世代間交流

先日学童でハロウィンパーティを行いました。

簡単に内容を説明させていただくと、保護者の方々が家庭役で在宅してもらい、仮装して訪問し、「Trick or Treat」と言ってお菓子をもらい、学童に戻ってみんなでそのお菓子を食べるという会です。

このハロウィンパーティは、毎年の恒例行事で毎年多くのご家庭が家庭役を担ってくださり、子どもたちも職員もとても楽しみにしている会です。

家庭役を率先して担ってくれるご家庭が多いことからもこの会の充実度を感じましたが、さらに毎年のこの会で家庭役を担っていただいているボランティアの方が今回も家庭役を担ってくださりました。

その方は、この会だけではなく、毎週火曜日に学童に来てくださり、製作を中心に子どもたちと一緒に遊んでくださっています。

その他にも定期的ではないものの、ボランティアで来てくださる方は多く、職員はとても有り難い気持ちでいっぱいです。

そこで今回のタイトルとさせていただいた「世代間交流」の話に移ります。

世代間交流とは、世代の異なる人が相互に交流し、互いの生活文化や価値観の理解を深めるために行われる活動のことです。

人間は、生涯を通して家庭、学校、地域社会や職場等で行われる様々な営みから自分づくりを行っていると考えています。

学童もそんな貴重な経験のできる数少ない場だと思っています。

現代は少子化や核家族化が進行し、昔と比べて子どもを取り巻く環境が大きく変化してきています。

かつては祖父母,親とその子どもたちといったように、家族の人数も多く、世代が限られることがなく豊かな人間関係を持つことができましたし、各家族における子どもの数も多かったため、兄弟、姉妹でのかかわりも豊富であったそうです。

しかし少子高齢化が進んだことなども影響し、現代の日本の家族は親と子のみによる核家族の家庭が多くなった。

さらに各家族における子どもの数も減少し、家庭内での人間関係が単純化してきている。

このような背景がある中、様々な世代のボランティアの方が学童まで足を運んでくださり、子どもたちと交流を図っていただけることは、現代の時代背景という視点からみてもとても有り難いことです。

今後もボランティアの方々と子どもたちの交流を大切にいていくと共に、地域の方々、そして保育園の職員も含めた様々な世代の方々との交流を図れるような行事を月案会議等を用いて、子どもたちと一緒に考えていきたいと思います。(投稿者 若林)

横のつながり

先週の日曜日に新宿区学童保育連絡協議会が主催の運動会(略して連協運動会)がありました。

新宿せいが学童も毎年参加し今年で8回目の参加になり、そして悲しい事に最後の参加です・・・。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、来年度から隣の小学校に学童が出来る代わりに、
今年でせいがの学童が廃止になることになりました。
そして学童の部屋が空き部屋になる分、保育園の定員も増加になります。
ですので、来年度から新たな新宿せいが保育園が誕生します。
今回は最後という事もあり、特別な思いを持って臥竜塾全員で運動会に参加させていただきました。
もちろん塾長も来てくださいました。
まず連協運動会の簡単な説明をします。
新宿せいが学童を含め、連協に加盟している学童、児童館が紅白の2チームに分かれます。
そして「大玉おくり」「玉入れ」「リレー」「綱引き」などを行い点数で勝敗を決めるという、
至ってオーソドックスな運動会です。
中でも一番最後に「館対抗リレー」という競技は、紅白関係なく、
純粋に施設ごとの勝負なので、ある意味、総合優勝よりも価値が高かったりします(笑)
ちなみに新宿せいがは2年前に優勝。去年は3位と悔しい思いをし、
今年こそはリベンジに燃えての参戦です。
ちなみに「館対抗リレー」というのは小学校1年、2年、3年・・・大人と順番にバトンを渡す縦割りリレーです。
新宿せいがは男性が多く、そして若く、そして運動ができると三拍子揃っているので、
他の施設に比べると明らかに大人の平均年齢が若いので、
去年から、職員は男女一人づつと規制がかかってしまいました(笑)
そんな規制がかかっても新宿せいがは今年も順当に決勝に進みました。
そして、決勝がスタート!!
せいがの第一走者の小学生は卒園児で、保育園の頃から運動神経抜群の男の子です。
当時は多動気味な部分もありますが、運動になるとピカイチです!
もちろんスタートと同時に1位になり2位と大きな差をつけてバトンを渡しました。
そのあとも2位に差を詰められては離しの繰り返しで、なんとか1位のままアンカーにバトンを繋ぎ・・・
アンカーは元ラグビー部の筋肉ガチガチの体育会系の保護者(もちろんお父さん)です。
この日のために体を作ってきました!と言わんばかりの体つきでした。
そんなお父さんが抜かれる理由もなく!そのままゴールテープにトライ!!優勝を果たしました!!
最後の運動会で有終の美を飾ることができ、本当に感動しました・・・。
さて、感動話しはここまでにしておきましょう。
塾長が月曜日の朝会でこんな話をされました。
「年々、連協運動会に参加する保護者、子ども達が減ってきているそうです。また小学校、中学校でも父母会の存在も要らないのでは?という声もどんどん出てきて、
うちに父母会があるという事に、驚く人もいるそうです。それだけ横のつながりが減ってきているという事になります。
それに比べて、うちの学童は子どもも保護者の参加者も他の学童や児童館の中でも一番多かったです」
と・・・。
確かに1年目の運動会に参加した時はせいが学童が一番少なかったのを覚えています。
それに比べて他の施設は子ども、親の参加者も多く、少し寂しかったのを覚えています。
それが年を重ねるうちに、参加者も増え、いつしか他の施設と同じくらいになり、
最終的に一番多くなりました。
今年の館対抗リレーはせいが学童だけで4チーム出場しました。
個人的に嬉しいのは現在、学童に通っている児童はもちろん、
過去に学童に通っていて卒所したOBの小学生も多く参加している事になんだか嬉しかったです。
中には小学5年生で私と同じくらいの身長の男の子もいて、
それはなんだかショックでした・・・(笑)
また学童の保護者から、こんな話しを聞きました。
他の学童は人数が減ってきているのにせいが学童は減るどころか応募も増えてきていると。
おそらく新宿せいが保育園の周囲から図書館、児童館が閉館になり、放課後に子どもが過ごせる場所が少なくなってきているのも影響はありますが、
塾長は学童に行く子どもが減ってきている事に対して「危険」と言っています。
それは学童に行かないということは、家の中で一人か数人でゲームをしている方が楽しく、
外に出て色々な経験もしないということです。
塾生の若林が学童での活動を色々と報告していますが、
月案会議を自分たちで行い、活動の内容、ルールなど話し合って決めています。
学校ではなかなか経験できない活動を学童ではできる。
これは小学生にとっては貴重な場所だと私は思います。
そんな貴重な場所が来年度から無くなるのは・・・寂しいですね。
今回、最後の連協運動会に参加し素敵な思い出が作れた反面、
都内の小学生の子ども達を取り巻く環境の実体を直に触れる機会になり、
色々と考えた一日となりました。
最後に・・・
運動会は中学校の校庭を借りて行うのですが、トラックが本当に小さく、おそらく50m~80mかと・・・。
トップスピードでコーナーを曲がると本当に転倒するくらい小さなトラックで、過去何人もそのコーナーに犠牲になりました。
今年も一人職員で犠牲になり、しかも2年連続で・・・私よりも「若」いのに・・・。
運動不足は恐いですね・・・。
またいきなり走るのは危険なので、ウォーミングアップを学校の外で行った際に、転倒し流血した職員もいました。
塾長は言います。
「運動不足の人が急に動こうとすると、頭では以前のように動こうと指令を出しても、体が追いついてこなくて、足が前に出てこないんだよね・・・
だから雑巾がけは有効だよね」と。(投稿者 山下祐)

チーム替え

以前「チーム活動」というタイトルで園のテーマにある「季節」にちなんで学童でお当番活動等を行うチームを決め、活動した報告をさせていただきました。

今回は年度の半分を過ぎ、子どもたちがチームとして活動することをしっかりと理解し、チーム内の自分の位置・役割を把握し、バランスが取れ、各チームの色が確立したことをきっかけに思い切ってチーム替えを決行しました。

前回同様、四季をテーマに大きく4チームに分け、あえて仲の良いグループと前回のチームメイトを上手く散らし、大人が編成しました。

新しいチームを発表したときの子どもたちの反応は、不満は一切なく、みんな目がキラキラしていました。

私は不満を持つ子が1人はいるだろうと思っていたので驚きました。

そこで、1人の子に「チーム替え嫌じゃなかった?」と聞いてみました。

すると、「全然!むしろ楽しみ!」と前向きな返答が返ってきました。

中には、「席替えみたいで楽しい!」と答えた子も…

そんな子どもたちの様子を見ているとこちらの楽しみも倍増する思いです。

新しいチームの最初の活動は、チーム名を決めることから始まり、どんなチームになりたいかを話し合いました。

残り半分の年度を新しい各チームがどのような色を出していくか楽しみでなりません。

最初の方に、あえて仲の良いグループと前回のチームメイトを上手く散らし、大人がチーム編成をしたと書きましたが、その様に今回は大人の思惑が濃く反映したチーム編成となりました。

今回のチーム編成のポイントは大きく2つあります。

1つは前回のチームでリーダーシップを取り、チームを引っ張っていってくれた子をあえて一緒にしたチームと前回のチームではリーダーポジションではなかった子たちだけのチームを作り、各チームどう機能していくのか。

チームによって自分の位置・役割は変わっていくものと考えます。

私自身今まで様々な集団に属してきましたが、同じ位置というのはそう多くありません。

集団によって、その集団を構成する仲間によって自分の位置・役割は多種多様です。

この1つ目のポイントはこれからの人生で属するであろう多様な集団に順応できるスキルを養っていくと同時に、仲間、そして自分自身を知ることに繋がっていけばと思います。

もう1つは学童生活で関係の薄い子、関係を深めていって欲しい子を組み合わせてみました。

関係が薄いということは今後の関係性が未知数とも言えます。

極端に言えば、ここで生まれた関係性により、その子が生涯の友と成り得るかもしれないということです。

この2つに共通するのはチームの仲間を観察すること、そしてその仲間たちの個性・長所を見出し、その上で集団内の自分の位置取りをすることを感覚的にでも捉えてくれたらと個人的に思っています。

この2つのポイントがチーム活動にどう活きていき、子どもたちの関係性にどう変化をもたらしていくのか、今後の活動報告で報告できたらと思います。

また、このチーム編成を行う上で学童職員で話し合って決めたのですが、どの子とどの子を組み合わせたいか等、ほとんど意見が一致し、子どもたち一人一人を見守る目線が同じであることを再認識できた今回のチーム替えでした。(投稿者 若林)

伝え方

新宿せいが学童クラブでは登所すると、必ず連絡帳を出すことになっています。

保育園と違い、子どもたちだけで来て、子どもたちだけで帰るので、帰宅時間の変更などがあった場合は、この連絡帳に書かれることになっています。

 

ほとんどの子が来ると同時に出してくれるのですが、学童で友達に会えたことが嬉しかったり、何をして遊ぼうか考えていたり、はたまた宿題のことを考えていたりと忘れてしまうことも時々。そんな時は職員が声をかけて、出してもらったりもしています。

 

先週、そんな連絡帳を何日も出し忘れてしまっている子がいました。

当然、その度に、「連絡帳忘れてないかい?」などと声をかけられているのですが、正直、声をかける方も、かけられる方もいい気分ではありません。

 

そんな思いがお互いに通じたのか、ある日、学童の入り口をくぐるなり、連絡帳を職員に渡していました。そんな様子に、私も、その子も思わず微笑んでしまいました。

 

その日のおやつ後、みんなで話をするタイミングで、当番の子どもたちが「先生からなにか伝えることはありますか?」と聞かれ、思わずこういってしまいました。

 

「最近、連絡帳を出し忘れている人がとても多くなってます。もしかしたら、よく言われているなと思っている人もいるかもしれません。でも、今日はそんな中、誰よりも早く連絡帳を出してくれた人がいます。それは○○くんです」と、その子の名前を言うと、照れくさそうにしながらも、嬉しそうでした。

 

それ以来、、、といってもまだ3日ほどですが、その子は学童に来て、連絡帳を出し忘れることはなくなりました。そして連絡帳を出した後、ハイタッチをするというちょっとした楽しみもできました。

口うるさくなってしまいそうな時は、褒めることを忘れずに、伝えたいことが、お互いにうれしく思えることは一番の伝え方のような気がします。

(報告者 西田 泰幸)

くつろぎゾーン

学童にはくつろぎゾーンがあります。

しかし、現在ではくつろぐことの方が少なく、戦いごっこなど子どもたちが大騒ぎしながら遊んでいることもしばしば…

最初はその場に立ち会うと、

「くつろぎゾーンは何のためにあるの?」

と子どもたちに投げかけて子どもたちに考えてもらう機会を作っていました。

しかし、一向に騒ぎは減りません。

一時期悩みましたが、これも子どもたちにとって良い学びとなるきっかけになるのではと見守ることに決めました。

見守っているうちに1つ気付いたことがあります。

くつろぎゾーンは学童部屋の奥の一角にあるのですが、私たち保育者の目を盗むにはトイレ以外にはくつろぎゾーンしかないのです。

前回の生臥竜塾で塾長がおっしゃっていたことがあります。

9月18日に投稿された「自分で選択することの大切さ」に、遊びにおけるゾーンとコーナーの違いが書かれているのですが、

ゾーンとは、そこでの遊びがワクワクし、没頭できる場所、

コーナーとは、そのものを行うために区切られた場所です。

これらを照らし合わせるとくつろぎゾーンがくつろぐためだけの場所であれば、「くつろぎコーナー」なのです。

ここからくつろぎゾーンはくつろぐためだけの場所ではないという意図が伺えます。

現に学童では、月案会議等を行う場所としても使っています。

そして一見、保育者の目を盗むと言うと悪いことのように思ってしまいがちですが、これはとても大切なことのようにも思えます。

良い言い方を変えれば、保育者の目を盗んで生まれた遊びこそが、子どもたちの自発的な遊びなのです。

私たち保育者は子どもたちの自発的な遊びが生まれる貴重な場所を摘んでしまうのではなく、月案でその遊びをより発展させたりとその遊びを拡げてあげる方に徹しなければならないと思えました。

ここまでの内容ではくつろぎゾーンは基本的に騒がしいと思われてしまいがちですが、子どもたち間ではしっかりと伝承されているくつろぎゾーンの決まり事(暗黙の了解)があります。

それは、「くつろぎたい子がいる場合、騒がしくなってしまう遊びはくつろぎゾーンではしない」ということです。

この決まり事がなかったり、守られていなければ私たち保育者は見守ることができなかったかもしれません。

子どもたちが自分たちで決めた決まり事を守り、その上で行われる保育者の目を盗むという行為を活かしながら、子どもたちの自発的な遊びや考えを拡げていこうと思います。(投稿者 若林)

みんなでつくったみんなのやくそく

生きていると様々な約束事や決まり事がありませんか?

その約束事がもともと決まっていることか、自分たちが絡んで決めた約束事かで大きく変わってくるのではと思っています。

そこで学童では、学童の子どもたちが一円対話を用いて、自分たちで約束事を決め、お部屋に大きく掲示しました。

それがこれです。

みんなでつくったみんなのやくそく

みんなでつくったみんなのやくそく

今のところ、ここに書いてあることが今年の学童の子どもたちが自分たちで決めた約束事です。

この約束事があるかないかでは大きく変化したことがあります。

それはこの約束事を守れていない子に対して、

「みんなで決めた事だからちゃんと守ろうよ!」

と子どもたち間で解決できるようになりました。

子どもたちが子どもたちの中で学びを深めていくことにとってこれはとても大切なことであると同時に自分たちが主体であることを認識していく上でもとても大切なことではないかと思っています。

自分たちが主体であると認識することはある意味、自由であるということです。

しかし、自由には責任が伴います。

塾長が書かれている2014年9月11日「生きる意欲」というタイトルのブログに老人ホームの人々を対象に行った研究が紹介されています。

その研究内容は「日常生活にどれほどの責任を持たせるかによって、老人たちにはどのような変化が起き得るか」です。

この研究結果から選択権とコントロール権を与えられたグループの人はそれができないグループの人に比べて活動的で幸せに暮らせ、研究期間の1年半の間に亡くなった方も少なかったそうです。

これを塾長のブログを読んで知り、自由に伴う責任の大切さを強く感じました。

もともと決まっている約束事と自分たちで決めた約束事かで最も違う点は責任を持つか、持たないかではないでしょうか。

もちろん社会で生きていく上でもともと決まっている約束事(社会のルール)も大事で、自分たちが決めた約束事よりも多く、重要度も高いかもしれません。

しかし、自分たちで決めた約束事が社会のルールを守る上での基になるのではと思っています。

今年度ももう半年が経ちますが、半年間で決めたこのUPした写真の約束事に限らず、これからも子どもたちが主体となり、子どもたちが自分たちの学童を作り上げるためにこれ以外に約束事を設ける機会があれば、その機会を活かして、子どもたちが子どもたちの中で貴重な学びを深めていけるような環境を作る手助けをしていこうと思います。(投稿者 若林)

上下関係2

前回に引き続き、上下関係について私の経験を基に書かせていただきます。

みなさんは学生時代に部活動等の先輩とどのような関係性を築いてきましたか?

私が思うにそれは極端に分けると2つあると思います。

1つは自分の意思を貫き、先輩が間違っていると思ったら真正面からぶつかっていくこと。

もう1つは先輩に気に入られるよう後輩期間はずっと下手に接すること。

私は後者の生き方を選択しました。

これはある意味正解で、前者の生き方を選択したものは部内に居場所がなくなり、辞めていってしまいました。

しかし、正解であっても自分の意思を押し殺して生きることはとてもきつい思いでした。

そして前者こそが社会に出て成功する要素を持っているものではないかと思います。

正直、前者の生き方に憧れの気持ちを持っていました。

私は運良く高校の部活動で1年生のころから試合に使ってもらえていました。

ですが、入部したての1年生が試合に出るということはそれまで試合に出ていた先輩を差し置いてということです。

今思い返すと、大好きなはずのサッカーが一時期嫌いになる程、先輩方からの圧力を受けました。

それまで大好きなサッカーをしているときが何よりの生きがいだった私にとって、これほどの苦しみは味わったことのないものでした。

これは私が在籍した部活動に限らず、様々なところで起きていることです。

そのため1年生は絶対に試合に出られない部活も存在する程です。

これは絶対にあってはならないことだと思えてなりません。

そんな苦い思いを味わいつつも、その中で楽しみや生きがいを見出し、乗り越えていき、自分が最上級生になったとき、希望を抱いて新しく入部してきた1年生に自分と同じ思いをさせても良いものかと自分に投げかけました。

私は副主将に任命されていたので主将と話し合い、2・3年生を集め、話し合いの場を設けました。

そして自分が味わってきた苦い思いを後輩たちにさせたくないという思いを伝えると全員が合意してくれました。

スポーツの世界は実力主義で一度フィールドに入れば先輩も後輩も関係ありません。

そこで私たち3年生は先輩という固定概念を捨てることに決めました。

例えば先輩に対して敬語を使わなくても良いとするなどです。

サッカーは試合中に敬語を使っている暇はありません。

部活内の先輩後輩間にこのような関係性を築くと先輩との関係性の築き方の前者の生き方ができるようになるのです。

このような関係性を築いていった成果なのか、私たちが3年生の最後の大会で10年ぶりの県ベスト4という成績をおさめることができました。

この高校の部活動生活の3年間は私にとって自分の人生を左右する上で最も濃く、大切なものを得られたと実感しています。

そんな色濃い3年間を過ごしてきた高校のサッカー部に現在3年生で私の弟が在籍しています。

実家に帰省したときに部活の話を聞くと、私たちの代から始まった先輩後輩間の関係性が今でも伝承されていると話を聞いていて感じます。

自分の経験談を書いていて改めて、部活動は社会に出る上での準備期間に最も適していると思えます。

前回の活動報告にも書きましたが、上下関係から学ぶ上で大切なのは社会に出るまでの上下関係から何を思い、その思いをどの段階でどう反映させるかです。

今の学童の子どもたちは初めて上下関係を経験しているところです。

小学校低学年で上下関係を経験できるのは学童ならではのことと思います。

そんな貴重な経験を通して、嫌な思いをするのも、上級生の権力を駆使するのもとても良い経験となるはずです。

私たち大人(保育者)はその貴重な経験を、口を挟んで潰すのではなく、特に学童期・児童期は見守ることが大切であると思います。

自分の経験談ばかり書いてしまいましたが、学童の子どもたちの上下関係の始まりによってこのようなことを思ったと共に学童における異年齢保育の良さを感じた出来事でした。(投稿者 若林)

上下関係

近頃、学童の子どもたちは今回のタイトルである「上下関係」で揉めることが多くなってきました。

良い意味では、最上級生である3年生が決め事等を率先して決めてくれているのですが、悪い意味では、何でも自分色に染めたがる傾向が強くなり、自分の意見をしっかり持ち始めた2年生の一部が不満を持ち始めたことが事の発端です。

学童の職員間で話し合った結果、昨年もその傾向が強く、この上下関係が伝承していることに気付きました。

今年の3年生は昨年の3年生を見てきて、その姿を真似て、自分と重ね合わせている。

しかし、昨年2年生だった今年の3年生には今年の2年生の気持ちがわかるとも言えます。

でも、「昨年私たちも我慢してきた」だからこそ曲げられないという気持ちがどうしてもでてくる。

私は小学校低学年から高校卒業までサッカーに没頭してきたため、このような体育会系の上下関係は嫌と言うほど経験してきました。

だからこそ2年生の3年生に対する気持ちが非常にわかるのですが、この上下関係から学べることは私の経験上数多くあるとも思っています。

確信を持って言えることではありませんが、このような貴重な機会を下手な大人の介入によって妨げることは逆効果なのではないでしょうか。

人生で必ず経験する上下関係を社会に出る前に経験することはとても大切なことで、職場等での先輩・後輩間における人間関係の基盤となると思っています。

小学校低学年でこのような上下関係を経験できることは子どもたちにとって大きな財産となる。

しかし、大切なのはそれを経験してどう思うか、そしてその思いを自分が最上級生になったときにどう反映させるかにあると思います。

小学校3年生までの学童ではそれを求めるのは早いかもしれませんが、人は失敗から多くのことを学ぶ生き物であるため、この時期は存分に失敗することが何よりかなと思っています。

そして失敗から先は、前回の報告に書かせていただいた一円対話などを用いて、子どもたちと一緒になって話し合い、共感しながら学びを深めていくことが保育者に求められることではないかと今回の上下関係の出来事から思いました。

また、今回は上下関係でしたが、上下関係以外にも子どもたちの世界には伝承により自然に構成されていることがたくさんあるのではと思っています。

伝承の内容の良し悪し関係なく、その一つ一つには必ず意味・学びがある。

その一つ一つを大事にこれから子どもたちと一緒にしっかり向き合い、学びを深めていこうと思います。(投稿者 若林)

お泊り会

先週の22日、23日に学童のお泊り会を昨年に引き続き、学童クラブ内にて行いました。

別日程で、保育園でも年長組が同じく保育園内でお泊り会を行います。

私は昨年、3・4・5歳児フリーを担当させていただいたので年長組も学童もお泊り会を経験することができました。

年長組と学童のお泊り会で最も違う点は、子どもたちが自分たちでお泊り会をどうしていくか、何をするかを考え、実行することです。

今年は子どもたちが数多くの案を出してくれた中、下記のようなプログラムを実施しました。

・09;15出発。上野の「科学技術館へ!」(電車で)

・15;00に帰ってきて、スイカを含めた「いろんなフルーツ割り」(他にリンゴ・パイナップル)

・終了後、お風呂

・17;00からバーベキュー&流しそうめんの準備、18;00からスタート!

・19;00から職員による怖い話後、保育園内にてきもだめし!

・20;00から枕投げ

・21;00から寝る準備を整えてDVDを見る

・21;30就寝

・06;30起床

・07;00朝食

・08;00新聞作り(チーム毎にお泊り会の楽しかったこと、印象に残ったことを新聞として形に残し、振り返る)

・09;30保護者の方々を招いて、賞状授与式(1人ずつ「~だったで賞」を発表しながら授与)

・10;00解散

とやりたかったことを盛り沢山行えた子どもたちはとても満足気な笑顔を保護者の方々や我々保育者に向けてくれます。

そして保護者の方々から夏休みに限らず、小学校のある普段の期間の祝祭日等を使って、もう一度行えないでしょうかとアンコールの声を多数いただきました。

お泊り会では、子どもたちが自分たちで考え、自分たちで実行していくにあたり、行っていく上で壁にぶつかることがある。

その壁と真剣に向かい合い、先を見据え、打開策を練るという、生きていく上で必須な思考を1人ではなく、チームで、そして学童の子どもたち全員で行えたことにより、チーム的にも全体的にも団結力も増したとお泊り会から1週間が経ち、感じています。

これは職員間も然りで、今回のお泊り会には学童職員抜きで12名の保育園の職員の方々がお手伝いしてくださりました。

中には昨年学童職員で事情により退職された方もお手伝いに来てくださいました。

お手伝いに来てくださった先生方抜きではここまで良い会にはならなかったことでしょう。

この場を借りてお礼を言わせていただきます。

本当にありがとうございました!

また、今回のお泊り会は多数の先生方にお手伝いしてくださったこともあり、子どもたちと共感しながら大人も十二分に楽しむことができました。

特に科学技術館には子どもたちと一緒に共感できたことがたくさんありました。

この機会を活かし、日々の保育に取り入れ、共に共感した事柄を遊びや学びへと繋げられよう拡げていけたらと思っています。(投稿者 若林)

一円対話

学童ではよく一円対話という話し合いの形式を用います。

写真で載せていますが、一円対話とはみんなで輪になって向き合い、テーマに沿って意見を出し合いながら話し合うことです。

一円対話にはルールが設けられていて、

●相手が話しているときには口を挟まない。

●相手が話していることを尊重し、聞く。

●互いを信頼し、自分が思うことを素直に話す。

があります。

私は一般企業への就職を考えていなかったため、大学生時代に一般的な就活はしてきませんでした。

そのため友人から聞いた話になってしまうのですが、企業等への一般的な就活には面接はもちろんとして、グループディスカッションを用いるところが多いと聞きました。

何度もグループディスカッションを経験した友人は最初は限られた時間でどれだけ自分の意見を主張できるかに主点を置いていたと言っていました。

しかし、最後には面接でもグループディスカッションでも同じで、如何に相手の話を傾聴し、その上で自分の意見を主張することが大切だということに気付いたと言っていました。

その友人の体験談から、学童期や児童期に行う一円対話の重要性に気付きます。

学童では子どもたちが子どもたちだけで話し合いを進行していく月案会議によく用いられます。

様々な意見が飛び交う中、自分の主張を押し通そうとする子、または仲の良い友達の意見に便乗するだけの子、はたまたそれらの意見を聞いた上で「これならどう?」とみんなの意見を汲み取りつつ発言する子など様々です。

新年度が始まり約5ヶ月ですが、みんなの意見を汲み取りつつ発言できる子が最上級生の3年生を中心に増えてきたと感じています。

私が考えるにこの一円対話の最大のメリットはみんなの顔を見渡せることにあると思っています。

人は相手の意見を汲み取る手段は意見を聞くことだけではありません。

表情からも汲み取れます。

●傾聴や頷きを用いて相手の意見を引き出し、相手の意見を尊重した上で自分の意見を主張する。

●主張していない人の表情からも汲み取る。

この2つのスキルは社会に出る上でとても重要なスキルであり、この2つのスキルを得る上で一円対話は最適な話し合いの形式であり、一方向的に不特定多数に向けて発する「二次的言葉」が急速に発達する学童期ならではの方法であると思いました。

ちなみに臥竜塾も一円対話形式でみなさんの表情を見渡せ、塾長のお話を初め、他の塾生の方々の意見を尊重して聞き、意見を交わし合い学びを深めています。(投稿者 若林)