「指針は10年毎に変わるのに、保育はなぜ変わらないのか。」
藤森先生は問いかけるように、続けられました。
来る平成30年の改定で、保育所保育指針は〝教育〟が重視されるようになります。子どもたちが知識、技能を習得する為の〝基礎〟を保育者が取り組むようになっていきます。
しかし、そもそもなぜ保育所保育指針の改定をするのでしょうか。それは過去の保育を踏襲し続ける現在の保育に更なる改善を加えるべく、また、現状の保育に甘んじることなく、より時代に合わせた保育を国全体として高い水準で一律化できるようにすることが、改定の目的の大きな部分を占めるように思います。現在で言えば、例えば一人っ子家庭に見る兄弟姉妹の体験が家庭で行われなくなっている、という問題があります。
「それならば〝子どもには異年齢の体験が必要である〟ということをしっかり書いてほしい。」と藤森先生は仰います。指針に書かれている内容が解釈する側の裁量に任せようとする部分が強く、その辺りの部分が独自性という言葉や、応用という言葉に有耶無耶になっているような感を抱いてしまっても無理はないように思えてきます。そして、それは他の部分にも垣間見える部分がないとは言い切れないようで、例えば〝知ること〟や〝やること〟を挙げることよりも、〝知ろうとすること〟〝やろうとすること〟という学習態度、学習意欲へのアプローチが大切であるということを明記してほしい、と藤森先生は仰います。
なぜなら、〝知ること〟〝やること〟を重視した従来の書き方のままでは、子どもに教えよう、教え込もうとする園が増えるだろう、という懸念が拭いきれないからです。また、〝異年齢の体験は必要である〟という明記がなければ、年齢別で保育をする園が何かの行事の時に縦割りでの環境を整える、その回数を増やすことだけでいいという、結局は現状のスタイルを維持するのみに終始してしまうのではないか、という懸念も湧いてきます。このままで不味いのは、子ども集団の大切さや、例えば〝マシュマロ課題〟などの現代の最先端の研究結果からくる〝EQ〟の大切さや〝自制心〟を育むことの大切さよりも、結局のところ現状の保育を変えずに知識、技能の習得を先行させようとする保育を助長させる結果へと導きかねません。
さて、そのEQや自制心の大切さというものに、藤森先生は言及されます。次の内容に触れることで、「〝知ること〟や〝やること〟を挙げることよりも、〝知ろうとすること〟〝やろうとすること〟という学習態度、学習意欲へのアプローチが大切である」ということを明記してほしいという意図がおわかりいただけると思います。
(報告者 加藤恭平)
臥竜塾を育児休業している山下です。
先日、こんな現場に遭遇しました。
3、4、5歳児が写真のおもちゃで遊んでいました。
この玩具は中に何かの素材(職員も分かりません)が入っており、振ると色々な音が鳴ります。たまたま通りかかたので少し見ていると3歳児の男の子と女の子が取り合いになりました。
おそらく男の子が持っていなかったので、二個持っている女の子に貸して欲しかったのでしょうね。
その場にいたのが私と小松崎先生でした。
小松崎「どうしたの?」
と声をかけると二人共、半泣き状態です。すると横から他の3歳児の男の子が無言で取り合いをしていた男の子の手に自分が使っていたおもちゃを渡し、去っていきました。
私も小松崎先生も去っていく彼の背中をずっと見ていました・・・。
どうも気になり、私が彼を追いかけ
「どうして、○○君に渡したの?」と聞くと
「・・・持ってなかったから」
と恥ずかしそうに答えてくれました。
ものの一分もかかってない時間でこんなやり取りに遭遇できた事に感動しました。
そして、日頃の現場の先生たちの保育が子どもを通して感じた1分でした。
(報告者 山下祐)
「〝我慢〟と〝耐える〟は違います。」
藤森先生は仰いました。
そして、ただ〝耐える〟のではない、自分の感情をコントロールして〝我慢〟をする力、〝自制心〟を、子どもたちは保育園という環境下でどのようにして身につけていくのでしょうか。遊びに熱中している子どもがその遊びをやめなければならない機会の到来(例えば給食の配膳の時間が来た時、朝の会、帰りの会の時間が来た時)に対して、その盛り上がったホットな心をどのようにして自分でクールに導いていくのでしょうか。そのような方法をどのようにして学んでいるのでしょうか。
現在、毎週木曜日、週に1日を〝研究日〟として設け、山下先生や西村先生、森口先生を中心に子どもたちの姿を追っています。
さて話題は、保育所保育指針の改定へと進んでいきます。
その導入に、藤森先生はこのように仰っていました。
「発達障害は〝悪化もしないけど回復もしない〟と過去に言われていました。」
最近の研究では、発達障害は後天的な要素が多分にあり、脳の可塑性によりそれは〝回復できる〟とされています。後天的ではない元々の脳の障害とされる事例は、現在は全体の0.6%程とのこと。つまり、対人コミュニケーション能力や社会性、想像力に障害があるアスペルガー症候群やADHD(注意欠陥・多動性障害)などの発達障害は治る、と現在の研究は示しているということです。
「このことはとても重要です。」
それは、つまりそのまま、保育の重要性を示しています。
保育を考える上で、『保育所保育指針』が重要であることは言うまでもなく、平成20年の改定は大きな出来事でした。告示化されていた『幼稚園教育要領』を参考にして作られた『保育所保育指針』は、それ以前はいわゆる〝ガイドライン〟であったものの、平成20年の改定時に〝告示化〟され、保育者資格も国家資格となり、指針に書かれている内容は法律として守らなければならない事項になりました。時代によって変化する保育に対応すべく、10年毎の改定が定められていて、現在、平成30年の改定へ向けて作業は進行中です。今年度は改正案ができ、周知期間として各地で研修が行われるなどし、施行へと至ります。
今回の改定で大きく変わるところは、『保育所保育指針』第二章『子どもの発達』における『発達過程』の部分が削除され、卒園するまでに育ってほしい、望ましい姿だけがそこに書かれ、『発達過程』は補足程度のものになる、ということです。
『保育所保育指針』 (太字をクリックすると保育所保育指針の全文を読むことができます。)
確かに、発達過程が法律で決まっていたことにより、その過程を踏襲することに重きが置かれてしまうきらいがあったように、今更ながら感じられます。
例えば、五領域の中の一つ『表現』には〝感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする。〟と書かれています。それを踏襲するように、遠足のあとにその思い出の絵を子どもたちに一斉に描かせたり、としている園も未だにあります。
例えば、粘土にしてもそうで、作品をつくるという意味では『表現』の範囲に入るかもわかりませんが、粘土で遊びながらそこには子ども同士の関わりがあり、会話があり、とすれば、五領域の『人間関係』や『言葉』もその遊びの中に含まれているということになります。
つまり、五領域とは、その領域ごとに活動を分けて考えたり、また、発達過程とはその発達を遂げる為に何かを教え込んだりするものではなく、あくまで子どもの成長を見守る上での保育の〝切り口〟である、ということがわかります。
とても勉強になります。指針の改定について、講演は続きます。
(報告者 加藤恭平)
「信用できない大人の元で育てられると我慢ができない。」
親の支配的な態度での子育て、気分で愛したり愛さなかったりするような親の元で育つ子どもは先が読めないために今を選んでしまう、と藤森先生は仰いました。
例えば会社の社長が信用できない人だとします。その人に、目の前に今月分のお給料を出され、「来月まで待てたら3倍あげるよ」と言われても、信用できないので目の前のお給料を貰って帰ると思います。
信用できない→先が読めない→見通しが持てない→我慢ができない
このサイクルの中に日々晒された子どもに我慢をする力が育まれないのは、当然のことのようにも思えてきます。
また、〝支配的な態度での子育て〟にはこういった弊害があることも、12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年10月7日『「自分」と「他人」』の中に紹介されています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
〝最近、自分と他人との境界(自我境界)がよくわからないと感じている人が多いと言われています。その境界がはっきりしていないと、自分と他人の立場や気持ちを混同したり、事実と自分の気持ちを混同(混同思考)しやすくなると言われています。発達障害の子の特徴として、他の人との境界線がわかりにくい」という事も言われることがあります。しかし、一般的に幼い子供は人格形成が未熟なため、自分と他人との境目がはっきりわからないという状態がよく観察されますが、次第に人格が成熟し、自分自身というものをはっきりと自覚できるようになるといわれます。
しかし、成人してもそうした未成熟な人格構造が残ってしまうことがあります。現在、原因のひとつとして考えられるのは、親が支配的だったり、逆に過保護だったりした場合だと言われています。親が支配的な態度をすることによって、また、過保護に育ててしまうことで、子どもは、自分自身の気持ちや意見を持ち、主張する機会が奪われてしまいます。その結果、自分自身がどのようなものかよくわからないまま大人になってしまったのです。すなわち、「主体性が奪われた結果」です。〟
さらに『臥竜塾』ブログ2016年3月30日『イフ・ゼン』の中には、
〝子どもたちの選択と、自由意志があるという感覚を後押しすることで、自主性を奨励した母親の子どもは、のちにマシュマロ実験で、成功するのに必要な種類の認知的スキルや、注意コントロールスキルが最も優れていることが判りました。これは、母親の認知的能力と学歴の差を考慮に入れたときにさえ、当てはまったのです。そのことは、幼児を過剰にコントロールする親は、子どもが自制のスキルを発達させるのを妨げる危険を冒しているのであり、一方、問題解決を試みる際の自主性を支え、奨励する親は、子どもが保育園から帰ってきて、どうやってマシュマロを2個手に入れたかを嬉々として聞かせてくれる可能性を、おそらく最大化しているだろうとミシェルは分析します。〟
とも書かれており、〝子どもたちの選択と、自由意志があるという感覚を後押しすること〟の重要性を改めて感じます。
それでは、どのようにして〝我慢〟〝自制心〟その力を育んでいくことができるのでしょうか。
藤森先生は、三つの方法を示して下さいました。
①家庭で栽培をしてみる
→食育三本柱。〝栽培〟種を植え、その育ちを楽しみにしながら親子で共にそれを待つ。収穫し、〝調理〟をし、そして〝共食〟共に食べる。韓国の保育園へ訪れた際に〝樽柿〟があり、干してあう柿一つ一つに名前が書いてあった。皆で食べるまでに、〝もう少し待っていたら甘くなるよ〟というような言葉がきっとあるだろう。料理で言えば、例えばご飯を炊くということもそうで、〝もう少ししたら炊けるよ〟という、〝楽しみにしながら待つ〟という体験は、子どもの心に自制心を育む。
②気を逸らす術を伝える
→セサミストリートのクッキーモンスター、ウェイティングゲームの話が挙げられていました。(『臥竜塾』ブログ2016年7月4日『クッキーモンスター』、『臥竜塾』ブログ2016年7月5日『自己制御のレッスン』の中で紹介されています。)
〝気を逸らす〟目の前の報酬、欲の対象に捉われないよう、他のことを考えるよう促す。例えば給食時、全員で〝いただきます〟をするまで絵本を読んで待つ、などのことはとても効果的である。このようなことを積み重ねていくことで、最後には自分で我慢する方法、気を逸らす方法を身につけることができる。
③物でつる
→〝我慢できたらこれをあげるよ〟など。
③は実に意外でしたが、最近の研究ではこれも自制心を育む上で有用な手立てなのだそうです。
具体例を通して、実際に取り組める段階にまで落とし込まれた内容で、とても勉強になります。〝「100ページ以上のスライドの中からほんの15ページ」〟の折り返し地点にそろそろ到達できそうです。
(報告者 加藤恭平)
〝友だちの存在が、気をそらす対象になる〟
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年3月21日『ホットからクール』の中にこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
集団の持つ力。子ども集団の中で育まれていくものを垣間見たようなこの度の出来事について、報告します。
黄緑色の服の子は腕を組んで、悩ましい表情です。
この写真、一見3人の男の子達(3人ともすいすい組(5歳児クラス))が青い服の男の子(わいわい組(3歳児クラス)以下〝青くん〟)を問い詰めている写真のようにも見えますが(笑)
実はそうではありません。引きで撮ると、右下にもう一人。
ふてくされた様子で寝転んでいる青いボーダーの服の子はわいわい組(3歳児クラス以下〝ボーダーくん〟)の男の子。実は、泣いている青くんと口論になり、その仲裁にすいすい組(5歳児クラス)の子達が集まってきてくれた場面です。
この写真に至るまでに、ストーリーがあります。
青くんとボーダーくんはいつも仲良しの二人組。ブロックゾーンで二人で家をつくって遊んでいたところ、青くんの思うようにボーダーくんがブロックを組み立ててくれなかった為に、青くんが怒って泣き出してしまいました。
二人のこのようなやりとりはある意味では日常茶飯事(?笑)のようなもので、傍で見守っていました。この日は上手く二人で解決に至らない様子で、青くんの主張は理解できた為に、ではボーダーくんの気持ちは?と聞いてみることに。
ボーダーくんとしては「青くんはブロックが壊れる度に僕のせいにする。一緒に遊びたいけど、僕のせいにするからそれは嫌だ。」とのこと。
その旨を青くんに伝えてみました。ですが、話の途中で「嫌だ、もう遊びたくない。」となり、最後まで聞いてくれません。
その様子を通りがかりに見て、「どうしたの?」と来てくれたのが、最初の写真で腕を組む黄緑色の男の子(すいすい組(5歳児クラス)以下〝黄緑くん〟)でした。
そこで、黄緑くんに事のあらましを伝え、二人の仲裁に入ってほしいことを要請。承諾してくれ、青くんに話しかけに行ってくれました。
最初の内は僕が話しかけていた時と同じ反応を見せていた青くんですが、
その様子を見て1人、また1人と輪の中に増えるにつれ、態度が変わっていきました。
「ボーダーくんが遊んでくれない。ボーダーくんなんてもう嫌い。」と言っていた青くんでしたが、黄緑くんに「どうしたの?」「なんで?」と問われる内に、「だって…」と言葉に詰まるようになっていきました。
そして、次の瞬間、その輪を抜け、スタスタと歩いて行ってしまいました。
その様子を、少し横で見つめていたボーダーくんが追います。そして、すいすい組(5歳児クラス)の男の子達は、その後を追いません。もう役割を終えたことを本能的に察知したかのようです。
『臥竜塾』ブログ2016年3月21日『ホットからクール』の中には、こうも書かれています。
〝マシュマロ実験で、うまく先延ばしが出来る子どもは、魅力的なお菓子とベルから戦略的に気をそらす方法を思いつきました。それは、彼らが、様々な方法を使って自らを冷却することに成功したのです。彼らは、また、誘惑するもののクールで抽象的で、情報を提供してくれる側面に意識を集中し、想像力を働かせ、ホットな特徴を避けたり、変えたりして冷却しました。お菓子を手に入れるために待つのに、彼らが使った多種多様な認知的スキルは、ずっと後年、友だちと映画に出かける代わりにハイスクールの試験のために勉強したり、人生で彼らを待ち受けるほかの無数の待ったなしの誘惑に逆らったりするのに必要とされるスキルのプロトタイプであるとミシェルは考えています。
ここで、私は少し疑問を持ちます。多分それは、ミシェルによって、考察を進める中で解明されることでしょうが、現時点ではその説明に、実際の子どもたちを見ていて「そうかな?」と思うところがあります。それは、ホットな情動をクールにする方法として、気をそらすことが中心に語られていますが、コメントにもありましたが、私たち集団で子どもたちを保育している現場として、クールダウンするために、他の子どもの存在、子ども集団の力が影響することが大きいような気がします。(中略)
もし、マシュマロ実験の時に、部屋に同年齢の複数の子どもたちを残して立ち去ったときに、どのように子ども同士が影響し合って欲求を先延ばすかを知りたい気がします。また、もし、異年齢の子どもたちが部屋にいたときには、どのような行動を起こすかを知りたい気もします。これは、園で実験が出来るかもしれませんね。もしかしたら、友だちの存在が、気をそらす対象になるのかもしれませんし、励まし合うのかもしれませんし、競い合うこともあるかもしれません。一人の子どもの観察から得る結果よりも、より複雑な条件が絡み合うことでしょう。しかし、現実の社会では、きっとその方が多くの場面で起きることのような気がするのです。〟
二言三言、言葉を交わした青くんとボーダーくん。その声は聞き取れませんでしたが、互いに慰め合っているように見えました。
その数分後、
またブロックゾーンで楽しそうに遊び始める二人。
〝私たち集団で子どもたちを保育している現場として、クールダウンするために、他の子どもの存在、子ども集団の力が影響することが大きいような気がします。〟
最初に青くんに声をかけた時、今日に至るまでに築かれた大人との信頼関係がこの場面においては良い影響とならず、気持ちを切り替えるきっかけというよりも、むしろ助長させてしまったようにも思えます。ところが、すいすい組(5歳児クラス)の男の子達が介入してくれてからの青くんの態度というのは、藤森先生のブログに書かれていた通りのものではないでしょうか。
〝友だちの存在が、気をそらす対象になる〟
集団の持つ力。子ども集団の中で育まれていくものを垣間見たようなこの度の出来事でした。
(報告者 加藤恭平)
「私はよく講演でこのように言います。〝私の声は眠くなります。職員会議では職員がよく寝ています(笑)〟」
お寿司を食べ、お腹がいっぱいになり、暖かな部屋で始まったこの日の園内研修最後のプログラム〝藤森先生による講演〟。
笑い声が部屋に起きます。いつもの職員会議の時のような和やかな雰囲気で講演はスタートされました。
テーマは〝乳幼児保育〟です。
特に最近の講演内容の中心とされている乳児保育についてお話は展開されていきました。
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2012年3月13日『産後』の中にこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
〝集団における子育てと母親だけに依存しない子育てのおかげで、離乳を1年未満に終え、次の子を産む準備に取り掛かれるのです。母親一人で子育てをするチンパンジーは、離乳は4歳なのです。しかし、チンパンジーは生きているあいだはずっと出産をします。それに対して、人間は出産期は短いために、集団での子育てをすることによって離乳を早め、それが人間を多産にしたといわれています。〟
オランウータンは7歳まで、ゴリラに至っては3歳と比較的短いのですが、それはオスが子育てに参加をするからだそうです。ゴリラの背中が白くなって声が低くなるのは、赤ちゃんの気をひく為という説もあるということですから面白いですね。
〝人類は、オランウータンのように離乳を遅くさせ、出産を待っていたら、一生のうち、2人も産めない計算になってしまいます。それでは繁栄していけないので、人類は毎年子どもが生まれるように5ヶ月で離乳を開始し始めます。その為に人類はまず家族を始めとする〝族〟という単位の集団をつくり、やがて村中で面倒をみるようにしました。〟
このことは『臥竜塾』ブログ2013年8月23日『出産2』の中でもこのように紹介されています。
〝出産について私がよく講演で話すのですが、人類は直立で立つことによって大きな脳を獲得することができた半面、産道が狭く、楕円形になったために出産に人の手を借りなくてはならなくなったということから、人類は一人では生きていくことができない宿命を背負ったと思っています。〟
写真後ろのグラフをご覧いただいたことのある方はおわかりになられると思うのですが、脳のEQ(Emotional Controlの略、感情をコントロールする力)が育つ時期、赤ちゃんにとっては脳が大きくなるこの時期、が大体、次の子が生まれてくる時期にあたります。だから我慢を覚えることができ、そしてここで感情をコントロールする力、我慢する力が育まれなくてはこのあとはとても無理であるということを藤森先生は強調されていました。
1歳〜1歳半でそれはピークに達します。乳児保育の大切さはここにあり、つまり〝0歳児クラスの保育〟が重要であり、脳を大きくして、受け入れ体制を広げてあげることが重要であると言えます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このような形で、藤森先生のブログを引用しつつ、先生の講演を聞きながらとったメモを元に、その内容を咀嚼した上で報告をあげていこうと思いながら、書くことに至るまでにとても時間がかかってしまいました。「100ページ以上のスライドの中からほんの15ページ」程の内容と藤森先生は仰っていましたが、時間にして2時間、本当に心打たれる内容で、生臥竜塾ブログを読んで下さっている皆様に少しでもその内容が伝わればと思い、最後まで書き上げていきたいと思います。
今年も一年ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
(報告者 加藤恭平)
先日、年内最後の園内研修が行われました。
今回のプログラムはこちらです。
1.クリスマス直前!ディズニーランド&シー講座
2.藤森先生による講演
研修が始まる前に個人的にとても感動したことがありました。4F会議室で行おうと企画していましたが、来客の方がお見えになられ、セッティングすることも出来ないままに開始時間は迫っている、といった状況になりました。
すると、「3Fはどうですか?」と、ある先生からアドバイスをいただきました。
その機転にも個人的にとても驚いたのですが、それからの準備の早いこと!その手際の良さに二重の感動を覚えました。
そして、あっという間にセッティングが完了し、園内研修がスタート!
当初予定していた時間と変わらないスタートが切れたのも、また、いつも予定通りに始めらるのも、サポートしてくれる先生方のお陰であることに改めて気付く思いがしました。いつも本当にありがとうございます。
プログラム1.〝クリスマス直前!ディズニーランド&シー講座〟
第1章〝私とディズニー〟から始まる、ディズニーにとっても詳しい先生によるお話を聞きながら、皆でお寿司を囲みました。
その先生から許可をいただき、その際に使用したレジュメを公開します!
レジュメ1
レジュメ2
前日打ち合わせではあまりにも膨大な情報量に圧倒されてしまいました(笑)その中からピックアップされた選りすぐりのクリスマス情報となっています。ご一読下さい♪
ディズニーランドの開園日と藤森先生のお誕生日が同日4月15日であることにいつも勝手に縁を感じてしまいます。子ども達を、そして子ども達を想う大人への想い。それは、新宿せいが保育園もディズニーも共通のものかもわからないと思った、この度の講座でした。
さて、その間に、臥竜塾生柿崎先生、西村先生が4Fをセッティングして下さいました。この間の準備の早さにも、本当に感動してしまいます。余裕でお寿司を頬張るお二人。本当に感謝です。
この後は4Fで藤森先生のお話を聞きます。次回の報告で、詳しくお伝えしていきます。
(写真提供:金塚由衣先生 報告者:加藤恭平)
ほうきを手にした子ども達。この後どんな展開が待っているのでしょうか。
山下先生「とりあえず自由にやってみようか。」
なんとなく今までに見てきたすいすい組(5歳児クラス)の動きを見よう見まねでやってみているような感じに思えました。
ほうきの順番を待ちながら、その場を見守る子ども達。
早めにお迎えに来られた保護者の方の姿も見られますね。こういう形で日々の保育を見ていただけることも、とても大切なことだと思います。
山下先生「じゃちょっと交代してみよう。」
「はいどーぞ。」交代も思った以上にスムーズ!
何か特別な意識がらんらん組(4歳児クラス)の子ども達に芽生えつつあるようです。
ここで山下先生からの抜擢を受け、
ちりとりと小ぼうきの担当に。
熱心にやっていました。
食器を片付けることも忘れてその姿に見入るわいわい組(3歳児クラス)の子ども達(笑)
小さな伝承が、こんな場面の積み重ねの中にあるのかもしれません。
協力して、とても上手に集めていました。
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年9月20日『育児の見直し』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
〝日本では、乳児において特定な人をひとりの個人と読み替えて、いつも同じ人と接することが落ち着くとか、同じ年齢で過ごすことが落ち着くとか思っている保育関係者が多いのですが、それは、本当の意味で情緒が安定しているわけではなく、刺激をあまり与えないことで落ち着いているように思えるだけだと早く気がついてほしいと思います。ジャレド氏ら人類学者たちが、小規模社会を観察してみて、彼らが情緒的に安定しているのは、人と会話して過ごす時間が、私たちよりもはるかに多いということも理由の一つであるといいます。
私たちは、直接人と会話をするよりも、書籍などといった、外部から提供され、受け身で享受する形の娯楽で消費される時間が多いのです。さらに、ジャレド氏ら子育てについて、このように観察しています。「小規模社会では、は子どもたちが、幼いころから社会性を身につけていることは驚きに値する。彼らの性質や性格や人間性に感服し、自分の子どもにもそれを身につけさせたいものだと願う人は、現代社会にも多い。しかし、その実、われわれの言動がひいては子どもの成長発達の阻害につながっている。(中略)
育児は、学問で学ぶことではなく、経験からよいものが伝承され、残っていくものであると私は思っています。〟
「自由にやってみよう。」数少ない言葉がけでこれだけのことができるに至ったそのプロセスの中に、大人からのほうきやちりとりの使い方の指導があったかと言えば、なかったとは言えないでしょう。ただ、一つ言えるのは、日中の活動の中に例えば一斉活動のような時間を設け、子ども達に受け身となる体制を整えた上でほうき、ちりとりの指導をしたことは一度もありません。
わいわい組(3歳児クラス)の子ども達が手を止めてらんらん組(4歳児クラス)のやっていることに見入っているあの姿のように、きっとらんらん組(4歳児クラス)の子ども達もまた、すいすい組(5歳児クラス)の子ども達の姿を見て、自発的に学び取っていったものと思います。
〝育児は、学問で学ぶことではなく、経験からよいものが伝承され、残っていくものであると私は思っています。〟
本当にそうだと思いました。
さて箒を終えた子ども達。いよいよお待ちかねの、あの時間です!
(報告者 加藤恭平)