、こうした姿は卒園を迎える年度の後半に急に現れるものではなく、いろいろな遊びから自分がやりたいことを自分で選んで行動し、少し難しいと思うこともやってできた満足感を味わうなどの体験の積み重ねの中で育まれることに留意する必要がある。」

4月当初から盛り上がっている伝承ゾーンです。

紐を巻いては放り投げるだけだったコマ。

紐を巻いては放り投げるだけだったコマ。

4月24日。

4月24日

写真左手の子が回すことに成功しました。

この日はお迎えに来ていた保護者の方も物陰からその様子を見ていて、その感動を共有しました。

すると、4月25日。

すると、4月25日。

次なる成功者です。

次なる成功者です。

続々とコマを回せる子が増えています。しかも、とても個人的に驚くことが、みんなわいわい組(3歳児クラス)の子どもたちです。

ブログ『臥竜塾』2018年4月25日『社会的行動の発達』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「乳幼児期における学びは「遊び」であることはよく知られています。しかし、以前に私が課題として投げかけたものの一つに、遊びにおける目的です。遊びには目的がないゆえに素晴らしいものということがあります。それを、逆に目的がないために学びがないという考え方をもあります。また、生活と遊びによって乳幼児は発達していくと言いますが、生活と遊びにはどのような区別があるのでしょうか?たとえば、乳児が食事の時に机をたたいていると注意されますが、太鼓をたたいていると遊んでいると喜ばれます。しかし、赤ちゃんからすれば、その区別は特にありません。ともに、発達上必要なことを行動に表しているにすぎません。

「幼児期の教育と小学校教育の円滑な接続の在り方について」の報告書には、遊びについてこう書かれてあります。「幼児期の教育は環境を通して行うこと、幼児の生活や経験からの学び、自発的な活動を重視している。これにふさわしい指導方法が遊びを通した総合的な指導である。幼児期における遊びとは、余暇活動ではなく、学びそのものであり、幼児が遊び込むことができる環境(学びに深さと広がりをもたらす環境)をいかに構築するかが教職員の指導における重要な課題となる。」

幼児教育、保育は環境を通して行われること。それは指針の中に書かれ、改めてになりますが、藤森メソッドは踏襲し、発展させ、その環境下で子どもたちは伸び伸びとその育ちを謳歌させていることに気付きます。

「では、ビョークランドは、進化発達から考えて「遊び」をどのように捉えらているのでしょうか?」

塾長は、更にその先へ、歩みを進められているのですね。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 8『自立的に行動する』より

 

東京ドームシティの前に置かれた大きな椅子。

東京ドームシティの前に置かれた大きな椅子。

よく見ると東京ドームシティの壁の上に、色のついたブロックが置かれています。

「材料ここにたくさん置いとくね。」

「材料ここにたくさん置いとくね。」

らんらん組(4歳児クラス)の子が作っていたそれに興味をもち、すいすい組(5歳児クラス)子がブロックを持ってきて、出来上がる様子を見守り始めました。

ブログ『臥竜塾』2013年3月14日『自立的に行動する』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「自立についてですが、以前から、私は、自立とは「一人で、無人島で生きていく力」ではなく、「社会の中で、自分の役割を持って生きていく力」であると思っています。それは、OECDでも指摘しているところです。三つのカテゴリーの一つである「自立的に行動する能力」について、「自立とは孤独のことではなく、むしろ周囲の環境や社会的な動き、自らが果たし果たそうとしている役割を認識すること。」としています。まさに、私が以前から提案していることと同じです。

このために、まず、「大局的に行動する能力」が必要であるとしています。この能力は、「自らの行動や決定を、自身が置かれている立場、自身の行動の影響等を理解したうえで行える力。」であるとし、PISA調査では「問題解決能力」として捉えられています。行動するのは、自分ですが、その影響は自分一人に及ぼすわけではありません。自分の行動が、どう社会に影響を及ぼすかということを考えなければ、その行動は意味がありませんし、効果的ではありません。行動を起こす前に、まず、大局的な観点が必要になってきます。

次に、自立的に行動するために「人生設計や個人の計画を作り実行する能力」が必要とあります。その能力とは、「人生の意義を見失いがちな変化し続ける環境のなかで、自らの人生に一定のストーリーを作るとともに意味や目的を与える力。」としています。「人生設計」という言葉は聞くことがあるのですが、「人生に一定のストーリーを作る」とか、「人生に意味や目的を与える」という言い方は聞きなれない言葉です。しかし非常に重要な課題の気がします。自立とは、このような力を指すというのは、参考になります。卒園式の時に、園児が「将来、何になりたいのか」ということは、そういうことなのです。それをきちんといえるということは、自立出来てきたということなのです。また、「将来、何になりたいか?」と聞かれて、「よく、わからない!」とか、「決めていない」というのは、まだ自律できていないのかも知れません。

最後に、「権利、利害、責任、限界、ニーズを表明する能力」が必要とあります。それは、「成文のルールを知り、建設的な議論のうえ、調整したり対案を示したりする力。」とあります。この、「調整する力」は、異年齢保育の長所の一つとして挙げられているものです。また、「権利、責任」などを表明するためには、「社会の中での選択」をしていることが前提となります。また、ここに「ルールを知り」ではなく、「成文のルールを知り」というのは、ルールは、自発的に知ることであり、言われて、命令されて、しつけられて知っていくことではないことを表わしている気がします。そこで、こんな注意書きが書かれてあります。「自分自身の権利などを表明するためのみの力ではなく、家庭、社会、職場、取引などで適切な選択をすることができる。」

自立の意味が、少しはっきりしてきます。」

「自立とは孤独のことではなく、むしろ周囲の環境や社会的な動き、自らが果たし果たそうとしている役割を認識すること。」らんらん組(4歳児クラス)の子の作り出そうとする世界観を目の当たりにして起こしたすいすい組(5歳児クラス)の子の行動を分析すると、自立された心が基盤となり、その結果、相手を見守る、という構図が成り立ち得たのではないか、と思えてきます。

ブロックゾーンにおける子ども同士の関わり、心の育ち、そして子どもたちによる遊びを通した人間関係の在り方を感じさせてくれるようなこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 7『個の積み木から』より

4月、「入園進級を祝う会」が行われました。

ホールに集まって今年度のクラスの先生の紹介をしたり、園歌を歌ったり、藤森先生が絵本を読んで下さり、職員がそれを演じたり、今年も楽しい時間となりました。

 読まれたのはこちらの絵本。

読まれたのはこちらの絵本。

今年度のテーマである『東京』を題材に、職員室の先生方がアレンジをして下さいました。

会が終わると絵本は子どもたちの元へ。嬉しそうに読んでいます。

興味深かったのはその日のブロックゾーンです。

「スカイツリーとその中にあるサンシャイン水族館」

「スカイツリーとその中にあるサンシャイン水族館」

こちらは、囲むように建てられていきます。

こちらは、囲むように建てられていきます。

「東京ドームシティ」だそうです。

宿泊施設も。

宿泊施設も。

絵本をきっかけにイメージが広がっていったのですね。

ブログ『臥竜塾』2014年1月15日『個の積み木から』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「保育者はどんな役目を担うのでしょうか?それは、まず、物を用意しなければなりません。集団で大きなものを作るために十分なブロックがなければなりません。次に、それをつなぎ合合わせ、ダイナミックな作品を作る出来る空間を用意しなければなりません。全体が狭く、十分な広さを取ることができないときには、子どもの様子を見て、ダイナミックな作品が生まれそうなときには、他のゾーンの広さを縮小して、ブロックゾーンを広げます。逆に、少し下火の時は、他のどのゾーンを広げるかを考えます。次に、ダイナミックな作品や、他とつなぎ合わせることが生まれるための十分な時間を確保します。それが、無理な時には、続きをやることができる時間を確保してあげます。そして、何気なく、隣とつなぎ合わせるともっとダイナミックなものになるという働きかけをします。このブロックを導入した当時は、その作品のイメージが子どもにわいてこなかった時に、ドイツの子どもたちが作った作品の写真をそのゾーンの中に掲示しておきました。それに刺激を受け、その真似をして、すぐにそれを越えた作品を作ることになりました。」

着々と出来上がっていく東京ドームシティ。ここからもう一つ展開していきます。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 6『ユリノキ』『子どもは、元々民主的』より

ブログ『臥竜塾』2005年11月15日『ユリノキ』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「思い出すことがあります。いつものように私が担任している1年生の後ろで、校長先生の話を聞いていました。すると、担任しているクラスの子達が、ふらふらして、話を聞いていません。そこで私は、「きちんと、校長先生の話を聞きなさい。」と注意しました。すると、隣のクラスのベテランの教師がこう言いました。「それは、校長の話がつまらないからいけないのよ。」私は、「つまらないなら、後で言いにいけばいいじゃないですか。きちんと聞かなければ、文句を言いにいけないでしょ。」私のクラスは、子どもたちに何度か、校長室まで、今日の話はつまらなかったとか、面白かったと言いに行かせていました。すると、隣のクラスの教師があきれたようにこう言いました。「ずいぶん先生って、軍国主義なのね。」びっくりしました。どうも、きちんとさせると軍国主義だと思っているようです。私は、子どもでも、校長のところに、つまらなければつまらないと言いにいけるのが「民主主義」だと思っています。戦後、どうも民主主義とか、自由ということが間違って理解されてきたことがあるようです。」

民主主義、民主的、大きなテーマですね。

ごっこゾーンにて、お店屋さんごっこが人気を集めています。

巧技台がカウンターです。

巧技台がカウンターです。

「テーブルクロスを敷いたりするともっと雰囲気が出るよね」先生方からアドバイスをいただきながら環境を整えています。

ただ、遊びたい子がそれぞれ好きにお店を展開する為に収集のつかない様子がちらほら。そこで先日、遊んでいたすいすい組の子数人を集めて話し合いをしてもらいました。

1.何屋さんをやりたいか

2.誰が何をやるか

ピーステーブルの約束事と、加えて「大声を出さない」ということをルールに、紙と鉛筆を渡して話し合いがスタート。

1.あいてのはなしをさいごまでしっかりきこう 2.はなしをきくときはあいてのかおをみよう 3.じぶんのきもちをことばでいおう

1.あいてのはなしをさいごまでしっかりきこう
2.はなしをきくときはあいてのかおをみよう
3.じぶんのきもちをことばでいおう

空白のところに遊びたいお店屋さんが書かれていきました。

空白のところに遊びたいお店屋さんが書かれていきました。

「パンやさん」「おかしやさん」「れすとらん」それぞれに遊びたいお店が挙がるものの、中々一つに絞れない様子。そこで、「皆食べ物屋さんがしたいようだから、全部出来そうなお店にしたらどうか」という内容で声をかけてみました。

中心になって鉛筆を走らせていた子が大いに頷いたところで、活動終了の時間に。約30分程の時間をかけて1.「れすとらん」に決まりました。

ブログ『臥竜塾』2016年9月11日『子どもは、元々民主的』の中でこう書かれています。

「日本における教育基本法の中にある教育の目的に、「民主的な社会の形成者としての資質を備える」ということがありますが、赤ちゃんは元々民主的な生き物であるということを感じることがあります。人類は、生まれながら協力をするという遺伝子を基盤として生まれることが分かっています。また、人にものを分け合おうとします。その行為の中には、相手の権力、地位、そんなことは関係ありません。どちらかというと、人格重視です。そして、赤ちゃんだけに限らず、子どもの意識の中には、多数決という多い人数が少数意見を押しやるという考え方はないようです。少数意見を大切にしてあげることを見ることがたびたびあります。同時に、公平であることを大切にすることを見ることもたびたびあります。自分だけで独占しようとせず、人にものを分け合おうとすると同様に、自分だけ何かをしてもらうことはせず、他の子にもしてあげることを要求することがあるのです。」

次の時間にまた同じ所から話し合うよう伝えて給食の準備へ促すと、メンバーの一人から「話し合えて楽しかった」との声があり、子どもが元々備え持っているものの尊さを感じる思いがしました。

保育所保育指針「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿 」の中でも、

ウ協同性

友達と関わる中で、互いの思いや考えなどを共有し、共通の目的の実現に向けて、考えたり 、工夫したり、協力したりし、充実感をもってやり遂げるようになる。

エ道徳性・規範意識の芽生え

友達と様々な体験を重ねる中で、してよいことや悪いことが分かり、自分の行動を振り返ったり、友達の気持ちに共感したりし、相手の立場に立って行動するようになる。また、きまり を守る必要性が分かり、自分の気持ちを調整し、友達と折り合いを付けながら、きまりをつく ったり、守ったりするようになる。

カ思考力の芽生え

身近な事象に積極的に関わる中で、物の性質や仕組みなどを感じ取ったり、気付いたりし、 考えたり、予想したり、工夫したりするなど、多様な関わりを楽しむようになる。また、友達 の様々な考えに触れる中で、自分と異なる考えがあることに気付き、自ら判断したり、考え直 したりするなど、新しい考えを生み出す喜びを味わいながら、自分の考えをよりよいものにするようになる。

と明記され、その重要性を感じます。

このような場面がたくさん見られることがとても楽しみです。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 5『なぜ、利他的行動?』より

ふとした時に新すいすい組(5歳児クラス)の子どもたちの姿に驚かされます。

捕まえた蟻を、虫眼鏡のついた箱の中へ入れて見ています。

捕まえた蟻を、虫眼鏡のついた箱の中へ入れて見ています。

 写真右のすいすい組(5歳児クラス)の子の側にいるのはわいわい組(3歳児クラス)の子たち。

「ほら、見てごらん。」

「ほら、見てごらん。」

見方を教えてあげるような優しい口調、そして、とても自然に見せてあげられるものなのですね、感心してしまいます。

水を飲もうと自分の為によそっていたすいすい組(5歳児クラス)の子。

水を飲もうと自分の為によそっていたすいすい組(5歳児クラス)の子。

わいわい組(3歳児クラス)の子が集まってきました。

 「はい。先にいいよ。」

「はい。先にいいよ。」

今までもそうだったのでしょうか、当たり前のように、自分が飲むことは後回しにするのですね。

ブログ『臥竜塾』2018年3月30日『なぜ、利他的行動?』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「群淘汰の理論では、自然淘汰の単位は集団であり、個体ではありません。そうすれば、協力や利他的行動は、集団全体の利益という点から説明できると言うのです。つまり、利他的行動は個人にとっては非常にコストが大きいのですが、集団にとっては多大な利益をもたらすと考えられるのだと言うのです。私たちは、自分にとっての利益だけを考えていくことでは、私たちがとってきた生存戦略は説明できませんが、集団を構成し、集団の利益という点から考察すれば、その行動は説明がつくと言うのです。」

自然と振舞う子どもたちの姿から人類の進化を思います。子どもたちの姿から学ぶことの多さに驚かされますね。

(報告者 加藤恭平)

慣らし保育は面白い①

先日の塾報告でも書きましたが、この4月から大学に編入学し、人生2度目のキャンパスライフを送っています。(まだ授業は始まっていませんが…笑)

この短い時間ですが、社会人を経て大学生になったことはとても良かったと実感しています。やりたい勉強、やりたいことが18歳で大学に入学した頃よりも明確ですし、モチベーションが違います。もちろん世の中には18歳の時点で、将来のことを考えて大学に進学した人もたくさんいるでしょうが、私の場合、正直高校卒業の時点では真剣に将来のことは考えておらず、漠然と大学進学を決め、そこでやりたいことを見つければいいやという考えでした。実際に大学在学中にやりたいことが見つかり、新宿せいが子ども園に就職して、大学再入学という現在に至っているので、それはそれで良かったなとも思いますが、編入学し、自分の大学時代を振り返って後悔することはたくさんあります。その後悔をこれからの人生2度目のキャンパスライフで取り返そうと今はワクワクしています。

大学は、ゼミ・卒論が必修の学部なので、3年編入の場合、入学する際にある程度卒論のテーマと、入るゼミを考えておいた方が良いと入試の面接試験のときに言われていました。仏教を学問として学びたいということが大前提ではあったのですが、入試に向けて自分なりに仏教を勉強していると、見守る保育に近いものを感じるようになりました。ですので、まだ明確なテーマは決まっていませんが、卒論は保育を仏教と絡めて書けないかと思っています。そういう経緯もあり、今は保育においても、なんだかモチベーションが上がっており、アルバイトとして新宿せいがに残れるのは、とても有難く思います。

しかし、アルバイトでの所属とは言え、どうしても新宿せいがとの距離を感じてしまいます。4年間毎日出勤していたのが、この1週間出勤せずに大学のオリエンテーションに出席するだけで、とても寂しく感じるのです。大学の後、夕方の延長保育に入れるとは言っても、やはり日中のコアタイムが恋しい…。

と言うことで、時間割を組んでみたところ、なんと!!月曜日が空きにできるではないか!(人気授業は抽選のため、落ちると月曜に授業が入ってしまう可能性もありますが…)保育と仏教を絡めた卒論を書くためには、ガッツリ保育も見なくては!と、自分に言い聞かせ、勉強もしっかりやると誓い、月曜日を全休にすることにしました。だって、勉強もしたいけど、保育もしっかり見たいんだもん(笑)

さて、前置きはこのくらいにして、本題へと入りましょう。

4月9日は入学式のため、1日せいがにいました。入学式の対象は1年生。編入学の3年生は対象外ということで久々に1日入れたのです。実は、先週の金曜日にベテランの先生方と呑む機会がありました。そこで、「慣らし保育がスゲー」という話になり、ぜひ月曜日に動画を撮ろうという話になったのです。この時期にしか見ることのできない慣らし保育。毎年その様子をしっかりと動画に収めなければ!と思うのですが、なかなか撮れずにいました。この機会を逃すまいと、絶好のチャンスである月曜日に撮ることにしたのです。なぜ、月曜日か。それは、先週ある程度の慣れ保育は済ませているのですが、入園して初めての休日明けということもあり、保護者との別れ際に大泣きする子が続出し、「慣らし保育–再び–」となる子が多いからだそうです。どんな慣らし保育が見られるのか、楽しみで月曜日出勤しました。

今回は、動画で収めたので、感動した場面をスクリーンショットし、載せていこうと思います。私の視点で、先生の関わり方、子ども自身の関わり方などの視点で、感動した場面をご紹介します。撮り方としては、全体的な動画も撮っていますが、メインはある新入園児の男の子に密着する形で撮っています。新入園児を取り巻く、環境。場所・物は勿論ですが、今回大きく関係するのは「人」だと思います。保護者・担任の先生・クラスの子どもたち、そして、慣らし保育のお手伝いに来ている年長の子たちです。色んな関わりがあって、新入園児がクラスの輪に入っていく様子が見られました。

私なりの結論を先に申し上げます。見守る保育というのは、方法ではなくゴール、つまり目標の姿なのだと改めて感じました。塾長の講演でもよく耳にしますが「子どもを見守りましょう」ではなく、「見守れる子にしていきましょう」ということです。そのために、慣らし保育は、信頼関係を作っていく時期なのだと思います。保育園に慣れてない子、ましてや初めて保育園に来る子がいます。その子たちは、初めての場所、初めての人に終始警戒しています。そんな子たちを、いきなり「見守っています」というのは不可能で、その警戒心を解くことが慣らし保育の目的であり、そのために担任がいるのだと思います。それは、新入園児の一番信頼している保護者を安心させるためでもあります。また、目標である「見守れる子」になるために、必須なのが他の子、友達です。勿論同じ年齢の子だけを指しているわけではありません。色んな年齢の「他の子」がいることで、大人が口を出さなくても、自分たちで考えて行動し、「見守れる」ようになるのだと思います。(新入園児にはもうちょっと先の話)

どちらにしても、新入園児の緊張、警戒心を解くことができるのは、担任や他の子といった「人的環境」の力が大きいと思います。そこで、慣らし保育の様子を見てみると、新入園児は自分の保育の「入口」として適した人を自分で選んでいるように感じました。(登園の際に預けた先生の場合もあるようですが)この日の1歳児クラスでは、ある子は、担任のY先生。またある子は担任のK先生。違う子はお手伝いに来ていた年長児クラスにいるお姉ちゃんと言った様子です。そして、新入園児の「入口」となった先生・園児は、それぞれの状況に共感し、甘えを受容します。時には普段の保育では見られないようなこともやってあげる必要があるのです。なぜなら、信頼関係を作ること、園の生活に慣れることや、不安を取り除くことが最優先だからです。

2018-04-10 0.53.47

とことん新入園児の探索に付き合うY先生

 

2018-04-10 0.51.25

K先生は新入園児と一緒に絵本を読んでいます。用があって部屋からいなくなると泣いてしまいます

2018-04-10 0.54.13

この子はお姉ちゃんのお陰ですんなりと。頼りになります。

続く

西村 宗玲

Blue floor philosophy episode 4『社会的相互作用』より

夕方、園庭へ出ると面白いやりとりがありました。

縄跳びの上手なすいすい組(5歳児クラス)の子。

縄跳びの上手な写真左手すいすい組(5歳児クラス)の子。

体を動かすことが上手なことは知っていたつもりでしたが、ここまでとは、個人的にとても驚きました。

すると、

「ねぇ、コツ教えて。」

「ねぇ、コツ教えて。」

と、写真奥右手すいすい組(5歳児クラス)の子。

「コツ」知りたいですね。名人曰く、

  • 縄跳びが上にきたら跳ぶ
  • 脇をしめる
手をとって、とても丁寧に教えていました。

手をとって、とても丁寧に教えていました。

ブログ『臥竜塾』2018年4月5日『社会的相互作用』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「なぜ強くて優位な立場にある個体が、公然と打ち負かした個体をなだめたり、慰めたりするのだろうか?という疑問を考察しています。実際、園現場ではそのような状況を目撃することが多くあります。ドウ・ヴァールの説明には非常に説得力がありますが、優位な動物は優位なスタイルをもっており、親和的関係を維持するために、様々な度合いの力と融和を使い分けているというのです。協力的、融和的な戦略は、優位な個体が従属者を必要としており、従属者が集団を自由に離れられる状況で用いられると言います。

私たちは実際に感じていることですが、同様のことが、子どもについても報告されているそうです。たとえば、『開放状況』という、自由に集団を離れてよい状況では、集団を離れることができない状態である『閉鎖状況』と比べて、葛藤の解決や協力がより多く観察されるそうです。」

優位性という性質が人類の進化を促していることを塾長のブログから知ります。ただ、そこに表裏一体のようにある、例えばいじめというような弊害行動でなく、「私はあなたより優位かもしれない(実際縄跳びを跳べる分、優位であろう)。そして、あなたは私を認めてくれている。そんなあなたに何かできることをしてあげたい」、というような、御礼のような、情、奉仕のような、ヒトの根底に流れる優しさのようなものが、人類進化の大きな基盤となってきたのではないかと考えます。

そして、そのやりとりを見つめていたらんらん組(4歳児クラス)のこの子もまた、それを伝承する、担い手へと成長していくことでしょう。

そして、そのやりとりを見つめていたらんらん組(4歳児クラス)のこの子もまた、それを伝承する、担い手へと成長していくことでしょう。

そんな姿を見る時が、とても楽しみになります。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 3『集団のポイント』より

 

成長展で森口先生が作った伝承玩具の展示。

成長展で森口先生が作った伝承玩具の展示。

すいすい組(5歳児クラス)の子が、その絵を描いて下に貼っていました。

この絵の原作者がにこにこ組(2歳児クラス)の時に担任をしたことがあり、その時の印象と比べてこんなにも絵が上手になっていたことに驚き、思わずその子に確認をしてしまいましたが、見事にその子の作品でした。

その絵の前でやりとりをしていると、わいわい組(3歳児クラス)の子がすっと寄ってきて何やら始めました。

周りの子も気になっています。

周りの子も気になる様子。

絵を真似て描いているのですね。

絵を真似て描いているのですね。

いい感じですね。

いい感じですね。

すると、

写真左、原作者がアドバイスをしに来てくれました。

写真左、原作者がアドバイスをしに来てくれました。

出来た作品がこちらです。

出来た作品がこちらです。

 ブログ『臥竜塾』2012年4月17日『集団のポイント』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「集団のポイントから園における子ども集団を考えてみたいと思います。子どもたちの学びにはある規模の集団が必要です。そこには、多様性が存在するからです。多様性が、いろいろなものを生み出していきます。その多様性は、個人差だけでなく、男女であったり、年齢が違ったり、発達が違ったりという集団が必要です。よく、保育において、同じ年齢同士の中で育つこともあるのではないかという人がいます。同じように、男の同士で育つもの、女同士で育つものもあるでしょう。しかし、だからといって、クラスを男の子だけでクラスを構成するとか、女だけでクラスを構成するとかを今は考えません。それと同じであるのに、同じ年齢だけでクラスを構成することが多いのはどうしてでしょう。子どもたちは、男女混合のクラスであっても、男の子だけで集まって何かをすることもありますし、女の子だけでおしゃべりをすることもあります。同じように、異年齢児クラスであっても、同じ年齢だけで何かをすることもあります。

異年齢でクラスを形成することの意味がほかにもあります。子ども同士から生み出された活動を、保存し、維持し、文化として伝承するためには、縦の関係によるネットワークがなければならないからです。大きい子がやるのをじっと見ること、それを真似すること、それが次の世代につないでいくことになるのです。よく、「子ども文化」と言われますが、これは、子どもの中で生み出され、子どもの中で伝承されていかなければならないのです。」

出来上がりの作品に満足そうなその子の表情と、原作者の彼の成長を目の当たりにし、とても嬉しい時間となりました。

更にペンは進み、幾つかの作品が飾られました。

更にペンは進み、幾つかの作品が飾られました。

 力作ですね。

そして、物語はこのようにして幕を閉じます。

出た消しゴムのカスを自分で拾い集め、そのついでに他のゴミも集めてくれていました。

出た消しゴムのカスを自分で拾い集め、そのついでに他のゴミも集めてくれていました。

このような伝承も行われるのは、異年齢ならではなのかもわかりません。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 2『シンガポール報告13』より

先日、遅番の時間にわいらんすい(3・4・5歳児クラス)に入りました。

製作ゾーンに向かうと、「おにぎり屋さんです。」と声をかけられ、好きな具を聞かれました。高菜をお願いすると、「何それ?」とのことで、色や形を説明.

すぐに持ってきてくれました。

すぐに作って持ってきてくれました。

 緑色の魚が散りばめられた『〝さ〟かなおにぎり』

「こんなのが好きなの?」と一言。これだから3・4・5歳児クラスは面白いですね。

ブログ『臥竜塾』2018年3月11日『シンガポール報告13』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「講演で主張したのは、今子どもたちは大学の入学試験を受けるわけでも、社会に出るわけでもないのです。子どもたちが、大学入試を受験するころ、社会に出るころに、どんな力が必要になるのかを考える必要があると思っているのです。また、本当の学力とは何であるのか、また、何のために学力が必要であるかを考える必要があることを主張しているのです。それは、保護者講演のまとめで話をしましたが、子どもたちが人生を幸せに送れるように、そして、その時の世界が平和であるように、そんな世界を子どもたち自身が築いていけるように願って、乳幼児期にどのような力をつけてあげたらよいかという、将来を見据えた保育をするべきであると思っているのです。」

このおにぎりが先生の主張を支えようとは思いもよりませんが、この発想、子どもならではのユーモア、子どもたちが生み出す多彩なドラマが、もしかすると「子どもたちが、大学入試を受験するころ、社会に出るころに」必要になる力、その基礎となっているのかもわかりませんよね。的外れな解釈になってしまっているでしょうか。

さて、この日はいい日でした。他にも出来事がありました。

(報告者 加藤恭平)