君を見守るため そのために生まれてきたんです~あきれることも そうさ そばにいればあります(笑)~ 後日談

先日、にこにこ組(2歳児クラス)の子ども達が、ケンカをしていると、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)のすいすい(5歳児クラス)のある男の子が仲裁に入ってくれました。

対人知性に富んだやりとりが展開され、思わず感動し、また、その様子を見守って下さっていた我らが誇るベテランの先生の後日談にて笑わせていただいた(笑)エピソードの完結編です。

 

にこにこ組(2歳児クラス)の子達のケンカがすいすい組(5歳児クラス)の子によって解決された数秒後です。

 

あれ!?

あれ!?

 

えぇー!?

えぇー!?

 

えぇー!!(笑)

えぇー!?(笑)

 

子どもって、ほんっとに(笑)

 

先日の報告で、11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年2月8日『怒りのコントロール3』の中の一文を改めて、紹介させていただきます。

 

〝子どもたちを見ると、(中略)けんかをすることによって、怒りをコントロールする力を学んでいる気がします。赤ちゃんは、よく、物をとられて大声で泣いて、とった相手に怒りをぶちまけます。そんな時に、子どもはその評価を冷静にすることはできませんが、意外と執着せずに、さっさと違うことに目を向けます。そして、怒りを持ち続けることはしません。大人と違って、次の楽しいことに取り掛かるのです。〟

 

また、2歳児のイヤイヤ期に対してどう対応すればいいですか?という質問についても藤森先生は、「大人が本気にならないことです。」と答えられています。

あきれたー、と思わず言ってしまいそうになりますが(笑)子どものこういう切り替えの速さや、相手を許す気持ちの寛大さは、見習う必要がありますね。

さて、ケンカの仲裁を鮮やかにしてくれた彼はというと、

 

「上履き取りに行くとこだったんだ。じゃーねー。」

「上履き取りに行くとこだったんだ。じゃーねー。」

颯爽と行ってしまいました。格好いいですね。

さて、後日談へ。

「さっきのGLAYくん(すいすい組の子の仮名)のやりとりさ、」

我らが誇るベテランの男性保育者が、このやりとりを遠くから見守っていて下さったようで、こんな話をしてくれました。

「あれと全く同じケンカをわいらんすい(3・4・5歳児クラス)でしてるよ。」

(笑)なるほど!だからこその姿だったのですね!

あの時の彼は、自分がいつも耳にしている言葉達を、彼の言葉として、ありありと蘇らせていたのでしょう。それだけでなく、自身の毎日のぶつかり合いの中から当人達への共感を導き出し、その気持ちを察して対処することが出来る心持ちに、自分を至たらせることができていたのでしょう。

でも、なんだか笑ってしまいます(笑)人に物を言う時は、大体自分のことは棚に上げているものですね(笑)

我らが誇るベテランの先生の言葉に、人間の可愛さ、面白さというものを改めて感じたこの度の出来事でした。

さて先生との会話を終えて部屋に戻ってみると、

黄緑くんが電車の玩具で遊び始めた数分後の現場写真です(笑)

たった数分の間の出来事です(笑)

 

その瞬間の赤井くんです(笑)子どもって、本当に可愛いですね。

その瞬間の赤井くんです(笑)

 

子どもって、本当に(笑)可愛いですね。

(報告者 加藤恭平)

君を見守るため そのために生まれてきたんです〜あきれることも そうさ そばにいればあります(笑)〜 完結編

先日、にこにこ組(2歳児クラス)の子ども達が、ケンカをしていると、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)のすいすい(5歳児クラス)のある男の子が仲裁に入ってくれました。

 

対人知性に富んだやりとりが展開され、思わず感動し、また、その様子を見守って下さっていた我らが誇るベテランの先生の後日談にて笑わせていただいた(笑)エピソードの続編です。

 

赤い服の子(以下 赤井くん)赤井くん「もーヤダー!」

赤い服の子(以下 赤井くん)赤井くん「もーヤダー!」

 

と、玩具の取り合いから起きたやりとりに対して、体全身でヤダを表現する赤井くんです。

 

ピンクの服の子が涙を拭いてあげようとティッシュを持ってきてくれました。

ピンクの服の子が涙を拭いてあげようとティッシュを持ってきてくれました。

 

それすらペシっとやって、受け付けません。

 

そして、灰色の服の子(以下 GLAYくん)が口を開きます。

 

「赤井くんも怒るのも違うよ。勝手にとる黄緑くん(黄緑の服の子)も悪いよ。」

「赤井くんも怒るのも違うよ。勝手にとる黄緑くん(黄緑の服の子)も悪いよ。」

 

 

そして言葉は続きます。

 

「人のせいにしちゃだめだよ。」

「人のせいにしちゃだめだよ。」

 

赤井くんも黄緑くんも、争うことをやめ、聞く体勢に。

 

「人ががんばってつくったものを勝手にやっちゃだめだよ。」

 

「わいわいさん(3歳児クラスの名称)になったらそういうの本当ダメだから。」

 

「ちゃんと口で伝えて?」

 

すると、

 

黄緑くん「…かーしーて。」赤井くん「…いーいーよ。」

黄緑くん「…かーしーて。」赤井くん「…いーいーよ。」

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年12月24日『生命の本質』の中で生命平和運動家のファン・デグォン氏の活動に触れ、こう書かれています。

 

〝「生命の本質は平和である。」(中略)そこには、二つの原則があります。その一つは、「世界の平和を望むなら、自分がまず平和になろう」もう一つは、「暗闇を呪うより、1本のろうそくを灯そう」です。そして、その運動の最大の特徴は、「反対の拳を振り上げる代わりに、問題を前にしていったい何が生命同士の平和を保障する道なのか、共に悩み、考え、問題の現場に身を置き、自らに問う。反対ではなく、代案を示す。創造の力へとエネルギーを転換するのです。」

私は、やはりこれこそ現場人の原則であると思っています。今、保育の制度が変わろうとしています。それに対してただ反対の拳をあげるのではなく、そのエネルギーを創造の力へと転換させ、代案を示すことが必要だと思います。そして、実際にそれに沿って行動を始めることです。〟

 

ケンカをしている彼らに苛立つなどの無粋な感情を抱くこともなく、至って冷静に、解決へと導いたGLAYくんの手腕に驚きました。ただ反対の拳をあげる彼らに、わいわいさんになるんだ、という創造のエネルギーを添え、事態の収集をつけようと試みたのです。

 

また、『生命の本質』には、こうも書かれています。

〝私が提案する怒りを静める方法は、高い志を見つめることであると思っています。自分が目指している志にとって、当面の怒りはどのような意味があるのであろうかと考えることです。多くの怒りは、かえって志を遠ざけてしまう可能性があるような気がしています。それは、怒りへの対抗が、志を邪魔することが多いからです。〟

 

彼らにとって進級することが、〝高い志〟と似た気持ちであるとしたら。彼らは、GLAYくんの言葉を受けて、自身でその怒りを鎮めるに至った、と解釈もできるかもしれません。

 

異年齢保育の良さは口にすればキリがないですが、一つに〝憧れ〟の気持ちがあるとして、その憧れの対象である彼に言われる言葉というのは、とても心に響くものなのでしょう。

 

そして、『生命の本質』は、このような言葉で締めくくられています。

〝ファン・デグォン氏も、結局のところ人類学に戻ります。長い人類の歴史の中で、文明の歴史はたった1万年にもなりません。それは、人間の歴史の中でほんの一部に過ぎません。そこで、ファン氏は、文明以前の生き方に人間の原型を探りたいと思っています。そこにこそ、自然の生態系と見事に調和し、他の生き物たちと対等な共生関係にあった人間の姿を見ることができると言います。この世界には数えきれないほどの物や命がありますが、そのすべてが、一寸の狂いもなく、本来の場所に収まっている。それは、人知を超えた神の精妙なるデザインです。いるべき場所にいる。それは、この世の様々なものには、それぞれの役割があります。幸せとは、平和とは、自分がいるべき場所にいることだとファン氏は考えています。をれは、多様性を認め合うことと同じことかもしれません。「ない物ねだり」をせずに、「ある物探し」をすると同じことかもしれません。ある意味では、身分不相応なことを望むから心の平和を望めないのかもしれません。幸せになれないのかもしれません。まず、自分をよく知るということが大切かもしれません。〟

 

彼らの育ちを見守るためにGLAYくんがいて、その育ちを見守るために僕ら保育者がいます。その保育者を見守るために藤森先生がいて、と延々と続く温かみのあるこの螺旋は、〝人知を超えた神の精妙なるデザイン〟と言えるものであるようにも感じられます。

 

それぞれの役割を幸せな気持ちで全うできるような世の中になったら、この地球が天国になりますね。

 

では、何から始めよう。まず、自分が幸せになることから始めるべきなのかもしれない、ということを、強く感じたこの度の出来事でした。

 

さて、GLAYくんの見事な仲裁。このような解決法を身につけるに至った経緯を知りたい、という衝動に駆られました。後日談にて、報告させていただきます。

 

(報告者 加藤恭平)

君を見守るため そのために生まれてきたんです〜あきれることも そうさ そばにいればあります(笑)〜

先日、にこにこ組(2歳児クラス)の子ども達が、ケンカをしていると、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)のすいすい(5歳児クラス)のある男の子が仲裁に入ってくれました。

 

対人知性に富んだやりとりが展開され、思わず感動し、また、その様子を見守って下さっていた我らが誇るベテランの先生の後日談にて笑わせていただいた(笑)エピソードです。

 

手前赤い服の子(以下 赤井くん)その正面黄緑色の服の子(以下 黄緑くん)そして、机に手をかけた灰色の服の子(GLAYくん)がこの回の主役です。

手前赤い服の子(以下 赤井くん)その正面黄緑色の服の子(以下 黄緑くん)そして、机に手をかけた灰色の服の子(GLAYくん)がこの回の主役です。

 

赤井くんの前に磁石の玩具がたくさん並んでいますね。どうやら赤井くんが遊んでいたものを黄緑くんが何も言わずにとってしまった様子。「勝手にとらないで」と主張する赤井くんに対して、黄緑くんにも「全部赤井くんのはダメだよ。みんなの玩具だよ」という主張があるようで(笑)ぶつかっていました。

 

黄緑くん「優しく言って!」赤井くん「怒って言わないで!」

黄緑くん「優しく言って!」赤井くん「怒って言わないで!」

 

なぜか強気な黄緑くん(笑)言い方の問題になるとややこしくなりますね(笑)事の本質からずれたところでのケンカになると収拾がつかなくなるのは大人も同じかと思います(笑)

 

〝人の振り見て我が振り直せ〟とは本当にこのことだなぁと思うのですが、言い方ってとても大切なのだと思います。

 

あ!掴み合いに!

あ!掴み合いに!

 

でも止めません(笑)この二人なら多少こうなっても怪我にならないことは想像できますし、何よりGLAYくんが〝止めない〟という姿勢をとったので、それを見ていたいという衝動に駆られました。最終的に一度も手を出すことなく言葉でのやりとりのみで二人のケンカを仲裁するに至るGLAYくんなのですが、その基本姿勢を最後まで崩さない態度は、圧巻でした。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年2月8日『怒りのコントロール3』の中でこう書かれています。

〝子どもたちを見ると、(中略)けんかをすることによって、怒りをコントロールする力を学んでいる気がします。赤ちゃんは、よく、物をとられて大声で泣いて、とった相手に怒りをぶちまけます。そんな時に、子どもはその評価を冷静にすることはできませんが、意外と執着せずに、さっさと違うことに目を向けます。そして、怒りを持ち続けることはしません。大人と違って、次の楽しいことに取り掛かるのです。

また、3歳以上になると、私の園に設置されている「ピーステーブル」という場所にいって話し合いをしています。その話し合いをしている姿を見ると、まず、そこまで行くまでに頭を冷やし、断固した態度で相手と対決しています。しかし、普段の生活で、それほどストレスがないのか、簡単に解決し、仲よく一緒に戻っていきます。たまに、自分で自分の気持ちの整理ができないときには、仲裁する子がいます。こんな時に、変に大人が仲裁に入ると、怒りが増大してしまうことがよくあります。大人は、集結しようとその怒りの原因を聞きだそうとしますが、子どもたちは、腹の立つことを思い出すたびに怒りが少しずつ積み重なっていくばかりです。そして、最後には大人の権力を持って、集結させてしまうのです。子どものけんかは、けがのない限りは、放っておけばいいのです。〟

 

赤井くん「もーヤダー!」

赤井くん「もーヤダー!」

 

あ、やっぱり(笑)

 

さて、その様子をずっと見守っていたGLAYくんが、にわかに動き出します。

 

予想を超えた展開に、胸が熱くなる想いがしました。

 

続編にて、報告します。

 

(報告者 加藤恭平)

I wanna be with you now〜コップのdistance見つめて〜 完結編 補足

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年3月5日『他人を察する』を読むと、改めて感じることがあります。

 

〝人類は、どんな使命を持って生存しているのかを考えないといけないと思います。また、その生存戦略のために、どのような能力を乳児につけているのでしょうか?その能力の多くは、私が言うところのダークセンスなるものであるとしたら、その中の大きな役目を果たしているのが、一部社会脳の働きから解明されている力のような気がします。

現在、「対人知性」と呼ばれる知性が、生きていくうえで最も大切だと言われています。この能力は、他人との関係性を築く力ですが、いわゆるコミュニケーション能力と言われるような、人と人とが言語によって会話をするとか、自分の考えをきちんと主張するという力ではなく、他人を理解する能力をいいます。例えば、「この人の動機は何か」「あの人はどう動くだろうか」「皆と協調して動くにはどうすればいいのか」といったことを理解する能力なのです。〟

 

 〝すなわち、対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」と言われており、言葉によらない他人とのコミュニケーションであるともいえます。どうしても、言葉が話せるようになると、言葉で表現したもの、文字で表現したものから他人を理解しようとします。しかし、相手に対しての対応は、言葉では表さない心を理解する必要があるのです。ですから、私は、この対人知性は、まだ言葉を話すことができない乳児において、最も優れていると思うのです。〟

 

この度3回の報告を、僕は、人を思いやる気持ち(対人知性)と、〝ルールを守る〟などの、子どもが環境に働きかけようとする気持ちは、密接な関係がある、とまとめたいと思います。

 

そして、〝対人知性は、まだ言葉を話すことができない乳児において、最も優れていると思うのです。〟という藤森先生の言葉に代表されるように、〝子ども達はそもそもその力を持っている〟ということが大前提にあります。それを、新宿せいが保育園の職員は純粋に信じ、また、それを、日々の保育の中で、信じるに足るものと体感し、確固たる信念へと昇華していくのです。

 

かのイエス・キリストもその聖書の中で、〝子どもを育てることは、信じることと、許すこと〟という言葉を残しているそうです。

 

藤森先生の考え方に、とても通ずるものを感じます。

 

さて、先日、にこにこ組(2歳児クラス)の子ども達が、ケンカをしていると、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)のある男の子が仲裁に入ってくれました。

 

対人知性に富んだやりとりが展開され、思わず感動し、また、その様子を見守って下さっていた我らが誇るベテランの先生の後日談にて笑わせていただいた(笑)エピソードです。

 

次回、報告させていただきます。

 

(報告者 加藤恭平)

I wanna be with you now〜コップのdistance見つめて〜 完結編

さて、水を飲み終わった子ども達です。

きれいに並べて置かれています。

きれいに並べて置かれています。

上の写真、左側に写っている子も、もちろんここに。

上の写真、左側に写っている子も、もちろんここに。

さて最後に飲み終えたこの子。

さて最後に飲み終えたこの子。

この子はどうするのでしょう。

一回、淵に置いて〜、

一回、淵に置いて〜、

やっぱりここに置きます。

やっぱりここに置きます。

面白いですね〜(笑)

 

先日、『ちょっと変わった職員が考える『臥竜塾ブログ』のすすめ』というタイトルで報告をしました。その中で、11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年4月9日『ルールは誰が』を紹介しています。

 

その中で、このように書かれています。

 

〝意思決定の仕組みは、私たちのあらゆる行動選択に共通ですし、それが適切に行われないと、一歩も動くことはできないと藤井さんは言います。このようなフルーツを食べる順番を決めるのも、社会的意思決定を行うのも、意思決定のメカニズムという点で見るなら、基本的にあまり変わらないということであれば、社会のルールも、結局は各個人の脳がそれを支えることで作っていることに気がつくと言います。

 

つまり、私たちの行動に影響を与えるルールは、社会からトップダウン的に与えられるだけではなく、各個人がそれを受け入れ、咀嚼して脳内に取り込むことで成り立っていることになるというのです。これは、ルールというものが、社会というシステムとその構成要素である私たちの間に起きる相互作用によって維持、実行されているということを示しているのです。そう考えると、「ルールを守る」というのは、誰かから強制されて行う行為ではなく、自発的な行為となるのです。〟

 

コップを並べて置く子ども達の姿から、〝「ルールを守る」というのは、誰かから強制されて行う行為ではなく、自発的な行為となる〟ということが、とても理解できるように思います。

 

それだけでなく、前回報告させていただきましたように、〝これに近付いたらいけないよ〟というルールを、わざわざ線を引いたり、人が立っていたり、毎回声をかけたりしなくても、子ども達は守ることができるようになるのです。

近くで遊びはするのですが、見えない線があるかのように、ある一定のラインから先には行きません。

車の近くで遊びはするのですが、見えない線があるかのように、ある一定のラインから先には行きません。

この子達も同じような感じです。

この子達も同じような感じです。

先日、藤森先生が見学者の方から「給食中に子ども達が走らないのはなぜですか?」という質問を受けたということを教えてくださいました。その時に藤森先生はこう答えられたそうです。

 

「それは、子ども達に聞いてみて下さい。」

 

なんとも深みのあるお言葉で、実際に見学者の方が子どもに聞いたところ、首を傾げて〝わからない〟というポーズをしたとか。

 

僕は、その鍵の一つが、にこにこ組(2歳児クラス)で見られるこの姿の中にあるように感じています。

 

それは、対人知性というものが、対人(たいひと)だけでなく、物にも働き、ルールを守ろうとする心にも働くものだから、とは言えないでしょうか。

 

いや、むしろ、相互の関係です。つまり、人がルールを守ろうとしたり、給食中に例え走りたくなったとしても、走らないとする理性、ある欲求を我慢しようとする力、自制心、それらが、対人知性と共に高まっていく。むしろ対人知性というものも、心の働きの一つで、人が人として育っていくことで、実は当たり前に習得していく一過程のことを指すのかもしれません。

 

またそれを増長させる環境、〝給食中に走ることはおかしい〟ということが当たり前であるという環境が、子ども達の心に、理性や、モラル、耐性を育ませ、そして、対人知性を共に育てるのではないかと思います。

 

さらに、そんな子ども達の姿を見守る職員の心、職員の思考は、とてもシンプルです。アメリカ合衆国著作家であり成功哲学の祖としてあまりにも著名なナポレオン・ヒルもその著作のタイトルとして、この言葉を残しています。「思考は現実化する。」

 

簡単な言葉で表せば、職員は〝子ども達を信じています。〟

 

ルールを守る子ども達の像、イメージが、当たり前な程に職員の脳裏に、心に浸透しているのです。

 

行事〝成長展〟の今年度のテーマとして、対人知性がテーマに置かれた時からずっと、職員の心は、そこに向かっていました。子ども達の関わりを、今まで以上に無意識の中でも追うようになりました。「この子達は、人とどう関わっているのか」

 

ああしろ、こうしろ、という世界ではない世界で、子ども達を見守り、〝きっとこの子達ならこう関わるだろうな〟という温かで柔らかな予測に基づいたような思考が、子ども達同士の柔らかで温かな関わりを生んでいる、ということは、全否定できるものではないと思います。

 

そして、その環境を織り成すその思考を、簡単に言えば、経験年数の高い方々が一番強く持たれています。

 

それが、後輩におりて、子ども達におりていく、といったイメージです。

 

締めとしては弱いのかもわかりませんが、言いたいことが言えてスッキリしました(笑)

 

とても個人的な見解に終始してしまって大変恐縮なのですが、この度の報告から、困っている保育園さんのお悩みを解決できるヒントが少しでもあれば、これ以上の幸せはありません。

 

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

 

(報告者 加藤恭平)

I wanna be with you now〜コップのdistance見つめて〜

「喉、渇いたー。」「先生、水飲みたいー。」

 

「自分たちで飲んできてー。」ということで、にこにこ組(2歳児クラス)食事スペースで、自分たちで水道の水を汲んで飲む子ども達です。

緑色の服の子(以下 緑くん)が、水を出せずに困っています。

緑色の服の子(以下 緑くん)が、水を出せず(正確には出〝さ〟ず?笑)に困っています。

ここに至るまでに散々自分たちで蛇口をひねって手を洗ってきたはずなのですが(笑)今日は水を出せない気分のようです。その様子を見て、立ち上がって水の出し方を教える紫色の服の子です。

 

面白いことが起きそうな予感がしますね(笑)見守ってみることにしました。

「だからぁ、上を持ってね…、それでぇ…。」その場所から色々言葉で教えてくれるのですが、中々蛇口に手を伸ばそうとしない緑くん。

「だからぁ、上を持ってね…、それでぇ…。」その場所から色々言葉で教えてくれるのですが、中々蛇口を回せない様子の緑くん。

その様子を見て、黒い長袖の男の子が立ち上がります。

「こうやるんだよ。」

「こうやるんだよ。」

実際にやってあげていました。その様子を、僕と同じ気持ちで見守っていたのしょう、ボーダーの子の親指が立っていますね(笑)

「おー。」二人して、嬉しそうな声です。

「おー。」二人して、嬉しそうな声です。

「このくらいで。」二人でなんとなく量を決めて、水を止めていました。

「このくらいで。」二人でなんとなく量を決めて、水を止めていました。

みんなでかんぱーい!

みんなでかんぱーい!

 

気持ちを受け止めてもらえたこと、飲みたかったお水が飲めたこと。色んな嬉しさ、美味しさが緑くんの表情に表れていますね。

 

水を出すことをためらっていた緑くん。誰かに「水を出して」と直接頼んだわけではないのに、その彼の表情や行動を読み取って、声をかけたり、実際にやってあげたりする子ども達に、〝対人知性〟が育まれていることを改めて感じます。

 

ここで、もうお馴染みではありますが、初めて読まれる方に〝対人知性〟について紹介させていただきます。

  • 対人知性とは、他人を理解する能力をいう。この人の動機は何か、あの人はどう動くだろうか、皆と協調して動くにはどうすればいいのか、といったことを理解する能力である。
  • 対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」である

 

今年度も『成長展』という大きな行事が近付いてきています。子どもの成長をその子自身が、また、保護者と職員が楽しみながら感じ合うことのできる素晴らしい行事です。

そして、今年度の成長展のテーマはずばり〝対人知性〟。一年間、このテーマでブログを書けたことを、とても嬉しく思っています。

 

さて、実は、今回報告したいことは、この蛇口のやりとりの先、水を飲み終わった後の子ども達のとった行動にあります。

 

これも、考えてみれば、対人知性の一つではないかと思えるものでした。

 

続編にて、報告させていただきます。

 

(報告者 加藤恭平)

世界をかえさせておくれよ そしたら君とイスがしたいんです 完結編!!!

完結編です。

いいと思ったことは即実行。行動こそこの地球に生きる者の原理とでも言わんばかりの速さで、

塾頭が動きます。

「にこにこさん、すごいなぁー。」 何気なく、かつ、さりげないアプローチ!

「あぁー!にこにこさん、すごいなぁー!」
何気なく、かつ、さりげないアプローチ!(笑)

(どれどれ…?)

(どれどれ…?)視線を送る子ども達です。

「今からあの子がやるから見ててごらん。」

「今からあの子がやるから見ててごらん。」

「はい!イスを持ちまして〜!」

「はい!イスを持ちまして〜!」

「お手本ありがとー!」注目されてちょっぴり照れ臭そうな水色の服の子です。

「お手本ありがとー!」注目されてちょっぴり照れ臭そうな水色の服の子です。

そして、イス置き場まで置いていくその過程を子ども達と一緒に見守って下さっていました。

 

さて、いよいよ記念すべきわいらんすい(3・4・5歳児クラス)第一号のイスが置かれる時がやってきました。

おめでとうございまーす!

おめでとうございまーす!

一番最初に置きにきてくれたのは、わいわい組(3歳児クラス)の女の子(桃色の服を着ているので以下桃ちゃん)でした。しかし、そこでもドラマがあり、そのことを塾頭が教えてくれました。

 

「実は桃ちゃん、イスを忘れて、行こうとしたんだけど、その時にすいすい(5歳児クラス)の子が気付いてくれて、〝イス片付けるんだよ〟って教えてあげてたんだ。」

 

「だから、記念すべき最初のイスはすいすいが気付いてくれたイスってこと。」

 

なんだか、感動してしまいます。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2010年3月11日『協働』はこのような文章で締めくくられています。

 

〝フィンランドの子供は、競争で人に勝つといったことに余計なエネルギーを使いません。「3か月前と比べてここは伸びてきた」「ここは持ち味だから頑張ろう」「ここは苦手だけど先生が応援してくれるから頑張ろう」。それぞれが自分の人生を豊かにするために学んでいるのです。(中略)

フィンランドの子どもたちは、失敗しても、その子を責めることはせず、つまずいても失敗しても、それが人間の生きる姿だとおおらかに認めながら、人と人が頭を寄せ合って事を解決していきます。日本では、今、学力レベルは低く、いじめ、不登校も多いなかで根本的な改革が求められています。〟

 

イスを片付けることを忘れたって構わないんです。それは気付いた人がやればいいこと。人間は完璧ではありません。だからこそ手を取り合って、教え合って、学び合うのですね。

 

知っていることを惜しみなく優しく教えてあげられる子ども達の姿に、また、その姿を楽しく温かく見守る職員の姿に、これからの日本の教育の在り方が見えてくるような気がします。

 

そして、

イスがまた一つ。

イスがまた一つ。

「ちょっと待ってな。」

「ちょっと待ってな。」

(よいしょ。よいしょ。)

(よいしょ。よいしょ。)

「片付けてくれて、ありがとう。」

「片付けてくれて、ありがとう。」

ベンチを動かして、子ども達が運びやすいように環境を設定する塾頭の何気ない、さりげない優しさ、かける言葉の温かさに、こうして僕らは魅了されてしまうのです。

 

(環境マイスター:塾頭山下祐 報告者:加藤恭平)

世界をかえさせておくれよ そしたら君とイスがしたいんです

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2010年3月11日『協働』の中でこう書かれています。

 

〝最近、私は人の遺伝子は社会を形成するために様々なものが組み込まれている気がしています。それは、現在、人間が持っている特性を見ても、集団を形成することに適しています。そして、その集団は、競うためにあるのではなく、共生し、協力するために必要だったはずです。(中略)

もう一度、それぞれの役割の中で、協力したり、協働していく社会をつくらないといけない気がします。(中略)

フィンランドでは、子供と親が、子供と教師が、そして子供たち同士が対話し、「ともに学び合う」ことをとても大切にしているそうです。〟

 

〝協働〟。そして〝ともに学び合う〟という感覚に、新宿せいが保育園の職員の心は常に満ちているのだなぁということを改めて感じた出来事があったので、報告させていただきます。

「にこにこ組(2歳児クラス 以下にこにこ)さんはすごいなー。」

「にこにこ(2歳児クラス 以下にこにこ)さんはすごいなー。」

「お!にこにこさんは、本当にすごいなー。」

「お!にこにこさんは、本当にすごいなー。」

 

おもむろに動画を撮り始める塾頭山下先生です。やたらと褒めてくれているなぁとは思ったのですが(笑)次の瞬間、

「よし!にこにこさんから下克上始めよう!!!」

力強い言葉が放たれました!(笑)

にこにこでは、給食後、椅子を自分たちで片付けます。その方がその後の掃除もしやすく、子ども達も何だか楽しいようで、器用に運ぶのです。

以前、『給食の楽しみ その中から育まれていくもの』というタイトルで報告を書きましたが、この椅子を片付けることも子ども達の給食後の楽しみの一つになっています。

昨年10月初旬の写真です。この頃に始めました。

昨年10月初旬の写真です。この頃に始めました。

器用に自分たちで積んでいくものですね。

器用に自分たちで積んでいくものですね。

椅子の数は4個まで。それ以上積むと崩れてしまいます。

子ども達は「いーち、にー、…。」と自分たちで数えながら、また、数えられない子は、気の利く友だちが横から数えてくれたりして、うまいこと4つ重ねて置いていきます。

その成果を塾頭は褒めていてくれたのですね。そして、わいらんすい(3・4・5歳児クラスの総称 以下わらす)の先生のところへ行ってこんなやりとりをしていました。

「にこにこがすごいんですよ!僕ね、正直椅子片付けるの面倒だと思ってたんですよ(笑)」

「にこにこがすごいんですよ!僕ね、正直椅子片付けるの面倒だと思ってたんですよ(笑)」

 

そうなのです!この椅子を片付けるという取り組み。わらすでは、職員がやっていたことだったのです!

僕らにこにこ組の職員も、にこにこのみんなに〝椅子を片付けてもらおう〟と提案しつつも、〝わらすになったらやらないことだしなぁ〜〟と思いながらやっていたことだったので、何だか衝撃でした(笑)考えてみれば、大人がやらずとも、子ども達で出来ることですね。

「なんでもっと早く気付かなかったんだろうね〜!(笑)」「本当すね〜!(笑)」

「なんでもっと早く気付かなかったんだろうね〜!(笑)」「本当すね〜!(笑)」

考え方によっては流れるように過ぎていく毎日の中で、ふと足を止めてみる。塾頭が気付いた発見が、わらすの子ども達にとっても、職員にとっても小さくて大きな変革へと繋がった瞬間を目の当たりにした思いがしました。

そして、この姿こそ、〝協働〟の本質であり、〝ともに学び合う〟こと、そのものの姿であるように思います。

年齢や、立場など関係なく、いいと思ったものをすかさず取り入れていく。それが生活を豊かにし、環境を豊かにしていく秘訣のようにも感じられます。

にこにこ組(2歳児クラス)から始まったことが、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)へと伝わりました。このことを塾頭は下克上と表現されたわけです(笑)

そして、その日から早速〝椅子を片付ける〟ことがわらすにも導入されていきます。

この度の報告、もう少しだけ続きがあります。

次回、完結編です。

(報告者 加藤恭平)

ドイツの「待つ」楽しみ

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写真のお菓子を知っていますか?これはドイツの菓子パン「シュトーレン」です。

生地にはドライフルールをたくさん練りこんであり、表面には砂糖がまぶしてあります。

その砂糖もラム酒に漬け込むなど、少し大人の味わいがあります。

 

私はこのお菓子を塾長から教えていただきました。

確かま2~3年目の時だったと思います。

知り合いの先生から、この時期になると頂くそうです。

今でこそ、美味しく食べることができますが、当時の私はまだ味覚が未発達だったため(笑)

シュトーレンの美味しさに気づくことができませんでした。

 

ドイツではシュトーレンを1センチずつ切り取って、少しずつ食べてクリスマスが来るのを楽しみに待つそうです。

ドライフルールやラム酒の香りが日に日に生地に馴染んでいき、それも楽しみの一つだったようです。

 

アドベントカレンダーのように見て楽しむだけでなく、食べ物でもクリスマスを来るのを待つ方法もあるのですね。

日本で言うと・・・「漬物」ですかね?

よく保育園でもぬか漬けや沢庵を作ります。

去年も大量の大根を仕入れて、昔ながらのように、縄で大根をしばり、保育園のベランダに干しました。

今年も年明けにやりたいですね。

 

今年も残りわずかとなりました。

残された時間で、もう少し今年の自分を振り返ってみようと思います。(報告者 山下祐)

おめでとう 今月生まれのあなたの為におめでとう♪

先日、皆が大好きな我らが誇るベテランの先生(以下 大先生)のお誕生日がありました。

いつもはケーキでお祝いする職員のお誕生日ですが、昨年から引き続いて、大先生の大好きなハンバーガーでお祝いをしました。

 

この日、運良く大先生は職員室で係りのお仕事中。午睡中の時間を使っていざ準備開始!クラスの先生にハンバーガーの買い出しに行っていただき、残った職員でその日の連絡帳、装飾の準備、と分担をしました。この辺りのチームプレーは、さすが見守る保育で培われた〝チーム保育〟のチーム感、そのものだと思います。

 

生臥竜塾セミナーにて、ドイツのおもてなしを模したテーブルがとても素敵だったので、真似てみようとチャレンジ。すると、

 

「そんなに面白いことやるなら、早く言ってよ(笑)」

 

と、塾頭山下先生が装飾をしてくれることに!感謝です!!!

そして、このセンス!

そして、このセンス!

そして、このセンス!短い時間で、どんどん仕上がっていきます。

さらに、このセンス!短い時間で、どんどん仕上がっていきます。

西村先生も駆け付けてくれました。

西村先生も花を添えてくれます。

見事完成!素晴らしい仕上がり!!!

見事完成!素晴らしい仕上がり!!!

そして、ハンバーガーが盛り付けられました。(奥にいるのは実習生さんです。真剣に日誌を書かれています。)

そして、ハンバーガーが盛り付けられました。(奥にいるのは実習生さんです。真剣に日誌を書かれています。)

 

西村先生に協力してもらい、いよいよ大先生を呼んできてもらうことに。

僕らは、おままごとゾーン、ロフトにそれぞれ隠れて、大先生が来るのを待ちます。

「にこにこの部屋にクラスの先生が誰もいません。」

西村先生の誘いが上手すぎて(笑)慌てた様子で階段を駆け上がってこられました。

「本当だ誰もいない…え、なんで…あ!すごい!だましたな!(笑)」

と最高のリアクションで答えて下さいました(笑)

誕生日の歌を歌って、僕らも登場。

喜んでもらえて本当によかったです。

喜んでもらえて本当によかったです。

恒例の記念撮影!

恒例の記念撮影!

そして、実食!

毎日がんばっておられる実習生さんにも幸せのお裾わけ♪

毎日がんばっておられる実習生さんにも幸せのお裾わけ♪

 

皆で美味しくいただきました。

各クラス共に、それぞれの誕生日のお祝いを、こうして楽しくやっています。

 

見守る保育の織りなす〝チーム保育〟に必要不可欠な結束力、そして日々のコミニュケーションをより楽しいものに、より円滑なものにと育んでいく、大切なイベントだと思っています。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新しています『臥竜塾』ブログ2013年4月12日『組織のEQ』の中で、こう投げ掛けられています。

〝その会社は社会奉仕と教育を社訓としていたにもかかわらず、社長は目の前の利益にしか関心がなかった。ライバル社がほとんどなかったので、社長は多少質を下げても顧客を失う心配はないと考えていた。さらに、この社長は社員の福利厚生を軽視する態度を隠そうともしなかった。「どんどん雇って使い捨てればいい」というのが決まり文句だった。もっと悪いことに、この社長は他者を尊重する気持ちのかけらもない男だった。ある日、若い社員が社長を含む数人に、「今日は私のバースデーなの」と言ってケーキを配った。みんなは笑顔で「おめでとう」と声をかけたのに、この社長は近くにいたマネージャーに向かって大声で、「何だ、このバカ騒ぎは。君は部下をまともに働かせることもできないのか」と言った。そして、ケーキを配った社員の方へ向き直り、彼女を頭のてっぺんから足の先まで眺めて、「おまえも、こんなカロリーの高いケーキを食べてる場合じゃないだろう」と言ったのだ。

 

こんな組織はどうなっていくのでしょうか?〟

その答えを、2010年4月1日『遊び心』の中に見つけることができるように思います。

〝ある人から、私の園の質の高さは、「遊び心」にあると言われました。その理由のひとつに男性職員が多いことがある気がします。男性は、いつまでも赤ちゃんのようなところがありますが、それは、私の園の男性にそういう人が多いのかもしれません。しかし、その発想を「馬鹿みたい!」と言わないで、一緒に遊び心に乗ってしまう女性の職員がいるからということも理由でしょう。しかし、その遊び心は、もしかしたら最近の日本の特徴なのかもしれませんし、その心が日本を救うかもしれません。〟

 

皆で大好きな先生の誕生日をお祝いすることは、ひいては日本を救うことになります。そういう思いで、1年に1度のそれぞれの大切な日を、皆で楽しんでいます。

午睡明け、子ども達が起きてきました。お皿以外はそのままにして、どんな反応をするか見てみることに。

(触っていいものなのかな…チョン)

(触っていいものなのかな…チョン)

(チョン)(チョン)

(チョン)(チョン)

「これね、触っちゃいけないやつなんだよ。」(さっき触ってた本人が笑)

「これね、触っちゃいけないやつなんだよ。」(さっき触ってた本人が笑)

(わかっちゃいるけど…チョン)

(わかっちゃいるけど…チョン)

 

興味津々の様子ですね。そんな子ども達を見ていたら、いいことを思いつきました。

新宿せいが保育園では、17時までを通常番として、それ以降を遅番やにこにこ番(にこにこ組の担任だけでなく、各クラスからも職員が入ってくる体制となり、18時頃までにこにこの部屋で過ごします)、などの体制を組んで、保育にあたっています。

そのにこにこ番の時間で、大先生の為に皆でプレゼントをつくろう!と提案をしてみました。

塾頭山下先生をお手本に、見様見真似で環境を設定。

塾頭山下先生をお手本に、見様見真似で環境を設定。

製作開始!粘土でプレゼントを作ります。

製作開始!粘土でプレゼントを作ります。

「これお団子—!」

「これお団子—!」

「お団子ー!」プレゼントの8割はお団子と蛇!

「お団子ー!」プレゼントの8割はお団子とヘビ!

「これ車のハンドルー!」プレゼントにハンドルはハイセンス!

「これ車のハンドルー!」プレゼントにハンドルはハイセンス!

「これハンバーガー♪」メガ!

「これハンバーガー♪」メガ!

たくさんできたところで、この日一緒に保育にあたっていた職員に大先生を呼んできてもらうことに。

「大変です。クラスにきてください。」

またまた誘い方が上手すぎて(笑)慌てた様子で階段を駆け上がってきてくれました。

「たはは(笑)嬉しいー!ありがとー!でもこの誘い方はもうやめて(笑)」

「たはは(笑)嬉しいー!ありがとー!でもこの誘い方はもうやめて(笑)」

「食べてもいいの?」「いいよー!」

「食べてもいいの?」「いいよー!」

「あむあむあむあむ。美味しー!」

「あむあむあむあむ。美味しー!」

 

子ども達も大喜びで、その後、皆で藤森先生作詞・作曲のお誕生日の歌を歌ってお祝いしました。

祝っても祝い足りない程の御恩を大先生に誰もが感じています。子ども達もまた然りで、日々を重ねれば重ねるほど魅力的になり、皆から慕われて、喜ばれるような、大先生のような存在になりたいと心から思います。

大先生、本当におめでとうございます。この1年も、素晴らしい1年になりますように!!!

 

(テーブルデザイン:塾頭山下祐 西村宗玲 報告者:加藤恭平)