先程からつくっていた〈テレビ塔〉に向けられる眼差し。
いや、写真右すいすい組(5歳児クラス)灰色の服の男の子(以下グレイ君)がむしろ、次なる展開にその眼差しを〈向けていた〉と表現した方が正確かもしれません。
その隣で行われていた遊びの中へと入っていくグレイ君です。
グレイ君「青いドミノはここにありますよー!」
手に持っているのはドミノがたくさん入った箱。
「ありがとう。」
グレイ君「レッド君 (写真左赤い服の男の子、以下レッド君)が欲しいのはあるかな(探してみている)、、」
レッド君「このやつ(手に持っているブロック)なんだけど。」
グレイ君「ちょっとお待ちくださいね〜。」
そんなようにして遊びの中へ入り、そして、その二人の遊びに必要なブロックを集め始めました。
そうして、にわかに豊かになっていく二人のブロック。
面白そうに思えたのでしょう、更にもう一人加わり、〈水族館〉を作る流れが加速していきました。
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年1月12日『触媒』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
〈発見科学を効果的に指導するには、教えるときに4つの役割が必要であると書かれてあります。1番目の役割は、「世話役としての役割」でした。2番目は、「触媒としての役割」としています。(中略)
ウィキペディアによると、触媒とは、「自発的に起こり得る反応の反応速度を増加させる」とあるように、自発的に学習しようとする子どもたちに対して、触媒としての教師は、相手の学習速度を高める存在になるということです。(中略)〉
触媒としての役割とする教師は、自分自身も普段から発見の喜びにあふれています。そのため、前向きで応援するような雰囲気を作り出すと言われています。〉
このグレイ君の役割は、〈触媒〉そのものではないでしょうか。
そして、最初の〈テレビ塔〉を振り返ると、確かにグレイ君は〈テレビ塔〉それ自体に殆ど手を加えていないことに気付きます。わいわい組(3歳児クラス)の子が作っていたその作品を〈テレビ塔〉と評価し、嬉しそうに遊ぶその姿を見守っていました。
すると、こんな考えが浮かんできました。
グレイ君は、チェック柄の男の子がテレビ塔の遊びの中に入りたいと思っている気持ちを察して、その仲立ちをしたのではないか。
〈テレビ塔〉を離れ、〈水族館〉に加わった過程を思い返すと、〈テレビ塔〉を中心にした二人の遊びが、しっかりとしたものになるまでを確認していたかのようにも考えられます。そして、その遊びが確立されるや否や次に自分が必要とされるであろう場所へ移っていった、こうも考えられるように思いました。
感動に湧く気持ちを抑えつつ、遊びがひと段落ついたところでグレイ君と二言三言言葉を交わし、その後に尋ねてみました。
「お友だちが喜んでくれるのが嬉しいの?」
照れた表情で頷くグレイ君に、見守る保育の育くむものの大きさを目の当たりにしたような思いがしました。
(報告者 加藤恭平)
ブロックゾーンにおける子ども集団。この度もまた興味深い姿がありました。
主役は写真中央の3人。
特に注目したいのはすいすい組(5歳児クラス)の男の子(灰色の洋服を着ているので以下グレイ君)です。
ボーダー柄の男の子(3歳児クラス、以下ボーダー君)が作っていたブロックに興味をもったグレイ君、そしてチェック柄の男の子(4歳児クラス、以下チェック君)がその遊びの中に入っていく様子がとても興味深いものでした。
グレイ君「これってテレビ塔だよねー?」
ボーダー君にとって〈テレビ塔〉という知識を持ち合わせていたかは微妙なところでしたが、何となく〈褒められている〉という感覚になったのか、はたまたその〈投げかけ〉に気をよくしたのか。「そうだよー。」と頷いて、グレイ君が遊びの中に入ってくることを受け入れていました。
そして、チェック君。彼は一味違いました。
チェック君「ココデス!ココニ置イテクダサイ!」
変な声でいきなり遊びの中に入り、しかもブロックの置き場所を指定するという多少強引とも思われるやり方で(笑)、ボーダー君はどう反応するだろうと見ていると、
ボーダー君「違うよ!」「そうじゃないよ!」
そこはやっぱり違ったようで、ボーダー君から止められていました(笑)
しかし次の瞬間、
チェック君「じゃここかな?ここならいいね。」
最初のボーダー君の拒否。それは、子ども集団の中では〈相手への否定〉ではなく、〈イメージの擦り合わせ〉なのだと思いました。それを踏まえた次なるチェック君のアプローチはボーダー君の心にしっかりフィットしたようで、一緒に遊ぶ流れが生まれます。
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年2月22日『世界共通』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
〈話し合いは、それぞれの持ち物を増やしてくれます。決して相手を打ち負かしたり、自分の考えに従わせようとねじ伏せたりするものではありません。お互いの意見を交換することで、相手の考え方を取り入れることです。〉
子どもたちは遊びの輪の中に飛び込む上で、「いーれーて。」「いーいーよ。」というようなやりとりだけではない、実に様々な方法を用いていることを感じます。そして、これこそ集団で遊ぶことの醍醐味ではないかと感じる、飛び込んだ後にこそ増える提案の量、会話の量、そして笑顔。
見ていて何とも嬉しくなりました。
しかし、興味深いのはここからでした。一緒に遊べる流れになり、嬉しい様子のチェック君。その様子をじっと見守るかのようにして、その場を去るグレイ君の姿がそこにありました。
まさか、と思い、グレイ君の様子を見続けていました。その結末は、ブロックゾーンがこんなにも豊かに展開されていく理由の一端を垣間見せるものでした。
(報告者 加藤恭平)
ブロックゾーンにおける子ども集団。この度も興味深い姿がありました。
写真左側の男の子(緑色の洋服なので以下ミドリ君)は、右側(黒い洋服なので以下クロ君)の背を向けいている男の子と遊びたい様子。
ビー玉の転がる舞台を創り出す遊び〈ビー玉コース〉作りに熱中しているらんらん組(4歳児クラス)の二人。
なぜなら、クロ君のつくった〈ビー玉コース〉は、
斬新な出来栄え。
ミドリ君はどのようにアプローチをするのでしょうか。これがとても興味深いものでした。
クロ君「あれ、どこあったかなぁ。」あるブロックを探していると、
ミドリ君「あ、ここにあるよー!」「僕のとこにあったよー!」
・相手の必要なものを一緒に探す
そして、自分の方に来てくれたクロ君に、
ミドリ君「クロ君のやつすごいね。」「どうやって作ったの?」「かっこいいねー!」
・褒める
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2014年2月2日『ムスビ』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
〈私たちは、社会を作り生存してきました。したがって教育基本法の中で、教育の目的に「人格形成」と「社会の形成者としての」資質を備えることが挙げられるのです。しかし、個人がそのように教育されても、その個人を結び付けていかなければ社会にはなりません。それを進めるために、日本では古代から「ムスビ」といった概念を作ってきた気がします。日本では、もともと神と言われるものは1神でもなく、絶対神でもなく、神による社会を形成していたのです。これは、ずっとブログに書いてきたことですが、その根底に「ムスビ」という概念を置き、いろいろなものが結びつけられていくことによって生きているのだということを伝えてきたのではないでしょうか。〉
自分と他者を結びつける力。そうして一緒に遊び始めた二人を見て、ここに社会を創り出す力を感じ、また、生きていく力を感じました。それが、遊びの中で、子ども集団の中で育まれているのですね。
(報告者 加藤恭平)
先日、行事『成長展』が終わりました。
今年度のわいらんすい(3・4・5歳児クラス)のテーマは〈子ども集団〉ということで、子どもたちは生活の中で、遊びの中で、どのように関わり合い、育み合っているのかに焦点を絞り、取り組みました。
その中で発見と、いくつもの感動がありました。今回はわいわい組(3歳児クラス)担任田村先生、すいすい組(5歳児クラス)山﨑先生からいただいた情報を基にしての報告です。
先ずはこちらの写真。
右に見えるは、この絵の製作者であるその子(すいすい組(5歳児クラス))の膝です。
舞台は2階ブロックゾーン。積み木やブロックを駆使して、何やら大きな作品に取り組んでいたところ、何かの拍子に崩れてしまいました。
崩れた作品を前に涙したのも束の間、その悲しみを拭うかのように3階へ行ってしまったその子。
数分後、写真の絵を持って降りてきます。
そう、それは〈設計図〉だったのです。
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2014年1月15日『個の積み木から』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
〈「個と集団は両立するか」という教育のテーマがありました。個と集団は、両立する、しないではなく、いい個がいい集団を作り、いい集団はいい個を作ります。それは、一人で何かをするよりも、集団で何かをする方がいいものが生まれるということです。それは、一人一人のいい作品がつながって、大きな素晴らしいものができるのです。そのために、他人と協力することを覚えます。これを子どもたちは積み木を作りながら学んでいくのです。〉
設計図を基に動き出す子どもたち。その姿は悲しみを乗り越えた同志を労わるかのようでもあり、また、その設計された作品の展望に心が駆られるかのようでもありました。
そして、作品の完成に意欲を燃やすその姿は、ブロックゾーンにおける子ども集団に何ともポジティブな作用を生み出すようです。その姿も田村先生は捉えて下さっていました。
憧れに近付きたい。眼差しの伝わる素晴らしい一枚だと思います。
『臥竜塾』ブログ2014年1月15日『個の積み木から』文末、このように書かれています。
〈作品のイメージが子どもにわいてこなかった時に、ドイツの子どもたちが作った作品の写真をそのゾーンの中に掲示しておきました。それに刺激を受け、その真似をして、すぐにそれを越えた作品を作ることになりました。これらの環境が、今は、異年齢の中で伝承されています。
これが子ども文化であり、人類としての学びをしていることになるのです。〉
このような出来事が毎日繰り返されていることに、改めて子ども集団の大切さを感じる思いがしました。
次回も、ブロックゾーンにおける子ども集団をテーマに報告をします。
(情報・写真提供:田村早百合先生 山﨑温子先生 報告:加藤恭平)
〝友だちの存在が、気をそらす対象になる〟
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年3月21日『ホットからクール』の中にこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
集団の持つ力。子ども集団の中で育まれていくものを垣間見たようなこの度の出来事について、報告します。
黄緑色の服の子は腕を組んで、悩ましい表情です。
この写真、一見3人の男の子達(3人ともすいすい組(5歳児クラス))が青い服の男の子(わいわい組(3歳児クラス)以下〝青くん〟)を問い詰めている写真のようにも見えますが(笑)
実はそうではありません。引きで撮ると、右下にもう一人。
ふてくされた様子で寝転んでいる青いボーダーの服の子はわいわい組(3歳児クラス以下〝ボーダーくん〟)の男の子。実は、泣いている青くんと口論になり、その仲裁にすいすい組(5歳児クラス)の子達が集まってきてくれた場面です。
この写真に至るまでに、ストーリーがあります。
青くんとボーダーくんはいつも仲良しの二人組。ブロックゾーンで二人で家をつくって遊んでいたところ、青くんの思うようにボーダーくんがブロックを組み立ててくれなかった為に、青くんが怒って泣き出してしまいました。
二人のこのようなやりとりはある意味では日常茶飯事(?笑)のようなもので、傍で見守っていました。この日は上手く二人で解決に至らない様子で、青くんの主張は理解できた為に、ではボーダーくんの気持ちは?と聞いてみることに。
ボーダーくんとしては「青くんはブロックが壊れる度に僕のせいにする。一緒に遊びたいけど、僕のせいにするからそれは嫌だ。」とのこと。
その旨を青くんに伝えてみました。ですが、話の途中で「嫌だ、もう遊びたくない。」となり、最後まで聞いてくれません。
その様子を通りがかりに見て、「どうしたの?」と来てくれたのが、最初の写真で腕を組む黄緑色の男の子(すいすい組(5歳児クラス)以下〝黄緑くん〟)でした。
そこで、黄緑くんに事のあらましを伝え、二人の仲裁に入ってほしいことを要請。承諾してくれ、青くんに話しかけに行ってくれました。
最初の内は僕が話しかけていた時と同じ反応を見せていた青くんですが、
その様子を見て1人、また1人と輪の中に増えるにつれ、態度が変わっていきました。
「ボーダーくんが遊んでくれない。ボーダーくんなんてもう嫌い。」と言っていた青くんでしたが、黄緑くんに「どうしたの?」「なんで?」と問われる内に、「だって…」と言葉に詰まるようになっていきました。
そして、次の瞬間、その輪を抜け、スタスタと歩いて行ってしまいました。
その様子を、少し横で見つめていたボーダーくんが追います。そして、すいすい組(5歳児クラス)の男の子達は、その後を追いません。もう役割を終えたことを本能的に察知したかのようです。
『臥竜塾』ブログ2016年3月21日『ホットからクール』の中には、こうも書かれています。
〝マシュマロ実験で、うまく先延ばしが出来る子どもは、魅力的なお菓子とベルから戦略的に気をそらす方法を思いつきました。それは、彼らが、様々な方法を使って自らを冷却することに成功したのです。彼らは、また、誘惑するもののクールで抽象的で、情報を提供してくれる側面に意識を集中し、想像力を働かせ、ホットな特徴を避けたり、変えたりして冷却しました。お菓子を手に入れるために待つのに、彼らが使った多種多様な認知的スキルは、ずっと後年、友だちと映画に出かける代わりにハイスクールの試験のために勉強したり、人生で彼らを待ち受けるほかの無数の待ったなしの誘惑に逆らったりするのに必要とされるスキルのプロトタイプであるとミシェルは考えています。
ここで、私は少し疑問を持ちます。多分それは、ミシェルによって、考察を進める中で解明されることでしょうが、現時点ではその説明に、実際の子どもたちを見ていて「そうかな?」と思うところがあります。それは、ホットな情動をクールにする方法として、気をそらすことが中心に語られていますが、コメントにもありましたが、私たち集団で子どもたちを保育している現場として、クールダウンするために、他の子どもの存在、子ども集団の力が影響することが大きいような気がします。(中略)
もし、マシュマロ実験の時に、部屋に同年齢の複数の子どもたちを残して立ち去ったときに、どのように子ども同士が影響し合って欲求を先延ばすかを知りたい気がします。また、もし、異年齢の子どもたちが部屋にいたときには、どのような行動を起こすかを知りたい気もします。これは、園で実験が出来るかもしれませんね。もしかしたら、友だちの存在が、気をそらす対象になるのかもしれませんし、励まし合うのかもしれませんし、競い合うこともあるかもしれません。一人の子どもの観察から得る結果よりも、より複雑な条件が絡み合うことでしょう。しかし、現実の社会では、きっとその方が多くの場面で起きることのような気がするのです。〟
二言三言、言葉を交わした青くんとボーダーくん。その声は聞き取れませんでしたが、互いに慰め合っているように見えました。
その数分後、
またブロックゾーンで楽しそうに遊び始める二人。
〝私たち集団で子どもたちを保育している現場として、クールダウンするために、他の子どもの存在、子ども集団の力が影響することが大きいような気がします。〟
最初に青くんに声をかけた時、今日に至るまでに築かれた大人との信頼関係がこの場面においては良い影響とならず、気持ちを切り替えるきっかけというよりも、むしろ助長させてしまったようにも思えます。ところが、すいすい組(5歳児クラス)の男の子達が介入してくれてからの青くんの態度というのは、藤森先生のブログに書かれていた通りのものではないでしょうか。
〝友だちの存在が、気をそらす対象になる〟
集団の持つ力。子ども集団の中で育まれていくものを垣間見たようなこの度の出来事でした。
(報告者 加藤恭平)
ほうきを手にした子ども達。この後どんな展開が待っているのでしょうか。
山下先生「とりあえず自由にやってみようか。」
なんとなく今までに見てきたすいすい組(5歳児クラス)の動きを見よう見まねでやってみているような感じに思えました。
ほうきの順番を待ちながら、その場を見守る子ども達。
早めにお迎えに来られた保護者の方の姿も見られますね。こういう形で日々の保育を見ていただけることも、とても大切なことだと思います。
山下先生「じゃちょっと交代してみよう。」
「はいどーぞ。」交代も思った以上にスムーズ!
何か特別な意識がらんらん組(4歳児クラス)の子ども達に芽生えつつあるようです。
ここで山下先生からの抜擢を受け、
ちりとりと小ぼうきの担当に。
熱心にやっていました。
食器を片付けることも忘れてその姿に見入るわいわい組(3歳児クラス)の子ども達(笑)
小さな伝承が、こんな場面の積み重ねの中にあるのかもしれません。
協力して、とても上手に集めていました。
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年9月20日『育児の見直し』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
〝日本では、乳児において特定な人をひとりの個人と読み替えて、いつも同じ人と接することが落ち着くとか、同じ年齢で過ごすことが落ち着くとか思っている保育関係者が多いのですが、それは、本当の意味で情緒が安定しているわけではなく、刺激をあまり与えないことで落ち着いているように思えるだけだと早く気がついてほしいと思います。ジャレド氏ら人類学者たちが、小規模社会を観察してみて、彼らが情緒的に安定しているのは、人と会話して過ごす時間が、私たちよりもはるかに多いということも理由の一つであるといいます。
私たちは、直接人と会話をするよりも、書籍などといった、外部から提供され、受け身で享受する形の娯楽で消費される時間が多いのです。さらに、ジャレド氏ら子育てについて、このように観察しています。「小規模社会では、は子どもたちが、幼いころから社会性を身につけていることは驚きに値する。彼らの性質や性格や人間性に感服し、自分の子どもにもそれを身につけさせたいものだと願う人は、現代社会にも多い。しかし、その実、われわれの言動がひいては子どもの成長発達の阻害につながっている。(中略)
育児は、学問で学ぶことではなく、経験からよいものが伝承され、残っていくものであると私は思っています。〟
「自由にやってみよう。」数少ない言葉がけでこれだけのことができるに至ったそのプロセスの中に、大人からのほうきやちりとりの使い方の指導があったかと言えば、なかったとは言えないでしょう。ただ、一つ言えるのは、日中の活動の中に例えば一斉活動のような時間を設け、子ども達に受け身となる体制を整えた上でほうき、ちりとりの指導をしたことは一度もありません。
わいわい組(3歳児クラス)の子ども達が手を止めてらんらん組(4歳児クラス)のやっていることに見入っているあの姿のように、きっとらんらん組(4歳児クラス)の子ども達もまた、すいすい組(5歳児クラス)の子ども達の姿を見て、自発的に学び取っていったものと思います。
〝育児は、学問で学ぶことではなく、経験からよいものが伝承され、残っていくものであると私は思っています。〟
本当にそうだと思いました。
さて箒を終えた子ども達。いよいよお待ちかねの、あの時間です!
(報告者 加藤恭平)
給食が終わると、おもむろにらんらん組(4歳児クラス)の子ども達が動き始めました。
山下先生「やりたい子だけでいいからね。」その都度声をかけられていましたが、全員参加の様子です。
「わいわい組(3歳児クラス)は早く上(午睡部屋)に行って!」とらんらん組(4歳児クラス)の女の子が言います。言葉の端々から気合い(?笑)が入っていることを感じます。
協力しながら。
2つ、3つと椅子を重ねて持とうとする辺り、好奇心と興奮と、半々といったところでしょうか。
「あんまり無理はしないように。」その都度丁寧に声をかける山下先生です。
いつもは子ども達(すいすい組(5歳児クラス))だけでやるテーブルにも、すっと入り、安全に行えるよう配慮します。
次は〝ほうき〟。
一連の流れを知っている子がいますね。次に何をするのかがわかる為、こうして自分のものを確保しようと先手を打とうとします(笑)
山下先生「ほうきを持ってない人—?」
子ども達「はーい…。」
山下先生「さて、どうしたらいいでしょうか。」
子ども達「終わったら貸す。」「順番に使う。」
山下先生「正解です。それともう一つ、椅子を運ぶ時もそうだったけど、これからほうき、雑巾と取り掛かる上で大切なことがあります。わかる人?」
「ケンカをしない」「仲良くやる」
どれも正解のような答えに頷きつつ、山下先生が口を開きます。
「あちらをご覧下さい。」
「にこにこ組(2歳児クラス)さんがもう寝ています。
「楽しいのはわかる。そして、近くで寝ている子達がいることをわかって、静かにやれるようになろうね。」
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年3月5日『他人を察する』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
〝「対人知性」と呼ばれる知性が、生きていくうえで最も大切だと言われています。この能力は、他人との関係性を築く力ですが、いわゆるコミュニケーション能力と言われるような、人と人とが言語によって会話をするとか、自分の考えをきちんと主張するという力ではなく、他人を理解する能力をいいます。(中略)
対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」と言われており、言葉によらない他人とのコミュニケーションであるともいえます。どうしても、言葉が話せるようになると、言葉で表現したもの、文字で表現したものから他人を理解しようとします。しかし、相手に対しての対応は、言葉では表さない心を理解する必要があるのです。〟
子ども達はこんな風にして、思いやりを学んでいくのですね。
さて、箒を手にした子ども達。この後どんな展開が待っているのでしょうか。
(報告者 加藤恭平)
一ヶ月程前のある日。
打ち合わせをしているのはすいすい組(5歳児クラス)の子ども達です。
この日は予てより楽しみにしてきた〝芋掘り〟の日!西武鉄道特急レッドアローに乗って〝埼玉いるま保育園〟を目指します。
ということは、、いよいよ彼らがデビューする日ですね!
臥竜塾生が更新しています当ブログ『生臥竜塾』2015年10月31日『伝承』というタイトルで塾頭山下祐先生が報告して下さっています。 (太字をクリックするとこの回の全文を読むことができます。)
〝先日、年長さんがお芋堀に行ってきたので保育園に残ったのはもちろん年中さんと年少さんです。朝のお当番活動の一貫で職員室と調理室にお休みを伝えにいくお仕事がありますが、今日に限っては年中さんが気合い入っていたようにも感じます。やはり年長さんがいない分、自分達がしっかりやろう!という気持ちが子どもなりにあるのでしょうね。〟
芋掘りへ向かおうとするすいすい組(5歳児クラス)の子ども達の一年前、らんらん組(4歳児クラス)だった頃に書かれたこのブログ。すいすい組(5歳児クラス)のいないこの日をきっかけに、らんらん組(4歳児クラス)の子ども達は憧れの〝雑巾掛け〟に取り組むのです。
すいすい組(5歳児クラス)という〝憧れ〟、ヒーローへの道のりを今まさに歩まんとするらんらん組(4歳児クラス)の子ども達。そんな彼らへそっと手を差し伸べるような温かな光景に、気付けばシャッターを切り続けていました。
(報告者 加藤恭平)
最後は3,4,5歳児クラスです。(以下太字のところが塾長の考え方)
新宿せいが保育園では、3、4、5、6歳児は一緒に生活しています。それは、ひとつには、個人個人の発達の連続性を重視するために、生年月日で発達を決め付けるのではなく、個々の課題によって活動を促すためです。
文字・数・科学ゾーン
ブロックゾーン
食事スペース①
たとえば、3歳児であってもはさみを使う能力は曲線切りができる子がいるかと思えば、5歳児でも、まだ、直線切りがやっとという子がいます。そんなときは、その子の課題は年齢によって決められるのではなく、個人の発達を理解し、把握をした上で課題が決められて行きます。子ども自ら、環境に働きかけるためには、その環境がその子の発達にあったものでなければなりません。そして、一人一人の子どもが自分の発達に見合った遊びやもの、人に自ら働きかけ、自発的に選べるために、大きな保育室に子どもの個人差の幅を受け止められる環境構成を用意していきます。
寝るスペース
また、異年齢児で触れ合うことも大切です。少子社会では、なかなか家庭や地域の中ではそういう機会が少なくなっています。異年齢児で遊ぶときには、様々な工夫が必要になってきます。それが前頭葉を育てることにもなります。また、発達が遅い子に教えたり、手伝ってやらなければなりません。そんな遊びの中から、子どもたちは様々なことを学んで行きます。また、そんな異年齢児とふれあいも大切だが、同年齢の子ども同士で関わることも大切ではないかとの質問を受けることがあります。しかし、このような心配は必要ありません。たとえ、異年齢児が同じ空間で生活していても、たとえばゲームをするときなどは発達のレベルが同じ同士でないと楽しくありません。同年齢で遊ぶことも大切なときには、子どもたちは、自然に同年齢同士で遊ぶことが多いのです。
制作ゾーン
食事スペース②
絵本ゾーン
子ども達が自発的に活動を選んでいく場合、動線には十分な配慮が必要です。活動をする場所とその活動に必要な材料が置いてある場所が離れていたり、異なった活動をしようとする子ども同士の動線がクロスしてスムースな活動を妨げたりするような動線は見直します。活動をするための場所とそれに必要な材料をおおまかなゾーンごとに区分けしておくことが大切です。
ちょうど2年前の2015年から、保育園の定員が115名から171名に増えた時に、保育環境を見直すことになりました。それまではワンフロアで3,4,5歳の遊びの空間を構成していましが、定員が増える事で2つのフロアを使って保育することになり、試行錯誤している当時の担任の姿を思い出します。
また実際に子どもの遊んでいる姿を見ながら少し環境を変えてみたり、それこそトライ&エラーの繰り返しです。そうしていく中で子ども達の活動と環境がピタッと合った時が落ち着く環境なのでしょう。
(報告者 山下祐)
2歳児クラスの重要性は塾長の講演でも言われています。また異年齢であるのに、どうして2歳児だけ単独なのか?疑問に思っている方もいらしゃるのではないでしょうか?(以下太字のところが塾長の考え方)
新宿せいが保育園では異年齢児保育が基本ですが、2歳児だけは例外的に単独で保育します。世界的に見てもこのような保育形態をとっているところは珍しいと思いますが、2歳児を単独で保育することには理由があります。
2歳児の「遊び」「寝る」空間
0~1~2歳の時期の発達の特徴は個人差が大きいことです。早い時期から歩けるようになる子どももいれば、なかなか歩き出さない子どももいます。でも遅かれ早かれいずれは誰もが歩けるようになります。一方、3~4~5歳の時期の発達の特徴は一人一人の生まれつき備わっているものや環境に大きく影響されることです。例えば手先が器用な子はその後も器用ですが、不器用な子が器用になることはありません。この場合の個人差は一人一人の個性であり、その先全員が同じ段階に到達することはないのです。
「食事」の空間
2歳児の時期は、誰もが遂げなければならない発達=生活の自立が完成し、個性の発達へと向かい始める準備期間なのです。また、2歳後半になっても生活の自立ができていないならば、なんらかの障害があることも考えられます。「障害がある子」ときめつけるためではなく、この先のケアの見通しを立てるためにも2歳児単独の保育が役立つのです。
食事の後に口の周りが汚れていないかチェックする鏡
ズボンを自分ではくための長椅子
また、この時期、みんなで一緒にいること、やることの楽しさをじっくり味わい、一方では、待つ、順番を守る、我慢するなど、耐性を身につける経験を重ねることも大切です。人と関わる力が育つ基礎になるからです。
自分たちで役割を決めての「ままごと」遊び
ちょうど私の息子が二歳児クラスです。確かに自分で出来る事が増えてきましたし、何よりも友だちとの関わりが多くなっているように思います。保育園から帰ってきて、「今日は誰と遊んだの?」と聞くとちゃんと「○○くんとあそんだの」「きょうは○○くんがおやすみだった」など友だちの事を教えてくれるようになりました。
一番の驚きは妻の出産をきっかけに二カ月ほど保育園をお休みしていたので、二カ月ぶりの保育園は絶対にぐずって行かないだろう・・・と覚悟を決めてお部屋に入ると、最初こそは照れてましたが、仲の良い友達の顔や先生の顔を見ると自然と部屋に行きました。それだけ息子にとって保育園という場は楽しく、過ごせる場だと親として安心しました。
(報告者 山下祐)