Blue floor philosophy episode 8『自立的に行動する』より

 

東京ドームシティの前に置かれた大きな椅子。

東京ドームシティの前に置かれた大きな椅子。

よく見ると東京ドームシティの壁の上に、色のついたブロックが置かれています。

「材料ここにたくさん置いとくね。」

「材料ここにたくさん置いとくね。」

らんらん組(4歳児クラス)の子が作っていたそれに興味をもち、すいすい組(5歳児クラス)子がブロックを持ってきて、出来上がる様子を見守り始めました。

ブログ『臥竜塾』2013年3月14日『自立的に行動する』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「自立についてですが、以前から、私は、自立とは「一人で、無人島で生きていく力」ではなく、「社会の中で、自分の役割を持って生きていく力」であると思っています。それは、OECDでも指摘しているところです。三つのカテゴリーの一つである「自立的に行動する能力」について、「自立とは孤独のことではなく、むしろ周囲の環境や社会的な動き、自らが果たし果たそうとしている役割を認識すること。」としています。まさに、私が以前から提案していることと同じです。

このために、まず、「大局的に行動する能力」が必要であるとしています。この能力は、「自らの行動や決定を、自身が置かれている立場、自身の行動の影響等を理解したうえで行える力。」であるとし、PISA調査では「問題解決能力」として捉えられています。行動するのは、自分ですが、その影響は自分一人に及ぼすわけではありません。自分の行動が、どう社会に影響を及ぼすかということを考えなければ、その行動は意味がありませんし、効果的ではありません。行動を起こす前に、まず、大局的な観点が必要になってきます。

次に、自立的に行動するために「人生設計や個人の計画を作り実行する能力」が必要とあります。その能力とは、「人生の意義を見失いがちな変化し続ける環境のなかで、自らの人生に一定のストーリーを作るとともに意味や目的を与える力。」としています。「人生設計」という言葉は聞くことがあるのですが、「人生に一定のストーリーを作る」とか、「人生に意味や目的を与える」という言い方は聞きなれない言葉です。しかし非常に重要な課題の気がします。自立とは、このような力を指すというのは、参考になります。卒園式の時に、園児が「将来、何になりたいのか」ということは、そういうことなのです。それをきちんといえるということは、自立出来てきたということなのです。また、「将来、何になりたいか?」と聞かれて、「よく、わからない!」とか、「決めていない」というのは、まだ自律できていないのかも知れません。

最後に、「権利、利害、責任、限界、ニーズを表明する能力」が必要とあります。それは、「成文のルールを知り、建設的な議論のうえ、調整したり対案を示したりする力。」とあります。この、「調整する力」は、異年齢保育の長所の一つとして挙げられているものです。また、「権利、責任」などを表明するためには、「社会の中での選択」をしていることが前提となります。また、ここに「ルールを知り」ではなく、「成文のルールを知り」というのは、ルールは、自発的に知ることであり、言われて、命令されて、しつけられて知っていくことではないことを表わしている気がします。そこで、こんな注意書きが書かれてあります。「自分自身の権利などを表明するためのみの力ではなく、家庭、社会、職場、取引などで適切な選択をすることができる。」

自立の意味が、少しはっきりしてきます。」

「自立とは孤独のことではなく、むしろ周囲の環境や社会的な動き、自らが果たし果たそうとしている役割を認識すること。」らんらん組(4歳児クラス)の子の作り出そうとする世界観を目の当たりにして起こしたすいすい組(5歳児クラス)の子の行動を分析すると、自立された心が基盤となり、その結果、相手を見守る、という構図が成り立ち得たのではないか、と思えてきます。

ブロックゾーンにおける子ども同士の関わり、心の育ち、そして子どもたちによる遊びを通した人間関係の在り方を感じさせてくれるようなこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 6『ユリノキ』『子どもは、元々民主的』より

ブログ『臥竜塾』2005年11月15日『ユリノキ』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「思い出すことがあります。いつものように私が担任している1年生の後ろで、校長先生の話を聞いていました。すると、担任しているクラスの子達が、ふらふらして、話を聞いていません。そこで私は、「きちんと、校長先生の話を聞きなさい。」と注意しました。すると、隣のクラスのベテランの教師がこう言いました。「それは、校長の話がつまらないからいけないのよ。」私は、「つまらないなら、後で言いにいけばいいじゃないですか。きちんと聞かなければ、文句を言いにいけないでしょ。」私のクラスは、子どもたちに何度か、校長室まで、今日の話はつまらなかったとか、面白かったと言いに行かせていました。すると、隣のクラスの教師があきれたようにこう言いました。「ずいぶん先生って、軍国主義なのね。」びっくりしました。どうも、きちんとさせると軍国主義だと思っているようです。私は、子どもでも、校長のところに、つまらなければつまらないと言いにいけるのが「民主主義」だと思っています。戦後、どうも民主主義とか、自由ということが間違って理解されてきたことがあるようです。」

民主主義、民主的、大きなテーマですね。

ごっこゾーンにて、お店屋さんごっこが人気を集めています。

巧技台がカウンターです。

巧技台がカウンターです。

「テーブルクロスを敷いたりするともっと雰囲気が出るよね」先生方からアドバイスをいただきながら環境を整えています。

ただ、遊びたい子がそれぞれ好きにお店を展開する為に収集のつかない様子がちらほら。そこで先日、遊んでいたすいすい組の子数人を集めて話し合いをしてもらいました。

1.何屋さんをやりたいか

2.誰が何をやるか

ピーステーブルの約束事と、加えて「大声を出さない」ということをルールに、紙と鉛筆を渡して話し合いがスタート。

1.あいてのはなしをさいごまでしっかりきこう 2.はなしをきくときはあいてのかおをみよう 3.じぶんのきもちをことばでいおう

1.あいてのはなしをさいごまでしっかりきこう
2.はなしをきくときはあいてのかおをみよう
3.じぶんのきもちをことばでいおう

空白のところに遊びたいお店屋さんが書かれていきました。

空白のところに遊びたいお店屋さんが書かれていきました。

「パンやさん」「おかしやさん」「れすとらん」それぞれに遊びたいお店が挙がるものの、中々一つに絞れない様子。そこで、「皆食べ物屋さんがしたいようだから、全部出来そうなお店にしたらどうか」という内容で声をかけてみました。

中心になって鉛筆を走らせていた子が大いに頷いたところで、活動終了の時間に。約30分程の時間をかけて1.「れすとらん」に決まりました。

ブログ『臥竜塾』2016年9月11日『子どもは、元々民主的』の中でこう書かれています。

「日本における教育基本法の中にある教育の目的に、「民主的な社会の形成者としての資質を備える」ということがありますが、赤ちゃんは元々民主的な生き物であるということを感じることがあります。人類は、生まれながら協力をするという遺伝子を基盤として生まれることが分かっています。また、人にものを分け合おうとします。その行為の中には、相手の権力、地位、そんなことは関係ありません。どちらかというと、人格重視です。そして、赤ちゃんだけに限らず、子どもの意識の中には、多数決という多い人数が少数意見を押しやるという考え方はないようです。少数意見を大切にしてあげることを見ることがたびたびあります。同時に、公平であることを大切にすることを見ることもたびたびあります。自分だけで独占しようとせず、人にものを分け合おうとすると同様に、自分だけ何かをしてもらうことはせず、他の子にもしてあげることを要求することがあるのです。」

次の時間にまた同じ所から話し合うよう伝えて給食の準備へ促すと、メンバーの一人から「話し合えて楽しかった」との声があり、子どもが元々備え持っているものの尊さを感じる思いがしました。

保育所保育指針「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿 」の中でも、

ウ協同性

友達と関わる中で、互いの思いや考えなどを共有し、共通の目的の実現に向けて、考えたり 、工夫したり、協力したりし、充実感をもってやり遂げるようになる。

エ道徳性・規範意識の芽生え

友達と様々な体験を重ねる中で、してよいことや悪いことが分かり、自分の行動を振り返ったり、友達の気持ちに共感したりし、相手の立場に立って行動するようになる。また、きまり を守る必要性が分かり、自分の気持ちを調整し、友達と折り合いを付けながら、きまりをつく ったり、守ったりするようになる。

カ思考力の芽生え

身近な事象に積極的に関わる中で、物の性質や仕組みなどを感じ取ったり、気付いたりし、 考えたり、予想したり、工夫したりするなど、多様な関わりを楽しむようになる。また、友達 の様々な考えに触れる中で、自分と異なる考えがあることに気付き、自ら判断したり、考え直 したりするなど、新しい考えを生み出す喜びを味わいながら、自分の考えをよりよいものにするようになる。

と明記され、その重要性を感じます。

このような場面がたくさん見られることがとても楽しみです。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 5『なぜ、利他的行動?』より

ふとした時に新すいすい組(5歳児クラス)の子どもたちの姿に驚かされます。

捕まえた蟻を、虫眼鏡のついた箱の中へ入れて見ています。

捕まえた蟻を、虫眼鏡のついた箱の中へ入れて見ています。

 写真右のすいすい組(5歳児クラス)の子の側にいるのはわいわい組(3歳児クラス)の子たち。

「ほら、見てごらん。」

「ほら、見てごらん。」

見方を教えてあげるような優しい口調、そして、とても自然に見せてあげられるものなのですね、感心してしまいます。

水を飲もうと自分の為によそっていたすいすい組(5歳児クラス)の子。

水を飲もうと自分の為によそっていたすいすい組(5歳児クラス)の子。

わいわい組(3歳児クラス)の子が集まってきました。

 「はい。先にいいよ。」

「はい。先にいいよ。」

今までもそうだったのでしょうか、当たり前のように、自分が飲むことは後回しにするのですね。

ブログ『臥竜塾』2018年3月30日『なぜ、利他的行動?』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「群淘汰の理論では、自然淘汰の単位は集団であり、個体ではありません。そうすれば、協力や利他的行動は、集団全体の利益という点から説明できると言うのです。つまり、利他的行動は個人にとっては非常にコストが大きいのですが、集団にとっては多大な利益をもたらすと考えられるのだと言うのです。私たちは、自分にとっての利益だけを考えていくことでは、私たちがとってきた生存戦略は説明できませんが、集団を構成し、集団の利益という点から考察すれば、その行動は説明がつくと言うのです。」

自然と振舞う子どもたちの姿から人類の進化を思います。子どもたちの姿から学ぶことの多さに驚かされますね。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 4『社会的相互作用』より

夕方、園庭へ出ると面白いやりとりがありました。

縄跳びの上手なすいすい組(5歳児クラス)の子。

縄跳びの上手な写真左手すいすい組(5歳児クラス)の子。

体を動かすことが上手なことは知っていたつもりでしたが、ここまでとは、個人的にとても驚きました。

すると、

「ねぇ、コツ教えて。」

「ねぇ、コツ教えて。」

と、写真奥右手すいすい組(5歳児クラス)の子。

「コツ」知りたいですね。名人曰く、

  • 縄跳びが上にきたら跳ぶ
  • 脇をしめる
手をとって、とても丁寧に教えていました。

手をとって、とても丁寧に教えていました。

ブログ『臥竜塾』2018年4月5日『社会的相互作用』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「なぜ強くて優位な立場にある個体が、公然と打ち負かした個体をなだめたり、慰めたりするのだろうか?という疑問を考察しています。実際、園現場ではそのような状況を目撃することが多くあります。ドウ・ヴァールの説明には非常に説得力がありますが、優位な動物は優位なスタイルをもっており、親和的関係を維持するために、様々な度合いの力と融和を使い分けているというのです。協力的、融和的な戦略は、優位な個体が従属者を必要としており、従属者が集団を自由に離れられる状況で用いられると言います。

私たちは実際に感じていることですが、同様のことが、子どもについても報告されているそうです。たとえば、『開放状況』という、自由に集団を離れてよい状況では、集団を離れることができない状態である『閉鎖状況』と比べて、葛藤の解決や協力がより多く観察されるそうです。」

優位性という性質が人類の進化を促していることを塾長のブログから知ります。ただ、そこに表裏一体のようにある、例えばいじめというような弊害行動でなく、「私はあなたより優位かもしれない(実際縄跳びを跳べる分、優位であろう)。そして、あなたは私を認めてくれている。そんなあなたに何かできることをしてあげたい」、というような、御礼のような、情、奉仕のような、ヒトの根底に流れる優しさのようなものが、人類進化の大きな基盤となってきたのではないかと考えます。

そして、そのやりとりを見つめていたらんらん組(4歳児クラス)のこの子もまた、それを伝承する、担い手へと成長していくことでしょう。

そして、そのやりとりを見つめていたらんらん組(4歳児クラス)のこの子もまた、それを伝承する、担い手へと成長していくことでしょう。

そんな姿を見る時が、とても楽しみになります。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 3『集団のポイント』より

 

成長展で森口先生が作った伝承玩具の展示。

成長展で森口先生が作った伝承玩具の展示。

すいすい組(5歳児クラス)の子が、その絵を描いて下に貼っていました。

この絵の原作者がにこにこ組(2歳児クラス)の時に担任をしたことがあり、その時の印象と比べてこんなにも絵が上手になっていたことに驚き、思わずその子に確認をしてしまいましたが、見事にその子の作品でした。

その絵の前でやりとりをしていると、わいわい組(3歳児クラス)の子がすっと寄ってきて何やら始めました。

周りの子も気になっています。

周りの子も気になる様子。

絵を真似て描いているのですね。

絵を真似て描いているのですね。

いい感じですね。

いい感じですね。

すると、

写真左、原作者がアドバイスをしに来てくれました。

写真左、原作者がアドバイスをしに来てくれました。

出来た作品がこちらです。

出来た作品がこちらです。

 ブログ『臥竜塾』2012年4月17日『集団のポイント』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「集団のポイントから園における子ども集団を考えてみたいと思います。子どもたちの学びにはある規模の集団が必要です。そこには、多様性が存在するからです。多様性が、いろいろなものを生み出していきます。その多様性は、個人差だけでなく、男女であったり、年齢が違ったり、発達が違ったりという集団が必要です。よく、保育において、同じ年齢同士の中で育つこともあるのではないかという人がいます。同じように、男の同士で育つもの、女同士で育つものもあるでしょう。しかし、だからといって、クラスを男の子だけでクラスを構成するとか、女だけでクラスを構成するとかを今は考えません。それと同じであるのに、同じ年齢だけでクラスを構成することが多いのはどうしてでしょう。子どもたちは、男女混合のクラスであっても、男の子だけで集まって何かをすることもありますし、女の子だけでおしゃべりをすることもあります。同じように、異年齢児クラスであっても、同じ年齢だけで何かをすることもあります。

異年齢でクラスを形成することの意味がほかにもあります。子ども同士から生み出された活動を、保存し、維持し、文化として伝承するためには、縦の関係によるネットワークがなければならないからです。大きい子がやるのをじっと見ること、それを真似すること、それが次の世代につないでいくことになるのです。よく、「子ども文化」と言われますが、これは、子どもの中で生み出され、子どもの中で伝承されていかなければならないのです。」

出来上がりの作品に満足そうなその子の表情と、原作者の彼の成長を目の当たりにし、とても嬉しい時間となりました。

更にペンは進み、幾つかの作品が飾られました。

更にペンは進み、幾つかの作品が飾られました。

 力作ですね。

そして、物語はこのようにして幕を閉じます。

出た消しゴムのカスを自分で拾い集め、そのついでに他のゴミも集めてくれていました。

出た消しゴムのカスを自分で拾い集め、そのついでに他のゴミも集めてくれていました。

このような伝承も行われるのは、異年齢ならではなのかもわかりません。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 36『今後の課題』より

ブログ『臥竜塾』2018年1月1日『今後の課題』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「今私たちがしなければならないことは、日々乳幼児と接する中で、新しい乳幼児観を生み出すような、近年示されている新しい乳幼児観を援護するような子どもの姿を示すことです。もう一つは、新しい乳幼児観に沿った保育を考えることです。園が家庭をモデルにし、母子の関係を保育者が築こうとするところから、人類がかつて行なわれていたような共同保育のあり方をもう一度見直し、その中での子どもの育ちを保障することが、近年明らかにされている子ども観に近づくことだと思っています。

どうもいまだに、乳幼児は自分では何も出来ない、してあげなければと思って代わりにやってしまうというような古い乳幼児観を基にしたような保育を行なっているところも少なくありません。次々と新しい子ども観が生まれている中で、新しい乳幼児保育を構築することが望まれているのです。」

この度の報告を振り返っています。入園当初の4月、12ヶ月児、10ヶ月児だった二人。この日、こんなにも二人が良いという感じになったのは、昨年で退園してしまった子の存在もあったように思います。その子は、灰色の服の子の親友とも呼べる子で、その子へ注いでいた愛情を、4月から連れ添ってきた友だちに向けた、と考えられるように思えました。

そして、白いズボンの子も、園での生活にリズムを合わせようとしている最中で、友だちの存在を必要としていたように思えます。

それをわかって、二人を繋げた先生の存在がありました。

それをわかって、二人を繋げた先生の存在がありました。

二人を見守る優しい眼差しこそ、新しい乳幼児保育を構築する要となるものではないかと思いました。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 34『準備中』より

新しい年になりました。

写真右約1歳9ヶ月、左約1歳8ヶ月、奥約1歳7ヶ月の0歳児クラスの子どもたちです。

写真右約1歳9ヶ月、左約1歳8ヶ月、奥約1歳7ヶ月の0歳児クラスの子どもたちです。

黄色いセーターの子が、手を繋いで入ってきた二人の間に入ろうとします。

黄色いセーターの子が、手を繋いで入ってきた二人の間に入ろうとします。

繋いでいた手を振りほどくことに成功しますが、

すぐにまた、

すぐにまた、

元に戻られてしまいます。

元に戻られてしまいます。

なので、

なので、もう一度。

もう一度。

そうしたら逆の手で繋がれてしまいます。

そうしたら逆の手で繋がれてしまいます。

「(じゃ、そっちの空いている手を…)」

「(じゃ、そっちの空いている手を…)」

「(え、あぁ…)」

「(え、あぁ…)」

ちょっと手をすぼめて行ってしまいます。

どうやら今二人は二人でいたいようですね。

『臥竜塾』ブログ2018年1月2日『準備中』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「特に私が注目しているのは、社会性です。以前の文科省の調査で、2歳児は子ども同士のかかわりは一切見られないということから、2歳までは家庭で育てるのがいいという主張です。私は、その後の準備のために、子ども同士が同じ場を共有する経験が生後8~9か月以後必要だと思っているのです。最近の知見では、乳児は9か月ころから他者認識をするということとリンクします。さらに、そのためにこの時期以降は、2者関係だけで過ごすことではなく、さまざまな信頼できる身近な大人、異年齢の子どもと触れ合うことが社会人となるために必要だと思っているのです。」

入園当初の4月では12ヶ月児、10ヶ月児だった二人。今日のこの日、こんなにも二人が良いという感じになったのは、昨年で退園してしまった子の存在もあったように思います。その子は、灰色の服の子の親友とも呼べる子で、その子へ注いでいた愛情を、振り返れば4月から連れ添ってきた友だちに向けた、と考えられるように思えました。

そして、白いズボンの子も、園での生活にリズムを合わせようとしている最中で、友だちの存在を必要としていたように思えます。黄色いセーターの子もまた、同じような気持ちだったのかもわかりません。

この動画はこの後ちょっとした展開を見せます。そして、この繋がりが生まれた経緯を紹介しようとする中で感じるのは、この場面もまた、藤森メソッドの織り成すドラマだったのではないか、ということです。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 32『研究の進化』より

おやつ後、

1歳児クラスのお友だちが片付ける様子をじっと見つめる当時約1歳7ヶ月の0歳児クラスの子。

1歳児クラスのお友だちが片付ける様子をじっと見つめる当時約1歳7ヶ月の0歳児クラスの子。

 

後ろから来た同0歳児クラス約同月齢の子は自分で残ボウルの中へ。

後ろから来た同0歳児クラス約同月齢の子は自分で残ボウルの中へ。

 

その姿もじーっと見ています。

その姿もじっと見ています。

 

さて、彼女は、どうするのでしょうか。

さて、彼女は、どうするのでしょうか。

 

歩き出し、

歩き出し、

 

残ボウルを過ぎてコップをしまう段取りへ。

残ボウルを過ぎてコップをしまう段取りへ。

そして、置き場所を探す中で

次は職員の行動を目のあたりにします。

次は職員の行動を目のあたりにします。

 コップの中の麦茶をどうするべきか、本人のそういった意識が眼差しに変わって、その対象に向けられているかのようです。

更にもう一人1歳児クラスの子。

更にもう一人1歳児クラスの子。

 「大人があれこれやってあげ、指示通りに行動させる」のではないアプローチを何度か経た彼女は、

麦茶を残ボウルに入れるのはまた今度にして、コップを置いてみる、という行動を選択しました。

麦茶を残ボウルに入れるのはまた今度にして、コップを置いてみる、という行動を選択しました。

13年目に入られました塾長藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年12月19日『研究の進化』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「保育に携わる私たちは、どのように上積みしていかなければならないのでしょうか?まず、日々乳幼児と接する中で、新しい乳幼児観を生み出すような、近年示されている新しい乳幼児観を援護するような子どもの姿を示すことです。もう一つは、新しい乳幼児観に沿った保育を考えることです。先に書いたように、どうもいまだに古い乳幼児観を基にしたような保育を行なっているところも少なくありません。乳幼児は自分では何も出来ない、してあげなければと思って代わりにやってしまう。子どもは放っておくとろくなことをしない。大人がきちんと規律正しく導かなければと思って様々なことを拘束してしまう。なにも知らない、できない子どもには様々な刺激を与えなければ、脳は発達しない。そこで、子どもの後を追いかけ、様々な刺激を与えようとする。そんな保育が見られることがあります。

だからと言って、手を出さなければいい、口を出さなければいいというわけではありません。どのような内容の言葉がけをすれば良いのか、どのようなときに口を出せばいいのか、ということを、そのときの子どもの状況、発達過程の理解、子ども同士の関係などから考えなければいけないのです。また、子どもに何をすればいいのかというように直接子どもに関わることだけを考えるのではなく、子どもがそれらのことを自発的に行なうことのできる環境を用意することも考えなければなりません。そのときに、新しい乳幼児についての知見を知る必要があるのです。」

残ボウルに入れることがゴールでも何でもなく、彼女が片付けようと席を立ち、コップの中身をどうしようかと考え、行動を選択した、ということに意味がある、ということを改めて考えさせられます。

こういった環境の中で子どもたちは、自ら行動を起こしていくのですね。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 31『経験や脳の自発活動』より

給食後、

自ら椅子をしまいます。

自ら椅子をしまいます。

 

先ずは片側、

先ずは片側、

 

持ち替えて、

持ち替えて、

 

最後までしっかりと。

最後までしっかりと。

当時約1歳6ヶ月の子です。

13年目に入られました塾長藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年11月19日『経験や脳の自発活動』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「多数あったシナプスのうち、必要なものだけに刈り込まれていくことを、『シナプスの刈り込み』と言います。この刈り込みに重要な役割を果たすのが、経験や脳の自発的活動だと考えられているのです。このあたりの研究結果は、私の『見守る』行為に対して、裏付けとなったものです。経験にしても、もちろん自発的な活動にしても、自ら行なう行為であり、大人があれこれやってあげ、指示通りに行動させることでは、有効な刈り込みが行なわれなくなってしまうのです。」

椅子をしまう、というシンプルな行動ながらこれを自然に行うようになる過程で、保育者からのアプローチが少なからずあったにせよ、子どもが自身でそれを行うには、何よりも先ず自発的な気持ちが起きるような設定、配慮が必要であるように感じます。

「大人があれこれやってあげ、指示通りに行動させる」のではないアプローチ、そして同年齢の子もそうですが、すぐ側にいる1歳児クラスの子どもたち影響を大いに感じます。そんな動画や写真をいくつか撮ることができたので紹介していきたいと思います。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 30『脳研究』より

 

写真右上、コップを持った最後の勇者が、

写真右上、コップを持った最後の勇者が、

 

颯爽と登場します。

颯爽と登場します。

 5歳児クラスの男の子、彼の考えた方法は、

「にーらめっこしーましょ、

あっぷっぷ。」

あっぷっぷ。」

 奮闘した5歳児クラス女の子が場所を譲っているのが何とも言えませんね。

泣き止みはしたものの思っていた手応えと違ったようで、

泣き止みはしたものの思っていた手応えと違ったようで、

 

首脳会議。

首脳会議。

 

最後は総攻撃。

最後は総攻撃。

 

「バァ!」「ばぁあ〜ん。」

「バァ!」「ばぁあ〜ん。」

 開けたり閉じたり、バァのニュアンスを変えてみたり、変な顔を織り交ぜてみたりしながらの健闘が報い、いよいよ涙とさよならができた当時約17ヶ月児の女の子でした。

13年目に入られました塾長藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年11月14日『脳研究』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「最近の乳幼児についての海外の研究が、来年から実施される保育指針の改訂に大きな影響を与えています。その一つが、脳の機能の拡大についてです。神経学の研究は、20世紀以前から報告されてきました。それが、20世紀末に開発された脳機能計画によって、最近、急速に進んでいるようです。もちろん、今では、心を生み出しているのは胸にあるのではなく、脳にあるということは、誰でも知っていますし、専門的にいっても、神経科学者だけでなく、心理学者も賛同しています。しかし、脳がそのまま心であるかということについて、森口は、首藤瓜於による『脳男』の一節を紹介しています。

『“心”は脳の作用にしか過ぎないのだから、人間の“心”を知るためには脳という物質を研究する以外ないのだ、と。しかし、子どもたちと長い時間過ごしていると、脳と心とはやはり別のものなのではないかという気がしてくるのだった。』」

首藤氏の一節が、現場にしかできない研究があるのではないか、というメッセージに聞こえてきます。子ども同士が織り成すドラマをこれからも追い続けていこうと思います。

(報告者 加藤恭平)