瞳そらさないで 色付く秋のトキメキの中で EPISODE 1

突然ですが、新入園児を紹介します。

 

アンナちゃんと、

アンナちゃんと、

 

わかりますか?

わかりますか?

 

マリアちゃんです。

マリアちゃんです。

 

スウェーデンから来ました。

二人はスウェーデンから来ました。

 

ちゃんとお当番の写真も(すごい白くしてしまってすいません笑)

ちゃんとお当番の写真も(すごい白くしてしまってすいません笑)

 

ありますよ。

クラスの先生が用意してくれました。

 

おちゃらけているわけではなく(笑)とても真面目にこの新入園児をクラスの仲間として迎え入れています。

藤森先生からこのようなお話をいただきました。

  • 人形をつかった保育は、スウェーデン、オランダなどヨーロッパでは主流である。
  • グローバル化、全ての人類への共通理解としても意味がある。
  • 高齢者や障がいをもった子にもとても意味がある。

素晴らしいですね。〝転園してきたクラスメイト〟というイメージで人形を導入されているということで、その方法を模範しています。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年5月30日『人形考1』の中にはこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝民俗学者であった宮本さんは、「子供の世界」という著作の中で、そのころの子どもの姿を描いています。その章の中に、柳田さんと同様「オモチャ」について書いてあります。まず、おもちゃについて、「子供の成長にともなって、耳からだけでなく、目や動作を通じての教育がなわれる。その中で重要な役割をはたしていたものは、オモチャである。オモチャはモチアソビということばに敬語のオがつき、語尾が省略されてできたことばである。(中略)」

 この説明は、柳田さんと同じですが、その語源を説明するところから、おもちゃは、もともと「子どもが持って遊ぶもの」という機能があり、その内容を大きく二つに分けています。一つは、例えばおひなさまのように、大人の用具のミニチュアで遊ぶことで、大人になるための準備をしているというものと、「子供たちだけの遊び」というのは、子どもが自ら作り出し、それは、その時期の子どもに興味があるもの、その役目として、その時期の発達を促すものであるのではないかと思います。

 宮本さんは、そのなりたちから最近のおもちゃへの経緯を説明しています。「その初めのモチアソビは、きわめて素朴なもので親たちが作って与えたもののほかに、子供たち自身で作った者も少なくなかった。」そもそもオモチャは、身の回りのものから工夫して作られたものでした。しかし、当時でもこのような変化が起きます。

「ちかごろ都会の玩具店や、土産店にたくさんならべられて、人気のあるコケシは、もともと東北地方の木地師たちがつくって温泉地の土産として売ったものである。木地師たちは椀や盆をつくるのがその主業であったが、そのあまった木屑で、人形をつくったのである。コケシというのは、木屑を意味する言葉のようであり、西日本では、木屑をコケラとよんでいる。木屑で人形を作ることは東北だけでなく、西日本にもあった。つまりロクロをつかって木地ものをつくるところでは、そうした人形を子供たちのためにつくる風があったのであろう。その人形をオボコともネブリコともいっている。」

そういえば、私の子どものころは、旅行に行ってのお土産に「こけし」が多く、家には、日本各地の大小様々なこけしがケースの中に所狭しと並べられていました。そして、その形、顔が少しずつ違っていました。今でも、子どもたちは、こけしではありませんが、人形を持って遊ぶことが多いようです。子どもが人形を持って遊ぶというのは、世界共通なのでしょうか、ドイツでも人気です。

日本における人形の発祥は、やはり宗教上からのようです。「もともと人形は神の依代としてつくられたり、人間の災厄をはらうときに用いる。形代としてつくられたのが起源であろうが、こういうものが子供のモチアソビになっていった歴史はきわめて古いと思われ、ヒイナ遊びのごときは、平安時代以来の文献にしばしば見えるところであ(中略)〟る。

人形の歴史が日本でもとても古いものであることがわかると同時に、日本の文化に根付いたものであることも伺えます。

だからでしょうか。子ども達の反応もとてもいいのです。

次回、子ども達の可愛らしい反応と合わせて報告します。

(報告者 加藤恭平)

寝ても大宮覚めても大宮やっぱり大宮3

サッカーの話題ばかり書いてきましたが、ここでリンクしたのが、塾長の話です。新宿せいが保育園の副園長先生主催の勉強会が先日開催されました。テーマは「リーダー論」です。参加者のほとんどが、保育園のリーダー、つまり、園長先生・副園長先生ばかりです。そこで、ある先生から、塾長に相談がありました。それは、その保育園の職員が辞めたいと言ってきて、辞めて何するの?と聞くと、フラワーアレンジメントをやりたいと言ってきたそうです。その先生は、辞めるのはもったいないなと言うけど、無理して引き止めるのも…ということで、悩んで、塾長に相談に来たということでした。塾長のアドバイスは、2つあったそうです。1つ目は、辞めてやりたいことが明確ならば、それを応援し、気持ち良く送り出すことが大切。2つ目は、辞めても気軽に遊びに来れるような辞め方をするように。ということでした。さらに、辞める勇気も大切だが、戻ってくる勇気もときには必要という話もしてもらったそうです。勉強会の午後のディスカッションの時間にもその話題になったのですが、もし、フラワーアレンジメントのようにやりたいことを見つけて辞めることは、勿体無いことだろうけど、その人にとってはいいことだと思います。それで、フラワーアレンジメントを身につけて保育園に帰ってくるようなことがあれば、その職員はいい武器を身につけて帰ってきたことになるため、保育園としてもいいことですね。つまり、快く送り出せるリーダーと、帰ってきても快く受け止めるリーダーになりなさいということを塾長はおっしゃっているのだと思います。(もちろん、辞め方にもよりますが…)

話を戻して、鳥栖戦の話ですが、私は、大宮サポーターがまさに、良いリーダー像と被って、感動しました。鳥栖に移籍する富山選手を快く送り出し、鳥栖の選手として、大宮と試合する際は、大きな拍手で迎える。もしも、富山選手が大宮に戻ってくることがあれば、大宮サポーターなら、それも快く受け入れる気がしました。鳥栖で試合に出ることで、成長し、新たな武器を身につけて帰ってくるだろうという信頼があるからこそだと思います。そう思うと、プロ野球で言えば、今話題の広島カープの新井選手とカープファンの関係も少し似ているかもしれません。(笑)

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ただ、自分の趣味であるサッカー観戦に行った話なのですが、感動的な場面が見られたし、塾長の話に勝手にリンクしたので、書かせていただきました。ちなみに、今回出てきた富山選手は、塾生の若林先生の元チームメートだそうです!
これからも感動したエピソードをあげていきます。

終わり

西村 宗玲

寝ても大宮覚めても大宮やっぱり大宮2

さて、試合の話に入ります。今回は、叔父さんと従兄弟と私の3人で観戦する予定でしたが、従兄弟は当日急用が入り、行けなくなりました。私も友人で誰か行ける人はいないか探したのですが、みんな予定が合わず、叔父さんは、余ったチケットを当日券売り場に並んでいる人に譲ろうと思っていたそうです。実際に私は見てないのですが、当日券売り場で出会った方に、運良く譲ることができたそうです。チケットを渡して一旦別れたそうですが、なんと!スタンドで「隣空いてますか?」と尋ねてきたのが、偶然、そのチケット譲った方だったそうです。ホーム側のゴール裏のスタンドは全て自由席で5,000席ほどあります。その中で、たまたまチケットを譲った知らない方と隣になるという縁にとても驚きました。話を聞いてみると、試合を観に来たのも初めだそうで、近いうちに仕事の関係で、遠くへ引っ越すということでした。せっかく、近くにいるから、引っ越す前に大宮の試合を観に行こうと思って、スタジアムに来たところ、チケットを譲ってもらったそうです。私たちからしても、良いお餞別になったのではないかと思います。(笑)「せっかく応援にいらっしゃったので、勝たせましょう!!」と熱く語り、試合が始まりました。

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ここで、今回の試合を語る上で、説明しておく必要のある選手がいます。現在は鳥栖に所属してます、元大宮のFW富山貴光選手です。昨年まで大宮に所属していましたが、契約満了に伴い、シーズン開幕前に鳥栖への移籍が発表されました。昨シーズンなかなか出場機会が得られなかった選手ですが、大宮サポーターからは愛されており、新天地での活躍を願ったサポーターも多かったなという、私の印象です。この試合スタメンだったのですが、試合前のメンバー発表の際も、大宮サポーターからは大きな拍手が送られました。

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大宮時代の富山選手

試合は前半から大宮が主導権を握り、ボールを回していたように見えましたが、持たされていただけのように感じます。ボール支配率も60%を越していましたが、なかなか攻めきれず…。そんな中、前半不運な形で失点します。大宮のDFが富山選手を倒してしまい、PKを与えてしまいました。PKのキッカーは倒された富山選手。試合前、大宮に戻ってきたことに大きな拍手をもらった富山選手がしっかりと決めて、先制を許してしまいました。(点決めてくれの拍手じゃないんだけどな…)大宮サポーターは手のひら返しのブーイングの嵐。余談ですが、私のイメージでは大宮は、移籍していった選手に決勝点を決められることが多い印象だったので、嫌な予感がしました。なかなかシュートまで行かないまま、前半終了。後半の巻き返しに期待です。

後半に入ると、鳥栖の足が止まってきます。前半からボールを持てていたので、後半もその流れからシュートに繋がってくるようになりました。すると後半13分、セットプレーから大宮のエース家長がゴールを揺らします。ゴールが決まったときのゴール裏の雰囲気が大好きなのですが、全く知らない人でもハイタッチをするなどして、一緒にゴールを喜ぶのです。ハイタッチした人とは、もう友達のようで、試合後には、「お疲れ様でした」とお互いに労います。この人との繋がりが、スポーツを応援しに行ったときに味わうことのできるものだと思います。これが好きで応援に行ってると言っても過言ではありません。(笑)

同点に追いつき、押せ押せムードの中、逆転を狙いに行く大宮イレブンですが、決めきることができずに、試合は終了。私の今シーズンの観戦試合3試合連続の引き分けとなりました。試合後は選手が、サポーターにあいさつに来てくれます。勝ったときは一緒に喜びますが、負けたときはサポーターからのブーイングが起こります。引き分けが一番微妙なところです。(笑)鹿島のような強いチームだと引き分けでもブーイングの嵐ですが、そこまで強くないチームでは、強いチームに引き分けたことで、拍手がもらえることがあります。個人の意見としては、「勝った」「負けた」は置いておいて、まずは1試合頑張って戦った選手に拍手はしようとは思っています。ここで、勝った場合はその試合のMVPが一言…なんてことがあるのですが、今回は引き分けということでありませんでした。

ここで、サッカーの試合ではよく観られるシーンがあるのですが、選手が引き上げた後に、対戦チームの縁のある選手は個人的にサポーターへ挨拶に行く場合があります。これまで育ててくれたサポーターへの「帰ってきました」の挨拶ということですね。今回で言うと、富山選手がそうです。しかし、古巣相手に点まで取って、ブーイングを喰らった選手ですので、今回は出られないんじゃないかと思いました。なかなか富山選手が出てこないので、やっぱり挨拶に来にくいのかなと思い、もう帰ろうとしていた、その時です。大宮サポーターが、富山選手の気持ちを察してか、大宮時代のチャント(応援歌のことです)を歌いだしたのです。まるで、「富山!出てきていいんだよ!挨拶に来いよ!」というメッセージのようでした。(なんとか引き分けになったからなのかなとも思いましたが、そこはサポーターを信じましょう笑)チャントを歌いだしてから、富山選手がベンチ裏からやってきて、サポーターの前で挨拶をしてくれました。サポーターからは、「次は違う試合で決めてくれよー!」や、「鳥栖でも頑張れよ!」など温かい声援が聞こえてきます。勝負になると別だけど、大宮の選手はもちろん、大宮にいた選手も大切にする素晴らしいサポーターだなと感動しました。

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挨拶に来た富山選手

(続く)

西村 宗玲

寝ても大宮覚めても大宮やっぱり大宮1

西村です。

何を今更…という決意表明?ブログを書き終わって、書き始めたブログです。

最近感動したことを書いていきます。

 

私は、趣味が多すぎるというほどあります。趣味と言っていいのかとふと考えたので、「趣味」という言葉について調べてみました。

①仕事・職業としてではなく、個人が楽しみとしてしている事柄。「−は読書です」「多−」

②どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方。好みの傾向。「−の悪い装飾」

③物事の持っている味わい。おもむき。情趣。

 

なるほど。んー、趣味かなぁ。でも、その趣味を保育(仕事)に活かそうとしてるから、趣味じゃないのか?いや、趣味は趣味だけど、指針に照らし合わせたり、それをもとに子どもたちに色んな経験をしてほしいと思えば、保育に変わるから、(趣味は趣味で)いいのか!!

と言うことで、やっぱり趣味が多いなぁ…という話です。(笑)

今回はその中でも、「追っかけ」という分野について、書かせていただきます。追っかけと言うと、ちょっと危ない人という印象を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、私の解釈は少し違います。ただただ熱狂的なファン・サポーターのことで、よく誤解の生じるところですが、「追っかけ=ストーカー」ではありません。(笑)好きで、よく応援に行くような人のことを言います。

では、私が主に追っかけているものとは何かと言いますと、スポーツチームです。私の趣味の1つにスポーツ(やるのも観るのも好きなので、このような言い方をしています)があります。そして、野球だったら、福岡ソフトバンクホークス、Jリーグは大宮アルディージャという感じで、競技ごとに好きなチームがあります。今回、感動した話をするのは、この大宮アルディージャの応援に行ったときの話です。

まずサッカーでは、僕の考える「追っかけ」のことを「サポーター」と言います。最近はサッカー以外でも使われますが、ファンではなく、サポーターと言うのはサッカーだけですね。ファン(Fan=愛好家)とサポーター(Supporter=支持者)は何が違うのかと言いますと、基本的にはほぼ同義語です。ただ、サッカーは地域に密着していることが多いので、より強い意味の「サポーター」が好んで使用される傾向があります。基本的には、どちらも熱狂的な追っかけということには変わりないと思います。この、ファンとサポーターの違いは、日本サッカー協会のHPに記載されている情報です。サポーターがサッカーにとって大事な要素だと言うことが分かりますね。

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Jリーグの応援は、もともと南米のスタイルを真似てスタートしました。その南米では、選手はサポーターに育てられると言われています。選手の1つ1つのプレーに対して、「いいぞ!!」とか「何やってるんだ!!!まだまだだな」と言う声が聞こえてくるそうです。しかし、日本の球団としては、いろんな人にサッカーを観に来て欲しいという思いもあるため、ユニフォーム着て、歌いながら飛び跳ねて、いいプレーに拍手を、悪いプレーにはブーイングをしないとサポーターじゃないという風潮は、敷居が高くなると言う問題もあるようですが…。ただ、私はチームが好きで、グッズ買うのでも球団には貢献してるし、ただ試合を観に行くだけでも充分貢献しているので、立派なサポーターだと思います。Jリーグに関する前置きが長くなりましたが、先日、このサポーターに関して感動したことがあったので報告させていただこうと思います。

先日、私の好きな大宮アルディージャとサガン鳥栖の試合を観に行きました。私は、長崎の出身ですが、大宮アルディージャが好きなんです。色んな人に、なんで?と驚かれるのですが、大宮に住んでいる親戚に初めてJリーグを観に連れて行ってもらって、好きになったのが、7、8年前です。地元のチームを応援する感覚ではないので、そのような人たちが羨ましいときもありますが、サポーターの雰囲気や大宮公園・氷川神社に隣接する、Nack5スタジアムの雰囲気がとても好きなんです!

(続く)

西村 宗玲

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大宮のホームスタジアム

あぁ しあわせのとんぼ(バッタ)が ほら 舌を出して 笑ってます EPISODE FINAL!!!

 

「あ、そっか!わかった!」

「あ、そっか!わかった!」

何かに気付いた様子の緑ボーダー柄の男の子。

駆け出してどこかへ行き、そしてまた戻ってきました。

おや?

おや?

 

独特の歩き方で近づいてくるこの人は、

独特の歩き方で近づいてくるこの人は、

 

我らがらんらん組(4歳児クラス)担任小松崎先生ですね。

我らがらんらん組(4歳児クラス)担任小松崎先生ですね。

「ザッキー先生!あのバッタ捕まえて下さい、」

との言葉に、

「うーん、だって練習してるもんね。」

流石ですね(笑)空気を一瞬に察知してくれました。

小松崎先生に捕まえてもらおうという目論見が外れた子ども達は、次なる手段を考えます。

また緑ボーダーの男の子です。

また緑ボーダーの男の子です。

「もーちょっとだって!」

行動派の彼。練習の切れ目を狙って、とうとう指導されている保育園の先生の元へ練習の終わりを聞きに行きました(笑)

そしていよいよその時が訪れます…!

ロープが外されました!

すると、

バッタがいることに気付いていたのでしょう。大勢の子ども達が急にバッタを追いかけてしまう形になり、どこかへ飛んでいってしまいました…

バッタがいることに気付いていたのでしょう。大勢の子ども達がバッタを追いかけてしまう形になり、どこかへ飛んでいってしまいました…。

なんて劇的なラスト…。

しかし子ども達はよく待ちました。バッタが飛び立つまでの時間、なんと約25分!

子ども達はこんなにも待てるものなのですね。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年7月15日『「今」を「冷却」』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝マシュマロ実験に合格した未就学児たちが、その方法(現在を「冷却」し、将来を「加熱」すること)を、身をもって示してくれているというのです。

彼らは目の前の誘惑を、それから物理的に距離を置くことによって「冷却」しました。二つのマシュマロという目標をずっと念頭に置きながら、誘惑のもとのテーブルの向こうの端に押しやったり、椅子の上で身をよじって後ろを見たり、わざと気をそらすために想像力を発揮したりしました。大きな報酬のために、欲求充足の先延ばしを手助けする「冷却」戦略を提示した実験では、未就学児たちは目の前の誘惑のもとを、別のものと見なしたり、より抽象的で心理的に距離のあるものと考えたりして「冷却」し、自制心を働かせるのをずっと楽にし、見ている私たちがつらくなるほど長く待つことができたのです。

年齢には関係なく、自制の中核戦略は、「今」を「冷却」し、「あとで」を「加熱」すること、つまり、目の前の誘惑を時間的にも空間的にも遠くへ押しやり、遠く離れた結果を頭の中で近くに持ってくることだとミシェルはまとめています。〟

振り返ればただひたすらにじっとして待ち続けていたわけではなく、様々に工夫をしていたことが思い出されます。〝ロープを飛び越えてしまおう〟〝他の虫を追おう〟という「今」を「冷却」し続け、〝このバッタを捕まえる〟という「将来」を「加熱」し続けることで生まれた約25分間のドラマ。立ち会うことができ、とても感動しました。

そして最後に。約25分という長い時間にわたり、彼らを支え続けたてくれたバッタはというと…。

やはり神様は見ていてくれたようです。

やはり神様は見ていてくれたようです。

 

自制心を制する者は人生を制する。大袈裟でしょうか。

自制心を制する者は人生を制する。大袈裟でしょうか。

(報告者 加藤恭平)

 

あぁ しあわせのとんぼ(バッタ)が ほら 舌を出して 笑ってます EPISODE 2

 

人数が増えたり減ったり。

人数が増えたり減ったり。

そんな子ども達の視線の先にあるものは、

運動会の練習風景、、というわけではなく、

運動会の練習風景、、というわけではなく、

 

わかりますか?

わかりますか?

 

バッタ!

バッタ!

このバッタを巡ってドラマが生まれていきます。

「こうやってさ、帽子を投げて捕まえればいいんじゃない?」

「こうやってさ、帽子を投げて捕まえればいいんじゃない?」

 

「あとはさ、このさっき捕まえた小さいバッタを投げてさ、そのバッタの傍にきた時にさ、、」

「あとはさ、このさっき捕まえた小さいバッタを投げてさ、そのバッタの傍にきた時にさ、、」

色々と案が出ています。

その横では別の集まり。

その横では別の集まり。

虫を捕まえて大盛り上がりしているお友達を横目に、

チラッと見るのですが(笑)やっぱり前のバッタを捕まえたいようです。

チラッと見るのですが(笑)やっぱり前のバッタを捕まえたいようです。

何だか偉いですね(笑)

ちょっと賢い(?)緑ボーダー柄の男の子(4歳児クラス)で、

ロープを軽くまたいでみたり、

ロープを軽くまたいでみたり、

ロープを足で詰めてみようとします。

すると横の子達が、

「それだめだよ。」

「それだめだよ。」

「入っちゃだめって言われたじゃん。」と声をかけるのです。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年9月12日『平等バイアス』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝1970年代に心理学者のウィリアム・デーモンによって行なわれた子どもたちの平等に対する意識は、小学生だけではなく、もっと幼い子どもにも見られたことが、やはり心理学者であるクリスティーナ・オルソンとエリザベス・スペルキの調査でわかりました。(中略)

彼女らは、3歳児に、ある人形が、他の二体の人形にステッカーやチョコレートなどを配るのを手伝ってもらいました。主人公の人形と二体の人形の関係にはいくつかのパターンがあったそうです。たとえば、あるときは主人公の人形のきょうだいと友だちだった時、またあるときはきょうだいと他人だったり、友だちと他人だったりしました。オルソンとスペルキは、ステッカーやチョコレートが偶数個だった場合、主人公と二体の人形の関係にかかわらず、3歳児はほぼ例外なく、主人公の人形に、同じ個数ずつそれらを分配させようとすることを発見したのです。

このような平等バイアスが子どもには強いということの事例が、さまざまな年齢、さまざまな場面で見られることがわかったのです。たとえば、オルソンとアレックス・ショーは、6歳から8歳の子どもたちに、「マーク」と「ダン」の話をします。2人は自分たちの部屋を掃除して、ご褒美に消しゴムをもらいます。「消しゴムを何個ずつあげたらいいのかしら。手伝ってくれる?ありがとう。それじゃ、マークとダンにいくつ消しゴムをあげるか決めてね。ここに消しゴムが5つあります。一つはマーク、一つはダンに、一つはマーク、一つはダンに。あれ!1個余っちゃったぞ」

研究者たちが、余った消しゴムを「ダンにあげたらいい?捨てちゃったほうがいい?」と尋ねると、子どもたちは、ほぼかならず、捨てたほうがいいと言ったそうです。研究者たちが、マークもダンも消しゴムが余計にあることは知らないのです。ですから、どちらかに1個余計にあげても、1人がほくそ笑んだり、うらやんだりすることはないと強調しても、結果は変わらなかったそうです。この実験でも、子どもたちは平等を強く欲し、平等の実現のためには何かを犠牲にすることもいとわなかったのです。〟

それぞれこの子達の根底には、〝バッタを自分のものにしたい〟という欲求があるのだろうと思います。〝ロープの中に入ってはいけない〟というルールを守ろう、守らせようとする行為の裏に、上記のような心理が働いていることを思うと、子どもとは、人間とは何と面白みに満ちているのだろうと改めて感じます。

それでもまだまだ練習は続きます。

それでもまだまだ練習は続きます。

ここまでで約15分。すごいですね。ラストは意外な展開を見せます。

(報告者 加藤恭平)

あぁ しあわせのとんぼ(バッタ)が ほら 舌を出して 笑ってます EPISODE 1

 

散歩先の公園です。

散歩先の公園です。

指にトンボが止まるという、何とも嬉しい光景に出会った子ども達で、トンボもその期待に応えようとしてか、

すぐ傍を快く旋回してくれています。

すぐ傍を快く旋回してくれています。

秋を感じますね。

そんな中、「ちょっといいですか?」と声をかけられました。

他園の先生方で、運動会に向けての練習をしたいとのことで、配置がわかるようにロープを張りたいとのことでした。

ここから長い長い一つのドラマが生まれます。

ここから長い長い一つのドラマが生まれます。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年3月7日『意志の弱さ』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝誘惑に打ち勝つための自制心は人生を送る上でとても大切な力です。それは、自分自身で目標を達成するためには欠かせません。しかし、自制心は、自分自身のために必要だけでなく、社会を形成するためにも必要な力です。各人が、それぞれ好きなことだけを行なっていたら社会は成り立ちません。ミシェルは、「自制心は長期的な目標を首尾良く追求するには欠かせない。また、思いやりに満ち、互いに支え合う関係を築くのに必要とされる克己心や共感を育むのにも必須だ。自制心があれば、幼い頃に困難に陥ったり、学校を中退したり、物事の成り立ちに無頓着になったり、大嫌いな仕事から抜け出せなくなったりするのを避ける助けになる。」と言っています。〟

今年度、成長展のテーマは〝自制心〟。子ども達にその力が育まれていることを大いに感じたこの度の出来事を、何編にかに分けて報告したいと思います。

(報告者 加藤恭平)

小さい子も大きい子もスクラム組んで オー!

10月1日(土)、新宿せいが保育園第10回の運動会が行われました。

係りの先生方を中心に準備、予行を重ね、当日を迎えました。開けて月曜日、保護者の方々からの感想を聞き、今年度も素晴らしい行事であったことを改めて実感しました。

そんな運動会。当日はもちろんでしたが、それまでの取り組みの中で個人的にとても感動した場面を紹介します。

お休みの子が3人いたので、27人のわいわい組(3歳児クラス)の子ども達です。

お休みの子が3人いたので、27人のわいわい組(3歳児クラス)の子ども達です。

〝かけっこの並び方〟が成功した瞬間でした。

二度の予行を経て、その並び方にとても時間がかかってしまっていたように感じていた運動会2日前。子ども達とゲームをしました。

〝順番に何秒で並べるかゲーム〟です。

すいすいさんなら15秒くらいかな(思いつき)、と前情報を伝えて取り組んだところ、なんと10秒もかからずに出来てしまいました。

思わず感動で目が潤むわいわい組(3歳児クラス)担任二人(涙笑)

まさかと思いもう一度トライしてもらいました。

バラバラになってくださーい。

バラバラになってくださーい。

 

よーいスタート!

 

並んでくれています!

並んでくれています!

 

そしてー、

そしてー、

 

完成!

見事!

 

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年2月2日『楽しい挑戦』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝ガードナーは、人には様々な知能があるにもかかわらず、現在、学校では、狭い知能観によって測定される能力を重視し、本来、人として生きていく上でもっと大切な能力に目を向けていないのではないかという指摘はよくされます。それは、同じことをやるにしても、そのやり方、そのものの価値、それらは、様々です。(中略)

よい指導者とは、「楽しい挑戦」をどのくらい提供できるかにかかっているのです。辻井さん(盲目のピアニストの辻井伸行さん)の恩師の川上さんは、生まれつき目が見えないために譜面が見えない辻井さんのために、特別に録音した「譜読みテープ」を作成したのです。辻井さんは、「12年間、先生との二人三脚の挑戦があったから、今の自分があるのです。」と語っています。

学校の先生も園の保育者も、子どもたちの楽しい挑戦を与えられるような能力を持ってほしいと思います。それには、広い視野が必要です。〟

〝列をつくる〟〝並ぶ〟という一聴すれば堅苦しく、時に厳しさでもって成立させてしまいがちな事柄も、ゲームにすることによって、こんなにも楽しく取り組めるのだということを実感しました。

本番も、このゲームの効果があったかどうかはわかりませんが、滞りなく並ぶことができ、スムーズに進行の波に乗ることが出来ました。

遊ぶこと。ゲームにすること。楽しむこと。保育者は大人としての立場を用いてその権力を行使する存在ではなく、子ども達にとって時に遊びのリーダーであるべき存在であるということを、改めて感じたこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

 

人生は紙飛行機 願い乗せて飛んでゆきます 番外編

折り紙の件をきっかけに知り得たことは〝大事なことは3階で話すと伝わり易い〟ということでした。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年7月31日『ドイツ報告5』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝ドイツに来て、保育室内での騒音を調査しているのですが、室内での防音による工夫は少ないように思いました。しかし、とても静かなのは、いちばんの理由は、室内にいる子どもの数か圧倒的に少ないことにあるようです。広い部屋でのお集まりを見たのですが、先生が二人に対して、子どもは6人でした。〟

新宿せいが保育園では、茶室のある3階フロアを〝静の空間〟に、2階フロアを〝動の空間〟に分けて、生活のメリハリを設定しています。

ドイツの保育室程子ども達の人数を少なく設定することはしていませんが、3階を子ども達の総人数に対して約30%程(20人強くらい)の人数に設定し、朝の会や帰りの会などのお集まりの時間を、また、給食の時間を過ごすことにしています。

「折りたいものを決めてから折って下さい。」

と、先日、折り紙についての抜群のアイディアを出してくれた先生も、そのルールを子ども達に伝えるのに3階を選んだとのこと。わいらんすい(3・4・5歳児クラス)全体で〝ぞうグループ〟〝はなグループ〟〝ことりグループ〟と3グループあり、それが毎日日替わりで3階でのお集まりにあたる為、3日に分けて話さなければならないという点がありますが、「同じ授業を3コマやるみたいで、高校の先生みたいです(笑)」と、笑っていました。

丁寧に事前ルールの伝達を終え、すると、こんな姿が見られるようになったとその先生が教えてくれました。

左にいる子がらんらん組(4歳児クラス)の子、右にいる子がわいわい組(3歳児クラス)の子です。

左にいる子がらんらん組(4歳児クラス)の子、右にいる子がわいわい組(3歳児クラス)の子です。

職員手作りの折り紙の本を見ながら、折り方を教えているようです。

このような穏やかな関わりは、3階ならではのように思います。

改めてこの3階という静かな空間を大切にしていきたいと思ったこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

保育学んで3年目。お手柔らかにお願いします!

新宿せいが保育園に入り、早いことで3年目になりました。就職した頃は、「保育」の「ほ」の字も分からなかったのが、最近は「保」の字の1画目のにんべんのはらいが書けるくらいにはなったかなと思います。と言うのも、その大きな1歩として、保育指針を買ってみたことがあります。2年間、保育というものも分からず、指針など気にしたこともなかった私ですが、塾長と出張に行き、講演を聞くことで、指針を読んでみたいと思ったのです。それと同時に保育とは何だろう…と少し考えるようにもなりました。そして、このように就職して2年半での様々な経験から、漠然とですが、私なりに保育とはこのようなものかなというのを、少し考えました。ですので、その考えやそれを踏まえての今後のブログの書き方を今回は書きたいと思います。

保育とは…と言っても、前提とアプローチの2つがあると思います。前提とは、すべての幼児教育の前提となることですね。ここで私が書きたいのは、私なりのアプローチの仕方、言い換えると保育観という言葉になるのでしょうか。そして、これは今の時点での、私の保育観ですので、今後変わる可能性もあります。それは保育ではないよと思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、私の考えていることを、色んな人に読んでもらうことで、吸収できることがたくさんあると思うので、読んで考えたことを私にもください!(笑)

保育観を話す前に、私が保育指針を読みきっかけとなった話を簡単にしたいと思います。それは、先ほども書いてますが、塾長の講演です。その講演では、小学校以降の教育と幼児教育の違いをお話されてました。すごく簡単にまとめる小学校以降は教科カリキュラム、幼児教育は経験カリキュラムと言われ、幼児期のいろんな経験が、小学校以降の学びの基礎となるという話でした。その話を聞いて、どんなカリキュラムなのか、興味が湧いてきたので、実際に小学校の学習指導要領と、保育所保育指針、ついでに幼稚園教育要領まで買ってみました。

幼児教育はいろんな経験ができる環境を用意することが重要というのを3年目で知った私は、これまでの2年間、環境マイスター(見習い)として、そのような環境を用意することができていたのだろうか?趣味のような楽しいことばかりやってきたけど、ちゃんとそのような環境になっているのか?と考えました。しかし、いろんな経験のできる環境ということで、子供が少しでも興味を持ったり、指針に当てはまれば、保育として成立するのかなと思います。なので、「お茶」を例に挙げて、保育指針に照らし合わせて、この経験から、子どもたちにどんなことを学んで欲しいか考えてみました。そして、今年度の塾セミナーの初回では、セミナーをワークショップ形式でやるようにした背景として、このようなことを話させていただきました。そこでも少し話したのですが、色んな経験のできる環境ということで、まずは、保育者がいろんな経験をしておくということも重要だと思います。これまでの人生においての経験も大切ですし、現在もこれからも、いろんな保育のヒント集めはやっていかないといけないと思います。なので、趣味や特技というのは、とてもいい武器になると私は考えています。

このような考えになる前は、自分の趣味はただ楽しんでいるだけのようだから、やめた方がいいのかなということを思っていました。しかし、そこで感動があったり、何か保育のヒントになるようなものを発見すれば、趣味が楽しいだけじゃなく、学びにもなって一石二鳥だという考えに変わったのです。これが1つ目の保育観です。もちろん、気分転換のために、何も考えない、ただただ自分の楽しめる趣味というのも必要なときがあるのかなーとも思います。

そして、新宿せいがでの2年半の経験から出来上がった保育観がもう1つあります。それは、「保育とは保育であって保育でない」ということです。(正直、未だにピッタリな言い回しが見つかりません笑)上手く伝わらないかもしれませんが、保育には色んなことが関わっていると言いましょうか…。なんか、無駄な事はないなぁと言いましょうか…。身近なところから言えば、地域。だんだんと範囲を広げると、日本という国や世界といった感じです。最近、ある大学の先生の話を聞く機会がありました。その先生はスウェーデンに保育園の視察に行かれて、その報告を聞いたのですが、先生曰く「この国民性、この国家体制、この国の文化、この雰囲気あっての、この保育だよね」ということでした。つまり、その国の文化や国民性などに合った保育というのが、必ずあると思うのです。それが、塾長の「見守る保育」だと思います。ですので、保育を語るには、その背景を知ることも必要な気がします。これが、保育には色んなことが関わっていると思う所以です。私は2年半で、一見関係なさそうなことでも、どこかで保育に繋がっているという経験したからこそ、そう考えます。

以上を踏まえて、私は今後のブログでは、保育園に限らす、普段の生活においても感動したことや面白かったことなどを報告していきたいと考えています。そう言えば、塾長のブログも前は花のことや、出張先で感動したことなど書かれていたような…(笑)私のとは違うと言われそうですが、それはアプローチの違いということで、お許しください(笑)自分で保育に繋げられそうだったら、繋げていきますが、難しそうだったら、塾長はじめ、皆さんのお力をお借りできたら有難いです。よろしくお願いします。

西村 宗玲