行事ってこんなに楽しい!〜誕生会編〜 EPISODE 1

新宿せいが保育園は7月に〝夕涼み会〟という行事があり、それに向けて今係りを中心に動き出しています。

行事、ということでとても気持ちの入るところですが、よく考えると実は毎月行事を行っていました。

そう、誕生会です。

そう、誕生会です。

 今回は、新宿せいが保育園の誕生会について報告したいと思います。

写真は昨年度2月の誕生会です。この月の誕生会はとても熱心に写真を撮りました。西村先生が食について話されるということ、そして、調理から給食を紹介する際にあの〝ロボット〟が登場することなどを事前情報として知っていたからです。

撮っていく内に、とても感動的な場面に何度も遭遇しました。新宿せいが保育園の誕生会は、いつもドラマがあるように思います。

この月の誕生会。司会は我らが塾頭山下先生です。

この月の誕生会。司会は我らが塾頭山下先生です。

横では西村先生がプロジェクターと音響を準備。何やら面白いことをしてくれそうですね。

「それでは入場です!」

「それでは入場です!」

新宿せいが保育園伝統(?笑)の王冠を被って誕生児が入場してきました。

整列。

整列。

友達にピースをしたり、恥ずかしさからか逆に何もせずに佇んでみたり(?笑)前に出た子ども達の姿はいつも本当に可愛いです。

順番に名前と何歳になったか、そして〝質問〟などをしていきます。

順番に名前と何歳になったか、そして〝質問〟などをしていきます。

 

「誰に質問をしてほしいですか?」

「誰に質問をしてほしいですか?」

 

「ハイハイ!」「ハイ!」「ハイハイハイ!」「ヘイハイヘイ!」

「ハイハイ!」「ハイ!」「ハイハイハイ!」「ヘイハイヘイ!」

「◯◯ちゃんです。」

ということでマイクをその子のところへ。

ということでマイクをその子のところへ。

色々なやり方があるのですが、山下先生の司会は見ている子ども達を巻き込んでいくやり方です。

「好きなケーキは何ですか?」「好きな乗り物はなんですか?」

面白いですね。毎回色々な質問が出ます。

「ショートケーキです。」

「ショートケーキです。」

「なるほどね〜。」「美味しいよね〜。」「はい拍手—!」(笑)

こんな風にして次々に誕生児を紹介していきます。

それを全員にしていくのですが、子ども達も大好きなお友達が前に出ているからか、結構よく聞いています。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2012年6月3日『誕生会』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。ぜひ読んで下さい♪)

〝月1回行う誕生会はどう考えればいいでしょう。それは、私の園では、誕生児だけでなく、「園児全員が楽しみにする月集会」というイメージにしています。食事の時間にしても、お昼寝にしても個人差があるものは、始まりは一斉に始まり、終わりは個々の対応にしています。一斉に始まるというのは、みんなが一緒だと楽しいということから、「待つ」ということを大切にしているからです。保育では、どうしても子どもを待たせるのはいけないというイメージがありますが、「待つ」という体験は、社会の中で生きていくうえでとても大切なことだと思っています。〟

本当ですね。現在藤森先生のブログ『臥竜塾』では〝我慢〟や〝ホットな感情をいかにクールに切り替えるか〟ということにスポットが当たっています。子ども達の〝待つ〟という行為は、我慢そのものであると思います。〝この後に楽しいことが待っている〟という期待感が子ども達に〝待つ〟という力を育むことを改めて感じますね。

そんな誕生会への期待感は子ども達だけでなく職員も同じです♪この後にどんな楽しいこと(職員からの出し物)が待ち受けているのでしょうか。

質問タイムにて生まれたドラマと合わせて、続編にて報告します。

(報告者 加藤恭平)

色とりどりのガラスみたいな塗り絵の美しさ

 

「先生、できたよー。」

「先生、できたよー。」

 

きれいですよね〜♪

きれいですよね〜♪

 

らんらん組(4歳児クラス)の女の子が先日完成させた塗り絵です。

ここからが子ども達の楽しみなところで、その塗り絵を、

 

こんな風にして壁に飾ります。

こんな風にして壁に飾ります。

塗った本人は大満足♪そしてなんとその絵を見本にしながら他の子も塗っていたりと、一つの塗り絵から様々なドラマが生まれています。

この塗り絵はわいわい組(3歳児クラス)の女の子が完成させました。

この塗り絵はわいわい組(3歳児クラス)の女の子が完成させました。

 

それを厚紙などの台紙に貼って、枠を切ってまた飾っていきます。

それを厚紙などの台紙に貼って、枠を切ってまた飾っていきます。

「はみ出さないで塗れたね。」

「次は帽子の色をかえてみたら?」

〝上手〟や〝下手〟〝すごいね〟など抽象的な言葉で無闇矢鱈に褒めるではなく、その子の作った作品に対して、ありのままに、真摯に言葉や提案を投げかける新宿せいが保育園が誇るベテランの先生です。

すると、

紫色一色で塗っていたこの子でしたが、

紫色一色で塗っていたこの子でしたが、

 

みるみる工夫を加えていっていました。

みるみる工夫を加えていっていました。

 

カメラを向けるこちら一切気にしない集中ぶり。

カメラを向けるこちら一切気にしない集中ぶり。

まさに〝ゾーン体験〟を彼女はしていたのでしょう。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2012年1月12日『ほめる育児』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。ぜひ読んで下さいね♪)

〝子どもが活動したときに、その活動の達成感を感じ、その活動をより深め、その活動を次の活動につなげていくためにはどのようなことばがけや対応がいいのでしょうか。その有効な手段として「ほめる」ということが言われてきました。しかし、「親たちが、子どもが容易にできることを完成した時に大げさにほめる行為は、子どもたちの自発的に努力するという意欲を失わせてしまう」と指摘されています。一部の専門家はその理由として、こどもは簡単にできることを完成しただけで褒められるのを嫌がるからだと分析しています。それは、自己主張が始まったころに、一生懸命に自己主張している子どもに対して「では、やってみたら?」ということばがけは、子どもにとっては、「聞き流された」と思ったり、「簡単にあしらわれた」と思ってしまいます。子どもたちが望んでいるのは、主張を聞き入れてもらうことではなく、真剣にことばのキャッチボールをしたいからだといわれています。簡単に「ほめる」ことは、同じように思ってしまうのでしょう。また、親のこのような間違った行為により、子どもが本来努力すべきことが長続きせず、真の成功を手に入れるにはどれほどの努力を費やせば初めて獲得できるかが分からなくなると指摘しています。

アメリカに「ハイスコープカリキュラム」という、子どもの自然な発達をもとにした教育的なアイディアと実践の開かれた枠組みが提案されています。このカリキュラムでは、子どもの活動において、計画、実行、再考を大切にしており、最後の再考は「振り返り」であり、次の活動への動機にもなる部分です。ですから、そのときの大人の働きかけ、ことばがけは重要になるのです。(中略)

子どもの話に耳を傾け、子どもの言いたい事を真剣に理解しようとし、そのことばのキャッチボールによって、子どもは新しい発見に気づき、新しい考えに取り組んでいこうとするのです。〟

無限に広がる子ども達の可能性を、保育者であれば誰もが伸ばしてあげたいと思いながら、後悔にも似た日々を過ごす人も少なくないことと思います。その中で、淡々と、子ども達に最良で、最善のアプローチをし続けるこの先生のような保育を見ると、何か心が洗われるような、新鮮な気持ちが芽生えるような、そんな気持ちになるのでした。

今日もまた一つ、こうして新たな作品が追加されていきます。

今日もこうして、

 

また一つ新たな作品が追加されていきます。

また一つ新たな作品が追加されていくのでした。

そして、

そんな日の帰りの会。

そんな日の帰りの会。

 

「先生はこの絵のこの部分が好き。」

「先生はこの絵のこの部分が好き。」

 「ここのところ、とっても細かく塗り分けてるね。とても時間がかかったと思うんだけど、がんばったね。」

そんな言葉をかけながら、一つずつ作品に触れていく先生。これは、まさに〝振り返り〟の部分であると思います。

塗り絵と子ども達を結び付け、明日の活動、明日の期待感へと結び付ける。見守る保育の提唱する〝5M〟の一つ、〝結び〟を体感させていただいたようなこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

情熱の真っ赤な薔薇を胸に咲かせましょう EPISODE FINAL!

 

僕は初めてこの光景をを見た時とても衝撃を受けたのですが、この写真何をしているところかわかりますか?

僕は初めてこの光景を見た時とても衝撃を受けたのですが、この写真何をしているところかわかりますか?

 

西村先生「横?」

西村先生「横?」

「縦?4段?いけるん?」

「縦?4段?いけるん?」

「よっしゃ!いってみよか!」

「おーけー!おーけー!」

「おーけー!おーけー!」

 

「僕はー!縦で6!」

「俺はー!縦で6!」

 

「流石やな。」

「流石やな。」

 

「ちょっと待っとけよー。」

「ちょっと待っとけよー。」

 

そして、

そして、

 

見事成功!

見事成功!

「おぉー!」「やったなー!」

本人もガッツポーズを何度もして喜びを表現していました。

この男の子はこの日初めて跳び箱を縦向きにして6段を跳べたのでした。

跳び箱の段数、そして向きを、子ども達に尋ね、それに合わせて毎回段数を設定しています。西村先生だけでなく、補助に入る先生皆がそうするので最初これを見た時はその丁寧さ、援助の細やかさにとても驚きました。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2012年11月27日『運動会の考察9』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。ぜひ読んで下さい♪)

〝個人差を保障するために、例えば、平均台を渡るときに、幅の狭い板と広い板を用意し、その前に来た子に職員が、「どちらにする?」とか、ジャンプする台の前に来たら「高い方にする?低い方にする?」と聞いて自分で挑戦する方を選択させます。また、年長さんになると跳び箱を飛ぶのですが、その前で子どもが自ら、何段にするか、縦に置くか横に置くかを指示し、職員が急いでそのように並べ替えます。また、普段、その子がどのくらいできるかを把握して、その子に合わせます。年長児になると、その挑戦は、出来たとか、できないかだけでなく、自分が納得いくまでそこで何度も挑戦させます。そこで、職員は、その援助をします。それは、普段どのように運動遊びをしているかという過程を見せることであり、この後きっと飛べるようになるだろうということも思えるようにしています。運動会当日は、保育の結果ではなく、その時点での発達過程の紹介なのです。〟

〝偉大な人とは単なる実践者〟という言葉を知って以来、実践することだけをとにかくひたすら大切にして生きていきたいと考えるようになりました。そういう気持ちでいた最中、ここに、ひたすら地道に、しかも楽しんで、藤森先生の伝えてきたことを実践する姿があり、改めてとても感動しました。

そんな感動の時間もそろそろ終わりに近づいてきた頃、最後にこのような感動が待っていました。

楽しくて何度も挑戦し続けた結果、腕に自分の体を支える力が残っていないのです。

楽しくて何度も挑戦し続けた結果、腕に自分の体を支える力が残っていないのです。

 

それでもよじ登って最後までやり通すこの子です。

それでもよじ登って最後までやり通すこの子です。

「自分の力量がわかることが大事だし、本番に自分で決めた段数で跳べればいいだけのこと。」腕の力はつくし、挑戦する気持ちを大切にしたい、ということを西村先生は言っていましたが、まさしくその通りだと思います。

教えを実践すること。楽しさは行動する気持ちを後押しすること。そんなことを改めて学んだ水曜日でした。

(報告者 加藤恭平)

 

情熱の真っ赤な薔薇を胸に咲かせましょう EPISODE 1

新宿せいが保育園は、毎週水曜日に近くの小学校の校庭開放へ行っています。

その日は皆は体操着♪わいわい組(3歳児クラス)になったばかりの子ども達は憧れの体操着を着られるというだけでもう嬉しそうで、何だか水曜日は特別な日のようなのです。

そういう意味では、子ども達にとっては水曜日は〝ハレの日〟なのかもしれませんね♪

さて、今月。小学校は運動会シーズンということで、校庭開放はちょっとお休み。そんな日、または雨が降って外に出られない日などは、子ども達は3Fのホールで巧技台を楽しみます。

 このように巧技台を並べたり、

このように巧技台を並べたり、

 

平均台を並べたり、

平均台を並べたり、

 

跳び箱を並べたりして楽しんでいます。

跳び箱を並べたりして楽しんでいます。

何だか流石だなぁと思うのですが、

平均台に一工夫。

平均台に一工夫。

このようにすることで、慣れた子達にとっては簡単に渡りきれてしまうような平均台にもまた違った楽しみが生まれますね。

 簡単にテッシュの箱でもOK♪

簡単にテッシュの箱でもOK♪

考えてみれば何でもいいものですね。柔軟な発想がこの時間をより楽しいものへと変えていきます。

そして、よく考えられているなぁと思うのですが、

そして、よく考えられているなぁと思うのですが

 

子ども達が壁に手のつく位置に平均台がセットされています。

子ども達が壁に手のつく位置に平均台がセットされています。

 

難易度が上がっても安心して楽しめる工夫ですね。

難易度が上がっても安心して楽しめる工夫ですね。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2012年10月14日『運動会の考察1』の中でこう書かれています。

〝日本の幼児教育が、随分と小学校教育から影響を受けていることが、問題をもたらしていることを随所に感じることがあります。それは、ハード面である園舎にしても、園庭にしても、保育室にしても、校舎、校庭、教室を小さくしたようなものになっています。また、保育者も教師のようであり、ソフト面である保育の内容も、影響を受けています。ですから、五領域は、何となく五教科のようにとらえて指導計画を立てることがよく見受けられます。そして、同じ「指導」という言葉を使っていても、その内容はずいぶんと違っているのです。(中略)

 両方(『幼稚園教育要領』と『小学校学習指導要領』)を比べて、その違いを簡単に言うと、小学校での体育という教科は、内容に書かれてるように、「次の運動を楽しく行い、その動きができるようにする。」すなわち「何々ができるようにする」という、できるようになることを目標に掲げ、その教科の中で行っていきます。それに比べて、幼児教育は、「自ら体を動かそうとする意欲が育つ」とか、「楽しさを味わい、…気持ちが育つようにすること」が目標となり、その手段として、教えるのではなく、「体験し」「様々な遊びの中で」「自然の中で伸び伸びと体を動かして遊ぶことにより」など、ある目的が決められて時間内でなく、子どもの遊び、生活の中で体験して得ていくものであることが書かれてあります。〟

経験や体験を主軸に置いた楽しい雰囲気の中で子ども達は伸び伸びと運動遊びを楽しんでいます。本来、運動遊びというものでも何でも、大人が声を荒げて教え込むようなものではなく、子ども達が保育園ですることのその全ての基本は〝遊び〟であり、その中で子ども達は自ら、自発的に学びを得ているのだ、ということに改めて気付かされるような思いがします。

なんでもないことのようですが、こういう遊び心が大切なような気がするのです。

なんでもないことのようですが、こういう遊び心が大切なような気がするのです。

そんな運動遊びの時間ですが、跳び箱だけはどうしても熱が入ってしまいます(笑)子ども達の意欲に、保育者が応じています

かっこいい!

かっこいい!

次回、この跳び箱にスポットを当てて報告をします。

(報告者 加藤恭平)

それぞれの方法で

夕方保育の様子です。
夕方17時になるとにこにこ組(2歳)さんは0、1歳児組の部屋に合流して過ごします。
そんな時間での出来事です。

写真 2016-05-23 17 13 05

2歳児同士の女の子なのですが、白服ちゃん(手前の女の子)とりんご服ちゃん(奥の女の子)がおもちゃの取り合いを始めました。
お互いにおもちゃを掴んで離さないそんな取り合いだったのですが、その結果、りんご服ちゃんがおもちゃを手にしたのですが、  白服ちゃんは泣いてしまい「かして〜」と諦めきれなかったのか、りんご服ちゃんに訴えていました。
そんな白服ちゃんの表情を見ていたりんご服ちゃん。
泣いている白服ちゃんにそっと「かしてって言ったらいいよ」と声をかけました。
すると白服ちゃんはすぐに泣き止み、言われた通りに「かして」とりんご服ちゃんに伝えました。

写真 2016-05-23 17 13 44

写真 2016-05-23 17 13 45

「貸して」と言えた白服ちゃんにりんご服ちゃんからおもちゃが渡されました。

写真 2016-05-23 17 13 47

嬉しそうな白服ちゃん。

そうなると、さっきの取り合いが嘘のようにりんご服ちゃんから白服ちゃんへおもちゃが渡りました。
おもちゃが渡ったことで白服ちゃんは嬉しそうでしたし、りんご服ちゃんも嫌そうな表情ではなく、どこか誇らしげな感じでした。
そして二人は分かて遊び始めるのですが、
しばらくすると白服ちゃんが、横になって遊んでいたりんご服ちゃんのところへ歩み寄ってきました。
そして、次の瞬間さっき、りんご服ちゃんに譲ってもらったおもちゃをぽんっ!と投げて、
そこにあった別のおもちゃを手にして去っていきました。

写真 2016-05-23 17 15 37

写真 2016-05-23 17 15 48

りんご服ちゃんも嬉しそう

それを見ていたりんご服ちゃんは、すぐにそのおもちゃを手にして、嬉しそうに遊びはじめました。

塾長のブログでは、今、自制能力に関わるホットシステムとクールシステムの話が展開されています。
詳しくは塾長のブログを参考にしていただきたいのですが、ホットシステムとは
「反射的で、単純で、衝動的である反応や興奮、衝動的な行動」で
クールシステムはその反対で理性的なもの、見通しをもった行動という感じでしょうか。

そして、ブログの中で塾長は
「生まれながら持っているホットな行動が、次第に理性的にものを考え、見通しを立てるようになるということが、クールな認知的システムを獲得してくることだと思うのです」と言われています。

おもちゃの取り合いはホットシステムが作動している状況ではないでしょうか。
そんな中で、りんご服ちゃんは白服ちゃんに「貸して」といえば貸すよというクールシステム的な提案をします。
もしかするとりんご服ちゃんは、「私がここは引いた方がこの問題は解決する」とクールな思考をしたのかもしれません。
そして、次の展開で白服ちゃんがりんご服ちゃんが横になっているところに行き、取り合ったおもちゃを置いていきます。
もしかすると白服ちゃんは、少し落ちついたことでさっきのやりとりを振り返ったいたのかもしれません。

塾長の5月14日の「再評価」というタイトルのブログにはこう書かれたあります。
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2016/05/再評価.html

「壁に止まったハエになったつもりで、距離を置いた視点から自分の気持ちやその理由を分析すると、問題の出来事をただ詳しく再現して、苦悩を再び呼び起こすのではなく、再評価し始めたそうです。その出来事を、より思慮深く、それほど情動的ではないかたちで眺めたので、つらい過去をうまく再解釈したり説明したりし、終止符を打つことができたのだったそうです」
白服ちゃんはまさに距離を置いた視点から自分を振り帰ったのかもしれません。そして、りんご服ちゃんもおもちゃで遊びたいのかもと思ったことが、そのような行動を生んだのかもしれません。

しかし、まだこの話には続きがありました。

写真 2016-05-23 17 24 03
白服ちゃんは今度は違う子とおもちゃの取り合いを始めました。
次は、黄色服くんが持っていた車のおもちゃを貸してほしかったようで、白服ちゃんは「かして!!」と大きな声で訴えます。
黄色服くんも負けじと「やだよ!」と返します。

この「かして」「やだよ」のやりとりが、なかなかの音量でかつ、かなり長い時間続きました。
何かあってもいけないと、その様子を私は近くで見ていたのですが、
やりとりがかなり長く続いたので、私はそっと自分の体を横にどけて道を作ってみることにしました
(実は私がいることで、通り道が塞がれているような状態になったいたのです)。
すると、黄色服くんはその隙間を通って走りさっていきました(このまま続けても仕方ないと思ったのかもしれませんね)。
黄色服くんも、この終わりそうのないやりとりの解決策を考えていたのかもしれません。
黄色服くんが去った後、泣いてしまった白服ちゃん。
しばらく泣き続けていたのですが、だんだんと泣き声もおさまり、落ち着きを取り戻そうとしていました。

写真 2016-05-23 17 28 28

そして、落ち着いて周りが見えるようになったのか、担任の先生が目に入った途端、その先生のところに駆け寄っていきました。       子どもたちは日々、保育園での生活の中でこのようにホットな体験をし、クールな解決策を見いだしているのかもしれません。担任の先生のところに行けば気持ちが落ち着くと考えたのもクールシステム的な思考なのかなと感じました。自分がどうしたら落ち着くのか考えたということでもあるのかもしれません。

写真 2016-05-23 17 29 11

塾長も言われているようにまさにホットな体験がクールな思考の鍵になっているのではないでしょうか。こういった体験というのは同じような発達、少し先の発達、年下の子という子ども集団があるからこそうまれるものではないかなと思いました。気持ちを抑制する力は、このように集団によって獲得していくのかもしれませんね。

(報告者 森口達也)

何が隠れているかな?

さっそくですが、何が隠れているでしょうか…?

IMG_7975

①

 

正解は…

①アマガエル

②ニホンカナヘビ

この写真は、子どもたちと近くの公園で撮影した写真です。ある5歳児が、その生き物を見つけ、とても可愛がっていました。そこで、敵に見つからない場所にかえそうと、ある子どもが、その生き物の柄に似た場所を探し始めたので、それを追いました。「ここだったら見つからないんじゃない?」「大丈夫かな…」などと言いながら、自然にかえして帰路につきました。そこで、その写真を現像してみんなにも共有してみようと掲示してみると、その子どもを中心に「どこに隠れているかなゲーム」が始まりました。「この中に何かが隠れているよ!」「見つけてみて!」と、他児だけではなく、迎えに来た保護者にもクイズを出していました。

そこで、保育所保育指針には自然環境についてどのようなことが書かれているのか気になりました。それは、以前、西村氏による“茶道を保育所保育指針に当てはめてみたら…”が、面白くてスマートだなぁと感じたからです。調べてみると、このように書かれていました。

環境

◯周囲の様々な環境に好奇心や探究心を持って関わり、それらを生活に取り入れていこうとする力を養う。

・身近な環境に親しみ、自然と触れ合う中で様々な事象に興味や関心を持つ。

子どもたちはこれを機に、物事を細部まで観察する力を養っていくかもしれません。また、細部まで観察することで、生活を豊かにして活用することをしようとするかもしれません。そう思うのと同時に、そのような環境を整えていくという道筋が見えてきます。

数日後、ある保護者からこんな事を言われました。

「休日、子どもと公園に行った時にこんな写真が撮れました。分かります?」と、携帯電話の画面から、落ち葉や木々の写真を見せてくれました。…そうです。「何が隠れているかなクイズ」を出してきたのです。よく見てみましたが、分かりませんでした。上級者向きです。時間をかけてまでも自力で見つけたいと思う、そういうやつです(笑)。その面白さを子どもたちにも共有したいと思い「ぜひ、その写真を保育園宛にメールで送って下さい。」と伝え、その写真をゲットしました。さっそく掲示してみると、子どもたちは案の定興味津々です。

IMG_8384

その保護者に、どうして写真を撮ったのか聞くと「お迎えの際に、子どもたちが楽しそうにクイズを出している様子を見ましたので。」と言っていました。保育園という建物が、その職員だけのものではないことを再確認させてもらいました。また、保育というものが、職員だけで行うものではないことを教えてくれました。

保育所保育指針の『家庭及び地域社会との連携』というところにはこのようなことが書かれていました。

「子どもの生活の連続性を踏まえ、家庭及び地域社会と連携して保育が展開されるよう配慮すること。その際、家庭や地域の機関及び団体の協力を得て、地域の自然、人材、行事、施設等の資源を積極的に活用し、豊かな生活体験を始め保育内容の充実が図られるよう配慮すること。」

先週末には「親子遠足」という行事がありました。その行事では、沢山の地域機関・地域の人々の協力を得て、素敵なウォークラリーが展開されていました。家庭と保育園とをつなげる媒体、地域社会と子どもたちをつなげる媒体、昨日と今日をつなげる媒体、さっきと今をつなげる媒体という、何かと何かをつなぎ合わせる役割が私たちにはあるのだなと感じます。きっと、子どもたちにとって、都合のよい区切りはないのだと思います。生活と遊びとが関連し合う相互関係による学びがあるからです。それが「連続性」という言葉が指針にある意味であると思いました。大人による便宜上の区切りは、子どもたちから知的好奇心とか、何かを面白がる機会を奪っているまではいかないにしても、何かが芽生えるきっかけやチャンスを減らしているかもしれません。

(報告者 小松崎高司)

あれもしたい!これもしたい!もっとしたいもっともっとしたいです♪

先日、ある晴れた日にわいらんすい(3・4・5歳児クラス)でお散歩に出かけました。

リンボーダンスをしています。

リンボーダンスをしています。

 

がんばれー!

がんばれー!

 

「これなんかちょっと難しい〜(笑)」

「これなんかちょっと難しい〜(笑)」

長縄の休憩中に思いつき子ども達と楽しんでいました。「先生もやってよ!」とのことで、流石にその低さはレベルが高すぎて、僕はその高さの縄を跳ぶとことにしました。

「すげー!」子ども達の反応って、時に恥ずかしいくらい純粋で(笑)本当に嬉しくなりますね。

そこで思いつきました!題して『先生はすごいんだぞ大会!』(笑)

ということで帰り際に子ども達に集まってもらい、それぞれの先生によるすごいことを披露していただきました。

小松崎先生は、3人の子ども達に協力してもらい、

小松崎先生は、3人の子ども達に協力してもらい、

 

「逆立ちで歩きます。どこまで歩けるでしょうか。」

「逆立ちで歩きます。どこまで歩けるでしょうか。」

と、子ども達に予想を立てさせての先立ち歩き!

子ども達がそれぞれに予想したのを見計らって

「それでは行きます!」

「それでは行きます!」

 

「おー!」「すげー!」と子ども達。

「おー!」「すげー!」と子ども達。

 

一人目を通過し、

一人目を通過し、

 

二人目を通過しようとしたところで、

二人目を通過しようとしたところで、

ポケットから携帯電話が!(笑)

「ここまででしたー!」

「ここまででしたー!」

子ども達も自然と拍手をしていました。

樺山先生は、

縄跳びを準備して、

縄跳びを準備して、

 

「すごい速さで飛びます。」

「すごい速さで飛びます。」

「えー!」「どんくらい!?」興味津々の子ども達です。

よーい!スタート!

速い速い!

速い速い!

応援したり(?笑)驚いてみてくれたり、皆それぞれに声を出しながら先生達のやることを見守ってくれていました。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2014年12月16日『好奇心の意味』の中でこう書かれています。

〝好奇心は思考を促し、行動を引き出します。また、好奇心は自分でやろうと決めた目標にたどり着こうとするエネルギー源でもあると言われています。また、適切な機会さえあれば、このエネルギーは生涯を通じて働き続けると言われています。そして、好奇心は最終的に画期的な発見に結びつくかもしれませんし、学びと個人的な成長を促して、私たちの生活を豊かにするかもしれないのです。〟

園に帰る際、手をつないで並ぶ最前列でエアー縄跳びをしている子ども達を見て、また、逆立ちの仕方を一生懸命お友達に話している子(体操教室に通っているので皆に話したくて仕方なかった様子です)の姿を見て、この大会をしてみてよかったなという気持ちになりました。子ども達の好奇心、そして、憧れ。このような部分に少し触れることができたような気がしました。

そして、いつも面白がって付き合ってくれるクラスの職員の温かくてフレンドリーな雰囲気、優しさに改めて感謝の気持ちが湧いてきます。

大人が楽しんでいる姿というのは子ども達へ柔らかな刺激となって伝わり、きっと良い方向へと導いていくものと思います。

今日もそんなクラスの職員と仕事を共にできることをとても嬉しく思います。

(報告者 加藤恭平)

 

せんせいとおともだち♪ あいさつしよう♪ お♪ は♪ よー♪♪♪

新年度が始まって一ヶ月ちょっと。朝の受け入れの大切さを改めて感じ、感動した出来事がありましたので報告します。

園の内線でにこにこ組(2歳児クラス)の女の子が電話をしています。

園の内線でにこにこ組(2歳児クラス)の女の子が電話をしています。

電話の先は、

モニターにいる、

モニターにいる、

 

小松崎先生!

小松崎先生!

わいらんすい(3・4・5歳異年齢児クラス)では普通番(8:30)の出勤の先生が来るあたりを目安に、2Fと3Fに分かれて保育を設定しています。

昨年度ぐんぐん組(1歳児クラス)の担任だった小松崎先生を慕っていつも登園をしてくるこの女の子。この日は小松崎先生が3Fに行っていた為、会いに行こうかどうしようかとしていたところに、ちょっと試してみたのでした。

女の子も手を振り返しています。

女の子も手を振り返しています。

電話の声は二人だけにしか聞こえない為、このやりとりの後に小松崎先生にどんな声をかけてくれたのかを聞きました。それと合わせてお楽しみ下さい(笑)

「おーい。先生だよー。」

「おーい。先生だよー。」

 

「…。」

「…。」

 

「見えてるー?」

「見えてるー?」

 

「…。」

「…。」

 

「元気—?」「あ、もう大丈夫そうでーす。」

「元気—?」「あ、もう大丈夫そうでーす。」

(笑)

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年12月17日『対話』の中でこう書かれています。

〝今月初めに、園で「おたのしみ会」がありました。その行事は、保護者に子どもたちの言語と表現の発達を中心に見てもらうものです。そこで、保護者に渡すプログラムには、言語と表現の発達過程が示されています。おたのしみ会が始まって、司会によるその意図の紹介の後で、私のあいさつでこんなことを話しました。「言葉の発達の中に“親しみを持って日常のあいさつをする”という発達があります。みなさんは、あいさつというのは“おはようございます!”と元気よく言うことだと思っているかもしれませんが、あいさつの始まりは、朝、私のあった時に、“にこっ”としたり、親の後ろに隠れたり、黙った下を向いたりするのも私はその子の精いっぱいの挨拶だと思っています。また、“元気よく返事をする”という発達も、“はい!”と元気よく声を出すだけでなく、今日の出し物の中で、乳児が自分の名前を呼ばれた時に、手がピクッと動くのも返事です。子どもたちが伝えようとする気持ちを聞いてみてください。」という“はじめの言葉”を言いました。〟

モニターにカメラがついてるわけではないので、小松崎先生は女の子の表情も動きも見えていません。表情も動きもわからず、終始無言の電話に、〝あの子ならきっとこう反応してくれているだろう〟と、優しくも懸命に言葉と身振り手振りを投げかけてあげていました。女の子は手を振ったり、その声にじっと耳を傾けたりしながら、ちゃんと応えていました。

また、『臥竜塾』ブログ2012年12月21日『おたのしみ会の考察12』の中にはこう書かれています。

〝ヒトは、人生の中で、様々な人間関係を築いていきます。その基本となるものが、「母子の愛着である」と言われてきました。しかし、この愛着は、目的ではなく、愛着だけがあれば豊かな人間関係が築けるわけではなく、多様な人との関係の中で、他人と同調する能力、傾聴する能力、共感的関心などの力を育てることが必要です。2歳までに、見つめあい、相手を見つめ、共感し、模倣してきたことをもとに、2歳児クラスになると、積極的に子ども自らかかわりはじめます。その時に、言葉が出てき、ルールが生まれ、自己主張が始まるのです。「みんなで一緒」が楽しくなるのです。そして、お互いが触れ合うことで、他人への思いやり、他人に対して、皆で協力して援助するようになります。〟

クラスの担任の先生だけとではなく、クラスを超えて、フロアーを超えて。愛着を築いた大好きな先生と〝朝のおはよう〟をすることがこの子にとって大切な朝の始まりであり、〝多様な人との関係の中で、他人と同調する能力、傾聴する能力、共感的関心などの力〟が育っていく一日の始まりなのですね。

笑顔でクラスへ戻っていく職員と女の子の後ろ姿を見て、今日も素敵な一日になりそうな、そんな予感がするのでした。

小松崎先生、ありがとうね♪

小松崎先生、ありがとうね♪

(報告者 加藤恭平)

正しい○○

先日、年長の男の子が私の所に来て言いました。

「先生、こんなの書いてみたんだぁ」

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と言いながら紙を一枚見せてくれました。そこには…

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みぎてわうえ ひだりてわした ただしいほうき

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おさきにどうぞ まえおちゃんとみる たちどまんない しずかにする

と表と裏に書いてありました。

「こういうの、いいね!でも、なんで書いたの??」

「本を見たけど、ほうきの正しい使い方が書いてなかったから自分で書いてみた!」

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と本を私に見せてくれました。

「じゃあ!せっかく書いてくれたらから、みんなが見れる場所に貼っておこうか!ちょっとコピーしてくるから、待ってて~」

と私は職員室に表と裏を一枚ずつコピーしてきました。

「どこに張ったらいいかな?」

「ここがいいかな??」

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と食事スペースの柱に貼りました。

もしかしたら何気ない保育者と子どもとの関わりかもしれません。ただ、現場を持たない私にとっては、とても嬉しい出来事です。 普段、掃除の時に私がほうきの使い方などを何となく言っている事を、ちゃんと理解し、それを自分だけで解決するのでなく、回りに広げてくれた行動に、その年長の男の子に心から感謝しました。

私にとって食事後の掃除は毎年変わらない仕事ですが、年長さんにとっては念願の憧れの仕事なんでしょうね。(報告者 山下祐)

 

広い心と深い愛で全部受け止めてね これからもどうぞよろしくです♪EPISODE FINAL!

桃ちゃん(桃色の服を着た3歳児クラス新入園児の女の子)は紺ちゃん(紺色の服を着た5歳児クラス女の子)の気を引きたい気持ちからか、はたまた単純に紺ちゃんの使っていた玩具(リモーザ)を使いたい気持ちからか、入れ物を持ってその場所から離れていきました。

 

その場所へ紺ちゃんとこのやりとりに興味をもったジープくん(車の柄の服を着た5歳児クラス男の子)が近付いていきます。

その場所へ紺ちゃんとこのやりとりに興味をもったジープくん(車の柄の服を着た5歳児クラス男の子)が近付いていきます。

 

笑いながら「来ないでー。」と桃ちゃん。表情も声も嬉しそうです。

笑いながら「来ないでー。」と桃ちゃん。表情も声も嬉しそうです。

 

「来ないでだって。」「どうする?」と作戦会議(?笑)が始まりました。

「来ないでだって。」「どうする?」と作戦会議(?笑)が始まりました。

 

取られた玩具のことについて怒ったり、きつく言いに行ったり、ということではないのですね。桃ちゃんとの関わりが楽しくて、また、嬉しくて仕方ないといった様子です。

「貸してって言ってみればいいんじゃん?」「そしたら貸してくれるんじゃん?」

との方向で話がまとまり、早速。

「貸ーしーて。」「はい。」

「貸ーしーて。」「はい。」

「言ったら貸してくれるよ!」「大丈夫だよ!」(笑)

皆改めて集まってきました。「貸ーしーて。」「はい。」

脇で見ていた皆も「貸ーしーて。」「はい。」

 

「も一個貸ーしーて。」「はい。」

「もう1個貸ーしーて。」「はい。」

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年1月7日『教える、教わる』の中でこう書かれています。

〝エリクソンは、「子どもの所属している社会や文化圏で、社会的に期待される活動を、自発性を持って、習慣的にどれくらい営めるか」ということを学ぶことが必要だと言っています。そのために「そういうことが十分身につくためには、仲間と道具や知識や体験の世界を共有し合わなければならない。」といいます。また、彼は、仲間と道具や知識や体験の社会を共有し合うということは、「友達から何かを学ぶこと、友達に何かを教えること」だと言うのです。こういう経験をどれぐらい豊かにするかどうかということが、子どもの勤勉さを育む上で重要な要件であるとエリクソンは言っているのです。

 ここでは、最近の子ども環境の問題点が見えてきます。それは、少子化、地域社会での連帯の欠如などの環境から、子どもどうしの世界が失われ始めています。学校においても、授業形態は、多くの時間、教師という大人からの伝達が多くなっています。今日、様々な子どもたちは、大人からしか物を学んでいないところが顕著だと言われています。エリクソンは大人から物を学ぶことに価値がないとは一切言っていません。それは勿論価値のあることですし、大切なことです。しかし、乳幼児から児童期の発達課題を十分に消化していくために不可欠の要件というのは、「友達から物を学ぶことであり、友達に自分の物を分かち与える」ことなのです。こういう経験を十分しなければならなくて、内容よりも量が大切だということも言っています。どれくらい多くのことを友達から学んだか、どれくらい多くのことを友達に与えられたかということが大切であるとエリクソンは言っているのです。〟

取られた玩具について自分のものだというような主張よりもむしろ譲ってあげて、〝この玩具は桃ちゃんの玩具〟という見えないルールを敷いてあげることで、桃ちゃんも安心して関われることができたのでしょう。玩具という道具を媒体にして、〝貸し借り〟という遊びを思いつき、その遊びの中で子ども達は時間を、その世界を共有しているように思えました。

そして何より、このやりとりの最初から最後まで、大人が一切入っていないということに、改めて驚きと感動を覚えます。子ども達は子ども達の純粋な〝どんな子なんだろう?知りたいな〟というような関わってみたい欲求、友達に自分の玩具を譲ってあげ、分かち与えることで何か得られるものがあるのではないかという好奇心、そのような感覚からこのやりとりを生み出しているのでしょう。

左下ご覧ください。このやりとりが始まる前にはこれだけだったプレートが、

左下ご覧ください。このやりとりが始まる前にはこれだけだったプレートが、

 

「オレンジも貸して。」「緑も貸して。」「あ、青も貸して。」

「オレンジも貸して。」「緑も貸して。」「あ、青も貸して。」

借りに借りて(笑)

完成しました。

完成しました。

紺ちゃんもジープくんも大満足の様子です。

ここでこのやりとりは一旦終了。さて、桃ちゃんの様子を見に行くと、

こぼしてしまったのですね。

こぼしてしまったのですね。

いつもはこういうものをめったに拾いに来ない女の子(3歳児クラス)が来てくれていました。

「はい、どーぞ。」

「はい、どーぞ。」

 

「拾ってあげるからね。」

「拾ってあげるからね。」

桃ちゃんも一緒に拾い始めます。

二人だけで全部片付けて、

二人だけで全部片付けて、

 

おままごとのような、お料理をつくるような遊びに発展させていました。

おままごとのような、お料理をつくるような遊びに発展させていました。

 一つの玩具、遊びを通して関わり合い、たくさんのドラマが生まれています。今日もまたそんなドラマを探しながら、保育を楽しみたいと思います。

(報告者 加藤恭平)