雰囲気3

茶室での報告が続きます。

茶室で食べ始めたある日、ある女の子がおかわりをするために茶室を出て、おかずをおかわり当番の先生にもらいに行きました。その際におかわり当番の先生はその女の子に、「茶室で食べるのはどう?」と聞いたそうです。

するとその女の子がこう答えたそうです。「なんか落ち着く」と答えたそうです。

 

これはまさにその雰囲気をしっかりと感じとっているということだと思います。

ほかにも最近こんな感想が子どもから出ました。

「静かだから、食べやすい」と言っている子もいました。

茶室の前にはこんなものが貼ってあります。

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少し反射して見えにくいですが…

この茶室という非日常空間に入ることにより上の写真にあるように不安や緊張の緩和、イライラを解消したりする効果があるようです。

子どもたちの発言にあるように落ち着くという言葉が出るということは、この空間があることによって子どもたちは何も言わずとも緊張や、イライラを解消したりしていることがわかります。

さらにいつもとは空間があることで違う落ち着きがそこには感じられます。気持ちは高ぶってはいるものの発する言葉はとても落ち着きがあり、しっかりと物事を考えて話しているような印象です。

そして自分の言いたいことをここではしっかりと主張し、お友だちや先生ともよく話ができます。話をすることで感じたのが、静かに心を解放し、自分を見つめ、自分の発散エネルギーを自分の中に取り戻す時間であるようにも感じました。

静かであることで、騒ぐ必要がないため、自分の言った発言をしっかりとみんなが聞いてくれることで満足感を得られ、イライラの解消にも繋がるのではないかとも思えます。

子どもたちと大事なお話がある時はこの空間を使っても良いのではないかとも思えます。

茶室の前にある掲示のような効果が目の前で感じられることはとても面白く、五感をフルに使えるお茶というのは非常に面白そうだと感じます。

そのお茶を以前、塾生の西村氏がお茶を習っているため、その先生をお呼びしてお泊り保育の際に本格的なお茶体験を子どもたちにしてもらいました。その報告はいつか…笑

そして、それぞれの先生が茶室で一緒に食べることでちょっとした気づきが2つありました。

1つ目は、正座です。

現代の子は椅子での生活が普通であるのか、すぐに姿勢が崩れてしまう子が多いということ。数名は最後まで正座でご飯を食べることができますが、まだ難しい様子。ただ現代は足が長い子が多いというのは正座という生活ではなく椅子に座る習慣がついていることがわかります。

ですのでこの茶室という空間はちょうど良く、日本の伝統を肌で感じ、正座という日本の文化を思う存分味わえる空間であるように思えます。

 

2つ目は、箸の持ち方です。

狭い空間では、それぞれの子をよく見ることができます。普段も見ていますがそれ以上にということです。笑

近いことで箸の持ち方など教えられる良い機会ともなります。以外と持ち方がわからない子が多いことに気付け、遊びの中に組み込んでいかなければいけないねという反省点も浮き彫りになったと言うことです。

ちょうどこの日は納豆炒めというおかずだったため一粒取れるかな?ということをやってみました。

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個々の発達がよく見れるという部分でもよい機会なのではないかとも感じます。茶室という空間があることで様々な発見が見られます。

これからもなにか発見があれば報告していきたいと思います。

(報告者 本多悠里)

雰囲気2

前回は茶室での雰囲気を感じ子どもたちの様子を少し紹介しました。

今回は茶室で食事をしながら少しの発見を紹介していきたいと思います。

私は初め、「茶室で食べる」ということだけが頭にあり他のことはあまり気にせずにいました。一回目の茶室でのご飯は、普段通りの食器でご飯をもらい、茶室へと持っていきました。

 

やはり、茶室という雰囲気からか、静かにご飯を食べ、その日は終わりました。

私はそれでも満足していたのですが、やはり新宿せいが保育園は違いました。

 

翌日からはなんと調理さん松花堂弁当の器に給食を盛りつけてくれるようになりました。一人一人の器があり、ちゃぶ台に並べられるとそこはまるでどこかの旅館のよう…雰囲気は俄然増していました。(笑)

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子どもたちの反応もとても良く、

「今日もあそこで食べられるの??」

と、かなり嬉しそうな表情を浮かべています。

 

そして、松花堂弁当の様子を見た先輩保育士がこんなことを提案してくれました。

「箸置きとかあったらいいね。あとお茶とか、汁物はこっちがトレーに乗せて持っていってあげたらいいよね。ほら、おもてなしの心よね。」

と…。

 

それを聞いた瞬間私は心の中で「さすがです…」と言っていました。

そんな心を私は忘れていたなと反省する気持ちと、これをすることで子どもたちが感じる雰囲気も増し、より良い経験になることから、さらにメリハリという言葉を意識してくれるのではないかと思えました。

 

ついに松花堂弁当を食べる時がきました。

新宿せいが保育園ではいつも給食は「いっぱい、ちょっと」と言って自分の好きな量を選ぶことができます。

しかし、松花堂弁当になると最初から盛りつけられています。最初は何も子どもたちに言わず食べ始めました。いつ食べられない…と訴えてくるかなと思って見ていると、そうは言わず、一生懸命食べている光景が目の前に広がっていました。

 

よく見てみるといつも少しにしている子が完食していました。これには驚いて、「よく食べられたね!」思わず声をかけました。

すると、にやりと表情だけの返事…笑

 

色んな意味も含まれているとは思いますが、この茶室という雰囲気に子どもたちは刺激を受け、食までも変化させてくれることに感動しました。

 

そのことを先輩保育士に伝えると、

「たまにはいいよね。どうしても食べられなかったら残してもいいし、先生がみんな食べる量把握してるから、無理しないでいいよって声かけられるしね。学校に行く練習にもなるよね。」

とお言葉を頂きました。

ごもっともです。

 

茶室で食べることで色々な発見があります。

さらに茶室で食べることで子どもたちから出たおもしろい言葉も生まれました。

その報告は次回にしたいと思います。

茶室でのご飯はローテーションで先生が代わる代わる食べていきますが。それぞれの先生方の発見も踏まえて報告できたらと思っています。

(報告者 本多 悠里)

雰囲気

今年度から新宿せいが保育園の3階にこんな扉が出来ました。

 

この茶色い扉の向こうには一体何があるのか子どもたちはいつも興味津々です。

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そう、この格式高い扉の向こうには茶室があります。この茶室はとても綺麗で畳のいい匂いがします。お茶をたてられるような道具、兜、掛け軸とあり雰囲気は保育園とは思えないとほどの空間となっています。

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そんな茶室でなんと年長の子たちだけでご飯を食べています。
いつも興味津々だったその扉の中に入り、ご飯を食べられることは子どもたちにとっては大きな喜びだったようです。
ただ、嬉しいだけでは食べられないのがこの茶室であります。笑
茶室は騒ぐ所ではなく、もちろん静かにしなければいけない空間です。まだまだ私も茶室に関しては知識が乏しいため、子どもたちには
「騒ぐ所ところではないので、騒ぎたい人は外で食べてね」と伝えています。
まず、そんなことを伝えて茶室にそーっと入って行きます。それだけでも子どもたちはこの茶室という雰囲気を感じ、顔はいつもよりニヤニヤしているものの、期待と好奇心を持ちつつ、いつもより落ち着いた気持ちでこの茶室に入っていきます。
そして、ちゃぶ台の横に着座するなり、ちゃぶ台に手を置き体重をかけ反対側のが浮き「ガタンッ‼︎」と大きな音…
バッ‼︎とみんなが振り返るとそのやってしまった男の子は、
「やってしまった…」
というような表情を浮かべています。
やはり、静かにする場所と伝えてはいますが、それ以上にこの茶室という雰囲気を肌で感じ、静かにしなければいけないという感覚というよりかは、体が自然と静かになっていくような体験をしてもらいたいと感じます。
それは塾長の言うメリハリへと繋がっていくことがわかります。1日をずーっとテンション高くいるのではなく、一時的に静かにする場所で落ち着いて過ごすことでメリハリがつくというイメージでしょうか。
そんな雰囲気があることで子どもたち普段味わうことのできない、経験をここでしているのではないかと思えます。
そして、いざ食事へ…
その食事を何度か繰り返すうちに新たな発見が生まれていきます。
その発見は次回に報告していきたいと思います。
(報告者 本多 悠里)

試行錯誤

最近はよく職員でゾーンの環境について話し合う機会が多くあります。

新しい環境を作るにあたり、難しく感じることも多くありますが、ワクワクする気持ちも多くあります。
ただ、アイディアがまだ乏しい私は様々な先生からアイディアを盗んでいこうと日々他の先生をたくさん見ています。笑
その中で気になる環境の作り方をしている先生を見かけました。
今年度から製作ゾーンが新しくなり、色鉛筆を置く場所であったり、ハサミを置く場所、素材を置く場所など、どこになにがあったら子どもたちにとって良いのかなど、基本的な部分から設定していくことをやっています。
もうだいぶ定着はしてきましたが、まだまだといったところです。
この基本的な部分を設定するのは実にワクワクします。初めから作れるということに私は楽しさを覚えています。
以前、細かいですが色鉛筆はどう置こうかとなど悩んでいました。あまりにも上手に色鉛筆が片付けられないことから子どもたちが「わかりにく環境にしてしまっているね」という考察にいたり、環境の見直しにかかります。
するとある日こんな光景が目に入ってきました。
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この写真はある先生がこれは「見やすい?」「これはどう?」と聞きながら環境を設定していました。
子どもも「これの方がいいんじゃない?」と素直にやりやすい方法を提案していました。
私たちが頭の中でこうしたらわかりやすいと考えたとしても実際に環境に働きかけるのは子どもたち自身であることは言うまでもありません。
その子どもたちにどんなことが良いか素直に聞いてみてから環境を設定することも大事なことなのかもしれないと思えました。
子どもの姿からどんな環境を設定していくかというのは基本的な部分で忘れてはいけないところです。最近その考えが薄れてきてしまっていたのは反省すべきところですが、改めて環境を設定することの大切さを身を持って体験しています。
子どもの姿から環境を計画していく、
Do See Planから子どもたちの環境を設定していく上で当たり前のことなのかもしれませんが、直接細かい部分まで一緒に考えてやる姿勢というのは私にとってはとても新しいものでした。
より細かい部分を一緒に考えることの方が合理的なのかもしれませんね。
その一緒に考えた環境はこれからの子どもの姿をまた考察し、どうしていくを考えることも楽しみの一つでもあります。
子どもたちの意見を上手く取り入れ、大人の良いと思うところを上手くすり合わせながら現在は試行錯誤を重ねながら環境を設定しています。
その試行錯誤からの発見というのはより良い環境を作るための階段であるように思いますのでどんどんそういった取り組みを重ねていき、行動に移していきたいと思える出来事でした。
(報告者 本多悠里)

「メリハリ」

前回の報告に続き新しい環境を紹介させていただきます。 「メリハリ」ということですが・・・。

メリハリと聞くと、どんな印象を持たれているでしょうか?? 私も子ども達と掃除をすると時に使う言葉ですが、 年長さんになると、どうしても小学校への移行を考えると思います。

私は担任をした事なんてもちろんないので、大きな事を言えませんが、 小学校に行くと時間割があり、それ通りに授業が進みます。

その合間に休み時間があり、トイレに行ったり、友達と話したり、遊んだり・・・と自由に過ごします。 しかし授業が始まると、勝手にトイレには行けないですし、大きな声で話すと先生に怒られます…。

という風に半日の学校生活の間に集中する時間、そうでない時間とはっきりと分かれているので、 少しづつメリハリを持って欲しいと思い、私なりに接しています。

 

ここまでは保育者としての関わり方ですが、今年の新しい取り組みとして、 環境から子ども達にメリハリを伝える事を実践してみようと計画しています。。。

 

その一つに報告から少しずつ出ていますが、和室の活用です。

和室の活用方法として計画しているのは、タイトルに書いたように「生活のメリハリ」です。

定員が増えることで子ども達のテンションも上がります。もちろん子どもは元気に生活するのが一番かもしれませんが、時には自分のエネルギーを体内に押し込める時間も必要だと塾長は言います。

そこで和室で給食を食べる事にしました。その場合、雰囲気も大切なので重箱のお弁当箱に給食を詰めて、そして卓袱台で食べます。

とは言っても最初は子ども達も新しい環境に嬉しくてワイワイ食べるでしょうね(笑)しかし、普段と雰囲気が違い、そして食器も違うとなると、子ども自身も少しずつ気づき始めてくれるのではないかな?と期待します。

 

さて話は変わりますが、先日その和室で「お茶会」を開催しました!

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塾長の娘さんが昔からお茶を習っていて、その腕前は人に指導できるほどとのこと…。

その娘さんが教わっていたお茶の先生とお弟子さんにお出でいただき、職員向けにお茶会をしてくれました! 実は数年前にも1度開催したことがあり、今回で2回目です。

もちろん、前回教わった作法は忘れていたので、一からご指導を、いただきました。

先生曰く、お茶の作法はまずは相手に敬意を表することが大切ですと言われました。そうすると自然と作法ができますと…。

確かに一つ一つの動作が理にかなっており、無駄な動きがありません。 だから難しいのかもしれませんね、ついお茶会というと変に緊張してしまい、それが無駄な動きをさせてしまっているのかもしれません。

保育も同じかもしれません。もちろん子どもの育ち、環境、関わりかた、見守る保育を実践する時に考える事がたくさんありますが、

逆に考えすぎると視野が狭くなり、本質が見えにくくなると思います。 そんな時は自然体になった、純粋に子どもの事を考えると見えてくるのではないでしょうか…。

最後はちょっと関係のない内容になってしまいましたね(笑)それでは失礼します。(報告者山下)

子ども同士の影響

子どもたちの影響力は保育者を越えるということを改めて最近経験することができました。

というのも、今私の働く園の1・2歳児のクラスで言葉のまだでない子どもがいました。今年度が始まった当初も話を聞くことは特に問題はなかったのですが、言葉は「ア~ア」や「ン、ン」といった喃語のような言葉でした。園にもなかなか慣れなかったのですが、先生の中で落ち着く先生を見つけてからは少しずつですが、保育室の中でその先生の近くで遊ぶなど少しずつ慣れてきました。そんな子なのですが、最近になって、一語文が少しずつ出てきました。保育士はなによりもそのことが嬉しく、今その子の様子を見ています。では、その子にとって、何が言葉を出すきっかけになったのでしょうか。

その子は家庭でも、言葉の練習をしても、あまりうまくいきません。単に言葉の遅れだとはいえ、それでも2才児で高月齢の子どもにとってはやはり遅いです。そこで言語療法士のかたからのアドバイスがありました。「一番良いのはお世話の好きな女の子がいると言葉が出てくるかもしれません」なるほど、それはあるかもしれない。そんなことを言われたからかどうなのか、今年度も終盤に入っていく12月になんとお世話をする子どもと遊んで居るではありませんか!!「おやおや」と見ていると、その女の子と一緒に遊んでいるうちに喃語の発声がとても力強くなってきます。もう少しだね。保育士の他の先生といっていると家庭から来るお便り帳には「初めてパパ、ママと聞きました」という内容が!それからは「保育者の名前が出てきました」というように少しずつですが、言葉の出てくることが多くなってきました。

まだまだ、保育園ではそれほど言葉を発していないのですが「嫌」や「パパ、ママ」など確実に単語は増えています。もちろん発達によって追いついてきたという見方はあるのでしょうが、安心する先生、慣れていた環境、そしてなにより子ども集団の中にいたからこそ、より言葉の発達が促進されたというのは間違いないことだと思います。大人はジェスチャーで察したりしますが、子ども同士ではそれだけでは伝わりきらないところもあったと思います。しかし、そうではなく、一番は声の出ない子にとって、発声している子どもの姿がモデルになったからではないかと思いました。考えてみるとその子は職員の膝の上にいながらも子どもたちの遊ぶ様子を観察していました。

言葉のでなかった子どもの変化はそれまで大人と関わりばかりだったのが、子ども同士に変わってきたその時に大きく変わりました。改めて子ども集団の大切さを感じるとても良い機会でした。藤森先生の講演の中で「ミラーニューロン」というものがありました。そこの記述にとても気になることが・・。「ミラーニューロンが言語の発達と言語の進化にとって極めて重要な脳細胞であるという仮説において信憑性を持たせることになるのです。」なるほど、もしかしたら、子どもたちのこの変化はミラーニューロンが大きく関わっている様子ですね。ブログ臥竜塾の中に「ミラーニューロンは、他人が受けている状況に共感する能力」とあります。そして、その能力は「非言語コミュニケーション」や、「模倣」はそのミラーニューロンのためにできるらしいです。たしかに子どもたちにとって、大人の模倣もモデルとしては必要でしょうが、やはり子ども同士の関わりというのは一番近いモデルであって、大人がモデルを示すより、より大きな影響を子どもに与えているというのを感じます。そして、それは遊びだけではなく、子どもたちの生活や発達にまで、大きく影響が起こることだということを改めて感じました。

(投稿者 邨橋智樹)

岩場

塾長のドイツ報告にもありましたが、ドイツの園庭はこんなようになっています。ゴツゴツとした岩は普通にあり、ここで子どもたちはいつも遊んでいるそうです。

ドイツの園庭

ドイツの保育園の園庭

こんなところでは怪我が絶えないのでは?と思う方も多いと思いますがドイツの保育園では2年間でばんそうこうすら出したことがないそうです。つまり怪我をしていないということです。
なぜ怪我がないのか。それは一斉保育ではなく、子どもの自主性を大切にしているからというところに行きつきます。
一斉保育にして、危険な物は排除して安全な環境にすることで子どもたちは自ら危険を回避する力がなくなってきているのではないかと思います。子どもはこういったところが大好きです。実際私が幼い頃は大人からしてみたら少々危険だなと思うところが格好の遊び場でした。
自らがその岩場を体験することで自分で危険を回避する力を育まなければ将来ちょっとした危険も回避することはできないでしょうね。
私の勤めている保育園の近くには自然豊かな公園があります。そこには石畳や石段があり、子どもが自らが危険を回避しなければいけない環境にあります。最近その公園の工事が進み新しい公園ができました。そこには毎日のように散歩に行き、子どもたちが遊んでいます。
そこにはドイツのような岩場ありました。
新しくできた岩場

新しくできた岩場

このような感じです。
この岩場で遊ぶのは子どもたちは大好きでよく遊んでいます。初めて行くところですし、注意して見ていましたが、子どもたちは一切怪我することなく遊んでいました。更に毎日のように行っていても怪我をする子はまだ出てきていません。すり傷すらまだない状況です。
以前から自ら危険を回避しなければいけない環境にあることで自然と身についていることがわかります。よく見ているとそんなに危ない遊びはしていない様子でした。自分が無理そうだなと思うようなことは自らが回避しているようにも見えました。
もちろん大人が見ているのも大事ですが、やはり1番大事なのは子ども自身が自らが危険を回避することが大切であることを改めて感じます。
これからも子どもたちの将来のために危険な物を排除しすぎないことを意識していこうと思う環境だと思えました。
(報告者 本多 悠里)

ビオトープ2

前回、ビオトープの話からドイツの自然環境に対する行政の取り組みを紹介しましたが、では、実際自然を大切にするということは教育現場の中ではどのように伝えられているのでしょうか。

 

最近、ビオトープを作るにあたり、幼稚園にあった塩瀬治氏の「ビオトープ みんなでつくる 知識編」という本を参考にしました。7年前の本なのですが、そこにドイツにおけるビオトープの考え方が書かれています。

まず、ドイツの環境教育のポイントですが、そこには7つの柱が書かれています。1.感覚体験の場であること。自然の授業の中で経験することが大切である。 2.自然の中で遊びながら学べる場であること。 3.aesthetic(エステーティッシ)であること。美的追求心があること。 4.環境利用の方法について学ぶ場である。森林や湖について学び、林業に農業について学ぶ。 5.自分がここで感じた自然を記録できる場であること。 6.森や湖などの自然がもつ精神的な意味について学ぶ場である。歴史の中でそれがどのように人間の文化や生活に関わってきたかを学ぶ場である。 7.科学的探究の場であること。

 

この7つのポイントが環境教育において重要視されています。これらの考えを見ていくととても印象的なのが、「感覚体験・経験」というものがとても重要になっているということです。そして、そこから「学ぶ」ということの考え方の違いです。ここでの「学ぶ」は「先生から教えられる」ものではなく、自分で経験し、体験し、探求・追求をもとに自ら感じ、学ぶということが見えてきます。「経験・体験する場」を作ることをいかに重要視しているのかが分かりますね。というのも、それも1920年頃から「学校は知識を詰め込むだけの機会のような場所ではなく、人間になるための教育の場である」という考えが広まり、各学校での取り組みが始まったそうです。

 

この本にはいくつかのドイツでの教育現場で行われている環境や取り組みが紹介されていました。そして、その紹介された中に私がドイツに行ったときにあった環境もありました。

 

図2

園庭環境にあったフィーリングロード

 

1つはフィーリングロードです。写真にもあるようにいろんな素材が地面にうまっている道です。ここではレンガから枯れ葉など様々な素材によってできた道を介添え者と共に体験者とあるく様子が紹介されています。こういった環境は普段使わない皮膚感覚が刺激されることで、いろんな体験をすることを目的としています。私がドイツに行ったときにはその考えを含め、いろんな足場を経験することの大切さも一緒に説明されていました。というのも最近の街は舗装され、固められた歩道が多く、不安定な足場というものが少なくなっています。だからこそ、いろんな足場を経験することで、自然とバランス感覚も一緒に養うことができると言っていました。とくにこのバランス感覚というものはドイツの遊具にとっても非常に重要視されている能力であるそうです。というのも、今年のGTサミットのあとにあった研修でドイツの遊具メーカーaibeの方がこう言っていました。「バランスを必要とする遊具は集中力を強化する。また、コースを作ることでバランスを取りながらどう渡るかを考えることは問題解決能力を養うことにもなる。」ということをバランスについて言っていました。バランスを取ることは非常に集中力を使います。体を使うということだけではなく、脳の活性化や考える力も一緒に養うということですね。また、そのときに藤森先生は「今の子どもたちは体が大きいのに運動量は低い。今の時代、特別な機能を上げるのではなく、やりたいスポーツで発揮できるような体のコントロール能力やバランス感覚を養うことが必要ですね。」と話していました。ただ、そとで走り回るだけが運動ではないのかもしれません。だからこそ、ドイツの保育園の環境は走り回るといった環境だけではなく、自然物が多い園庭環境なのだと思います。自然の中にはバランスを取らなければいけないような所は多いでしょうし、それだけで非常に優れたアスレチックですから、いろんな能力がつきます。少し話はズレてしまいましたが、こういたフィーリングロードはこれらの点を踏まえて、必ずといってもいいほど、多くの保育園や幼稚園が環境の中に取り入れていたのが印象的です。

図3

不安定な足場で遊ぶ 乳児

 

もう一つはハーブ園です。様々なハーブが育てられています。私が言ったときにもミントやレモンバームなどのものがありましたが、そこでは葉の臭いや花を楽しむことがあります。また、それらの臭いをお互い説明する活動などをするそうです。というのも臭いを説明するのは体験者の個人的体験によるものが多く、同じ植物の香りでもひとによって多様な反応が見られます。人が違う感じ方をもっていることを学び合うことも大切であり、表現することや他の意見を聞くことを活動の中で行うそうです。

 

図1

ドイツの園庭にあったハーブ園

そのほかには、野鳥の営巣や観察小屋。池をおくことで水生生物を観察するなど、さまざまなことが紹介されていました。そして、それらの環境は基本的には「五感」をつかうことを目的にされています。今まで保育園でこれほどまで、園庭の環境に意図をのせていたかなとドイツの環境を見ながら考えていました。

 

もちろんここで紹介されていることの多くは小学校が対象で書かれていることが多いです。しかし、これらの環境は実際には幼稚園や保育園でも設備されているところがありました。そこには「体験や経験」が中心となる考えとしてあるからそういった環境が作られているのだと思います。まさに「環境を通して」ですね。

 

「自然」を保育の中に取り入れるにはどうしたらいいのか。体験や経験する環境をもっと作りたいと思うのですが、どういった視点で考えていけばいいのかを考えるいい機会になります。

 

(投稿者 邨橋智樹)

ビオトープ

私の今いる園には「亀池」なるものがあります。以前はミドリガメ2匹とクサガメ1匹、あとアカミミガメが1匹いました。しかし、その亀池ですが、もう子どもたちは池にはまることがあったり、ミドリガメやアカミミガメが子どもたちの指を噛んだりで、なかなかな問題のある池になっていました。そこで、何か対策を打とうということになり、「亀池をビオトープにプロジェクト」を立ち上げました。

 

そこで、そもそもビオトープとは何だということになりました。始め私はビオトープといえばため池のことかと思ったのですが、ビオトープとはドイツ語で「生物が生きていく空間、住み場所」という意味です。つまり、一般的に考える「ため池」だけではなく、生物が自然に生きていく空間であればそれはビオトープになるのです。また、難しく言うと「周辺地域から明確に区分できる性質を持った生息環境の地理的最小単位」であるそうです。小さい生態系の縮図を作るということですね。以前、ドイツに保育研修に行ったときにもどの園においてもこのビオトープが置かれていました。というのも、そこでは子どもたちが生物や自然を感じることができ、その中で起きる生態系を自然と勉強・研究するために置かれているという話でした。

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ドイツのビオトープ

図1

ドイツのビオトープ

ドイツはヨーロッパの中でもとりわけ自然保護に力を入れている国です。ビオトープという考え方もドイツから出てきたものです。そして、自然保護のためにつくった法律が1976年に制定された連邦自然保護法です。そこでは「自然そのものの存在価値と、人間の存在基盤やレクリエーションの前提という観点から、自然と景観の保護と発展」が第一条で述べられています。そして、具体的には、生態系の再生機能の維持と発展、自然の公益機能と自然と景観の多様性などの長期的保護を載せています。2002年4月4日の改正では、目的に将来世代への責務が追記され、生物多様性の確保や、レクリエーションにおける経済性と自然保護との関係の定義、またその調和が強調されている。更に、自然・環境にやさしい農業の促進、市民や環境保護団体などの参加権の充実、(各州が土地の10%を提供する義務を負う)ビオトープ結合システムの保全、電線における鳥類の感電防止、国立公園と保護区域における発展の可能性、風景計画における自然保護の強化などを規定していました。とりわけ「将来世代への責務」というのが今とてもかんがえられているそうです。

また、この自然保護法では、開発とは自然を作り替えて、人工物となった時点で終わりではなく、もう一度自然にできる限り近づけるために最大限の努力をして終わらなければならないものだとされているそうです。そして、ドイツではこの法律のもと、企業や政治、市民が一体となり自然保護に取り組んでいるのだそうです。だからこそ、見学に行ったとき、町の中には森が多く残っており、森の幼稚園やビオトープがドイツの保育園や幼稚園などの教育機関でも多く環境にあったのだと思います。

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森の幼稚園

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ドイツの園庭

 

そして、この法律には「生物の多様性の保全」や「ビオトープ」の概念も記されています。1つ目は絶滅のおそれのある生物はもちろん、ごく身近に自然に生息している生物とその生態系の保護の目標。2つめはビオトープを郊外から市街地の中心まで、また、池・湖・河川・湿地・草原から森林まで、さまざまな方法でつなげる工夫をする。3つめは現在の生物のビオトープの保護だけではなく、より多くの生物が住めるようになるための整備。開発事業の際にも自然の復元と創造に取り組む。と3つの概念を通して自然保護を進めていくように考えられています。

 

また、多様性の保全においては生態系を守ることと美しい景色を守ることが概念化されており、生態系を守ることは自然保護地域を作り、人の立ち入りを制限することでもともとの生態系を壊さないように配慮をしたり、開発が制限されることが行われています。美しい景観を守ることは連邦自然保護法の中にもあるように釣りなどのレクリエーションの利用に繋がります。景観保護地域ではレクリエーションの利用が許可されています。そして、生態系の価値が高まると自然保護地域に変更されることがある地域のことが景観保護にあたるそうです。こういった取り組みは森や郊外だけでなく、市街地においてもとても整理されています。ドイツの町中を見ていてもとても多くの自然が残されていたり、町の中にもたくさんあったりすんですね。

 

ドイツの自然環境の考え方はとても勉強になります。自然に対する姿勢などは見習っていくことも多いのは事実です。また、今の子どもたちにおいて、自然環境はどういった影響があるのかを改めて考える良い機会になるので、もう一度自分なりに整理していこうと思います。

(投稿者 邨橋智樹)

ボードゲーム

最近、私のいる保育園で、そろそろ、ゲームゾーンを変えていきたいという話が出ています。私の園ではそのゾーンを「ゲーム・パズル」として使っているのですが、結局の所、昔からある知育のおもちゃがあり、それらはどうも一人で遊ぶことが多くなっています。「ロンディ」という丸い形のものをつなげて遊ぶおもちゃが人気なのですが、できたものを戦わせることや剣を作って戦うこともしばしば・・・。ちょっと落ち着いて遊ぶという目的からもずれてきました。そこでボードゲームを進めました。そこには「待つ」という活動もありますし、「ルール」も守って遊ばなければ面白くありません。もともと、私の園にもいくつかはあるのですが、あまり使われていません。これからは少しずつ出していこうかという話になっています。

 

そもそもボードゲームはとても歴史が古いものです。日本に昔からあるボードゲームといえば双六や将棋がすぐに出てきます。しかし、ボードゲームの起源はとても古く遡ると紀元前3500年のエジプト王朝の古墳から出てきた「セネト」や紀元前2600年の古代トルコのウル王朝の遺跡から出土した「LOYAL Game of Ur」が最古のボードゲームだと言います。どちらとも「競争型のボードゲーム」であり、いわば双六と同じようにサイコロを投げて、自分のコマを進めていくことでゲームを進めていくのです。しかも面白いのはどちらも自分が1つのコマをもつのではなく、セネトは7つの、「LOYAL Game of Ur」では4~5つのコマと複数のコマを使って行うということです。1つのコマを使って遊ぶということは江戸時代など意外と最近になってからだそうです。コマを進めることはサイコロを使用しましたが、この時期は6面体のサイコロではなく、三角形の4面体や投げ棒といった棒の裏表を使ったサイコロを使用していたそうです。また、「セネト」に関しては、多くはエジプトの王様の墓から出土されたもので、あのツタンカーメンの墓からも出土しました。というのも、セネトは死者の旅のための護符として使われ、ゲームにおける運の要素と、エジプト人の決定論への信頼がその理由で、成功したプレイヤーは、国の神殿の偉大な神々、ラー、トート、しばしばオシリスらによって守られると信じられていた。このことは遺体と一緒に置かれた「死者の書」にもこの「セネト」の記述があるそうです。

女王ネフェルタリの墓の壁面に描かれているセネト

女王ネフェルタリの墓の壁面に描かれているセネト

 

アメンホテプ3世の墓から出土したセネト

アメンホテプ3世の墓から出土したセネト

「LOYAL Game of Ur」

「LOYAL Game of Ur」

日本における双六の記述は日本書紀の持統3年(689年)12月8日に「双六を禁止する」ということが初めての日本の歴史上での登場だといわれています。おそらく、シルクロードを通り中国から日本に伝来したのだと言われています。また、「双六」という名前も中国の「双陸」から来ているそうです。それにしても「双六を禁止する」って・・・。よほど、その頃の遊びで爆発的に流行ったということが分かりますね。いまでいう「テレビゲームは一時間だけ」という母親の口癖と同じように感じます。ただ、この時期双六を楽しんでいたのは裕福層がことをいうのか、それとも庶民的に双六が楽しまれていたのかはまだはっきりとはしていないそうです。しかし、聖武天皇の愛用品が正倉院の宝物庫から出てきたことなどを考えても、おそらく朝廷の裕福層が楽しみすぎて仕事をしなくなったのだと思います。これらの禁止令は後にも平安時代、鎌倉幕府時代、江戸時代にも出ていたそうです。そこには賭博の要素が盛り込まれることがあり、禁止することの理由は様々なのですが、それほど双六は長い間形は常に進化しながら親しまれたものだったのです。そのほかにも出産にまつわる宮中行事として盤双六を行う(単にさいころを振るのみの場合もあった)慣習があったことや、女性のいわゆる「嫁入り道具」の一つとして雙六盤(盤双六を遊ぶ盤)を持たせる慣習のある地域が江戸時代後期頃までは存在していたことがあったそうです。エジプトでは死者のために使われた「セネト」が日本では出産という場面で双六が使われたのはとても興味ぶかいですね。

 

また、日本における双六は「盤双六」と「絵双六」に枝分かれしました。「盤双六」は今で言う「バックギャモン」であり、「絵双六」が今の双六に分類されます。とくに「絵双六」は日本独自の発展を遂げたものであり、絵の中に双六を入れ込んだことでその時代の風刺やテーマを持たせたものは他の国のボードゲームにはない発展を遂げています。日本だけでなく、海外でもモノポリーなど、その進化は時代によっていろいろと国によって独自の進化をしていきます。

東海道中膝栗毛が描かれている絵双六

東海道中膝栗毛が描かれている絵双六

 

盤双六で遊んでいる様子

盤双六で遊んでいる様子

現在ではそのボードゲームの遊び方は双六のようなものに限らず、実にいろんな内容のあるボードゲームがたくさんあります。特に最近ではテレビでも紹介されましたが渋谷にある「ボードゲームカフェ」というものが流行っているそうで、ボードゲームの楽しさが改めて見直されてきています。そして、そこで紹介されていたボードゲームのほとんどはドイツのものでした。以前新宿せいが保育園で働いていたときにもカグヤの方々がドイツのボードゲームを紹介してくれました。ドイツのボードゲームにはゴールした人が勝つというものだけではなく、みんなで絵をつなげるものやみんなで猫からにげるものなど、「みんなで協力」して遊ぶものが多くあるのが魅力だそうです。また、ドイツのボードゲームの特徴は基本的には大人から子どもまで一緒に遊ぶことを中心に作られています。つまり、ファミリー指向になっている。だからか、年齢の設定はあるものの、ルールが分かるのであれば、どの年代の子どもから大人まで非常に幅広く遊べる内容になっています。また、双六のように運だけで行うゲームはほとんど無く、だからといって、将棋や囲碁などのように運を排除したゲームも少ない。そのため、初心者や子供でも勝つことができ、また、習熟することにより勝ちやすくなるという上達の要素もあるのが特徴である。造形も非常に良くできており、デザイナーも人気のある人が多く、売り上げに影響があるほど、その内容はレベルの高いものになっていることがほとんどらしいです。

 

カラスよりも果実を早く取るゲーム

カラスよりも果実を早く取るゲーム

猫からネズミが逃げるゲーム

猫からネズミが逃げるゲーム

 

確かに保育園にあったドイツのボードゲームもカラスに果実を取られる前にみんなで収穫するといったゲームでした。ゴールがあったものだとしても、一人だけでゴールするものではなく、複数がゴールできるようなものが多くあります。双六のように一人ゴールすることが楽しいということもあるのですが、それだけではなくみんなで協力して1つの目的を達する楽しさもゲームの要素としてあるというのを感じます。改めて「ゲーム」というものの考え方を考えてみる機会になりました。今回ボードゲームの話になったのも、この秋の夜長、家でテレビやテレビゲームだけでなく、ちょっとトランプとかしてみない?とゲームをすることがありました。その時、やはりこれらの電気を使わないゲームは会話や対話が多く生まれます。顔を見て行うゲームは改めて、コミュニケーションを取る1つのツールとして有効だなと思いました。子どもたちにとってはそれだけでなく、みんなで考えることや待つこと、戦略を立てること、いろんな要素があります。こういった環境を作ることをもう一度考えてみようと家で遊んでいて改めて思いました。

(投稿者 邨橋智樹)