すくすく組

先日、ヘルプで、すくすく組(一時保育)に入った時の様子を報告します。
2歳児の女の子2名がパズルをして遊んでいました。
私自身、すくすく組に入ることは多くはないので、なんとなく子どもの顔は見たことあるなという認識はあるのですが、名前や、性格などはほとんど分かりません。
そんな中で、この二人がパズルをしている様子を見ていました。
白服の子(下の写真)はとてもおしゃべりが得意な様子で、いろいろなことを呟きながらパズルをしていました。もう一方の黒服の子は白服の子とは対照的で、黙々とパズルをしていました。
しばらくするとなかなかパズルがうまくできないようで、白服ちゃんがイライラし始めます。

写真 2017-02-08 16 17 36

なかなかパズルができずにイライラしています。

「も〜どこにやるの?」
「どうすればいいの?」
「も〜なんなのよ〜」
と明らかに不満があるよな言葉が白服ちゃんから出てきます。
するとそれを察してなのか、黒服ちゃんが、白服ちゃんのパズルをやり始めました。
黒服ちゃんは、無言で白服ちゃんがやっていたパズルをやり始めたのですが、まるで「私はそのくらい簡単にできるのよ」という背中にも感じました。
どうも黒服ちゃんは白服ちゃんよりはパズルが得意そうです。
しかし、白服ちゃんは黒服ちゃんが自分のパズルに手をつけたことでさらにイライラしてきます。
「も〜なんでやるのよ〜やめてよ〜」
「私一人で頑張るんだから〜」
と黒服ちゃんが持っているパズルを奪って、ぽいっと投げ捨てる姿も。
しかし、諦めずに黒服ちゃんはパズルをする手を止めません。
そんな黒服ちゃんの姿に、少し諦めたのか白服ちゃんは黒服ちゃんを気にしつつパズルを再開させました。
そして、しばらくすると、
「そこじゃない。ここ!」と黒服ちゃんから白服ちゃんがはめた箇所は間違えであるという指摘が入りました。そんな指摘に、白服ちゃんのプライドが許さなかったのでしょう「も〜知っているから、言わないで」と白服ちゃんはその指摘に対して不満げに返答していました。
なかなかお互いを受け入れない二人の様子を見ていて、どんな展開になるのだろうかと楽しみになりましたし、こうやって子どもは相手と葛藤しながら遊んでいるんだと感じながら、眺めていました。

そんな様子を眺めながら、「二人でやった方が楽しいじゃん」と呟いてみたのですが、
私のその言葉はそよ風のように流されてしまいました笑

そんなやりとりをしていた二人ですが、しばらくすると自然と黒服ちゃんはその場を離れました。そうなると白服ちゃんも一人でパズルをやることになります。白服ちゃんにとってはやっと訪れた?平穏な時間です笑
ゆっくり自分のペースでさっきとは違う別のパズルをし始めました。しかし、しばらくすると、白服ちゃんはまたつぶやきだします。
「も〜どこなのよ(どこにパズルをはめたらいいの)」
「どうしたらいいの〜」
と、どこにパズルをはめたらいいのか分からず、不満げな言葉が出てきました。
どことなく、誰かに助けを求める声にも聞こえました。

そこで、白服ちゃんに「ねえ。黒服ちゃんに教えてもらったら?」と声をかけてみました。

写真 2017-02-08 16 35 49

「これ、どうしたらいいの!」と白服ちゃん。 黒服ちゃんはその後、白服ちゃんがしていたパズルの続きをしていました。

すると白服ちゃんが黒服ちゃんに向かって「ねえねえ、これどうしたらいいの!」となかなかのボリュームで、いつものように不満気に声をかけました。
不満気ではあるのですが、さっきまであれだけ黒服ちゃんのことを受け入れていなかったのに、「どうしたらいいの」と声をかける白服ちゃんには驚きました。もしかすると黒服ちゃんに声がかけたいけど、プライドが許さず、でも声をかけたいという感じで、何かのきっかけを待っていたのかもしれませんね。
声をかけられた黒服ちゃんは特にリアクションをとるわけでもなく、ひょいっと立ち上がり、白服ちゃんの元に行き、パズルを手伝い始めました。
助けを求めた白服ちゃんですが、黒服ちゃんに対する姿勢は相変わらず強めで、
「ちょっとこれはどこなのよ?」
「あ、待ってよ(どんどん勝手に組み立てていかないで)」と白服ちゃん本来の姿勢は崩しません。

しかし、次第にパズルが出来上がっていきます。黒服ちゃんがパズルを組み立てていくのを見て、
「あ〜そうそうそれはそこよね」
ときっと白服ちゃんは分かっていないのに、自分は知っていたかのような口調に変わりました笑
(白服ちゃん、もし本当に気づいて言っていたならごめんなさい笑)。
「うん。そうそう(そのパズルは)そこね」
という発言を繰り返す白服ちゃんを見ていて、おかしくなってしまいました。

そして、パズルはなんとか完成しました。
もしかすると白服ちゃん一人ではパズルは完成していなかったのではないかと思います。ヤンヤン言いながらではありますが、黒服ちゃんがいてくれたおかげでパズルは完成しました。
しかし、パズルが完成したからいいということではなく、白服ちゃんにとっては自分よりパズルが得意な黒服ちゃんという存在がいるんだということを少しでも感じた時間だったのかもしれません。
そのことを感じることができただけでもいい時間だったのかもしれません。

一時保育を利用している家庭の子どもは多くの時間を親と子どもという関係で過ごしているため、自分以外の子どもがいる環境を体験する機会も少ないでしょうし、思い通りにならない相手がいるという経験もあまり体験できないのかもしれません。そういう環境であると複数の子どもの中で過ごすということにストレスを感じてしまうのかもしれません。白服ちゃんの姿はそんな子ども同士の関係で生じるストレスでもあったのかもしれません。
しかし、それは一時保育での子どもだけではなく、保育園に通っている子どもも感じることだと思います。大切なのは、そのストレスにどう対応していくのかだと思うので、ある程度の子ども同士の関係の中でのストレスは大切になってくるんだと思います。それが集団で生きる力につながっていくのだと思います。そんな意味でも白服ちゃんの経験は保育園という子ども集団がある場所でこそ体験できるものなのではないでしょうか。
また、集中力が持続するというのは一人の力だけではなく、自分以外の人の力も大きく影響しているのではないかなと感じました。
塾長は「子ども集団の力、可能性」の話をされます。
また、例えとしてよく「サウナ」の話もされます。
主に男性の場合、一人でサウナに入っている時間と、誰かが一緒にサウナに入っている場合とではサウナに入っている時間に差が出てくるはずだと言われます。確かにこれは男性であれば想像できる話だと思います笑
自分とは違う人がそこに存在しているだけで、人は自分一人では思ってもみなかった力を発揮することがあります。子ども集団がある保育園にもそんな集団の力はたくさん存在しているはずですね。
改めて子ども同士の関わりの大切さを一時保育の子どもたちから感じる時間になりました。

報告者 森口達也

もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅

〝友だちの存在が、気をそらす対象になる〟

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年3月21日『ホットからクール』の中にこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

集団の持つ力。子ども集団の中で育まれていくものを垣間見たようなこの度の出来事について、報告します。

黄緑色の服の子は腕を組んで、悩ましい表情です。

黄緑色の服の子は腕を組んで、悩ましい表情です。

この写真、一見3人の男の子達(3人ともすいすい組(5歳児クラス))が青い服の男の子(わいわい組(3歳児クラス)以下〝青くん〟)を問い詰めている写真のようにも見えますが(笑)

実はそうではありません。引きで撮ると、右下にもう一人。

実はそうではありません。引きで撮ると、右下にもう一人。

ふてくされた様子で寝転んでいる青いボーダーの服の子はわいわい組(3歳児クラス以下〝ボーダーくん〟)の男の子。実は、泣いている青くんと口論になり、その仲裁にすいすい組(5歳児クラス)の子達が集まってきてくれた場面です。

この写真に至るまでに、ストーリーがあります。

青くんとボーダーくんはいつも仲良しの二人組。ブロックゾーンで二人で家をつくって遊んでいたところ、青くんの思うようにボーダーくんがブロックを組み立ててくれなかった為に、青くんが怒って泣き出してしまいました。

二人のこのようなやりとりはある意味では日常茶飯事(?笑)のようなもので、傍で見守っていました。この日は上手く二人で解決に至らない様子で、青くんの主張は理解できた為に、ではボーダーくんの気持ちは?と聞いてみることに。

ボーダーくんとしては「青くんはブロックが壊れる度に僕のせいにする。一緒に遊びたいけど、僕のせいにするからそれは嫌だ。」とのこと。

その旨を青くんに伝えてみました。ですが、話の途中で「嫌だ、もう遊びたくない。」となり、最後まで聞いてくれません。

その様子を通りがかりに見て、「どうしたの?」と来てくれたのが、最初の写真で腕を組む黄緑色の男の子(すいすい組(5歳児クラス)以下〝黄緑くん〟)でした。

そこで、黄緑くんに事のあらましを伝え、二人の仲裁に入ってほしいことを要請。承諾してくれ、青くんに話しかけに行ってくれました。

最初の内は僕が話しかけていた時と同じ反応を見せていた青くんですが、

その様子を見て1人、また1人と輪の中に増えるにつれ、態度が変わっていきました。

その様子を見て1人、また1人と輪の中に増えるにつれ、態度が変わっていきました。

 「ボーダーくんが遊んでくれない。ボーダーくんなんてもう嫌い。」と言っていた青くんでしたが、黄緑くんに「どうしたの?」「なんで?」と問われる内に、「だって…」と言葉に詰まるようになっていきました。

そして、次の瞬間、その輪を抜け、スタスタと歩いて行ってしまいました。

その様子を、少し横で見つめていたボーダーくんが追います。そして、すいすい組(5歳児クラス)の男の子達は、その後を追いません。もう役割を終えたことを本能的に察知したかのようです。

『臥竜塾』ブログ2016年3月21日『ホットからクール』の中には、こうも書かれています。

〝マシュマロ実験で、うまく先延ばしが出来る子どもは、魅力的なお菓子とベルから戦略的に気をそらす方法を思いつきました。それは、彼らが、様々な方法を使って自らを冷却することに成功したのです。彼らは、また、誘惑するもののクールで抽象的で、情報を提供してくれる側面に意識を集中し、想像力を働かせ、ホットな特徴を避けたり、変えたりして冷却しました。お菓子を手に入れるために待つのに、彼らが使った多種多様な認知的スキルは、ずっと後年、友だちと映画に出かける代わりにハイスクールの試験のために勉強したり、人生で彼らを待ち受けるほかの無数の待ったなしの誘惑に逆らったりするのに必要とされるスキルのプロトタイプであるとミシェルは考えています。

ここで、私は少し疑問を持ちます。多分それは、ミシェルによって、考察を進める中で解明されることでしょうが、現時点ではその説明に、実際の子どもたちを見ていて「そうかな?」と思うところがあります。それは、ホットな情動をクールにする方法として、気をそらすことが中心に語られていますが、コメントにもありましたが、私たち集団で子どもたちを保育している現場として、クールダウンするために、他の子どもの存在、子ども集団の力が影響することが大きいような気がします。(中略)

もし、マシュマロ実験の時に、部屋に同年齢の複数の子どもたちを残して立ち去ったときに、どのように子ども同士が影響し合って欲求を先延ばすかを知りたい気がします。また、もし、異年齢の子どもたちが部屋にいたときには、どのような行動を起こすかを知りたい気もします。これは、園で実験が出来るかもしれませんね。もしかしたら、友だちの存在が、気をそらす対象になるのかもしれませんし、励まし合うのかもしれませんし、競い合うこともあるかもしれません。一人の子どもの観察から得る結果よりも、より複雑な条件が絡み合うことでしょう。しかし、現実の社会では、きっとその方が多くの場面で起きることのような気がするのです。〟

二言三言、言葉を交わした青くんとボーダーくん。その声は聞き取れませんでしたが、互いに慰め合っているように見えました。

その数分後、

またブロックゾーンで楽しそうに遊び始める二人。

またブロックゾーンで楽しそうに遊び始める二人。

〝私たち集団で子どもたちを保育している現場として、クールダウンするために、他の子どもの存在、子ども集団の力が影響することが大きいような気がします。〟

最初に青くんに声をかけた時、今日に至るまでに築かれた大人との信頼関係がこの場面においては良い影響とならず、気持ちを切り替えるきっかけというよりも、むしろ助長させてしまったようにも思えます。ところが、すいすい組(5歳児クラス)の男の子達が介入してくれてからの青くんの態度というのは、藤森先生のブログに書かれていた通りのものではないでしょうか。

〝友だちの存在が、気をそらす対象になる〟

集団の持つ力。子ども集団の中で育まれていくものを垣間見たようなこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

憧れになろうだなんて大それた気持ちはない〜躓いたり転んだりしながらヒーローになっていく君達へ〜 EPISODE 3

ほうきを手にした子ども達。この後どんな展開が待っているのでしょうか。

山下先生「とりあえず自由にやってみようか。」

山下先生「とりあえず自由にやってみようか。」

 

なんとなく今までに見てきたすいすい組(5歳児クラス)の動きを見よう見まねでやってみているような感じに思えました。

なんとなく今までに見てきたすいすい組(5歳児クラス)の動きを見よう見まねでやってみているような感じに思えました。

 

ほうきの順番を待ちながら、その場を見守る子ども達。

ほうきの順番を待ちながら、その場を見守る子ども達。

 早めにお迎えに来られた保護者の方の姿も見られますね。こういう形で日々の保育を見ていただけることも、とても大切なことだと思います。

山下先生「じゃちょっと交代してみよう。」

「はいどーぞ。」交代も思った以上にスムーズ!

「はいどーぞ。」交代も思った以上にスムーズ!

何か特別な意識がらんらん組(4歳児クラス)の子ども達に芽生えつつあるようです。

ここで山下先生からの抜擢を受け、

ちりとりと小ぼうきの担当に。

ちりとりと小ぼうきの担当に。

 

熱心にやっていました。

熱心にやっていました。

 

食器を片付けることも忘れてその姿に見入るわいわい組(3歳児クラス)の子ども達(笑)

食器を片付けることも忘れてその姿に見入るわいわい組(3歳児クラス)の子ども達(笑)

小さな伝承が、こんな場面の積み重ねの中にあるのかもしれません。

協力して、とても上手に集めていました。

協力して、とても上手に集めていました。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年9月20日『育児の見直し』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝日本では、乳児において特定な人をひとりの個人と読み替えて、いつも同じ人と接することが落ち着くとか、同じ年齢で過ごすことが落ち着くとか思っている保育関係者が多いのですが、それは、本当の意味で情緒が安定しているわけではなく、刺激をあまり与えないことで落ち着いているように思えるだけだと早く気がついてほしいと思います。ジャレド氏ら人類学者たちが、小規模社会を観察してみて、彼らが情緒的に安定しているのは、人と会話して過ごす時間が、私たちよりもはるかに多いということも理由の一つであるといいます。

 私たちは、直接人と会話をするよりも、書籍などといった、外部から提供され、受け身で享受する形の娯楽で消費される時間が多いのです。さらに、ジャレド氏ら子育てについて、このように観察しています。「小規模社会では、は子どもたちが、幼いころから社会性を身につけていることは驚きに値する。彼らの性質や性格や人間性に感服し、自分の子どもにもそれを身につけさせたいものだと願う人は、現代社会にも多い。しかし、その実、われわれの言動がひいては子どもの成長発達の阻害につながっている。(中略)

育児は、学問で学ぶことではなく、経験からよいものが伝承され、残っていくものであると私は思っています。〟

「自由にやってみよう。」数少ない言葉がけでこれだけのことができるに至ったそのプロセスの中に、大人からのほうきやちりとりの使い方の指導があったかと言えば、なかったとは言えないでしょう。ただ、一つ言えるのは、日中の活動の中に例えば一斉活動のような時間を設け、子ども達に受け身となる体制を整えた上でほうき、ちりとりの指導をしたことは一度もありません。

わいわい組(3歳児クラス)の子ども達が手を止めてらんらん組(4歳児クラス)のやっていることに見入っているあの姿のように、きっとらんらん組(4歳児クラス)の子ども達もまた、すいすい組(5歳児クラス)の子ども達の姿を見て、自発的に学び取っていったものと思います。

〝育児は、学問で学ぶことではなく、経験からよいものが伝承され、残っていくものであると私は思っています。〟

本当にそうだと思いました。

さて箒を終えた子ども達。いよいよお待ちかねの、あの時間です!

(報告者 加藤恭平)

 

憧れになろうだなんて大それた気持ちはない〜躓いたり転んだりしながらヒーローになっていく君達へ〜 EPISODE 2

給食が終わると、おもむろにらんらん組(4歳児クラス)の子ども達が動き始めました。

山下先生「やりたい子だけでいいからね。」その都度声をかけられていましたが、全員参加の様子です。

山下先生「やりたい子だけでいいからね。」その都度声をかけられていましたが、全員参加の様子です。

「わいわい組(3歳児クラス)は早く上(午睡部屋)に行って!」とらんらん組(4歳児クラス)の女の子が言います。言葉の端々から気合い(?笑)が入っていることを感じます。

協力しながら。

協力しながら。

 

2つ、3つと椅子を重ねて持とうとする辺り、好奇心と興奮と、半々といったところでしょうか。

2つ、3つと椅子を重ねて持とうとする辺り、好奇心と興奮と、半々といったところでしょうか。

「あんまり無理はしないように。」その都度丁寧に声をかける山下先生です。

いつもは子ども達(すいすい組(5歳児クラス))だけでやるテーブルにも、すっと入り、安全に行えるよう配慮します。

いつもは子ども達(すいすい組(5歳児クラス))だけでやるテーブルにも、すっと入り、安全に行えるよう配慮します。

 

 次は〝ほうき〟。

次は〝ほうき〟。

一連の流れを知っている子がいますね。次に何をするのかがわかる為、こうして自分のものを確保しようと先手を打とうとします(笑)

山下先生「ほうきを持ってない人—?」

山下先生「ほうきを持ってない人—?」

 

子ども達「はーい…。」

子ども達「はーい…。」

 

山下先生「さて、どうしたらいいでしょうか。」

山下先生「さて、どうしたらいいでしょうか。」

 

子ども達「終わったら貸す。」「順番に使う。」

子ども達「終わったら貸す。」「順番に使う。」

 山下先生「正解です。それともう一つ、椅子を運ぶ時もそうだったけど、これからほうき、雑巾と取り掛かる上で大切なことがあります。わかる人?」

「ケンカをしない」「仲良くやる」

どれも正解のような答えに頷きつつ、山下先生が口を開きます。

「あちらをご覧下さい。」

「あちらをご覧下さい。」

 

「にこにこ組(2歳児クラス)さんがもう寝ています。」

「にこにこ組(2歳児クラス)さんがもう寝ています。

 「楽しいのはわかる。そして、近くで寝ている子達がいることをわかって、静かにやれるようになろうね。」

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年3月5日『他人を察する』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝「対人知性」と呼ばれる知性が、生きていくうえで最も大切だと言われています。この能力は、他人との関係性を築く力ですが、いわゆるコミュニケーション能力と言われるような、人と人とが言語によって会話をするとか、自分の考えをきちんと主張するという力ではなく、他人を理解する能力をいいます。(中略)

対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」と言われており、言葉によらない他人とのコミュニケーションであるともいえます。どうしても、言葉が話せるようになると、言葉で表現したもの、文字で表現したものから他人を理解しようとします。しかし、相手に対しての対応は、言葉では表さない心を理解する必要があるのです。〟

子ども達はこんな風にして、思いやりを学んでいくのですね。

さて、箒を手にした子ども達。この後どんな展開が待っているのでしょうか。

(報告者 加藤恭平)

憧れになろうだなんて大それた気持ちはない〜躓いたり転んだりしながらヒーローになっていく君達へ〜 EPISODE 1

一ヶ月程前のある日。

打ち合わせをしているのはすいすい組(5歳児クラス)の子ども達です。

打ち合わせをしているのはすいすい組(5歳児クラス)の子ども達です。

この日は予てより楽しみにしてきた〝芋掘り〟の日!西武鉄道特急レッドアローに乗って〝埼玉いるま保育園〟を目指します。

ということは、、いよいよ彼らがデビューする日ですね!

臥竜塾生が更新しています当ブログ『生臥竜塾』2015年10月31日『伝承』というタイトルで塾頭山下祐先生が報告して下さっています。 (太字をクリックするとこの回の全文を読むことができます。)

〝先日、年長さんがお芋堀に行ってきたので保育園に残ったのはもちろん年中さんと年少さんです。朝のお当番活動の一貫で職員室と調理室にお休みを伝えにいくお仕事がありますが、今日に限っては年中さんが気合い入っていたようにも感じます。やはり年長さんがいない分、自分達がしっかりやろう!という気持ちが子どもなりにあるのでしょうね。〟

芋掘りへ向かおうとするすいすい組(5歳児クラス)の子ども達の一年前、らんらん組(4歳児クラス)だった頃に書かれたこのブログ。すいすい組(5歳児クラス)のいないこの日をきっかけに、らんらん組(4歳児クラス)の子ども達は憧れの〝雑巾掛け〟に取り組むのです。

すいすい組(5歳児クラス)という〝憧れ〟、ヒーローへの道のりを今まさに歩まんとするらんらん組(4歳児クラス)の子ども達。そんな彼らへそっと手を差し伸べるような温かな光景に、気付けばシャッターを切り続けていました。

(報告者 加藤恭平)

瞳そらさないで 色付く秋のトキメキの中で EPISODE ittanFINAL

 

もちろん散歩にも行きます。

もちろん散歩にも行きます。

 

散歩先でも髪をとかしたり。

散歩先でも髪をとかしたり。

給食の時間も、

もちろん子ども達と。

もちろん子ども達と。

 

中身は入っていませんが(笑)

中身は入っていませんが(笑)

子ども達から、「まりあちゃんの給食は?」と聞かれ、子ども達が余った食器で用意をしていました。食器がない時は、「せめて…」という感じでしょうか、お茶の入ったコップが置かれている光景をよく目にします(笑)

本物の給食が入っていないことを誰かが尋ねると、

「だってお人形だもん、食べられないでしょ?」

とのことで(笑)その辺りの線引きは子ども達もよく分かっているようです。

もちろんお昼寝もします。

と言うより気付くとこうしてお休みの子の布団に横になっているという感じです(笑)

と言うより気付くとこうしてお休みの子の布団に横になっているという感じです(笑)

 

まりあちゃんも。

まりあちゃんも。

 

気にかけてくれる子がいるからなのですね。

気にかけてくれる子がいるからなのですね。

 

寝かしつけようとして、一緒に眠ってしまいました。

寝かしつけようとして、一緒に眠ってしまいました。

最後の写真の子は普段中々寝付かない子なのですが、この日はぐっすり眠っているようでした。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2007年2月26日『ひいな』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝人形遊びとか、ままごと遊びは、女子が、家事の所作を学んでいるといわれてますが、他にも、子どもにとって、癒し的効果のある遊びだったのかもしれませんね。だから、いつの時代でも、ままごとは子どもに人気のある遊びのひとつですし、最近は、男子も喜んで遊んでいます。きっと、癒されるのでしょうね。〟

これはひな祭り、雛人形についての考察のブログですが、この度の子ども達の姿ととても重なるものがあると思いました。子ども達はこのまりあちゃんとあんなちゃんにきっと癒されているのだろうと思います。

これからも一緒に楽しく生活をしていきたいと思います。素敵な場面に出会う度、これからもちょくちょく報告していきたいと思います。

(報告者 加藤恭平)

瞳そらさないで 色付く秋のトキメキの中で EPISODE 2

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年5月31日『人形考2』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

子どもが遊ぶ人形と言えば、世界では、「ヴァルドルフ人形」が有名です。この人形には、目鼻がありません。他人の表情は、目鼻、特に目やまゆ毛、口などで表します。しかし、この人形は基本的に目鼻をつけないのは、表情をつけないためです。目鼻をつけるときは、色鉛筆でうすーく小さく描くだけで、やはり表情はあまりつけないようにします。なぜ表情をつけないかというと、その人形で遊ぶときの子どものその時の気持ちを受け止められるようにということからです。これは、シュタイナーの教育理論に基づいて作られているのです。

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また、『臥竜塾』ブログ2013年6月1日『人形考3』の中ではこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝「ヴァルドルフ人形」には、目鼻がついていません。ついているとしても簡単な点がついているだけで、表情がわかりません。それは、「その人形で遊ぶときの子どものその時の気持ちを受け止められるように」ということからです。かつて、子どもたちは、自然物を使って遊んでいた時の人形にも目鼻がついていません。葉を使ったり、麦わらを使ったり、どんぐり、松ぼっくりなどを使って人形遊びをするときにも表情を表わすような目鼻はついていません。人形に目鼻をつけること、表情をつけることはどう考えればいいのでしょうか?

たとえば、子どもが人形を使って遊んでいる場面を考えてみます。人形を赤ん坊に見立てて、お母さんのやるようなことをするとします。お腹がすくとミルクを与えます。おむつが汚れていると替えてあげます。一緒に散歩に行き、一緒に遊びます。その時の赤ちゃんは、場面によって様々な表情をするでしょうし、母親はその表情から赤ちゃんの要求を判断し、対応します。したがって、その時に遊ぶ人形には、いつも笑っている表情だけでは不自然になります。どのような表情にも見える程度の表情の方がいいかもしれません。しかし、だからと言って、目鼻がないといいのかというと、それは少し違うような気がします。(中略)

 もし、目鼻をつけないことで、それを見る子どもの創造力をつけるという役割があるとします。本の読み聞かせをするときに、子どもたちは挿絵を見たがりますし、紙芝居のような話に沿った絵を見たがります。それは、かつてラジオを聴きながらその世界を創造してワクワクしていた時代から、テレビによってその姿が映され、そのものが限定されてしまっています。ですから、子どもたちは、話だけ、言葉、文字からだけでは不安になるようです。そのため、今の子どもたちに目鼻がない人形を見せると、「変なの!」と言って、創造するよりも不自然さを指摘するのです。それは、自然物を見立てて遊ぶよりも、より本物に近いミニチュアで遊ぶことが多くなった弊害の気はします。もっと、子どもたちの想像力を広げるようなおもちゃが多くなってほしい気がします。

次に、人形によって自分の気持ちを移入する場合です。「ヴァルドルフ人形」の役割はそれを意識しています。子どもの自分の気持ちを人形が受け止めてくれるのです。しかし、その時にも私は考え方が二通りある気がします。例えば、悲しい気持ちの時に、その気持ちに共感してもらうことで癒されるか、悲しい気持ちの時に逆に楽しい気持ちになるようにはげまされることによって癒されるかです。私は、人形に共感を求めるよりも、励まされる役割の方がいいと思います。というのは、疲れてしまった母親は、赤ちゃんの笑顔を見ることによって、癒され、ホッとするからです。共感され癒されるのは、親とか大人から共感された時だからです。辛くても、悲しくても、苦しくても、いつも純粋無垢な笑顔を見せてくれる子どもの姿には癒されます。そういう意味では、いつも無邪気に笑っている人形でもいいかもしれません。〟

改めて見てみると、とても可愛らしい笑顔をしていることがわかります。

藤森先生のブログを読んで、改めて見てみると、とても可愛らしい笑顔をしていることが頷けます。

さらに、この人形の〝つくり〟として、

  • アイコンタクトを目的としていて、抱くと自然と目が合う。
  • 抱いて見つめるとこっちを見つめているような感じがする。

「対人知性を育む上では目を合わせることも必要では。」と藤森先生は仰っていました。この可愛げのある目線は、対人知性へと繋がっていくのですね。

そんなことを裏付けるような、EPISODE 1で報告した朝の会の続きの出来事です。

近くにいた男の子に、試しに抱っこをしてもらいました。

近くにいた男の子に、試しに抱っこをしてもらいました。

 

「目を見てごらん。」小松崎先生に促され、目を合わせてみます。

「目を見てごらん。」小松崎先生に促され、目を合わせてみます。

 

恥ずかしさからでしょうか(笑)すぐに目を逸らしてしまった男の子です。

恥ずかしさからでしょうか(笑)すぐに目を逸らしてしまった男の子です。

 可愛いですね。この日から、まりあちゃんとあんなちゃんは皆の仲間入りです。

次回、この新しいお友達との新しい生活風景をお伝えします。

(写真提供:わいらんすい(3・4・5歳児クラス)組の先生方 報告者:加藤恭平)

瞳そらさないで 色付く秋のトキメキの中で EPISODE 1

突然ですが、新入園児を紹介します。

 

アンナちゃんと、

アンナちゃんと、

 

わかりますか?

わかりますか?

 

マリアちゃんです。

マリアちゃんです。

 

スウェーデンから来ました。

二人はスウェーデンから来ました。

 

ちゃんとお当番の写真も(すごい白くしてしまってすいません笑)

ちゃんとお当番の写真も(すごい白くしてしまってすいません笑)

 

ありますよ。

クラスの先生が用意してくれました。

 

おちゃらけているわけではなく(笑)とても真面目にこの新入園児をクラスの仲間として迎え入れています。

藤森先生からこのようなお話をいただきました。

  • 人形をつかった保育は、スウェーデン、オランダなどヨーロッパでは主流である。
  • グローバル化、全ての人類への共通理解としても意味がある。
  • 高齢者や障がいをもった子にもとても意味がある。

素晴らしいですね。〝転園してきたクラスメイト〟というイメージで人形を導入されているということで、その方法を模範しています。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年5月30日『人形考1』の中にはこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝民俗学者であった宮本さんは、「子供の世界」という著作の中で、そのころの子どもの姿を描いています。その章の中に、柳田さんと同様「オモチャ」について書いてあります。まず、おもちゃについて、「子供の成長にともなって、耳からだけでなく、目や動作を通じての教育がなわれる。その中で重要な役割をはたしていたものは、オモチャである。オモチャはモチアソビということばに敬語のオがつき、語尾が省略されてできたことばである。(中略)」

 この説明は、柳田さんと同じですが、その語源を説明するところから、おもちゃは、もともと「子どもが持って遊ぶもの」という機能があり、その内容を大きく二つに分けています。一つは、例えばおひなさまのように、大人の用具のミニチュアで遊ぶことで、大人になるための準備をしているというものと、「子供たちだけの遊び」というのは、子どもが自ら作り出し、それは、その時期の子どもに興味があるもの、その役目として、その時期の発達を促すものであるのではないかと思います。

 宮本さんは、そのなりたちから最近のおもちゃへの経緯を説明しています。「その初めのモチアソビは、きわめて素朴なもので親たちが作って与えたもののほかに、子供たち自身で作った者も少なくなかった。」そもそもオモチャは、身の回りのものから工夫して作られたものでした。しかし、当時でもこのような変化が起きます。

「ちかごろ都会の玩具店や、土産店にたくさんならべられて、人気のあるコケシは、もともと東北地方の木地師たちがつくって温泉地の土産として売ったものである。木地師たちは椀や盆をつくるのがその主業であったが、そのあまった木屑で、人形をつくったのである。コケシというのは、木屑を意味する言葉のようであり、西日本では、木屑をコケラとよんでいる。木屑で人形を作ることは東北だけでなく、西日本にもあった。つまりロクロをつかって木地ものをつくるところでは、そうした人形を子供たちのためにつくる風があったのであろう。その人形をオボコともネブリコともいっている。」

そういえば、私の子どものころは、旅行に行ってのお土産に「こけし」が多く、家には、日本各地の大小様々なこけしがケースの中に所狭しと並べられていました。そして、その形、顔が少しずつ違っていました。今でも、子どもたちは、こけしではありませんが、人形を持って遊ぶことが多いようです。子どもが人形を持って遊ぶというのは、世界共通なのでしょうか、ドイツでも人気です。

日本における人形の発祥は、やはり宗教上からのようです。「もともと人形は神の依代としてつくられたり、人間の災厄をはらうときに用いる。形代としてつくられたのが起源であろうが、こういうものが子供のモチアソビになっていった歴史はきわめて古いと思われ、ヒイナ遊びのごときは、平安時代以来の文献にしばしば見えるところであ(中略)〟る。

人形の歴史が日本でもとても古いものであることがわかると同時に、日本の文化に根付いたものであることも伺えます。

だからでしょうか。子ども達の反応もとてもいいのです。

次回、子ども達の可愛らしい反応と合わせて報告します。

(報告者 加藤恭平)

あぁ しあわせのとんぼ(バッタ)が ほら 舌を出して 笑ってます EPISODE FINAL!!!

 

「あ、そっか!わかった!」

「あ、そっか!わかった!」

何かに気付いた様子の緑ボーダー柄の男の子。

駆け出してどこかへ行き、そしてまた戻ってきました。

おや?

おや?

 

独特の歩き方で近づいてくるこの人は、

独特の歩き方で近づいてくるこの人は、

 

我らがらんらん組(4歳児クラス)担任小松崎先生ですね。

我らがらんらん組(4歳児クラス)担任小松崎先生ですね。

「ザッキー先生!あのバッタ捕まえて下さい、」

との言葉に、

「うーん、だって練習してるもんね。」

流石ですね(笑)空気を一瞬に察知してくれました。

小松崎先生に捕まえてもらおうという目論見が外れた子ども達は、次なる手段を考えます。

また緑ボーダーの男の子です。

また緑ボーダーの男の子です。

「もーちょっとだって!」

行動派の彼。練習の切れ目を狙って、とうとう指導されている保育園の先生の元へ練習の終わりを聞きに行きました(笑)

そしていよいよその時が訪れます…!

ロープが外されました!

すると、

バッタがいることに気付いていたのでしょう。大勢の子ども達が急にバッタを追いかけてしまう形になり、どこかへ飛んでいってしまいました…

バッタがいることに気付いていたのでしょう。大勢の子ども達がバッタを追いかけてしまう形になり、どこかへ飛んでいってしまいました…。

なんて劇的なラスト…。

しかし子ども達はよく待ちました。バッタが飛び立つまでの時間、なんと約25分!

子ども達はこんなにも待てるものなのですね。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年7月15日『「今」を「冷却」』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝マシュマロ実験に合格した未就学児たちが、その方法(現在を「冷却」し、将来を「加熱」すること)を、身をもって示してくれているというのです。

彼らは目の前の誘惑を、それから物理的に距離を置くことによって「冷却」しました。二つのマシュマロという目標をずっと念頭に置きながら、誘惑のもとのテーブルの向こうの端に押しやったり、椅子の上で身をよじって後ろを見たり、わざと気をそらすために想像力を発揮したりしました。大きな報酬のために、欲求充足の先延ばしを手助けする「冷却」戦略を提示した実験では、未就学児たちは目の前の誘惑のもとを、別のものと見なしたり、より抽象的で心理的に距離のあるものと考えたりして「冷却」し、自制心を働かせるのをずっと楽にし、見ている私たちがつらくなるほど長く待つことができたのです。

年齢には関係なく、自制の中核戦略は、「今」を「冷却」し、「あとで」を「加熱」すること、つまり、目の前の誘惑を時間的にも空間的にも遠くへ押しやり、遠く離れた結果を頭の中で近くに持ってくることだとミシェルはまとめています。〟

振り返ればただひたすらにじっとして待ち続けていたわけではなく、様々に工夫をしていたことが思い出されます。〝ロープを飛び越えてしまおう〟〝他の虫を追おう〟という「今」を「冷却」し続け、〝このバッタを捕まえる〟という「将来」を「加熱」し続けることで生まれた約25分間のドラマ。立ち会うことができ、とても感動しました。

そして最後に。約25分という長い時間にわたり、彼らを支え続けたてくれたバッタはというと…。

やはり神様は見ていてくれたようです。

やはり神様は見ていてくれたようです。

 

自制心を制する者は人生を制する。大袈裟でしょうか。

自制心を制する者は人生を制する。大袈裟でしょうか。

(報告者 加藤恭平)

 

あぁ しあわせのとんぼ(バッタ)が ほら 舌を出して 笑ってます EPISODE 2

 

人数が増えたり減ったり。

人数が増えたり減ったり。

そんな子ども達の視線の先にあるものは、

運動会の練習風景、、というわけではなく、

運動会の練習風景、、というわけではなく、

 

わかりますか?

わかりますか?

 

バッタ!

バッタ!

このバッタを巡ってドラマが生まれていきます。

「こうやってさ、帽子を投げて捕まえればいいんじゃない?」

「こうやってさ、帽子を投げて捕まえればいいんじゃない?」

 

「あとはさ、このさっき捕まえた小さいバッタを投げてさ、そのバッタの傍にきた時にさ、、」

「あとはさ、このさっき捕まえた小さいバッタを投げてさ、そのバッタの傍にきた時にさ、、」

色々と案が出ています。

その横では別の集まり。

その横では別の集まり。

虫を捕まえて大盛り上がりしているお友達を横目に、

チラッと見るのですが(笑)やっぱり前のバッタを捕まえたいようです。

チラッと見るのですが(笑)やっぱり前のバッタを捕まえたいようです。

何だか偉いですね(笑)

ちょっと賢い(?)緑ボーダー柄の男の子(4歳児クラス)で、

ロープを軽くまたいでみたり、

ロープを軽くまたいでみたり、

ロープを足で詰めてみようとします。

すると横の子達が、

「それだめだよ。」

「それだめだよ。」

「入っちゃだめって言われたじゃん。」と声をかけるのです。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年9月12日『平等バイアス』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝1970年代に心理学者のウィリアム・デーモンによって行なわれた子どもたちの平等に対する意識は、小学生だけではなく、もっと幼い子どもにも見られたことが、やはり心理学者であるクリスティーナ・オルソンとエリザベス・スペルキの調査でわかりました。(中略)

彼女らは、3歳児に、ある人形が、他の二体の人形にステッカーやチョコレートなどを配るのを手伝ってもらいました。主人公の人形と二体の人形の関係にはいくつかのパターンがあったそうです。たとえば、あるときは主人公の人形のきょうだいと友だちだった時、またあるときはきょうだいと他人だったり、友だちと他人だったりしました。オルソンとスペルキは、ステッカーやチョコレートが偶数個だった場合、主人公と二体の人形の関係にかかわらず、3歳児はほぼ例外なく、主人公の人形に、同じ個数ずつそれらを分配させようとすることを発見したのです。

このような平等バイアスが子どもには強いということの事例が、さまざまな年齢、さまざまな場面で見られることがわかったのです。たとえば、オルソンとアレックス・ショーは、6歳から8歳の子どもたちに、「マーク」と「ダン」の話をします。2人は自分たちの部屋を掃除して、ご褒美に消しゴムをもらいます。「消しゴムを何個ずつあげたらいいのかしら。手伝ってくれる?ありがとう。それじゃ、マークとダンにいくつ消しゴムをあげるか決めてね。ここに消しゴムが5つあります。一つはマーク、一つはダンに、一つはマーク、一つはダンに。あれ!1個余っちゃったぞ」

研究者たちが、余った消しゴムを「ダンにあげたらいい?捨てちゃったほうがいい?」と尋ねると、子どもたちは、ほぼかならず、捨てたほうがいいと言ったそうです。研究者たちが、マークもダンも消しゴムが余計にあることは知らないのです。ですから、どちらかに1個余計にあげても、1人がほくそ笑んだり、うらやんだりすることはないと強調しても、結果は変わらなかったそうです。この実験でも、子どもたちは平等を強く欲し、平等の実現のためには何かを犠牲にすることもいとわなかったのです。〟

それぞれこの子達の根底には、〝バッタを自分のものにしたい〟という欲求があるのだろうと思います。〝ロープの中に入ってはいけない〟というルールを守ろう、守らせようとする行為の裏に、上記のような心理が働いていることを思うと、子どもとは、人間とは何と面白みに満ちているのだろうと改めて感じます。

それでもまだまだ練習は続きます。

それでもまだまだ練習は続きます。

ここまでで約15分。すごいですね。ラストは意外な展開を見せます。

(報告者 加藤恭平)